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増上寺黒門を出て右に曲がって進むと、増上寺の建物群からぽつんと離れて
旧台徳院霊廟惣門(きゅうたいとくいんそうもん)があった。
増上寺山内の南端に位置する台徳院霊廟は、寛永9年(1632)に造営されたもので、
2代将軍徳川秀忠の廟所。
芝の徳川家霊廟の中で、最も規模が大きく、地形の起伏を利用した壮麗な建築群を
誇っていた。しかし、昭和20年(1945)の戦災に際して、罹災を免れたのはわずかに
この惣門、勅額門、御成門、丁字門のみで。
惣門が現地に保存され、それ以外の門は狭山不動寺(埼玉県)へと移築されて現存。
台徳院霊廟惣門は2代将軍徳川秀忠(台徳院)の霊廊惣門で3代将軍徳川家光が
建立させたそうで、左右に金剛力士像を配置した立派な門。
朱漆塗りの入母屋造八脚門で朱色が鮮やかで美しく歴史を感じたのであった。

惣門自体が重要文化財の上、左右に配置されている木造仁王像は
港区の有形文化財に指定されており、風格十分。
阿像。

吽像。

惣門を潜り反対側から。

三間一戸の八脚門.屋根は入母屋で,前後に唐破風。
唐破風には多くの黄金の徳川家・葵のご紋が。

水路跡。

更に日比谷通りを進むと右手に芝東照宮(しばとうしょうぐう)が。

祭神は徳川家康。神体は徳川家康寿像。
旧社格は郷社。日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮と並ぶ四大東照宮の一つとされる。

増上寺の脇の道まで戻ると目の前に東京タワーの姿が再び。

東京タワーの下の道を進むと前方に愛宕グリーンヒル森タワー愛宕マークヒル等の
高層ビルの姿が見えた。

右手には東京プリンスホテル。

芝公園三丁目の交差点を左折すると、左手にあったのが雲晴院。
浄土宗寺院の雲晴院は、松浦肥前守室(雲晴院尼)が檀主となり寛永10年(1633)建立、
増上寺十七世照譽上人了學大和尚が遊學院と号して開山、後年法名より雲晴院と改号したと。

聖観世音菩薩像。

左手に鎮座する石仏。

本堂。

「雲晴院」 と書かれた扁額。

愛宕グリーンヒル森タワー、愛宕マークヒルと虎ノ門ヒルズ森タワー。

愛宕グリーンヒル森タワー、愛宕マークヒルの間にあるのが青松寺(せいしょうじ)。
青松寺は、港区愛宕二丁目にある曹洞宗の寺院。山号は萬年山(ばんねんざん)。

山門の扁額には「青松禅寺」 と緑の地に青の文字で。

山号の「萬年山(ばんねんざん)」と書かれた扁額も。

山門の両脇には、薮内佐斗司作の仁王像が立っていた。
左右、それぞれに向かい合って2体ずつという配置は永平寺で見たことがあったが、
珍しいのであった。
四体の像は「四天王」(してんのう)と呼ばれ、仏教世界観の中の須弥山(しゅみせん)の
頂上に住まう帝釈天に仕え、仏法を守護することを念願としていると。
それぞれの足元には、仏の示す親切がまだ分からない邪鬼を踏みつけているのだ。
![jcl34r_gjRLgM-0[1]_R.JPG](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/d1256d317cf822387d9993da098cadb32485cac4.15.2.2.2.jpg?thum=53)
増長天(ぞうちょう)。
世界の南方を守護する。五穀豊穣を司る。やり、戟を持つ。

広目天(こうもく)。
浄天眼をもって観察し、世界の西方を守護する。
悪心をいさめ、仏心を起こさせるはたらきを司る。筆と巻子を持つ。

反対側にも。
![ss3[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/3b20efc492833db8ff0e3bc61fb4fbce66511415.15.2.2.2.jpg?thum=53)
左は多聞天(たもんてん)。
夜叉を率いて世界の北方を守護する。毘沙門天ともいう。
仏の道場を護って説法に耳を傾ける。剣と宝塔を持つ。
また福徳を司るとして個別に信仰されている。

右は持国天(じこくてん)。
世界の東方を守護する。国を支える役を司る。
芝というこの様な場所に、この様な大きな四天王を奉る立派な寺院があることに
感激したのであった。

中雀門。

本堂。
本尊は釈迦牟尼如来、脇侍に文殊、普賢の両菩薩を従えていると。

「萬年山」と書かれた扁額。

本堂前の仁王像・阿像。

吽像。

右手に観音聖堂。
ここは礼拝堂とのこと。
自己の内面と向かい合い、観音様の優しいまなざしに包まれて、穏やかなときを
すごすことのできる空間であると。

「観音聖堂」 と書かれた扁額が。

坐禅堂の西側におわす観音菩薩像。

愛宕神社交差点角にあったのが伝叟院。

曹洞宗寺院の伝叟院は、愛宕山と号す。
伝叟院は、青松寺第十世十洲補道大和尚が開山となり、正保3年(1646)に開創。

現在曹洞宗大本山総持寺の出張所を兼務している模様。

この寺は大正大震火災の際本区横死者の火葬場となつた場所であると。

境内には百十数人の無縁の精霊を弔ふ為建設された、震災記念聖観世音菩薩像が立つ。
此銅像は總高一丈六尺、帝室技藝委員高村光雲、並に山本瑞雲の原型を高橋凌雲が鋳造し、
対象十五年九月一日に開眼供養したと。
![111881743[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/9093161af8e5884b5a44f9bb47c29c56dd4e8638.15.2.2.2.jpg?thum=53)
境内には別の石仏も。

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