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わが家のホウレンソウはほぼ収穫が終わってしまいました。けれど、多くの農家ではまだたくさんある様で、その市況は下がってきています。 普通、農家はホウレンソウは密植し、単位面積あたりの売上を大きくしようとします。何となく、大きくなったものより、小ぶりのものの方がおいしいというイメージもあります。横に広がった寒締めホウレンソウ(-5℃くらいの低温にあてて甘みを増したもの)は別ですが。 けれど、実は大きく伸びたものがおいしいらしいのです。NPO法人「野菜と文化のフォーラム」によれば、各地の野菜を集めて食べ比べた結果、そうだったようです。品種、栽培法が同じで、出荷規格のM級にあたる20~25cm未満のものと35~40cm以上に生長したものとの比較では、10人が10人とも大きい方がおいしいと感じたそうです。大きい方は緑色が濃かったようで、窒素の効き具合が気になるところではあります。 適正な窒素濃度を保ちつつ、おいしいホウレンソウになる適正な大きさとはどのくらいなのか、これから研究していきたいと思います。参考:『農耕と園芸』~「野菜とくだもののおいしい保存法」大久保増太郎
2007年02月27日
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昨年の「地域に根ざした食育コンクール」では、佐賀県鳥栖(とす)市の「食ネット鳥栖」が最優秀・農林水産大臣賞になりました。 「スクラム組めばみんなHAPPY!」を合言葉に食と健康に関わる人々が連携したこと、 ショッピングセンターで毎月21日に「まちの保健室」を開催して展示、試食会、健康・栄養相談などを行っていること、 エコファーマーと学校栄養職員、納入業者等の意見交換会を開催し、「地元農産物を優先的に継続して学校給食に利用する仕組み(鳥栖モデル)」をつくったことなどが評価されたそうです。 島根県からは松江市東生馬町の「東部島根心身障害医療福祉センター」が優良賞のひとつに選ばれました。 松江市八雲町でも、随分前から学校給食に地元産の野菜が使われています。今、給食センターも民間へ業務委託する流れだといいます。けれど、食材の調達方法は従来と変わらないと聞きました。「身土不二」「地産地消」の流れが続いていくことを願っています。
2007年02月26日
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最近、コハクチョウ(小白鳥)が多く訪れるようになってきた、安来(やすぎ)市の田園地帯を通りました。 日時によってコハクチョウの群れは移動します。今日は今まで最も多く見れました。午後1時過ぎくらいだったと思います。日本野鳥の会によれば、今年1月15日の調査で、観測史上最多となる3000羽のコハクチョウが宍道湖・中海で確認されたそうです。中でも、雲樹寺のある安来市宇賀荘(うかしょう)町一帯では、最高で1,300羽もの数が飛来したそうです。なぜ、こんなにも増えたのか?いろいろな説があります。北日本で豪雪があったのをきっかけに移ってきたという説。2000年に米子で打ち上げられた年始の花火に驚いて、米子水鳥公園にいたものが移動したが始まりだったという説。それから、環境に配慮した米づくりの成果とする説などです。 その地区の田は、除草剤を使わずに雑草を抑えるため、冬場に10~15cmの水を張っているそうです。そして、そこへ飛来した水鳥の糞が肥料にもなっているようです。そうやってできたお米は「安来節」にちなんで「どじょう米」というブランド名で販売されています。「近づかないで」という看板があったので、遠くからパチリ。哀愁のただようコハクチョウ独特の声が響き渡っていました。うっすらと大山の頂も見えます。
2007年02月25日
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ちょうど1年前に、Hさんからお借りして聴いたCDの中で、未だに聴き続けているものが1枚あります。 シューリヒト指揮パリ・オペラ座管弦楽団のモーツァルト作曲交響曲第36番「リンツ」第38番「プラハ」です。 「リンツ」はオーストリア第3の都市で、そこで作曲されたことが由来のようです。「プラハ」は世界遺産で有名なチェコの首都で、歌劇「フィガロの結婚」の上演前にそこで初演されたことが由来だそうです。映画「アマデウス」のロケ地でもあり、いつか行ってみたい場所のひとつです。海外勤務の多かったおじも、行ってみてよかったところのひとつに挙げていました。 シューリヒトの思い入れのある演奏は、少し前の時代の名残なのかもしれません。フルトヴェングラーやワルターなどの名演もありますが、それらと比べて録音がいいということもあります(「リンツ」は1961年、「プラハ」は1963年の録音)。わたしはどちらかというと、一糸乱れぬアンサンブルを好む方ですが、この演奏はそういうものではありません。けれど、そういう小さなミスを忘れさせる説得力をもっています。人の心に訴える個性というものは、こういうものなんだなあ、と改めて感じました。
