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年末の連休を利用して、鹿児島県の奄美群島(喜界島・奄美大島北部)を訪れて来た。[その2]空港臨海公園にて離陸する飛行機を見送った後に海の方も眺めてみる。案内看板によるとこの公園はゴルフ場と海水浴場が整備されている。ゴルフ場ではプレーの最中であった。海水浴場の更衣室、トイレ棟。海水浴場。隆起珊瑚礁で出来ている喜界島はこのように珊瑚石に守られた入り江状になっている海水浴場が一般的であり、波も穏やかである。天気が良ければ、美しい海の色が見られただろうに至極残念であった。天気は28日が1日曇り、29日は午前中は一瞬日も差したりしたのだが、午後からは雨となった。続いて島の西海岸にある「夕日の散歩道」と名付けられた海岸線を散策する。ここも晴れていれば美しい夕日が見られるところだと言う。景色が開けて眺めは良いのだが、この天候なので一瞥して退散する。向こうに奄美大島も見える。更に海岸線に沿って反時計回りに南下する。畑の中に忽然と煙突が現れた。廃業した工場の煙突だけ残されたものなのだろうか。街の至る所にあったお風呂屋さんを思い起こさせる製糖工場の煙突であった。手久津久という地区にあるガジュマルの巨木。ガジュマルはいかにも熱帯雨林といったイメージの木であって椰子の木などと並んで南方の景色には欠かせない。喜界島の報告は次回に続きます。----------------------------------考えたら今日は大晦日であった。今年は年末の最後まで旅行に出掛けて居たので、未だ大晦日という実感が沸かない。今年もお陰様で月1.5回のペースで旅行に行くことが出来た。1泊2日の小旅行からカウントすると計18回(うち海外は3回)行くことが出来た。飛行機の搭乗回数は少な目で30回強で終わった。最近景気の悪化等良いニュースが無いが、来年も大過なく良い年であることを祈っている。旅行も経済力に応じて適度に楽しめれば良い。これから家族で夕食を摂って、紅白を見ながら蕎麦でも食べれば一気に正月気分になれるであろう。
2008年12月31日

年末の連休を利用して、鹿児島県の奄美群島(喜界島・奄美大島北部)を訪れて来た。[その1]12/27、前日に慌ただしく仕事納めを済ませて、早朝に松本を発つ。今回の旅は奄美群島の内、喜界島と隣の奄美大島に行くことにしている。長距離の移動は特典航空券を使用した。その関係で初日は便の確保がうまく出来ず、陸路で松本→名古屋(高速バス)、名古屋→大阪(近鉄)、伊丹→宮崎(JAL)、更に宮崎→国分(JR九州)と各公共交通機関を駆使して移動して28日の早朝便で喜界に飛ぶこととした。移動は全てダイヤ通り順調に行った。高速バスも渋滞無く、近鉄も定時運転、難波から伊丹まで移動してみると、空港保安検査場は長蛇の列。これには驚いた。確かに地方へのUターンラッシュが始まっているので当然なのであろうが人が一杯である。しかも憎らしい事に8個ある検査レーンののうち半分しか開いていない。これでは混むのも当然である。やむなく列に並ぶ。途中で搭乗時刻が迫った人達が優先的に順番抜かしをしてゆく。やむを得ないことではあるが気分の良いものでない。結局保安検査場を通過するまで30分を要した。サクララウンジでビールでもと思っていたがそんな時間もなく慌ただしく機内へ乗り込む。宮崎までの便はJAC(日本エアーコミューター)のDHC8-400型機である。今回の旅はJACのお世話になることが多い。胴体着陸で悪い評判がたってしまったが、初期トラブルが少々多い以外は、とても良い機体であると思う。速度も速く近距離ならジェット機と比べても遜色ない。騒音も静かで快適である。晴れのなか快適な飛行を続ける。しばし微睡むが、タイミング良く足摺岬上空付近で目が覚める。下の美しい景色を俯瞰する。ここも未踏の地である。いつか来てみたいと思う。無事に宮崎空港へ降り立ち、すぐにJRに乗り換える。空港連絡鉄道があるので便利だ。すぐに発車する特急「にちりん」で1駅、南宮崎まで移動して、日豊本線の特急「きりしま」に乗り換える。南宮崎駅にはローカル線用の派手な塗装の車輛が出番を待っていた。九州に来るとJRの塗装が原色でとても目立つ。しかし、「きりしま」は懐かしい国鉄塗色の485系であった。朱色の帯にクリーム。やはり優等列車はこの色が一番良いと思う。まだこんな車輛が残って居たのだと感心する。2時間弱で国分へ着き、宿へ向かう。鹿児島空港は鹿児島市からは遠く、国分辺りが最も近い駅である。頭上を離陸直後の航空機が飛んでゆく。本当に空港が近い。しかしB777は静かである。毎日爆音を聞かされている地元の方には申し訳ないが、お上品すぎて迫力に欠ける気もする。今宵の夕食は国分市(霧島市)の中心部、山形屋百貨店横の居酒屋「大黒」にしてみた。地元でも人気の店らしくかなり混んでいた。名物のキビナゴ刺身など地魚と畜産品、芋焼酎で一献する。やはり薩摩は芋であろう。程良く酔って就寝。翌日は路線バスで空港へ向かう。緯度が西に寄っているのでさすがに朝は遅い。七時でもまだ暗い。空港へ着いた頃には夜が明けて天気も良い。待合室から霧島連山が綺麗に見えたので一枚撮る。バックの山が霧島連山である。手前の航空機は出発を待つサーブ340型機。こちらもサーブ機で飛び立つ。小さなプロペラ機で座席の配置が「1+2」である。マイクロバスが飛んでいるような感覚であろう。一時間ほど飛び、降下中にそこそこ揺れる。奄美地方の天気予報はこれから数日間一貫して悪い。それでも無事喜界島空港へ着陸する。今回乗ってきたサーブ340型機。今回の旅行ではサーブ機を延べ四回乗ったが、全て同じ機体(JA8886)であった。空港売店で予約しておいたレンタルバイクを借りる。28時間ほどのレンタルで3000円。良心的な値段だと思う。天気が少々不安である。レンタカーにしておいたほうが良かったもしれないが、今日は1日持ちそうである。取り敢えずバイクで空港を跡にした。最初にターミナルビルと滑走路を挟んで反対側にある空港臨海公園に行く。この空港は元海軍航空隊があったところで、沖縄決戦の折りには多くの特攻機がここを中継基地として利用したそうである。その慰霊碑が建立されていた。海軍航空隊慰霊碑。ここから還らぬ出撃をしていった英霊に黙祷をした。奄美群島は米軍が上陸しなかったために戦場になることは無かったが、米軍の執拗な空襲を受け、多くの基地要員も散華したそうである。同じく近くにある巌部隊供養塔。慰霊碑など見ていると、先ほど乗って来た航空機が、鹿児島へ向けて離陸していった。タイミングがうまくあったので写真を撮った。小さい航空機ではあるが、空港もミニサイズなので大きく見えた。(サーブ340型機・JA8886)次回に続きます。
2008年12月30日

