JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

×

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

026年5月 京都府立… New! 隠居人はせじぃさん

【頂き物いろいろ】 New! Gママさん

箱根一泊旅行 (その8… New! オジン0523さん

エコハウスにようこそ ecologicianさん
noahnoah研究所 noahnoahnoahさん

Comments

清澄庭園@ Re:江戸・深川を歩く(その8)・清澄公園~清澄庭園へ(2/2)(07/21) New! 清澄庭園 清澄庭園 清澄庭園
オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 予約時に保養所から確認の電話があるけど…

Calendar

2026.02.27
XML
カテゴリ: JINさんの農園
ロイヤルコペンハーゲン製  「猫」陶板 」 



近づいて。
造形と表現
■1. 白の美学
   藤田嗣治特有の“乳白色”を、陶という異素材で実現。毛並みは細線と淡彩で、
   柔らかく立体的に浮かびます。
■2. 動勢の連鎖
   跳ぶ、転ぶ、絡む――一匹ごとの瞬間が連なり、画面全体がリズムを刻む構成。
3. 黒地との対比
   深い黒釉の背景が、白い猫の輪郭と動きを強調し、視線を自然に循環させます。



ロイヤルコペンハーゲン製
「猫」陶板
藤田 嗣治
FOUJITA Tsuguharu
(1886~1968)
セラミック



展示風景。



聖母子像
■ 1. 金地背景の宗教性
 背景一面の金色は、写実的な空間ではなく
 永遠性・聖性の場を示します。
 ビザンティン聖画や中世祭壇画への明確なオマージュです。
■ 2. 「藤田の白」による肉体
 聖母子の肌は、極端に白く、ほとんど発光するよう。
 これは単なる様式ではなく、
 俗世から切り離された存在として人物を示すための表現です。
■ 3. 優しさと距離感
 母子は抱き合っていますが、
 感情は抑制され、甘美さはありません。
 藤田は聖母を「理想化された母」ではなく、




聖母子像
藤田嗣治
Tsuguharu FOUJITA
(1886~1968) 」 



」 
■ 1. 「眠り」と「夢」を分けて描く構成
 画面下では、白く滑らかな裸婦が深い眠りに沈み、
 画面上部の闇には、
 「夢の中のイメージ(猫・獣・幻影)」が漂います。
 👉 現実と無意識が、一枚の画面で上下に分離されています。
■ 2. 藤田の線の力
 ここでは「藤田の白」以上に、輪郭線そのものの強さが際立ちます。
 身体:静かで連続する線
 夢の存在:ざわつき、歪み、断続線の質の違いが、理性と無意識の差を明確にしています。
■ 3. 官能ではなく、内省
 裸婦像でありながら、視線は誘わず、物語も語らない。
 この身体は見られる対象ではなく、夢を見る主体です。
 ここに、藤田独特の距離感があります。




藤田嗣治
Tsuguharu FOUJITA
(1886~1968)
リトグラフ




藤田の乳白色
パリのモンパルナスに住居を構えた藤田は、周りの画家たちの模倣を避け藤田自身の
スタイルを探します。日本人としてのアイデンティティを失わず、西洋の香りや技術を
まとった藤田がたどり着いたのは、乳白色と墨でした。
ほとんどのキャンバスは手作りでタルク(ベビーパウダーの主成分)が塗られており、輪郭は
面相筆というタヌキやイタチの毛が使用された非常に細い筆と墨を用いました。
藤田が求めた「つるつる」感を出すことに成功し、パリの美術界から絶賛を受けます。
また、藤田の下地については長年科学的な研究をされる程注目を集めています。」 



