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世界の健康を守るWHO関係の委員会から、福島は安全で気にすることはない、という論文が出され、それに基づいて、日本では、気にする人がどんどん減っています。では、その国連機関とは、どういうところなのでしょうか?ここに、ドキュメンタリーがあります。ご覧ください。真実はどこに? - WHOとIAEA 放射能汚染を巡って -(原題:Controverses nucléaires)WHO世界保健機関と IAEA国際原子力機関が共同で開催した、2001年キエフ国際会議の模様を捉えた、とても貴重なドキュメンタリーです。特に福島の原発事故以来、私たち も避けて通れなくなった内部被曝の実態や、その証拠がどのように隠されてきたかを目の当たりにすることが出来ます。ウラディミール・チェルトコフ(Wladimir Tchertkoff)監督、エマヌエラ・アンドレオリ、ロ マーノ・カヴァッゾニ助監督作品フェルダ・フィルム、2004年、51分日本語版制作 Echo Echanges France、りんご野字幕翻訳 藤原かすみ、藤本智子、辻俊子、コリン・コバヤシ字幕・ナレーション制作 岩城知子 ナレーション 東陽子
2013.01.31
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つまるところ自分自身に自信があるかどうか、がすべてを決定します。人をいじめたり、体罰をしたり、中傷したり。これらも、自分に自信が無い証拠です。 私たちは、自分自身の力で生きているのでしょうか?今、こうパソコンのキーボードをたたいているのも、私の力なのでしょうか? 今、呼吸をしているのも、私の力なのでしょうか?今、心臓が動いているのも、私の力なのでしょうか? いや、いや、違うでしょう。もし、私が動かしているのなら、忘れっぽい私は、何回死んでいるかわかったもんじゃありません。 この生命現象そのものは、「私」の意識を超えたものです。今朝食べたご飯や、納豆が、化学変化を起こして私たちの手足になるように、組み立てるなんて、できっこありません。 根本的には、私たちは宇宙の無限のパワーに生かされているというのが、最も科学的な考えじゃないでしょうか? 宇宙のパワー、これは、計り知れません。これに生かされているのに、「これができない。」「あれならできる。」なあんてのは、宇宙力に対して、全く失礼な、傲慢な話じゃないでしょうか? この力を、ある人は神とよび、ある人は仏とよびいろいろあるでしょうが、それはどうでもいいです。 私たちは、この大自然の神秘の力に対して、謙遜になるべきです。 謙遜になるとは、どういうことか。つまり、「できない。」とは自分で決めつけないことです。どんなことでも、できるかどうかは、わからないのですから。やるっきゃないのです。 よく、想像できることは、実現可能だと言われます。この宇宙のパワーは、イメージと結びついているようです。さあ、この宇宙銀行、無限の財産と能力を蓄えている宇宙バンクから、思う存分、引き出してみましょう。引出しカードには、あなたのイメージを描き記せばいいのです。 さあ、堂々たる人生を歩みましょう。
2013.01.31
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変な話ですが、その教科が苦手だと思って、それで勉強して伸びた子はいません。その教科が嫌いだと思って、それで勉強して伸びた子もいません。少なくとも、途中で面白いことに気付いたはずです。 「苦手」「嫌い」は、すべて逃げです。そして、思い込みです。 とにかく好きになることです。面白がることです。 この世の中に、面白くないことは、ひとつもありません。100歩譲って、どうしても好きになれない場合でも、集中して継続していけば、いつか、面白さがわかる、という信念というか自信をもたせることが、本当に大切です。 これは、突き詰めると、小さいときからの、「成功体験の積み重ね」、です。成功体験と言っても、成績そのものではなく、面白いと思えた体験です。だから、根本的には、大自然の中にしろ何にしろ、「遊びつくす」体験から培われる力なのでしょう。 でも、今からでも、修正可能です。まず、親がテストの結果や、丸の数に、こだわらないことです。子どもに、答えさえ合っていればいい、という思い込みを植え付けるのは、とんでもない罪です。とにかく、勉強で一番大切なことは、途中経過の面白さです。面白がれたかどうか、だけで、評価しましょう。評価するというと、おこがましいものがあります。一緒に、面白がりましょう。子どもは、共感してくれる大人を通して、成長していきます。そうすると、子どもは、一生懸命、面白いところを探してくる習慣をもちます。結果は、自動的に後からついてきます。 結局、能力とは、人がつまらないと思うところから、面白さを見出す力なのですから。
2013.01.30
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英語の苦手な子がいます。その子の勉強時間を調べると、英語は限りなくゼロなのです。当然、ついていけなくなります。 卵が先か、鶏が先かという問題ではありますが、まずは、楽しい体験、楽勝な体験、わかった体験をすることからでしょう。 ホウレンソウの苦手な子に、ホウレンソウを食べさせる工夫と同じです。 私も含めて、人間は弱いです。嫌なことには足が向きません。ハードルを極力下げてやる必要があります。場合によっては、気づかないうちに、食べさせてしまっているテクニックが大切です。これは、「お勉強」と思った途端に、脳の血流がストップしてしまいます。 で、苦手なものの料理の仕方ですが、学問の場合は、イメージの世界ですから、どんなイメージを登場させるか、これが勝負です。
