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長男が産まれたのは昨年9月。幸いなことに今は出先機関出向中なので午前様や泊まりは殆どないが、それでも、帰宅は8時~9時位。その頃には寝かしつけに入っている。妻は、子供が起きている間はあまり家事が出来ないので、洗濯などは子供が寝てからだ。私は帰宅してから夜食・風呂などしていると、ほとんど手伝いも出来ない。皿洗い位が関の山。父親には「育児の継続性」がない。平日は、起きている顔を見られれば良いくらい。父親の育児は土日育児になってしまう。自然、なつかれ具合も悪く、育児に対する当事者意識が希薄になっている気がする。父親の育児休暇は、結局無給だし、残業制限にも人事管理者への申請が必要。キャリア組は別として、小役人(ノンキャリ)は昇給もカメ並だから、少しでも昇給したい。残業制限出した者と出さない者を、いくら「その取得によって不利益を受けない」としたとしても、より働いた者が出世・昇給するのは言わずもがな育児は精神的にも体力的にも大変だ。子の成長と共に親の成長力が試される。核家族化の今、母親同様、父親も成長しなけれはならないのに…気持ちも時間も余裕がない
2010.06.23
今日、省内事業仕分があった。仕分人達は、限られた予算と人員の中で「技術スタッフの人員増要求と研修の充実、管理部門の見直し」を求めた。技術スタッフの研修自体、血税の無駄遣い。初めから、その技術に秀いでた学生を採用すれば即戦力なのだ。技術職の初歩的研修費用など出す余裕が今の日本にあるのか(発展的な研修や、行政の一員としてしか受けられない高度なものまでは否定しない)技官として国の職員を雇う以上、このご時世に古典的学問の単位取得者の採用にに固執する事こそ非効率だ。現在の先端の実験・試験法も判らずに血税で初歩研修を必要とする者が「技官」とは呆れる限りと思う。民主党の仕分もそうだったが、その分野の専門家が入らない、素人ばかりが行う仕分など、第二の蓮舫を生む「無駄なパフォーマンス」にほかならない。
2010.06.21
私が現在仕事をしている出先機関の業務の一つに、ある物を流通させるためにその安全性を試験・検査したり、その指導を行うという業務がある。 その試験・検査を行う技術職員として、人事院が行う一般の国家公務員技術職採用試験でなく、△△員という資格を持った人に対して省として採用試験を行う方式を採っている。ここで、採用後のミスマッチと、そのための税金の無駄があると常々思っていたので、今日はそれを題材にしてみたいと思う。 さて、その△△員というのは、大学である一定の単位を取得すれば得られるものであるが、ここに問題があり、例えば、基礎的でクラシックなな勉強を行う工学部土木課では単位が取得できるが、工学部高層建築学科では単位が取得できないといった時代遅れなものとなっている。 このため、この△△員資格を持っている者を採用することによって、基礎的な助言・指導には向いており、何の問題もないが、反面、国の試験・検査を行うにあたって、最先端の、上記の例で言えば”高層建築を検査する”技術を十分に習得していないため、この部署に配属された△△員は、採用におけるミスマッチと税金の無駄遣いを生む事になっている。 これら△△員に、最先端の技術を学ばせるため、国の旅費を支出し「基礎〇〇検査習得コース」を受講させたり、「サルでも出来る〇〇試験プロトコール」なる本を数冊公費で購入し、1から技術を身に付けさせなくてはならない。とても非効率で無駄な状況であると思う 私は行政職ノンキャリ公務員として働いているが、理系大学出身なので、見たくなくても見えてしまうのだが、その試験・検査の手さばきは、絶対に私が見てきたその道の大学の研究室員のほうが数段上に感じてならない。そして、大学でその技術を十分に学んで来なかった人間が検査した結果が、国の試験結果として反映されてしまうのだ。 例えば、△△員の授与対象範囲を新しい分野の単位にも広げるなり、他に新しい??員を設けるなどしたほうが、国としても、その検査を十分学んだ学生を採用し、即戦力として効率的に仕事を任せることが出来る。 (新しい技術について必要な単位に加えられていないため)△△員として採用されて、新しい技術を1から学ばなくてはならない職員には、「ご苦労様」と、暖かい声をかけてあげなくてはならないのだろうが(それも給料のうちなので当然と言えば当然)、このようなミスマッチは、税金のみならず、国の人材の無駄遣いであると思う。 今回の例から国全体に視点を広げて見ると、国としての「科学技術立国」としてのイニシアチブが、他国に比べとても弱いと感じてしまうことに思い当たる。蓮舫議員の「2番じゃだめなんですか」発言ではないが、技官よりも文系キャリア事務官が力を持ち、国の施策の大枠を決めてしまうことが根底にあるのだろうか? 現在、公務員の採用制度の見直しとして、事務官、技官、一種、二種の試験制度や採用後の取り扱いの検討・取り組みを行っていると聞く(本格的に実現するのは何年後か・・・)。 是非とも、上記のような非効率的な硬直した採用人事ではなく、フレキシブルで多様な採用を行い、国の有意な人材を適材適所に配置して効率的かつ専門的で、職員も望む仕事を活き活きとできる、そんな国の体制ができれば、行政の危機管理(最近の例では口蹄疫、新型インフルなど)をはじめ、国民への行政対応のありかたも、変わってくるのではないかと思うのだが、どうであろうか。
2010.06.13
意外と霞ヶ関近辺に医者が多くなったな…と、最近思う。虎ノ門は別として、心療内科やはたまた、疼痛外来やペインクリニックあたりまで、ビルの一角にあり、どこかの大学病院や他の開業医の派遣で営業している。偏った見方かもしれないが、霞ヶ関の職員が心身ともに病んで来ている兆候ならば、中央の国家公務員一人ひとりのため、ひいては国のためにも、悲しい事ではある。そう言う私も、以前、本省係長の2年目、業務量も全く減らないのに、公務員削減で急に部下を召し上げられて1人で2人分の仕事を抱える事になり、ダウンした事があった。内閣は行政府であり、省の職員としては、大臣は社長、総理は親会社の会長みたいなもの。その企業トップが、自分の会社の職員の勤務状況や業務量も考慮せず、自己の株主総会(選挙)目的に、リストラ策を平気で唱えている。公務員削減を訴える世論も、無責任に「公務員なんて9時5時」としか考えていないのであれば、国に対して社会保障や過度な要求をするのは矛盾だ。閉店後にも裏で仕事は待ってくれない事は、一般企業の方々も同じはず。どうやったら、広く皆に、公務員も同じサラリーマンで、日本の劣悪な労働環境(労働三権が制限され、かつ、国権の最高機関(国会)から昼夜問わず色々な注目があるから深夜仕事にまでなる分、もっと始末が悪い)の只中に置かれているか、知ってもらえるのだろうか国家公務員労働組合はもう政治団体化してしまい、「憲法9条守れ」なんて…それ、おかしいでしょ願わくば、政治色のない、真に、中央の国家公務員の現状を国民みんなに訴え、わかってもらえるように活動する、本来の「職員1人ひとりのための労働組合」を作ってみたい…今の私の夢かな…現実させる手立ても人脈もないけど小さな政府でも、それは政治判断だから従う。けれど、現実を無視して、数合わせのための人員削減先行だけは、どうか止めて下さい。お泊まりセット持参で家に帰れず、家族の顔もみられず働いている職員がいます。そんな職場で、他人、ひいては、国民の事を思った仕事が出来ますか?…自分の家族すら、帰って喜ばせてあげられないのに
2010.06.13
私生活で知らない職業を聞かれた時、「公務員」と答えない時がある。例えば、遍路宿だったり、床屋だったり…「公務員」と答える事に抵抗感がある。マスコミを主とした公務員バッシング。その報道に感化された人達による世論。それはもう、職業名を答えるのを憚る位、公務員の自信と名誉を貶めている。名誉のなくなった職に、人材が集まるか誇りを持って仕事が出来るかこの1年で私の見聞きしただけで、4人の若手が辞職している。私自身も、揺れ動いている。国を背負う(とまでは大げさと言われるかもしれないが)役人が劣化し、疲弊して、この国は発展出来るのだろうか憲法前文の、国際社会の中で「名誉ある地位を占めたいと思ふ」事は、このままでは、中国や韓国に抜かれるだろう日本の公務員数(国民当たりの比率)は他の先進国に比べ、相当低い。それを更に削り、サービス残業で馬車馬に働かせ、少なくとも公務員試験という就職活動をパスした者の給与を「民間平均」とし、(※給与についてはまた次回書きたい)大学卒で大企業に就職した同期生よりも暮らし向きが悪い待遇で、いい行政サービスが求められるものなのだろうか本省勤務の同期は、週一回の審議会のセットで、毎日午前様まで働いて心身クタクタになっている。その本分である会議を欠席したり居眠りし、挙げ句、選挙の為の政治ゲームで楽しんでいても歳費が削られない国会議員より、その同期のほうがよほど国の為に働き、尊敬されうると、私は思う私もまた、日本国に、国際社会に誇れる名誉ある国になって欲しい
2010.06.10
2007年4月30日(書くのをさぼっていたら、1月前以上の遡り投稿はできないらしい・・・) 2日目。 今日もいい天気だ。昨年は遍路から帰ってから、腕の皮が剥けてしまったので、今回は日焼け止めを塗って(職場へのカモフラージュの意味もあるが・・・)の出発。 7:20の始発ロープウェーで太龍寺へ向かう。やはり、歩き遍路はこのロープウェーは無縁らしく、真っ白な白衣のお遍路さんが多い。途中の山頂の日本狼の銅像はやっぱり無駄だと思う。。 捨身ヶ嶽 意気揚々とロープウェーを降り、今日は一般の遍路道より遠回りとなるが、弘法大師空海が修行したと云う捨身ヶ嶽経由で22番平等寺を目指す。 捨身ヶ嶽経由の途中、「ここからはお大師様が修行した場所なので、南無大師遍照金剛と唱えながら登りましょう」とのことを書いた石版がある。NHKの某番組では、先達が「♪な~むだ~いしへんじょ~こんご~♪」なんて歌いながら登っていたが、そこまでの勇気はないので、口でぶつぶつ唱えながら登る。道の脇には四国88箇所のそれぞれのご本尊の石像が設置されていて、まさしく空海ワールドだった。きつい登りだったが、10分程で捨身ヶ嶽の空海像に到着。ちょうど海(紀伊水道)に向かって空海が座って諸行しているお姿になっていて、山側からは像の後姿しか見えない。せっかく来たのに後姿だけとは・・・との思い止まず、立ち入り禁止(の意と思われる)ロープをまたいで、所々四つんばいになりつつ(結構危険!真似しないでね)、空海像の前面へ行き、天気のいい青空の下、像のお顔を拝見。 8:00捨身ヶ嶽発22番札所 平等寺 8:00捨身ヶ嶽出発。ここから下山路は少し不安があった。一般にお遍路さんが頻繁に使う道ではなく、太龍時の職員さんに聞いても「今はどうなっているかわかりません」という道。ありがたいことに、それでも道しるべは、忘れた頃に登場してくれる。1箇所、間違えた道を行きそうになったが、進んでいるうちに何ともいえない不安感に襲われ、待てよ、と引き返し、道しるべを見つけるなどし、進んでいった。さすがに今はどうなっているかわからないとお寺でも言われたとおり、突然道がなくなって、脇についていたロープを頼りに下ってまた山道に出るなど、お遍路としてはハラハラドキドキの道だったが、やはり、不安になってくると遍路の道標や印が発見でき、何とか麓の国道へ下山することができた。 そろそろお昼。目標にしていた「道の駅わじき」で食料をと思ったが、アイスクリームや菓子類しかなく、断念。お腹が空いたが、それよりも日向は暑い。平等寺へは、もうひとつ峠越えをしなくてはならない。山道の日陰に入ったところで休憩。2度ほど休憩し、峠越え。季節柄か、山道のど真ん中にまで竹の子がにょきにょき生えている。 峠越えし、里に出てくる。農作業をしている人に声をかけられ、「東京から来ました」と答えると、「今日は東京から来た人が多い」とのこと。昨日もお婆ちゃんに声をかけられ、同じことを言っていたっけ。やはり、ゴールデンウィークの長期休暇で、私みたいに都会からお遍路に来ている人は多いらしい。 11:25平等寺着。小さい町中埋もれた感じのお寺だったが、山門の仁王像の朱色は剥げている所はあるが鮮やかだった。平等寺脇の売店(?)で昼食をと思ったが、中が暗くて入る気になれない(その日は閉店だったらしい)。半ば昼食はあきらめて今日の宿の由岐の町を目指す。 11:55平等寺発 民宿「ゆき荘」へ 平等寺から宿へは約11.5Km。山の国道沿いを歩いて23番薬王寺へダイレクトに行く道もあるが、今回は「早く海岸を歩きたい」と思い、少し遠回りだが、敢えて海岸沿いの遍路道をとった。幹線国道を歩くのはやはり怖い。特に、今回の遍路初のトンネル歩き!歩道はあっても狭く、その脇を車がどんどん通っていく。車が通らないとすごく静かだが、車が通ると音が響いてとてもうるさい。できるだけ壁側にひっついて歩く。 途中、今回で3回目の遍路という方に道の脇の休憩所でお会いする。この方も、太龍寺の下りから平等寺からここまで、昼食を調達するところがなかったとのこと。お腹空いてるでしょと、キャンディーを2ついただき、とっても美味しかった(ただし、カロリーオフの飴だった。こういうときは、カロリーあったほうがいいのにと、いただいた感謝とともに、ふと思ってしまった)。この人は今日は薬王寺まで行くとのこと。これから(13:00)の時間で薬王寺までというのはよほど健脚だなと思ったら、どんどん引き離されて行ってしまわれた。 国道から離れ、由岐の町へ進路をとる。海岸へ向かうはずだが、山の車道を行くといった感じ。道はくねくね曲がりくねり、人目につきづらいのもあってか、ここら辺は不法投棄が多いらしい。谷へゴミを捨てられないためのネットがはってあったり、警察や自治会の看板など、物々しい。「世界遺産に!」なんて言ってもいる遍路道。こんな投棄はなくなってほしいですね(とか言いつつ、今回の遍路でパンの袋1枚、飛ばしてどこかに行ってしまった。これも立派な環境汚染。ごめんなさい)。 途中、山の上なのに、「カニに注意」の看板発見!なんだこれは~!!と思いながら、説明書きを見ると、アカテガニというカニが、産卵のために山から海へ集団で出てくるらしい。こんな山道まで登ってくるカニがいるなんて、生き物ってすごい(自分も四国一周なんてしようと試みてるから、カニのこと言えませんね)。 山の車道を下り、由岐の町へ。小さい港町だ。15:30。まだ宿に入るのは早いかな。港の端っこに、休憩用のちょっとした公園があったので、ここで時間をつぶす。公園の史跡案内によると、鳥羽・伏見の戦いの中、幕府の軍艦と薩摩の軍艦がこの港の沖で戦って、薩摩の軍艦が座礁したところ、この港に薩摩藩の乗組員が上陸したとのことだった。 海を見ながら時間をつぶし、今晩の宿、民宿「ゆき荘」へ。今夜のの宿泊は私1人とのこと。この民宿の部屋やお風呂は港の海が一望出来、とてもよかった。海岸線のルートに来た甲斐があった。 まだ降っていないが、夕方から曇ってきた。明日は一日雨のよう。波の音を聞きながら就寝。 2日目 わじき~22番平等寺~由岐 行程約19.5Km
2007.05.01
1日目の朝が明け、バスの外も明るくなった。消灯も解除されたようなので、カーテンの隙間を少し広げ、外を見ると、淡路島まで来ているようだ。しばらくすると、鳴門大橋。天気が悪かったが、昨年の遍路の最終日に鳴門大橋観光したっけ。鳴門の海も、吉野川もきれいな色をしている。今日は天気も良く、お遍路日和だ。 徳島駅6:50着の予定だったが、15分程早く到着したので、急いで駅近くのコンビにで朝食を買い、予定より1本早い6:52発のJR牟岐線に乗る。白衣や菅笠を持ったお遍路さんも数人見かけた。7:20立江駅着。駅で白衣を着、菅笠をかぶってお遍路スタイルに変身。先回、マメに苦しめられたので、お遍路通販サイト「札所0番」で仕入れたディクトンの予防ムースを足にも塗って準備万端!19番札所 立江寺(2回目遍路打ち始め) ゆっくり10分程あるいて19番立江寺に、打ち始めのお参り。旅行ガイドブックに良く書いてあるので詳しくは書かないが、立江寺は関所寺と言われ、不徳な行いをしたものは先に行くことができないそうな。昔、不倫をして前の夫を殺して一緒になった夫婦が懺悔の為お遍路をすることにし、この立江寺まで来たところ、その女性の髪の毛がお寺の鐘の紐に髪の毛が巻きついてしまい、その先に進めなかったそうな。昨年の立江寺は雨に降られゆっくり出来なかったので、見ることが出来なかったが、今回、その鐘の紐を見ることができた。本当に女性の髪の毛が巻きついていて、少しグロテスクだった。 8:00立江寺発。20番札所 鶴林寺 次の20番鶴林寺まで、約13.8km。しばらく国道を行く。途中コンビニで昼食を購入。