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隠居人はせじぃさん
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六斗の広見。
広見というのは、藩政時代、延焼を防ぎ大火としないための町づくりの一つとして
設けられたものであり、金沢のあちこちにあったと。
そう言えばひがし茶屋街の入り口、柳の木があった場所が広見ではないかと思い出す。

地名は加賀国住人林六郎光明の郎等六動太郎光景に由来し、
ここから六動林、六斗林、六斗になったといわれている。
重要伝統的建造物群保存地区に選定されていると。

寺町界隈の案内図。

泉野菅原神社。
二代利長の夫人・永姫こと玉泉院が前田家長久のため、建武元年に金沢に天満天神堂を建立し
越中新川郡の浄禅寺12代住職・其阿南水を招き別当としたことがはじまり。
藩政時代には月次の会として連歌を祈祷のために行っていたと。

玉泉寺。
二代利長夫人であり織田信長の五女・玉泉院が、三代利常に請うて玉泉院を創建。
境内の奥には、玉泉院の供養塔と言われる五輪塔が残されているとのこと。

国泰寺。
タカジアスターゼを開発したり、アメリカのワシントンに桜を送った人として有名な
高峰譲吉博士の菩提寺である臨済宗の寺。

そしてお目当ての妙立寺(みょうりゅうじ)裏口より入る。

加賀藩第三代藩主前田利常が創建した。複雑な建築構造と外敵を欺く仕掛けから、
忍者寺(にんじゃでら)とも呼ばれる。「忍者寺」は本寺院の登録商標。

妙立寺正面。

天正13年(1583年)、藩祖前田利家が金沢に入城すると、政治の理念を日蓮宗・法華経の
中道精神に求め、藩を守護する祈願所を建立。
寛永20年(1643年)、三代藩主利常が金沢城の近くから移築建立。

本堂は、幕命で3階建て以上の建物は禁止されていたことにより、外観は2階建てに見えるが、
内部は4階建て7層になっている。

電話予約した観光客が、寺の内部見学の為行列していた。

柱には何故か象の彫刻が。

妙法弘布とは広く、日蓮の教えを一般に告げ知らせることか。

本堂の屋根の先端部分にあるギヤマン(現在はガラス)張りの見張り台。
以下の写真はパンフレットより。

加賀平野を遠望でき、敵の動きをいち早く察知できるとのこと。

謁見の間・主茶室。
当山中、最も格式の高い部屋で歴代藩主が専ら用いた。五畳半大名茶室が附属。
![midokoro06[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/33f50a800cea1c6776f60b9be68cb42d27f1d4da.15.2.2.2.jpg?thum=53)
本堂の階段群。
中2階、中々2階があり、部屋数は23、階段数は29もある。

深さはおよそ25mほど。茶水に利用される。水面上には横穴があり、金沢城へ続く
そのため、庫裏の各部屋はこの井戸を中心に構成され、どの部屋からもロープを
使い井戸へと逃げることができるのだと。
しかし、当時の技術では犀川を越えて地下通路を掘るのは困難とされ、横穴が
金沢城へと続いているかは定かではないと 。


雪の重みを分散するためで、北陸の豪雪に耐えるための仕組みと。

本堂の階段群にある渡り廊下に見せた階段。床板をはずすと落とし穴になり、
下男部屋へ通じている。
落とし穴に落ちると、階下で待ち伏せている下男により、攻撃される仕組みになっている。

物置の戸を開けて床板をまくると、階段があり外へ逃げることができる。
外から堂内に逃げ込む際には、板に溝が刻まれているため、引き戸を閉めることで
“自動ロック”がかかり開かない仕組みになっている。

正面の突き当たりにある階段。蹴込(けこみ)の部分に障子を張って明かりを取り、
外敵の足の影を見て槍などで倒すことができる。

忍者寺の見学を終え、徒歩にてホテルまでの帰路に。
加賀水引の店 津田。

結納品。
日本人にとって、結納や祝儀袋などに掛けられる水引細工や折型は
無くてはならないものですが、津田左右吉が水引細工を始めた当時はどの折型も平面的。
それを現在見られるような立体的なものへと変化させ、芸術の域にまで高めたのが津田左右吉。

水引細工の中でも大型な方の作品、牡丹(ぼたん)

神名宮の樹高33m、幹周7.83m、枝幅25mの大ケヤキ。

犀川大橋。

そして見事な加賀漆器の数々。




そしてホテルに戻り一休みし。堅町にある鮮魚店へ夕食に。
神戸から一人でそして車を自ら運転し来られた同年代のご婦人と同席し
美味しい魚を食べながら楽しい夜を過ごしたのであった。
江戸東京博物館へ(その10) 2026.05.27
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.05
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.04