2013.01.29
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いよいよ高校受験も、本格スタート。模擬テストで、悪かった子も、気を取り直して、実力を発揮してほしい。 ところで、ここは、僕の力では難しいんじゃないか、って思うと、そう思う心が、実力発揮を阻害します。皮肉なもので、ここは楽勝だと思い込んだところは、力を十二分に出せているものです。 これは、単に、偏差値が低いからという相対的なものではないようです。明らかに、厳しい予想のところでは、パフォーマンスが悪くなるのです。 だから、あえて、気楽にいけるように、楽勝イメージを作ってやるべきだと思います。 ところで、昨日、ここ大崎市古川は、大雪で、車を道路の出すだけでもしんどかったのです。運悪く、角田市のコスモハウスで、科学教室。10時開催ですから、もっと早く到着して準備をしなければなりません。 高速道路は二本とも閉鎖。私は、特攻隊員のつもりで、4号線を南下しました。そして、電話が通じ次第、こういうわけだから、本日中止を連絡しようとも思っていました。 ところが、仙台を通過していると、雪が見る間に小さくなり、岩沼市では、田んぼに雪が無くなったではありませんか!もう、笑っちゃうしかありません。古川の雪の話が、与太話に聞こえるじゃありませんか。まあ、それで、何とか時間に間に合ったのですが。 物事ってのは、こういうものだなって、つくづく思いましたね。実現する直前になると、思わぬ妨害が入るものです。でも、それは、神様からのメッセージなのです。「本当に、したいのかね?!」という。
2013.01.28
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目標達成が近づくと、決まって邪魔が入ります。あの人が、無理だと言った。この人が、あんなこと言った。などなど... しかし、それを創り出しているのは、実は、私たち自身です。私たちの恐れる心、揺れる心が、創り出しているのです。 もし、絶対に大丈夫だと確信をもっていたなら、雑音も全然気になりません。気になるということは、そういう心をもっているからなのです。 いろんな意味で、邪魔が入ってきたら、まだ、私の中に、迷う心があるのだ。それを知らせてくれるために、こういう出来事が起こったのだ、とありがたく受け入れましょう。そして、あらためて、決意を新たにしましょう。 ゆるがぬ気持ち。不動の決意で全身全霊を統一しましょう。そうすれば、すべてが味方しれくれます。 進路で対立している人。ご両親に、言葉で説得しようとしても、実は意味がありません。ご両親は、その言葉に信用を置いていないから心配しているのです。行動です。有無を言わせぬ、断固とした行動。それのみが、周囲を認めさせ、味方になり、援助してくれるのです。 一点の曇りのない世界こそ、明日を創るのです。
2013.01.25
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目標達成が近づくと、決まって邪魔が入ります。あの人が、無理だと言った。この人が、あんなこと言った。などなど… しかし、それを創り出しているのは、実は、私たち自身です。私たちの恐れる心、揺れる心が、創り出しているのです。 もし、絶対に大丈夫だと確信をもっていたなら、雑音も全然気になりません。気になるということは、そういう心をもっているからなのです。 いろんな意味で、邪魔が入ってきたら、まだ、私の中に、迷う心があるのだ。それを知らせてくれるために、こういう出来事が起こったのだ、とありがたく受け入れましょう。そして、あらためて、決意を新たにしましょう。 ゆるがぬ気持ち。不動の決意で全身全霊を統一しましょう。そうすれば、すべてが味方しれくれます。 進路で対立している人。ご両親に、言葉で説得しようとしても、実は意味がありません。ご両親は、その言葉に信用を置いていないから心配しているのです。行動です。有無を言わせぬ、断固とした行動。それのみが、周囲を認めさせ、味方になり、援助してくれるのです。 一点の曇りのない世界こそ、明日を創るのです。
2013.01.25
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実力に見合った志望校を目指すというバカげた考えが、常識化しています。 人間は、ハードルの高さによって、力を出すのです。力によって、ハードルを選ぶのではありません。 実際、低レベルの学校と、ハイレベルの学校で、受験の準備のためのエネルギー、そんなに違いはありません。安泰だと、チンタラ勉強をしますから、かえって疲れます。無我夢中で勉強した方が、疲れないのです。 じゃ、何がネックかというと、私は低レベルの学力だと「思い込んで」いるのです。小さいときから、「僕はあそこに行くんだ」と思い込んでいれば、志望校選択では悩みません。 今年の受験生には、もう遅い話ですが、来年の受験生には、ぜひ、こう言ってあげてください。「あの学校に入れるように、頑張りなさい」 ではなく、「あなたは、あの学校に行くのが一番似合っているよ。」「当然、あなたは、来年あの学校の生徒ね。だって、その力があるもの。」と。何のてらいも、疑問ももたずに、明るい未来を指し示しながら、つぶやきましょう。 ハッパをかける必要もありませんよ。
2013.01.24
