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2008.08.30
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カテゴリ: その他

そういう意味では系統的にとなりのトトロの延長線上とも言えます。個人的にもっともツボにはまってしまったのは、夫の乗り組む小金井丸と発光信号で交信する場面。急に仕事で帰れなくなった夫に「BAKA BAKA BAKAAAAAAA」と発光信号を送るところは、何となく泣けた。

色鉛筆調の背景は、最初は驚きました。結構よかったです。
♪ポニョポニョポニョ魚の子~~の歌もよかった。

ところで、アニメ界の巨人といえば、今は宮崎ですが、アニメの黎明期には手塚治虫でした。少なくとも世間一般の認知度ではそうだった。そして、この2人の関係というのはなかなか微妙で面白いものがあったようです。

生前の手塚治虫は、宮崎駿をかたくなに認めなかったと言われています。

一方の宮崎駿も、1989年、手塚治虫が亡くなった直後のインタビューで、漫画家としての手塚を、かつて自分もものすごく影響を受けたこと、今でも高く評価していることを認めた上で、アニメ作家としての手塚治虫は全面否定していました。
その最大の理由は、手塚が、制作原価を遙かに下回るダンピングでテレビアニメの制作を請け負ったことです。そのことによって、日本のテレビアニメの低予算、それに伴う低品質(静止画の止め絵、スライド、同じセルを様々な場面で繰り返し使うなど)と低賃金が定着してしまった。
そのあおりを受けたのが当時宮崎のいた東映動画です。1960年代には優れた劇場長編アニメを次々と発表していた東映動画は、次第に安かろう悪かろうのテレビアニメを拡大して、劇場長編を縮小していきます。それに抵抗した東映動画労働組合の活動家(その頃、高畑勲が副委員長、宮崎が書記長だった)は会社から干されたり、そうでなくとも品質の高い劇場用アニメに携わる機会が失われ、結局は次々と東映動画を去っていったのです。

しかし、それでも、漫画家としての手塚治虫は、宮崎にとって大きな存在だったようです。「乗り越える相手」としても。インタビューの中で、自分の絵が手塚に似ていると指摘されて、それまでに描いた絵を燃やしたりした、というようなことを語っていました。
ちょうどその前後に公開されたのが「魔女の宅急便」です。その中で、主人公キキの魔法が弱まって空を飛べなくなり、絵描きのウルスラの家に泊まりに行くシーンがありました。ウルスラはキキに「自分も、それまでの絵が誰かの物まねだって気づいて、絵が描けなくなることがある。」と語るのですが、これは、多分宮崎駿自身が手塚治虫に対する思いを台詞にしたんだろうなと、そう思いました。





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最終更新日  2008.08.30 14:40:11
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