JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.04.19
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カテゴリ: 大和市歴史散歩
【大和市の神社仏閣を巡る】目次

「宗川寺」を後にして寺の横の「橋戸197号線」を北上する。
直ぐ右手、石段の上ににあったのが「新道稲荷神社」。
横浜市瀬谷区北新26-20付近。



石段の途中から「社殿」を見る。
住所は北新(きたしん)であるが、名前には「新道」と近くの地名が。
北新は、「昭和57年の 町界町名地番整理事業の施行にともない、瀬谷町の
一部から新設した町。町名は、「北村」、「新道」の字名があり、 通称の
「北新」を地元の要望により採った」と。
昭和14年に瀬谷村が横浜市に編入合併され戸塚区の一部となり 昭和44年に




「内陣」。



そして更に進むと民家の塀に濃いピンクの「アセビ」の花。



更に住宅街を北上する。



「左馬神社」の手前の三叉路の中央が三角形状のロータリーの如くになっており、そこには
石碑が並んでいた。
瀬谷区橋戸3-20-6付近。



向かって左から、石祠、庚申塔、地神塔、道祖神の4基。



一番左の「石祠」。



「青面金剛刻像」。
上部に梵字。青面金剛が餓鬼をふみつけ、その下に三猿。



元禄十年(1697年)と古い建立。




明治四十三年(1910年)の文字が。



「文字型道祖神」。
明治四十四年(1911年)四月建立。
左側面には「橋戸講中」と刻まれていた。



その先に「瀬谷左馬神社」の石鳥居が。大正七年九月十日 建立と刻まれていた。




扁額は朱の文字で「左馬社」と。



「鐘楼」。



「梵鐘」。



「左馬社と梵鐘
その昔、境川流域の村々では、疫病が流行すると境川の東西に点在する神社をまわり、
厄除けをする民族信仰が盛んでした。(七サバ参り)
当左馬社は、「七サバ神社」と呼ばれるうちの一つであり、祭神は佐馬頭源義朝です。
隣接の真言宗西福寺が、この社の別当職であったので、当時の神仏混淆の姿が今日に残り、
神社の境内にある吊鐘は区内唯一のもので、厄除け、虫除けに鐘をついて祈願したとのことです。
梵鐘は江戸時代の文久元年(1861年)に鋳造されましたが、太平洋戦争の際供出したため、
昭和32年(1957年)氏子の協力によって新たに現在の鐘がつくられました。」



「神輿舎」。



「手水舎」。



「神楽殿」。



「社務所」。



狛犬・阿形像(右)。



狛犬・吽形像(左)。



そして「拝殿」。



扁額「左馬神社」。



「内陣」。



「境内社」の石鳥居。



境内社(右から豊受大神、稲荷社、天満宮、古峯神社)。



豊受大神。



稲荷社。



瀬谷天満宮。



古峯神社。



新しい石の方に「文塚」と。
「文塚」とは詩文などの草稿を埋めて供養や記念のために建てた塚とネットにはあるが。



そして次の目的地「西福寺」に向けて進む。
満開のこの桜の種類は?



既に散り始めていたが。



椿の花も豪華に。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2021.09.05 06:04:06
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