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模試で合格可能性が判定されて返ってきます。C判定で50%と判定されたら、どう思いますか? そもそも確率ってのは、幻のような数字です。数学の問題では、サイコロをふって、1が出る確率は、1/6と答えると「正解」となりますが、これは、無限回ふると、1/6に近づくという意味で、実際に出る目は、1かそれ以外かしかありません。1が出たら、もうそれは決定ですから、100パーセントなんです。決して、1/6という数字が出るわけではないのです。 そもそも、確率を計算したからって、何がわかるというのでしょう?私たちが必要なのは、だから、今、どうするのか、ということです。今の意思決定なのです。それには、ほんの参考程度でしか、答えてくれていないのです。 第一、確率で計算できる土台が、「同様に確からしい」という場合の数です。この世の中に、同様に確からしいという事象は、そうありません。せいぜい、サイコロか、トランプくらいなものです。(いや、トランプもマジシャンの手にかかれば…)だから、試験では、めったに使わないサイコロなんかを持ち出すのです。 野球のバッターの打率、あれは、過去の成績をもとに未来を予測しています。過去と同じように、未来も打つだろうと。しかし、過去と現在はあきらかに違います。バッターは経験を積んでいますし、対戦するピッチャーも違います。また、ゲームの場面も違います。 いくら、打率の低いバッターだからと言って、この打席は、打つか、打たないかだけなのです。打たれりゃ、それが100%の結果なのです。 確率は、人間がほんの参考までに、計算してみたものです。それに、今の意思決定が左右されるのでは、本末転倒です。 量子のふるまいや、化学反応のように、無限個のものが、無限回試行するものは、超重要な指標ですが、私たちの人生では、今回だけの1回勝負ばかりです。 人間の意識こそが、もっとも大きな要素なのです。 ちなみに、放射線の影響も確率の世界です。一般公式としては、100ミリシーベルトで、癌死が0.5%増える確率です。これは、ただの参考であって、だから、どう行動すべきかは、何も指示してくれないのです。 ともかく、未来は私たちの意識にかかっています。未来は、私たちが創るのです。 経済政策も、資金をだぶつかせれば、景気が良くなるという過去の確率論で安心してはいけません。経済は、あくまで人間の意識のあらわれなのです。特に、イノベーションの意欲です。多くの国民が前向きの意識をもつかどうかにかかっています。 日本経済は、危機的な状況は間違いありません。で、これに対し、危機回避だけの守りだけでは、行き詰ってしまうことは明白です。今こそ国民全員が、過去の経験にとらわれない、画期的な未来を描くことです。
2013.01.23
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「放射線の科学は、みんなが素人だから、議論の内部を透明にすべきだ」と言ったのは、湯川秀樹博士ですが、根本的にあいまいなことが、いかにも、もっともらしい顔をして、歩き回っていることが科学の世界にはあります。特に、放射線の議論では。 たとえば、「シーベルト」 実効線量という単位ですが、人体に与える影響度です。しかし、人体に与える影響自体が、まだまだ未解明なのに、それを単位にできるものでしょうか? それでも、外部被ばくの実効線量は、論理的につじつまが合っています。 しかし、一番気になる、内部被曝の実効線量を計算するときには、各々の放射性物質について、それをどのように(飲み食いか、呼吸か)摂取したとき、体の中の様々な部分をどのように動いていくかを表わした数学的なモデル(動態モデル)を仮定し、使っているのです。 この動態モデルは、物質の種類だけでなく、人間の年齢や男女差も考慮にいれた、かなり複雑なモデルです。一定量の放射性物質を摂取したと仮定し、それが体の中をどのように動き、最後は、排泄されていくかを、動態モデルにもとづいて計算するのです。その間、放射性物質がどの程度の放射線を出すかは、物理の法則を使って正確に計算できます。すると、体の中の各々の臓器・組織が、どの程度の被曝をするかも計算で求めることができると考えます。最後は、各々の臓器・組織の放射線への敏感さも考慮しながら、すべての臓器・組織のダメージを合計して、体全体へのダメージを表わす一つの量、つまり実効線量を計算するのです。 で、素人でも、察しがつく通り、このような実効線量の計算では、そもそも人体内部の動態モデルが、どれくらい信頼できるかが大事な鍵になるわけです。動態モデルは様々な研究にもとづいて慎重に作られてはいますが、それでも、体内での動きがあまりきちんと知られていない物質もあります。そういうときは、その物質についての動態モデルは不正確だし、内部被曝の実効線量の計算結果もあまり信頼できないということになります。 つまり、特に、内部被曝の実効線量は、複雑な内部被曝によるダメージを、かなり強引に一つの数字にまとめたものであるのです。内部被曝の実効線量は、厳密な数字というよりは、ダメージの度合いを知るための「目安」と考えたほうがいいのです。具体的には、内部被曝の実際の線量は、標準の方法で求めた実効線量の半分であるとか倍であるとか、それくらいの狂いはあるだろうと考えているのがいいと思われます。 また、実効線量の評価では、放射性物質が臓器全体に分布して、均一のダメージを与えると仮定しています。これも、適切な考えかどうかも、疑問視されています。そもそも、体の中の生体分子は、きわめて複雑にふるまいます。そこに放射性物質がまぎ紛れ込むことで、予期せぬ「悪さ」をする可能性はあると思われます。これは、私には、よくわからないし、専門家でも、あまり意見は一致していないようです。 ともかく、パニックになるほどの差し迫った危険はないと思いますが、わからないものは、わからないのです。だから、安全だとも、危険だとも言えないのが、真実だと思います。 このように、私たちの生活は、まだ未解明のものの、「仮説」に乗っかって成り立っています。仮説と言えば、今使っているパソコンやスマートホンだって、量子物理学というまだまだ、いっぱい謎のある世界の仮説を使って、成り立っています。電気製品だって、まだ、電気が電子の流れだとわからない時代から商品として売り出されていました。あとで、ああ、こういうことだったんだ、とわかってくるのです。 いずれにしろ、そういう意味では、ギャンブルです。人生は。
2013.01.23
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何度も言いますが、学習は笑顔でしなければ、効果は激減します。 なぜかって?学習って、ある意味、神経のニューロンの新たな絡み合いなわけです。 学習に関係するニューロン新生は、脳の海馬で起こります。 じゃ、どうすると海馬の神経細胞が増えるのか? 運動したり、好きな事をするとニューロン新生が起きると言われています。 『好きこそ物の上手なれ』です。特に、これが、運動だと最高なわけです。楽しんで運動をしている人は、アタマが良くなるのです。もちろん、脳みその性能(特に空間認識力)が良くなるのであって、勉強しなければ、成績は良くなりませんが。(あたりまえ) ただ、ストレスがあると運動してもニューロン新生は起きません。だから、部活で、鬼コーチにビクビクしている中では、脳には良くないのです。 ともかく、「笑い」は、健康に良いだけでなく脳みその性能に密接に関係があるわけです。私は、さらにつっこんで、逆も真なり、で、「アタマが良くないと、笑顔を作れない。」という仮説ももっています。 「そんなわけねえだろう。」「秀才のあの人、科学者のあの人、むずかしい顔をしているぞ。」 たしかに、これに矛盾するケースはあります。しかし、それは、人間の幸せに直結するアタマの使い方でない方向で、優秀なだけで、人間は、幸せになるために生きているのなら、それと関係ない方向にアタマを使っているのは、やっぱりバカなのです。 ともかく、勉強だけでなく、仕事も、笑いに絡めて何かをすると学習能力が上がるのです。これは、間違いのないことだと、確信しています。 難しい問題に直面したら、「キター」って、笑いましょう。 その意味で、勉強する前に、お母さんから「いいかげんに勉強しなさい!!!!!」と言われて、不機嫌そうにしぶしぶ勉強している子?おバカですね。風邪が流行っています。「笑い」は免疫力を高めることが分かっています。笑いましょう。 「笑う角には福来る」です。「門」は家の意味です。いつも明るくしている家庭には、自然と幸福が訪れるということです。受験生の家庭に福が訪れるように、みんなで笑いましょう。 え?笑えない?心配ご無用。心理学上の名言に、『悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ』という言葉があります。「泣いている自分」を人は感じて、さらに悲しくなるという脳の反応を表現しています。逆に使えばいいのです。顔の筋肉は、悲しくても意識的に動かせます。そう、笑顔を作るのです。無理やりに。そう、笑うから楽しくなるのです。何度も言います。 「笑いは学習効果を高めます。」最後の追い込み。笑って、学んで、笑って、成績アップ! 笑って、合格!です。ちなみに、笑いにはリラックス効果もあります!
2013.01.22
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世界の規制値に比べて、日本の食品の放射線規制値は厳しいんだよ。だから、とっても安全なんだよ。だから、安心して住めるし、原発も再稼働していいんだよ。というPRが出回っているようです。 まず、世界との比較ですが、世界の国では、放射能汚染食品が生産されることを、想定していません。ですから、あるとすれば、外国から持ち込まれるしかないという考えです。それも、事故が起きた非常時だけです。で、非常時の規制値をどうするか、という論議になり、制定されているのが、各国の規制値です。 その計算方法は、国民が輸入食品を取る割合は、食物の1/10くらいだろうということで、10倍濃くても、構わないという考えです。 実際、チェルノブイリで被害にあった、ウクライナやベラルーシは、事故前は、国際機関の説を鵜呑みにして、野放し状態だったのです。それで、ご存知のような、悲惨な障害がいっぱい出ました。それで、独自にかなり厳しい基準を作り、そのおかげもあって、状況は、5年目を過ぎたあたりから、改善してきています。 最近、被害は無いじゃいか、という論文が出回り、中には、科学的思考能力に弱い人、貧乏人、女性に、被害妄想が多いという説まで出ています。 そういう人は、本当に自分で調べているのだろうか?ただ、見かけで何もないから、安全だと言っているのではないでしょうか?また、そういう空気だから、そう言っているのではないでしょうか? 最近でている安全理論は、内部被ばくは、外部被ばくとメカニズムが違うということそれを無視しているものばかりです。それと、被害も、癌患者とその死者ばかりに、注目しています。あらゆる不調が想定されているのに。 そして、何より、そういう想定での、調査がなされていないのです。調べていないのに、データが出るわけがありません。 中には、国連の科学委員会の論文の誤訳もあります。遺伝的な毒性には、しきい値がありそうだ、と言っているのに癌へのしきい値があると、曲げられています。 だいたい、その委員会の委員長が、まだ、わからなく研究を続けなければならないと言っているのです。そして、欠けたジグソーパズルのピースがいっぱいあると言っています。つまり、データが出ていないと。 国連も、推進側だということを考えれば、全然安心できる話ではありません。 もちろん、不安を煽ってはいけませんし、精神的な不安が、ストレスになり、それが、不調を引き起こすのも事実です。 ですから、怯えるというよりも、どうやって健康に過ごすかをイメージしましょう。環境を変えていくイメージをもつべきであって、ホッカムリをして、「無かったことにする」のとは、違うと思います。汚染を認めるのは、辛いことです。しかし、ありのままに受け止めることが、勝利の土台なのではないでしょうか。 日本は、これでも、心配する声をあげられるから、まだ、これくらいで済んでいるのです。日本のお母さんの心配は、決してムダではありません。 結局、生き方の問題です。人の内面をコントロールすることはできません。ここは、ジコチューで生きるしかない。そして、私がまず、幸せになることです。
