JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

×

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

【頂き物いろいろ】 New! Gママさん

箱根一泊旅行 (その8… New! オジン0523さん

026年5月 京都府立… New! 隠居人はせじぃさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん
noahnoah研究所 noahnoahnoahさん

Comments

清澄庭園@ Re:江戸・深川を歩く(その8)・清澄公園~清澄庭園へ(2/2)(07/21) New! 清澄庭園 清澄庭園 清澄庭園
オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 予約時に保養所から確認の電話があるけど…

Calendar

2026.02.28
XML
カテゴリ: JINさんの農園
上段:赤塚 不二夫 作品が並ぶ
下段:サイン色紙  が並ぶ  



上段:赤塚 不二夫 作品
左から:
・ウナギイヌ、
・バカボンのパパ、ニャロメ、イヤミ、
 ケムンパス、べし、ウナギイヌ
・レレレのおじさん
下段:サイン色紙
左から
・笹川 ひろし
・馬場 のぼる
・秋 竜山



右から
レレレのおじさん
赤塚不二夫
AKATSUKA Fujio
(1935 ~ 2008) 」 
■ 1. 正面性と即時性のある構成
 画面中央に、ほうきを持った人物が正面向きに立つ。
 背景は余白として処理され、余計な状況説明は一切与えられない。
 👉 キャラクターは物語の一場面ではなく、存在そのものとして提示されている。
■ 2. 線の単純化と記号性
 輪郭は太く、迷いのない一本線で構成され、
 細部の描写や陰影は省かれている。
 顔の表情、手足の形、衣服の文様は、すべてが即座に読み取れる記号として機能する。
 👉 描くことは説明ではなく、伝達の速度を優先している。
■ 3. 動作とセリフの一体化
 身体の動きと「レレレ」という言葉が、
 切り離せない形で結びついている。
 この人物は心理を持たず、行動と言葉が常に同時に発生する。
 👉 キャラクターは内面を語らず、反復される行為によって成立する。
■ 4. 赤塚不二夫の世界観
 赤塚作品において、
 常識、秩序、意味はしばしば無効化される。
 この「おじさん」もまた、役割や背景を問われることなく、ただそこに現れ、掃き続ける。
 👉 ナンセンスとは破壊ではなく、自由の形式である。



バカボンのパパ、
ニャロメ、イヤミ、ケムンパス、 べし、ウナギイヌ
赤塚不二夫
AKATSUKA Fujio
(1935 ~ 2008)
色紙・ペン、水彩
■ 1. 群像としての構成
 画面いっぱいに、複数のキャラクターが同時に登場し、
 中央となる主役は明確に定められていない。
 走る、跳ねる、叫ぶといった動作が交錯し、全体が一つの騒がしい場を形成する。
■ 2. 線と色の即効性
 太く単純な輪郭線と、原色に近い色使いによって、それぞれのキャラクターは
   瞬時に識別できる。
 細部の描写や陰影は排され、形はすべて記号として機能する。
 👉 描写は深さより、即座に伝わる強度を優先している。
■ 3. 個性ではなく役割の集合
 バカボンのパパ、ニャロメ、イヤミ、ケムンパス、べし、ウナギイヌは、
 それぞれ強烈な性格を持つように見えるが、心理的な内面は描かれない。
 👉 彼らは人物ではなく、反応と役割の装置である。
■ 4. 赤塚不二夫のナンセンス
 この画面には、
 善悪、秩序、意味の中心は存在しない。
 笑いは教訓に回収されず、混乱そのものが肯定される。
 👉 ナンセンスとは破壊ではなく、世界を軽くする方法である。



ウナギイヌ
赤塚不二夫
AKATSUKA Fujio
(1935 ~ 2008) 」 
■ 1. 単独像としての構成
 画面下部に、ウナギイヌが一体だけ配置され、背景には簡略化された家並みと
   月が描かれる。
 状況説明は最小限に抑えられ、キャラクターの存在が画面の焦点となる。
 👉 群像ではなく、一体の存在感が強調されている。
■ 2. 異種混交の造形
 犬の顔と胴体に、ウナギの尾を組み合わせた不合理な形態。
 しかし線は迷いなく整理され、奇妙さは違和感ではなく、自然な姿として
   受け入れられる。
 👉 ナンセンスは混乱ではなく、即時的な納得を生む。
■ 3. 動きと表情の即効性
 大きく開いた口、跳ねるような脚の動き、誇張された表情が、一瞬で感情を伝える。
 心理描写は存在せず、行動と表情が同時に立ち上がる。
 👉 キャラクターは内面を持たず、動きそのものとして成立する。
■ 4. 赤塚不二夫の自由な世界
 ウナギイヌは、意味や設定を説明されることなく、その奇妙な姿のまま肯定される
   存在である。
 ここには理由も教訓もない。
 👉 ナンセンスとは、考えなくてよい自由の表現である。



