PR
Keyword Search
New!
隠居人はせじぃさんComments
Calendar
大殿の地下にある宝物展示室へ 。

常設展では、イギリス王室が保管している「2代将軍の墓所模型」 と
増上寺に奉納された幕末の画家狩野一信の作「五百羅漢図」10点が展示されていた。
徳川幕府の第2代将軍秀忠の墓所で、70年前の空襲で焼失した国宝建造物
「台徳院殿霊廟(れいびょう)」の実像を唯一知ることのできる精巧な模型が英国で見つかり、
徳川家康の没後400年目を機に4月から、霊廟のあった増上寺(東京・芝公園)で
公開されることになったのだ。
模型は実物の10分の1(幅約4m、奥行き約5m、高さ約2m)で、1910年(明治43年)に
ロンドンで開かれた日英博覧会の展示品として当時、東京市が著名な彫刻家、高村光雲ら
東京美術学校の専門家の監修で製作した。
展示後、模型は英王室直属機関のロイヤル・コレクションに渡っていたのだと。

東京タワー。

常設展B1入口。

五百羅漢のポスター。

2代将軍の墓所模型の屋根部。

狩野一信の五百羅漢図。
江戸末期から増上寺に秘蔵されてきた五百羅漢図は、平成23年に江戸東京博物館で
全100幅が初公開され、翌年にはアメリカ・スミソニアン博物館でも公開されるなど、
大きな話題となったと。

10幅ずつを順次公開中とのこと。
第 1幅~10幅 1月 1日(日)~ 4月17日(日)
第11幅~20幅 4月26日(水)~ 8月28日(月)
第21幅~30幅 8月30日(水)~12月25日(月) とのこと。

「台徳院霊廟」の模型は明治時代にロンドンの日英博覧会に出品されそのままになっていた。
精巧に分解修理され模型の展示方法に工夫がなされ室内も見学できたのであった。

4曲一隻の書。

『観空』。

柳田泰雲の書。

幻想的な作品。

「四季」 。縦2.5m、長さ25m、1974年の作品。

篠田桃紅の作品。1913年(大正2年) 生まれ、103歳と。

第1~10幅は羅漢の日常の暮らしぶりを表す場面が描かれていると。

再び外に出て、大殿の裏に向かう。
巌谷小波句碑。
「桜咲く 日本に生まれ 男かな」
1911年に作った文部省唱歌『ふじの山』の作詞者としても知られる他
『一寸法師』も小波の作詞であると。

大殿の裏は広い墓地。

大納骨堂(舎利殿)。
昭和8(1933)年に建立され、御本尊は高村光雲氏作をもとにした地蔵尊像。
戦災の難を逃れた数少ない建造物で、昭和55(1980)年に現在地に遷座、
開眼供養が厳修されたと。

貞恭庵(ていきょうあん)。
十四代将軍徳川家茂公御正室、皇女和宮ゆかりの茶室。
「貞恭」とは和宮さまの法号から名付けられていると。
四畳半二間の茶室からなる建物で、昭和55(1980)年に移築・改修。

庵の横には穏やかな中に厳しさを秘めた観音様。

貞恭庵を裏口から。

圓光大師堂(えんこうだいしどう)。
平成21(2009)年9月に竣工。
建築様式は木造平屋建、妻入入母屋造、軒唐破風付吹放し向拝の意匠を施した
和様の伝統建築。
圓光大師とは、浄土宗の開祖、法然のこと。
大本山の京都知恩院から法然ゆかりの遺物をもらい受け、それを奉納している。

圓光大師堂と書かれた扁額。

こちらが圓光大師堂の正門。
増上寺景光殿(旧広書院)表門。
桟瓦葺の屋根を持つ一間一戸の四脚門(平唐門形式)。
一時期、明治42年(1909)の火災により移転した護国殿の中雀門として、
三解脱門を入った左手に立地していたが、建築当初の位置は明らかではないと。
現在地には昭和53年(1978)に移築。

墓地と大殿との連絡通路。

法然像(=御幼名・勢至丸さま)。

光摂殿(こうしょうでん)。
平成12(2000)年、「心を洗い、生きる力を育てる」ための講堂、道場として完成。
三縁山広度院増上寺境内に三解脱門から入って大殿の左側、増上寺会館との間に位置する。
館内には108畳敷もの大広間があり現代日本画を代表する120名による天井絵は
四季折々の草花をテーマで目に触れた人を極楽浄土を想像させるものになっている。
また、光摂殿は増上寺の境内に三か所有る式場の一つで、それぞれ使い方が決まっていると。
参列者が500名までは「慈雲閣」で1000名までが「光摂殿」1000名以上になると
「大殿」と言う事になると。参列者が500名とは相当な人物?

光摂殿と大殿の間に東京タワーの姿が。

「光摂殿」と書かれた扁額。

増上寺会館(寺務所)。
昭和36(1961)年に竣工した増上寺会館の老朽化に伴い、法然上人八百年御忌に向けた
境内整備事業の一環として、平成11(1999)年に建立。
東棟・中棟・西棟の3棟からなる会館で、寺務所機能のほか、大食堂や和洋2種の各個室は
参拝や法事、研修や修養会で来られる多くの方々に利用されていると。

「今日もまた 南無阿弥陀仏 すかりなは 導き受けて 日々に新たに」

経蔵。
徳川幕府の助成により建立。内部中央に八角形の輪蔵を配する、九間半四面、
土蔵造の典型的な経蔵で、都の有形文化財に指定されています。
家康公が増上寺に寄進した宋版、元版、高麗版の各大蔵経が収蔵され、
これは国の重要文化財に指定されていると。

宝形造は、仏堂の屋根の隅棟が中央に集まり、四角錐に反りをもたせたような形。
少し先のとがった丸い玉(宝珠)や、その下に四角な台(路盤)を載せていた。

慈雲閣(じうんかく)(開山堂)。
この御堂は、平成元年(1989)増上寺開山・酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人の
550年遠忌記念事業の中心として、戦災で焼失した開山 堂の再建を企画、建築。
二階中央には聖聰上人像、両脇にはその師・聖冏(しょうげい)上人像と
中興の聰観智国師像が安置。現在は葬儀や年中行事など、多目的に利用できる設備。

増上寺会館東口。

黒門を内側から。
慶安年間(1648~1652年)、三代将軍家光公の寄進・建立。
御成門交差点付近の芝公園・みなと図書館・御成門小学校一帯にあった
増上寺方丈の表門であった旧方丈門。明治時代に増上寺方丈に北海道開拓使の
仮学校や海軍施設が置かれ、その後芝公園となったおり、鐘楼堂脇に移築したものを、
昭和55(1980)年に通用門としてここ日比谷通り沿いに移築したと。

土木建築殉教者慰霊塔。

黒門を日比谷通り側から。

江戸東京博物館へ(その10) 2026.05.27
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.05
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.04