うそ 0
ものがたり 0
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フランスギク吉永小百合が初めて医者役をした「いのちの停車場」を観た。2021年制作でコロナの真っ盛りの時に制作された映画でよくこれだけの作品が撮れたものだと思った。吉永小百合は当時76歳だったが39歳の女医さん役をこなしており、殆ど違和感がなく、名女優は齢をとらないものなのかなと思った。吉永さんは田舎の在宅診療医として重症患者さんを訪問診療する役で医者役は初めてというのに初々しい研修医みたいな感じで好演していた。物語りは末期の肺がん患者で医者の言うことを聞かない芸者さん、脳出血で胃ろう栄養をしている奥さんの面倒を見ている旦那さんで、ヘルパーさんを頼めばいいのに奥さんが他人に下の世話などをしてもらうのを嫌いなので老々介護で全て自分でしているが自分の心も体もかなり傷んできているご夫婦、IT企業の社長さんで頸椎損傷で体が自由に動かない。お金はいくらでも出すから何とか治療の方法はないかとたのまれて、吉永医師が幹細胞増殖で脊髄再生治療の研究をしている有名なを医師を紹介してやり、それも基本的には在宅で治療を行う話、吉永医師の幼馴染で女流棋士が5年前に癌の手術をした(どこの癌かは明らかではない)が再発して抗がん剤治療をしているケース、元高級官僚で膵がんの末期の男性、子供には何でも好きなものを買ってやる育て方をしてきたが何が原因か分からないが高校生の時家出して、末期の時も駆けつけてくれない。その時まほろば診療所で吉永医師と一緒に働いている医師国家試験が受からない青年(松坂桃李)が息子さんの代わりに意識が無くなっていく父親の手を握って子供に成りすまして色々声をかけてやる。海に憧れている小児がんの女児を松坂青年が海に連れ出してくれる話など盛りだくさんだった。吉永医師については病弱の父親がおり、大腿骨頸部骨折を契機に原因不明の激しい疼痛に苦しむようになっていた。こんな苦しみから早く解放してくれと安楽死を娘に再三お願いする。モルヒネも効かなくなってあんなに苦しんでいるので救ってやりたいと娘の吉永医師は苦しんだ。最終的にどうしたかは映画では描かれていなかったが安楽死について考える機会を与えてくれたのだと思う。配役人は吉永小百合、松坂桃李、広瀬すず、西田敏行、小池栄子,南野陽子、柳葉敏郎、泉谷しげる、田中泯、森口瑤子、石田ゆり子、みなみらんぼう など豪華俳優陣が揃っており、吉永小百合だけでなく他の配役の演技も素晴らしかったと思う。一見をお勧めする。
2024.03.19
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玄関で咲いている斑入りツワブキ世界アルツハイマーデー記念上映会が各県で開催されており山梨県は11月18日に中央市の玉穂視聴覚センターで開催される知らせを頂いた。上映映画は「長いお別れ」で予告編とあらすじを読ませて頂いた。主人公は中学の校長を定年退職した男性で70歳頃から認知症が始まり次第に認知症が進んでいく様子が克明に描かれていた。奥さん、娘さん二人、上の娘さんの子供(孫)とのかかわりの中で病態が少しずつ変わっていく様子が現実のように描写されていた。7年間の介護の中で病状がいい時もあるが悪い時もありスーパーで万引き事件を起こしたりする。謹厳実直な校長先生だった人が人格的にも崩れてしまい、悲しいことだがそれが現実にあちこちで起きているのである。映画の題名「長いお別れ」は娘さん(長姉)夫婦がアメリカで暮らしており、その息子が通っている学校の先生に祖父が亡くなったことを報告したら「アメリカでは認知症のことを長いお別れというのだよ」と教えてもらったことに由来するとのことだった。今回たてこもった男性も認知症のどこかの段階だと思われるが、認知症が武器を持ったら危ない。武器の所持免許は年齢制限をするべきだと思われた。
2023.11.01
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ヒュー・ハドソン監督 キム・ベイシンガー主演の「永遠のアフリカ」を観た。キム・ベイシンガー扮するクーキーは離婚して7歳のエマニエルと実家の母と暮らしていた。ある時仲間たちと飲みに行き2次会に行こうと車に乗っていた時大型トラックと正面衝突しクーキーは足を骨折するも命は助かった。運転していたパウロが責任を感じて何度も見舞いに来てくれる間にお互い愛し合うようになる。クーキーの父親はアフリカで働いたことがあり、パウロの兄もアフリカで事業をしていて亡くなった。クーキーは生き残れたのでこれからの新しい人生について考えていた。パウロは志半ばで倒れた兄の意志をついでアフリカに行きたいと思っていた。クーキーはパウロの気持ちを知って自分も息子エマニエルと一緒にアフリカに行くことにする。実家の母親は猛反対したが3人はケニアに向かって旅立った。パウロはアフリカで井戸を掘る仕事を始めた。アフリカの広大な自然、像やライオン、蛇、水牛など様々な動物を身近に見ながら生活することになった。パウロを愛していたとはいえ、イタリアで何不自由なく裕福な生活をしていたクーキーがよくアフリカに行く決心をしたものだと思った。イタリアの生活とは全く違い現地の黒人と共に粗末な生活を送ることになったが彼女は耐えた。しかしパウロは女の子が生まれた直後に交通事故で亡くなってしまう。実家の母親はイタリアに帰って来なさいと言うが彼女と息子エマニエルそれに生まれたばかりの女の子はアフリカに残った。何が彼女をしてそれほどまでにアフリカに固執させたのかの深層心理は分からない。やがてエマニエルは成人し17歳になった。イギリスの大学に合格したが「お母さんをアフリカに残してイギリスにはいかない」と言い張るが母親の強い勧めで大学に行くことになった。その送別会で恋人の存在も分かった。しかしエマニエルは子供の時から蛇が好きで沢山の蛇を飼っていた。その夜は恋人の事、家を離れることなど喜びと悲しみの複雑な気持ちの中で蛇の扱いに油断があった。毒蛇に噛まれて必死の救命処置も功なく死んでしまった。クーキーの悲しみいかばかりか想像できない。幼い女の子と二人だけになってしまいこの時も母親から帰ってくるように言われたがやはり彼女はアフリカに残った。外からみるとなぜ彼女はそんな危険だらけの粗末な生活のアフリカにこだわったのか分からない。馬鹿ではないかと思われたかもしれない。しかしそれは彼女の心の中に入らなければ分からない。きっとアフリカの大地を心から愛していたのではないかと思った。
2020.08.17
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KochoranKen Takakura has died. BBC reported as below.Veteran Japanese actor Ken Takakura has died of lymphoma aged 83. The actor passed away at a Tokyo hospital on 10 November, his office saidon Tuesday. Known as the "Clint Eastwood" of Japan, Takakura was renowned for his brooding style and stoic roles in several Japanese yakuza and action movies.Among his well-known films were "The Yellow Handkerchief" and "Poppoya" (The Railway Man), for which he won the best actor prize at