今日で年内の仕事は終わりである。慌ただしく仕事納めを済ませた。明日から年末の連休を利用して奄美群島を旅行する。今回は初訪問である喜界島を訪れ一泊して島内観光をするのと、以前訪れたことがあるが宿泊はしなかった奄美大島の奄美クレーター(笠利湾)で一泊する事とした。今年は曜日の関係で年末の休みが長く、年が明ければ逆に短い。仕事をしている身にとって年末稼働が無いので仕事がその分凝縮して忙しかった。やはり大型連休はバランスの取れた日取り(曜日)で来るのがありがたいと思った。奄美群島は過去に大島、加計呂麻、徳之島と行った。未踏の島は喜界、沖永良部、与論である。文化的には沖縄と本土の折衷的なところも多い。海に関しては白砂、珊瑚礁と沖縄と大差ない。山羊を専ら食肉用に飼育しているところも同様である。島の旬は夏の海水浴シーズンであるが、オフシーズンもまた温暖で閑散として良いかもしれない。年末の慌ただしさから逃れて南方の海でも眺めて来ようと思っている。写真は喜界島の黒糖焼酎「喜界島」である。黒糖焼酎は奄美群島地域だけが醸造を許された酒で、口当たりが良くヘルシーかつ美味い。普段でも時折飲む好きな酒の一つである。
2008年12月26日

今回の天長節に絡む飛び石連休を利用してここ数年毎年恒例となっている北海道スキーに出掛けた。(その3)今回の旅は2泊3日であった。最終日の22日は札幌国際スキー場に行った。ここは定山渓温泉の奥に位置し、札幌市内からも交通の便が良い所である。天候はこの3日間でもっとも良い状態となった。晴れている上に気温が下がったのでスキー場の雪質も良くなり、初日ベタベタであったのが嘘のようなコンディションになった。メインゲレンデからセンターハウスを見おろしたところ。このスキー場は更衣室がやや狭いものの、設備はまずまずである。またコースも長めの中級コースが多いので楽しめる。麓のメルヘンリフト乗り場。スキー場に着いたら取り敢えずこのリフトで登って滑走を始める。ゴンドラで着く山頂駅付近。少々風が強かったがさすがに雪質は良く気持ちよく滑降出来た。途中のコース。まだ客も少ないので快適に滑れる。同様にゲレンデ途中のスナップ。このスキー場は構造が簡単で分かり易い。また、適度な長さと適度な傾斜のコースが多いので気に入った場所の一つである。それなりに滑った後、千歳空港行きのバスに乗ってスキー場を後にする。東京への帰路は意外なことに、羽田空港付近の強風悪天候によってダイヤが乱れていた。定時より少し遅れて飛び立った飛行機は着陸進入中そこそこに揺れて冷や汗をかく。航空機の揺れは何度乗っても好きになれない。搭乗機は無事滑走路34Lへ着陸、今回の旅を終えた。北海道スキーは「季節の先取り」的な意味合いもあって毎年の行事に定着している。来年も同様のパターンで楽しんで来ようと思う。<北海道スキーの巻・完>
2008年12月25日

今回の天長節に絡む飛び石連休を利用してここ数年毎年恒例となっている北海道スキーに出掛けた。(その2)二日目(21日)は迎えのバスでキロロへ向かう。このスキー場も設備が整っているし、コースも中級レベルが主で自分にはあっているかと思われる。マウンテンセンターからゲレンデを望む。基本的にはどのリフトに乗ってもこのマウンテンセンターへ戻ってくる構造のスキー場(余市エリアの一部を除く)なので分かり易い。札幌国際や、地元長野の野麦などが類似した構造である。ゲレンデからマウンテンセンターを見おろす。ここもエスカレーター完備で垂直移動が容易である。キロロで最長の距離を一気に上がるゴンドラ。3キロ強の距離を1本で行けるので効率がよい。下るコースも初級から上級まで揃っているので、レベルに合わせて滑れる。この日は一貫して雪が降る天候であった。気温は例年よりは高めであるが、昨日のベチャベチャから比較すればそれなりに下がってきた。また降雪も不快なほどでは無いので、滑走には支障なく楽しむことが出来た。昨日に比べればスキーに慣れた体で存分に滑って帰路につく。冬至の頃なので日暮れは早く、札幌まで着く頃には暗くなっている。早速大通公園の電飾を見に行く。昨晩はこの時期の札幌には珍しい雨であったが、今日は小雪が降る天候なので北国に来ている実感は強い。ライトアップされた札幌タワーと公園内の電飾が綺麗であった。引き続きすすきの方面の街角を撮る。ここも街路樹が電飾で綺麗であった。この晩の夕餉は海鮮とした。貝類が好きな自分は、北寄・ツブ・牡蠣に目がない。貝では無いが軟体系のホヤやナマコも好きである。それからボタンエビ、貴重な鮭児など注文する。お勘定が張るが、海無し県の住民からすれば至高の献立である。熱燗の杯を傾けながら北国の海鮮を味わう。生ものがばかりでなく炉端の味もまた良い。ニシンなど焼いて貰ってもまた酒が弾む。お陰で飲み過ぎてしまった。(明日に続きます)
2008年12月24日