次の鶴林寺と、その次の太龍寺は山の山頂にある。そろそろ鶴林寺への登り口へ入るところで数人のお遍路さんと会う。道を探しているのか、休んでいるのかよくわからなかったので、「お先に~」と声をかけ、地図通りと思われる上り坂へ入った。 少し上っていくと、「お遍路さ~ん」と、地元のおばあさんから呼び止められ、前方からも体格の良いおじさんに声をかけられ、「鶴林寺に行くならこっちじゃない。もう少し先にある、看板の出ている登り口からだ」と言われる。説明ぶりからも、どうやら、よく間違って入ってくるお遍路さんがいるようだ(私もその一人か・・・)。先ほど他のお遍路さんたちが道を探しているのはそのためだったかなと思い返す。教えてもらった方向へ軌道修正し、遍路道の印のある道へ出て、本格的な上り坂へ。へとへとになりつつ、えいや~と登っていくと、坂の途中のベンチで休んでいるお遍路夫婦(親子??)。挨拶をして先に行こうとすると、「休んでいかないんですか~」と声をかけられ、休憩することに。落ち着いてふと前を見ると祠があり、地図で水呑大師とわかる。水呑大師で水分補給し、また歩き出す。さらに登って1時間。お寺の駐車場に出ると、たくさんの車と真っ白な白衣を着た参拝者が目に飛び込む。お寺に来ると、やっぱり車遍路が多いんだと実感する。 11:40 20番鶴林寺着。納経のあと、ベンチでお昼をとり休んでいると、複数の人から「歩きなの?がんばって」と声をかけてもらえる。12:20鶴林寺発。 21番札所 太龍寺 鶴林寺から21番太龍寺へ向かう小道へ入るとすぐ、足のマメの治療をしている人が目に留まる。「お疲れ様です。お先に」と声をかけ、先へ。(この人とは、室戸岬の最御崎寺まで前後することとなる。)太龍寺は、いったん山を下り、そしてまた山を登るという道程の約6.5km。下りは良いものの、登りとなると朝から歩き通しの足に応えてくる。徐々に休憩の間隔が短くなってくる。休憩すると山の鳥の声やそよ風が気持ちいい。最後の休憩時以外は、不思議と、他のお遍路さんに会わなかった。最後の太龍時の境内の登りや階段がきつかった。14:50太龍寺着。 太龍時は、さすがに弘法大師修行の場所だけあって、境内は広く、建物も立派だった。大師堂への途中、鶴林寺が見える場所があり、向こうの山に小さく見えるお寺に、こんな距離を歩いたのかと、我ながら関心してしまう。 今夜の宿はここからロープウェーで下った「ホテルわしの里」。時間が早いので少し境内をブラブラした。鶴林寺で足のマメ治療をしていた人もやってきた。境内の長い階段がきつそうに歩いている。「きついですよね~。この先に鶴林寺が見えるところがあって、かなり遠くに見えましたよ」と軽く話した。 15:40発の太龍寺ロープウェーで下山。往復で2,400円。少々お高めだがとても景色が良い。弘法大師が修行した捨身ヶ嶽には、大師像が小さく見えたし、遠くには鶴林寺の塔が見える。(途中、日本オオカミの群像を山の上に造ってあったのは、少々観光地化しすぎでは!?と思ったが) 16:00ホテル着。今回1泊目の宿。歩き遍路の人達は、平等寺方面へ下る途中の宿に泊まるのだろう。ロープウェーのふもととあって、家族連れの車遍路と思われる方や観光客が多く、一人の宿泊には話し相手もおらず、少し寂しかったが、広めのお風呂で料理もおいしかった。忙しい日なのか、ホテルの人はあいそが少なめだった。お風呂の出口に冷たいお茶が用意してあったのが嬉しかった。 1日目 19~21番 行程約21.5Km
2007.04.29
いよいよ、待望の区切り打ち遍路2回目です。 家から電車で浜松町バスターミナルへ。前回は帽子だったが、今回から菅笠を導入。杖はカバーに入れてあるが、菅笠はさすがに隠せない。リュックに縛り付けて持つが、都内の電車では少し恥ずかしい。 浜松町バスターミナルから、徳島バスEDDY号21:55発。ゴールデンウィーク期間中だけあって、バスターミナルは各地へ向かう乗客でごった返していた。徳島行きも複数便が出るようだ。バス下のトランクを見ると、1本金剛杖が!このバスにも私のほかにお遍路の人がいるのかぁ。と思いつつ、乗車。皆さん定時に乗車されたらしく、乗車後大して待たずに出発。窓から外を眺めながらの旅を期待していたが、霞ヶ関インターから高速に乗るとすぐにカーテンを閉めて消灯してくださいとのこと。結局、朝まで外は見られなかった。 やはり慣れない高速バスでの就寝。リクライニング付きと言えども寝苦しい。途中何度も起きたりしながらの移動でした。
2007.04.28
遍路から帰って1週間半。今回の旅で、何か変わったかと言うと、実は、何も変わっていない気がする。まぁ、人間そんな簡単に変われないかと、開き直ってもみる。 その後、足のマメはまだ数ヶ所残っているが、痛みはない。あとは、日焼けした腕の皮がむけてきた。この2つが、遍路のお土産になった。 人間は変わっていないが、今回の遍路で学んだことはある。1つは、つらくても一歩づつでも、止まらずに歩み続ければ、いつかは目標に到達するということ。2つ目は、(これは、心を広く持っていないとかなり忘れがちではあるが)生きていうえで、多くの人や物に支えられていることへの感謝の心。 もし、この88ヶ所めぐりを、休まずに打ち通せば、「学び・気づき」が、「体得」になっていき、何かしら成長できるのかもしれない。たった5日では、「体得」の域にまでは達せられず、すぐに逃げ出したくなったり、不平・不満を感じたりする。頭では、少しはわかったつもりなのだが…まだまだ、修行が足り無すぎるということか。まだ19/88だ。四国一週という長い道のりを乗り越えてこそ(それとも、何週かしなければ)、得られるのだろう。 早速、次の遍路に出たくなってしまっている。歩くのはつらいし、足の痛みもこたえるが、それよりも、霊場を廻る厳粛さ、尊さや、同じ白衣を着て歩いている人達と話すのは楽しい。深入りはしない。他人の歩くペースには全く干渉しない。けれど、どこか暖かい、そんな関係が心地よい。 そして、「同行二人」の精神。お大師様に見立てた、もう一人の自分に出会える。弱い自分、馬鹿な自分、恥かしがりな自分、はたまた、歩き遂げるという強い意志を持った自分、感謝できる自分。色々な自分に出会える。 こうやって、古い昔から今まで、遍路道は続いてきて、またこれからも続いて行くのだろう。 次の遍路に出るまで、このブログも更新できないが、自分の思い出・記録として、更には、これからお遍路に行こうとしている、時間の無いサラリーマンの参考になればと思い、一旦、筆を置く。
2006.05.17
18番札所 恩山寺 朝起きると、昨日の夜の強い風はおさまっているようだが、雨が降っている。昨日コンビニで買った400円の雨具を羽織り、リュックにザックカバーをかけて準備万端。6:00、宿を出発する。 雨はそんなに降っていない。始めは、雨具のフードをかぶっていたが、蒸れるので、すぐにはずして、傘をさした。 だんだんと小降りになってきた。朝食を、途中のマクドナルドで済ませ、そのとき、雨具は脱いだ。今日で最後という心理が働いてか、快調に進んでいく。 恩山寺の手前で、車道から分かれて、遍路用の山道に入る。坂を登ると、ちょっとした祠のようなものがあり、その隣の石碑の上で、雨の日にもかかわらず、猫が一匹、出迎えてくれた。 恩山寺には大きな大師像があった。やはり、今日で打ち止めと思うと、ありがたさを感じてしまう。読経にも、少し、感情が入る。車遍路のおばさんがたの一行が居て、挨拶をすると、そのうちのお1人が、しきりと、「歩いているの?東京から?きっといい事があるよ」と言ってくれる。なんだか、うれしかった。 8:00 18番発。 19番札所 立江寺:1回目打ち止め 立江寺までの道の前半は、とてもきれいな山道に整備されている。見ると、「義経ロード」と書いてあって、源平の合戦の時代、義経が平家の屋島へ攻めたときに通った道がここで遍路道と重なっているようだ。雨に濡れた山の緑と空気がきれいだ。 山道を抜けると、だんだん雨風が強くなってきた。前を歩くお遍路さんが居て、見ると、2日目に熊谷寺と法輪寺の間で道端の農家の方にお接待を受けたときに居た人だ。女性で、たぶん、私の母親と同じか少し上の年齢位か。ここまで、私と同じペースで進んできたんだと思うとすごい。結局、いったん追いついたが、私より早足なので、先に行ってもらった。 あともう少しで立江寺というところで、風が強くなって傘をさしているとなかなか進めない。