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年末恒例のもちつきをした。昨日までの寒さが嘘のようなポカポカした天気に恵まれた。参加家族5、参加者数18名。うち高校生2、幼児4、高齢者1。 朝日を拝んでお神酒を上げ、そのままお酒をあおりながら餅つきが続く。足をよろつかせながら、杵を振り上げる。 今年も立派な餅ができた。
2005.12.30
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歳のせいかこの2,3年は年賀状を作るのが面倒くさくなった。今、250枚くらい書いている。人が作った図案は使いたくないし、さりとていいアイデアも浮かばない。 この十数年、もう使われなくなった謄写版、ガリ版、鉄筆、原紙を手に入れて、その年家族で過ごした思い出などを漫画のように図案化していた。最近は家族と言っても上の二人は上京していて家族みんなの思い出はない。干支の動物を使って家族が今熱中していることや、動きなどを紹介している。 原稿作りから印刷まですべて手作業であるから、一回一回葉書を謄写版に載せかえたり、刷り終えた葉書を紙に挟んでインクを乾かしたりと忙しい。その上、一枚の原紙の印刷枚数はせいぜい7,80枚といったところなので、何枚か原紙も用意している。 刷り終わったら、今度は表の住所を書いて一人ずつメッセージを書いて、余裕があれば色鉛筆などで彩色する。一連の作業を終えるとホッとする。 皆さんはどのような方に書いておられるのだろうか。差し上げたい人だけだろうか。そうであればいいのだけれど、ぼくの場合年賀状だけの付き合いで道で会ってもおそらくわからないような人がだいぶいる。 このような状況の中でふと考えたのは、日本人のすべての人が、出したい人にだけ出して余った年賀状の対価をアジアの子ども達の支援に使ったらどうだろうということだった。 モンゴルでは零下何十度の極寒の地に親から捨てられた子ども達が、給湯パイプの通るマンホールに入って、寒さをしのいでいるという。それでもその中は0度という寒さに加え、ものすごい悪臭が漂い、寝ていたらねずみから耳や唇を噛み切られたりするという。他の国でも多くの子どもの命に関わる問題を抱えているという。 日本人が差し出す年賀状の何枚か分を、これらの子ども達の支援にまわすことはできないだろうか。そうするだけでも多くの子どもの命が救われるだろうと思う。
2005.12.29
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『たとえどんなことが起ころうと、それはよりよい生へのステップであり、「感謝」で言い換えることができる。そうであれば、起こったことはすべて自分にとってよいことなので、感謝してしまえばよいことになる。』そんなことを考えた。
2005.12.27
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高1の息子が小学校のころやっていたソフトボールチームの家族が集まって我が家でクリスマス会をした。それぞれ道は違っていてもいつまでも仲のよい友達であってほしい。 22人が集まって足の踏み場もない ちゃんと式次第に則って厳かに 熊さんチームとウサギさんチーム対抗ゲーム大会。勝ったチームがプレゼントを選ぶことができることになっている。 キャプテン(昔の監督、コーチ)同士の「豆うつし」
2005.12.25
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19日の夜から降りだした雪が朝には積もった。宮崎市では12月に積もる雪は60年ぶりという。20日は朝から寒い日となった。車の事故が多発したらしい。
2005.12.23
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昔を思い出し始めると、嬉しかったことや楽しかったことが次々と出てきた。 5国語と算数のテストで百点を取った 小学2年生のとき、国語と算数の学力テストがあった。そのとき、両方とも百点を取ったのが、キミコさんとぼくだけだった。どちらかが百点の人はたくさんいたのだが・・・ 参観日にその発表があった。そこでぼく達が両方とも百点だったことを先生がみんなの前で言った。嬉しかった。でも一番嬉しそうだったのは、母親だった。二人で歩いて帰る途中「母ちゃんは鼻が高かった」と言ってたくさんほめられた。そのときこんなに親が喜ぶのであれば、また今度もいい点をとろうと思ったのだった。 6次々と当たるチュウインガム 近所に駄菓子屋があった。小遣いは1日5円。これで1回くじが引けた。時には堅実にピーナッツキャラメルを5個買うこともあったり、雀の卵を10個買ったりした。しかしくじは魅力的だった。 風船ガムのくじを引いたことがあった。当たれば連続してくじが引ける。あるとき、引くたびに当りが出た。10個くらい続くと恐ろしくなった。悪いことをしているようでドキドキしてきた。店のおじさんが首をかしげてそれを見ていた。すると突然、何かを思い出したかのようにあわててやめさせた。それは、仕入れたときに当たりばかりが入っている箱と、はずれだけが入った箱が2種類あって混ぜて出すようになっていたのだった。ぼくが引いたのは当たりばかりが入っていた箱だった。悪いことしたような得したような気分になった。
2005.12.22
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本格的に雪が降り始めた。明日は積もるかも知れない。 自分新聞の取材をしていて気づくことは、嬉しかったことや楽しかったことは何かをして成功したり、あることを達成したということが大きな割合を占めていると言えそうだ。4グローブを買ってもらった 学校から帰ってくると、いつもの場所に子ども達が集まった。特に何をするわけではないが、集まった仲間でその日の遊びがきまった。中学生や高校生がいるときは近所の広場でソフトボールをした。 まだ小学3年生のぼくは、いつもライトだった。打席が回ってくると、決まってバントの指令が出た。思い切り打ちたいという気持ちが押さえられず、そのサインを無視してスイングすると、ピッチャーフライや内野ゴロとなって、次から使ってもらえないことになった。また、ライトフライが上がるとまともに受けられず、その非を責められた。その度に泣いて帰って、もうソフトボールはしないと決心するのだが、次回からすぐにまた加わった。 ある日、グローブを持たないぼくに、父親が買ってくれた。思いもかけないプレゼントに心が躍った。その瞬間から名選手の気持ちになった。兄貴がこの球を受けてみろと精一杯の力で投げてくるのを受け止めることができ始めた。グローブのまん中で捕球したときはたまらなく痛かったが、その横で見守る父親がいたので平気な顔をした。そしてどんな早い球でも受けてやろうとする勇気がわいた。これでとやかく言われないですむと思うと、嬉しくて次の日が来るのが待ちきれなかった。
2005.12.21
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自分新聞は自分ののろけ話でよいので、ワクワクしながら過去を思い出していた。読む人は面白くないだろうけど。3 自転車に乗れたぞの巻 小学校3年生のころ、自転車乗りが流行った。家には大人用の自転車がなぜか2台あった。3年になれば、倒れた自転車を何とか起こすくらいの体力がついていた。でも重い。最近の自転車とは比べものにならないほどだ。 学校から帰ると自転車を引っ張り出してきて、近所の広場に集まった。背丈はサドルの高さが首の位置だった。頭の高さがハンドルよりは少し高かった。 三角乗りといって右腕をサドルを抱え込むように持ち、左手は左ハンドルを持った。左足は左のペダルに乗せて右足でスキップするように加速をつける。乗っても倒れないようなスピードになった時、やおら右足をハンドルとサドルをつなぐパイプの下を通して右のペダルの上に乗せて漕ぐ。 ぼく達が小さかったころは、お金持ちの子どもしか子供用の自転車は買ってもらえず、羨ましい思いをしたが、大人用の自転車があるだけでも良いほうであった。 自転車の練習を始めて2,3日後、全身に擦り傷を作りながら、20メートルほど倒れずに前に進むことができた。すべての幸福が一度にやってきたような喜びに満たされた。飛び上がるほど嬉しかった。まだブレーキのかけ方もわからなかったが、すぐにいくら漕いでも倒れないようになった。 全身を吹き抜ける風が気持ちよかった。周りの景色が飛ぶように後に去っていった。これまで味わったことのないスピードだった。早く父にその姿を見せたくて、仕事から帰って来るのを待ちわびた。
2005.12.20
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今回のセミナーでは中野さんのワークショップのほか河室さんのワークショップがあった。それは、自分新聞を作ることだった。それは、過去において楽しかったこと、嬉しかったことなど一切否定的なことは抜きにして、自分のいい面だけを新聞記事にするものだった。 さっそく心をめぐらせて取材を始めた。そして、思いついたこと1我が家に初めてサンタさんがきたぞ! 小学校3年生の時、クリスマスイブに家の前にデコレーションケーキが置かれてあった。それまでになかったことで、ビックリするやら嬉しいやらで兄弟4人大喜びした。そして、初めて食べるケーキの味はこの世のものではない美味しさであった。 そして、その翌朝枕もとにサンタさんのプレゼントが置かれてあった。それは、習字セットであった。大筆、小筆、硯、墨が長方形の木の箱に入っていた。サンタさんはもっと字がうまくなるように願っていたことがわかった。2順子さんから手紙がきた 中学1年の夏。好きだった隣のクラスの順子さんに手紙を書いた。「好きだ」とは書けなかったが、出さずにはおれなかった。夏休みが終わるまでしばらく会えないと思うといたたまれなかった。 出した後、今度会うときはどんな顔をして会えばよいのか、そんなことを考えると、少し後悔した。しかし、2,3日後に返事がきた。嬉しくて何度も何度も読み返した。最高に幸せだった。
2005.12.19
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中野裕弓さんのセミナー「対人関係をより円滑にするコミュニケーション・スキル」に土日で参加した。 祖母山(1756m)の麓でかつての銅山のあった尾平。廃校となった小学校を改造して造られた素敵な宿泊施設で開催された。17,18日に厳しいい寒波がやってきて雪が舞い、何とかチェーンはつけずにたどり着くことができた。 中野さんはカウンセラー・人事コンサルタント。ワシントンの世界銀行にヘッドハントされて活躍。現在国内外での講演活動やセミナーを開いている。その内容には定評があり、延岡でも2回ほど講演に来ていただいている。2年ぶりにお会いしたくて出かけた。
2005.12.18
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耐震強度偽装の問題も 輸入牛肉の問題も 遺伝子組み替え農作物の問題も 食品添加物の問題も 原子力発電の問題も みんな根は同じ。 人間の命よりもその場限りのお金儲けを選んだ人間が犯した過ち。 こういったことを一番大切な人に勧めることができるだろうか。 自分と他人に境界がなければこういう問題は起こらない。
2005.12.16
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休みをもらって宮崎に行った。面白そうな店が平和台公園にあると聞いていたので出かけた。平和台に行くのは何十年ぶりだろう。昔は宮崎で一番の観光スポットだったが、今はそれほどの賑わいはない。 起源二千何百年を記念した平和の塔が公園の真ん中にある。公園は町の中心部にもかかわらず、広大な自然の森からなっている。市民の憩いの場であり、平日にも関わらず、人出もあった。塔の前で、世界人類が平和でありますようにと平和の祈りを口ずさんだ。 さて、その店に行ってみた。一つは食材にこだわったオーガニックのバイキング方式のレストランと、フェアートレードの小物や食材、軽食を扱う店だった。 レストランは順番待ちが出るほどの盛況ぶりで、料理も美味しかった。それよりも、レジや受付などのサービスを担当する若い女性の応対に感心した。笑顔を絶やすことなく『お客様のために何かしてあげよう』という姿勢がいつもみえてとても好感が持てた。それが嬉しかったので、帰りに「笑顔がさわやかでした」と伝えると「にっこり笑って恥ずかしいです」と応えてくれた。それがまたよかった。これからも嬉しいことがあったら、口に出して言おうと思った。
2005.12.15
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市民大学でしゃべったときの録音テープをもらった。「一度聴いてみるといい」と言われた。が、照れくさくて恥ずかしくて聴く気がしない。それに、自分は話が下手ということを十分承知しているのでなおさらだ。恥はかき捨てにしておこう。
