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本日は、大学院の最後の授業となった。皆の発表もあり、充実したと思う。また、新刊の再校の締め切りが実質明日朝であるので進めている。行き帰りの電車の中等々でやってはいるが、まだ終わらない。ここに来て言い回し等気になるところも出てきている。もう一分張りだ。
2007.01.27
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本日は当法人主催の経営研究会兼賀詞交歓会。年を追うごとに参加戴いているお客様が増加していく。ありがたいことである。 「継続は力なり」とはよく言ったもので、お陰さまで、「経営研究会」も私の個人事務所時代と通算すると40回を迎える。実はこの経営研究会の前には、「経営塾」を15回コースで行っていた。このきっかけは、何人かのお客様から「赤岩の話を定期的に聞きたい」との声から始まったもので、よくぞ、私の拙い話を聞き続けていただいたと心より感謝申し上げたい。 30代半ばに、東京で年間会費120万円を掛けて、勉強会に通っていた。「もっともっと自己を高めなければ、お客様に対してご指導させていただくことはできない」との想いから、独立間もない中で、乏しい資金や時間をやり繰りして通い続け。この勉強会では、イエローハット創業者鍵山秀三郎氏や東日本ハウス創業者中村功氏など多くの素晴らしい先生の講義をお聞きする機会に恵まれ、これ以外でもセミナー等には貪欲に参加し、参加するたびに、講師の先生と名刺交換をさせていただいた。幸い、鍵山、中村両創業者には社長時代に青年会議所で講師としてお迎えすることができた。 「この素晴らしい先生方を地元にお迎えし、ぜひ経営者仲間に聞いていただきたい。そして、繁栄発展して欲しい。」との願いから「経営塾」終了後一年ブランクを置いた後「経営研究会」に衣替えしたのだった。 正直なところ、当初は講師料・交通費・書籍代・食事代等で赤字続き。しかし、この地域に灯した火を消してはならないとの想いから現在に至っている。この「経営研究会」の灯は、小さいかもしれないが、確実に「一隅を照らす」灯であると確信している。 世の中は良くしたもので、意欲の高い方が繁栄発展している確率が高いようで、今後も一人でも多くの方々に、繁栄発展のきっかけとしての場として、100回、200回と続けていく所存である。
2007.01.26
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今日は、大学、大学院の学生院生のレポートの採点。結構時間が掛かった。
2007.01.21
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実に10日ぶりの書き込みとなった。 新刊の校正が一昨日届き、本日午前中が締め切りだった。昨日はホテルにカンヅメで校正を行った。本日、大学院の講義が終わり、帰ってきてから今まで、追加原稿(足りない部分)の執筆を行って編集者に送ったところである。 今後の予定は、来週末に二次校正をし、一般書店に並ぶのは一ヵ月後の2月20日以降とのことである。 帰りの電車でも再度見直してみたが、直しきれていないところも何点かあった。これは二次校正で最終に修正することとなる。本を執筆するといつも思うのだが、この初校の時期が一番集中する時期である。これが終わると少しはほっとする。
2007.01.20
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大学の後輩から独立の相談を受け、一杯飲みながら相談に乗った。私が、気にしているのは奥さんの協力があるかどうかであった。独立当初は収入も少なく、資金面で苦労することが多い。また、軌道に乗ってもなんだかんだと問題が続出する。そのようなときの心の支えが奥さんであるのだ。 そういえば、業績の良い会社で夫婦仲の良くないところはない。反対に業績が悪いところほど夫婦仲が悪い。中小企業固有の特徴的なことだ。
2007.01.19
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本日は小学校のPTAでお世話になったT先生のご依頼により、教頭先生方の会合で講演を行わせていただいた。私は戌年であり、忠犬ハチ公のように結構義理堅く、お世話になった方から申し付けられると「はい、喜んで!」としか答えようがない。 しかし、日ごろから教育については結構言いたいことを言っているし、講演時に乗ってくると、言いたい放題をいう癖がある。本日も言ってしまった。 標題は本日の講演テーマであり、志を立て、育て、活かすことについてお話をさせていただいた。 驚いたことに、修了後帰るとき、玄関で何人もの先生方にお見送りいただいた。感動である。
2007.01.18