危ないが、前からの風雨を避けるため、傘で顔が隠れるような形で歩く。そうしているうちに、また足も痛くなってくる。雨具を着て傘をさすくらいなら、次回は遍路笠をかぶってもいいな・・・なんて思った。 立江寺も、集落の中に立つ寺だった。今回の遍路の打ち止めのお寺。鐘を撞いて音の感触を心に刻む。最後の大師堂での読経のあと、打ち止めの報告をお祈りした。 最後に納経所で、今回最後の朱印をいただく。足の痛みとの戦いで終わってしまったようなものだが、予定通り、19番まで廻ることができた。何ともいえない満足感が漂う。 立江寺打ち止め 9:30(下の写真は朱印用白衣と納経帳) 立江寺の清め水で金剛杖を洗い、カバーにしまい、駅で輪袈裟と白衣を脱いで今回のお遍路は終了。 次は、いつ来られるのだろうか・・・・???? 観光:鳴門大橋・鳴門公園 立江寺での打ち止めのあと、近くの立江駅から電車で徳島へ。飛行機までかなり時間が余っているので、徳島駅からバスで鳴門公園へ観光。鳴門大橋の展望室などにも行って来たが、あいにくの雨でほとんど何も見えなかった。 公園で名物の鯛めし、空港で徳島ラーメンを食べる。徳島ラーメンは濃厚でおいしかった。空港のレストランでこんなにおいしいのだから、市内の有名なラーメン屋だったら、きっともっとおいしいだろう。今度機会があったら是非、食べてみたい。 昨晩、風雨をもたらした低気圧が東京付近を通っているらしく、飛行機は30分ほど遅れて徳島を後にする。 帰りの機内。早速、次の遍路に思いを馳せる…。 一回目区切り遍路 完。
2006.05.07
13番札所 大日寺 遍路4日目。外の天気はとても良いが、夕方頃からだんだん天気が悪くなってくるとのこと。雨が降る前に、今夜の宿に着きたい。 朝、6:30発。今朝は昨日の足の痛みがまだ残っていて、調子は良くない。 大日寺までは約6km。道路脇のお店の人や、バス停でバスを待つおばあさんに挨拶されながら、歩いていく。途中、太陽光発電システムのついた、お遍路さんの休憩所なるものがあった。四国のお遍路さん支援は活発だ。さすがに出発したばかりなので、寄らずに通り過ぎる。 5km程歩いたところで、早速、足が痛み出すリュックもも異常に重い。 8:00、13番大日寺着。宿坊のあるお寺のようだが、道路沿いにあるためか、少しこじんまりした印象。山門を入ると、少しカラフルな、あわせた手の形をした祠の中にお地蔵様が立っている「しあわせ地蔵」があった。カラフルさが少し、不自然な感じがした。 8:30、大日寺発。 14番札所 常楽寺 田んぼ沿いの道を歩く。田植えの時期。田んぼに水が張られ、景色が美しい。と、思っていると、道路脇の用水路がボチャボチャ騒がしく、見るとウシガエルがたくさん。あまりに多くて少しゾッとしてしまった。 旅も4日目で、結構出費している。少しルートを逸れて、郵便局に寄る。ゴールデンウイーク中で閉まっているかな~と思ったが、運良く、今日はATMが稼動するとの張り紙。開く9:00まで、10分ほど、郵便局前で休憩。 お金を補給し、出発。鮎喰川を北へ、一宮橋を渡る。橋の上では金剛杖をついてはいけないので(お大師様が宿がなく、橋の下で休んだという伝えがあるからだそうだ)、杖を持って渡る。橋を渡り、宅地を抜けると、常楽寺が見える。 常楽寺は、少し高台になっている。境内はところどころ岩なのか、木の根なのかよくわからないが張り出していて、歩きづらいが、なかなか赴き深いお寺だ。 10:00、常楽寺発。 15番札所 国分寺 常楽寺から国分寺までは10分足らず。国分寺は常楽寺と違い、平地に広い境内のお寺だ。参拝を終えて納経所へ行くと、朱印を書いてくれる方に、「足を痛めたの?がんばって」と声をかけられる。歩みも遅いし、他人から見てもだいぶ痛々しく歩いているんだろうな~と思う。(本当に、「遍路日記」=「足の痛み日記」になっている。) 10:30 国分寺発。 16番札所 観音寺 観音寺は、住宅地の真ん中に小さく建っているようなお寺だった。いくら足が痛くても、必ず参拝をしてから休むようにしているので、読経しているときはもう足がしびれまくっているので、読経のペースも自然と早口になってしまう。本堂、大師堂の階段の上り下りもきつい。 11:30 観音寺発。 17番札所 井戸寺 観音寺を出ると、お昼時。途中でコンビニへ行って食料等調達。100円ショップお線香も歩き途中で折れまくってしまっているので、ついでに購入。今度のお線香は太いし、丈夫そう。 疲れ過ぎなのか、食欲があまりないので、おにぎりと、ゼリータイプの応急食を買う。 コンビニの前で腰を下ろし、おにぎりを食べていると、ズボンをお尻半分で履いている若い兄ちゃんが、私の前に座ってタバコを吸って一服をはじめた。ヤンキー兄ちゃんと、疲れきったお遍路と。。変な取り合わせだなと、自分でも思いながら、食事する。 ここで、リュックの重さに耐え切れず、重い第一原因と思われるポンチョをコンビニのゴミ箱へさよならした。少しは軽くなったかな。。 井戸寺への途中、国分寺でお会いした若い男性のお遍路さんとすれ違う。もう井戸寺への参拝を終えて、打ち止め、今から駅へ行って帰るとのことだった。私がコンビニで食事してたとしても、私より彼は3-4km歩いたことになる。彼は、リュックを持たず、山谷袋(遍路用の荷物入れ)に必要最低限のものだけを入れて颯爽と歩いて行った。不要なものは途中で全部自宅へ送り返したとのこと。荷物の軽重もお遍路の秘訣だと実感。 井戸寺は、今日最後の参拝先。1時間ほどかかってようやく到着。大きくて立派な山門だ。ここへ来て、天気予報通り、怪しい雲がやってきていて、風も強くなってきた。宿まで約14km。しかも良く地図を見ると、1つ、峠を越えなくてはならない。標高としてはそんなに高くないが、その方向の山を見ると、それなりに高い山が待っている。 山門を出たところの自販機で、「リアルゴールド」で栄養補給。 13:00 井戸寺発。 井戸寺~宿へ(地蔵峠越え) 井戸寺を出ると、風がだんだん強く吹いてきた。雨が降り出す前に宿に着きたい。宿(もしくは18番)までには徳島市街を抜けるルートと、ほぼ直線距離を行くが峠(地蔵越)を越える2つのルートがある。山を越えるが、少しでも距離の近いルートを歩くことにする。足は痛いが、金剛杖の鈴の音をリズムに一歩一歩歩いていくと、自然と自分のペースがつかめてくる。 山越えに向かうルートをとり、広い道を少し行くと、薬局発見。明日用のマメ保護用絆創膏を買っておく。この広い道を少し歩いてから、山へ向かう道へ入るのだが、遍路の道標も見つからず、どの道が遍路道なのか見失う。とりあえず、山と、先ほどの広い道の方向を頼りに歩いていくが、遍路道の道標は全く無い。なかなか道を尋ねる人ともすれ違わず、しばらくは自分の勘で歩いていくと、ようやく、子供連れのお母さんと出会い、道を聞く。このまま少し行くと、地蔵越の遍路道に入る。どうやらお大師様には見放されていないようだ。 地蔵越の登山道へ入る。最近、きれいに再整備された遍路道らしく、道標もしっかりしていて、近所の人たちが散歩にも使えるようになっているようで、とても歩き心地が良い。山道に入って、結構元気になってきた。登りも結構急だが、行けそうだ。だいぶハイペースで、あっという間に峠を越えた。 山道を抜けてから宿まで約10km。舗装道路に戻ってまたつらくなってくる。道路のわずかな傾斜さえ足にこたえる。幸いにも、天気は持ってくれている。宿まで、降らずにいてくれそうだ。ポンチョは午前中。軽量のため捨ててしまったので、念のため、400円の軽くて薄い雨具を買っておく。傘もあるし、これで十分だ。 17:10 宿着。 宿:ビジネス富士旅館 運よく雨に降られず、ようやくのことで到着した宿は、普通の家のような外観。2階が宿泊用の部屋になっていて、1階は宿のおばさんが住んでいるようだ。宿泊客は私ひとり。お風呂で洗濯をして、脱水だけしてもらう。 素泊まりなので、近くのスーパーで買ったお弁当を食べる。だんだん風が強くなってきて、寝る頃には強い雨が降ってきた。今日は雨にあわずに済んだが、明日は大丈夫だろうか。 足のマメ。初日に出来たマメは、もう治りかけているが、新たにまた何個か出来ている。また応急処置。これが日課になっている。 明日で最終日だ!…外の豪雨の音を聞きながら、就寝。 4日目 全行程約30km
2006.05.06
12番札所 焼山寺 今日は遍路転がしと言われる難所の道だ。ホテルから焼山寺まで約15km、焼山寺から次に宿泊するホテルまでは約16kmの道のりだ。 早朝3:30、ホテル発。近くのコンビニで朝食を買い、駐車場で食べた。夜明け前の寒さに震えながら食事をとった。 まず、焼山寺への登山口のある11番藤井寺へ向かう。まだ真っ暗な中、ところどころにある街灯の明かりを頼りに歩く。昨日のマメの応急処置のおかげか、何とか足は大丈夫。歩けそうだ。 4:30、藤井寺到着。山門に、今日の旅の無事を祈って頭を下げ、登山口のある境内の奥へと向かう。まだ暗い中、近くに見える遍路の道しるべを頼りに登山道を入っていく。登山道の両脇には、お地蔵様の祠のようなものが並んでいる。良く見ると、88ヶ所の札所をおまつりしてある祠のようで、○○番○○寺と書いてある。だとすると、88の祠があるんだろうか?暗がりの祠は少し気味が悪く、思わず「南無大師遍照金剛」とつぶやきながら、祠の前を進んでいく(少しお遍路らしく、信心深くなってきたかな)。 祠の列を過ぎ、急な登りを越えると、少し、空が白んできた。また少し登っていくと、徳島平野を見渡せる高台に出た。夜が明け始めた平野の風景。とてもきれいだ。一昨日は前に見える山のふもとを東から西へ、そして昨日はあの山のふもとから、こちらの山のふもとまで歩いたのだ(上写真)。 そこからまた1時間ほど山道を登り、6:00長戸庵着。12番までにある3つの庵のうちの1つ目だ。納札を納め、参拝し、小休止の後、再び歩き出す。遍路道にたくさんついている道しるべや励ましの文字。一定間隔で置かれているお地蔵様。焼山寺までの遍路道は本当に趣がある。登り道はきついが、土の道はコンクリートの道よりも足にはやさしいようだ。 急に下り坂になり、そこを下り、7:30柳水庵着。柳水庵前に山小屋のような休憩所があり、そこに、お遍路用の雑記帳があった。見てみると、今朝、夜明け前にここを出立した人の記入があった。とすると、前夜はここに泊まったのか。…今朝、とっても寒かったのにと、少しびっくり。しかも、お名前だけ見ると、女性のようだ。ほか、パラパラめくってみる。たくさんの人達が、この道をいろんな思いで歩いて行っていることが感じられた。 柳水庵はその名の通り、水が湧き出ている。庵を参拝し、空になったペットボトルにお水をもらう。更に柳水庵の敷地を歩くと、畳が敷いてあり、寝具が一式あるプレハブ式の建物があった。これが無賃で泊まれる善根宿というものか。壁には多くの納札が貼ってあり、多くに人がここで泊まって旅をしているようだ。 次は、一本杉庵(浄蓮庵)を目指す。一本杉庵までの道は、途中まではなだらかな山道だが、1/3過ぎたところで急激な登りとなった。ザックの重みで腰が痛くなるし、足もまた痛み始めた。休憩の頻度も高くなるが、あまり足を止めすぎると、逆に足が動かなくなる。ここで初めて、後ろから別のお遍路さんと出会う。顔つきもスポーツマンっぽく、とても早いペースで歩いている。聞くと、6時ごろ藤井寺を通ったとのこと。私より1時間半も早いペースで驚く。 最後のきついのぼりを登りきると、石段が現れ、その上に、大きな杉木を背に、とても大きな弘法大師の像がこちらを向いて立っている。本当に急な坂を登りきったところに出現した大師像なので、「救われた~」という感情がこみ上げてくる。それを狙ってこの像建ててのだろうか。。だとしたら、大正解。本当に、ありがたく感じてしまった。8:35、やっと、一本杉庵に到着。 一本杉庵から焼山寺は、前半下り、その後また登る道になっている。前半の道を下りきると、ちょっとした民家が数件ある集落に出る。その遍路道の脇の民家の犬が、すごく元気に吠える。集落を抜け、後半の急な登り道に入った後も、その犬の鳴き声が何度か聞こえる。後から来ている他のお遍路さんたちもきっと吠えられているのだろう。それにしても、藤井寺脇を過ぎてから約5-6時間。一応、標準的な所要時間ではあるが、我ながら、ここまで時間がかかるとは思わなかった。最後のきつい登りを登りきると、緩やかな山道へ。焼山寺は近い。 山道になって、アスファルトの混じった道になるとまた足が痛み出した。金剛杖を支えに、足を引きずるようにひたすら歩く。ようやく焼山寺の駐車場を過ぎ、車で来た人達に追い越されながら、本堂を目指す。途中、托鉢をしているお遍路さんに出会い、「少ないですが…」と、お賽銭用の10円をお接待。「歩いてきたの?何時から登ってるの?」と聞かれ、「4:30に藤井寺です」と答えたら、びっくりされた。 焼山寺は本堂までの道がとても長く感じた。ようやく石段にたどり着き、山門前の大師像に一礼。やっとここまで辿り着いた。10:30着。 焼山寺は山中のお寺だが、境内は広く、特に今日はGWということだけあって、結構にぎわっていた。着いて早速、手を清め、鐘を撞き、本堂・大師堂で読経。私が大師堂で読経している前を、ろくにお参りもしないで関西弁でぺちゃくちゃ関係の無いおしゃべりをしている車遍路と思われるグループが居て、少しむっとしてしまった。ひどいのはこのご一行だけだと思うが、文明の利器を利用して気軽に来ている分、参拝くらいは礼儀正しくやって欲しいと思う。読経後、納経帳に朱印を受ける。途中、一本杉庵の手前で追い越していった早足のスポーツマンっぽいお遍路さんと会う。彼は途中で道に迷って、結局私のほうが先に着いたらしい。神奈川からのお遍路さん。同じ首都圏からということで、親近感を覚えた。 ここまで来た自分へのささやかなご褒美に、自販機で缶コーヒーを一本買って一服し、休憩兼昼食。30分ほど休んでいると、歩き遍路の人達が続々と到着してきた。例のご夫婦でお遍路をされているお二人にもまたお会いした。奥さんの白衣を見ると、少し汚れていたので、お聞きすると、途中、転んでしまったとか。それでも、長い山道、無事到着されて良かったと思う。このお二人、ちょうど私の両親の歳に近いお歳にお見受けできるので、なおさら、ご無事で安心した。他、5番地蔵寺で蜜柑をおすそわけしていただいた方ともお会いした。皆、無事に12番までの難所を乗り越えて到着できたんだなと、なんだかうれしく感じた。 12番~玉ヶ峠~ホテル 休憩後、今晩のホテルへと出発する。 多くの人たちは、焼山寺を下ってすぐの鍋岩という集落または、13番の大日寺へは少し遠回りする形になるが旅館が充実している寄居という集落で宿泊するようだが、私の日程では、少しでも距離を稼ぐため、鍋岩の集落に出た後、玉ヶ峠という峠を越える、13番への最短距離のルートを取り、13番までの約22kmのうち、今日約16kmを消化する地点にある、「ペンションやすらぎ」を目指す。かなりキツイ予定を立ててしまったのかもしれない。 鍋岩まで、下りの道となるが、舗装された道で、下るときのつま先への衝撃が強く、またすぐに足が痛くなってしまった。鍋岩では、お遍路用の休憩所のようなものがあり、ここで休憩。早朝からの歩きでかなり限界状態で、トイレに入るのに輪袈裟を取るのを忘れて(不浄のところでははずすことになっている)しまっている。 しばらく休憩していると、例のご夫婦もやってきた。今回はこの鍋岩で打ち止め、ここからバスで帰られるとのこと。お別れを言って、出発する。初日から何かとお会いしていたので、少し寂しい気がする。今後、またお会いする機会があるのだろうか…。 鍋岩から、アスファルトの道と分岐して、玉ヶ峠への登山口へ。また土の道なので、足の痛みは緩和されたが、てもきつい登りが続く。焼山寺前の登りもきつかったが、午前中よりもスタミナが残っていないため、更にきつく感じ、何度もくじけそうになる。焼山寺からまだ2kmも進んでないのに大丈夫なのか、不安になる。 何とか、玉ヶ峠を登り切ると、今度はアスファルト地獄だ。つま先に直に圧力がかかる下りの舗装道路が延々と続く。途中で合流するであろう川や道路は遥か下方に見える。これをず~っと下っていかなくてはいけないと思うと、気が遠くなる。 歩けども歩けども、ずっとだらだらと下る舗装道路。車も全く来ないので、道端に座り込んで休憩を取ったりして進む。途中、民家の前に「お遍路さんおいしい水をどうぞ」と書かれた水場があった。冷たい水がとてもありがたい。何人ものお遍路さんも同じように助けられたのだろう。近くの柱に、何枚かの納札が貼ってある。私も、お礼の気持ちを込めて、納札を貼っていく。 山間の川(鮎喰川)に沿うように山を下ってきたが、ようやく、その川と並んで走る道へと出る。もう、ほとんど足を引きずりながらの状態。