今回の天長節に絡む飛び石連休を利用してここ数年毎年恒例となっている北海道スキーに出掛けた。(その1)19日(金)蒲田で前泊し、20日(土)始発便で千歳空港へ飛ぶ。早朝6:30発の便なので蒲田泊とは言え5時前に起きないといけない。辛いが仕方ない。飛行機とバスの中で寝て行けばよい。連休が絡んでいるせいなのか、早朝便にも拘わらず大型飛行機(B773)は満席であった。一応クラスJを確保してあったので多少は快適に寝て行ける。快調に飛行を続けて噴火湾付近で進入体制に入る。苫小牧の上空を通過する。天気は雨とのアナウンス。「雨」の声に耳を疑う。雲間から眼下に広がる風景に驚く。太平洋側とは言っても北国である苫小牧市辺りは、毎年この時期に来るといつもは上空から見る限り白銀の世界である。千歳空港近くのウトナイ湖など湿地帯も白く見えるのが普通である。ところがこの日は濃緑色と茶色である。雪がない。びっくりであった。飛行機は素直に南側から着陸せず、旋回して北側から降りた。北側からの着陸だと、旋回する分余計に時間が掛かるし、滑走路からターミナルビルまでが遠い。南側から着陸の時は苫小牧の切り込み港と石油タンク群を見おろして降りて行くので何処を飛んでいるのか分かり易い。降り立った千歳空港はアナウンス通り雨、雪も皆無であった。昨年のスキーの時は雪が激しく降っている最中で、除雪作業のため噴火湾上空で小1時間待機を強いられたので隔世の感である。航空機を降り、ツアーカウンターで書類を受け取って説明を聞きツアーバスに乗り込む。ほぼ同じ時刻にキロロと国際と手稲行きが発車する。今日はキロロが大人気でバスが2台。こちらの手稲は大型バスに客が十数名程度なのでゆったり乗って行く。沿線の道央道も雪が無い。後は早起きの疲れもあって寝てしまったので全く記憶が無く、アナウンスで起こされた時には既に手稲オリンピア付近まで到着していた。さすがにここまで来ると雪があった。無事手稲ハイランドスキー場まで辿り着き、宅急便で送ってあったスキー板と鞄を受け取る。支度をして出てみるとミゾレに近いような雪がちらほら降っている。ゲレンデは大変に暖かく、雪はべちゃべちゃであった。まるで春スキーに行ったようである。ツアーの客は皆、北海道の素晴らしい雪質を求めてここまで来るのであるからさぞかしがっかりであろう。それでも気を取り直して滑ってみる。今年の3月中旬に滑って以来なので感覚を取り戻すのに時間が掛かる。3本ほど短いリフトで感触を確かめる。手稲ハイランドスキー場の下部ゲレンデ付近から、センターハウスを撮影したところ。このセンターハウスは上下移動は全てエスカレーターがあるし、更衣室は広く、絨毯敷きの場所もあって着替えも楽である。同じく手稲ハイランドスキー場の下部ゲレンデ付近から手稲山の山頂を望んだところ。概ねスキーの感が戻ったので、長いリフトで一気に手稲山頂へ上がる。ここからの長い下り坂がこのスキー場の白眉である。これが手稲山の山頂付近。札幌の街を眼下に望む場所にあるためか、各種アンテナの鉄塔が建っている。さすがに山頂付近の雪質は極端に悪くない。しばらくここで滑る。折角来たので、一応一番下の手稲オリンピアスキー場にも行ってみる。ここは別のスキー場ではあるが繋がっているので自由に行き来することが出来る。大変に緩い勾配の連絡路を時折漕ぎながら滑って行く。オリンピアスキー場のメインゲレンデは幅が広く傾斜が緩めで、ファミリーコースにはうってつけである。手稲オリンピアスキー場のメインゲレンデよりセンターハウス方面を見降ろす。遠くには日本海が見える。しかし、スキー場のコンディションは最悪である。長野県で言えば3月下旬クローズ間近と似た状況であってベタベタである。リフトもオリンピア全体で1本のみの運行で、コースもメインゲレンデのみの営業である。客もまばらでほとんど居ない。這々の体で連絡用のゴンドラでハイランドへ逃げ帰る。例年であれば客も多く、特にスキー教室の子供達で賑わっているのが信じられない。今日はハイランドに子供達が多数居た。下のオリンピアで出来ないのでハイランドへ来ているのだろうか。当方のスキーの腕前は中級程度なので、滑走には雪質の影響を強く受ける。上級者になればいかなるコンディションも気にしないのであろうが、当方程度であると雪質が変わると自分の滑走の腕前もそれに応じて変化する。粉雪なら何でもない坂がベタ雪になると難儀したりする。まったくだらしない次第であるがそれほど向上心も無いのでそのままである。適度に滑って、迎えのバスで今宵の宿へ向かう。今回はエクセル東急にした。すすきのや大通りにも近いので便はよい。ツアーであると迎えバスがあるので寝て帰ることが出来る。スキーで疲れた体はバスの暖房で忽ち眠りに落ちる。これで第二部(一献)の準備が整う。今日の夕食はジンギスカン「開拓や」にする。北海道独特な「穴あき鉄兜」で焼いた肉は脂が適度に落ちて美味しい。その後蒸留酒を充填後「ラーメン信玄」で味噌ラーメンを締めにいただく。満腹・満足して就寝する。(明日に続きます)
2008年12月23日

