JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 予約時に保養所から確認の電話があるけど…
JINさん@ Re:再び大涌谷へ(05/16) Dさんが申し込んで下さいましたが、朝食を…
オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

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2018.09.17
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カテゴリ: 国内旅行
先週の金曜日(9/14)に卒業した会社の業務応援の為の打ち合わせに、
五反田に向かいました。
1時間ほど早く自宅を出発し、小田急線、田園都市線、東急大井町線を乗り継ぎ
九品仏駅で途中下車し、以前から気になっていた『浄真寺(じょうしんじ)』を
訪ねたのです。



九品仏駅の踏切を渡ると、直ぐに正面に浄真寺への参道入口が現れた。



浄真寺参道と刻まれた大きな石碑。
浄真寺は東京都世田谷区奥沢七丁目にある、浄土宗の寺。
山号は「九品山」。「九品仏」(くほんぶつ)とは、一義的には、同寺に安置されている
9
転じて、同寺の周辺の地区を指す場合にも用いられているのであった。



「禁銃猟 警視庁」の石碑
「この辺りでは銃を使っての猟は禁ずる」という警視庁が出した明治時代の告知。



『九品仏参道界隈』と書かれた案内図。



ズームで。




石畳を松の林が両側を覆っている趣ある参道を進む。
入り口の参道は「二河白道(にがびゃくどう)」を表しているのだと。
火の河と荒れ狂う河に挟まれた白い細い道、白道は浄土往生を願う信心の道で
一心不乱に念仏を唱えて極楽浄土へ渡ろうということを意味していると。
樹齢30年近い?黒松の間に次世代を担う黒松の苗木も植樹されていた。



200m近く歩くと正面に見えてきたのが総門。







中央に「寄進庚申供養」の文字が刻まれた石碑が。



総門。
九品山唯在念佛院浄真寺(くほんさんゆいざいねんぶついんじょうしんじ)は浄土宗寺院。
越後国村上泰叟寺の珂碩(かせき)上人を請うて延宝6年(1678)に創建されたもの。



扁額には「般船場(はんじゅじょう)」と書かれていた。

参拝者に願往生の心を自然に発さんが為に書かれたものであると。
当山二世珂憶上人の高弟珂慶上人の筆とのこと。



総門柱の厚い板に書かれている「九品佛浄真寺總門」。書体は新篆書体か?



総門を潜ると右手に多くの地蔵が。



そして奥には六地蔵が並んでいた。
六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天)の入口に立ち、衆生の苦を救うと言う
有り難い地蔵様たち。



左手には新たな建物?が建設中。



その先右手に閻魔堂が。



「閻魔堂」と書かれた扁額。



閻魔堂の中央には閻魔様が。



厳しいお顔の閻魔様。
今からでも真面目に改心すれば、認めてくれるのだろうか?



葬頭河婆(そうづかば)
三途川の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の姿。
奪衣婆(だつえば)、脱衣婆(だつえば)、正塚婆(しょうづかのばば)、姥神(うばがみ)
優婆尊(うばそん)とも言うのだと。
頭河婆が剥ぎ取った衣類は、懸衣翁(けんえおう)という老爺によって
衣領樹(えりようじゆ)にかけられる。
衣領樹に掛けた亡者の衣の重さにはその者の生前の業が現れ、その重さによって
枝の垂れ方が異なるので、亡者の生前の罪の重さを計る事により死後の処遇を決めるのだと。
罪の重い亡者は三途の川を渡る際、川の流れが速くて波が高く、深瀬になった場所を
渡るよう定められているため、衣はずぶ濡れになって重くなり、衣をかけた枝が
大きく垂れることで罪の深さが示されるのであると。
また亡者が服を着ていない際は、懸衣翁は衣の代わりに亡者の生皮を剥ぎ取るという恐ろしい話。
奪衣婆は閻魔大王の妻であるという説もあるのだと。
私の衣類は枝が大きく撓るのであろうか?



「愛心講講元 鳥海はま先生 頌徳碑(しょうとくひ)」



延命地蔵が乗っている江戸十夜講の三界万霊塔。



そして突き当たりを右に折れると東門が。
東門の外に出て入口側から。



東門の扁額。
何と書かれているのであろうか?
『釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心』??



以前訪ねた大阪・四天王寺の鳥居の扁額にも同じような文字が。
その時の写真です。当時、調べてみると
「釈迦如来が説法する所で、極楽の東門である」という意味なのだとか。



「九品佛浄真寺東門」。
東横線・自由が丘駅から来るとこちらの門に辿り着くようだ。



東門を再び潜り仁王門への参道を進む。



右手に開山堂への中門が。



浄真寺山門脇には土塁とともに「奥沢城跡」と刻まれた石碑が。
浄真寺の地は、もともとは世田谷吉良氏系の奥沢城であったのだと。
小田原征伐後同城は廃城となったが、寛文 5 年( 1675 年)に当地の名主七左衛門が
寺地として貰い受け、延宝 6 年( 1678 年)、珂碩(かせき)が同地に浄真寺を開山したと。



「紫雲楼」と呼ばれている仁王門(楼門)。
建立は1793(寛政5)年で屋根以外は大掛かりな修理の痕跡がないということから、
当時そのままの構えのようだ。
楼門ということで、二層に分かれ、下層は通路の両側に金剛力士像を据えている。
上層は中央に須弥壇が設けられていて、お面かぶりで有名な阿弥陀如来像および
二十五菩薩像が参拝者を迎えるように安置されているそうだ。
当山の伝統相続行事である「二十五菩薩来迎会(らいごうえ)」(お面かぶり)は
無形文化財に指定せられ、この楼上の二十五菩薩は、来迎の真髄を示現していることになると。



「紫雲楼」と書かれた扁額。



仁王像(阿形)。



ズームで。



更にズームで顔を。



仁王像(吽形)。



ズームで。



更にズームで顔を。



桁行3間(8.1m) 梁間2間(4.2m)、入母屋造、銅板葺。



見事な仁王門正面の竜虎の彫り物は金網に守られて。



仁王門の裏側のガラス戸の中には風神が。



雷神。



仁王門を潜ると左手にあるのが鐘楼。
鐘は、宝永5年(1793)世田谷領の深沢、谷岡又左衛門の寄進で、作は、神田鍛冶町の
河合兵部郷藤原周徳である。



堂屋は欅造りで欄間には十二支がはられ、北に子、南に午が彫られている。




                 ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2018.09.17 17:52:51
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