でも、山あいの風景はとてもきれいで、しかも、カジカガエルの鳴き声も聞こえる。川岸でバーベキューをする家族も見える。 足を引きずり、とぼとぼと歩く。焼山寺からここまで歩く人はほとんど居ないのか、それとも、私よりももっと速いペースで行ってしまっているのか、他のお遍路さんを全く見かけない。道はだんだんと車が多くなって来て、私の脇をビュンビュンと通り過ぎていく。頼りは、もう足ではなく、手で突く金剛杖だ。杖を突きながらやっとで前進していく。遅くても、止まらず、一歩一歩。そうすれば、少しづつでもゴールに近づく。(今になって思えば、人生もそんなものか。焦らず、無理しすぎず、自分の及ぶ限りの力で一歩一歩進むしかないのだ。私はすぐ焦って、空回りして、挫折してしまう。ある句に「怠らず行かば、千里の果ても見ん。牛の歩みのよし遅くとも」というのがあった。まさにこのことなんだなと、今、振り返ると思う) 焼山寺から歩くこと6時間(17:50)。ようやく宿にたどりつく。 今晩の宿にはお遍路さんは私の他、1組しかおらず、ホテルの1階の一人部屋は私1人。他、家族連れの宿泊客のみだった。宿のご主人のご好意で、洗濯機を貸してもらい洗濯。そして、昨日同様、マメ治療をした(かなり増えていた)。 今日は足の痛みもあったが、特に不必要なものは持ってこなかったにもかかわらず、リュックの重みも感じるようになった。要らないものがないか、もう一度確認する。一番かさばって重たいものは雨具のポンチョだった。これは山用の機能的なものではなくて、素材も結構分厚い。さよならしようか迷ったが、明日の夕方から雨らしいので、そのまま持つことにした。 朝3:30からの歩き。とても長い一日だったが、遍路の難所と言われる道を、ぼろぼろになりながらも予定通り、歩き通すことができた。明日も30km近い行程。足の回復を願いつつ、就寝。 3日目 全行程約31km
2006.05.05
7番札所 十楽寺 宿で朝食をいただき、早速、6:40に出立。途中、昨日参拝した6番の安楽寺を通り過ぎる。 十楽寺手前で、昨日同じ宿となった、例のご夫婦と一緒になった。6番まで昨日歩いたので、宿から6番までタクシーを利用し、そこから歩かれたそうだ。昨日、相部屋になった方と、「納札は名刺代わりにもなる」ということで、納札の交換をしたのを思い出し、これも何かのご縁と、7番さんの手前で、納札の交換をさせていただいた。このお二人とは、何かとお目にかかることになる。 さて、十楽寺は改修中らしかったが、山門は竜宮城の門を思い出すような、とてもきれいで立派だった。 7:30 7番発8番札所 熊谷寺 7番から8番は約4kmの行程。7番を出てすぐ、遍路地図とは違う道しるべを発見(しかも、この先お遍路の休憩所があるとの触込み…怪しい。。)するも、頑固に地図どおりと思われる道を行く。おかげであまり道標が無く、何度か道を間違えたり、輪袈裟が風に吹かれて邪魔になったり、また足が痛くなってきたものの、何とか8番に8:30に到着。山門から石段を登り参拝。広い境内で、趣のあるお寺だった。本堂、大師堂と納経所がいい感じで分かれているのも良い。あまりくっつきすぎると、いかにもスタンプラリーに来ましたというようなお遍路や観光客が目に付いていけないが、駐車場には観光用のバスが止まっていたにもかかわらず、このお寺にはそんな感じは全く無かった。 大師堂での参拝を済ませ、納経所に行く途中、若い女性の2人連れに「こんにちわ」と挨拶された。後で知るのだが、この2人の女性、荷物もすごく少なく、遍路装束も持っていないのに、立派な歩き遍路をしていたのだった。しかも、健脚。今後もたまに見かけることになる。 納経所で朱印をいただいた後、ベンチで小休止。ついでに携帯で実家にも無事の報告。 9:10 8番発9番札所 法輪寺 9番までの道程は、田んぼの中の道を歩くような感じだった。途中、GW中でお遍路さんが多いにもかかわらず、お茶やお菓子のお接待をしている農家の方から、私もお茶とビスケットをいただいた。その中に、昨日相部屋だった愛媛からの方も居られた。その他、山口から来られたご婦人(この方は、今晩の宿と、最後の18・19番でお見かけすることになる)など、本当に何人も接待されていた。 法輪寺は、田んぼに囲まれた小さな町の中のお寺といった感じ。山門脇で絵葉書を売っておられる人が居る。88ヶ所を廻りながらスケッチした絵を絵葉書にして売っているとのこと。それぞれのお寺が全てきれいな絵で描かれていて、とても欲しかったが、一枚100円と言う。どのお寺を買ったらいいかもわからないし、1枚100円はちと高い。「すごい、きれいですね~。」と、立ち去った。 10:00 9番発10番札所 切幡寺 切幡寺も、山の中腹にあるお寺だ。今日も朝から10km近くあるいて、だんだん足が痛くなってきた。切幡寺へ登る道はとても細く、車がすれ違えないくらいだ。車が来たらよけつつ、坂を登る。古い山門をくぐると駐車場があり、そこを抜けると333段の石段が待っていた。ゆっくり、数えながら登る。登りきった後の、お清めの水が冷たくて気持ちいい。11:00着。なかなか忘れがちだが、鐘を撞き(というか、結構あまり目立たないところに鐘堂はある気がする)、納経する。 足が痛い。靴下を脱いで見ると、やはりマメができていた。とりあえず、絆創膏を貼る。今度は下り道。下りも足の指に体重が集中して、結構痛い。ここから、足の痛みとの戦いが始まる。 切幡寺のふもとのうどん屋で昼食。8番で挨拶された女性2名もここで食事をしていた。ここで、歩き遍路と知る。本当に、近くにハイキングというような軽装。結局、このお2人を追い越すことは出来なかった。彼女達もGW中だけの旅なのだろうが、「軽装に勝るものは無し」を目前で見せつけられた。 その後3人ほどお客が来たところでお店は閉店。お一人でやっているお店で、一日何食と決めているそうだ。間に合ってよかったと思いつつ、ざるうどんをいただいた。 さて、軽装が一番と言いつつ、どうしても風で輪袈裟が吹かれるので、近くの遍路用品店で輪袈裟止めを購入。今日の最後、11番を目指す。 12:10 食堂発11番札所 藤井寺 さぁ、本日最後の行程、藤井寺までの約10km。吉野川をはさんだ徳島平野の北から南への移動です。途中、やはり足の痛みに悩まされ、厚い靴下と靴の中敷で足が締め付けられすぎているのではないかと、途中で靴の中敷を取って歩くが、状態は変わらず。逆に靴のクッション性が減ったのが感じられた。最後の藤井寺の直前では、ほとんど足を引きずる状態だった。 途中、元電話ボックスに、10番~13番の途中までの遍路道の地図が無償で用意されており、一枚いただき、とても役立った。 それでも、吉野川と、まっすぐに川を横切る潜水橋(何でも、増水のときは水面に埋もれるらしく、欄干が無い橋:下写真)の眺めは最高で、足の痛みをしばし忘れることが出来た。 藤井寺はその名のとおり、藤の花がきれいに咲いていた(足が痛くてそれどころでなかったが…)。 藤井寺参拝後は、鴨島駅前のホテルへ。ホテルまでは2km。ホテルまでタクシーに乗るか迷ったが、何とか歩き、近くのコンビニで夕食の調達と、薬局でマメ専用のガード用ジェル絆創膏を購入。 ホテル着16:20。入浴後、早速、針と消毒液でマメ治療。明日は難所の「遍路ころがし」が待っている。しかも行程31kmだ。 宿泊ホテル:ビジネスホテル アクセス鴨島 2日目 7番~11番 全行程約25km
2006.05.04