明日の夕方、既報通り松本を出立して北海道へ向かう。今回の旅は天長節の飛び石連休を利用した北海道スキーツアーである。この手のスキーツアーも年内(年末年始休業に入る前)はかなり割安感があってお得である。2泊3日程度でも現地でのバス送迎がことごとくセットになってかなり安く発売されている。ツアー代金は年末年始休業から3月の春休みまで一貫してそこそこの高値で推移してゆくので、行くなら年内、年末年始休業に入る前が安価かつ、全体的に空いているので快適に各施設など利用出来る。イメージ画像という事で2007/01/20、札幌国際スキー場でのスナップである。たまたまこの日は何かの大会が開かれていて、下手な当方とは違って疾風の如く滑降して行く若者達が競技を楽しんでいた。当方はマイペースで降りて行くので技量の上達がほとんど無い。技術向上にはこういった競技に参加することも大事なファクターの一つなのだろう。
2008年12月18日

今日は、今週末の飛び石連休で訪問予定の札幌へスキー道具を発送した。数年前までは根性があったので、重い道具を松本から羽田まで持っていった。現在はそのような気力が無いので宅配便でスキー場まで送ってしまう。もちろん帰りもスキー場から自宅まで送り返して貰う。板と道具で2個口であって運賃だけで往復六千円近くかかるので大変な贅沢でもある。今回、北海道スキーツアーで訪れるのは、初日テイネハイランドスキー場としたのでここへ送付する。テイネハイランドの一番気に入っているところは更衣室がやたらに広いことである。内地からはるばる大荷物で出掛けるので、どうしても更衣室で店を広げて着替えなどする必要があり、大変に助かる。 写真は(2006/12撮影)手稲山より札幌市内を俯瞰した所である。ここ数年毎年恒例となっている北海道スキーもいよいよ目前に迫った来たので楽しみでもある。
2008年12月17日

今日16日で12月師走の折り返しである。正確には本日の昼(正午)で15.5日経過なので31日の半分と言うことになる。仕事が好きでやっている人はそう多く無いだろうから、誰もが指折り数えて年末年始休業を待っているだろう。小生もあと5日出勤すれば待望の年末年始休みである。飛び石連休の22日は休みをいただくこととした。なので今週2日、来週3日出勤で計5日となる。冬は空気が澄んで夜景の美しい季節でもある。当方の住んでいる松本でも高台に登れば眼下に街の灯りが広がる。藻岩山より札幌市内を眺める。(2005/02/12撮影)函館山より函館市内を望む(2006/02/18撮影)イメージ画像と言うことで夜景を二葉掲載します。
2008年12月16日

現在2009年の年賀状を書いている。書いている言っても宛名は筆まめがやってくれるし、葉書の文面の欄は印刷に出しているので、ちょこっとコメントを書く程度である。今回は奮発して写真三葉入りの文面にしてみた。1枚あたり葉書代込で160円した。贅沢な年賀状となった。日頃旅行に出掛けているので掲載用の写真には事欠かない。また数年前より年賀状だけのお付き合いとなってしまった人に向けて最新の自分の写真を載せることとした。もう10年も会っていない人も居る。子供が居る人達は、年賀状に皆子供の写真を載せているが、わたしにとっては子供は知らぬ人であって、年賀状をくれる本人が友人や知人である。大変失礼ながらその人の子供はどうでもよい。勿論自分に子供が居れば同じ事をするのだろうが、、、もともと筆無精なので、紙の手紙を書くのはこの年賀状だけである。これを書かなくなってしまったら終わりだなあと思って何とか続けている。1週間ほど掛けてコメントを書いて投函しようかと思っている。
2008年12月15日

今日12月14日は冬の雨が降って寒い1日であった。松本盆地の平野部は雨であったが周囲の山肌は白くなっていた。平野部にも間もなく雪が来るであろう。12月14日と言えば世間では赤穂浪士の討ち入りの日として知られている。正確には旧暦の12月14日なのであるが、明治以降は新暦のこの日ということで位置づけがなされている。一昔前の日本人であれば年末の忠臣蔵を見、続いて寅さんを見て正月を迎えると言ったパターンであろう。わたしは勧善懲悪の時代劇は好きなので忠臣蔵も吉良上野介を悪人にすればするほど憎さ百倍、義士を応援したくなる。イメージ画像と言うことで泉岳寺の大石内蔵助像。お恥ずかしながらこの寺には行った事がない。交通の利便性から言えば至って行き易いのであるが、、、この泉岳寺は明治期に出来た鐵道唱歌にも唄われている。「♪ 右は高輪泉岳寺 四十七士の墓どころ 雪は消えても消えのこる 名は千載の後までも ♪」戦前の教育に照らしてみれば、四十七士の行動は忠君愛国の精神と重なって見えたので、殊に賞賛される傾向があったのかも知れない。仇討ちという概念が日本人独特のものであるかは知る由も無いが、終戦後に進駐してきたGHQは忠臣蔵の上演を禁止したという。結果として杞憂に終わったが、マ元帥が日本人による聯合軍への仇討ちを恐れていた事を現す証拠の一つであろう。東京の観光名所は意外に行っていない。今年も六月に急に思い立って靖国・乃木・東郷と神社仏閣を廻ったこともあった。泉岳寺もいずれ訪れて見ようと思う。
2008年12月14日