ロイヤルコペンハーゲン製  「カフェ」陶板
■ 1. 「前景」と「背景」を分ける構成
   画面前景では、 黒衣の女性がテーブルに肘をつき、頬杖をついて静かに座る。
  一方、背後の鏡の向こうには、 カフェの街路、給仕、通行人の気配が映り込む。
  👉 現在の思考と、都市の流動が、鏡を境に分離されている。
■ . 藤田の線の抑制
 ここでは「藤田の白」よりも、線の節度が印象を決定づける。
 女性の輪郭:細く均質で、感情を抑えた連続線
 背景の人物・街:軽く省略された、断片的な線
 👉 主体と周縁を、線の密度差で静かに区別している。
■ 3. 社交空間における内省
 カフェは本来、人が交わる場である。
 しかしこの女性は、誰とも視線を交わさず、語らない。
 彼女は見られる存在でありながら、
 意識は内側へ沈み込んでいる。
 👉 ここに描かれるのは、官能ではなく思索する沈黙である。
■ 4. 陶板という定着
 この都市の一瞬は、絵画ではなく陶として焼き付けられる。
 移ろう時間は停止し、藤田の線は「描写」から「定着」へと変わる。
 👉 都会的孤独が、永続する形を与えられている。
 


ロイヤルコペンハーゲン製
「カフェ」陶板
藤田 嗣治
Tsuguharu FOUJITA
(1886~1968)



Léonard Tsuguharu
FOUJITA
日本で生まれ育ち、フランスで開花した異才



藤田と女性たち
自由な精神で恋愛をしていた藤田は日本人2人、フランス人3人と結婚しました。

《ジャクリーヌの肖像》では、書かれているタイトルにより2人の親密さが
うかがえます。

 mon Jaqueline
Tu es béte
私のジャクリーヌへ
おばかちゃん

FoujitaのFouからフランス語で「Fou・Fou (クレイジー)と周囲から愛称を付けられるほど
彼の気質は自由奔放でした。」 



自画像 」 
■ 1. 正面性による構成
  画面は、顔をほぼ真正面から捉えた簡潔な構図。
  背景は省略され、装飾も語りもない。
  👉 視線は逃げ場を失い、描かれた「顔」と正対させられる。
■ 2. 線だけで成り立つ造形
  この自画像に色彩はなく、
  すべては鉛筆による一本一本の線で構成されている。
  髪:反復される直線的なリズム
  輪郭:迷いのない、しかし過度に強調しない線
  👉 自己を誇張せず、線の積み重ねでのみ存在を示している。
■ 3. 表情の抑制と距離感
  目は観る者を見返すが、感情は読み取れない。
  微笑でもなく、挑発でもない。
  この顔は、自分を語らず、
  同時に他者の解釈も拒んでいる。
  👉 自画像でありながら、心理描写を意図的に避けている。
■ 4. 「藤田像」の原型として
  丸眼鏡、短く切り揃えた前髪、細い口元。
  後年に定着する藤田のイメージは、
  すでにこの簡素な線描の中に現れている。
  👉 自画像とは、自己演出ではなく、自己の定義である。



自画像
藤田 嗣治
 FOUJITA  Tsuguharu
(1886~1968)
紙に鉛筆




ジャクリーヌの肖像 」 
■ 1. 顔を“正面性”ではなく“気配”で見せる構成
 胸像に近い距離で、顔が大きく置かれます。
 しかし真正面で勝負せず、わずかに横を向いた姿勢。
 背景は描き込まず、白い余白が人物の静けさを支えます。
 👉 目立たせるのではなく、そこに居る感じを残す構図です。
■ 2. 藤田の線:輪郭は冷静、表情は最小限
 輪郭線は細く均質で、顔の形をきっぱり決めすぎない。
 目と眉は明確だが、陰影は抑えられ、感情は説明されない。
 👉 “似せる”より、沈黙の表情を線で固定しています。
■ 3. 色の役割:官能ではなく「記号化」
 色は限られています。
 - ベレー帽の黒(あるいは濃紺)
 - 髪の淡い金色
 - 唇の赤
 - 首元のストール(赤・黄・緑などのアクセント)
 👉 肌の艶や肉感を描く色ではなく、人物を象徴するポイントとして置かれています。
■ 4. 親密さは“描写”より“書き添え”に出る
 左上にフランス語の献辞(贈り言葉)らしき書き込みがあり、
 この肖像が私的な関係の中で描かれたことを示唆します。
 それでも画面自体は、感傷に寄らず抑制されています。
 👉 親密さと距離感が同居するのが、藤田らしさです。


