JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.05.31
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カテゴリ: JINさんの農園
そして、この日の主目的である埼玉県の「続日本100名城」の一つ「杉山城跡」の
駐車場に到着し散策開始。
埼玉県比企郡嵐山町杉山605。



「杉山城跡 大手口案内」。
市野川左岸の山の上に築かれた山城である。築城主は不明。地元豪族の金子主水の築城による
との伝承はあるが、文献資料にはあらわれない。従来、縄張りが極めて緻密で巧妙なため、
後北条氏の時代に造築されたものではないかとの見方が有力であったが、発掘調査にもとづく
考古学的な知見からは山内上杉氏時代の城である可能性が非常に強くなってきた。

いたが、後に発掘調査を裏付ける文書の提示により文献史学的観点を含めた見解の相違へと
深化している。



2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(119番)に選定された。



「杉山城跡保存会」の幟。



「杉山城跡 大手口」に向けて坂道を上って行った。



「杉山城跡」案内板。



この先道路の左側には「嵐山町立玉ノ岡中学校」があった。



そして右側の高台には「杉山城」の遺構が姿を現した。



ここを右手に。



案内に従い進む。



そして大きな「大手口」前の広場に到着。



「杉山城跡」案内板が前方に。



「国指定史跡 比企城館跡群
杉山城跡 --戦国期山城の最高傑作--
杉山城の概要
杉山城跡は鎌倉街道を見下ろす丘陵上につくられています。傾斜が急な切岸(きりぎし)、
各郭(くるわ)にめぐらされた横堀(よこぼり)と屏風(びようぶ)のように連続する折れ、
さまざまな形態の虎ロ(こぐち)などが複雑に組み合わされていて、高度な築城技術の粋を
集めたこの城は、実戦のための城としての風格をもち、戦国期山城の最高傑作と高い評価を
得ています。
城郭研究者やお城好き、歴史ファンの方々が県外からも訪れる隠れた観光スポットです。
これまで築城年代や築城者が不明でしたが、国指定文化財にむけた発掘調査で出土した土器など
から1 5世紀末から1 6世紀はじめ頃であることがわかり、さらに"杉山の陣"についての古河公方・
足利高基の古文書も発見され、関東中が戦乱となった長享・永正の乱において関東管領・山内
上杉憲房が扇谷上杉氏に対抗するために築城したということがわかってきました。
未だ、城郭の発掘調査が完了していないため、現在、保存整備計画も同時に計画中です。
新たな発見、整備にご期待ください。
国指定史跡 比企城館跡群
杉山城跡
 指定  平成20年3月28日
 時代  戦国時代( 1520年代ころ)
 築城者 上杉憲房(関東管領山内上杉氏)
 嵐山町大字中窪513ほか」



「杉山城跡 縄張図」。



「出郭(でぐるわ)
大手の前に配置された郭をいい、北側には低い上塁が見られます。
一見無防備な広い空間に見えますが、この説明板の部分には発掘調査によって
溝が掘られていることが分かり、大手には直線的に進入できないような工夫がされています。」



昭和30年代に描かれた「杉山城址図」。



平成に描かれた「杉山城址図」。



そして、「比企城館跡群 杉山城跡」、パンフレットを頂く。



「大手(出郭)」に向かって進む。



「大手(出郭)」案内。



ここにも「杉山城跡
この城跡は、戦国時代の城と推定される典型的な山城です。総面積は、約八へクタールに及び、
山の高低差を巧みに利用して十あまりの郭を理想的に配置しています。まさに自然の要害と
呼ぶにふさわしい県内で屈指の名城と評価されています。現存する遺構の保存状態も非常に良く、
複雑に入り組んだ土塁や堀によって構成される城構えには当時の高度な築城技術が偲ばれます。
「馬出」や「枡形」の塁線を屈曲させて構える「横矢がかり」の多用はその典型とされるものです。
また、城の立地についても、北方に越畑城・高見城と連絡し、西方全体に鉱倉街道を見下ろす
という絶好の条件を備えています。当時の社会情勢から判断して、杉山城と鉢形城とをつなぐ
軍事上の重要狹点の一つであったと考えられます。築城年代や城主名等に不明な点も多いですが、
地元では、松山城主上田氏の家臣杉山(庄)主水(もんど)の居城と伝えています。
この城跡は、すべて私有地であり地権者のご理解とご協力によって公開されているものです。
文化財保護にご理解いただき、利用、見学をしていただくようお願いいたします。」



「現在位置」。



「大手口」に向かって上って行く。



大手口
大手口は、左側へ細い通路を登ると外郭に入れますが、正面には高い土塁が立ちはだかっており、
左側は深い空堀がL字形にめぐって左方からの横矢掛かりが仕掛けられています。
また、防御だけでなく城内から反撃に転じることも想定して、右側にあるニ重の土塁奥の
空堀道と、その右方にある馬出しに伏兵をひそませておくことができるようになっています。」



現在地。



「大手口横矢掛かり イメージイラスト図
横矢掛かりとは?
虎ロや土塁に近づく敵を横から弓矢で射るために設けられた工夫で、郭の塁線を突出させる
ことで死角を無くすことができます。」



左側は深いL字形の空堀。
その奥下に「積善寺」の墓地が見えた。



前方に「外郭 馬出郭口」が見えて来た。



外郭 馬出郭口
外郭から南三の郭へ向かうには、馬出郭と呼ばれる小さな平場を通りますが、
こには空堀がありますので、本来は木橋を架けて渡らなければなりません。
この木橋は、敵の侵入に際しては、すぐに切り落とせるような簡易なものだったはずです。
この橋にも斜め上の南三の郭側からの強力な横矢が仕掛けられています。」



「堀に架かる木橋のイメージ 左は馬出郭」



右手上に木橋があったのだ。



「馬出郭」



馬出郭
馬出郭は、南三の郭と大手の間に位置する、堀で囲まれた小さな空間です。
南三の郭南虎口に向かい登っていくと左側の土塁が張り出しており、横矢掛かりが設置され、
防御の工夫を見ることができます。」
馬出とは?
虎ロ(門)前方に配置され堀で区画された小さな郭をいいます。
攻撃の際には一気に攻めだすために兵を招集したり、守りの際には敵の攻撃から虎口を
守るために兵の出入りを援護したりできるように造られた場所です。」



更に坂道を上って行く。



「南三の郭」。



「南三⇒南ニへの食い違い虎口」。



「食い違い虎口
南三の郭と南ニの郭の間の虎ロは、左右の土塁が平行にずれている虎ロ(食い違い虎ロと言います)
になっています。これも横矢掛りの変形で、敵の直線的な侵入を妨げ、ニの郭内部を見えにくく
する工夫です。」
「食い違い虎ロ
敵が侵入する際に直線で進入できないよう土塁を平行にずらして防御し、方向転換させ
行動を制限させるように工夫している虎口をいいます。
杉山城跡では、ここ1箇所だけに見られる虎ロです。」



そし「南ニの郭」の前方の丘に「本郭」が姿を現した。



ここが「南ニの郭」。



左手が「井戸郭」方面への堀。



堀を歩きながら「本郭」方面に廻り込んで行った。



左側の丘の上が「本郭」。



歩いて来た「大手口」方面を振り返る。



「東ニの郭」方向を見る。



そして「本郭」に辿り着く。



「本郭」。



「本郭」の正面方向を見る。




                              ・・・もどる・・・

                  ・・・つづく・・・





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Last updated  2021.05.31 14:51:04
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