2013.01.21
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英語は、例年どおりですね。細かい文法よりも、(もちろん、大切ですが)何といっても、長文の読解力です。バリバリ英語を読む力。楽しんで読む力が求められているのでしょう。 さあ、2次試験に向かって、再スタートです。
2013.01.21
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センター試験ご苦労さまでした。試験問題を、数1Aだけ見てみましたが、生徒の感想どおり、難化してますね。 特に第3問 図形の位置関係が、把握しずらいです。第2問も、例年より、計算量が多かったですね。 昨年、平均点が高かったので、今年あたりは、下げてくるかなと思っていたのですが、やっぱり、です。 今、数2Bを見てみましたが、第1問で、三角関数が消えています。おっと、数列で、数学的帰納法が。これ、はじめてじゃないでしょうか。平面ベクトルが出たのも、めずらしいですね。ま、でも、いずれにしても必修問題ですね。 全体的には、易しくなったかな。こっち取った方が、有利だったようです。 これから英語を見ます。
2013.01.21
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受験生の皆さん、第一日目、ご苦労さま。しかし、昨日の結果を振り返ってはいけません。過去を振り返って、前向きな気持ちになることは稀です。ほとんどマイナスの気持ちをもってしまいます。これからのことに、気持ちを切り替えよう。ラグビーの明治の合言葉じゃないですが、「前へ」です。 振り返る暇があったら、今日の対策をひとつでもしよう。さあ、最後まで、「前へ!」です。
2013.01.19
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ボランティアで奉仕活動をしたり、自衛隊に入らないと、国家に尽くしていないのではなか、と思いがちですが、真の国力を高めるには、もっと違う視点をもつべきでしょう。 福澤諭吉先生は、「学問のすすめ」第3編で国とは人の集まりなのだから、国の独立とは、国民が独立するということだと言っています。「一身独立して一国独立す」です。 日本は独立国家とは言えない状態ですが、「独立」とは、他人の心に依存しないことであり、他人の知恵に依らないことです。また、他人の財に依らないことでもあります。国民にこの気概が無くして、その集合体の国家が独立できるわけがありません。 福澤先生は、なぜ、独立しなければならないかについて、「独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人にへつらうものなり。」と言っています。 そして、国民に独立の心がないとどうなるかも。1. 国民が国のことをわが身に引き受けようと思わず、国のことを憂い、国のために尽くすことがなくなる。2. 国の中で独立できないものは、外国人に対してもまた独立の権義をもつことができない。3. 政府を恐れて訴えをおこせない者は他人に依頼して悪事をなすかも?だから、国を愛すなら、まずは自己の独立をはかり、余力があれば他人の独立を助けるべし、というのです。 震災復興も我々ひとりひとりの独立の気概こそが、バックボーンです。日本経済の立て直しも、国民ひとりひとりのチャレンジ精神があってこそです。 経済的な独立と精神的な独立は、一見対立するように見えるときがあります。金のためには、反対だけれども、組織の言うことをきかなければならない、と。しかし、それでは、組織は結局弱くなるのです。そういう人間ばかりだと、国は滅びます。経済よりも、まずは精神です。 自由な発言や行動のできない中国は個人が独立しているとは、到底言えません。結局は、国を弱体化させ、独立さえ脅かされるでしょう。 明治維新の危機を日本が乗り越えたのも、個人が強かったからです。組織が良い政策をしたからではありません。 日本の敗戦の原因も、個人が埋没してしまったからです。異論・反論をくみ取れなかったからです。 逆に、経済的には、徒手空拳でも、精神さえ、前向きであるなら、どんなものでも創り出せます。なぜなら、創造は、精神の産物だからです。 私たちは、今目にしているものや、過去目にしたものでもって、未来を予想してしまいますが、見えないものを見る力こそが、繁栄を築くのです。芸術家が、粘土を前にして、粘土しか見えなくては意味がありません。粘土の中に、粘土を通して、女神を見てこそ、芸術は造れるのです。独立の精神は、何も無いところに、素晴らしいものを見させるのです。人が思いもつかないものを見るのです。 その意味で、従来の学校教育は、与えられた課題を決まったやり方で早く正確にこなせばOKという、そういう成功体験だけをずっと、子どもたちに与えています。 いわば、カーナビでしか、運転できない子を養成してきています。自分でマップを作る力を与えること、それが、愛国教育以上に、国家のためになると、私は思います。
2013.01.18
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受験くらい面白いものはありません。血沸き肉躍ります。切羽詰まるから面白いのです。真剣だから面白いのです。そして、一生懸命だから面白いのです。面白いから一生懸命になるんじゃないのです。真剣だから面白いのです。こんなに真剣になることって、人生であまりないじゃないですか。 うらやましい!十分に味わって、楽しんで来てください。
2013.01.18
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私たちが、記憶する場合、感動が大きく影響します。プラスの感情だけでなく、マイナスも含めて。 それに対し、最も、人間の感情からかけ離れていると見られるのが、数学でしょう。数学には、どうしてこういうことを学ばなくてはいけないの?という定理や公理がいっぱいです。 実際、問題文を読んでいるうちに、そのバカバカしさに笑い出したくなるものがいっぱいです。 生徒から、なぜ数学を勉強しなくてはいけないのか?という質問を、一番受けます。 果たして、数学とは、もともと、「冷血動物」なんだろうか? 私は、実際の生活で役に立たなければ、意味がないとは、思っていません。役に立つに越したことはないのですが、その論理展開が、感動的だったら、道楽としてする数学に意味は十分あると思います。 だったら、感動的な論理展開って、あるでしょうか?本当は、その数学の定理を発見した数学者は、感動に打ち震えていたはずなのです。 一見、結びつかないようなものが、どんな場合でも成り立つなんて、すごいじゃないですか。「なあるほど、こう来るか!」という論理展開。 実は、数学は感動の連続です。 じゃあ、なぜ、あんなにつまらない?それは、数学の歴史に触れていないからです。数学者がどういう環境で、どういう気持ちで研究したのか?これを抜きに、話は始められません。 俳句や和歌を詠むときにもそうでしょう。詠むまでの流れが重要なのです。 それから、数学は、率直に言って、生徒の実力差がありすぎます。そして、わからない子に、焦点を当てて教科書を作るものですから、本当の面白いところを、飛ばしてしまうのだと思います。 何度も言っていますが、楽しい授業と、わかる授業は、イコールではないのです。しばしば、逆なのです。 私は、楽しんでこそ、学問の意味があるのであって、楽しまないで、「わかる」学問なんて、百害あって一利なしだと思っています。 数学者は、子どもたちに、感動に打ち震える教科書を書いて欲しいと思います。
2013.01.17
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試験に神風を吹かせるための その2です。それは、笑う門には福来たるです。これは、精神論だけではありません。現実に、100メートル競走でさえ、苦しい顔で走るより、笑って走った方がタイムが良くなります。全身の血流が良くなるのですから、脳にも良いはずです。笑いは、うつ病や心身症にも良いように、まさに脳血流の流れを促進するのです!脳細胞の活性化(特に前頭葉)につながります。これは事実なのです。使わない手はないじゃないですか。ストレスのたまった状態では交感神経が優位に働き、血圧も上昇、さらに脳内の酸素消費量が増加して脳細胞の働きが低下し、血圧コントロールがうまくいかなくなります。このような状態のとき、笑うことで脳内の血流量が増加し、酸素の供給が増え、脳細胞の働きが改善することで冷静で柔軟な判断力が生まれるのです。 その日のアタマの冴え次第で、10点20点、簡単に変動します。特に、数学などには多いですね。ちょっと判断を間違うと、ジャングルで遭難してしまいます。 笑いながら問題を解きましょう!本気で私は思っています。難しい問題が出たら、「うわー難しいぞ、何て面白いんだ!」って、笑っちゃいましょう。不審者と間違えられないように。あ、マスクをしていくと、ニタニタしていても、大丈夫かもしれません。かな?
2013.01.16
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試験前にするのは、運気を上げることです。 運気を上げるには、「今さら」という言葉は、禁句です。これからのチラっと見たページが、世界を救うかもしれないのです。「もう間に合わない」ということは、ありません。そして、負けを恐れ、チャレンジしなくなる仕組みは、他人との競争でなく、自分との競争、だということを忘れる時です。 「えー、あいつがなんで?」という大金星を挙げる人がいます。 その人は、ハイレベルの学校にチャレンジしたからこそ、金星を挙げられるのです。身の程知らずのチャレンジをする人に、神風は吹きます。 大逆転やってみたいですよね。身の程知らず、怖いもの知らずです。これが、奇跡を生むのです。 良い意味で、神風が吹いて、世の中は、理不尽なことばかりだと思い知ります。 それを理不尽だと怒ったり、逃げるのではなく、その理不尽を受けとめてみるのです。 前に記事で、受験は役に立たないと書きましたが、 結果がどうであれ、プロセスで得た知識や技術は、財産です。 プロセスも泥沼であればあるほど、その人の人生は充実したものになります。結果ばかり意識せず、プロセスに精魂傾けましょう。 人生で役立つのは、そこで得た気づきや学びなのですから。 運を良くするには、姿勢を良くすればいいと言われます。背筋を伸ばせば、運命がかわっちゃうのです。えー、ホント~!?まず、姿勢がいいと、好印象を得られます。人から好印象が得られると、その人から「運」がもたらされます。背筋を伸ばして、姿勢を良くすると、集中力が高まり、打ち込みモードになりますよね。姿勢を良くすると、字もうまくなります。頭の位置を高くすることで、問題用紙全体が見えます。何より、緊張で飲み込まれなくなります。鼻のアタマが、胸よりも引っ込んでいる状態を基準にしてください。 よし、これで神風が吹くぞ!