2005.12.14
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日曜日は地区の大掃除であった。夏とは違って冬は草は枯れていて、草刈も楽である。しかし、年末を迎えて皆忙しいらしく近所で掃除に出たのは、10世帯のうちで、ぼくと一人の主婦だけでなんとも寂しい大掃除となった。彼女も、仕事があるとかですぐに職場に行かねばならなかった。 草刈とか掃除というのは嫌いではないので、きれいになっていくのを楽しみながら草を刈った。 世の中、ますます人は忙しくなっていくようだ。昔は今より暮し向きはよくなかったが、休日はみな休んでゆっくりしていたような気がする。そして地区の寄り合いとかレクリエーションには多くの人が参加していた。大掃除もまた地区の人のコミュニケーションの場となった。 草を刈っていたら、2,3歳くらいの女の子がこちらに来て「おじちゃん、何してるの?」と訊くので「草を切ってお掃除をしてるところ。ところでお名前は」「みずきちゃん」「みずきちゃんはどこの保育園?」「○○保育園」などといろんな話をすることができた。 彼女の家も同じ班であり、若い夫婦がいるのはわかっているのだが、日頃めったに会って話すことがなく、ましてや子どもができてこんなに大きくなっているとは知らなかった。
2005.12.13
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12月としては珍しく寒い。明日は宮崎県を除けば九州各地に雪マークが出ている。寒がりでどちらかと言えば冷え性であるのに、12月が好きなのなぜだろう。同じ冬でも1、2月は好きではない。生まれたての冬が好きなのだ。 三男坊に涼平と名付けた。「涼」としたのは、人間がどこか間違った方向に脇目もふらず突き進んでいるようで、頭を冷やして考えて欲しいという願いがどこかにあった。 このところの幼い子を狙った殺人事件をみると、やっていいことと悪いことの判断を超えて、人間をその行動に駆り立てるものがあるように思えてならない。気やエネルギーの乱れがそうさせているのではないか。 光になりたい。
2005.12.12
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この2,3日寒波がやってきて、奥山が雪で白くなっている。12月では珍しい風景である。職場では、ウオームビズという服装で仕事をするようにということになった。着こむことによって、省エネをしようというわけだが、夏のクールビズとは違って、どういう格好がいいのかわからない。ハンテンを着て仕事をするのはどうだろう。 明日から三日続けて忘年会。いよいよシーズン到来。独身時代には、忘年会が続いて1週間家に帰らなかったことがあった。友達の家に泊まっていたり、居酒屋にそのまま泊まったりしていた。 小さな子どもが殺される事件があとを絶たない。抵抗できない弱い立場の子ども達の命を奪う者の心がわからない。きっと社会から抑圧されて、やり場がなくなった人のはけ口になっているのだろう。社会全体の問題でもある。
2005.12.06
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市民大学での講演が終わった。今回は、いかにボケをかますかが最大のテーマだった。そのひとつ。 『高1の涼平が小学校の低学年のころ、いきなり「お父さん出世せんといかんよ。だいたい市役所で何しよっと?」と訊くので、出世という言葉をどこで覚たのだろうと思いながら、「お父さんはね、椅子に座って鼻くそをほじりよる」と答えた。すると「だめじゃが。一生懸命仕事せんといかんが」と叱咤激励された。 そのあと、「涼平、やっぱり出世せんといかん?」と訊いたら、しばらく考えて、「お父さんは今のままでいい」と慰めてくれた。 そして先日、今年の市民大学のプログラムをテーブルの上に置いていたところ、彼がそれを見つけて「お父さん、12月1日は何かするとじゃね。」と言うので、「人の前で話すことになった」と言うと「お父さん出世したね」とほめられた』 そのことを話したら意外と大うけだった。
2005.12.02
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