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2010.02.03
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カテゴリ: その他
父に膀胱ガンが発見されたのは、今から2年と少し前、2008年の12月のことでした。実は、そのさらに7年ほど前、2001年に父は前立腺肥大の手術を受けたことがあります。どうも、この前立腺肥大の手術がその後のできごとの発端になってしまったようです。

前立腺肥大の手術は1泊2日の、ごく手軽なものでした。手術を受けたのは、都立某病院です。ただ、前立腺肥大の手術の後は前立腺ガンが発生しやすいのだそうで、そのため父はその手術の後ずっとその病院で、半年に一度定期検査を受けていました。
定期検査では、ずっと「異常なし」ということだったのですが、最後の頃はどうも体の不調があったようです。それで、ガンが発見される半年前の定期検査で、「じゃあ精密検査をしましょうか」ということになったのですが、何かうやむやのうちに「精密検査はしなくても大丈夫でしょう」ということに、話が変わってしまったらしいのです。
で、その半年後、最後の定期検査でガンが発見されました。発見された場所は、以前に手術を受けた前立腺ではなく、膀胱でした。

父は、あるガンの専門病院に入院しました。そこで精密検査を受けて分かったのは、7年前の前立腺肥大の手術後の処置があまりよくなくて、大腸が癒合してしまっている、ということでした。手術の場所は前立腺で、ガンができたのは膀胱ですから、手術とガンの因果関係は明白ではありません。でもあの手術がガンの原因(あるいは遠因の一つ)になったような気がするのです。そしてもう一つ、膀胱ガンはかなり進行していました。半年前、もし精密検査を行っていれば確実に発見できたはずだったようです。まあ、それを今から言っても仕方のないことですが。

とにかく、父は入院し、一昨年の2月に最初の、検査のための手術を受けました。膀胱のガンを、内側から削っていくのです。しかし、どこまで削ってもガンではない組織に行き当たらなかったそうです。それ以上削ると、膀胱が破れてしまう、つまりガンは膀胱の表面にまで達している可能性が高いという結論を得て、この手術は終わりになりました。
そうなると、膀胱を摘出するしかありません。4月、膀胱摘出手術が行われました。父はストマー装着の身体障害者になったわけです。

ところで、膀胱摘出手術自体は成功だったのですが、ガンはやはり膀胱の表面に達しており、体内にガン細胞がばらまかれた可能性が高い、ということでした。その場では他に転移は発見できなかったものの、放置すれば転移の可能性が高い、ということでした。
そのため、父は、手術後、短期間の一時退院を挟んで、再び入院し、抗ガン剤治療に入りました。確か3クールだったと思います。父は72歳にして髪の毛はまだフサフサでしたが、抗ガン剤治療の結果、髪の毛が全部抜けました。


ところが、わずか1ヶ月後、8月に再び腰の痛みが起こります。「再発」と思った父は、さっそく手術を受けた病院に精密検査を受けに行ったのですが、「再発はしていない」との診断でした。その代わり、診断がありました。「脊柱狭窄症」です。背骨の内側に突起が生じて、これが神経を圧迫して腰の痛みを生じさせていたのです。
この病気のエキスパートとも言うべき病院を紹介されて、父は10月にその病院に入院し、手術を受けました。背骨の内側から突起を削り取る手術です。
入院期間は3週間くらいだったでしょうか。ところが、手術を受けても、退院の日が来ても、父の痛みはいっこうに治まりません。痛み止めの座薬が効いている間はいいのですが、これが1日に3回しか使えず、1回8時間効くはずが、次第に6時間くらいしか聞かなくなりました。そうすると、残りの2時間×3回=6時間は、大変な痛みに苦しむのです。手術を受けて脊柱狭窄は治ったはずなのに。

12月、定期検査で手術跡にガンの再発が発見されました。結果的に見ると、脊柱狭窄も確かにあったけれど、それだけではなくガンの再発もあったのに、そちらが見落とされていたのではないかと思います。
結局、抗ガン剤は全く効かなかったわけです。再発を告知されたときは、母が都合によりどうしても同席できず、私が病院に同行しました。再発を告げられて帰宅するときの父は、さすがにがっくりしていましたが、それでもその翌日12月23日は、ささやかなクリスマスパーティーをやりました。いつもなら母が料理を作るのですが、さすがにこのときはそれはできず、私の相棒がパエリアを作って持って行きました。最後の晩餐ではないですが、父にとっては最後の楽しい団らんだったかもしれません。
その後、しばらくは小康状態で、私も年末に八ヶ岳に登山に行ったりしていたのですが、私が山から帰ってきた12月27日から、父は突然状態が悪化し、「譫妄」と呼ばれるガン性の呆けが始まりました。年明け1月5日に再入院の予定だったのですが、状態があまりに悪く、母がすぐ入院しようと言っても、頑強に「入院は1月5日だ」と抵抗したようです。しかし、結局年が明けた1月1日に、ついに「もう入院する」と言い出しました。たぶん、年明けは、なんとしても自宅で迎えたかったのでしょう。
しかし、そのときにはもうタクシーにも乗れず、救急車の出動となってしまいました。我が家の去年の年明けは、救急車出動要請とともに始まってしまったのです。

入院後1月3日までは、痛み止めによってある程度落ち着いていたのですが、4日頃から譫妄が激しくなり、私が病院に行くと、「家に帰る」と言って着替え始めたり、荷物をまとめて出て行こうとしたり、はてはベットを運び出そうとしたり、まったく正常ではない状態になっていました。その後1月10日頃からいったん意識が比較的正常に戻り、しばらくは落ち着いていたのですが、病状は刻一刻と進んでいきます。再発が分かった12月中旬、1月6日、1月下旬とCTスキャンの映像を見せられましたが、ガンがすごい勢いで増殖していることは素人の私でも分かりました。肝臓がほとんどすべてガン化していましたし、内臓はほとんどガンで置き換わってしまいました。
最後は、もうほとんど意識もなく、言葉もほとんどなかったのですが、それでも、かわいい孫(私の子ども)が見舞いに来たときだけは、かすかにうれしそうな顔をしていました。

1月6日に医師の説明を受けたとき、余命は「1ヶ月くらいでは」と言っていたのですが、専門家はさすがに鋭い。亡くなったのが2月3日でしたから、ほぼ予測通りでした。

結局、闘病期間は1年2ヶ月、受けた手術は3回。通算入院期間は、多分150日くらいになったでしょう。仕方がないとはいえ、結果的に見ると最後の脊柱狭窄の手術だけは、受けないでも済んだのではないかという気がします。もっとも、仮にもしそこで直ちにガン再発と分かったとしても、やっぱり助かりはしなかっただろう、という気はします。抗ガン剤が全く効かないようなガンだったわけですから。

新潟のフォルクローレ・ギタリスト、瀬賀倫夫さん は、ちょうど父の死の直前、2008年12月6日にガン(肝臓ガンだったらしい)で亡くなっているのですが、死の直前11月まで現役で演奏活動を行われています。最後のコンサートは11月26日、亡くなる10日前です。 ブログの更新 はその前に止まっていますが、ブログが更新できなくなってもギターは弾いたんですね。フォルクローレ魂ここにあり、という感じですが、父の場合は、10日前はほとんど意識がありませんでした。





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最終更新日  2010.02.03 21:41:16
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