JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

×

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

【筍を茹でたら 春巻… New! Gママさん

箱根一泊旅行 (その6… New! オジン0523さん

オオバナセイヨウバ… New! 隠居人はせじぃさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん
noahnoah研究所 noahnoahnoahさん

Comments

オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 予約時に保養所から確認の電話があるけど…
JINさん@ Re:再び大涌谷へ(05/16) Dさんが申し込んで下さいましたが、朝食を…
オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

Calendar

2020.02.01
XML

『旧東海道を歩く』ブログ 目次


その前に、案内札がありこの辺りが『鳴海宿 本陣跡』と。



「鳴海宿 本陣跡
鳴海は、江戸時代東海道五十三次の宿駅の一つとして栄えた。宿駅には、一般の旅人用の
旅籠屋とは別に、勅使・公家・大小名など身分の高い人が、公的に宿泊する本陣が置かれた。
鳴海宿の本陣は、ここにあり、幕末のころ、そのおよその規模は間口39m・奥行51m・
建坪235坪・総畳数159畳であった。
なお、天保14年(1843)の調査によれば、宿駅内には、家数847軒・人口3643人・
旅籠68軒(全体の8%)と記録され、当時の繁栄ぶりが推測される。
また、予備の脇本陣は、二軒あった。」



更に旧東海道・県道222号線を進む。



右手にあったのが『曹洞宗 如意寺』の参道。



『山門』。



『如意寶珠寺』と青く書かれた扁額。



『鐘楼』。



鐘楼脇の観音像。



寄進者の名が。



『本堂』
『如意寺』は、康平2年(1059)上ノ山に青鬼山地蔵寺として創建され、応永5年(1398)
東区長母寺の無住国師が現在の場所に移転し、その後、応永20年(1413)如意寺と改称した。
本尊は伝定朝作の一丈六尺地蔵菩薩で、昔正月に歩射の行事で蛤を放生したので
蛤地蔵の名がある。また江戸時代時の鐘を鳴らし別名鳴海寺ともいわれている。
境内には、飢饉のとき地蔵尊の足元から蛤が出てきて村人を救ったという蛤地蔵尊が
安置されている。山門脇にはせき地蔵尊が祀られた弘法堂もある。



本堂に掛かる『頭護山』の扁額。



『地蔵堂』。



『蛤地蔵菩薩』と書かれた標札。



地蔵堂に掛かる『遊戯三昧(ゆげざんまい)』の扁額。



蛤地蔵尊が祀られた地蔵堂内陣。
蛤地蔵は毎年正月24日、近在の漁師が山のように蛤を捧げ、放生する風習があったからと
言われており有名であると。



何が書かれていたのであろうか?



街道に戻ると名古屋市の『アメンボマンホール蓋』が。
アメンボは水のあるところへ素早く飛んで行く。
また、渓流など清流のある水域にも生息するため、水道・下水道のイメージにもぴったりと。



『作町』交差点を右に。



作町のT字路を右へ曲がり進む。



この日は11月23日・勤労感謝の日で日本国旗を出す民家。



古い民家の板壁には『東海道鳴海宿』に関する書物の紹介であろうか。



『東海道 鳴海』。




右手にも美しい作りの民家が。



そして『三皿』交差点を渡り右折し県道36号線を進む。



その先、左手にあったのが『長翁寺』の『山門』。



『本堂』。
曹洞宗の『白龍山長翁寺』
『長翁寺』は、永正7年(1510)鳴見町薬師山の地に創建されt、天正年間(1573-91)に
現在地へ移転した。本尊の薬師如来は織田有楽が信長の念持仏を貰い受けたものと言われ、
織田薬師とも呼ばれている。



本堂に掛かる『覚王殿』の扁額。



『薬師堂』。



薬師堂に掛かる『醫王殿』の扁額。



境内の『水子地蔵尊』。



旧東海道に戻り更に進む。



長翁寺の先の街道は微妙にくねっており、町並みには連子格子の旧家が残っていた。



T字路信号交差点の右手に篤志家の寄進により設置された、寛政4年(1792)の常夜燈が建っていた。



『丹下町常夜燈』。



「丹下町常夜燈
鳴海宿の西の入口丹下町に建てられた常夜灯である。
表に「秋葉大権現」右に「寛政四年一一」左に「新馬中」裏には「願主重因」と彫られている。
寛政4年(1792)、篤志家の寄進により設置されたものである。
旅人の目印や宿場内の人々及び伝馬の馬方衆の安全と火災厄除などを秋葉社に祈願した
火防神として大切な存在であった。
平部の常夜灯と共に、鳴海宿の西端と東端の双方に残っているのは、旧宿場町として貴重である。」



傍らには 『安産守護子安地蔵大菩薩光明寺』 と刻まれた、大正15年(1926)の光明寺寺標が
建っていた。



『丹下町常夜燈』のT字路信号交差点を右に入ると、左手に曹洞宗の『一国山光明禅寺』が。
光明禅寺は、当初、真言宗の清水寺と称し鎌倉海道筋にあったが、弘治2年(1556)現在地に移転し、
瑞泉寺九世剛菴洞金大和尚が開山となり、曹洞宗に改宗し光明寺とした。



階段の上に『山門』が。



見事な『山門』。



山門の手前には、2体の地蔵菩薩が祀られた『地蔵堂』が。



『山門』には風神、雷神が祀られていた。
『風神』。



『雷神』。



『山門』に掛かる『天女』の扁額。



『山門』に掛かる『天女』の扁額。



境内のモミジも紅葉。



『本堂』。
本堂前には小型地蔵も。



『本堂』内部。



本堂に掛かる『光明寺』の扁額。



『手水舎』



手水舎に掛かる『大慈祠』の扁額。



文政4年(1821)の『手水石』。
篆書体(てんしょたい)で『洗心水』と刻まれているようであった。



裏の墓地。



『本殿』の右側に座禅の修行をする僧堂・『選仏場』。



そして境内の見事な黄葉。




                              ・・・もどる・・・

                   ・・・つづく・・・






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2020.05.01 19:31:58
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: