PR
Keyword Search
New!
Gママさん
New!
隠居人はせじぃさんComments
Calendar
養命寺から車で5分強で皇大神宮に到着。
正式名称は「皇大神宮」であるが「烏森神社」や「神明宮」とも呼ばれている神社。
高校時代は、この付近をクラブの練習で走った場所。
一の鳥居前を左折し参道沿いを駐車場に向かう。

車を降り二ノ鳥居を潜り本殿に向かう。

「相模国土甘郷(とかみごう)総社皇大神宮 由緒」
第53代淳和天皇の御代天長9年(832年)、御社殿造立の記録があり、勧請の時期は
更にどれほどさかのぼるべきか詳らかではないが、創建の極めて古いことは明らかである。
天喜3年(1055年)、元亨2年(1322年)、天正13年(1585年)、昭和60年(1985年)と
造営を重ねられている。
御祭神は天照皇大神、相殿に天手力男命、天太玉命、天児屋根命、天宇受売命、石凝刀売命を
奉斎している。

境内配置図。

毎年8月17日に行われる皇大神宮例祭で披露される山車の蔵。

祭りのすべての行事が半日で終わるため、「 いっとき祭 」、また、「 鵠沼のバカ祭 」といわれている。
山車は、昔は各町内に保管され、町を巡行したというが、今は神社の境内に9台分の蔵が造られ、
境内で組み立てたあと、神社から200mほど離れたところへ引き出し、約1時間かけて神社へ巡行する。
境内に整列した山車は、神社の神事にあわせ、囃子を演奏し競演する。神事が終わると、
山車も即分解され、境内のこの蔵へ格納されるのだと

社務所で頂いた案内書から転写。
町内毎に異なる山車が9台。山車の頂上には有名な武士・天皇が。
宮前の那須与一、上村の源頼朝、清水の神武天皇、宿庭の源義経、苅田の徳川家康、
大東の楠木正成、中東の浦島太郎、原の日本武尊、堀川の仁徳天皇の順番で山車が
境内に集まるのです。

山車は、一本の柱(一本柱)を台輪に立て、それに高欄・人形などを固定してある。
高欄は3段で3層であるが、4層(4段の高欄)に見える。2・3段の高欄と人形が一本柱に固定され、
その高さが約8mもあるため、山車が動くたびにゆさゆさと揺れ、極端にいえば各高欄と人形が
別の方向に揺れているように見えることもある。また、高さの割にホイールベースとトレッドが短く
地面の凸凹が拡大されて揺れが大きく、山車が引かれるときのこの揺れも見所である。
子供の頃、祖母に連れられてこの神社の近所に住む叔母の家に行きこのお祭りを
楽しんだことを想い出したのであった。
現在でも珍しい山車、囃子の演奏・競演が楽しい祭りなのであるが、
開催日は今でも毎年8月17日と固定されているため久しく見ることが出来ないのであるが
是非今年は!!。

三ノ鳥居の前の階段を登り本殿へ。

手水舎。

狛犬。

1104年(長治元年)には、鎌倉権五郎景政がその所領大庭荘を開拓し、伊勢神宮に寄進した
ことから「大庭御厨」と呼ばれるようになり、大庭御厨の総鎮守として尊崇を集めたと。

源平合戦の屋島の合戦で、平氏の掲げた扇の的を見事射抜いたという那須与一が
弓と矢を奉納したとも伝えられているのだ。

境内には樹齢600年の巨木など樹木が多く、かって烏が多く棲んでいたことから
「烏森神社」ともいわれているのです。
境内社の石楯尾神社(いわたておのじんじゃ)が本殿の左側に。
この皇大神宮の社伝によると、現皇大神宮の建立以前に石楯尾神社があったとされると。

伊勢ノ宮。

稲荷神社。

豊受稲荷神社。

山王社。

恵比須の宮。

藤沢七福神の恵比寿様が。

豊受ノ宮。

境内にはお参りの方々の姿も増えてきた。

社務所。

各種の絵馬や御札。

御朱印を頂きました。


江戸東京博物館へ(その10) 2026.05.27
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.05
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.04