ジャクリーヌの肖像
藤田 嗣治
 FOUJITA  Tsuguharu
(1886~1968)
1927年

紙に水彩・鉛筆



婦人像
■ 1. 正面性による構成
 画面中央に、若い女性の顔がほぼ正面向きに据えられている。
 胸像形式で、背景はほとんど処理されず、
 人物は静かに浮かび上がる。
 👉 空間的広がりよりも、「顔」という存在そのものが主題である。
■ 2. 線と淡い陰影で成立する顔
 色彩は抑えられ、
 輪郭線とわずかな陰影によって顔が構成されている。
 線は細く、震えを抑えた均質な調子で引かれ、
 陰影も強い明暗対比を避けている。
 👉 量感よりも、静かな存在感が優先されている。
■ 3. 感情の抑制
 視線は正面を向きながらも、
 強く観る者を見返すわけではない。
 口元は閉じられ、
 表情はほとんど動きを持たない。
 👉 ここにあるのは劇的な心理ではなく、
  時間が止まったような内面の静寂である。
■ 4. 観察と理想のあいだ
 藤田はモデルを写実的に描きながらも、
 個別の人格を強調しない。
 顔は具体的でありながら、どこか普遍的で、
 「一人の女性」というより「女性像」へと抽象化されている。
 👉 親密さと客観性が同時に保たれ、
  見ることと描くことの距離が静かに保たれている。 



「婦人像
藤田 嗣治
 FOUJITA  Tsuguharu
(1886~1968) 」 
1929年
紙に鉛筆



褐色の髪の女
■ 1. 横たわる身体と画面構成
 画面には、横たわる裸婦が横長に配置され、
 身体は大きく引き伸ばされるように画面を占める。
 背景はほぼ無処理で、具体的な場面設定は与えられていない。
 👉 人物は物語の中に置かれず、身体そのものとして提示されている。
■ 2. 線の性格:鋭さと不安定さ
 身体は細く鋭い線で描かれ、
 線は均質ではなく、ところどころで震え、途切れる。
 輪郭は形を確定させるためというより、
 存在の不安定さを示すかのようである。
 👉 線は美しさよりも、緊張と脆さを帯びている。
■ 3. 官能よりも疲労の気配
 裸婦像でありながら、
 身体は誇張されず、視線も誘導されない。
 顔は伏せられ、表情は読み取れず、
 身体全体には力の抜けた気配が漂う。
 👉 ここにあるのは官能ではなく、消耗した身体の状態である。
■ 4. ジャンセン的身体観
 ジャンセンの人物は、
 しばしば苦悩や孤独を背負った存在として描かれる。
 この裸婦もまた、
 美の対象というより、生きる重さを負う肉体として現れている。
 👉 身体は表現であり、感情の容れ物でもある。 