上: 約束の橋  ちばてつや 」 
■ 1. 物語を内包した構成
 画面中央に若者の胸像が配され、背後には橋と街並みが淡く描き込まれている。
 人物は正面を向かず、どこか遠くを見つめる視線を持つ。
 👉 行動の瞬間ではなく、物語の途中にある時間が切り取られている。
■ 2. 線と彩色の抑制
 輪郭線は漫画的でありながら、過度に強調されず、柔らかく保たれている。
 彩色も淡く、感情を煽る色使いは避けられている。
 👉 劇的効果より、感情の余韻が重視されている。
■ 3. 青春の「決意」の気配
 表情は強く描き込まれないが、曖昧さの中に、迷いと覚悟が同時に滲む。
 👉 この人物は完成された英雄ではなく、選択の途上にいる存在である。

下: サイン色紙 ちばてつや 」 
■ 1. 顔のアップによる即時性
 人物はバストアップで大きく描かれ、背景はほぼ省略されている。
 物語や場面説明はなく、キャラクターの顔そのものが画面を支配する。
 👉 一瞬で認識される、漫画的即効性が前面に出る。
■ 2. 線の明快さ
 輪郭線は明瞭で、表情や髪の動きは簡潔に整理されている。
 彩色も限定的で、人物の印象を素早く伝える役割に徹している。
 👉 線は感情の深掘りではなく、伝達のための道具である。
■ 3. キャラクターとしての成立
 この人物は特定の物語を背負わず、「ちばてつやの描く若者像」として完結している。
 👉 個人ではなく、時代を象徴する顔として機能する。



セル画
「ポケットモンスター」
より
開発 
 ゲームフリーク
 GAME FREAK Inc.
■ 1. キャラクターを中心に据えた構成
 画面中央にピカチュウが一体だけ配置され、背景は簡潔な草地として処理されている。
 物語的な状況説明や周辺要素は極力排され、キャラクターの動作と表情が主題となる。
 👉 シーンではなく、キャラクターの存在感が前面に出る。
■ 2. セル画特有の明快さ
 輪郭線は均一で明瞭、色面はムラなく塗り分けられ、立体感や質感表現は最小限に
   留められている。
 👉 描写は深度よりも、視認性と再現性を優先している。
■ 3. 動作による感情表現
 ピカチュウは頬を緩め、大きな実(果実)を抱え込むように持つ。
 感情は細かな表情ではなく、ポーズとシルエットで即座に伝えられる。
 👉 キャラクターは心理を語らず、行動で感情を示す。
■ 4. ゲームとアニメをつなぐ存在
 『ポケットモンスター』において、キャラクターは物語の駒ではなく、
 ゲーム・アニメ・商品へと横断的に展開される核である。
 このセル画は、一瞬の映像でありながら、世界観全体を代表するイメージとして
   機能する。
 👉 キャラクターは個体ではなく、共有される記号となる。



               「 約束の橋
               ちばてつや
               CHIBA Tetsuya」 
                (1939~)
               1986年
               シルクスクリーンプリント

セル画 サイン色紙
「ポケットモンスター」より  
開発             ちばてつや
 ゲームフリーク       CHIBA Tetsuya
 GAME FREAK  Inc.        (1939~)
               色紙にシルクスクリーン・手彩



「セル画
「ウランちゃん」より
■ 1. 四分割による運動の提示
 画面は四分割され、ウランちゃんがそれぞれ異なる動きの瞬間で描かれている。
 巨大な存在に抱えられ、宙に浮き、敵に立ち向かい、倒れる。
 一枚の完成画ではなく、時間を分解した連続運動の断片である。
 👉 これは物語の一場面ではなく、動きの設計過程そのもの。
■ 2. 少女的造形とヒーロー性
 丸みのある顔、短い黒髪、赤いワンピース。
 デザインはアトムよりも柔らかく、幼さが強調されている。
 しかし行為は決して受動的ではない。
 👉 ウランは「守られる存在」でありながら、「自ら動く存在」でもある。
■ 3. 巨大な敵との対比
 下段右には大型ロボットが描かれ、
 小さな身体との対比が強調される。
 スケール差は、物理的な弱さと精神的な強さを同時に示す。
 👉 ヒロイン像は、力の大小ではなく、向かう姿勢によって定義される。


