JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 予約時に保養所から確認の電話があるけど…
JINさん@ Re:再び大涌谷へ(05/16) Dさんが申し込んで下さいましたが、朝食を…
オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

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2017.03.24
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カテゴリ: 国内旅行

梅寿庵前のロータリーからの向唐門(むかいからもん)またの名を「勅使門」。

總持寺は、後醍醐天皇から「日域無双の禅苑たるにより、曹洞出世の道場に補任す」との

綸旨を賜り、以後、歴代天皇より勅願寺として仰がれたので、「勅使門」の名を

残しているのだと。

禅師の入山式や、正月・7月のみたままつり・11月の移転記念日の時に開扉されると。

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切妻造,檜皮葺の四脚門で,前後に唐破風を付けている。

木鼻や頭貫など彫りの深い細部を備え,両側面の花狭間や組物間彫物などが精緻。

桁行約6mと大規模で,両側に築地塀が延び,仏殿前方の重厚な景観を形造っていた。

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そして広い大駐車場の奥まで歩を進める。

大駐車場はかっては竜王池という名の綺麗な池であったとのこと。

ネパール旅行の時に見たストゥーパ(仏塔)の如き慰霊碑。

紋章の上に「大学」の文字が。何の慰霊碑? 

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鶴見事故慰霊碑。

鶴見事故とは、昭和38年(1963年)11月9日午後9時40分、東海道線新子安・鶴見間の

滝坂不動踏切から、鶴見寄り約500m地点で、脱線転覆した下り貨物列車に衝突した

上り横須賀線電車が脱線し、さらにさしかかった横須賀線下り電車が衝突した

三重衝突事故である。この事故は死者161名、重軽傷者119名の犠牲者を出す大惨事。

私が中学1年の時の出来事、国鉄に勤めていた父にも動員がかかったことを覚えている。

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「日本同志援助中国革命追念碑」 

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2代目の放光観音(ひかりかんのん)像

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放光観音像は、本山が能登から移転後15年ほど経った大正14年、本山としての寺容も

整ったことと、 大事業が滞りなく進んでいることを感謝して建てられたものだと。

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畜霊塔。 

と殺された狂犬病犬や動物たちの霊も慰霊することを目的とし,募金運動を展開し

昭和3(1928)年12月18日供養 式を開催・除幕したとのこと。

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寒緋桜 (かんひざくら)、別名「緋寒桜」(ひかんざくら)も赤い蕾を。  

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釣り鐘状の花が特徴で、葉は秋になると紅葉すると。

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「雲水群像」。 

雲水群像は昭和49年(1974)寶物殿前に建立された。

雲の行くまま、水の流るるままの拓鉢遍路をして精進する僧を、雲水と呼ぶ。

彫刻家・矢崎虎夫氏が透徹した禅の精神と情熱を傾倒して制作されたのが、

この「雲水群像」であると。

昔、フランス・パリを訪れた時に、ヴァンセンヌの森にも同じ像があったのではと???

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宝蔵館「嫡々庵(てきてきあん)」(旧、宝物殿)は金色に輝く擬宝珠(ぎぼし)を

頂いた建物で、開祖瑩山禅師650回大遠忌の記念に建立。

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向唐門を内部から斜めに。

泥土をつき固めて作った塀・築地塀(ついじべい)のレンガ色?が

美しかった。

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黄金の菊の紋が2つ。 

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向唐門から三松閣(さんしょうかく)の屋根が。 

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中雀門(ちゅうじゃくもん)。

中雀とは、鍮石(ちゅうじゃく)、 つまり真鍮の異名、昼を表すのだと。 

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右手奥には香積台(こうしゃくだい)が。 

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中雀門に近づくと門の奥に仏殿(ぶつでん)が見えて来た。 

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百軒廊下(ひゃっけんろうか)。

長さ164m。東西の殿堂群をつなぎ合わせて、外苑と内苑とを分ける廊下。

通称「百間廊下」と呼ばれていると。廊下の途中にはそれぞれ、

朝を表す「金鶏門」(東)、昼を表す「中雀門」(中央)、夜を表す「玉兔門」(西)と

呼ばれる脇門(通用門)があるのです。  

中雀門は潜る事が出来ない?構造なので玉兎門を潜り歩を進める。

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左手の木々の奥には、七堂伽藍の重要な堂宇に大僧堂が。

大僧堂は、雲水僧が集まり来るという意味で「雲堂」、また仏祖を選出する道場の意から

「選佛場」、あるいは古木然として兀坐を行じているので「古木堂」などの名称があると。 

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百軒廊下の下を潜る通路も。

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玉兎門(ぎょくともん)。 

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百軒廊下の階段部分。 

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振り返って中雀門を見るとその先に向唐門が。 

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仏殿(ぶつでん)。

七堂伽藍の中心部に配置されている殿堂で、「大雄宝殿(だいゆうほうでん)」とも

呼ばれています。

中央の須弥壇上に禅宗の本尊である釈迦牟尼如来(坐像、木彫)を祀っています。

如来は、死の恐怖、病気、四苦八苦など様々な衆生の悩みや苦しみを救済するため、

その具体的な請願によって出現される仏です。尊像は、右手を施無畏印、

左手は与願印の印相をしている。

この印相は、人々の不安をとり除き、あらゆる願いをかなえてくれる大慈悲の心を表現。

ご本尊の脇侍として向かって右は比丘相の迦葉尊者、左には若年美顔相の阿難尊者。

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放光堂(ほうこうどう)。

明治44年(1911)11月5日、總持寺が能登から移転されて、最初に法要が厳修された

記念すべき建物。この堂宇は安政年間(1850年代)に山形・鶴岡の総穏寺本堂として

建立されたが、總持寺移転に際して特別に献納された由緒があり、当時は、大祖堂として

中心的な役割を果たしたのだと。

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鐘鼓楼は放光堂から衆寮に通じる回廊の中にある。

禅門の行・住・坐・臥、日常生活の合図は、すべて言葉ではなく梵鐘、木版、

雲版、太鼓などの打楽器群の合奏によって、全山に休まず有時を刻み、報知されると。

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蟇股(かえるまた)と欄間(らんま)に施された、浪形のみごとな彫刻。

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北部玉兎門を潜る。

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左手に墓所案内所か?

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墓所案内図。

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入口に「石原裕次郎氏の墓処」と書かれた札が立っていた。

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広大な墓地を案内に従い奥に向かって歩く。

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再び案内板。

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石原裕次郎さんが永眠している墓。

中央に岡山産の御影石の五輪塔が。 

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昭和62(1987)年07月17日 午後4時26分、肝癌のために死去 享年52歳。

入口の左右の石には「裕次郎」と刻まれていた。今年ははや没後30年。

元東京都知事の兄の最近の姿をどう感じているのであろうか? 

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「美しき者に微笑を 淋しき者に優しさを 逞しき者に更に力を 

全ての友に思い出を 愛する者に永遠を 心の夢醒める事無く」 と

石原裕次郎の墓の石碑には、冒頭の石原まき子夫人の詩が刻まれていた。

「日本中で最も愛された男」と称された石原裕次郎のポリシーは、

「人の悪口は絶対に口にするな、人にしてあげたことはすぐ忘れろ、

人にして貰ったことは生涯忘れるな」だったと。 私は反省しきり!!

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戒名:陽光院天真寛裕大居士。

私の戒名は「陽蜂院菜遠楽仁大居士」か??(笑)。

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Last updated  2017.03.24 06:33:14
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