褐色の髪の女
ジャン・ジャンセン
Jean JANSEN
1920~2013」 
紙に水彩・鉛筆 」 



シャンゼリゼ風景 」 
■ 1. 都市を「群像」として捉える構成
 画面全体に、人物の輪郭が重なり合うように配置され、
 明確な主役や中心は設けられていない。
 街路、街灯、建物の気配は示されるが、
 細部は意図的に曖昧に溶かされている。
 👉 シャンゼリゼは風景ではなく、人の流れとして描かれる。
■ 2. 色とマチエールの主導
 この作品では線は後退し、
 絵具の厚みと擦れが画面を支配する。
 灰色を基調に、
 橙や白、鈍い黄が断片的に浮かび上がる。
 👉 形を描くのではなく、都市の空気を塗り重ねている。
■ 3. 人物の匿名性
 人物たちは顔を持たず、
 誰かとして特定されることはない。
 歩く、立つ、集うという動作だけが残され、
 個性や物語は排除されている。
 👉 描かれているのは個人ではなく、都市に溶ける存在である。
■ 4. 織田廣喜のパリ体験
 織田にとってパリは、
 華やかな憧憬の対象であると同時に、
 異邦人として身を置いた現実の都市でもあった。
 この曖昧で濁った色調は、
 観光的パリではなく、生活の中の都市を示している。
 👉 美化ではなく、体感としてのシャンゼリゼである。



シャンゼリゼ風景
織田 廣喜
Hiroki ODA

(1914~2012)



噴水
■ 1. 中央に据えられた「噴水」という核
 画面中央に、白く立ち上がる噴水の弧。
 その周囲に人物が点在し、空間は左右へ緩やかに広がる。
 👉 風景は説明されず、噴水の動きが場の中心を成している。
■ 2. 形よりも色の滲み
 輪郭は明確に定められず、
 人物も背景も、絵具の重なりの中に溶け込む。
 灰緑を基調に、
 赤、白、黄が断片的に浮かび上がる。
 👉 描かれているのは形態ではなく、空気と湿度である。
■ 3. 人物の匿名性と距離
 人物は顔を持つが、表情は読み取れない。
 噴水の近くに集いながら、
 互いに関係を結ばず、視線も交わさない。
 👉 人は風景の一部として置かれ、都市の流れに吸収されている。
■ 4. 静かな時間の定着
 噴水は本来、音と動きを伴う存在だが、
 この画面では、その瞬間が静止している。
 水の跳ね上がりも、
 人の動きも、すでに過去の気配を帯びる。
 👉 織田は「出来事」ではなく、記憶としての都市を描いている。 



噴水
織田 廣喜
Hiroki ODA

(1914~2012) 」 



花をかざる 」 
■ 1. 身体の曲線を主題とする構成
 画面中央に、白い裸婦が大きく配置され、
 腕を上げ、首元に花を添える仕草が、身体全体の曲線を強調する。
 👉 動作は物語ではなく、形の美しさを導くために選ばれている。
■ 2. 輪郭線と面の処理
 東郷特有の滑らかな輪郭線が、
 身体を一筆書きのように包み込む。
 陰影は最小限に抑えられ、立体感は線と面の連続で示される。
 👉 肉体は重量を持たず、記号化された美として成立する。
■ 3. 官能の様式化
 裸婦像でありながら、
 視線は伏せられ、感情は外に向かわない。
 身体は触覚的ではなく、見るために整えられた形として提示される。
 👉 官能は感情ではなく、様式として整理されている。
■ 4. 東郷青児の女性像
 東郷の女性は、個人でも現実の人物でもない。
 夢、憧憬、装飾性が重ね合わされた存在である。
 この裸婦もまた、生身の身体ではなく、美の象徴として画面に置かれている。


花をかざる
東郷 青児
Seiji TOGO
(1897~1978)
キャンバスに油彩 」 



展示室の様子



パリのおまわりさん 」 
■ 1. 斜めの姿勢による構成
 人物は画面中央に立つが、正面を向かない。
 身体はわずかに傾き、足元は不安定で、安定したポーズは避けられている。
 👉 権威を示すはずの警官像が、均衡を失った姿として置かれている。
■ 2. 色と筆致の荒さ
 画面を支配するのは、濃い青と黒。
 色は塗り重ねられ、筆致は粗く、にじみ、擦れを残す。
 👉 形を整えるより、感情の痕跡が前面に出ている。
■ 3. 顔に集約される違和感
 帽子の下の顔は、誇張され、どこか歪んでいる。
 写実ではなく、戯画に近い処理。
 それでも笑顔には見えず、親しみよりも不気味さが先に立つ。
 👉 ここで描かれるのは個人ではなく、視線の圧である。
■ 4. 鴨居玲の「外部者」のまなざし
 鴨居にとってパリは憧れの都であると同時に、
 自分が完全には属しえない場所だった。
 この警官像は、秩序の象徴でありながら、異邦人の視線を受けて歪んだ存在として
 現れている。
 👉 描かれているのは都市の制度ではなく、外から見る権威である。



パリのおまわりさん
鴨居 玲
CAMOY Rey
1928~1985)
1970年
紙に墨・ガッシュ



日時計のある家
■ 1. 建物正面を据えた静的構成
 画面には、家屋の正面がほぼ真正面から捉えられ、
 人物は登場せず、動きも描かれない。
 窓、扉、壁面の配置が、
 静かな秩序として画面を支配する。
 👉 風景は出来事ではなく、佇まいとして提示されている。
■ 2. 線と色の簡潔さ
 輪郭線は過度に強調されず、
 色面もにじみを含んだ水彩的処理に留まる。
 黄土色の壁、赤褐色の扉や窓枠、
 灰色の下階部分が、穏やかな対比をつくる。
 👉 描写は説明的でなく、見る時間を促す簡潔さがある。
■ 3. 「日時計」が示す時間感覚
 壁面に控えめに描かれた日時計は、
 この家に流れる時間の在り方を象徴する。
 時計のように刻まれる時間ではなく、
 光と影によって移ろう時間。
 👉 ここで描かれるのは、測られる時間ではなく、感じられる時間である。
■ 4. 荻須高徳のパリ風景
 荻須の描く建物は、
 名所でも劇的な場面でもない。
 日常の中に埋もれた建物を、
 誇張せず、静かに見つめる。
 👉 異国の都市を、生活の単位として捉える視線が貫かれている。



日時計のある家
荻須 高徳
OGISU Takanori
(1901~1986) 」 



眺望 」 
■ 1. 高所から見下ろす構成
 画面は高い位置からの視点で組み立てられ、
 前景から中景、遠景へと、土地と建物が連なっていく。
 道や斜面が視線を奥へ導き、街全体が一つの面として広がる。
 👉 個々の場所ではなく、広がりとしての風景が主題となっている。
■ 2. 筆触と色の重なり
 この作品では、明確な輪郭線は後退し、
 厚く重ねられた絵具と筆触が画面を支配する。
 緑、茶、赤、青が交錯し、色は整理されず、せめぎ合うように置かれる。
 👉 風景は描写ではなく、積層された視覚体験として現れる。
■ 3. 建物と自然の混在
 家屋や教会らしき建物は見えるが、
 それらは風景の中に溶け込み、主張しすぎない。
 自然と人工の境界は曖昧で、どちらも同じ絵具の流れの中にある。
 👉 人の営みは、大きな地形の一部として扱われている。
■ 4. 浮田克躬の風景観
 浮田の風景は、名所の再現や記録ではない。
 一瞬の印象、視線の動き、その場で受け取った感覚を重ねて定着させる。
 👉 「眺める」という行為そのものが、作品の核となっている。