the Montreal World Film Festival. In Japan, national broadcaster NHK opened its news programme at noon with the news of Takakura's death. The Asahi Shimbun, a major daily, tweeted condolences and called him "one of Japan's greatest actors". A certain person referred online to Takakura's appearance in a 1984 TVcommercial for life insurance in which he famously declared: "I'm an awkward guy".Many Japanese tweets quoted that phrase, while The Mainichi Shimbun, another daily, immediately carried a piece with the phrase "awkward guy" in the title. The paper said Takakura represented the self-denying stoicism and generosity of spirit which resonated with Japanese audiences.He had been loved by many people because he was not only nice guy and nice actor but also having kind mind for every person and was never arrogance. He was hero for us. I commemorate his death sincerely. Thank you for your living with us so long time.高倉健さんが亡くなった。英国のBBC放送が次のように報じた。老練な日本の俳優高倉健が悪性リンパ腫のため83歳で亡くなった。彼の事務所が火曜日に、11月10日に東京都内の病院でなくなったと発表した。日本のクリント・イーストウッドとして知られる彼は、日本のヤクザやアクション映画の中で愁いを含んだ熟考スタイルとストイックな役柄で知られていた。彼のよく知られている映画の中に、「黄色いハンカチ」と「ポッポ屋(鉄道員)」があるが、それはモントリオールの世界映画祭で最優秀男優賞をとっている。日本では公営放送NHKが高倉の死を昼のニュースで放映した。大きな日刊紙、朝日新聞は追悼の記事を載せ、その中で彼を日本の最も偉大な俳優の一人と呼んだ。ある人は、1984年の生命保険会社のテレビコマーシャルで私は不器用な男ですと言っているのをネットに出した。多くの日本人はその言葉を引用して発信した。他の大きな日刊紙毎日新聞はタイトルにいきなり「不器用な男です」を使った。毎日新聞はさらに、高倉は自分を抑えて他人に寛大な精神を現出して、日本人の共感を得たと書いている。彼は多くの人々に愛されていたが、それはナイスガイで素晴らしい俳優だったからばかりではなく、すべの人に対する親切心と寛容の心と決して偉ぶらない所が好かれていたのだと思う。彼は我々にとって英雄だった。彼の死を心より悼む。長い間我々と共に生きて下さって本当にありがとうございました。
2014.11.19
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北海道旅行で小樽に寄り、石原裕次郎記念館に行ってきたことはすでに書いた。日にちが過ぎるにつれてだんだんその印象も薄れかけてきたが、記念館で買ってきた裕次郎の歌のCDを昨日やっと車の中で聞いて、記念館での記憶がよみがえってきた。記念館で北原三枝(石原まき子)さんに対するきめ細かな愛情の数々を見てきただけに、歌の一つ一つに彼女に対する気持がにじんでいるように感じられた。裕次郎はかっこよかったし、彼の歌声は多くの女性たちをしびれさせたが、その実は一人の女性に対する深い深い愛情があったからではないかと思った。彼の魅力もすべてそこからきているように感じられた。愛情あふれる素晴らしい男だったといまさらながら思った。同じ兄弟でもお兄さんとは大違いだ。
2014.10.27
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ビートルズのジョン・レノンのImaginというDVDの冒頭部分である。I always was a rebel.But, on the other hand,I want to be loved and accepted by all facets of society,and not be this loudmouth,lunatic poet-musician.But I cannot be what I am not.All the little boys and girls living in this crayzy world.All they really needed from you was maybe some love.All the little plans and schemes,nothing but a bunch of dreams.All you really needed to do wsa maybe some love.和訳私は常に反抗的人間だった。 だが一方で私は社会の総ての面で愛され、受け入れられたいと願った。そしてこのような生意気で、変わり者のミュージシャンになりたくないと思った。でも私は私以外ではいられない。このへんてこな世界で暮らしている総ての少年、少女達彼らが心から君に望んでいるのは何らかの愛ではなかろうか総ての小さな計画やスケジュールは1束の夢に過ぎない君が実際にしなければならないことは何らかの愛の行為だと思う解説ジョン・レノンは1940年にリバプールで生まれたがその時父親は商船の乗組員で航海中、母親は他の男性と同棲中だったので、姉夫婦に預けられて育った。実の両親から捨てられたような形で生育した少年時代は反抗的で喧嘩騒ぎを起こすことも多かった。16歳のある日プレスリーの「ハートブレークホテル」を聴き、ロックンロールに惹かれるようになった。その後実の母が近くに住んでいることを知り行き来するようになり、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンなどと知り合い音楽の道を歩んで行くことになった。愛情に飢えていた彼の歌には愛を求める歌や愛を施す歌が多い。2度目の妻になったオノヨーコと平和を訴えたパフォーマンスは有名である。志半ばで殺されてしまったが彼の愛を求める心、平和を求める心は永遠である。その彼が元はといえば喧嘩早い反抗的人間だったというのだからなおさら心惹かれた。
2013.11.27