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ある新年会にお招きを戴いた。感動的である。この会社が好調な理由が良くわかる。近頃思うのだが、良い会社は良いことをやっているから良くなり、悪い会社は悪いことをやっているから悪くなるのだ。 また、この社長は小さいところをいいかげんにしない。まさに、「細部に神宿る」である。
2007.01.17
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本日は知的資産経営研究会のワーキンググループに出席する。3月にはマニュアルがまとまる予定である。全国の中小企業がこのようなものを活用し、自社の強みを見出し、それを活かすことで大きくはばたくことを切に願う次第である。
2007.01.16
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本日は恒例の宝蔵寺住職による座禅会。やはり新年はここから始まるのがよい。法話の中で当事務所の経営研究会を褒めていただいた。実は、この話は、今月号の「報徳一円」にあいさつとして載せるものであるが、住職に相談したわけではない。しかし、私の思うところを余すところなく伝えていただいた。私の心の中や考えを見抜かれているようだ。やはり只者ではない。しかし、ありがたい。
2007.01.11
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宮城谷昌光氏の中国歴史小説は好きで読んでいる。現在読書中のは「三国志 第5巻」。この中で、気に入った一節を紹介したい。「戦乱の世を生きるということは、晦冥の道を歩くようなもので、自分の足もとを照らす灯をもたず、他人の明かりを頼っているだけでは、ある日、ふと深淵に沈むことになる。」 自分の足もとを照らす灯とは、人間で言えば人生理念、企業で言えば経営理念である。 このような時代だからこそ、答えは自分の心の中にあることを信じたい。また、ものごとの本質を掴むための感性を磨き続けたいものだ。
2007.01.10
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今日は、次男を学校に送るために駅まで乗せていった。その車中での会話。内容は宗教のこと。現在は、大学生ばかりか、高校生にまで、サークル勧誘にかこつけた宗教勧誘があるという。気をつけたいものである。 車中で話したことは、「我(教祖)を拝め」「布施すれば救われる」「逆らうと地獄に落ちるぞ」という言葉を発していないかに注意せよ、ということだった。特に教祖を神格化した宗教は危険である。先に行き、先導してくれるのならよいが、それを拝めとは何事か! 仏陀は入滅のとは弟子のアーナンダの問いに対し、「自灯明」「法灯明」を説いている。仏陀の説いた法を基準として、本当の自己と対話して判断せよ、とといたのだ。決して「我を拝め」とは言っていない。このことは今もって真理である。 日本は古来、誰もが納得のいく諺を残し伝えている。変な教祖の言葉を聴くより、これらの諺に慣れ親しんだほうがよほど有益である。
2007.01.09
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昨日はお客様の結婚式にお招き戴き出席させていただいた。久々の仲人さんのいる結婚式であった。やはり、仲人がいると引き締まる。現在では「人前結婚式」などといって、神々をないがしろにする風潮がある。果たしてそれでよいのか。誤解を恐れずに言おう。古来日本は八百万の神に守られてきた。これを神といわなければ「大いなるもの」「大自然」と言い換えても良いであろう。 日本は古来、自然を戦う対象、征服する対象とは考えていなかった。共生するもの、生かされているものと考えてきたのである。 実は人間は人間を超えた大いなるものの存在を感じ、認めて、初めて謙虚になれるのである。「誰が見ていなくてもお天道様が見ている」という言葉も私語と化しつつある。残念なことである。誰も見ていないという感覚だから、「何をしてもいい」という恥も外聞もなくなってしまうのだ。人間が人間として生きていくためには、法律で規制するばかりではなく、自己規制が大切である。大いなるものへの畏敬、これなくしては自己規制はできない。
2007.01.08
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今日から三連休となるが、たまっている仕事をこなすにはもってこいの休暇だ。冬休み中にやろうと思っていたものの20%しか手がついていない。昨日夜から出来るところから始めているが、やっと40%完了というところか。 今日は、一月にしては珍しく比較的強い雨となっている。夕方になってもやまない。このような環境の中で、今日は一日仕事をこなしている。
2007.01.06