2013.01.15
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ドキッとするタイトルをつけてしまいましたが、大学入学後の成績が、現役組>一浪組>二浪組と、有意に判別できるのです。これは、ちょっと古いですが、1960年代の国立大学の資料から発見しました。 ということはですよ、長期間の受験勉強は、彼に何をもたらしたのでしょう。通常なら入りにくいところに、無理やり入り込む力は与えたでしょう。しかし、真の学力アップはもたらさなかったこと言えるのです。だとすれば、長期間の受験勉強は、社会的なムダだと言えるでしょう。 この傾向は、理数系に顕著です。ここだけの話ですが、やはり、理数系は、努力よりも素質なのです。(という見方もあるということです。)
2013.01.15
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受験勉強は、スピードです。これは間違いありません。時間をかけるのが、受験勉強だと勘違いしている人が大勢いますが、違います。勉強のスピードを上げることです。 それを支えるのが、リズムです。リズミカルな勉強していかなくてはなりません。成績が上がらない人は、リズムに乗っていません。 そのリズミカルな勉強を支えているのが、決断力です。いろんな勉強方法があります。その中から、これだ! と決めたら、それを一筋にやっちゃう力です。 だいたい、あれこれ迷ってばかりいる人は、本番での解答も、時間がかかっているものです。間違うかどうかは、時間がかけられるかどうかではありません。わからないものはわからないのです。ほとんど、一瞬で決まっているのです。それに、時間をかけるのは、損失以外の何者でもありません。 ところで、変な話ですが、決断を遅らせる原因は、正しい答えを出そうとすることです。独断で決める訓練をしましょう。今の学校教育は、人が決めた「正しい」基準に合わせる訓練ばかりします。だから、どんどん決断力が遅い子が生まれているのです。 決断は、根本的に独断と偏見です。「いや、私は客観的に物事を考える主義です。」と言っているとしたら、その人の科学観は、間違っています。50年遅れています。科学や、数学までも、今や独断なのだと割り切っていいのです。 子どもに自分の判断に、勇気を持たせましょう。
2013.01.14
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NHKで、八重の桜に続いて、アテルイが始まります。今度は岩手県か。確かに、アテルイは英雄です。しかし、アテルイだけじゃありません。ここ東北には、中央政府と闘っては、つぶされ続けながらも、不屈の精神で立ち上がってきた歴史がいたるところにあります。 第一、津波は何度も襲ってきました。それでも人は住み続けたのです。何も、バカだからじゃありません。昔から対応策がセットされていたのです。それが、近代になって、ちょっと忘れ去られただけなのです。 松島湾の島々は、震災後、隔絶され、一時、独立国家となりました。それでも、立派に統治できたのです。これは、「悲惨な世界」とは、ちょっと違います。 テレビでは、この負け続けてもどっこい蘇る、生命力をこそ、描いてほしいと思います。
2013.01.13
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体罰をある程度は認める人が、結構いることにビックリします。コメントするまでもないこと、と書かなかったのですが、83%の人が、ある程度必要と答えているのです。 私は、体罰はもちろん、怒鳴ることさえ、子どもを馬鹿にする悪影響があると思います。子どもは、怒鳴られたり、殴られたりしたら、それを避けることにのみ、全エネルギーを使います。どうやって解決するかという、前向きなことに、脳みそは使われません。 指導者がどんなに思って殴っても、真意が暴力で伝わると思うのは、幻想です。 成績が上がったとしても、それはロボット人間の誕生であって、本当に困難な社会に出てから、乗り越えていく能力にはつながりません。これは、スパルタ式の進学校や、塾にも言えます。 いかに子どもがダメージを受けているか、これは、日々接して、ヒシヒシ感じます。その修復のために闘っているようなものです。私の活動は。 私自身、苦い思い出として、中学時代、バスケットをしていたのですが、先輩や先生に怒られないためだけに、動いていました。それで、県大会、ピンチのときに、自分が囮になって、パスを出すという「判断」ができなかった。あのとき、自分で考えて、パスを出していれば…どうして、思い及ばなかったのだろう?しばらく悩みました。結論。バスケットを楽しんでいなかったからです。バスケットの辛さだけを教えられ、楽しみを教えられなかった。何てバスケットって楽しいんだ、ってことを教えられなかった。一言も。 でも、これが、反面教師として、今の私の活動に根底で結びついています。学問を真剣に楽しみとして教えている人を、ほとんど見かけません。これこそ、バッカじゃないの??悲壮な顔をして指導している大人は、それだけで、自分の無知蒙昧を世間にさらしているのです。深刻そうな顔を見たら、軽蔑してやりましょう。そいつは、その競技や学問の エッセンスを全然わかっていないのです。そんなのに指導されたら、こっちまでバカになってしまいます。 指導者自身が楽しんでいる人についていきましょう。
2013.01.12
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昨日、宮城県庁と仙台市役所に 署名簿を届けました。(発送です。) 岡山 博 先生(仙台赤十字病院医師 東北大学臨床教授)の「宮城・岩手地区の震災がれきは、すべて集めて山積みし、津波記念公園として整備を」 署名 3484筆「福島第一原発付近に土地を確保し、放射性廃棄物をすべて集めて山積み管理を!」 署名 1273筆です。 どうしても、子どにモロに、被害が出るようなことでないと、盛り上がりに欠けますが、違法なことは違法なのです。八重の桜でもありませんが、ならぬものはならぬものなのです。 できるだけ、体裁を整えたつもりです。一目瞭然で理解してくれることを期待します。
2013.01.11
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衆議院チェルノブイリ原子力発電所事故等調査議員団報告書の中にある『チェルノブイリの長い影~チェルノブイリ核事故の健康被害』を読みました。これはウクライナの研究者が書いたものです。 この中で、あらためて2年後、3年後、4年後と徐々に、一定のペースで影響が出ていることを覚えさせられます。 でも、全体の中で数字は小さいことは確かです。1000人の小児のうち、5年後に腫瘍ができたのは、2.31人でしかありません。しかし、それまでは、0.27人でしかなかったのですから、8倍の増加です。そして、癌などよりも、影響が大きいと思われるのが、内分泌系の疾患です。5年目には、1000人中 22.75人と、ほぼ7倍になっています。とにかく、体全体に不調が来て、免疫力が落ちるのです。 子どもに見る、染色体異常誘発因子の割合は衝撃的です。高濃度汚染地区のナロジチ地区は100パーセント。キエフの子供は32.8パーセント。リクヴィダートルの子供は30.8パーセント、フランスの子供は0.8パーセントです。 そして、このキエフよりも、東京23区のセシウムの土壌汚染はひどい可能性があります。 心配して暮らすのも、「引き寄せの法則???」からすれば、良くないことなのでしょうが、気を緩めることは、全然できないことだけは、覚えておきましょう。 引き寄せの法則と言えば、これは、日本人の言霊信仰にもつながっていると思います。私もある程度は、言霊の効果はあると思います。 危険や困難から目をつぶるという方向に行くと、かえって悲惨な結果を招きます。たとえば、平和憲法。「平和」「平和」と言っていれば平和が維持できるのでしょうか?もともと日本人は、軍隊は嫌いだったのだと思います。軍事的なことは、「けがれ」とみていました。 だからこそ、平安王朝は、蝦夷討伐の後には、軍隊自体を無くしてしまうのです。それに代わって、自分たち貴族を警護する検非違使を置きました。しかし、その結果、全国各地で無法状態が発生し、国司は私服を肥やし放題。自衛のための私設の軍隊を民衆は持たなければならなかったのです。そして、江戸時代。軍事訓練はご法度。軍事的な発想はもとより、言葉も忌み嫌われました。その結果、黒船が来て、自分たちの装備が300年世界から遅れてしまったことに気付いたのです。 よく、日本が、平安時代や江戸時代に、侵略されなかったものです。これこそ、奇跡です。 企業経営でも、予期されるリスクを事前にひとつひとつ潰しておくことが秘訣のひとつに教えられています。リスクにとらわれることなく、しかし、しっかり意識して生きていきましょう。
2013.01.10
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♪あすよりは 何国(いづこ)の誰が ながむらん なれし御城に 残す月影 ♪ この歌は、会津戦争で落城が決まった夜、打って変った静けさの中で、三の丸の白壁に かんざしで書きとめられたものです。書いたのは、そう、八重の桜の 山本八重です。 八重は、この戦争が始まった時には、すでに結婚していましたが、若松城が籠城すると決まった時、戦に不向きな学者である夫と離婚して、7連発のスペンサー銃をかつぎ、男装して入城したのです。 八重の知識は、敵から撃ちこまれた不発弾を分解して殿様に説明した事もあったほどで、城内の兵には砲術を指導し、婦女子には弾薬の製造を教えるほか、自ら銃を背負い夜襲をかけるという、それはもう縦横無尽の活躍で、まさに、ジャンヌダルクと称されるのも当然と言えるほど。 八重の桜が始まりましたね。さっきビデオで観たのですが、重厚な配役で期待感が高まります。特に、東北地方への配慮から、このテーマを選んだのは見え見えで、NHKには、感謝したいです。 ところで、不評だった平清盛ですが、私は、大好きでした。とっても意欲的だったと思います。名作と視聴率は違うのでしょう。 ところで、困難な時ほど、その人・地域の真価が浮き出ます。戦争後の過酷な運命を切り開いていった人材の数々。会津人の強さを生んだのは、教育であることは、明明白白です。会津藩は教育立県でした。そして、八重も生涯、教育と指導に捧げます。 どんな困難にも負けない心。人々のために尽くす心。この原点を教育は見失ってはいけないでしょう。 教育は核兵器よりも強いんだ。
2013.01.09
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いよいよ受験の時が迫っています。私の生徒も、心が揺れています。でも、「自信が無い」という子には、こうカツを入れています。 自信というのは、自分を信じるという意味でしょう?信じるというのは、神様のように、目にも見えず、手でもさわれないものを、それでも「ある」と信じることをいうので、目の前に、もし、デーンと神様がいらっしゃったら、もう、信じるもクソもないわけです。 僕たちも、僕たちの力を信じるのです。要は、信じるか信じないかだけなんだ。だから、「自信がない」という言葉は、私は信じないと言っているに過ぎないのです。 僕たちの力ってのは、僕たちのもののようで、実は、全然僕たちのものではありません。僕たちは、自分で心臓一つ動かし続けれることさえできません。細胞一つ作れません。僕たちの、守備範囲外のものを、いかにも自分がコントロールしているように「信じない」なんて、何て傲慢な話だろう。 私たちには、わからないんだ。だったら、信じるしかないじゃないだろうか? 今回の「キャンドルの科学」も、実は、私にとって初めてのシリーズで、どこまで、深められえるか、わからなかった。でも、これは、科学研究全般に言えるんだけれども、面白いことを見つけたから、研究をするんじゃないだね。科学者は。 面白いものがあるに決まっていると、信じるから信じて研究するから、面白いものが見つかるんだ。逆なんだよ。 勉強がつまらないと言ってる君は、面白いはずだと、信じてみたことがあるかい?日常のありふれたことも、面白いと信じて見つめれば、きっと面白くなってくるものです。 今晩も、きっと面白い授業になると思います。
2013.01.07
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あけましておめでとうございます。昨夜から、3日まで、秋保温泉の蘭亭で、科学実験イベントをやっています。今年のテーマは、「キャンドルの科学」です。 オリジナルキャンドルを作りながら、ろうそくの秘密に迫っていきます。 新作なので、改良すべきところが多々あります。クリスマスに公民館でやった時は、100点満点で、35点くらいでした。反省の上、改善を重ね、昨夜は75点くらいまでいったと思います。今晩は、80点以上はいきたいです。 私のシリーズの大きな柱になると思います。
2013.01.01
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