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サマーセット・モームの自伝的大作「人間の絆」を映画化したものを観た。原作からみるとかなり省略してあるが、ストーリーは同じだった。医学生フィリップが行きつけのカフェのウエイトレスのミルドレッドを好きになり夢にまで見て追いかけるが彼女はフィリップに振り向いてくれない。彼女は年配のドイツ人と結婚すると言って店を止めた。彼は失恋してノラと言う女性と親しくなっていたが、ミルドレッドは妊娠したらその男から捨てられてフリップを頼ってきた。彼はノラと別れて新しく生まれた女の子共々ミルドレッドの面倒みることになるが、彼女はフィリップの友人で医学生の先輩であるグリフィスと駆け落ちし、結局またグリフィスにも捨てられる。それでも行き場の亡くなった彼女をフィリップは自分のアパートに住まわせるが今となっては流石に彼女の方から誘惑してもそれに応じることはできなかった。怒った彼女は家を出ていき最後は病気になって死んでいくが、一人の若者が性悪女に引かれてズタズタにされながらも彼女のために尽くした物語である。最後はフィリップはサリーという20歳の純情娘と結ばれてハッピーエンドになっているが、最後のところは実話とは違うのではないかと思う。男の悲しい性がこれでもかと描かれている。自分がこんなに好きなのだから彼女も少しは好いてくれるのではないかと思っていたが、お金や住む家を与えてもらい、感謝はしたが愛しては貰えなかった。正に性悪女で裏切りの連続であった。フィリップにだって理性もあり、知性もあっただろう。その性悪さは見抜けなかったのだろうか?それほどの美人ではなく貧血で青白い顔の女性だった。好意を示してくれた人に好意で返すこと出来ず、自分の目先の利益のみしか考えられない最低の女性。そんな女性でも一旦好きになってしまうと何らかの絆で結ばれてしまい逃れることが出来なくなってしまう男の性、悲しく身につまされて観ていた。その逆つまり、どうしょうもない性悪男に引かれて美しい女性がその人生を棒に振ってしまうこともあるので、男女とも好かれていないことが分かったら途中で熱を冷まして冷静になってもらいたいと思う。
2011.08.07
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ウディ・アレン監督の40作目の最新映画を観た。原題はWhatever Worksで「何でもあり」という意味である。偏屈な人間嫌いの物理学者・ボリス(ラリー・デヴィッド)は、離婚して豊かで優雅な上流階級の暮らしを捨てて、ボヘミアンな生活を始める。ある日南部から来た家出娘・メロディ(エヴァン・レイチェル・ウッド)をやむなく家に入れて生活することになり、2人は意気投合。年の差を越えて結婚する。ある日、2人の前にメロディの母親が夫が浮気したと言って現れ、信心深くて貞淑だったその女性が性的奔放になり二人の男性と同棲生活を送るようになる。その後その夫つまりメロディの父も妻を追ってニューヨークに来たが妻は二人の男性と結婚しており、寂しく酒を飲んでいる時同性愛の人と知り合いその人と楽しく暮らすようになる。メロディもやがて若い男性に引かれてボリスと別れ、ボリスは窓から飛び降り自殺したが、占い師の女性が下敷きになってくれて助かる。やがてボリスはその占い師の女性と結ばれてめでたしめでたしで、人生何でもあり、人生万歳で終わっている。愛や平和は長くは続かない。宗教や家柄、人種などにこだわらないで人生楽しく生きましょうという考えが貫かれたコメディーである。離婚して女嫌いで偏屈ものの物理学者も21歳の超美人の女性と結婚し、その後占い師の女性とも結婚する。運命に任せて宗教の教義などにこだわらないで楽しく生きましょうという話で面白かった。でも実際には私も主人公と同じ年齢位かも知れないがそんな美人も現れないだろうし占い師も現れないと思う。現れてもボリスと同じようにはなれないと思うので所詮は空想の世界でそうできたらいいなあという空想物語として観た。
2011.05.08
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ジェームス・ディーン主演のエデンの東を観た。父親と2卵生双生児の二人の息子の物語だ。父親は聖人君子、聖書を読みそれにふさわしいように生きたいと願いそのように生きてきた。そのあまりの堅物の夫に嫌気がさして双子を産んですぐ母親は家出をしてしまい、父親は子供達には母親は死んだと話していた。二人の子供の内、兄は真面目で学業成績もよく恋人もいて、父親は誇りにしていたがもう片方(ジェームス・ディーン)は勉強はしない、親の言うことは聞かない、いたずらや乱暴はする、父親はどうしょうもない子供だと思っていたが本人は熱烈に父親に愛してもらいたいと思っていた。父親がレタスで損失したと同じ額のお金を、ひそかに大豆の先物買いをしてその後アメリカがヨーロッパ戦線に参戦したので儲かって、その金を父親の誕生日にプレゼントとして差し出したら喜ぶどころか他所様の子供が戦争で亡くなっている。戦争で儲けた金を受け取れない。返して来いと言われる。父親の愛を得ようと一生懸命にしたことも父親から拒絶され絶望する。腹いせに、自分がひそかに会っていた、買春宿を経営している実の母親に兄を会わせる。兄は母親は死んでいると思っていたのに、そんな下品な女が実の母親と知ってショックを受け酒を飲んで暴れて軍隊にはいると電車に乗っていた。そこに駆け付けた父親は息子が額で電車の窓ガラスを割るのを見てショックで脳卒中をおこして倒れてしまう。今にも死にそうな父親のベッドサイドでやっと父子の心が通じて弟も生きる気力を取り戻す所で終わっている。父親は真面目で清廉潔白、母親は不真面目で金儲けもするし欲望にも負けたりする。兄は父親似で、弟は母親似で悪い人間だと自分でも思い、こっそり会った母親も自分に似た子供だと思う。全く違った性格の両親から各々に似た性格の子供が生まれたとの設定だが、一方は父親似、一方は母親似ということもあり得る。お互い自分に似ている方の子供を可愛がっていたが、似ていなくて可愛がってもらえなかった子供も親の愛を熱烈に求めているのだとのメッセージを強烈に滲ませたよい作品だったと思う。近く出版される自著「親から受け継いだDNAで運命は決まるのか?」で親から子への遺伝の仕組み等を書かせてもらたので、本作の遺伝のパターンも興味あったので、映画を観てすぐその感想を書かせて頂いた。
2010.09.23
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ノルウェイの森が映画化され、本年9月のベネチア国際映画祭に出品された。以前、小説「ノルウェイの森」について、必要以上に露骨な性描写があり、村上氏の作品は「1Q84 」もそうだが露骨な性描写が多すぎる、と書いた。あまりの露骨さに途中で読むのを止めた人もいる。それが映画化され、ベネチアでスタンディングオベイションを受けたという。国際的に村上春樹氏およびその作品は人気が高いのだと思う。セックスは誰でもするもので、その方法は多彩かもしれないが、それを小説に書いたり、映画化したりする時には、露骨でなく美しく描いてもらいたいという気持がある。審美感は個人差があり、村上氏は自分が描くセックスは露骨でいやらしいものと思っていないのかもしれない。セックスはあたりまえのことで恥ずかしがる必要はなく、露骨に書いたからといっても、人間の営みの一つなのだから非難にはあたらないと思っているのかもしれない。人間そのものがそれから逃れられないとするなら、村上氏の作品も目くじらを立てて怒るほどのことではないように最近は思うようになった。 映画は12月に公開されるという。原作は露骨な性描写が多く、辟易としたが、映画ではどのように表現されているか、是非みてみたいと思っている。
2010.09.21
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昨日ジャック・ニコルソンとダイアン・キートン主演の「恋愛適齢期」を観た。63歳のプレイボーイ ハリーが娘のボーイフレンドとして、54歳のエリカの家にやってきた。ハリーとエリカは最初はお互いおかしな人間だと思ったが、ハリーが心臓発作を起こしてエリカの家に二人だけで泊ることになって、思わぬことで二人は愛し合ってしまう。エリカは離婚して劇作家として活躍していたが、もう恋愛とか結婚とかは縁のないものと思っていたが、ハリーのどこに惹かれたのかハリーを思いつめるようになる。ハリーは今まで結婚したことが無く多くの若い女性とのアバンチュールを楽しんでおり、こちらも恋愛とか結婚は眼中になかった。その二人が最後に結ばれることになるが、恋愛には年齢はないのだなと思えた。コミカルタッチの作品だが、年増のキートンが真剣に恋している姿が伝わってきた。恋愛は何時どんな時にだれとの間に燃え上がるのか分からないと言われるが、それを待っている間に何時しか年をとり、恋愛など遠い昔の若い人達のもので、ついにそれを知らないままで死んで行く人が多いのではなかろうか。でもこの映画では恋愛は若い人の特権ではなく、恋愛適齢期は人間死ぬまでなのだと訴えている。いい映画だった。それにしても誰と恋に落ちるかというと最初はお互い変な人だなと思える場合が多いらしい。坂本竜馬と妻になるお龍も最初はお互い変な人だと思ったらしい。今恋愛を望んでいながら未だに恋愛が無い方は変な人に出会ったら恋に発展することが多いので大事にした方がいいと思う。
2010.06.01
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マイケル・ムーア監督の「華氏911」を観た。石油利権のためにアメリカに何の危害も加えていない国イラクを大量破壊兵器を隠しているとして攻撃し、沢山の民間人を殺した。イラクに送り込まれた兵士も何人も死んだが、それらの兵士は軍隊のスカウト部が貧民街を回って甘い言葉で入隊を勧めてかき集めてきた人達である。アメリカの連邦議員の子息でイラクに行った兵士は一人しかいない。国を守るとか、世界の警察としてならず者国家をやっつけるとか大義名分を掲げているが、その実は石油利権を得たり、軍需産業を儲けさせるために始めた戦争である。同盟関係にある日本も多額の資金を出し自衛隊も派遣させた。日本の自衛隊の犠牲者はなかったがアメリカ人の犠牲者は沢山出て、手足を無くした人もいれば頭がおかしくなった人もいる。戦死者の家族の悲しみはあまりある。正義のためと思って入隊して戦死した彼らは本当は何のために死んだのだろうか。実際は我欲のために人殺しに来てその渦の中で殺されたのだ。名誉でもなんでもない犬死である。政府にとって彼らの死は殆どこたえない。補充が効くからである。貧富の差を作り、貧乏人層を作っておけば彼らは入隊募集にいつでも応募してくるからである。ブッシュ政権が決めた戦争で国民の大多数も支持した戦争だが、内情はムーア監督が描いた通りのものだと思う。戦争ほど悲惨で残酷なものはない。正義ぶって正義の戦争を喧伝することが多いが大量殺人に正義があるわけがない。オバマ大統領もアフガニスタンでの戦争を支持しているが、よくよく考えて、戦争回避の方向に持って行ってもらいたいと願う。
2010.02.21
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「遥かなる山の呼び声」の音楽で始まるシェーンを観た。前に何度か観ているが、スターレットとシェーンの激しい死闘には感動した。開拓農民スターレットはライカー一味に仲間を殺され、ライカー達の要請に応じてライカー達との交渉に一人で行こうとしていた。妻のマリアンは泣いて引きとめていた。素浪人シェーンはマリアンが作ってくれたアップルパイがあまりに美味しくて居候をしていたが、ライカー達は話し合いと言っているがスターレットが一人で出かけていけば殺されることを知っていたので、命をかけて引きとめるためにスターレットと死闘を繰り広げたのであった。敵方には早撃のウィルソン始め大勢の拳銃使いがいる。先ず助かる可能性はない。スターレットを死なせたくない一心で引きとめたのだと思うが、最後には不法にも銃身でスターレットの頭を殴って失神させて、シェーン自ら敵地に乗り込むことになる。映画ではシェーンが大勢の敵を撃ち殺して5歳の少年ジョイに「カムバック シェーン」と言わせて馬で去って行くことになっているが、実際には殺されたのだと思う。いくら腕に自信があっても相手はウイルソン始め大勢の拳銃使いである。生きて帰れるはずがない。死ぬ覚悟で、シェーンはスターレットに代わってライカーの所に行く決断をした。何故だ。一宿一飯の恩義か?マリアンに対する恋心か?私には彼の本心は分からない。でも、スターレットの身代わりとして敵地に乗り込むシェーンの何かが伝わってきて涙があふれてきた。義のために命を投げ出すのは日本の神風特攻隊もそうだった。シェーンも特攻隊も確実に死ぬところに自分の身を捧げに行く勇気には感動する。自らの命を捧げるにふさわしいこととは何であろうか?シェーンはもしかしたらマリアンのために命を捧げたのかもしれない。その時になってみないと分からないが、私は何のために命を捧げるのであろうかと自問してみた。いつもうるさく私のしたいことを妨げるが美味しい料理を作ってくれるばあさんのために命を捧げるのであろうか?いつどのような形で命を捧げることになるのか分からないが、シェーンのように最後は潔く身を捧げたいと思っている。
2010.02.13
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魔法魔術学校の11歳の生徒ハリーポッターが仲の良い学友たちと繰り広げる冒険物語である。おとぎ話だが、世界中で本も映画も子供から大人まで大変な人気でその人気の秘密を知りたいと思った。本を読んでいなくて映画だけだとあまりピンとこなかったが、本で爆発的人気になりその後映画化されたので、原作がかなりおもしろかったのだと思う。ドラえもんの「どこでもドア」のように、自分にも魔法が使えたらどんなにいいのだろうかという潜在的意識が人間の心の底にあり、このような魔法物語に引き付けられたのかもしれない。賢者の石というのは、触れればどんな金属でも黄金に変えてしまう力があり、飲めば不老不死になれる生命の水を作りだす力がある石である。悪者とハリーポッターが、魔法の鏡の前でその石の争奪戦を繰り広げるが、鏡にはその石を使いたい人間の所には行かないで、見つけたい人間の所に行くという仕掛けがしてあって、結局ハリーホッーが手に入れて、悪者は破壊された。黄金や不老不死を求めてはならないというまさにおとぎ話だが、これを大人も長蛇の列を作って買いに行ったり、(映画を)観に行ったりするのだから、どこかに引き付けるところがあるのだと思う。
2009.12.05
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昨日、古い映画だがゴッドファーザーを見た。イタリア系移民のマフィアの大ボスである、マーロン・ブランド扮するゴッドファーザーと後を継いだ3男のマイケルの対比をみた。ゴッドファーザーはまさしく大物だった。イタリア人社会を守るために政界、財界とのつながりを密にし、正義のための人殺しはするが、麻薬には絶対手を出さないとの信念があった。マイケルは3男で柔(やわ)で繊細なところもあり、頭もよかったので大学まで進学させて、ヤクザ世界の跡継ぎは全く考えていなかったが有力後継者の2男ソニーが死に、ゴッドファーザーも銃弾に倒れて往時の活動力がなく、3男マイケルが継ぐことになった。ヤクザ世界は対立するヤクザとの抗争、裏切り者の処刑等血なまぐさい世界での生活で極めて息苦しい日常生活だったと思う。マーロン・ブランドのゴッドファーザーは悪人なりにも家族を守り、麻薬はいけないと信念を持っていた。しかしインテリ上がりの新しいマフィアのボス、マイケルは妹の旦那が裏切り者と知ると妹の苦しみを知ってか知らなくてか、その旦那を殺してしまう。妹は反発する。自分の妹の旦那を殺すマイケルを見るマイケルの奥さん、マイケルの小物ぶりが大ゴッドファーザーと比べて際立っている。ヤクザの親分というのはヤクザそのものは悪いことはするが、仁義を通し、麻薬など根本的悪には手を染めないという倫理観があった。マイケルにはそれはない。裏切り者はたとえ家族であっても殺せ、組の利益になることなら麻薬であろうが何でもやれがマイケルの立場である。マーロンブランドのゴッドファーザーは素晴らしかった。だが後継のマイケルは頭はいいかもしれないが小物である。遅かれ早かれこのヤクザ組織はつぶれていくだろう。アメリカのイタリア人社会だけでなく世界中にマフィア、ヤクザ組織はある。その親分の権限は絶対である。いい人が親分になれば世の中に貢献するが、レベルの低い悪人がトップになれば組も悲惨だが社会も害毒を被る。親が偉くても後継者によってその組織が消滅することもあることを示した映画だと思った。
2009.12.04
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あっという間に連休が終わってしまった。しばらく留守にした病院が気になって恐る恐る出勤したが受け持ちの入院患者さんは皆さん落ち着いていて安心した。家に帰ったら注文していた「永遠のアフリカ」が来ていた。巨人対ベイスターズ戦を観てからでかなり遅くなってからだが、キム・ベイシンガー主演の「永遠のアフリカ」を観た。小さい時父親からアフリカの話を聞いていてそこにあこがれていたイタリア人女性が実際にアフリカ(ケニア)に住んだ実話を映画にしたものだと言うが、中々一般の人にはそんな所に住もうという気持ちは分からないだろうなと思った。オバマ大統領のお母さんも留学生のケニア人に魅かれて結婚してオバマさんを生んでいるが、その二人の女性は似たようなところがあったかも知れないなと思った。明日の仕事にさしつかてはいけないので早く寝なくてはと思っていたが、目の前にDVDがきていたらついつい観てしまった。
2009.05.07
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1966年制作のアメリカ映画「おしゃれ泥棒」をNHKの衛星放送で観た。令嬢役のオードリー・ヘプパーンと探偵役の ピーター・オトゥールが苦労に苦労を重ねて厳重な警戒の中で美術館に展示してあるビーナス像を盗み出す話である。そのビーナス像はオードリー・ヘプパーンの父親で偽物を高価な本物と偽って商売している美術商が美術館に貸し出したもので偽物だ。それが鑑定を受けることになり、ばれれば刑務所行きの父の身を心配して娘がそれを盗むことにした訳である。オードリーはすでに亡くなっているが、この当時は30歳代で大変綺麗で魅力的だった。ロマンチックコメディで思わず大笑いさせられるユーモアがちりばめられていて、娯楽作品として最高に素晴らしい映画であった。これを見ながら今放映されている朝ドラ「つばさ」のことを思った。わざと笑わせようと大げさな衣装や、小道具を使い、大げさなアクションを役者にさせているが、少しも面白くない。NHKの朝ドラといえばそれなりの歴史と人気があり、幅広い視聴者層を有し、何百万という人達が観ている。面白いストーリーがあって、役者が心をこめて人物を演じ、時にユーモアなどがあるというのがドラマだと思う。今回はユーモアを全面に出しているのだなと思ったが、ドタバタだけでどこにも面白さはなくグロテスクだけである。信じられないくらい下手な演出で、出演者がかわいそうだと思っている。シナリオ作者も演出家も視聴者からの声に耳を傾け、真剣に制作してもらいたいと思う。ユーモアを出したいならこのおしゃれ泥棒のユーモアを参考にしてもらいたいと思った。
2009.05.04
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映画赤毛のアンのDVDを観た。3時間13分という長い長い作品だったが退屈しないで観れた。3才で両親を亡くし孤児院や子守先などを転々としていた孤児のアンが置き去りにされた孤児院にプリンス・エドワード島のマシューとマリラという年老いた独身の兄妹が養子が欲しがっているという情報が入り、アンは一人でプリンス・エドワード島にやってきた。迎えにきたマシューは男の子でなく、女の子が駅で待っていたので当惑する。老兄妹は酪農を手伝ってもらうことを考えて男の子の孤児を望んだのに、手違いで女の子が送られてきたのである。マシューは間違いでもそこに女の子を一人で置いておけないので家までつれて帰るが、妹のマリラはカンカンに怒る。孤児院に送り返すことにして途中まで出かけるが、村の人に出会ったりして、、結局、アンはグリーン・ゲーブルスの兄妹の家に置いてもらえることになった。空想家のアンは失敗や騒ぎを次から次に引き起こすが、その都度謝ったり、反省したりして自分なりに精一杯生きる。辛いこと、苦しいことに耐えに、耐えて成長し、勉強がよくできたので、最後は教員免許をとって村の学校の先生になるところで終っている。アンのハラハラドキドキの失敗人生もだが、マシュー、マリラ兄妹の独身人生にも心が引かれた。マシューは女の子に声をかける勇気がなくてずっと独身だったようだ。マリラは好きな人がいたが喧嘩して、その後彼氏を許さなくて意地を張り、独身を通したが、その後もずっと後悔して生きてきたとのことである。連れてくるのは、男の子の筈だったのに、女の子を連れてきたマシューはマリラに大変叱られたが、こっそり、アンを助け、アンが家にいられるようにアドバイスしたり、ドレスを買ってやったりして、マリラに気づかれないように彼女をかわいがった。そのマシューがアンが教員学校を卒業する頃、心臓発作でなくなった。倒れた時に、引き取ったのが男の孤児でなくて女のアンでよかったのだと涙を浮かべながら呟いた。あんなにやさしかったマシューが亡くなってアンもしばらくは悲しみで涙が止まらなかった。ずっと独身で仕事一筋で生きてきたマシュー、女性に恋したこともあっただろう、でも結婚できなかった。そして最後に養子という形だがアンに巡り合った。彼女を心から愛し、彼女からも心から愛してもらい、死んでいったマシュー、幸せそうな顔をしていた。結婚して子供を儲けることはできなかったが、人生の終末にアンを得て素晴らしい恋人と子供を同時に得て幸せだったろうなと思い、涙が出た。
2008.11.24
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昨夜マディソン郡の橋を観た。旦那と子供が4日間外泊で出かけたところに売れない写真家が、屋根つき橋への道を尋ねてきた。それが縁となりその奥さんと写真家は4日間の愛情生活におぼれた。写真家は一緒に逃げてくれというが、彼女は世間の噂や、夫、子供のことを考えて踏みとどまった。やがて夫と子供が帰ってきて通常生活に戻ったが、月日が経ち写真家が亡くなって遺品と遺灰が送られてきた。遺灰を思い出の橋からまいてくれ、亡くなったら貴方の遺灰も橋から撒いてもらって生前は一緒になれなかったが、それからはずっと一緒にいようという手紙が添えられていた。彼女が亡くなった時、息子と娘は母親が火葬にして灰を撒いてくれと遺言していたのを知ってキリスト教のしきたりと違うので受け入れるつもりはなかった。しかし遺言と一緒に貸金庫に入っていた母親の手紙と日記を見てショックを受けた。汚らわしいと思い、その男を殺してやりたいと思った。ふしだらな母親と思い気分が悪くなった。しかし読み進んでいくうちにたったの4日間だったが二人の愛は本物で美しいものだったと気がついた。その日記を読んだ後、夫婦仲の悪かった息子は家に帰った時奥さんを心を込めて抱きしめた。娘も離婚したとのことだったが、誰か親しい人に電話しており、母親の純愛物語は、子供たちの枯れていた愛情心に火を点けた。最後は橋から母親の遺灰が撒かれるところで終っている。言うならばどこにでもある、浮気物語だが、一緒になれなかったが、死ぬまで思い続けていた所が多くの人を引きつけたのだと思う。あの時彼女は一緒に逃げなくてよかったと思う。逃げなかったから純愛が貫けたのではなかろうか?浮気愛でも、夫婦愛でも本物なら素晴らしいということだと思う。