セル画
「魔法使いサリー」より 」 
■ 1. 高所からの視点による構成
 画面右側に、高い塔の上に座るサリーが描かれ、眼下には広がる街並みが俯瞰で
   配置される。
 左側には、地上の人々の姿が挿入され、空と地上、二つの世界が同一画面に共存する。
 👉 魔法の力は、距離として可視化されている。
■ 2. セル画ならではの明快な設計
 輪郭線は均一で、色面ははっきりと塗り分けられている。
 背景は写実を抑えた都市表現に留まり、人物の動きと位置関係が即座に読み取れる。
 👉 画面は鑑賞用の完成画であると同時に、動きの指示書でもある。
■ 3. 魔法少女という存在
 サリーは戦うヒーローではなく、空を飛び、見守り、手を差し伸べる存在として描かれる。
 力は誇示されず、優しさと距離感によって示される。
 👉 正義は攻撃ではなく、介入と配慮として表現される。



「セル画
「鉄腕アトム」より
原作者

 手塚 治虫
   TEZUKA Osamu
 (1928~1989) 」 

「セル画「魔法使いサリー」より
原作者
横山 光皹
YOKOYAMA Mitsuteru
(1934~2004)



古代進  
■ 1. 上昇する動作を核にした構成
 画面中央で、古代進は銃を高く掲げ、身体は斜め上方へ向けられている。
 背景には青を基調とした機械的モチーフが重なり、動作の方向性が強調される。
 👉 静止画でありながら、上へ向かう意志が明確に示される。
■ 2. 線と色による緊張感
 輪郭線は明快で、赤い服と青い背景の強い対比が画面を引き締める。
 細部の陰影よりも、色面のコントラストが感情を伝達する。
 👉 緊張は写実ではなく、色と姿勢によって生まれる。
■ 3. 行為としてのヒーロー像
 古代進の表情は誇張されず、感情は内面化されている。
 それでも彼がヒーローであることは、掲げられた武器と前傾する身体によって
   即座に理解される。
 👉 ヒーロー性は言葉ではなく、選択された行為として示される。
■ 4. 松本零士の世界観
 松本零士の描く人物は、常に孤独と責任を背負う。
 宇宙という広大な舞台の中で、個人は小さく、しかし意志は強い。
 👉 英雄とは勝者ではなく、進み続ける者である。



古代進
松本零士
MATSUMOTO  Reiji
(1938 ~ 2023)
2002年
シルクスクリーン 」 



無限の水玉
■ 1. 反復による全体構成
 画面全体は、水玉のみで埋め尽くされ、中心や焦点となる場所は設定されていない。
 大小さまざまな円が、規則と揺らぎを保ちながら反復される。
 👉 見る者の視線は留まる場所を失い、全体へと拡散する。
■ 2. 色彩の均質化
 緑とピンクの対比は明確でありながら、個々の水玉に優劣や主従はない。
 色は感情を語らず、画面全体を一定の緊張で覆う。
 👉 色彩は表現ではなく、空間を成立させる条件となる。
■ 3. 個の消失
 一つ一つの水玉は単純で、それ自体に意味や物語は付与されない。
 しかし反復されることで、個は溶け、集合としてのリズムだけが残る。
 👉 ここで描かれるのは対象ではなく、自己の消失である。
■ 4. 草間彌生の思想
 草間にとって水玉は装飾ではなく、自我や境界を溶解させるための装置である。
 無限に続く反復は、恐怖と安堵の両義性を内包する。
 👉 無限とは広がりではなく、逃れられない内的空間である。 



無限の水玉
草間彌生
KUSAMA Yayoi
(1929~)
1986年

スクリーンプリント



LOVE FOREVER 」 
■ 1. 生活用品としての構成
 本作は絵画や彫刻ではなく、日常的に使われるバッグという形をとる。
 展示空間に置かれながらも、身体に触れ、持ち運ばれることを前提とした
   サイズと形態を持つ。
 👉 表現は鑑賞物から、生活の中へと踏み出す。
■ 2. 線描によるモチーフの散在
 表面には、顔、目、猫、魚、花、車など、草間彌生に特有のモチーフが散在する。
 それらは中心を持たず、均等な強度で配置されている。
 👉 意味は統合されず、同時的に並置される。
■ 3. 反復から言葉へ
 これまで草間の作品では、水玉という反復が「無限」を示してきた。
 ここでは水玉に代わり、「LOVE FOREVER」という言葉が明示される。
 👉 無限は視覚的反復から、言語としての宣言へと変換される。
■ 4. 草間彌生の世界観
 草間にとって「愛」は感情ではなく、恐怖や孤独に対抗するための絶対的な言葉である。
 それは装飾ではなく、日常に携えられる呪文のように反復される。
 👉 愛は語られるものではなく、持ち歩かれる思想となる。



ズームして。



LOVE FOREVER
草間彌生
KUSAMA Yayoi
(1929~) 」 



かぼちゃ置物
(5点セット)

■ 1. 複数による構成
 五つのかぼちゃは、同一の形態を保ちながら、色と水玉の配置を変えて並置されている。
 単体ではなく、複数として見られることが前提となる構成である。
 👉 個体は独立せず、集合として成立する。
■ 2. 形の親密さ
 かぼちゃは鋭さを持たず、 丸みを帯びた安定したフォルムで統一される。
 彫刻的緊張や象徴的威圧はなく、触覚的な安心感が強い。
 👉 造形は崇高さではなく、親しみへと向けられている。
■ 3. 水玉による個体差
 水玉はすべてのかぼちゃに施されるが、大きさや密度は完全には一致しない。
 反復は規則的でありながら、微細な差異を内包する。
 👉 無限は均一ではなく、揺らぎを伴う反復として現れる。
■ 4. 草間彌生のかぼちゃ
 草間にとって、かぼちゃは幼少期の記憶と自己の安定を象徴する存在である。
 恐怖や幻覚に対抗するための「頼れる形」として、繰り返し制作されてきた。
 👉 かぼちゃはモチーフではなく、自己を支える装置である。 



移動して。



かぼちゃ置物
(5点セット)

草間彌生
KUSAMA Yayoi
(1929~)



上海万博 記念スカーフ
■ 1. 平面と装身具の境界
 本作は絵画ではなく、スカーフという身にまとう布として制作されている。
 しかし画面中央には、草間を象徴する巨大なかぼちゃが明確に据えられ、
 鑑賞用の平面作品と同等の視覚的強度を持つ。
 👉 作品は装飾と美術の境界線上に置かれている。
■ 2. かぼちゃと水玉の統合
 かぼちゃの内部は水玉で満たされ、背景にも同様の反復パターンが広がる。
 モチーフと背景は分離せず、同一のリズムで連続する。
 👉 主体と環境は溶け合い、全体が一つの無限として機能する。
■ 3. 金と黒による象徴性
 金色のかぼちゃは、祝祭性と視覚的な高揚を強く喚起する。
 一方、黒地は深さと静けさを与え、派手さを単なる装飾に終わらせない。
 👉 色彩は祝福と沈潜を同時に抱え、均衡を保つ。
■ 4. 万博という場との関係
 万博は国家や文化が集い、未来像を提示する場である。
 草間彌生はそこに、個人の内面から生まれたかぼちゃと水玉を差し出した。
 👉 個の幻視は、世界的な共有イメージへと変換される。



上海万博 記念スカーフ
草間彌生
KUSAMA Yayoi
(1929~)
2010年 絹
」 



帽子
■ 1. 身体に近い造形
 本作は彫刻でありながら、頭部に被る「帽子」という具体的な用途を想起させる
 形態を持つ。
 展示台に置かれた状態でも、身体との距離はきわめて近い。
 👉 作品は鑑賞対象であると同時に、身体の延長として構想されている。
■ 2. 表面を覆う有機的反復
 表面には、うねる線や渦巻きが密集し、規則と不規則のあいだを揺れ動くリズムを
 形成する。
 水玉と同様、反復は装飾ではなく、表面全体を支配する構造である。
 👉 形は一つでも、視覚は無限に分散する。
■ 3. 内と外の反転
 帽子は通常、外界から頭部を守るための器である。
 しかしここでは、外側にこそ過剰な運動が集中し、内側は沈黙している。
 👉 防護具は反転し、内面の痕跡を外へ露出させる。
■ 4. 草間彌生の造形思想
 草間の作品において、反復は恐怖を抑え込むための行為であり、
 同時に自己を空間へ拡張する方法でもある。
 この帽子は、身にまとうことで無限を携えるための器として機能する。
 👉 造形は物ではなく、生存のための形式となる。