眺望
浮田 克躬
Katsumi UKITA
(1930~1989)
キャンバスに油彩
1989年絶筆 」 



冬の木立
■ 1. 水平に広がる静かな構成
 画面は横長に広がり、低い地平線の上に、冬枯れの木立が連なって立つ。
 人物や出来事は前面に出ず、風景は静止した状態で保たれている。
 👉 視線は動かされるのではなく、留め置かれる。
■ 2. 抑制された色と筆触
 色調は灰褐色、黄土、鈍い緑に限られ、鮮やかさは意図的に排されている。
 筆触は厚みを残しながらも、激しさはなく、地面と空気を静かに積み上げる。
 👉 冬の冷気が、色の節度として現れている。
■ 3. 木立がつくる時間の感覚
 葉を落とした木々は、季節の終わりや停滞を思わせるが、
 荒涼ではなく、どこか持続の気配を帯びる。ここにあるのは劇的な冬ではなく、
 続いていく時間の一断面である。
 👉 自然は感情を語らず、ただ在り続ける。
■ 4. 浮田克躬の風景観
 浮田の風景は、名所や印象的瞬間を切り取るのではなく、日常の中に沈む景色を
 すくい上げる。
 この《冬の木立》もまた、見る者に解釈を迫らず、黙って受け止める場を用意している。



冬の木立
浮田 克躬
Katsumi UKITA
(1930~1989) 」 



赤い花とみかん
■ 1. 色面を前面に押し出す構成
 画面上部を覆う濃い赤紫の色面が、空間全体の雰囲気を決定づける。
 その下に、花とみかんが横に連なり、静物でありながら、奥行きよりも広がりが
 意識されている。
 👉 形より先に、色の場が立ち上がる構成である。
■ 2. 筆触とマチエールの存在感
 花も果実も、明確な輪郭では捉えられない。厚く重ねられた絵具が、盛り上がりや
 擦れとして残り、物の形を半ば溶かしている。
 👉 描写は説明ではなく、触覚的な痕跡として成立している。
■ 3. 静物に宿る緊張
 花は咲き誇るというより、重く沈み、画面に留まっている。
 みかんの黄色は明るさを持ちながらも、全体の暗い色調に飲み込まれ、単純な明暗の
 対比にはならない。
 👉 ここにあるのは安らぎではなく、静かな緊張である。
■ 4. 彼末宏の静物観
 彼末の静物は、日常の対象を愛でるためのものではない。
 花や果実を通して、色と物質、時間の堆積を画面に留める。
 👉 静物は「見る対象」ではなく、画面の中で呼吸する存在となる。


赤い花とみかん
彼末 宏
KANUSUE Hiroshi
(1927~1991)
1980年

キャンバス・油彩 」 



赤鬼と青鬼と48の羅漢
■ 1. 二極構造による画面構成
 画面左右に、巨大な赤鬼と青鬼が対峙するように配置され、
 その足元に、無数の羅漢像が帯状に並ぶ。
 左右の鬼は色・形・性格を異にしながら、
 画面全体の緊張を支配している。
 👉 世界は一つではなく、対立する力の均衡として示される。
■ 2. 色彩と線の過剰
 赤と青の強烈な対比、
 背景に敷き詰められた装飾的パターン、
 細密に描き込まれた人物群。
 どこにも余白はなく、
 視線は画面内を休みなく彷徨う。
 👉 静けさではなく、情報と刺激の氾濫が主題となっている。
3. 羅漢という存在
 下段に連なる48体の羅漢は、
 それぞれ異なる表情と姿態を持ちながら、
 個として際立つことはない。
 鬼の圧倒的なスケールの前で、
 彼らは集合としてのみ機能する。
 👉 ここでの羅漢は救済者ではなく、状況を見守る群衆である。
■ 4. 村上隆の宗教と現代
 仏教的モチーフ(鬼・羅漢)は、
 信仰の対象としてではなく、
 現代社会の寓意として再構成されている。
 善悪、力、恐怖、滑稽さは混在し、
 明確な結論は与えられない。
 👉 神話とポップ、崇高さと消費文化が、同一平面に並べられている。 



