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久々の書き込みです。その当時は日三高を下した駒大も次には消えるという雰囲気でした(周りの関西人にはかなりむかつきましたが)この日の対戦カードは第一試合・済美ー中京 第二試合・駒大苫小牧ー横浜甲子園球場にて ホリ太郎写正直言って中京は運が無いと感じた。特に小倉(P)も良く投げていたのにもかかわらず、中京攻撃中で試合の流れが掴みかけて雨天中断で逃げていった。試合の結果は済美が勝ち上がった甲子園球場にて ホリ太郎写甲子園球場にて ホリ太郎写そして準決勝の対戦がこのような対戦ボードが発表される。甲子園球場にて ホリ太郎写駒沢がとうとう甲子園で見れる。シートノック・まずまず硬さは無い。(横浜は駒沢のシートノックを見ていなかったが)後ろのオヤジは(今年の横浜は強いので北海道のチームかわいそうとの事)けれど試合は始まらないとわからない。初回出塁後はいつもと変わらない攻めで得点につながらないものの良い滑り出し、岩田のピッチングはかなり良い滑り出しもあり、少しずつ加点し先制・中押し・ダメ押し!けれど小心なホリ太郎は不安で仕方なったのだが岩田・鈴木のリレー&林のサイクルで快勝!初めていった関西で、、、たまらない一日を過ごしたのだった
2006.09.15
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2004年甲子園球場正門横にて ホリ太郎写あの降雨ノーゲームから約一年後、ホリ太郎一行は関西・甲子園入りした。遡りその年の六月に友人の(御猿さん氏)が、唐突に言い放った『なあホリ太郎君、(ホリ太郎はここでは無視した)ホリ太郎主任!!(ここでホリ太郎が答える)なにかな!?御猿さん氏:今年向こうに行かないか?ホリ太郎:向こうの意味がわからんよ。御猿さん氏:甲子園だよ!!ホリ太郎君!!ホリ太郎:なるほどね。じゃあ(ミスター氏)も誘ってみるかい?御猿さん氏:そうだな』という訳で全道大会前に決まった甲子園行きで、その年の円山は何か違う風に見えた気がした。決勝こそ友人の結婚式で見れなかったがあわよくば甲子園で見れそうな気がした。 2004年甲子園正門前にて 係員おじさん写左から御猿さん氏・ホリ太郎・ミスター氏甲子園入りの前の佐実戦・特に日大三戦は現地で見たいが為、異様な空気が御猿さん氏の部屋に込めていた。岩田ー鈴木のリレーと打撃陣の粘りで辛くも勝利そして出発前日雨(この時点で決勝は日曜にずれる為 移動日程上見れなくなる)の為に初の観戦は東海山梨ー福島聖光になった。駒大は一日お預け。そして現地に入り正門方向へ(中央特自席は正門横で入場券が販売されている)するとプラカードで記念撮影している人が、、、。聞けば無料だし、係員のおじさんも感じが良かったので早速(駒沢)で一枚。すると見慣れたロゴが入った取材陣にインタビューを受けたホリ太郎でした。確かにあの当時は北海道のチームが上位進出は珍しいし、駒沢で記念写真の人も全く居なかったようだし(係員のおじさん談)2004年甲子園正門前 取材受けるホリ太郎 御猿写周りの関西人にも駒大はフロッグ扱いだったし、次の対戦相手は浜高で涌井だしテレビも親子鷹&済美・上甲で扱いは少なかった(少なくとも関西ではね)で球場入り2004年甲子園球場中央特別自席にて ホリ太郎写デカイ!!!しかも、、、言葉では言い表せないとにかく圧倒されたココで試合ができるなんて選手たちは幸せだなとか、いろいろ考えた2004年甲子園球場中央特自席にて ホリ太郎写とにかくグランドがとても広く感じるし、スタンドの大きさ・また球場外の建物が見えないから、スタンド・選手・大空と野球好きなにはたまらない光景がココには在るそれが甲子園のよさじゃないかな? 2004年甲子園 三塁側ベンチ ホリ太郎写試合は聖光・本間君が好投するも東海山梨・清水君の一打で試合が決まる。
2006.09.01
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