2008.11.12
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監督はフランク・キャプラである。6歳の時イタリア移民としてアメリカに渡り、極度の貧困生活の中でろくな教育も受けさせて貰えず、子供の時から様々な職業をわたリ歩き、放浪者、小作人、ギャンブラー、賞金稼ぎのボクサー、密造酒造り等を経験している。その中でのあまたの人々との出会いの中から人間をより深く愛するようになったのだと言う。第2次世界大戦に従軍し、戦争の残酷さをいやと言うほど感じ、戦後、戦地で知り合ったジェームス・スチュアートを主役にこの人間愛の物語を作ったのだという。物語は、住宅金融会社の息子が父の急死によって自分の夢を諦めてその会社を引き継ぐが、ある時銀行に納めなければならない8000ドルを社員である叔父が紛失してしまう。会社倒産ばかりか横領の罪で逮捕される危機にまで追い込まれ、妻(ドナ・リード)や4人の子供にあたりちらし、酒を飲んで運転して車を木にぶっつけて事故をおこす。車を乗り捨てて海岸絶壁にたどり着き、絶望と生命保険金欲しさに飛び込んで死のうとする。それを助けたのが二級天使である。天使は彼が存在しなかった、生れてこなかった場合の世の中を現出させてそれを彼に体験させる。そのあまりのひどさに、金を無くして絶望している現実生活の方がどんなに素晴らしいかに気づく。我に帰り、八つ当たりしてあれまくって家族を困らせて飛び出してきた家に今の世に生れた喜びに溢れて帰っていく。そこには子供や妻が待っていてくれただけでなく、事情を聞いた町の人たちがお金をカンパしてくれに集まっており、会社は倒産しないで済み、幸せな結末を迎えている。人々の助け合いの尊さを謳い、どんなに不幸が続いても、結局人生はかけがえのない素晴らしいものだと訴えている。
2008.07.08
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昨夜NHK衛生で「シンドラーのリスト」を観た。ユダヤ人を使った会社の社長で大金持ちになったシンドラーが一人幾らの裏金をナチの上官に払って1100人の命を救った物語である。シンドラーは戦後、結婚と事業に失敗して失意の内に亡くなっているが、助けられたユダヤ人の子孫何千人もがその墓に石を捧げているところで終わっていた。シンドラーは金儲けを第一とする事業家で、交友関係が広く、ナチの上官とも親しかったが、人間性を失っておらず、強靭な信念で、ユダヤ人を救ったのは大偉業で、永遠に称えられと思われるが救われた数は1000人強である。その他の600万人はナチによって殺された。今ほど情報が発達していなかったかも知れないが、ユダヤ人が次々に捕らえられ、ガス室や強制収容所に送られていたことはユダヤ人には分かっていたと思う。それなのに反乱軍やテロが起こっていなかったことを不思議に思った。日本の天草四郎はキリシタン弾圧に立ち上がった。南アフリカのマンデラは残酷な黒人差別のアパルトヘイトに勇敢に立ち向かった。ユダヤ人が蜂起してナチスに立ち向かったという記録がない。どうせ殺されるならヒトラーやその幹部を自爆テロでやっつけようとした人はいなかったのであろうか?平和時のテロは大悪事で到底許すことはできないが、あのような大悪事を働いていたナチをやっつけようとした人達がいなかったのかと不思議に思った。それほどナチが強大だったのかもしれないが、優秀なユダヤ人600万人があの悪魔ヒトラーにあのような苦しみを受けながら、みすみす殺されたのかと思うと悔しくてたまらない。その時代背景、暴力相手との力関係、宗教の信念の強さなど様々な要因があり、手も足も出せないで家畜のように殺されざるを得なかったのかも知れないが、悔しい。ヒトラーは連合国に敗れて自害したが、その前にユダヤ人があらゆる手を使って戦いを挑むべきだったと思う。人間を人間とも思わない悪魔的人間をのさばらせてはいけない。弁舌巧みに民衆を動かし、ドイツ人の心をつかんでしまったが、その人間は必ずその迫害した人達によって滅ぼされるという歴史を作ってもらいたかった。私は無力で、不器用で、老体である。どうじたばたしてもあと数年、長くても十数年しか生きられぬ。普段はおとなしくしていてもヒトラーみたいな人が現れたら、どうせ死ぬのだから失敗して殺されてもいいから全智を絞ってヒトラーみたいな人をやっつけに行こうと心に決めている。
2008.02.24
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15日の衛生映画劇場で、「スパルタクス」を観た。今から2000年以上も昔の話である。古代ローマ国が栄華を極め、征服した国々の民を奴隷として使っていた。奴隷の扱いは残酷で、見世物として奴隷同士どちらかが死ぬまで戦わせることまでした。その剣闘士の一人がスパルタクスで、奴隷同士殺しあうことを拒否して、脱走し、反乱軍を組織した。それに同調する奴隷を合流して勢力は何万にも膨れ上がり、ローマ軍を次から次に撃破して、奴隷を故郷に返す目的で、レギウム町から海賊の助けを借りて船でシチリア島に渡ろうとしたが船が調達できずに、最終的にはクラッスス軍に破れ、捕虜何千人が生きながら十字架に架けられて街路に並べられて放置された。後にイエスキリストもそのローマ国によって同じ刑に処せられるが、時代ははるか昔のことだが、我々と同じ人類がなんと残酷なことをしたのかと思う。十字架に架けられ、まだ意識のある状態のスパルタクスの前に妻と幼子がたたずんで別れを惜しむ場面があるが、意識がある状態のままで、雨風や炎天下に曝され続ける苦痛は想像を絶するものだ。人間とは時と場合によってはそんなにも残酷になれるのであろうか?今NHKテレビで「風林火山」をしているが、これはごく最近の約500年前位の話だが、それでも領地とその支配権を奪う為に親兄弟をも裏切り、互いに殺戮の限りを尽くしている。太平洋戦争においても然りだし、今のイラク戦争においても、互いに残酷な殺し合いをしている。私は人間の善性を信じているが、人間には古代から現在まで残酷な心も同居してきたことを認めざるを得ない。「いざとなったら人間は善だから、良心によって悪いことや殺人を思いとどまる」は幻想かも知れない。人間を正しく認識して、その上で、人間が悪を行わないで善を行うように枠組みを作っていく必要があるのではないかと考えている。
2007.09.17
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3時間43分の長編映画「風と共に去りぬ」を観た。スカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)とレッド・バトラー(クラーク・ゲイブル)の愛憎を中心にした物語だが、よくもこれだけ意志が強くて利己的な女と生活力はあるがこれまたかなり利己的な男がいたものだと思った。スカーレットはアシュレイという男が好きで憧れるが、その他の男はアシュレイが結婚するので、その腹いせの代役だったり金のためでレッド・バトラーは好きでもなかったが金のために結婚した3回目の旦那である。彼はスカーレットを好きで思いを寄せていたが、肝心な時には彼女を助けていない。スカーレットが税金300ドルの工面が出来なくてレッドに頼みに行った時には彼女の言動が気に入らなくて助けてやらない。結婚して子供が出来てからも喧嘩が絶えず、子供が落馬して死んでからは二人の仲は決定的となり、最後はスカーレットがレッドを愛していたと訴えるがレッドはもうこれ以上苦しむのはご免だと言って去っていくところで終わっている。多くの夫婦の離婚パターンと同じだが、誤解が重なり、こちらの思いが相手に伝わらず疲れきって離婚するパターンである。