JINさんの陽蜂農遠日記

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2015.08.11
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カテゴリ: 国内旅行

九州新幹線も停車する鹿児島市内の交通の起点・鹿児島中央駅と、

市内随一の繁華街・天文館は1.5km程離れていて、酷暑の下での徒歩では

微妙に遠い距離。しかしながら、「時標」(ときしるべ)という7種の像が建設され、

それらを順番に巡れば、薩摩の歴史が分かるとのガイドブック情報から、

面白そうなので、実際に全部徒歩にて巡ってみました。

多くの偉人を輩出したここ鹿児島市。「時標(ときしるべ)」は近代日本に影響を与えた

薩摩の人々を、より身近に感じるために、人と場所、出来事を結びつけて紹介する

新しい街歩きのガイド。歴史を動かした人々の思い、活躍した様子を体感できたのです。 

廻った順番は下記の順番ではありませんでしたが、時標1~7の順番で

紹介します。

像の横にはガイド板も置かれており、出来事の説明が英語、中国語、台湾語、韓国語で

その隣の面には登場人物の紹介と誕生地を示す地図また薩摩年表によるその出来事が

色を変えて示されており、歴史上の位置づけが理解しやすいようになっていた。

( 時標 1) 1863年「イギリス艦、鹿児島湾に現る」(加治屋町交差点) 

      大山巌、西郷従道、山本権兵衛

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イギリス人に死傷者を出した生麦事件を解決するため、翌、文久3(1863)年、

イギリスは薩摩に7隻の艦隊を派遣した。

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いわゆる薩英戦争の始まり。イギリス艦隊入港の知らせを聞いて、

大山巌、西郷従道、山本権兵衛も港へ急いだ。

驚きから口を開けて、イギリス艦の出現を見に駆け付けようとしている

走る姿がリアルであった。

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( 時標 2)1858年「樺山、黒田、大いに語る」(高見馬場交差点)

      樺山資紀、黒田清隆

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安政5(1858)年、幕府の大老に井伊直弼が就任し、将軍継嗣問題で、薩摩藩主島津斉彬を

含む一橋派と激しく対立。

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樺山資紀や黒田清隆など多くの薩摩の若き志士たちが、藩や日本の将来について

日々語り合ったと。

左は後に初代台湾総督になる樺山資紀、右は後に第2代内閣総理大臣になる黒田清隆。

二人のやりとりが聞こえてきそうであった。

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( 時標 3)1914年「黒田清輝、桜島の噴火を描く」(商工会議所ビル前)

      黒田清輝、弟子(山下兼秀)

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大正3(1914)年、鹿児島に滞在していた黒田清輝は桜島の大噴火に遭遇。

創作意欲を刺激された黒田は、この爆発を主題に絵を描いた。

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一連の絵は現在、鹿児島市立美術館に収蔵。

噴火中の桜島をスケッチするため、黒田は弟子(山下兼秀)と共に港に向かったと。

黒田清隆の心配そうな顔が見事に表現されていた。

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( 時標 4)1866年「龍馬、お龍と薩摩でひと休み」(いづろ交差点)

      坂本龍馬、龍

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慶応2(1866)年、薩長同盟締結直後に坂本龍馬は京都の寺田屋で負傷。

小松帯刀や西郷隆盛の勧めにより温泉で傷を癒すため、妻のお龍とともに

薩摩を訪れた。

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小松別邸に滞在し、霧島にも訪れた。

これが日本初の新婚旅行といわれていると。

お龍の坂本龍馬を見つめる顔が印象的。

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( 時標 5)1779年「重豪、薩摩の科学技術の礎を築く」(天文館・ぴらもーるアーケード)

      島津重豪、家臣(水間良実)

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安永8(1779)年、島津家第25代当主島津重豪は天文台の

明時館(天文館)を設置し、薩摩暦を作成した。

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重豪はそのほかにも藩校造士館や医学院などを創設。

その先進性は第28代斉彬に継承され、明治維新への基礎を築いた。

重豪は自らも家臣(水間良実)と共に天文について語り合ったと。

立っているは島津重豪で、座っているのは家臣の水間良実。

ここに天文台が設置されたことから、この繁華街は今でも天文館と呼ばれている。

二人の空を見つめる顔が技術屋そのもの。

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( 時標 6)1860年「伊地知、吉井、政変について語る」(中央公園南側)

      伊地知正治、吉井友実

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幕府と改革派の覇権争いの中、安政7(1860)年に起きた桜田門外の変で

井伊大老は暗殺され、幕府は勢力を弱めていった。

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ここ薩摩の伊地知正治、吉井友実、大久保利通ら精忠組(誠忠組)の間でも、

この政変をめぐって様々な議論を重ねていたと。

伊地知正治、吉井友実の苛立ちと焦りの表情が見て取れたのであった。

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( 時標 7)1869年「ウィリス、高木に西洋医学を説く」(県民交流センター横)

     ウィリアム・ウィリス、高木兼寛

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江戸駐在の医師ウィリアム・ウィリスは、明治2(1869)年に薩摩藩に招聘され医学校長となり、

赤倉病院を創設。イギリス式医学教育を行い、西日本における医学の中心を築いた。

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現在の東京慈恵会医科大学を創設した高木兼寛もここで学んだと。

医師ウィリアム・ウィリスが弟子高木兼寛に語る姿に自信が溢れていた。

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時標

出来なかったが、この様なストーリー&発想での取り組みは日本ではあまり

見たことが無く、面白いそしてユニークな取り組みなのであった。

日本の城下町等、古い歴史を持つ街の新しい街歩きのガイドとして、

水平展開して欲しいと感じたのであった。

それにしてもこの日の夕方は、酷暑に負けずに鹿児島市内を慌しく

歩き回ったのであった。






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Last updated  2015.08.11 14:06:51
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