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縄のれんに入って一杯やるってことは、特に単身アパート生活になってからはやっていなかった。 今日は、地元の駅の近くの一杯飲み屋に初めて入ってみた。 常連の集う店というのは、初めはとっつきにくい。 常連はこちらを異端の目でみるし、最初はいたたまれない。 ところが、これはすぐに打ち解けるものだ。 今日のケースは、店に「山と渓谷」がどうして置いてあるのか聞いたことがきっかけだった。 そのおかみさんは、昨年末に100名山を踏破したとのこと、この周辺の山はもちろん東北の山も詳しいから、それは話しははずむはずむ。 ま、しょっちゅ入り浸るわけにもいかないけれど、たまには行ってあげようかと思った。
2008年01月30日
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かなり品のない話になる。 通勤路が田んぼを行くせいか、今朝は牛糞か鶏糞かしらないが、今朝は肥えの香り漂っていた。これは、悪い話でなく、自分にとっては季節の香りというのか、いい話。 悪い話というか、嫌なことは、人間の放つ匂い。 これは、まさに自分も例外ではないが、最近加齢臭と言われだした。そして、ものすごく気になる人が周囲にいる。 日本のことに、自分が知る限り、職場の口臭のエチケットというのか、気の遣い方が米国に比べて無神経だと思う。それぞれの事務机が集合的に配置される日本のオフィスレイアウトは特に、口臭を塞ぐ手立てがない。それは加齢臭もあるし、たとえ外でタバコを吸い終わった直後の人も、気になる。 自分の匂いも例外ではないと思うから、こちらは何か振掛けたいと思っている。 人を誘惑するのも遠ざけるのも「匂い」ではないか。 変な話を最後に打ち明ける。これは米国人のウンコの匂いと、日本人のウンコの匂いは違うということ。これは、断固違う! 食べるものが違うせいだから、やむえない。 これは渡米して、匂いに無頓着な日本人の家に行って気がついた。そして自分も例外でないこともわかった。 匂いが気になって、顔を背けて会話しているのは悲しすぎるよね。 そして大便をした直後に他人に入ってほしくないし、我が家でもスプレーヒト吹きは必要だ。 男も女も香水は、必要だと思うようになった。
2008年01月30日
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日曜日の午後というものは、小さい頃から大相撲の盛り上がりであった。 朝青龍騒動もあったし、大相撲は面白くないという声も多いが、今日の白鳳ー朝青龍の一番は、昔と同じ、日曜の夕方のあの興奮があった。 いつもは忙しい親父だが、日曜だけは、やはり大相撲の前後から晩酌が始まったものだった。現在の解説者の北の富士といえば、大鵬ー柏戸の一番、そのしばらく後の、千代の富士ー北の湖などは、今日の一番と同じように、力の入った大一番であった。 だから、日曜日の典型的な雰囲気が味わえたことは、ちょっとよかったかなと思った。 今日はスポーツに中々劇的なことがあって、それは女子マラソンの福士加代子が後半失速してしまったことにため息の余韻があったこと。その後に、この大相撲の興奮があって、日本人にとっての日曜って奴は、老いも若きもスポーツ観戦の一日なのかなと思った次第だ。 福士加代子の失速は、こんな自由奔放なランナーの意外な失速だったし、マラソンの過酷さを知らないでもないので、ちょっと同情と複雑な感情があった。 といってもこっちの現実は、外は寒いし、実態はアイロンかけと掃除、一週間分のストックとしてシチューを煮込んだりの一日。ゆったりもしているが、衣食住の一週間の充電。 75.2K 朝:豆腐の味噌汁、ごはん 明太子 夜:シチュー 、食パン、赤ワイン
2008年01月27日