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次男が焼き鳥を食べたいというので、近くの焼き鳥屋まで歩いて食べに行った。約十分間、寒い夜空であったが、ちょうどいい距離でもある。 考えてみれば、次男と二人だけで食事をするなどはめったにない。これも良い。
2007.01.05
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ニュース番組の特集で、表題のテーマで放映されていた。年末から年始にかけて各地でバカ騒ぎする若者の生態を追ったものである。見ていて情けない。日本人はこうも堕落してしまったのだろうか。周りの迷惑を顧みず、ただ自分の欲望のままに突っ走っているだけである。このような若者を許容する社会はどこかおかしい。 今、若者の精神年齢が低下しているのではないか。精神年齢というか社会性といえばいいのか。礼儀等は全く関係がないと考えている。この若者たちがこのまま大人になった社会を想像するだけでゾッとする。 私は大学の授業で挨拶を重視した。はじめはこちらが挨拶をしても返ってこなかった。次女にではあるが、少しづつ返ってくるようになった。「挨拶が大事」という価値観を教えてもらえなかった彼らもかわいそうなのだ。 大人が教えていかなければならない。大人が伝えなくてはならないのだ。もっとも大人の中にもなりきれていない人がいることも確かである。困ったものだ。
2007.01.04
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年が明けて3日目となる。昨日が遅かったせいかゆっくりと起きる。久々にテレビ三昧。カナダとスイスの旅行番組を見ていた。日ごろゆっくりとすることが少ないのでこのような日は貴重だ。このような日があることはありがたいことだ。 いつもはもう少しゆっくりなのだが、今年はカレンダーの関係で、5日に出なければ、8日まで休みとなる。自分自身はそうしたいのだが、1月明けは仕事の関係でそうもいかないのが残念である。 21世紀の始まりは月曜日から始まった。今年二度目の月曜日からの年明けとなる。大きな変化の予兆がありそうである。
2007.01.03
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現在では、ほとんどの結婚式で仲人がいない。ここ数年で、いつの間にか、誰が始めたのが不明であるが、なくなってしまった。残念なことである。他の人の幸せに立会い、微力ながらそのお手伝いができるということはかけがえのないことである。 縁あって、私は頼まれ仲人であるが30代に二組させていただいた。その二人が二人とも私の後を継いで地元の青年会議所の理事長をつとめるのだから、重ねてうれしいことである。 本日はその一人である古谷孝行さんに年賀の来訪を戴いた。彼はフルヤ緑販(株)の社長であり、当法人のお客様として、会長ご夫妻からも良くしていただいた。その彼が今年度、統合された新生古河青年会議所の理事長として活躍する。統合したばかりで、内部の調整等大変だと思うのだが、それを超えて外部との連携を図り、この地にかけがえのない青年会議所を創っていただきたいと祈念するばかりである。 私もそのOBの一員であるが、その分として、少しでも立派なOBになろうと思っている。OBが社会的に活躍することで、「あのような立派な人物を送り出す青年会議所は素晴らしい!」と思われることが後輩諸君にできる唯一の応援手段だからである。 いつの時代にも豊かな感性と健全な危機感を持った青年達が時代を回天させてきた。 私自身、年齢は重ねたもののいつまでも瑞々しい青年の感性を持ち続けたいと思う。
2007.01.02
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新年明けましておめでとうございます。皆様方の益々のご繁栄・ご発展、ご健勝を心よりご祈念申し上げます。 大晦日から元旦は恒例の宝蔵寺の正月護摩法要の手伝いから始まる。昨日夜8時から本日午前3時半過ぎまでお寺にいた。この精妙な環境の中で毎年新年を無事迎えられることは大変ありがたいことである。同寺湯澤住職は、毎朝、檀家だけでなく世界平和まで祈願していただいたいる。これまたありがたいことである。 人間の念の力はすごい。レンズが太陽光を集めて紙を燃やすように、一点に集中する念の力は創造を絶するものである。 1日一分でもいいから全人類が世界平和を祈念したらどうなるか。間違いなく世界が好転していくに違いない。 毎年思うのだが、元旦のこの穏やかな空気はなんであろう。今年ふと気づいたことがある。これは世界が穏やかというより、自分の心が穏やかだからそのように投影して見えるのではないか、と。 今年は毎日少しづつでも、自分の心を穏やかに保つことを心がけたいと思う。
2007.01.01
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