2007年02月24日
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おもしろい地名を探して旅行する人がいるそうですが、そう思って地図を眺めると、結構あるものです。 以前から、スケベニンゲン(注)、エロマンガ(バヌアツ、オーストラリア)、レマン湖(スイス)などは聞いたことがありました。他に、キンタマーニ(インドネシア・バリ島)、ハゲ(韓国)、オナラスカ(USA)などなど探すときりがありません。 島根県にも結構おもしろい地名があります。保久曽(ほくそ) 松江市八雲町揖屋(いや) 東出雲町馬路(まじ) 大田市仁摩町軽尾(かるび) 松江市美保関町万九千(まんくせん)神社 斐川町アカハゲ山 隠岐・知夫(ちぶ)村まだまだあると思いますが、とりあえず浮かんだのはこれくらいです。(注)Scheveningen オランダにある。オランダ語に近いカタカナ表記はスヘフェニンヘン。夏はトップレスの海水浴客でにぎわう。
2007年02月23日
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全国的には日銀利上げのニュースが大きく取り上げられましたが、島根県では「竹島の日」も関心事のひとつです。 山陰中央新報の記事に、韓国で英語を教えるゲーリー・ビーバーズ氏の寄稿がのっていました。違った視点からとらえた内容もあり、多くの人に読んでもらうといいと感じました。以下、投稿文の要約です。 島根県が「竹島の日」を定めたことは、「その島は独島(どくど)と呼ばれる韓国領である」と主張してきた韓国で猛烈な抗議を引き起こす結果となったが、韓国の主張にはおかしな点がある。歴史的文書や地図から根拠が見いだせないからだ。 竹島は隠岐島から北西157キロ、韓国欝陵(うるるん)島の南東92キロの、日本海に突き出た形の二つの岩からなる小島だ。周囲の海域は豊かな漁場で、だからこそ、この小島が日韓両国の漁民にとって重要になっている。 日本は1600年代からこの小島のことを認識していて、1905年に公式に日本領とした。だが、現在は韓国海上警察の派遣隊が占拠し、50年代から常駐部隊を配置している。 日本では、日韓両国の小島をめぐる紛争を大多数の国民が知らないか、無関心であるようだが、韓国では紛争のことをほぼ全国民が熟知し、韓国の訴えの正当性を情熱的に擁護している。日本は対抗策を講じるべきだ。 問題の本質は、韓国が日本領と日本の漁場海域を占拠していることではない。韓国政府やメディア、教育システムが小島をめぐる紛争を利用し、韓国内ばかりか世界中に反日感情を蔓延させていることにある。 日本がその島の領有権を要求するのは、再び韓国領をかすめとろうと画策しているからだ、と韓国の人々は世界の国々に向かって宣伝している。 日本の人たちに理解してほしいのは、日本側が韓国の主張に強く反論していないことをいいことに、反日団体が韓国側のプロパガンダ(宣伝)を広めている事実だ。 歴史的な証拠を見る限り、圧倒的に日本側の主張に軍配が上がる。韓国が独島のことという于山島が竹島ではないことは、韓国の地図が証明している。日本側が証拠を勉強して真実を世界に伝えれば、反日プロパガンダの広がりを阻止できる。 私は日本の皆さんが竹島・独島紛争にもっと興味を寄せることを願っている。知識を得て、広めていくことが、韓国からあふれだしている反日プロパガンダを押しとどめる手段となるからだ。 どうか島根県の「竹島の日」を大切にしてほしい。竹島に関する真実を、世界へ向かって伝えることができる絶好の機会なのだから。
2007年02月22日
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『経済倫理学のすすめ』竹内靖雄著を読みました。 わたしなりの解釈では、結局、ひとりひとりが自分のことを考えて他人に迷惑をかけないことが基本だという考え方だと思います。けれど、実際は人の助けを借りることがしばしばで、そうしたボランティアなどが社会の潤滑油になっています。 以下、一部抜粋させていただきます。問題J よくないことをしている人に対して忠告したり、その悪い行為を 世間に知らせて批判を加えたりする自由はあるだろうか。 これは、その人にとって不利益、不名誉、醜聞となるようなことを、ある大義名分のために他人が実行してよいか、という問題である。AがBの不行跡を暴露して非難すれば、Bはダメージを受ける。その限りでは、このAの行為は「交換の正義」に反するように見える。これが正当化されるのは、その不行跡が社会に実害を与えるという場合であろう。その場合、AはBの行為を警察に通報したり、告発したりすることもできる。Bはこの非難や告発が悪意からのものであり、事実無根である、などの理由でAを「名誉毀損」で訴えるという対抗手段を発動してもよい。ここまでくれば、裁判所が問題の決着をつけてくれることになるが、もっと卑近な問題は数限りなく存在する。問題K 電車の中でタバコを吸っている人、暴走族等々、迷惑になる行為をしている人には注意して止めさせるべきではないか。 これも倫理学の「演習問題」としてはその通りであろう。