Mr. DOBtopus A 」 
■ 1. キャラクターを核にした立体構成
 村上隆の分身的存在である「Mr. DOB」が、タコの姿へと変容した立体作品。
 大きく開いた口と誇張された眼が正面性をつくり、触手は放射状に広がり、空間へ侵入する。
 👉 彫刻は台座に留まらず、周囲の空間を巻き込む存在として成立している。
■ 2. 表面の光沢と人工性
 表面は滑らかで強い光沢を持ち、手触りや素材感は徹底的に排除されている。
 色彩はピンク、赤、白を基調に、ポップで甘美な印象を与える。
 👉 ここでは彫刻的量感より、商品的完成度が前面に出る。
■ 3. 可愛さと不気味さの同居
 丸みのある形状と鮮やかな色は親しみを誘うが、異様に大きな口や、ずれた視線を
 持つ眼は不安を生む。
 可愛さと恐怖、無邪気さと攻撃性が同時に存在する。
 👉 感情は一方向に収束せず、違和感として残される。
■ 4. 村上隆の世界観
 Mr. DOBは、日本のアニメ文化、消費社会、そして戦後のトラウマを内包した存在である。
 この作品では、キャラクターが彫刻化され、鑑賞と所有、芸術と商品の境界が曖昧になる。
 👉 作品は信仰でも批評でもなく、システムそのものを体現する。



Mr. DOBtopus B 」 
■ 1. 正面性を強めた構成
 《A》に比べ、正面からの印象がいっそう強調され、大きく開いた口が画面の中心を占める。
 触手は前方に突き出し、鑑賞者の領域へ踏み込むように配置されている。
 👉 見る行為そのものが、侵入される体験へと変わる。
■ 2. 色彩の過剰と視覚の攪乱
 赤・ピンク・白を基調に、口内には虹色の帯と鋭角的な歯が並ぶ。
 眼は複数配置され、焦点が定まらず、視線は分散される。
 👉 美しさは整理されず、刺激として氾濫する。
■ 3. 可愛さから逸脱する不安
 丸みを帯びたフォルムは一見親しみやすい。
 しかし、過剰に誇張された口腔と歯列は、捕食や暴力性を想起させる。
 👉 「かわいい」は安定せず、恐怖と笑いの境界に留め置かれる。
■ 4. AとBの差異が示すもの
 《A》が空間全体へ拡散する存在であるのに対し、
 《B》は鑑賞者との直接的対峙を志向する。
 キャラクターは単なる造形ではなく、見る者の感情と反応を引き出す装置となる。
 👉 作品は完成形ではなく、関係性の中で成立する。




                      「 赤鬼と青鬼と48の羅漢
                       村上 隆
                       (1962~)
                       2013年
                       リトグラフ


  「 Mr. DOBtopus A            「 Mr. DOBtopus B
   村上 隆                  村上隆
   MURAKAMI Takashi           MURAKAMI Takashi 
   (1962~)                (1962~)



SAMURAI
■ 1. 側面像による静的構成
 人物は横向きに配置され、正面性や感情表現は避けられている。
 背景には金色の平滑な面が広がり、空間的奥行きは意図的に排除される。
 👉 物語ではなく、象徴としての人物が立ち上がる。
■ 2. 顔の匿名化
 顔は白く単純化され、目と口は最小限の記号に置き換えられる。
 個性や感情は削ぎ落とされ、誰であるかは特定されない。
 👉 ここで描かれるのは個人ではなく、**役割としての「侍」**である。
■ 3. 衣装と色の対比
 深い青の着物が、金地の背景と強いコントラストを成す。
 刀は控えめに示され、武力や動作は強調されない。
 👉 武士像は力ではなく、静かな姿勢として表現される。
■ 4. 天野タケルの現代的「日本像」
 この侍は、歴史的再現でも、英雄像の称揚でもない。
 日本的モチーフをフラットに再構成し、現代的な視覚言語へと変換する。
 👉 伝統は引用され、更新されたイメージとして提示される。 



SAMURAI
天野 タケル
(1977~)
2020年
キャンバス、アクリル 」 



振り返って。




                               ・・・もどる・・・



                 ・・・つづく・・・


​​​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2026.02.27 10:53:22
コメント(0) | コメントを書く
[JINさんの農園] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: