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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
『大木神社』一の鳥居の斜向かいに当たる民家の塀に、『東海道石薬師宿』の標札が貼ってあり、
鉄柵の隣に東海道53次之内石薬師宿の絵が描かれていた。
『廣重画 東海道五拾三次の内 四日市』。
『廣重画 東海道五拾三次の内 石薬師 石薬師寺』。
元旅籠だった家の壁には陶板で宿の町割りが再現されていた。
『石やくし宿江戸時代の軒並図』。
17.障子から のぞいて見れば ちらちらと 雪のふる日に 鶯がなく(五歳作)
18.むすべば 手にここちよし 清き水の 今もわきいづる わが産湯の井
19.ふるさとの 鈴鹿の嶺呂の秋の雲 あふぎつつ思ふ 父とありし日を
20.願はくは われ春風に 身をなして 憂ある人の 門をとはばや
程なく右手に『石薬師宿 小澤本陣跡』。
東海道石薬師宿は、元和2年(1616)幕命によって設立され、宿の名は当時有名であった
石薬師寺からとった。
この家の前には『小澤本陣址碑』があり、建物には鈴鹿市の小澤本陣跡解説が貼られており、
隣の家の前には石薬師地区明るいまちづくり推進協議会の小澤本陣跡解説が建っていた。
『小澤本陣址碑』。
「小沢本陣跡
東海道石薬師宿は元和2年(1616)幕命によって設立され宿の名は当時有名であった
石薬師寺からとった。 大名の泊る宿を本陣といい、小沢家がこれを勤めた。
屋敷は現在より広かったようである。残る文書も多く元禄の宿帳には
赤穂の城主浅野内匠頭の名も見える。 国学者萱生由章(1717-75)もこの家の出である。」
隣の家の前に建つ『小澤本陣跡』案内板。
「小澤本陣跡
東海道石薬師宿は元和2年(1616)、幕命によって設立された。 この時から、村名も
宿の名も「石薬師」となった。当時、石薬師寺が近郊近在に知れ渡っていたので、
寺名をとって村名とした。
大名が泊まるところを本陣といい、小澤家が本陣を勤めていた。 石薬師宿は小高い台地にあり
小澤本陣のまわりには高い松の木があったので、別名「松本陣」ともいわれていたという。
小澤家には当時の文書が多く残されており元禄時代の宿帳には赤穂の城主浅野内匠頭の
名も見える。」
『小澤本陣跡』を振り返る。
『小澤本陣跡』の隣に『天野記念館』があった。
天野修一翁はタイムレコーダーで名高いアマノ株式会社の創業者であり、記念館前に
天野修一翁揮毫の『天野記念館碑』が建っていた。
入口上の『天野記念館』表札。
「天野記念館
天野修一翁はこの記念館を昭和39年(1964)ふるさと・石薬師町本町のために建てられました。
天野修一翁はタイムレコーダーで名高いアマノ株式会社の創業者です。
前庭にある記念碑の「天野記念館」の文字は天野修一翁の揮毫です。
また、天野修一翁は鈴鹿市に奨学資金を寄贈して若人の育英に偉大な功績をあげられています。」
天野修一翁揮毫の『天野記念館』碑。
21.天地の あるじとなるも 何かせむ いかでまさらむ 此のゑひ心地
22.これのふぐら よき文庫たれ 故郷の さと人のために 若人のために
23.日本語 いく千万の 中にして なつかしきかも 「ふるさと」といふは
24.なげくなかれ 悲しむなかれ 日輪は 人間の上を 照らしたまへり
民家の立派な石塀。
『鈴鹿市立石薬師小学校』校門。
『石薬師小学校』の校門脇に『石薬師文庫』があった。
石薬師文庫は、昭和7年(1932)佐佐木信綱が還暦にあたり旧石薬師村に寄贈したものである。
以前からあった土蔵(今も裏側にある)を文庫とし、本建物が閲覧所として建設され、
伊勢国学に関する多くの版本や写本などを含む貴重な書籍が贈られた。
「石薬師文庫
昭和七年、佐佐木信綱が還暦にあたり旧石薬師村に寄贈したものである。以前からあった土蔵
(今も裏側にある)を文庫とし、本建物が閲覧所として建設され、伊勢国学に関する多くの
版本や写本などを含む貴重な書籍が贈られた。開所式には、明治の元勲田中光顕、
三重県知事などが出席された。本文庫は、神宮文庫と並び紹介されたりしている。























藤澤浮世絵館・「御上洛東海道と幕末の浮… 2020.08.14
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