いよいよ区切り遍路一回目の1日目。羽田7:30発→徳島8:45着(空港を出たのは9:00)。ここから第一番霊山寺までは、JR徳島駅まで連絡バスで出て、JR高徳線で板東駅というルートがあるが、これだと電車待ちなどで1時間近くロスしてしまう。地図を見ると、徳島空港は、JR徳島駅と霊山寺の中間あたりにある。ここはケチケチせずに、1番まではタクシーで向かう事にした。 タクシー所要25分、3,300円程度であった。 1番札所 霊山寺 タクシーは霊山寺の、まさに遍路用品の売店兼納経所の前に横付けされた。早速、遍路に必須な金剛杖と白衣を購入しなくてはならない。白衣は、実用的な袖なしベストタイプを購入。このベスト白衣。ポケットがいっぱいあって、地図などを懐に入れておくにも最適だった。店員さんに、金剛杖のどこに名前を書けば良いのかなどを聞き(金剛杖の「南無大師遍照金剛 同行二人」と書いてある反対裏側に名前を書くらしい。)、早速、白衣に手を通し、輪袈裟をかける。これで立派な遍路姿。さすがに笠までは恥ずかしさもあってか、購入せず、持ってきた普通の帽子をかぶる事にした(次の区切りには、笠をかぶりたいと思ったりして…。)。 第一番の出発の地と言うのに、売店から入ったせいか、山門を通らずに境内に入ってしまった。時間が少し遅いためか、団体客は少な目だったが、やはり車遍路は多い。 手を清め、本堂で、お札を納め、礼拝し、恥かしい、初めての読経。本当に、小さい声だっただろう。次に大師堂で納札、礼拝、読経。そしてまたもとの売店兼納経所で、納経の御朱印をいただく。1番さんは、現地で納経帳を買うと、既に朱印が押してあるらしく、そのせいか納経は空いていた。 さぁ、第1番が終わった。これから、本格的に歩き遍路が始まる。金剛丈を手に、白衣と輪袈裟で、まだ恥かしさ半分で2番極楽寺を目指す。10:15 1番発。 2番札所 極楽寺 1番から2番への初めての遍路道。白い白衣と輪袈裟、金剛杖が自分でもまぶしく感じる。歩みは快調。 20~30分程度で到着。家族連れや車遍路、タクシーでの遍路が目立つ。1番さんではあわただしくてできなかったが、今回は鐘を撞いてみた。鐘の音の振動が伝わってきて、何ともいえない気分。しかし、まだ参拝手順がたどたどしい。本堂と大師堂の途中でリュックを降ろしたときに、数珠を置き忘れたり、まだまだ俄か信心丸出し。でも、読経は出発前に数度練習していたからか、結構自分ではよく読めていると思う(傍から聞いたら、声小さくてリズムもめちゃくちゃなんだろうけれど)。 2番さんでも納経所に大きめの売店が併設されていた。ご朱印を待つ列が、建物の外にまで伸びて、順番待ち。朱印を書いている方に歩き遍路ですか?と聞かれ、そうだと答えたら、しきりとお弁当を進められる。「この先ずっと食堂とかありませんよ」と言う言葉に、迷いつつ、お弁当を買って、少し早めの昼食。不浄の場所には金剛杖、輪袈裟は持ち込まないよう(本などで勉強したのをちゃんと守って)、金剛杖を置いて、輪袈裟をはずし、お手洗いへ。11:25 2番発。3番札所 金泉寺 2番さんを出るとすぐ、本などで紹介されていた遍路の道しるべにお目にかかる。本当に、歩くだけにある細い田舎道。少し進むたびに、看板であったり、シールであったり、励ましの言葉であったり、いろいろな道しるべにお目にかかる。今後、どれだけこの道しるべに守られ、助けられることか。これだけでも、「遍路」というものが、一人歩きであっても、多くの人たちによって見守られ、支えられていることがわかる。「お大師様と同行二人」すなわち、四国の遍路を守ってくださる方々との「同行二人」なのだろう。 25分ほどで金泉寺着。しかし、この遍路道。山門を通らず、裏から入るような形になっている。形式どおり、山門の前で一礼し、気持ちを整え参拝したいのだが…。12:25 3番発。4番札所 大日寺 4番大日寺までは約5km。今日の日程では一番長く歩く距離となる。そういえば、今まであまり歩き遍路を見かけない。やはり今は車で廻っているのだろうかと思ったら、前にお遍路さん2人連れ発見。どうやら、ご夫婦のよう。並んで歩く姿がなんだかとても仲睦まじく思える。ちょっと、うらやましかったりして…。「お先に~」と、声をかけ、先を急ぐ。 大日寺は、少し山を入ったところにあり、次の5番に向かうのに少しだけ、来た道を戻る感じになる。ここで、歩きのお遍路さんたちと数名、すれ違った。野宿覚悟と思われる、銀マットを持ったお遍路さんなど、頭の下がる思いで、「こんにちわ。お疲れ様です。」と、声をかける。その他にも、途中の無人寺で、お遍路さんのアンケートが置いてあったり、数人のお遍路さんにもお会いした。1番から3番までは、歩きのお遍路さんとはあまり会わなかったが、ここに来て、結構たくさんの人が歩いていることを知る。 13:30大日寺着。少し山に入った、こぎれいなお寺だった。外国人のお遍路さんも2人程見かけた。少しだけ、足が重くなってきた気がするが、まだ大丈夫! 13:55 4番発。5番札所 地蔵寺 地蔵寺までは、約2km南下。大通りを行くお遍路さんも居たが、「同行二人」の地図どおり、古い遍路道を行く。途中、羅漢寺の境内を通るところで迷ったが、25分ほどで到着。大きなお大師様の像が印象的。参拝の読経も少し様になってきたような気がする。 参拝後、大日寺からの下り道で、そろそろ足が痛くなってきたので、境内の椅子で休憩。隣の椅子で休憩していたお遍路さん一行の女性の方から、蜜柑のおすそわけを受ける。彼女は大阪からの人で、もう2回も遍路を廻っているとのこと。2~3人のグループで来ていた。すごいと言うより、2回廻れる境遇をうらやましく思った。 靴を脱いで、足を見てみたら、うっすらマメらしきものが出来ている。靴、履き慣らしてなかったからかな~。今からこんなで大丈夫か、少し不安を感じた。 15:00 5番発。6番札所 安楽寺 次は3km程歩いて、今晩宿泊の宿「旅館 寿食堂」を目指す。しかし、まだ時間が早いし、納経所は17:00まで開いているので、余裕があったら、6番の安楽時を目指すことにした。先ほど、蜜柑のおすそ分けをいただいたお遍路さん曰く、安楽寺の宿坊(お寺の宿)は個人宿泊も受け入れていて、結構多くの人が、今晩お世話になるそうだ。朝晩の勤行もあるようなので、一度は泊まってみたいが、休日しか歩けない遍路では、なかなか空きがなさそう。 45分ほど歩いて、寿食堂まで到着。時間はまだ15:45分。足も少し痛いし、ザックを重く感じてきたので、ザックから納経帳など必要なものだけ取り出し、荷物を預け、6番を目指す。宿から2kmの道程だが、疲れのせいか、少し長く感じた。結構きれいな広々した境内。そういえば、歩くのに精一杯で、写真撮ってない。せっかくデジカメ持ってきたのに…。観光目的で無いから、目に焼き付けておこうと、写真は撮らないことにした。参拝し、納経。 16:25 6番発。宿へ戻る。旅館 寿食堂 同じ道を少し戻り、旅館へ。16:50着。 旅館の人が金剛杖の先を洗ってくれ、部屋へ案内してくれる。部屋の札を見ると、どうやら今日は1人歩きの3人の相部屋らしい。他の人たちも、荷物を置いて6番さんへ行っているようだ。先にお風呂に入らせてもらうことにする。今日は女性客が多いらしく、男性用のお風呂が小さいお風呂と言うことで、入ってみると、2人入るくらいの湯船のお風呂。入って体を洗ってしばらくすると、3番~4番の途中でお会いしたご夫婦のお遍路さんの旦那さんのほうが入ってきた。同じ宿だったんですね~と、少しお話をする。この方も、お休みだけの区切り打ちで、しかも、今回は12番までで、5日には帰らないといけないとのことだった。 夕食は、とても豪華で、鴨鍋が出た。とても食べきれないくらい。とても美味しくいただいた。 相部屋になったお二人も区切り遍路。お一人は愛媛、もうお一人は和歌山から来られた方。お二人とも、ちゃんと旅の写真を撮っておられた。 この宿、ロード88という四国遍路を題材にした映画のスタッフも宿泊したらしい。前のNHKの朝の連ドラのヒロインの写真や、有名人の写真が飾ってあったり、100回以上遍路廻りをした人が使う錦の納め札や、金、銀の納め札も飾ってあった。食事で隣のテーブルだったお遍路さんは、88ヶ所廻り終えて、1番へお礼参りへ行く宿泊とのこと。さすがに、お顔は日焼けで真っ黒だった。 食後、コインランドリーで洗濯。相部屋のせいか、することも特に無く、皆、早く就寝。疲れていたためか(それとも、念のため忍ばせて持ってきた耳栓のおかげか)、私も結構熟睡でき、記念すべき遍路1日目が無事終わった。 1日目 1番~6番 全行程約17km
2006.05.03
出発前夜。GWの谷間ということもあり、早目に帰宅することができた。既に主なものはザックやウエストポーチに入れてあるが、確認の意味で。 ・札所0番で購入した遍路用品一式 (輪袈裟、数珠、納経帳、朱印用白衣、納札(100枚)、納札ケース、経本、金剛杖カバー) ・四国遍路同行二人<地図編> ・ザック、ウエストポーチ、賽銭用小銭入れ ・ライター、ロウソク、線香 ・ボールペン、メモ帳 ・帽子 ・4日分のパンツ着替え ・就寝用Tシャツ1枚 ・タオル3枚(1~2枚で良かったかも) ・旅行用洗剤パック ・ひも(約3メートル) ・デジカメと替え電池(結局、歩くのに一生懸命で全く使わなかった) ・医薬品(風邪薬、絆創膏、胃腸薬、消毒薬) ・マチ針(これが一番役立った) ・ポケットティッシュ ・雨具(ポンチョ、雨ズボン、ザックカバー) ・電気シェーバー ・方位磁石 ・歯ブラシ、その他身の回り用品 ・非常用一口チョコレート ・レジ袋数枚 これらの中で、一番役立ったのは、ザックカバーとマチ針(←絶対重要)だった。他にも持っていこうか迷ったり、持っていったのに全く要らなかったものもある。たった5日間の区切り打ちだったが、東京出発時に軽かったザックは、歩いていると本当に重く感じてくる。「迷ったら持たない」心意気が重要かもしれない。 さぁ、明日からの休みは天気も良さそうだ!明日は7:30羽田発。4時過ぎには起床だ。