レッドは何回かスカーレットと話し合おうとしたが、スカーレットは応じようとしなかった。話し合いが出来れば離婚までいかなかったと思うが、話し合いをしようとしなかったスカーレットの方により大きな原因があると思う。彼らとは対照的に、アシュレイの妻メラニーは思いやりのある優しい女性として描かれている。彼女は夫のスカーレットとの浮気を思わせるシーンを目撃しても、夫婦喧嘩はしなかった。夫やスカーレットのことを思いやったからである。スカーレットは自分の欲望のためなら妹の恋人まで奪う、利己的、強い性格で、行動力やタフネスさはあったが、相手のことを思いやる所が欠けていた。彼女は美貌に恵まれ、多くの男性からちやほやされたが、生まれつきの性格もあるが、そのちやほやでいい気になって性格的にスポイルされた面もあると思う。彼女がレッドとの最後の別れになる前に、一回でも自分の利益だけでなく、他人の利益を思い、人のために尽くすことの大切さに思いを馳せたなら、このように不幸な結末を迎えなかっただろうと思った。「事実は小説より奇なり」で、こんな小説以上の愛憎渦巻く夫婦が一杯あると思う。離婚を考えている夫婦もあるだろう。どうか男女どちらでもいいから相手のことを思ってもらいたい。自分のことだけ考えたらとても相手には我慢ならないと思えるかもしれないが、相手を思いやって下されば、考え方は変ってくると思う。この映画の見方は人それぞれだと思うが、私は、離婚しないためにはどうしたらいいかを教えてくれる映画だと思った。
2007.04.26
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1944年アメリカ作品のジェーン・エアを観た。シャーロッテ・ブロンテの同名小説の映画化で、英会話教材などで活躍しているオーソン・ウェルズの若かりし頃の勇姿をみることができた(ロチェスター卿役)。ジェーン役はジョーン・フォンテイン。両親を失ったジェーンは伯母様宅で育てられるが、そこでの伯母の実子とのひどい差別などさまざまな仕打ちを受けながら育つが伯母の計らいで孤児を集めた寄宿制学校に入れられる。学校に入ったらいじめも無くなると思いきや、校長が宗教を取り違えた変質者で、「この子は悪魔に取り付かれている子だ。用心しろ、話してはならない。教師も用心して徹底的に体罰等で対応しろ」と生徒や教師に徹底的に苛め抜けと指示した。唯一親しくしてくれた友人のヘレンの髪を校長が切ろうとした時、「切らないで代わりに私の髪を切って」と言ったおかげで、二人が虚栄と反抗と書かれた看板を持たされて雨の中を何回も歩かされた。その結果ヘレンは肺炎で亡くなってしまう。それでもそこで10年耐えて、成績がよかったので、校長から教師にしてくれるとの話があったが新聞広告で、家庭教師の職をみつけてロチェスター卿の屋敷の幼い一人娘の家庭教師として住み込みで働くことになった。ロチェスター卿は変人でいつも家を空けていて、たまに帰ってくるがすぐまたどこかへ行ってしまう人だった。帰ってきた夜、ロチェスター卿の部屋が火事になるが、それはその屋敷の奥深い部屋に閉じ込められている、精神を病んでいるロチェスター卿の奥さんがこっそり出てきて放火したのだった。ロチェスター卿は19歳の時踊り子だったその奥さんと結婚したがその後は奥さんの浮気や暴力で散々苦しめられ、挙句の果ては精神の病気になってしまい、離婚しようと思っても教会が認めてくれない状況だった。そのような秘密を抱えるロチェスター卿にジェーンは心をひかれ、二人は結婚することになるが、式場に弁護士と奥さんの弟が現れ、奥さんがいる人の二重結婚は認められないとして、その結婚はなかったことになった。その後再度、奥さんが屋敷に火をつけ、奥さんは転落して死亡、ロチェスター卿は失明したが生き残る。失明したロチェスター卿の所にジェーンが戻り、今度は結婚して子供をもうけたところで終わっている。ミステリアスなラブロマンスだが、私は不幸な人には不幸がこんなにも続くものなのかというところに強く感じて観ていた。意地悪な伯母の所から出たら幸せになれると思いきや、返ってそれ以上のいじめにあい、家庭教師先の主人もとんでもない人物のようで、不幸な人は最後まで不幸が続くのかと思ったら、最後は幸せになれてよかった。事実は小説よりも奇なりとよく言われるが、ジェーンの幼少時代と同じような境遇を送った人もきっといると思う。そして亡くなる最後まで不幸であった人もきっといると思い、それらの人のことに思いを馳せた。ジェーンが立ち直ったように、どこかで方向転換して幸せになってもらいたいと切に願った。
2007.04.19
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香港・マカオへの旅の帰りのバスの中で映画「男達の大和」を観ました。当時世界一と言われていた日本の造船技術の粋を集めて、建造された不沈空母、戦艦大和の乗組員の話です。多くの若者が、憧れの戦艦大和の乗組員になるべく集まってきました。彼らの多くはこの戦艦さえあれば戦争に勝てると思っていたと思います。しかし戦況は日に日に悪化し、連合艦隊がサイパン沖で撃沈され、サイパンを占領されてからは敵の意のままで、沖縄まで占領されてしまいました。経済制裁を受けていましたので、燃料や弾丸、飛行機のない中で善戦していましたが、決定的な差は、ハイテクでした。日本の戦艦や、闘争心は世界一だったかも知れませんが、連合艦隊の出動をいち早くキャッチするレーダー技術は遅れていました。どんな堅固な連合艦隊でも、レーダーでキャッチされ、待ち伏せされて集中攻撃されたらひとたまりもありません。戦艦や根性の方には力を入れていたけれどもハイテク面で遅れをとっていたのが敗戦の主因だと思います。沖縄が落ち、日本の勝ち目は全く無くなった中で、戦艦大和に沖縄を助けに行くように命令が下されました。今、沖縄に行くのは敵の集中攻撃を受けることは確実で、死ににいくということです。でも彼ら3000人の若者は行きました。護衛の飛行機が一機もない状況の中で沖縄を助けに向かいました。当然のことですが、沖縄に向かう途中で敵の集中攻撃を受けて戦艦大和は沈没しました。でも何人かの生き残りがおり、その回想がこの物語になっています。神風特攻隊もそうですが、大和の乗組員も、確実に死ぬと分かっている所に出撃していきました。そして死んでいきました。お国のために死んだのです。私達のために命を投げ出してくださったのです。彼らのことを思えば私達も日本のために少しでも役立つように生きなければと強く思いました。
2007.03.13
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1981年の英国映画で1924年のパリ・オリンピックでケンブリッジ大のハロルド・エイブラハムズが陸上の100メートルで、スコットランドのエリック・リデルが400メートルで金メダルを取った物語である。ハロルドはユダヤ人として回りの差別を強く意識してそれを見返してやろうとして走った。エリックは宣教師の子として、キリストを称え、神を証明するために走った。オリンピックの舞台に立つまでは二人にも激しい練習と様々な障害や苦しみがあったが最後にはそれを乗り越えて金メダルを取ったのだからすごいことだと思う。オリンピックに出るには元々そこそこの能力がなければだめだが、出場選手の中で金メダルを取るには強烈な精神力と運が無ければとれない。彼らは、一人は人種差別に対するなにくそという反発心、一人は神の力を証明するという宗教心が大きな力になったが人生の金メダルを取るのも同じだと思った。オリンピックはベースに一定レベルの才能が必要だが人生レースはその枠はない。全ての人が同じスタートラインである。金メダルとは、その人の充実感である。それが世界一かどうかが争われるのである。それを得るには日頃の激しい訓練が必要だが、それには何のためにその訓練をするかという明確なモチベーションが必要だ。今そのモチベーションがない若者が増えていると言われている。若者よ、世界を大きな心で征服する夢を持って日々訓練して、金メダルを取ってもらいたいと願う。
2007.02.20
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今日9時からの衛星映画劇場で「禁じられた遊び」を観ました。1952年フランスのルネ・クレマン監督作品で、1940年6月ナチがパリを占領した時の爆撃で両親を失ったポーレットと言う少女が田舎の農家に拾われ、その家の少年ミシェルと動物のお墓を作り十字架を14個も盗んで大人からみれば禁じられた遊びをして、少年の父親からこっぴどく叱られることがモチーフになっています。最後はポーレットが孤児院に引き取られ、少女と引き裂かれた少年が悲しみ、すさんで十字架を引き抜いて川に投げ捨て、少女は孤児院の中で母の姿を追い、ミシェルの姿を追いながら走り去るところで終わっています。2人の少年少女の姿がいじらしく、それだけに戦争の悲惨さが際立ってみえる映画だと思いました。55年も昔の映画ですが、笑いや感動を与えてくれる素晴らしい映画でした。
2007.02.14
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昨年度のヴェネチア国際映画祭はじめ数々の賞に輝いたGood night,and Good luck を観た。1950年代共産党員およびそのシンパを排除する赤狩りの嵐が吹き荒れるアメリカでそれを煽り立てていたマッカーシー上院議員と真っ向から対立して報道の正義を貫いたCBSニュースキャスター エド・マローの物語である。当時絶対的権力者マッカーシーに睨まれたら会社もやっていけない時代背景の中で、CBS会長から対決はやめろと言われても、彼は「飼い主の手を噛むのかと言われるかもしれないが、報道の真実を貫くべきだ」と主張している。また「テレビの現状を見極めるべきだ。テレビは人を欺き、笑わせ、現実を隠している。本来テレビは人間を教育し、啓発し、情熱を与える可能性を秘めているものだが、それはあくまで使い手の自覚次第だ」とスピーチの中で述べている。マローは今、放送界の英雄として称えられ、キャスターやテレビ人の鑑とされているが、自分の首や会社の命運のことを思い神経をぎりぎりにすり減らしていたことと思う。結果としてマッカーシーをある程度追い詰めることが出来たが、それは幸運もあったと思う。人を称えるのは簡単だが、自分がそのように振舞えるかは別である。今、日本ではみのもんた、古舘一郎、関口宏さんらがキャスターとして活躍中で、それなりのスタイルをとっているが、自分の信念を貫くのは並大抵のことではない。マローの姿を参考にしてもらいたいと思う。関西テレビ、フジテレビの「あるある大辞典」では想像もしないような虚偽が存在した。どんな困難があろうとも報道の真実を貫こうとしたマローが「あるある大辞典」の事件を知ったらなんと言うであろうか?報道の良心がアメリカでも日本でも失われつつあるのが現実ではなかろうか。マローのスピーチを良く噛みしめて、世界の報道関係者は嘘のない、正しい、素晴らしい番組を作ってもらいたいと切に思った。
2007.02.11
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昨夜衛星映画劇場で「フォレスト・ガンプ」を観ました。知恵遅れだけれど走ることにかけてと純情心では誰にも負けないフォレストの姿が描かれていました。幼ななじみがどんな境遇になろうともひたすら思い続けるフォレストに対し、彼女は何度か現れ、そして去っていきました。フォレストがベトナム戦争に参戦した時の上官ダン中尉が両足を切断されてアメリカでフォレストの前に現れ、フォレストのエビ漁船の船員になってくれ、大嵐の後エビが沢山とれるようになり、結局は二人とも大金持ちになります。大金持ちのフォレストのところに初恋の人ジェニーが現れ一夜を共にしますが彼女はまた去っていきます。何故去っていったのか未だに理由が良くわかりませんが、数年後彼女から手紙がきて、彼女の家を訪ねたら子供がいて、それはフォレストの子供とのことでした。そしてジェニーは若くして死に、フォレストが息子が学校に行くのを見送るところで終わりました。ジェニーが何故フォレストの許を去ったのか説明不足のところがあり、最後の部分はしっくりしませんでしたが、総じて純愛物語として感動の作品だったと思います。知恵遅れでも一芸に秀でた人は、それをのばしてやることにより、アメリカンフットボールのスターとして、大統領にも会える身分になれることをよく示してくれていたと思います。
2007.02.07
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今、松竹・東急系で大ヒット上映中のアカデミー賞受賞のレイチェル・ワイズとレイフ・ファインズ競演の「ナイロビの蜂」を観た。レイチェル扮する革命家テッサは講演会が縁でレイフ扮するナイロビに駐在する英国の外交官ジャスティンの妻になる。テッサは黒人医師で国境無き医師団に所属するアーノルドと共に、誰かが補助金などを横取りしてしまって薬なども十分にない粗末な診療体制の改善に努力していた。夫のジャスティンは園芸が好きで草花を育て観賞するのを趣味としており、ことなかれ主義だったので、テッサがそのような活動するのをハラハラしながら見ていた。テッサは妊娠し周囲の反対を押し切って貧民街の病院で出産するが死産だった。そこでテッサはダイプラクサという抗結核剤の治験がここで行われており、隣に入院していて出産後死んだ少女はその薬の副作用によるものと確信した。それを外務省に報告して、その治験を止めさせようと行動を起こすが、大手製薬会社から巨額なワイロをもらっている政府や外務省はその事実を隠した方が安上がりなので、テッサは黒人運転手と共に殺されてしまう。奔放な性格で黒人医師アーノルドその他とみだらな噂のあったテッサは情事のもつれから殺されたとして処理されようとするが、自分も彼女を疑ったことのある夫ジャスティンが事の真相を明らかにするべく色々聞いて回るうちに、テッサは見かけほどみだらでなく、自分を愛してくれていたことに気づき疑ったことを恥じる。そして彼女を殺した巨大組織を相手に戦いをはじめ、最後には外務省の大物がジャスティンの友人サンディに書いた手紙が公開されて、政府や製薬会社の悪事が明らかになる。ジャスティンは妻が殺された湖に立ち寄り彼女との思いに耽っていた時にやはり何者かに殺される。以上が大まかなあらすじだが、ネットでみると大勢の著名人が生涯で最高の映画とか感動の愛の物語とか絶賛している。観る人によってそれそれ感じ方がちがうのだと思う。私は舞台となったアフリカケニアの貧民街の人々の生活や医療事情、それに新薬の治験に関心があったので、実際はどうだろうかの目でみていた。彼らの生活はまさに映画の通りで、貧しく満足な医療も受けられない状況だろうなと思った。しかし大製薬会社と政府がぐるになり、アフリカ人の命は安いので金儲けのために彼らを実験に使うという想定は実際にもありうることで恐ろしいことだと思った。国境無き医師団のアーノルド医師も無実の罪を着せられて残酷な殺され方をするが、実際アフリカは我々の想像を超えた怖い所だと思う。そんなアフリカに自ら志願して乗り込んだテッサの勇気と、1度は疑ったけれど最後にはその彼女の民衆に対する気持ちを理解しその遺志を継ごうとする夫ジャスティンの気持ちが大スペクタルと共に描かれており、よかったと思う。
2007.01.06
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