しかし、現実にはこれを実行して殺されたという例もあるのである。泥棒を捕まえようとして追跡して、逆に殺された人もいる。そこまで危険な場合ではなくても、電車の中で傍若無人に騒いでいる子供に注意したら、その親に食ってかかられた、というようなことはよくある話である。 このような危険や不愉快、煩わしさのために、人は他人の「よくない行為」に対しても口をださなくなる。「見て見ぬふりをする」ことになる。今日ではこれが普通のこととなったために、大勢の人の見ている前で暴行や殺人が行われたりする。「他人が間違っていたことをしていても、自分が直接被害を受けない限り、それは他人事として放置し、不介入の態度をとる」というのが今日の社会では原則となっているかのようである。 このような社会は、人々が互いに極度に「冷たい」社会、言ってみれば「倫理的低圧社会」である。「他人は他人、自分は自分」の個人主義の原則と「間違ったことであろうと、他人があえてそれをする自由に対しては口出しをしない」という自由主義の原則と「危険なことは、たとえ公共の利益となることでもしない」という利己主義の原則とが機械的に結合された場合は、誰もが「都合の悪いことは見て見ぬふりをする」という、倫理的圧力の極度に低い社会になる。これに対して、「勇気のない人間ばかりだ」と嘆く人も多いが、しかしそういう人自身が、いざその場に臨んだ時、果たして「勇気がある」かどうかはわからない。
2007年02月21日
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自然農法で育てられた木村さんのリンゴには芯がない、という話を聞きました。 TVで見た感じは普通のリンゴで、中央に種が見えました。普通食べない芯の部分までおいしいということでしょうか。 最近知ったのですが、木村氏はリンゴに詳しい上に、他の作物にも通じておられます。例えば、 「大根は時計回りに回りながら育っている」 「よい人参は芯が真ん中でまん丸になっている」 「モンシロチョウはネギが嫌い」など、感心する話がポンポン出てきます。 わたしの花の師匠も「観察できるかできないかで花の出来不出来が違ってくる」と言われます。その通りだと思います。 いろいろなことを検証しながら、わが家の野菜栽培も自然農法へ近づけたいと思います。
2007年02月20日
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先日の保育園参観日に、皆で『だんだん』を歌いました。 島根県民は耳にする機会が多いのですが、いい詩(うた)なので多くの人に歌い継がれてほしいと思います。『だんだん』作詩:秋元康作曲:後藤次利歌:ロッカ(下問晶子、土江六子)自転車を押しながら学校からの帰り道夕焼けがきれいだな通い慣れた道なのに・・・・・・何も変わらぬ街にも静かに時は流れて空を染めるだんだん だんだんここに生まれてやがて いつか誰かと出会いだんだん だんだん何かの縁が故郷(ふるさと)から始まるよこの橋を渡るたびあなたのことが好きになる陽を受けた川面まで昨日よりも眩しくて・・・・・・目の前にあるすべてが意味あるものと気づいた巡り合せだんだん だんだんしあわせのたねたった ひとつ見つければいいだんだん だんだん生きることとは“ありがとう”と言えることずっと ずっと見守っている永遠(とわ)の縁(えにし)出雲(いずも)の神よ注:「だんだん」は“ありがとう”の意
2007年02月19日
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川畠成道さんのヴァイオリン独奏と寺岡清高さんの指揮で、大阪シンフォニカー交響楽団の演奏会を聴きました。 開場が鳥取県の米子(よなご)市公会堂という古いホールだったので、最初は興味がわかなかったのですが、川畠氏のプロフィール(注)に関心をもち、聴きたくなってしまいました。 プログラムは、1.メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟(ヘブリディス)」2.ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番3.シューマン:交響曲第1番「春」でした。加えて、川畠さんのアンコールとオケのアンコールが1曲づつありました。曲目は、 イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番~バラード グリーグ:ホルベルク組曲~前奏曲でした。(鳥取県文化振興財団の西川様より教えて頂きました。ありがとうございます。) シューマンの「春」は最近まで聴いたことがなかったのですが、不思議な魅力をもった曲です。結婚の喜びを表現したともいわれますが、第3楽章でモーツァルトの交響曲第25番風の暗い動機が現れ、一筋縄ではいかない感じです。結婚前の人は聴かない方がいいかもしれません。 1980年創立というその新しいオケを存じ上げなかったのですが、弦の響きが特にきれいだと感じました。 川畠さんはほとんど目が見えないのか、寺岡さんに付き添われるように登場されました。