帽子
草間彌生
KUSAMA Yayoi
(1929~)
ブロンズ 」  



Flower 」 
■ 1. 中心から拡散する構成
 画面中央に花の核となる形が置かれ、そこから有機的な形態が放射状に広がる。
 中心は明確でありながら、周縁へ行くほど輪郭は溶け、形は揺らぐ。
 👉 秩序は存在するが、安定は約束されない。
■ 2. 水玉と網目の重層
 花弁や葉の内部は水玉で満たされ、背景には網目状の線が全面に張り巡らされる。
 二つの反復パターンは重なり合い、どちらが前景か後景かを曖昧にする。
 👉 図と地は固定されず、視覚は循環する。
■ 3. 色彩による精神性
 全体は緑を基調とし、黒との強い対比によって緊張が保たれる。
 自然を想起させる色でありながら、安らぎよりも覚醒に近い感覚を呼び起こす。
 👉 花は装飾ではなく、精神状態の可視化である。
■ 4. 草間彌生における「花」
 草間の花は、美や生命の象徴として単純化されない。
 増殖し、反復し、ときに侵食的ですらある存在として描かれる。
 👉 花は自然物ではなく、内面が外化した形態である。



Flower
草間彌生

KUSAMA Yayoi
(1929~)



火の鳥 」 
■ 1. 線だけで成立する構成
 本作は彩色を伴わず、ほぼ一本の線の連なりによって描かれている。
 背景は余白として残され、鳥の姿と放射状の輝きのみが画面を支配する。
 👉 造形は装飾を拒み、存在の核だけが提示される。
■ 2. 生命を示す線の運動
 羽根は大きく広がり、線は内から外へと勢いよく放たれる。
 輝きを示す記号的な星形や放射線が、静止像に運動感を与える。
 👉 ここで描かれる生命は形ではなく、エネルギーの流れである。
■ 3. 神話とキャラクターのあいだ
 火の鳥は、具体的な人物や物語の登場人物である以前に、
 永遠・再生・死と生を象徴する存在として描かれる。
 しかし造形は親しみやすく、恐怖や畏怖だけに傾かない。
 👉 神話は抽象化され、漫画的記号として定着する。
■ 4. 手塚治虫の思想
 『火の鳥』は、人類史、文明、個人の生と死を横断する壮大な主題を持つ。
 それでも手塚は、重い思想を説明や象徴の堆積ではなく、一羽の鳥の姿に凝縮した。
 👉 哲学は語られず、描かれる。



火の鳥
 手塚 治虫
   TEZUKA Osamu
 (1928~1989)
紙にペン



HAPPY CHOPPERS  
■ 1. タイトルと言語の違和感
 作品名「HAPPY CHOPPERS」は、明るく軽やかな言葉で構成されている。
 しかし “chopper” は、軍用ヘリコプターを指す俗語でもある。
 👉 タイトルの時点で、言葉と現実の乖離が仕掛けられている。
■ 2. 図像とアイロニー
 バンクシーのこの作品では、軍事的なモチーフが、どこか無邪気でポップな表現と
 結びつけられる。
 暴力は直接的に描かれず、かわいらしさや軽さによって包み込まれる。
 👉 批評は叫びではなく、冷笑として提示される。
■ 3. シルクスクリーンという形式
 本作はストリートの壁画ではなく、シルクスクリーン・プリントとして制作されている。
 反復可能な技法を用いることで、作品は唯一性から距離を取り、
 イメージとして流通することを前提とする。
 👉 メッセージは固定されず、拡散されることを選ぶ。
■ 4. バンクシーの批評姿勢
 バンクシーは、善悪や正義を明確に提示しない。
 代わりに、見る者が「笑ってしまった自分」に気づく瞬間を作る。
 👉 問題は作品の中ではなく、鑑賞者の側で完成する。