今日は年末休業中に急遽設定した奄美群島紀行の計画を練った。既報通り今回訪問する島は喜界島と奄美大島の二島とした。喜界島は初の訪問である。また奄美大島は昨年十月に引き続き三度目の訪問となる。ギリギリになってから特典航空券を取ったので往路の出来が今ひとつである。初日(12/27)は松本から高速バスで名古屋へ出て近鉄特急で大阪へ。伊丹空港から宮崎へ飛ぶことにした。宮崎から陸路国分まで移動して1泊、明くる28日は空路喜界島へ。1泊して島を観光をすることとした。3日目(29日)は午後の便で空路奄美大島へ。4年前の旅行時に気になっていた笠利湾の奄美クレーターで泊まることとした。4日目(30日)は鹿児島空港経由名古屋まで飛んで陸路松本へ戻ることとした。よって31日の年越しには参加出来る。喜界島のホテルは1泊朝食付きとした。この島で最も繁華街である「湾」地区に宿を取ったので、夕食は近所の居酒屋でも行って新鮮な魚介類や畜産品など戴こうかと思っている。↑今回宿泊予定の喜界第一ホテル。旅館紹介のページより引用。奄美大島のホテルは笠利湾、奄美クレーターに面する「カレッタハウス」にした。ここは繁華街から完全に隔離されたリゾートなので1泊2食付とした。↑カレッタハウス全景。旅館紹介のページより引用。四年前に初めて奄美大島を訪問し、笠利湾の美しさに惹かれた記憶がある。それもあって今回はこの場所に泊まることにした。奥まった入り江であるので波が穏やかで隠れ家のような場所であった。もっとも居酒屋などで地元の味を楽しみたい人は最低一泊は名瀬市街地に泊まることをオススメする。前回の訪問の際も名瀬市街地で食べた夜光貝の刺身が珍しくまた美味でもあった。2004/12に長雲峠付近より俯瞰した笠利湾(龍郷湾+奄美クレーター)の景色。何とも美しい。この奄美クレーターは大昔に隕石が落下して出来たらしい。先日行った伊豆大島の波浮湾は火山性カルデラの入り江であったが、良く形の似ているこの奄美クレーターは由来が全く異なる。こちらはイメージ画像であって2004/12の撮影で奄美瀬戸。奄美大島南端の瀬戸内町から対岸の加計呂麻島を隔てる海峡である。今回の旅では行かない。この海峡も波が穏やかなところで台風の際には船舶の緊急避難場所にも使われるそうである。こちらも同様にイメージ画像。2004/12の撮影で奄美大島南端の瀬戸内町にあるホノホシ海岸。ここは外洋に面しているので波が高い。波浪の為に虹が出て綺麗であった。奄美大島と加計呂麻島はリアス式海岸であるので、島とは言っても一周するとかなりの距離がある。従ってレンタカーで走り回らないとくまなく観光が出来ない。またガソリン代が離島価格で大変に高いので注意を要する。もっともそう言った欠点や不便さが島の良いところでもあるのだろう。
2008年12月13日

本日12日は忘年会第4弾であった。師走に入って本格的な飲み会が4回目という事になる。この手の飲み会は何回あっても良い。仕事関係の飲み会であったので費用も交際費等々でおちるのでタダ酒が呑めたのは大変結構であった。仕事絡みも接待するホスト側は大変で嫌であるが、接待される側であったり、対等の立場であれば気楽で大歓迎である。飲み会の写真があればイメージ画像にと思ったが、良い物が無かったので食べ物の写真と言うことでハワイのロコモコを代わりに載せてみます。 [Loco Moco] Makai Market , Ala Moana Center , Honolulu Hawaii , Feb.14 2004
2008年12月12日

今年の年末年始休業は曜日回りの関係で年末の休みが長く年始の休みが短くなっている。一般的なサラリーマンであれば12/27(土)~1/4(日)迄の九連休が普通であろう。目先に迫るまで旅行などまったく眼中に無かったが、ふと気が付いたら年末の五連休を自宅で大掃除などして過ごすのも勿体無いと思えるようになった。よって急遽旅行を計画・挿入した。年末年始は旅行業界にとっては繁忙期にあたる。航空券も例外でなく定価での購入を余儀なくされる場合も多い。沖縄などは東京からだと片道四万円もする。普通のサラリーマンにはとても手が出ない金額である。一方、JALのワンワールド加盟もあってか、繁忙期における特典航空券の使用基準が以前に比べると緩和され、取り易くなっている。従来であれば年末年始などの繁忙期は特典券がほとんど不可であったので大変ありがたいことである。なので、今回の旅行は特典航空券を利用して行くことにした。直前の予約なので人気の路線(沖縄など)は既に枠が一杯で切符が取れない。色々調べた挙句、奄美群島方面が比較的空いていることが判った。奄美群島地区も旬は勿論夏であるが、冬場も温暖であって避寒には適した場所であろう。過去、奄美群島は奄美大島、加計呂麻島、徳之島と行った。未踏の島は与論、沖永良部、喜界の三島である。今回はこのうち喜界島に行ってみることにした。併せて以前奄美大島に行ったときに是非泊まりたいと思っていた同島北部の笠利湾付近で一泊することとした。従って喜界一泊、大島一泊となる。航空券の予約は本日までに全て済ませた。三万マイル弱を消費して今回の旅程を確保出来た。以下はイメージ画像と言うことで二年前に訪れた奄美群島の徳之島である。(2006年7月訪問)美しい徳之島の海岸風景。ムシロ瀬と呼ばれる景勝地。戦艦大和慰霊碑。九州沖で沈んだ大和を祀る碑。真冬の訪問なので上の写真のような光量は無いであろうがそれなりに美しい景色が見られると思っている。
2008年12月11日

今日も忘年会であった。飲み会自体は会社帰りに気軽に飲みに行ける首都圏などの電車通勤族の方と違って車社会の田舎なので急に飲み会になることは少ない。それでも今月に入って3回目の忘年会である。12日も予定されている。このような行事が続く事はまあ大変に結構なことだと思う。飲み会のイメージ画像と言うことで二葉。焼肉(済州市内で撮影。2008/04)、とおでん(大阪キタ2008/04)。食べ物の好き嫌いは無いが、要予約の宴会コースは正直あまり好きではない。居酒屋など店内の黒板を見てその日のオススメを食べるのが最も好きである。
2008年12月10日

師走に入って顕著に冬めいてきた。寒く昼が短い嫌な季節でもあるが、ウィンタースポーツや鍋物、熱燗など冬の風物詩は数多くある。嫌とは言っても四季がはっきりしている日本に住んでいれば、どの季節もそれぞれに趣があって貴重である。季節の遷移が平凡な日常にメリハリをつけている面もあるだろう。個人的には冬の味覚は好きである。寒い北海道へわざわざ出掛けるのもそう言った要素が大きい。かねてから予約をしていた冬季スキー旅行の案内が着荷した。ここ5年ほど毎年スキーで北海道を訪れている。冬季の北国はレンタカーは無理なのでツアーで快適に行くことにしている。「JALスキー2009」今年も例年通り札幌滞在型とした。12/20羽田出発。天長節の連休を利用することとした。届いた資料類。この時期のスキーツアーは意外に安価なので割安感が大きい。スキー場と空港、ホテルを結ぶツアーバスに乗り放題なのもありがたいところである。写真は昨年の12/16、札幌手稲を訪れた時の撮影である。写真の中央遠方にある山が手稲の頂部にあたる。スキーに行く回数は年に数回も行けば上等であるが、今シーズンの滑り初めでもあるのでせいぜい楽しんで来ようと思う。
2008年12月09日

今日は67回目の太平洋戦争開戦記念日であった。昭和16年の今朝、突然ラジオから流れる臨時ニュースで多くの国民は開戰を知らされた。その第一報は、『大本營陸海軍部十二月八日午前六時發表。「帝國陸海軍ハ本八日未明西太平洋ニ於テ米英軍ト戰闘状態ニ入レリ」』と言う内容であった。 写真はそのイメージ画像と言うことで海軍記者会(黒潮会)における大本營發表の風景ある。(冨永謙吾著、大本營發表より)開戦劈頭、帝國海軍が攻撃した真珠湾はハワイ旅行の折りに数回訪れて見た。 現在は記念艦として公開され、内部見学も可能な戦艦ミズーリ号(USS Missouri,BB-63)より望んだアリゾナ号(USS Arizona,BB39) の記念館。ミズーリ号の艦首先、海に建つ白亜の建物である。周知の通り戦艦アリゾナ号は帝國海軍(一航艦)の真珠湾攻撃の際に九七艦攻よりの八十番徹甲爆弾の直撃が致命傷となって轟沈した。現在もサルベージされることなくその巨体を記念館直下の海底に横たえている。(2003年2月撮影) アリゾナ記念館の隣にある潜水艦ボウフィン号(USS Bowfin,SS287)記念艦。。(2003年2月撮影)ここも艦内見学が可能である。日本を敗戦に追い込んだ立て役者の一人である米潜ガトー級の一艦である。海上交通路の保護を軽視した日本軍は敵航空機と敵潜水艦の攻撃によって商船をことごとく喪失し前線への補給に重大なる齟齬を来した。平和な現在に育った自分には理解できないであろうが、今日の開戦記念日は八月十五日の終戦記念日と同様に日本人として忘れてはならない日であると思う。
2008年12月08日

今日は良く晴れた。昨日は風が強かったが今日は穏やかな小春日和となった。雲一つ無い晴天であり、歌の台詞では無いが「煙も見えず雲も無く風も起こらず、、、」と言った所である。拙宅の窓からも北アルプスの山々が綺麗に拝めた。松本辺りからみると分かり易くかつ綺麗なのが常念岳であろう。雪をいただいた三角形の山である。こちらの白い山は乗鞍岳。一昨日平地では雨であったが山は雪が降ったであろう。先週あたりに見えていた山頂より、どの山も白い部分が増えたような気がする。こちらは逆方向(東)の美ヶ原。この山も夏は観光客で賑わう。送電線が写り混んでいて恐縮である。信州の山はとても美しく、中にはこの景色に憧れて移住してくる人さえ居る。しかし原住民の自分にとっては山の見える風景は当たり前すぎて感動を覚える事は無い。人間勝手なもので、山の風景よりも沖縄などの美しい海が見える場所に憧れる。
2008年12月07日

今日は昨日と打って変わって晴天になっている。昨日は朝の気温が最も高く、午後は気温が下がって寒くなった。また冬にしては珍しく雷鳴が轟き雷雨となった。今日は風が強く気温は低い。冬型になっているそうなので、今週末は冬らしい天気になるだろう。昨日頼んであったJTA(日本トランスオーシャン航空)のカレンダーが届いた。これは毎年有償で購入しているのだが、沖縄の美しい風景の写真であって、部屋の癒しになる。またJALからもしばらく前にカレンダーが届いている。これは毎年無償でいただける。自室に1ヶ月ずらし、2枚並べて張って置いて旅行ほか個人の予定用の重宝している。JTAとJALのカレンダー。JTAは「美ら島物語」、JALは世界の名所と綺麗な女性の写真である。カレンダーには少々こだわりがあって、左端に日曜日が来ているもので無いと嫌いである。外資系の企業が作るカレンダーなどは時々日曜日が右端に来ているものがある。このようなカレンダーはデザインが良くても絶対に使わない。もっとも、日曜日が右端の方が理にかなっている気もするのであるが、慣習上どうしても左端を好む。取引先の企業などから来年のカレンダーが送られてくると、師走だなあと実感させられる。
2008年12月06日