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ここ数年日本では、愛国心とか教育制度の見直すどちらかといえば右翼的な論調に勢いがあって本もそういった人のものが面白い。 国民の歴史を書いた西尾幹二もその人なのだが、その人の「日本人はアメリカを許していない」が面白い。 自分にとって何が面白いかというと、この人の石坂洋二郎論が非常に面白かった。 要は、西尾幹二は戦後教育が日本をだめにしたと思っているから、戦後に読まれた石坂洋二郎文学が含んでいたものを改めて、問い直してみたものだった。 実は、姉の影響もあって、戦後すぐに生まれた訳ではないのだが、石坂洋二郎も少し好きだったのだ。特に「丘は花さかり」とかね。 西尾幹二にすると、石坂洋二郎の「アメリカ民主主義万歳=日本の封建主義反対」みたいなものが日本をダメにしたといいたいのだろう。 よくわかるとともに、とても複雑な思いがするのだ。 もちろん戦後育ちな訳ではないし、石坂小説も少々かじった世代にとっては、「昭和も遠くになりけり」なのだが・・・ 今は、西尾幹二・桜井よしこ等の歴史観と、立花隆の「天皇の東大」そして井上ひさしの「東京セブンローズ」なんかを読んでいる。
2008年01月26日
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ブログへの出逢い系の投稿は、誰でも悩みのタネのようだ。 削除してもきりがないから、バカバカしい作業しなくてすむSNSに移ろうと思う。 英語の世界でもバイアグラなどの怪しげな迷惑メールは入るから、世界共通なところもあるだろうけれど、日本は特に異常なのではないだろうか? ビジネスホテルにもアダルトチャンネルも多いし、インターネットも出逢い系のサイトであふれている。これだけネット映像が発達しているから、そりゃ技術的にもスゴイ。 しかし、確かに日本社会はおかしい方向に行っている。 人間が性に感心を持つのは当たりまえだし、「いかがわしい」ものが存在しないことは、逆に窮屈な社会ではある。ただ、一方で人間の尊厳を尊重したり、「凛とした」ところも欲しいじゃないか。 出逢い系の広告のために、日々ブログにせっせと投稿作業を繰り返していく人。 ご苦労様です。 まさか、私が単身で暮らしているということが理由で、内容を見た上で「選んでくださって」いるとは思いませんが、私のところへはどうか投稿しないで結構です。 一方の日本の現実は、コンビニもインターネットもどんどん便利になっていることとは裏腹に、どこもかしこも寂しく孤独な生活が蔓延しているってことなんだろうな。 古いドラマだが、テレビで見る機会がなかったので「北の国から02」のシナリオを読んだ。 携帯の「出逢い系のサイト」のみが唯一の「つきあい方」になってしまい、故郷を出て行く雪子おばさんの子供と、「所帯を持ちたくなった」と恋人を連れて故郷に帰ってくる純の対比。これで「北の国から」が終結してしまったのは、尻切れトンボだけれど、暗示的ではあった。
2008年01月26日
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昨年末のお笑いF-1で優勝したサンドイッチマンのボケの「鋭さ」?を考えていた。あのボケはどうして出てくるんだろうと思うのだが、あれがアドリブであれば天才だが、あのボケは台本があるのだと思う。 で、これも昨年見つけた糸井重里の「ほぼ日」サイト「言いまつがい」コーナーが、まさにこのボケ大全なのだ。漫才の試行錯誤で、ウケの多い「言いまつがい」を選んでいけば、サンドイッチマンのボケにつながるはずだ。 してみると、そのことに気がついて、ネタのブラッシュアップに努めたサンドイッチマンは天才というよりは、地道な努力を重ねるやはり東北出身タイプの漫才だ、と合点がいくのである。 自然にでる天然ボケより、台本を考え、稽古で鍛えていくボケのほうが芸としては上だ。あの漫才には自然に笑えたのだが、ルーツを考えてみると、なお興味が沸く。
2008年01月26日
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今日は鮭を焼いた。日本の魚焼き器と換気扇は完璧で、うまい具合に鮭が焼ける。 そう、米国で秋刀魚を焼いた時はひどい目にあった。 米国の家で暮らし始めて間もない頃、換気扇で秋刀魚の煙が外に排出されるものと思ったら大間違い。秋刀魚の煙が満遍なく、それぞれの部屋に充満してしまった。 魚を家の中で焼くという発想が日本人固有のものであることを初めて知った。 餅にせよ、厚揚げにせよ、適度に焦がして食する文化があるのは、いいもんだ。 75.1キロ 鮭、ご飯、なめこ汁、大根おろし
2008年01月23日
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楽天ブログの迷惑投稿の削除は、やってられない。毎日、セックス処理の投稿を削除する作業はやってられないので、そろそろ退散の潮時かとは思う。 楽天ブログは、実態としてやめちゃう人が激減したのではないだろうか? 友人を限定したSNSの方が、安心でスマートというのは、遅まきながら体感できた。 毎日の品のない「セックス処理投稿」を削除する作業は、全く馬鹿げている。 フィルターをかけて、迷惑投稿に仕訳する仕組みもあるのかもしれないが、今のところ知らない。 どのブログも友人限定の方法をとらない限りは、迷惑投稿を避けられないので、楽天ブログに限った話ではないのだろうけれど・・・ このブログでもう一つ使いづらいのが、写真の許容量が小さいこと。ウエブサイズに変更してから載せざるをえないので、面倒くさくてやらなくなる。 約3年半使い続けたが、家族もミシガンを離れるし、そろそろ潮時かな。 これまでのブログは、記録としては保存しておきたい気持ちもある。そんな過去ブログの整理・移行の機能なんてのも、今時どこかのブログの仕組みは用意されてるのかな?
2008年01月23日
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朝、身支度を整えて、アパートの鍵を閉める時に、何か忘れてないか確認する。 それは、アパートの鍵=カードであり、自転車の鍵であり、朝の確認プロセスの一つだ。 その前のチェックは鏡の前の身だしなみであり、部屋のストーブを消したか、余計な電源をオフにしたか、慌しく思い返し会社に向かう。 今朝やらかしたのは、それらのチェックは良かったのに、最後に履いた靴が通勤用の靴でなくて、ジョギング用の靴だったこと。それが部屋を踏み出して十歩以内に気がつかなかった。 足元がちょっと違うことに気がついたのが、部屋を後にした十歩後。すなわち、・・・大分鈍くなってきた。 それに類したことは、部屋を後にして数分後、「部屋の〇〇の電源は切っただろうか」と心配になることだ。 カミさんがいる状況では、これは電話を入れれば良いことだが、一人暮らしではそうはかない。そして、そんな記憶不良なのか、心配が、思い返しがちょくちょくある。 ここで思い出すのは、昔の上司でかなりすごい人がいたこと。その人は、朝職場の机に座った瞬間になぜかごそごそし始めた。そして自分で自嘲気味に、苦笑いしながら言ったのだった。 「パジャマを脱ぐのを忘れちゃった」だって。確かに背広のズボンの下に、窮屈そうに覗くパジャマの端っこを見せてくれた。
2008年01月22日
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日本に久しぶりに帰国すると、なんでもが新鮮に映るようで、中部国際空港に降り立った三男は、ちょっとしたことにも感動している。 なかでも駅での車掌のアナウンスに驚いたり。 「あの車掌はいい声しているなー」って。 日本にいる現実に「なんでここにいるんだろう」って呟きも漏らしていたが、日本の環境に順応してくれることを祈るのみ。
2008年01月21日
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思ったより名古屋も朝晩の冷え込みは厳しいので、石油ストーブを購入した。 アパートが単身9畳分なので、小型石油ストーブが、1.8リットルの石油缶で一月のペースだ。 全部屋暖房の生活から、一部屋ごとの暖房方式に変わることは、所帯持ちの帰国引越しの場合、その環境に慣れるまで大変だろう。こまめに、給油缶からストーブへの給油をせざるをえないとはいえ、単身生活だからまだましだ。 一缶の値段が1590円。渡米前は600円だったような気がするが、家族で住む場合の暖房費は半端じゃないだろうな。 現況シンドイのは、この給油缶をガソリンスタンドが配達してくれないこと。この周辺ではガソリンの宅配が一般的でないらしい。(5缶以上でないとやらない等。)今のところ車がないので、自転車で運ぶ以外手はない。 1.8リッターの灯油缶を自転車で運ぶことは、やってみると容易ではない。しっかりした荷台があればまだしも、前のカゴの上において、片手で押さえるような格好で運ぶ。 どう考えても安全ではない。近頃、自転車で出逢いがしらの衝突事故も多いというから、この格好でそうなったら、どうしよう。 自爆テロリストにならないことを祈りたい。
2008年01月20日
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今日は実は三男の米国暮らし最後の日だ。 長男・次男は引き続き米国大学へと進学できるので、まあ問題ないのだが、三男の場合年齢によるビザ制限もあり、親が帰国した時点で日本への帰国と、苦渋の選択となった。 渡米時の頃から、米国での諸事件は、笑いとと涙共に三男の周辺で起きることが多かった。 そのキャラクターは小学校5年生にして「米国反対!友達返せ」のプラカードを作成して親に猛抗議するくらいだったから、非常に行動的で友達も多く、好かれるタイプの子だ。 それが折角米国で、英語にも慣れ、多くの友人達と涙の別れを強い、そして日本の高校への転入試験とまた慣れない生活を強いねばならない。 どんな最後の一日を過ごしたのだろうか? 明日、名古屋で落ち合って、彼は仙台に向かう。
2008年01月19日
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通勤の帰り道、初めての立ち寄ったスーパーが、思いのほか大きな生鮮食料品の店だったことに気がつく。いくつかの経路があって、これまで全く気がつかなかった。 そこで今晩買ったのが、ホルモン焼き。へへっ。日本酒とこれさえありゃ、金曜の夜も楽しいぞっと。このスーパーは、肉から野菜から本当に種類豊富。夜の楽しみがまた一つ増えた。 このホルモンは、十年ぶりに食べるくらい久しぶりの本格ホルモンだった。普通のスーパーでは置いていないのだ。油っぽいのが難だけど、歯ごたえがたまらない。 今日は、船便も届いて、ベッドや机も届いて生活基本道具は揃った。 ホルモン焼きで油断したせいかな、75.3K
2008年01月18日
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寒い一日であった。 自転車通勤になったので、寒い日は嫌だ。 思いもかけず、足の薬指がはれて痒いなと思いきや、なんと昔患ったしもやけになってしまった。 環境の変化は、体調に微妙な影響を与えるようだ。 米国を離れる直前は、若干胃が張っている感覚があったが、なぜか帰国後2ヶ月近くで快調になった。ご飯と味噌汁の基本日本食が自分の体に合っているせいかもしれない。 ちょっとこれからの季節恐れているのは、花粉アレルギーだ。 米国では逆に、これに悩まされることが全くなかった。 ブタ草のアレルギーに子供達が多少罹ったが、自分はなんともなかった。 これがどうでるか? 夕飯 ピーマン・ネギ・ハムの炒め物、大根おろし、ご飯 74.7K
2008年01月17日
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渡米した直後2002年ごろから映像チャットで、日本にいる母親達とコミュニケーションしているのだが、未だに長続きしない。 だって、チャットはおばあちゃん達にとっても難しいよ。 いつも日本に帰る度に、設定しなおしたり色々やるけど、未だに長続きしない。 カメラをつけて、マイクもつけて、「生きてるよね」監視カメラみたいなもんだ。 今や我が家は、よく言えばワールドワイドで、悪く言えば4重家族。映像チャットやらスカパは必需品だ。罪滅ぼしというのか、なんとか孫も含めたコミュニケーションが出来ないかと、便利な道具を利用したい一心で、チャットを使おうとする。 そこに70-80代のじいさま達を絡ませるとなると、なおさら難しい。いや、ほんとうーに、悩みのたね。 中途半端に、コミュニケーションしたがるからね、彼らは。 あっちも相当イライラしていると思うが、やさしく、忍耐強く説明してあげようとするとするこっちのストレスも相当だ。 確かに、使おうとするうちは、ボケとは無縁?ないしはボケ防止にはなるだろう。 もうちょっと、年寄りにも簡単な映像チャットになってくれんもんかね? 74.7k 朝:食パン、トマトジュース 昼:昆布おにぎり、雑穀おにぎり、卵スープ 夜:赤ワイン、アボガド・きゅうり等サラダ、鮭焼き
2008年01月15日
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全く!、ちょっとカミさんに弱音めいたことをこぼすと、長男から励ましの手紙などくるから、父権を失った親父というものは困ったものだ。 いったい、いまや家族というものは、一家をあげて親父に同情してくれるものになってしまった! 「こっちじゃ女を囲って楽しんどるかも」というのは冗談にもならない。 というか強がっているのって、見透かされるんだなー。 三男の帰国も間近で、どんどんスケジュールは進む。
2008年01月14日
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雨もあがって快晴。風がある分、洗濯には最高の日曜日。 しばらく、布団や洗濯物を干すことが出来ない環境にいたので、この作業は楽しい。 なんといっても、一人分の洗濯物なんて大した量じゃない。それもスポーツでもして汗泥まみれの衣類でもないから、楽なもんだ。 時間があるのでワイシャツも糊をつけてアイロンかけもしている。日曜の午前は、TVをみながらアイロンかけの時間帯だ。こんな週末の過ごし方になるとは、予想だにしなかったが・・・ とりあえず、淡々と生活していくつもり。 75.2K 朝 ごはん。油揚げとさやえんどうの味噌汁。明太子。
2008年01月13日
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帰ってTVをつけると地方と名古屋の格差によって、地方から名古屋地区に出稼ぎにきている人の特集をしていた。 実際のところ、自分の住んでいるアパートも青森ナンバーの車が停まっているし、地方から来ている単身者のアパートなんだとわかった。 「出稼ぎ」という言葉は死んでいなかった。というより、現実として地方に家庭や恋人を残して自動車産業が謳歌している名古屋地区にやってきているのだ。 これはやっぱりおかしいよ。家族と離れて生活するのがなにか、「しかたない」と考える日本の思考はやっぱりおかしい。 実態として、事実として、家族と一緒に暮らしたいのにそれができない地域経済とその家族の実情だ。・・・紛れもない自分も、それにあてはまっている。 とはいえ、今日は金曜日なので、TVの出稼ぎ人達と同じパターンで、スーパーの刺身を買ってきた。今は、ここはハマチが季節の魚として、程ほどの値段だ。 75.1K 朝;食パンと野菜ジュース 昼:とんこつラーメン 夜;白菜・豆腐鍋、ハマチ刺身、日本酒2合
2008年01月11日
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立花隆の「天皇と東大」面白い。二年前に出版された本だが、これと西尾幹二の「国民の歴史」は両極として読むと楽しい。 それにしもメディア・御塩ポリティクスの立花さん、昨年の9月の安倍辞任の記事以降、投稿が途絶えているのはどうしたことなんだろう?何か病気かなんかなのかな。立花ファンの一人としては、心配だ。 タモリと糸井重里の会話「スロー人のすすめ」も楽しい。こういう「いい加減さ」の天才は世の中に必要だ。 体重75.1 朝 食パンと牛乳 昼 おにぎりと卵スープ 夜 ご飯、油揚げ味噌汁、野菜炒め(もやし、さやえんどう、ピーマン、なす)
2008年01月10日
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体重75.3 朝抜き 夜 お好み焼き、野菜ころっけ 歯医者;抗生物質を塗る? よくわからんが治ってくれればいいや どうして、米国の歯医者は治療してくれなかったのだろう? それは英語が通じていなかったか、治してほしいという気持ちが通じていなかったかどっちか。
2008年01月09日
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そう、昨日の日記から体重の記録をのせることにした。 実際、体重が増えることで、不具合が様々出てきたのだ。 まず、スーツが入らないこと。 20年前に買ったスーツは約10キロ近く痩せていた時のものなので、ほとんど無理。2-3着ある。 10年前に買ったスーツは約5キロ痩せていた頃。これは息を止めるとようやく着用できる。 実はこの数年勤務していた場所は、米国も工場だったので、出張以外ではスーツを着ることはあまりなかったのだ。それが油断の元だった。 太ったのは腹回りだけではない、歳もあるがやはりお肌が衰えてきたり、首周りが厚ぼったくなってきたことが、少々ショックなのだ。 もうそんなこと気にしないで開き直っていい歳なのだけれど、一人暮らしになにがあるかわからないし、何より今年の目標は減量7キロだ。 75.1キロ 朝、ご飯、あさり味噌汁、筋子 夜 味噌仕立てお雑煮
2008年01月08日
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日本での会社は毎朝、ラジオ体操を強いられる。 しかし、私は最近までこの習慣がない会社にいたせいもあり、「強いられる」という感じは実際しないし、逆に非常に新鮮に感じるのだ。というかラジオ体操の始まりから終わりまで、みっちり取り組むぐい。 そしてこの体操がうまく組み立てられているな、と感動したりしているのである。 背伸びの体操のところなぞは、おろした腕の音が服とこすれるぐらいやるし、跳ねるところなんぞ、この年で大丈夫かと思うくらいに跳躍する。 ところがである。わが社の女性は、これがものすごく嫌だということに気がついた。 最初の腕ふりのところからして、もう「しかたなく、つきあっている」という気持ちが出ているのだ。しかも、露骨に、手だけを振り回している。 彼女らの「体操」を初めて見た時は、おかしくて笑いが止まらなくなってしまった。 だって、本当に「迷惑そうに」そして「やるきのなさをそのままに」、男どもに合わせて「手を回してあげてる」だけなのだ。そのおかしさは、自分の真剣さと対照的で、本当におかしくてしょうがなかった。 そんなに嫌だったらさ、なにも付き合わなくてもいいのにさ。無理に付き合っているからいけない。 確かに今時、ラジオ体操を強いる会社もおかしいけどさ、おじさんが真面目にやっている時に笑わせることもないだろうに・・・ 今日の夕飯:ご飯、豆腐とワカメの味噌汁、メバルの粕漬焼 朝ご飯:ご飯、あさりの味噌汁、漬物 体重:75.1K
2008年01月07日
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その一言は「ずいぶん変わりましたね」だった。 そりゃ、私も年もとった、ひげもはやしてる、髪も染めたりしてるからね。 でもさ、あんたにゃ言われたくないよ、と思った。 こっちの感想は、「なんだ女にはなったかもしれないけど、前とおんなじじゃん」とおもったんだよ。マジで。そして「いい女になったな」だったんだよ。何か嬉しかった。 いまでもアルバムに「おしっこ競争」は残ってるんだけど・・・ ジェンダー論も結構読んでるし、十分理解してるつもりなんだけどさ。 あんたも女になったんだからさ、「それなりの気配りも必要だろ?」 年老いた老人をいたわる言い回しがあるだろうって。 まあ、こっちの「ひがみ」かもしれないんだけどね。 幼馴染としても、もっとゆっくり、昔話もしたかったね。
2008年01月04日
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日本の正月の過ごし方の典型が、実家に帰って年老いた両親の様子をみつつ、ゆっくりと過ごすといったイメージなのではないだろうか? 我が家もそうだった。数年間米国暮らしで、たまに慌しく帰国した際は、宿泊地として大騒動を引きおこして帰るというのがいつものパターンだった。だから、今年は帰任してじっくり日本に居られるのだから、「両親とゆっくり」というイメージだったのだが・・・ 現実は違っていた。例外はないもので、女は強し、ばあさんは強しなのだ。 失礼!大変に失礼!しかし、間違いなく私の周辺の女性は強い。 口やかましい(失礼)おばあさんが「うちのおじいちゃんがボケて」っていうことを電話口で嘆いたりしていたので、「大丈夫かな?」と遠い身空から心配していたのだが、なんのなんの。おばあさんの元気さが嵩じた事態だということに気が付いた。 老人が多少物忘れがひどくなるのは、老化のなせる業。仕方が無い。 おじいちゃんはその意味で、正常な老化で決してボケでない。 要は我が家のおばあちゃん(母)は元気で「気働きすぎる」のだった。 元気を通り越して、おじいちゃんが気の毒なくらい。全く・・・。 今年は、孫が帰国できなかったので、両親と息子(私)だけの最悪の構図になった。 それは、その口やかましい矛先が私にも向けられたから。 口やかましいといったら申し訳ない。夫も息子も心配でしょうがなくてつい口がでるのだろう。 私にまで「変な咳をするから気をつけたほうがいい」「どっこいしょと言ったがおまえは腰が悪いのか?」70半ばのおばあさんに言われたくないのだが、へたにおばあちゃんの前で「どっこいしょ」なんて口にもできないし、咳もできないぞ。 やっぱりばあさんというのは逞しい。 それとも元気なそぶりを一生懸命演じてくれたのだろうか? 男というものは、その点よく言って無骨・愛嬌がなくてムードメーカーにはなりえない。 演技は母や妻の前では体をなさない。 老いも若いも、男は総じてばあちゃんや母ちゃんの言いなりだ。 そんな正月・・・だと感じたが、そんなことを言うのは相変わらずの親不孝なのかな。
2008年01月03日
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子供の頃の正月三が日で嫌だったことに、年賀の挨拶に来た酔っ払いが、長く居座ることだった。 この酔客は、長居することが目的で、松竹梅などの一升瓶を提げて来たりする。 それも午後の早い時間帯から延々と始まるのだった。 いいおっさんになった現在、その「嫌だった酔客」にならないようにありたいものだが、故郷に帰っても暇にしているもんだから、ぶらっ年賀に出かけたりして、その「酔客」そのものになってしまった。 嫌なことの2番目は、この酔客を「モテナス」のによしゃいいのに、ピアノを習っていた姉に「一曲」聴かせてあげるよう促すことだった。正確には嫌がったのは私でなく、姉のほうだったのだが、傍から見ていても、酔客の前で演奏を強いられる姉は気の毒であった。 迷惑をかけられる子供達が期待するのは、罪滅ぼしのお年玉なのだが、この酔っ払いは肝心のお年玉をポケットまで用意しながら、渡すのを忘れていったりする。全く・・・ この罪滅ぼしで、通用するのかどうか・・・
2008年01月03日
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自分の認識では、日本の近所付き合いで「ちょっとお醤油貸してください」という関係はもうなくなっていたのかと思っていた。 ところが、嬉しかったのだが、実家に「片栗粉あるかしら」と借りにきた近所の人がいた。これはもちろん実家の私の母と近所の関係が織成す技ではある。親子三代の付き合いだから、ありあえる話ではある。 時代錯誤ではあるのだが、私としては、これを目撃しながらいい関係だからこそ甘えあって「片栗粉あったかしら?」と甘えられる近所関係はスゴイと感動したのだった。 「○○貸してもらえないかしら」というのは実は笑い話の糸口ではある。要はこれは「あつかましさ」のバリエーションでもあるからだ。 お笑いとしては「今日すき焼きなんだけれど、牛肉買うのを忘れた。ちょっと牛肉を」ってのがあるだろう。 古い映画では「お醤油を貸して」というのがパターンだと思う。藤沢周平にもあったような。 近所付き合い上、甘えられる付き合いが出来上がるのは、深いお付き合いの歴史があってのことだと思う。単身のアパートで隣の顔さえ知らない間柄では、こんなことはありえない。 でも、こんな間柄になったらいいのにとは思う。
2008年01月01日
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