演奏は評判どおりで、感動的でした。 素晴らしい演奏、ありがとうございました。(注)川畠成道さん 現在、日本で最も注目を集めている新進気鋭のヴァイオリニスト。英国をベースにソリストとして国際的に音楽活動を続けている。アーティストの技量をはかる一つの指標であるCD累積売上では、7年前のデビュー以来、ヴァイオリン部門1位を継続中。今、最もチケットがとりにくいクラシックアーティストといわれる。 視覚障害を幼少期に負い、10歳よりヴァイオリンを始める。チャリティーコンサートを精力的に行い、その目的は医療・福祉・教育・平和など、枚挙にいとまがない。余談:米子はクラシック人口が少なく、余裕でチケットが手に入りました。 米子市公会堂。ピアノとブラジルの教会のイメージだそうです。
2007年02月18日
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毎年恒例の保育園行事、「わくわくお楽しみ広場」がありました。 それは、1年間の子供の成長を見る発表会です。今年は娘も出るようになったので、楽しみが2倍になりました。保育園がすぐ近くなので、わたしは自分の子供の出番だけ見に行き、かみさんは全部見てきました。 まず、オープニングは年長・年中組による踊りで、「パラパラ安来節」でした。息子が登場し、無難にこなしてくれました。 次は、ひよこ組の「おへんじはーい」「あさのうた」「てあそびねこのこ」「ぐるぐるドッカーン」でした。1歳の娘が登場し、きちんと「はーい」と言うことができました。いつもの元気はなかったので、緊張していたのでしょう。でも、踊りから元気が出てきて、ぐるぐる走り回っていました。 一旦仕事に帰ってから、今度は5歳の息子の発表を見に行きました。最初の劇あそび「てぶくろ」は、劇の中で、子供は自分の得意な事を発表しました。息子は、他に2人のお友達と狐の役をしましたが、なかなかセリフを言うことができませんでした。先日まで病気で保育園を休んでいたので、準備不足だったのでしょうか。それでも、何とかお友達の助けを借り、言うことができました。それから、こま回しを披露してくれました。まず、こま回しができるようになっていることにびっくりしました。さらに、息子は動いているコマの軸にコマ回し用のひもをさし、ひもがコマの回転と一緒にからまっていくという、オリジナルの芸(?)も見せてくれました。その後、ダンス「アララの呪文」、歌「野菜のチャチャチャ」でした。 去年の息子は誰にも負けない大声で歌っていたのに、今年は全然声が聞こえませんでした。協調することを覚えたのでしょうか? 息子から少し子供らしさが減ったのは淋しい気がしましたが、これも成長した証拠なのだと思いました。
2007年02月17日
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フチベニベンケイ(ポルツラケア)は、俗に「金のなる木」と呼ばれています。葉が硬貨に似ているからだそうです。 夏にかなり水を控えると、冬に花を咲かせるようです。 ベンケイソウ科 クラッスラ(アズマツメクサ)属 英名:doller plant(ダラープランツ) 半耐寒性多年草 原産地:南アフリカ 属名のクラッスラ(crassula)は、ラテン語のcrassus(厚い)から。 葉や茎が肉厚で、水を多く含んでいるため。
2007年02月16日
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日本人はブームが好きなようです。今、沖縄ブームから沖縄へ移住する人が増え、「石垣バブル」というものが起きているそうです。 石垣島などの八重山諸島の人口増加が顕著で、地価が高騰し、石垣市の賃貸住宅建設が2005年度には1000戸近くにまで増えたといいます。こうした移住者の増加により、既存住民との軋轢が生まれているそうです。就職難、自然破壊、賃貸料金の高騰など、様々な問題が生じています。 沖縄の人が内地(ないち)という、日本本土がバブルに浮かれている頃、沖縄を旅したことがあります。それ以前、灰谷健次郎さんの『太陽の子』を読んで、沖縄を美化していました。しかし、沖縄の現実は、「本土から取り残されたところ」でした。港には白タクが横行し、みやげもの屋にはひびの入ったシーサーの置物を売るおばちゃんがいました。沖縄本島南部の慰霊碑周辺には年老いた女性が無言で座り、沖縄戦の写真集を売っておられました。南部戦跡の洞窟にある火炎放射の跡と、真っ青な海が目に焼きつきました。 恐らく、沖縄ブームで、その当時よりは島の暮らしが豊かになったのではないかと想像します。 いつかブームは終わります。そのとき、沖縄がまだ美しい島であることを祈るばかりです。
2007年02月15日
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斐川町立図書館へ初めて行きました。 近所の図書館では借りれないCDが目的です。地味な外観ですが、周囲が田んぼなので割合目立つ建物です。入ってまっすぐ行ったつきあたりにCDコーナーがありました。わたしのお目当てはクラシックなのですが、なかなか見つかりません。ジャズばっかりなのかな、と思って帰ろうとしたら、みつかりました。閲覧席をはさんで反対側の棚に置いてあったのです。ざっと見た感じ、クラシックだけで200~300枚くらいはあるでしょうか。思ったより多く、掘り出し物がありそうです。 今回借りたのは、ゲザ・アンダさんが弾き振りするモーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノム」です。何かのTV番組で、ジャズ・ピアニストの小曽根真さんが絶賛しておられた曲です。氏のライヴ演奏が放送され、とても気にいりました。氏のテクニックには舌を巻いてしまいます。 残念ながら、小曽根さんの弾くクラシック曲はまだCD・SACD化されていないようなので、いつか登場することを期待します。斐川町立図書館(島根県)。国道9号北の広域農道からはよく見える。
2007年02月14日
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社団法人 日本温泉協会が認定した、最高評価の温泉のひとつが、温泉津温泉薬師湯(以前は藤乃湯といっていた)です。 源泉・引湯、泉質、給湯方式、加水の有無、新湯注入率の5項目にわたって判断され、全国に12箇所、他に下記のところがあります。・奥湯沢(新潟県)・法師温泉長寿館(群馬県)・紅葉館(群馬県)・湯楽の里(群馬県)・東鶯宮百観音温泉(埼玉県)・春日部温泉(埼玉県)・古湯坊源泉館(山梨県)・大湯元山田旅館(長野県)・中房温泉(長野県)・大丸外湯(大分県)・雲仙いわき旅館(長崎県) 中国・四国・近畿地方では、この薬師湯だけなんですね。 隣接した駐車場はいっぱいだったため、200m離れた第2駐車場にとめて歩きました。 玄関で男湯と女湯に別れており、中へ入ってから番台で料金を払います。浴室へ入った第1印象は、「うわっ、狭い」でした。浴槽に約10人の人が入っていっぱいになっていました。他のお客様の迷惑になることを配慮してか、洗髪は50円アップの入浴料になっていることがうなずけます。ただ、湯船の外にも広がっている湯の花が、泉質のよさを物語っていました。 息子と一緒に入ったのですが、先にさっさと上がってしまいました。わたしが湯船につかれたのはわずか1分ほど。それでも肌がすべすべになっていました。ゆっくりしたいときは家族風呂がいいんでしょうね。 入湯後は、屋上のテラスでコーヒーの無料サービスがありました。旧い町並みを眺めながら、至福ののときを過ごさせていただきました。いつか、子供の手が離れたら、また来たいところだと感じました。 営業時間:5:00~21:00 料金:大人300円、子供(1歳以上)150円、洗髪は50円アップ 家族風呂は大人一人500円、子供一人300円(40分) 駐車場(無料):20台 シャンプー等は置いてありません。
2007年02月13日
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石見銀山の世界遺産登録前に、一目温泉津の町を見たいと思い、出かけました。 温泉津は、島根県のほぼ真ん中に位置し、かつては銀の搬出港として栄えた町です。 まだまだ観光客は少ないようで、未整備な状態に感じました。それゆえ、どこにでもあるような風景ではなく、一度狭い路地に入ると、旧い独特の町並みが続いていました。 また、変化に富んだ海岸も美しく、見るところの多い町です。とても一日では見て回れないので、またいつか来たいと思います。 これからもどこにでもあるような観光地にならないことを望みます。 櫛山(くしやま)城跡。櫛島にある。尼子方の温泉(ゆ)氏が築城した。後に、毛利氏が鵜丸(うのまる)城、笹島(ささじま)城とともに水軍の拠点とした。 展望台からの眺め。出雲方面。
2007年02月12日
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カルロス・クライバーの振るベートーヴェン:交響曲第7番はいくつかの録音があり、どれをとるか迷いました(全部聴いてみればいいのでしょうが)。 バイエルン放送響とのライヴ録音は評価が高いようですが、レヴューからは賛否両論という印象をうけました。そこで、無難に、ウィーン・フィルとの録音を選びました。CDで出始めたときは、第5番「運命」と第7番は別々のCDとして売られていたのに、今は一緒になってSACD化されています。「運命」の方は以前にCDを聴いて気に入っていたので、それがまた音質がよくなって発売されたこともそれを選んだ理由のひとつです。フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団の演奏と並ぶ超名演です。 さて、クライバー/ウィーン・フィルのベト7は、個性的ですばらしい演奏でした。特に、ウィンナホルンの爽快な響きが心地いいです。解釈としては、フリードリッヒ・ヴィーク(クララ・シューマンの父)が 「特に第1・4楽章は酔っぱらって作曲されただけだ」と批判したのもうなずけるものでした。 それはそれでおもしろいのですが、わたしはやっぱりライナー/シカゴの弦楽器を全面的に出した演奏を好みます。泣きたいかたには、イッセルシュテット/ウィーン・フィルの第2楽章がおすすめです。
2007年02月11日
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最近、あることを考えているうちに、正しいことと正しくないことを見極めることは、非常に難しいことだと感じました。 そこで、久しぶりに『ソフィーの世界』を読んで、気分転換を図りました。この本は、自分を客観的に見るトレーニングになります。どういうことかというと、今こうしてブログを書いている自分を、ふわふわと天井に浮かんでいるもう一人の自分が見るようになるということです。 以下、『ソフィーの世界』ヨースタイン・ゴルデル著池田香代子訳からの抜粋です。 ケーニヒスベルクのカントのお墓には、カントの有名な言葉が刻まれているー 考える機会が多ければ多いほど、また考えることが長ければ長いほど、ますますあらたに増大してくる感嘆と崇敬とをもって心を満たすものが二つある。それは、『わたしの頭上の星空とわたしのうちにある道徳律』だ。 「結局、何が正しくて何がまちがっているか、それを証明するのは歴史だ。ヘーゲルは、理性的なものだけが生きのびる、と考えた」 「生き残ったもののほうが正しいっていうこと?」 「ひっくり返して、正しいものが生き残る、と言ってもいい」 「なにか例をあげてくれる?さもないと、抽象的でピンとこない」 「150年前、女性の権利のためにたくさんの人が闘っていた。それに猛反対する人たちもたくさんいた。今のぼくたちが両方の言い分を聞いたら、どっちが理性にかなっていたかはすぐわかる。でも、それは後知恵というやつだ。女性の権利のために闘った人たちのほうが正しかったということは、あとから明らかになったんだ。自分のお祖父さんがこのテーマについてなんと言ったか読んだら、げっそりする人は多いだろうな」 「終わりにもう一つ、弁証法(注)的な緊張が、突然の変化につながるような行動をおのずからひきおこす例をあげよう」 「さあ、どうぞ」 「小さな女の子がいたんだ。その子はいつも、『はい、ママ』とか『ママがそう言うなら』とか『はい、すぐするわ、ママ』としか言わないんだ」 「背筋がぞっとする」 「ある日母親は、あんまり娘がすなおすぎるのでかんしゃくを起こして、『すなおにするのもいいかげんにしなさい!』とどなった。そしたら娘は『はい、ママ』と答えた」(注)弁証法:(dialectic) 本来は対話術の意味で、ソクラテス・プラトンではイデアの認識に到達する方法であった。アリストテレスは多くの人が認める前提からの推理を弁証的と呼び学問的論証と区別した。中世スコラでは哲学の別称とされた。カントは錯覚的な空しい推理を弁証的とよび、弁証法を「仮象の論理」とした。ヘーゲルは、有限なものは自己自身の中で自己と矛盾し、それによって自己を止揚し、反対者へ移行するとし、これを弁証法と呼び、全世界が不断の運動・変化・発展のうちにあり、弁証法はイデーの自己発展という観念論的な形で展開された。マルクス・エンゲルスは唯物論の立場からヘーゲルを摂取し、弁証法を「自然、人間社会および思考の一般的な発展法則についての科学」とした(唯物弁証法)。すなわち、形而上学的思考法と対立し、世界を新たなものの生成、量から質への転化、古いものの消滅という諸過程の複合として認識し、一切は、他と相互関係にありながら、自己の内部における対立物との闘争によって自己運動を起し発展するとした。キルケゴールもヘーゲルに基づくが、神と人間とは質的に対立するから量的弁証法は誤りとし、宗教的実存に高まる人間の向上を質の弁証法で説明した。これは K.バルトの弁証法神学に影響を与えた。西田の絶対矛盾の自己同一やサルトルの現象学と統合された意識の弁証法の試みなどがある。(『広辞苑』より)
2007年02月10日
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茨城県農業総合センターの池羽智子先生の研究によれば、生野菜抽出液の抗酸化性(注)の強いものは以下のようです。・非常に活性が高いもの ハナボウフウ 食用キク イタリアンパセリ オオバ こごみ ブロッコリースプラウト(sprout:新芽) アシタバ ミツバ(根ミツバ) モロヘイヤ ピーマン ベビーリーフ(注)活性酸素の働きを抑えるのが抗酸化性という働き。野菜に多くの抗酸化成分が含まれ、アスコルビン酸(ビタミンC)、カロテノイド類、トコフェロール(ビタミンE)、ポリフェノール類などがある。 ヒトは酸素を体内に吸収して、生命活動に必要なエネルギーを得ている。その際、酸素の大部分は二酸化炭素や水に代謝されるが、一部は非常に反応性の高い「活性酸素」に変換される。活性酸素は一重項酸素、ヒドロキシラジカル、スーパーオキサイド、過酸化水素など反応性の高い酸素種の総称であり、ホルモンの合成や体内に侵入してきた病原菌・ウイルスを殺傷するのに必要とされる。しかし、ストレスや喫煙等により、活性酸素が過剰に生成されると、余分な活性酸素が体内の脂質、タンパク質、核酸を攻撃し、酸化損傷を与える。この傷が蓄積することによって、生活習慣病、がん、老化等が引き起こされるといわれている。したがって、過剰な活性酸素の働きを抑制し、生体成分の酸化を抑えることが疾病予防に効果的と考えられる。参考:『農業および園芸』~野菜の抗酸化性評価
2007年02月09日
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ブロッコリーはビタミンC・Eを多く含む栄養価の高い野菜です。 1.活性酸素を除去する 2.発がん性物質を解毒する 3.免疫機能を高めるなどの機能がガン予防に重要な役割を果たしています。その中で解毒する機能があるといわれる、イソチオシアネートが特に注目されています。 イソチオシアネートは、特にアブラナ科の野菜に多く含まれている辛味物質です。血管内での血栓生成の予防効果があることでも知られています。 食用にしている部分は、つぼみの塊の集合体です。収穫されたブロッコリーは、植物体から切り離されていても早く花を咲かせて種を保存しようとします。それゆえ、黄色に変色し、栄養価値は落ちてしまいます。それを防ぐためには、ポリエチレンの袋に密閉し、呼吸を抑えてやることが必要です。そして、冷蔵庫の野菜室に収納すれば、鮮度よく保存することができます。参考:『農耕と園芸』~「野菜とくだもののおいしい保存法」大久保増太郎 M氏の畑。忘れ去られたブロッコリー。花が咲いている。 もったいない...。
2007年02月08日
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知人に見せていただいたレポートが頭の体操によかったので、掲載させていただくことをお許しください。作者不詳です。 豚とソクラテス 快楽を求め苦痛を避けるという原理は、人間だけでなく動物にも見られる。この原理に基づく最低線の倫理とは、人間の尊厳を無視した「豚の倫理」ではないか。功利主義の批判者は「人間の生活が快楽より高い目的を持たないと想定することは、まったくいやしい下等なことだ、豚にしかふさわしくない学説だ」と主張する。しかしミルによれば、この批判は間違っている。ミルは、「人間存在は、動物的欲望よりも高められた諸能力をもっているし、ひとたびこの能力を意識させられると、それを満足させないようなものは、幸福とはみなさない」と、考えていた。それを証明するのが、「両方を経験した人の選択」という論法である。以下に紹介しよう。 「両方を同じように熟知し享受しうる人々は、彼らの高い能力を行使する生存様式の方に、きわめてはっきりした優位を与える。ほとんどの人間は、動物的快楽を完全に与えられるという約束とひきかえに、人間より下等な動物に変えられることに同意しようとはしないであろう。知性ある人間存在は誰でも、利己的で下劣な者になることに、同意しないであろう。・・・満足した豚であるよりは、満足しない人間である方がいい。満足した馬鹿者であるよりは、満足しないソクラテスである方がいい。」 この論法でミルは、功利主義が認めるのは豚の快楽よりむしろソクラテスの快楽だ、と主張する。両方の快楽を比較するのに十分なだけの教育を与えれば、大衆の文化はソクラテス化する。言論の自由が文化を向上させるのも同じシステムで、「両方の快楽を経験した人は、高級文化を選択する」という構造的要因があるからなのである。自由は真理の発見効率を最大限にする、という訳である。 しかし、大衆社会現象はミルの期待を裏切っている。テレビ番組は低俗化していないか。新聞の社説よりは芸能人のゴシップ記事の方がよく読まれているのではないか。純文学よりもポルノ小説の方がよく読まれているのではないか。大衆文化は、「両方の快楽を経験した人は、低級文化を選択する」という構造的要因があることの実験報告のように思われる。やはり、功利主義の最低線の倫理は、豚の倫理ではないだろうか。 しかし、それでいいのかもしれない。豚の倫理で何が悪い。もちろん、人間に快楽を完全に捨てなければ道徳的になれないと説教する倫理学があってもよい。ただし、その倫理学は大多数の人間にとって無縁であろう。生きた現実世界をうまく運営するための倫理学が、求められているのではないか。それでは、功利主義の倫理学こそが、まさにそのような倫理学なのだろうか。何か欠点はないのだろうか。それが問題であろう。
2007年02月07日
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保育園から定期的なお便りがきました。 先日の節分の様子が書いてありました。同じひよこ組のほとんどの子が、鬼にびっくりして泣いていたようです。その中で、娘は「いつもと変わらずなぜかにこにこ」していたそうです。息子は、同じ年のころ、涙を流していたはずです。今年は残念ながら「おたふくかぜ」で参加できませんでした。参加していればなみだ目だったろうと想像します。 娘は、先日の「千と千尋・・・」も怖がる様子がなく、お父さんとお母さんが豚に変えられたシーンではげらげら笑っている始末でした。
2007年02月06日
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レンタルCDで、小澤征爾指揮フランス国立管弦楽団のビゼー交響曲を聴きました。 ビゼーは交響曲がひとつしかなく、しかも17歳の時の作品です。1855年の作曲といいますから、ベートーヴェンの第九が作曲(1824年)されてから31年もたっています。けれど、古典的で聴きやすい曲です。 さて、演奏は予想外に素晴らしいものでした。初顔合わせの演奏だそうで、緊張感があり、かつ楽しげなものになっています。1982年の録音で、割合音響もいいです。フランス国立管はこんなにすごいオケだったのか、と認識をあらためました。小澤さんがオケから最大限の能力を引きだした結果だと思います。名演中の名演といえるのではないでしょうか。 残念ながらSACD化されていません。
2007年02月05日
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誰が言い始めたのか知りませんが、「日本一美しい宍道湖(しんじこ)の夕日」と絵葉書に書いてありました。 今日は、島根県の冬には珍しい快晴となり、素晴らしい夕日が見られました。 島根県立美術館付近より。
2007年02月04日
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うすく積もった雪を踏みしめながら、近くの磐坂(いわさか)神社へお参りしてきました。息子の病気が完治していないので、ひとりで行きました。 小高い丘の上にあり、下から歩いて5~10分程度かかります。お昼に上がったのですが、誰一人いませんでした。自分の足が雪を踏む音しか聞こえてきません。雪でお年寄りはあきらめたのでしょうか。拝殿においてあった、お土産の小さな豆袋はたくさん残っていました。 拝殿に向かって拝んでから、裏手の小さなお社にも手を合わせます。五つほどそういうものがあり、そのうちの一つはスサノオノミコトで、二つはお稲荷さんだと思います。他はなんだか知りません。鳥居の近くには天神さんもいらっしゃいます。 ひととおり拝んで、清清しい気持ちで帰りました。
2007年02月03日
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農業に関した、NHKの特集番組を見ました。 あまり目新しい内容ではありませんでしたが、岩手県からのレポートには少し驚きました。それは、今まで大規模化してきた専業農家と、これから立ち上げる集落営農組織との間で確執が生まれてきているというものでした。多くを借地に頼ってきた大規模専業農家に対し、集落営農組織は農地を返すように言っているというのです。 番組の中で、松岡農林水産大臣は、専業農家が集落営農組織に加わればいい、と言っておられました。しかし、そういうことができるほど仲がよければ、そのような対立は生まれなかったと思います。 集落営農組織を急につくっても、すぐに軌道にのるわけではないと思います。いずれ、またもとの専業農家に依頼するところも出てくるのではないでしょうか。 いずれにしても、米どころらしい地域の問題だと感じました。 わたしの住む島根県は平らな土地が少なく、新たに集落営農組織を立ち上げるところは少ないと思います。積極的な専業農家に米づくりをお願いしているところが多いのではないでしょうか。 やはり、多品目での産地直売の流れが大きいようです。
2007年02月02日
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青森で自然農法のりんご栽培を営んでおられる木村氏が、座右の書としておられる『自然農法 わら一本の革命』福岡正信著は学生時代に読みました。 その時、衝撃を受けたと同時に、その当時の自分には不可能だと感じました。ただ、関心はあったので、福岡氏の他の著書、『無 自然農法』も読みました。 そして、久しぶりに本棚に眠っていたその本を取り出しました。 現代の文明を否定するかのような内容に、以前は拒否反応のようなものを感じていました。しかし、今は少しは理解できるような気がします。 ここ、出雲地方にちなんで、大国主命(オオクニヌシノミコト)の話を引用させていただきます。 大国主命が、かついでいる大きな袋の中身が何であるかを知ろうとしたとき、人はすぐにその袋を開けて手を差し入れてみようとする。袋の中を知るためには、袋の中身を知らねばならぬと思うからである。仮にその袋の中には、木や竹で作った奇妙なガラクタ道具が入っていたとする。このとき多くの人は次のようにいろいろの知恵をしぼって判断を下す。「この道具は旅行用に使われる道具だろう」「いや、これは彫刻で装飾品となるものだ」「いや、武器に違いない」等々。だが、本当のことは、大国主命が知るのみである。実はそれは、彼が手遊(すさ)びに作った楽器であった。しかもそれは壊れていて、単なる薪として使うために袋の中に入れていたにすぎなかった、というようなことが起こりうるのである。(中略) 原因には無限に原因があり、その根源を尋ねていくと、真の原因というものはわからなくなるものである。
2007年02月01日
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