といえば、私が思い出すのは、ビクトル・ハラや、スタジアム、映画『ミッシング』、アジェンデ大統領の死…いろいろです。

それにしても、こんなにも多くの政治家が海外で暗殺されていたのですね。私も勉強不足で知りませんでした。ご教示ありがとうございます。

>2006年にピノチェトが死んだとき、その葬儀で彼の遺体に唾を吐きかけた人物がいたのです。プラッツ将軍の孫が、その人物でした。

そんなことがあったんですか…。知りませんでした。 (2009.12.09 22:25:40)

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2009.12.08
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テーマ: ニュース(96636)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20091208-OYT1T01148.htm?from=y10



南米チリの司法当局は7日、1982年にエドゥアルド・フレイ・モンタルバ元大統領が71歳で死亡したのは、当時のピノチェト軍事政権関係者による暗殺によるものだったと断定し、元運転手ら3人に対して殺人容疑で逮捕状を取った。AP通信などが伝えた。
フレイ氏は、ヘルニア手術後の感染症が原因で死亡したとされてきた。だが、チリ大学が今年行った病理解剖で、マスタードガスに含まれるものなど2種類の化学物質を検出された。
司法当局は「毒物を注入されたことが死因」と認定し、同氏の元運転手と手術を担当した医師、元秘密警察メンバーの3人が関与した疑いがあると判断した。当時検視を行った別の医師ら3人も共犯容疑で訴追するという。
チリでは、ピノチェト元大統領(2006年死去)が73年のクーデターでアジェンデ社会主義政権を打倒し、90年まで軍事独裁政権を敷いた。
この間、チリ経済を安定成長軌道に乗せる一方、左翼勢力を徹底して弾圧。誘拐や拷問などによる死者・行方不明者は約3200人に上った。
ジャーナリスト出身で、64~70年に大統領を務めたフレイ氏は軍政に抵抗、82年当時は軍部による人権侵害事件を調査していたという。同氏が暗殺されたとの疑惑はかねてくすぶっていた。
(2009年12月8日20時23分 読売新聞)
-----------


エドゥアルド・フレイ・モンタルバとはどのような人物だったかというと、サルバドル・アジェンデの前の大統領で、中道のキリスト教民主党出身。当時、チリには保守政党の国民党、中道のキリスト教民主党、左翼の人民連合(社会党・共産党・急進党その他)という3つのグループがあったのですが、フレイはキリスト教民主党ばかりでなく、保守の国民党の支援も受けて当選しています。
また、アジェンデ政権末期には、軍部に接近し、クーデターに加担していました。ところが、いざクーデターが成功すると、フレイ(とキリスト教民主党)もまた弾圧の対象になってしまったのです。ピノチェトにとっては、もう用済みの存在だったからでしょう。

ちなみに、ピノチェト政権に暗殺されたのは、フレイ元大統領だけではありません。有名どころでは、アジェンデ政権下の外務大臣だったオルランド・レテリエルは、1976年、滞在先の米国ワシントンDCで、チリの秘密警察によって爆殺されています。キリスト教民主党の有力政治家で、イタリアに亡命していたベルナルド・レイトンも襲撃され、本人は命を取り留めたものの、確か奥さんが亡くなっています。
ピノチェトの前任の陸軍総司令官カルロス・プラッツ大将(軍は政治に干渉してはならない、という信念を持ち、アジェンデ政権を擁護し続けた)も、1974年、亡命先のアルゼンチンで、妻ともどもチリの秘密警察に暗殺されました。

しかし、それから30年あまりのち、ピノチェトは人生の最後に、思わぬ形で暗殺の復讐を受けることになります。2006年にピノチェトが死んだとき、その葬儀で彼の遺体に唾を吐きかけた人物がいたのです。プラッツ将軍の孫が、その人物でした。





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最終更新日  2009.12.08 23:10:00
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チリ・クーデタ  
Bill McCreary さん

Re:チリ・クーデタ(12/08)  
inti-sol  さん
Bill McCrearyさん

おお、ビクトル・ハラをご存じですか。
素晴らしい歌い手です。彼は、「暗殺」というのとは違いますが、クーデターのときに逮捕されて、そのまま殺されています。民政復帰後に、クーデター時の人権侵害についての調査報告書が出ているのですが、ビクトル・ハラの死については、うろ覚えですが、確か全身に三十数発の銃弾を受けて、というような、壮絶な殺され方だったようです。

>それにしても、こんなにも多くの政治家が海外で暗殺されていたのですね。私も勉強不足で知りませんでした。ご教示ありがとうございます。

現大統領、ミシェル・バチェレの父も空軍の准将だったのですが、アジェンデ支持派だったので、逮捕されて拷問死しています。これも、暗殺とはちょっと違いますが・・・・・・。

>そんなことがあったんですか…。知りませんでした。

はい。そして、その葬儀の時もう一つ騒動が起こっています。ピノチェトの孫がやはり軍人で陸軍大尉だったのですが、弔辞でクーデター礼賛をブチ上げ、直ちに退役させられています。 (2009.12.09 23:36:27)

ミルトン=フリードマン  
A.S. さん
 A.S.です。今晩は。

 昨日電車の中で内橋克人さんの「新版 悪夢のサイクル/ネオリベラリズム循環」(文春文庫、2009)を読んでいたのですが、チリのピノチェト政権が、シカゴ学派のフリードマンの経済原理主義・新自由主義に間接的に影響を受けていた、というくだりがありました。もちろんご存じだとは思いますが。
「フリードマン流経済学を学んだ若きエコノミストたちを閣僚に登用し、極端な自由化政策を進めることになるのです。/彼らは「シカゴ・ボーイズ」と呼ばれました」(p.107)、とあります。『第四章 悪夢のサイクル』の出だしの部分もその話が続いていて、フリードマンが「ピノチェト政権の自由主義的政策の、思想的なバック―ボーン」で、価格規制の撤廃・関税引き下げ・貿易自由化・税制のフラット化・公的年金や医療保険の民営化・公企業の民営化・最低賃金の撤廃・種々の規制緩和・金融自由化などあらゆる市場原理主義政策を「フリードマンの教科書通りに実施」したそうです。一時、「南米経済の優等生」ともてはやされ、フリードマンもまるで自分の手柄のごとく「チリの奇跡」を喧伝した、とあります。・・・と、そこまで読みました。
 アメリカに追随してきた自民党の政権があのまま続いていたらどうなっていたことでしょうね。現政権にもあまり期待はでき無さそうではありますが。 (2009.12.11 22:26:14)

Re:ミルトン=フリードマン(12/08)  
inti-sol  さん
A.S.さん

ピノチェト政権とシカゴ学派との関係はまったくご指摘のとおりです。それにしても、ピノチェトが「自由主義」経済とはね!! (2009.12.11 22:54:40)

Re[1]:ミルトン=フリードマン(12/08)  
A.S. さん
 おはようございます。A.S.です。

>それにしても、ピノチェトが「自由主義」経済とはね!!

 「ネオリベラリズムは、小さな政府を標榜しながら、実は、軍事に関しては大きな政府という形態をとります」という話も出てきました。
(2009.12.12 08:18:33)

Re[2]:ミルトン=フリードマン(12/08)  
inti-sol  さん
A.S.さん

> 「ネオリベラリズムは、小さな政府を標榜しながら、実は、軍事に関しては大きな政府という形態をとります」という話も出てきました。

そのとおりですね。米国のレーガン政権を見れば分かります。
それでもレーガン政権やサッチャー政権は一応は選挙で選ばれた政権であり、選挙も議会も政党も機能していました。
ところが、ピノチェト政権はクーデターで成立し、議会は解散、政党は(保守の国民党、中道のキリスト教民主党も含め)全部禁止、反体制派は逮捕、強制収容所送り、暗殺。
これを新「自由主義」と呼ぶのは(もちろん、それは新自由主義「経済」だ、というのは承知していますが、しかし・・・・・・)こんなに矛盾した話はないなあ、と。 (2009.12.12 10:39:38)

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