PR
Keyword Search
New!
隠居人はせじぃさん
New!
GママさんComments
Calendar
横浜・桜木町で起きた電車事故で亡くなられた103人を供養する桜木観音の
横には「三寶荒神祈祷殿」の看板が。

三寶荒神祈祷殿への参道石段と赤地に「三宝大荒神」と白抜きされた多くの幟。
見えにくいが「穴熊稲荷大明神」の横に記入されている「白字会」とは
総持寺の文字担当のグループの名前とのこと。

三寶殿への参道階段を上っていくと右側ににあるのが穴熊稲荷大明神。
穴熊とはイタチ科の動物で狸に似ている。狸汁は穴熊を使うという。
稲荷信仰は、仏教と習合して、人々の心のよりどころであり、
また狐に跨がり剣と宝珠を持つ姿で五穀豊穣をもたらし、福の神として、
ひろく信仰されていると。

穴熊稲荷大明神の幟。

朱の鳥居が並びその先に穴熊稲荷大明神の小さな社殿が。

「自由党追遠碑」(大正10年(1921年)銘)。
西園寺公揮毫。立憲旧友幽明会の建立。裏面に総裁故板垣退助、会長大江天也、
幹事長斎藤珪次、建碑委員長杉田定一らの名が刻まれている。杉田は自由党結成に参加し、
立憲政友会結成にも尽力、第一次西園寺内閣のときに衆議院議長を務めた。
立憲政友会は自由党の流れをくんでいた。

總持寺三門を丘の途中から。

「宮崎丸 常陸丸 平野丸 欧州戦乱殉難会員之碑」。
大正3年・第一次大戦勃発第一次大戦で撃沈された宮崎丸、常陸丸、平野丸の犠牲者を
悼む殉難船員の碑。
日本郵船の商船5隻がドイツ海軍の攻撃で多くの犠牲者が発生したと。
大正7年に建立。幅が約 1.5 m ,高さ約 4.5mの大きな石碑。筆は東郷平八郎。

「殉難船員之碑」(大正8年(1919年)銘)。
別の大きな石碑の表面に“殉難海員之碑''と横書きされ,下に”八坂丸“から”徳山丸“までの
5隻が撃沈された日時と海域が細かい漢文で刻まれていた。
裏面には各船の犠牲者の名前が彫ってあった。

平成23年3月11日の東日本大震災は、奇しくも曹洞宗大本山総持寺が石川県・能登から
この関東の鶴見の地に移転してから丁度100年目に当たる年であったと。
東日本大震災から6年となった今年の3月11日、県内各地で追悼行事が行われ、
多くの人が鎮魂の祈りをささげた。

被災地への慰霊と早期復興の祈りを込めて建てられた「祈りの鐘」には、
多くの拝観者が鐘を鳴らし、手を合わせたと。
色彩豊かな千羽鶴と共に。

平成救世観音。
大本山總持寺の境内、仏殿横に平成20年6月に建てられていた聖観世音菩薩像は、
三門そばのこの丘の上に平成23年3月に移設され、新たに「平成救世観音」と名付けられた。
観音像は東北方面を向いて設置され、震災犠牲者の慰霊と被災地復興を祈り続けると。

日本郵船・巴野莱吉氏の像。
この場所には日本郵船関連の石碑(慰霊碑)、石像が多いのであった。

ここにも日本郵船関連の「小松原安吉君 坂本鍵造君 双魂碑」。

「ラッド博士之碑」。
日本の心理学の草創期において活躍した外国人。
明治時代伊藤博文の補佐をし、外国人として初めて「旭日勲章」を授かった人。

そして一番奥まで三寶殿への参道が続いていた。
總持寺の守護神は荒神様(三大荒神)。

三寶殿(さんぼうでん) 。
總持寺三世太源宗真禅師(普蔵院開基)の成徳道風を敬慕した難陀竜王が
禅師の血脈(禅師の法戒)を授けられた。そのお礼に荒神を奉納したと。
禅師は、これを受けて当本山の鎮護の神として、永久に仏・法・僧の三宝を
守護する三寶大荒神として祀られたことに由来すると。

「三寶殿」の扁額。

様々な色のダルマが描かれた絵馬。
ダルマの色には下記の意味があるようです。
赤:家内安全・開運吉祥
緑:身体健勝・才能開花
黒:商売繁盛・事業繁栄
青:学業向上・才能向上

平成29年、酉年の絵馬。
右には「平成二十九年丁酉歳」の文字が。
十二支とは「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・ 酉 ・戌・亥」。 酉 は10番目。
ところで十二支の「支」に注目です。これ 酉 は「干支(かんし、えと)」の支。
では「干支」の「干」は何なのか。それは十二支とはまた別にある十干というもの。
「甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・ 丁 ( ひのと) ・戊(つちのえ)
己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(つちのえ)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)」。
これが十干なのです。
これを毎年順番に繰り返しています。
2017年は4番目の 丁 (ひのと)の年。
つまり、干支は十干と十二支を組み合わせたもので作られているので、
2017年はただの酉年ではなくて、「 丁酉(ひのととり) 」 の歳と言った方が正確なのです。
十干の10種類と十二支の12種類ですから組み合わせは「10×12=120通り」となります。
ですが、干支は60通りしかないのです。
何故ならば組み合わせがあるのは「十干の偶数番目×十二支の偶数番目」と
「十干の奇数番目×十二支の奇数番目」。
「十干の奇数番目×十二支の偶数番目」と「十干の偶数番目×十二支の奇数番目」の
組み合わせはないのです。例えば、「甲子」はありますが、「甲丑」はないのです。
よって干支は60通りしかないのです。よって干支は60年で1周し元に戻るのです。
60通りの理由は陰陽五行説にあるようですが詳細は
【 http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n277929 】を参照ください。
「還暦(かんれき)」とは干支(十干十二支)が一巡し誕生年の干支に還ること。
人の年齢について言う場合が多く、数え年61歳(誕生年に60を加えた年)を指すのです。
因みに1950年生まれの私は【庚寅(かのえとら)】で還暦は遠い過去の出来事。

三門の東を登った小高い丘陵を雙眸丘(ふたみがおか)と言う。
大梵鐘が、この丘にあった。

大鐘。
大正2年(1913)に、1万6千人ほどの願いや祈りを淨財にして鋳造され、
関東一の大きさを誇る。
鐘銘は独住4世・石川素童禅師、勧進元は後に9世の伊藤道海禅師。
平成7年(1995)秋に横浜市指定文化財に。
この鐘は重さが18.75トンもあり、大晦日には一般参詣者も、
この大梵鐘を撞くことができると。

芭蕉菴桃青像。
芭蕉230年追悼碑、大正12年11月建碑。
裏面にある句の一つ「総持寺の鐘や五月の晴れ上がるー春鶴」。

「大坂事件記念碑」。
大阪事件とは、1885年に起こった自由民権運動の激化運動の一つ。
この付近には政治色の強い多くの石碑が並んでいた。

丘を下りると左手に、梅壽庵(ばいじゅあん)と香炉舎その後ろに水子地蔵尊 。

梅壽庵。
水子供養の相談ごとや慰霊者の受付所。
梅壽庵の本尊は地蔵願王大菩薩。

また、梅壽庵横に水子地蔵尊が祀られてあり、参詣の方が多く献花が。

江戸東京博物館へ(その10) 2026.05.27
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.05
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.04