HAPPY CHOPPERS
バンクシー
Banksy
シルクスクリーンプリント
WEST COUNTRY PRINCE 」 



The Physical lmpossibility of Death in the
Mind of Someone Living
生者の心における死の物理的な不可能性
■ 1. 展示空間そのものを作品とする構成
 本作は、ガラス張りの直方体空間の中に、ホルマリン漬けのサメを収めることで
 成立している。
 彫刻でも絵画でもなく、空間・物体・鑑賞者の位置関係そのものが作品である。
 👉 見る行為が、そのまま作品体験となる。
■ 2. 距離によって保たれる死
 サメは巨大で威圧的な存在でありながら、厚いガラスと液体によって隔てられている。
 鑑賞者は安全な位置からそれを見ることができ、触れることも、匂いを感じることもない。
 👉 死は目前にあるが、決して接触できない。
■ 3. 「理解できない死」という主題
 タイトルが示す通り、本作が扱うのは死そのものではなく、
 生きている者が死を本当に理解することの不可能性である。
 サメは死んでいるが、その死は展示され、保存され、管理されている。
 👉 死は現実でありながら、概念として宙吊りにされる。
■ 4. ダミアン・ハーストの姿勢
 ハーストは、死や恐怖を象徴や比喩へ還元しない。
 代わりに、極端に直接的な形で提示することで、鑑賞者の思考を停止させ、
 問いだけを残す。
 👉 答えは与えられず、不快な静けさだけが残る 



The Physical lmpossibility of Death in the
Mind of Someone Living
生者の心における死の物理的な不可能性
ダミアン・ハースト
Damien Hirst
(1965~)
2013年
版画
(レンチキュラー/PETG樹脂、デジタルプリント



LAUGH NOW
■ 1. 正面性の強い単独像
 画面中央に、一体の猿が直立する。
 背景は簡潔で、周囲の情報は極力削ぎ落とされている。
 鑑賞者の視線は逃げ場を失い、猿の身体と掲げられた言葉へと集中する。
 👉 これは場面ではなく、対峙の構図である。
■ 2. テキストが主役となる構成
 胸元に掲げられたプラカードには、「Laugh now, but one day we’ll be in charge」
 という直接的な文言が記される。
 イメージは言葉を補足せず、言葉がイメージを支配する。
 👉 視覚は装飾を退き、宣言の媒体となる。
■ 3. 猿という象徴
 猿はしばしば、模倣、愚かさ、被支配の象徴として扱われてきた。
 しかしここでは、その猿が未来の権力を予告する。
 👉 嘲笑の対象は反転し、見る側へ跳ね返る。
■ 4. バンクシーの批評性
 バンクシーは怒りを露わにしない。
 皮肉とユーモアを用い、鑑賞者が「笑ってよいのか」を迷う瞬間を作る。
 👉 問題は作品の中では完結せず、鑑賞者の態度として露呈する。 

Laugh now, but one day we’ll be in charge
(今は笑っていればいい。だが、いつかは俺たちが支配する)
■ 1. 「笑う側」と「笑われる側」の固定を壊す言葉
 現在:弱者、周縁、下層、労働者、若者、被支配者は
 「無力で愚かな存在」として笑われる。
 しかしこの言葉は、その関係が永遠ではないことを突きつける。
 👉 嘲笑は、一時的な優位にすぎない。
■ 2. 猿というモチーフの反転
 猿は歴史的に、模倣・未熟・支配される存在の象徴だった。
 だがここで猿は語る。
 「今は猿かもしれないが、権力の座は必ず移動する」と。
 👉 知性や支配は、生まれつきの属性ではない。
■ 3. 革命の宣言ではなく「予言」
 この言葉は「俺たちが倒してやる」という怒りのスローガンではない。
 むしろ冷静な観察だ。
 社会は循環し、下に見られていた者がやがて制度を運営する側に回る。
 👉 だからこれは脅しではなく、不可避な未来の予告。
■ 4. 本当に突き刺さる相手
 この作品が最も鋭く向けられているのは、権力者そのものではない。
 「今、自分は安全な側で笑っている」と無自覚に思っている鑑賞者だ。
 👉 いつの時代でも、笑っている側は、いずれ笑われる可能性を抱えている。



LAUGH NOW
バンクシー
Banksy
シルクスクリーンプリント

WEST COUNTRY PRINT



展示風景



展示風景




                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・



​​​​​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2026.03.01 06:11:40
コメント(0) | コメントを書く
[JINさんの農園] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: