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《文字にはっきり記録されていない記憶があり、文字の記録利用に先立つ見えない体験があるはずなのだ。後に神話とか伝承とか呼ばれ、まとめられたものがそれであるが、そこをやり過ごしてしまっては一民族の歴史は見えてこない》(西尾幹二編『国民の歴史』(産経新聞社)、 p. 147 )
文字のなかった時代にも文化と呼べるものがあったかなかったかと問えば、あったと考えるのが自然である。無文字文化を学術的に検証することは能(あた)わない。が、だからといって、無文字文化を否定することは出来ない。神話の中には文字化できなかった史実も含まれていると考えられるのであるから、一概に神話を虚構扱いし、歴史的に無価値であるとすべきではないということである。
《こうした西尾氏の議論が、古代人の「フマニタス=人間性」を近代に再生させようとしたドイツの人文主義者たちやロマン派と同型的なもの、あるいは、それをより極端な形にしたものであることは、今さら言うまでもないだろう。古代のエクリチュールの内に「読み取った」ものを、“生き生きと”子供たちに「伝承」していこうとするのが、彼の「自由主義史観」なのである》(仲正昌樹『「不自由」論 』(ちくま新書)、 p. 152 )
おそらく仲正氏は、西尾氏の著作をちゃんと読んでいないのであろう。西尾氏は、自由主義史観論者ではない。成程、西尾氏は、自由主義史観を提唱した藤岡信勝氏と「新しい歴史教科書をつくる会」で活動を共にした。が、「つくる会」と自由主義史観は同一のものではない。それどころか、西尾氏は、自由主義史観を否定的に見ている。
《いったい日清・日露まで日本はなぜ自分の羅針盤ひとつを頼りにして、なんとか国を亡ぼさずに大過なく生き延びることに成功したのだろうか。自分の過去を否定したり反省したりする利口な人間がいなかったからだ。自分の過去を善悪2つに分けて生きるような閑人(ひまじん)がいなかったからだ。
未来が怒涛のごとく押し寄せてきて、小利口に生きる余裕は誰にもなかった。ほんとうは大東亜戦争だって、われわれはそのようにして生きたのである。勝敗の結果は逆だったが、日本人のけなげな生き方にはなにも違いはなかったのではないか。それが軌道を踏み外した錯誤だったのかどうかも、じつをいうと、誰にもまだよくわからない。さらに50年、日清・日露と同じくらいの時間の距離ができなければ、あの戦争については、なにひとつまともな、後世に恥じないですむ判断はできないだろう》(西尾、同、 p. 616 )
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