2006.05.02
装備等の準備が整い(というか、同時並行だったが)、次はスケジュール作成だ。 旅行本の所要時間数と「四国遍路ひとり歩き同行二人」の地図を参考に、一日づつの行程をメモ用紙に組み立てていく。 お寺の参拝時間は各30分程度。納経は7時~17時とすると、1日の出発時間、廻れるお寺や、その後の宿をどこら辺にするかが見えてくる。 こうやって立てたスケジュールで、今回の4泊5日での目標は19番立江寺だ。幸い、帰りは立江寺のすぐ近くに立江駅があり、徳島まで戻りやすいし、次回、遍路に来たときも、JR立江駅から始めれば良い。立江まで、少しきつめの設定かもしれないが、限られた日程で最大限廻りたい。 早速、電話や楽天トラベルで宿の手配。さすがGWだけあって、1泊目は相部屋になるそうだ。少し神経質な性質なので、不安半分、期待半分だ。 気分を高めるため、遍路をもっとよく知るため、岩波新書 辰濃和男著「四国遍路」を購入。朝日新聞の「天声人語」を書いていた人の著作だそうだ。これから旅立つ自分と重ね合わせ、どんな旅になるか、想いを馳せた。 その本の中の句を一つ引用。 「百薬に優る遍路に出でにけり」 鵜飼政一
2006.04.26
出発までまだ間があるので、遍路用品にも慣れておこうと、旅行本に紹介されていた「札所0番」というサイトで、遍路用品で簡単なものは購入しておこうと思う。さすがに、白衣は試着しないと大きさがわからないし、金剛杖は現地まで長いものを持っていくのも何なので、現地調達しよう。 「札所0番」でオンライン購入したもの ・納め札 ・納め札ケース ・納経帳(御影入れ付き) ・四国八十八箇所用経本 ・朱印用白衣 ・輪袈裟 ・金剛杖ケース ・真言宗用数珠 納め札は、あらかじめ使いそうな枚数だけ住所氏名を記入しておく。蝋燭は家に既にあったもの。線香、ライターは近くの100円ショップで購入。 経本には、当然だが、お経しか書いていないので、余白に参拝手順を鉛筆で書き込み、ここは何遍読む等のことも書き込んだ。一人暮らしなので、現地で恥ずかしい思いをしないように、家で何度か読経の練習もした。さぁ、あとは実際のスケジュール立てだ!
2006.04.24
先に購入した本によると、遍路必須の本が2冊あるという。へんろみち保存協力会編「四国遍路ひとり歩き同行二人」解説編と地図編だ。東京では、東京駅近くの、八重洲ブックセンターで購入できるという。 早速、八重洲ブックセンターへ。地階の旅行コーナーへ行くと山積みされている。特に地図編は、遍路道の食堂や商店、宿、行程のキロ数まで記載してあり、バイブルそのもの。解説編も、他の本には無い、お遍路の心構え的なことにまで触れているほか、足のマメの直し方、数珠の持ち方まで書いてある。遍路として、熟読したいと、購入。
2006.04.23
遍路の成功には、いかに持ち物を軽くし、良い靴を選ぶかが重要だそうだ。まず、靴。 上野のアメ横のスポーツショップや靴屋を転々とするが、なかなか見つからない。最後に見つけた、HYDROTECHというブランドのミドルネックのハイキングシューズ。防水、発湿、クッション性等、いろいろそろったシューズで、なかなか履きやすい。一発で気に入り、購入。 次に、ウエァー。登山用のシャツ、Tシャツ(肌着)、ズボンを購入。靴下は持っていたが、そう頻繁に洗濯できないであろうから、インナーソックスを購入。全て速乾性。これなら、夜洗濯をして翌日には完全に乾いているから、パンツ以外は着替えを持つ必要が無い。全部で3万数千円。 そして、ふと、店頭で見つけた靴の中敷。要るものか、要らないものか迷ったが、購入。この中敷(と靴も)。。良かったのか悪かったのか、5日間歩いた未だに謎(次回はたぶん中敷は装備しないかも)。〔結果的に5日間、ずっと足の痛みに悩まされたから、不正解だったのか。。履き慣らしさえしなかったから、当然か。。でも、結局、靴はまた2回目の遍路をするときも変えないだろう。それまでにまた履き慣らしておこう。〕
2006.04.22
本屋で2冊、遍路関係の本を購入。一冊は、各お寺の簡単な写真と紹介、歩きや車での移動の標準時間と簡単なMapがついたもの[昭文社「四国八十八ヶ所めぐり」]。もう一冊は、歩き遍路のための準備や心構えを書いた実用的な本[JTBパブリッシング 松村博一著 大人の遠足BOOK「四国八十八ヶ所歩き遍路のはじめ方」]。しかも、「この本は、実際の遍路には持っていかないでください。できるだけ、荷物を減らすことが、遍路を成功させる秘訣だから」というようなことが書いてある。この一文だけでも、かなり気に入って購入。 この2冊を参考に、歩き遍路のアウトラインを頭の中で構成した。装備やお寺での参拝の仕方は特に役立った。次の休日は旅の装備を考えよう。
2006.04.20
今年のゴールデンウィークは、日にちの並びがよく、3日~7日までの5日間連続のお休みである。 今回のお休み、東北や近畿方面への一人旅を考え、本屋の旅行関係のコーナーに行ったが、なかなかそそられるところが見つからない。ふと、視線を移すと、四国遍路の文字。そうだ。遍路はどうだろう!?…これが、私の四国遍路実行のきっかけだった。 四国遍路は、前々から気になっていた。私は、歩くのが好きだからだ。夏~秋にかけては、年に数回、仕事に影響を及ぼさない程度に、日帰りで山歩きなどもする。しかし、サラリーマンである私は、遍路を決意するようなお休みが取れない。…定年してからの夢。そんな感じだった。そこへ今回の5連休。仕事や人生の迷いもあり、自分を見つめなおしてみたい(前回参照)。どんな功徳や悟りがあるかわからない。そして、どこまで廻れるかわからないが、とにかく、この5日間を無為に過ごすよりは、やってみようと思った。
2006.04.18
今回のゴールデンウイークで遍路をしようと思ったきっかけは次回に書くとして、なぜ、自分自身遍路に惹かれたのか、考えてみようと思う。 「お大師様(弘法大師空海)に導かれて」という理由付けは簡単だし、少しはそんなものかな、と感じなくもないが、基本的に無宗教主義なので、そんな自分をお大師様が導くのかと言われれば、やはり理論的に考えてみざるを得ない。 遍路については、数年前もやってみたいな~と思い、本屋で関連の本を探したが、結局何も買わずに帰ってきた覚えがある。その頃は、まだ学生だったか、新人の薄給時代(まぁ、今でも薄給だが)。神経質で貧弱な私が野宿ができる訳もなし、区切り打ち(88ヶ所を何回かに分けて遍路する)という概念も知らず、あきらめたのではなかったか。 遍路について、いろいろ調べてみると、やはり、病気治癒や自分探しといった理由で旅立たれている方が多い。その他、退職された方の第二の人生のスタートの区切りとしてなどのようだ。 では、私はどうか。しがないサラリーマン人生。人間、なかなか天職にはめぐり合えないのかなと思う。今に至るまでもいろいろ紆余曲折があったが、もう気がつけば30代。特に売れる経験や知識も無い。今の仕事に不満もあるが、今の職場でしか働けないし、働いている以上、何とか中流で食べて行ける。だけれども…今まで歩んできた人生、これで良かったのか、今の職業で良かったのか。もっと幸せに、生きがいを持って羽ばたけたのではないか…煩悩は募るばかり。。 現状打破が出来ない限り、今は「ありのままを受け入れる強さ」を欲しているのではないかと思う。一人で旅をし、歩いていくことによって、得るものがあれば…。はたまた、占いをするような、お寺や神社でお守りを買うような気軽さで、何かにすがってみたい。そんな動機が根底にあって、遍路に惹かれたのだと思う。 さて、サラリーマンの区切り打ち遍路で、果たして何が見えてくるのだろうか。それとも、ただの余暇旅行に終わるのかな?
2006.04.16
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