先日、11/24(月)に横須賀軍港を巡る観覧船に乗船した。軍港巡り観覧船。汐入駅前の桟橋より出発する。あいにくの雨天ではあったがまあまあの乗船者が居た。米軍横須賀基地へ配備され話題となった航空母艦ジョージ・ワシントン(USS George Washington, CVN-73)。十万噸にも及び大鑑である。軍港内の奥まった位置に停泊している為、汐入駅・横須賀駅方面の陸上からは見えない。退役した海自の軍艦。標的艦として使用されるために命中箇所判定用の線が描かれている。軍港内に様々な艦艇が並んで停泊している。米軍と海自の艦が居るが遠目には区別がつかない。同じように見える艦であっても鎮守府防備隊(地方総監部)所属の艦艇と、聯合艦隊(自衛艦隊)所属の艦艇があるとのこと。現代の艦艇は全く判らないが停泊している艦艇の多くは、帝國駆逐艦や帝國軍艦(二等巡洋艦)に相当するようだ。観覧船の案内係が艦名を解説してくれるが、次から次へと出てくるので全く覚えられない。同じく停泊する海自軍艦(艦艇)。現在の聯合艦隊(自衛艦隊)司令部は後方の陸上にあるとの説明もあった。戦前、艦隊司令部は旗艦にあるのが普通であったが、現代は通信事情など考慮して専ら陸上に置かれているのが一般的らしい。近くには横鎮(地方総監部)の庁舎もある。艦首部の番号は艦の固有番号。戦後は米海軍式に固有番号が付与されている。駆逐艦であればDD-○○と割り当てられる。戦前の帝國海軍時代、艦首部の番号は所属の駆逐隊を示した。横鎮所属艦は第1~第9駆逐隊となっていた。新井堀割水路を通過する観覧船。ここは戦前に帝國海軍が開削した短絡水路である。海自の艦艇としては最も知名度が高いであろう「南極観測船しらせ」。南極観測船は通称名であって旧海軍式に言えば"帝國特務艦(砕氷艦)白瀬"となる。橙色の船体が目立つ。雨の中一時間弱ほどの行程であったが、陸上からは見えない沖側の軍港設備や、海自の艦艇が停泊している至近を通過出来たのは貴重な体験であった。観覧船の乗客は老若男女問わずと言った感じであって、誰でも気軽に軍港を楽しめると思う。横須賀軍港巡り
2008年12月05日

信州人であれば皆この位の時期に菜っ葉の漬け込みをする。昔はどの家も玄関先へ樽を出して水で菜っ葉を洗ったものであった。木枯らし吹く初冬の寒空の下、屋外でお湯でなくて水を用いて洗うので辛く大変な年中行事であった。終わると手が真っ赤になってかんじかんでしまい、しばらく感覚が鈍くなってしまう。最近は暖房された屋内でぬるま湯を用いて洗うので相当に楽になった。拙宅ではこの前の日曜日(11/30)に家族総出で漬け込みを行った。野沢菜漬けの漬け込みは昔から家族全員で行うのが一般的である。畑から刈り取った直後の菜っ葉。肥料に少し尿素を入れると驚く位大きく成長する。つけ込む前に根本を藁で縛って束にする。この束が1回分(1食分)となる。縛ってからぬるま湯で良く洗い水を切る。拙宅の四斗樽。もう五〇年くらい使っていると思われる。柿渋を塗ったりして維持をしている。プラスチックの樽よりも良い漬け物が出来ると信じている。漬け込みから数日経過した樽。塩を入れるので水が上がってくる。浅漬としてならもう食べられる。漬け込みから日数が経つと徐々に飴色になって行く。寒かった昔は、樽に張った氷を割って野沢菜を取り出して来たものであったが、最近は樽が凍ることも少なくなった。凍った樽から出して来た野沢菜はシャーベットでは無いがシャリシャリして独特の食感があって結構気に入って居た。これから春先まで菜っ葉の漬け物を毎食楽しめる。
2008年12月04日

横須賀ヴェルニー公園 (2008/11/23訪問)海軍カレーで腹を満たした後、汐入駅前にあるヴェルニー公園へ行ってみた。ここは幕末にお雇い外国人として来日し、横須賀製鐵所(横須賀海軍工廠の前身)創設に尽力した仏国人のヴェルニー氏を記念した公演である。この時の幕府側の担当者として製鐵所設置を推進したのが勘定奉行であった小栗上野介である。悲運な小栗は維新の際に斬首となったが、彼の作った造船所は東洋一とも言える規模まで発展して、帝國海軍の艨艟を多く世に送り出し今猶施設は現役で活躍中である。公園内にあるヴェルニーと小栗の像。横須賀は呉よりも早く造船設備が整備された。小栗の着手した事業は新政府に引き継がれ、鎮守府と海軍工廠が設置されるに至った。この公園はかつて臨海公園と呼ばれたらしい。横須賀は帝國海軍の中枢の軍港であったこともあって、それらを記念する石碑も多く建立されていた。海軍の碑。帝國海軍栄光の歴史を顕彰する碑。軍艦長門顕彰碑。大正から昭和初期の平和な時代、長きに渡って国民に親しまれた帝國軍艦(戦艦)長門を顕彰する碑。煙突が大改装前の最も国民に愛された形状であることも海軍ファンの一人として嬉しい。聯合艦隊旗艦としても長期間就役した本艦であった。軍艦(戦艦)山城顕彰碑。この船は横須賀海軍工廠で建造された。比島海戦の際、スリガオ海峡に於いて僚艦扶桑と共に火達磨になりながらも進撃を続け、不撓不屈の精神を見事に発揮し轟沈、壮烈なる最期を遂げた艦である。国威顕彰碑。大巡高雄型の前檣楼部の石碑と思われる。何故か銘板が剥がされ、由来も不明な石碑となっていて痛々しい限りである。倫敦條約型の甲巡として横須賀海軍工廠で建造された軍艦高雄を顕彰する碑であろうかと思われる。現代のイージス艦の如く聳える前檣楼構造物は重厚で頼もしい限りである。逸見波止場衛門。旧横須賀軍港の衛門。大正期の建築らしい。同じく逸見波止場衛門。「軍港逸見門」との銘板が掲げられている。最後にJR横須賀駅前にあるヴェルニー記念館を見学した。ここは無料の観覧施設となっていて、横須賀製鐵所の創世記に導入されて、最近まで現役で活躍していた蒸気鍛造器(スチームハンマー)が展示されていて一見の価値がある。蒸気を動力としてシリンダーピストンを駆動して巨大なハンマーを上下させ、打撃によって鉄を鍛える鍛造機である。蘭国製とのことであって平成の世まで現役で使用されていたとの事。あいにくの雨模様であったが、京急汐入駅からJR横須賀駅前の間に広がるヴェルニー公園を観光し、横須賀線の電車に乗り継いだ。
2008年12月03日

先の三連休(11/22~24)を利用して伊豆大島を訪れた後に伊東に行き、行程が支離滅裂ではあるが先日の旅行(11/1~3)で行き漏らした横須賀市の未踏部へ行くことにした。伊豆大島から熱海行きの高速船に乗り熱海から陸路伊東へ乗り継ぎ一泊した。伊東駅を降り立つとこの地を代表する高級ホテル「ハトヤ」と「聚楽」の送迎の法被姿の人も待っていた。最近見かけることが少なくなった光景ではあるが、温泉地の最寄り駅に降りたときにこういった人達が居ると観光地に来たなあと言う雰囲気は盛り上がると思う。ハトヤは「♪伊東に行くならハトヤ」の歌で知られるテレビCMが殊に有名であった。伊東温泉は無色透明な湯であったが良く暖まった。翌朝駅までの帰り道、伊東港付近を散策してみた。このあたりは何処へ行っても干物屋さんが多い。だいぶ前に熱海で干物を買って帰ったことがあった。たいへんお値段も良かったが味も極めて良く目から鱗であった。近くのスーパーなどで安く売られている干物とは全く別物であり驚いた。 伊東港2葉。(2008/11/24) 天気はあまり良くない。 伊東港から初島を望む。初島はリゾートアイランドとして知られている。その後徒歩で伊東駅へ行く。 温泉の玄関口としての駅。東京から普通列車の他に特急列車も乗り入れる。また下田までを結んでいる伊豆急行線の起点駅でもある。伊東駅を出て熱海駅で快速列車に乗り継ぐ。戸塚で下車して先日の旅行(11/1~3)で行き漏らした横須賀の未踏部を目指す。地下鉄で上大岡駅を経由して京急線で横須賀中央駅へ。徒歩で市内にある横須賀海軍カレー屋を目指す。前回の旅行で行き漏らした店である。 海軍カレーで有名な店である横須賀「魚藍亭」。横須賀市は海軍カレーで町おこしをしている。周知の通りカレー文化は印度を植民地としていた英国、その英海軍を範とした旧帝國海軍によって日本に導入され広まった。明治来の軍港である横須賀がその発祥の地であるとのことである。横須賀海軍カレーはきちんとした定義があって以下の基準を満たすものでないと駄目とのことである。(以下はhttp://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/curry/index.htmlより引用)材 料: カレー粉、小麦粉、肉(牛肉または鶏肉)、人参、玉葱、馬鈴薯を入れる事。調理法: カレー粉、小麦粉を炒ってルーを作ること。 提供法: 原則として、カレーライス、牛乳、サラダの3点 セットで提供。 薬味にチャツネを付けること。 魚藍亭の「元祖よこすか海軍カレー」。定義通りサラダと牛乳付きであった。カレーは"元祖"以外にも種類があるが、明治時代の海軍レシピに最も忠実なのが元祖との事である。様々な香辛料に慣れてしまった現代人の舌には、ちょっと辛さ控えめなカレーとも思えた。余談ではあるが海軍カレーの材料はそのまま肉じゃがの材料にもなるそうである。確かに肉、人参、玉葱、馬鈴薯は肉じゃがでも使用する。もっともこの肉じゃがも龍田揚げと並んで帝國海軍発祥のレシピとして有名である。 カレーで腹を満たした後に店の至近にあるドブ板通りを散策する。スカジャンと呼ばれるジャンパーはこのドブ板通りで専ら売られていたものが発祥らしい。沖縄、佐世保、三沢などと同様に米軍が居る街なので異国情緒がある通りでもあった。そのまま徒歩で京急線の汐入駅方面へ向かう。この後は前回やはり見落としたヴェルニー公園散策と軍港巡り遊覧船に乗ることになっている。
2008年12月02日

この三連休(11/22~24)を利用して、東京都の離島である伊豆大島と、ここから最も近い本土である伊豆半島の伊東市を訪れてみた。(その7)間伏地区の砂の浜を観光後に、地層断面と呼ばれる名所にむかう。ここは道路の開削工事に伴って発見された見事な地層面が露出している場所である。 「間伏地層断面」バウムクーヘンのような見事な露頭である。私は地質系の知識は無いので褶曲なのかなんだか良く判らない。 同じく間伏地層断面。駐車場が近くにないので車の場合は路側帯に停めて観光するほか無い。こう言うときにバイクは小さいので気楽である。うねりが続いているような地層である。案内看板によると褶曲でな無くて堆積によるうねりとの事。 海の方を眺めてみると、大島の南に浮かぶ利島と新島が見える。円錐形の島が利島でその右側にある平べったい島が新島だそうである。この辺りだと特に利島は大きく見える。 ついに元町まで戻ってきた。桟橋の先にある元町港燈台を写してみる。小振りな燈台である。この元町港からは東京や久里浜、熱海方面など各種船舶が発着する。風が強いので桟橋も浪をかぶって濡れていた。 振り返って山の方を写す。この三原山ももう少しで見納めである。このアングルからの三原山が一番落ち着いて見える気がする。お世話になったレンタルバイクを返却して熱海行きの船に乗ることにする。これで大島ともおさらばである。駆け足であったが色々楽しめた。今日は元町方面の風が強い為に船舶の運航は岡田港となっている。元町港から路線バスに乗って岡田港へ行く。 今日の船は虹色に塗られた高速船であった。熱海までたったの45分である。お値段も特急料金なのか片道五千円もする。揺れもなく快適な船の旅であったが、ほとんど寝ていたので途中の記憶がない。熱海入港を告げられて目を覚ますと、眼前に熱海の温泉ホテル街が聳えていた。(明日に続きます)
2008年12月01日
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