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2011.07.21
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テーマ: ニュース(96636)
カテゴリ: 音楽
音楽評論家の中村とうようさん死亡、自殺か


同署によると、中村さんは1人暮らし。自宅からは、遺書のような文書が見つかったという。
中村さんは京大卒業後、銀行員を経て音楽評論の道に入り、1969年に音楽専門誌「ニューミュージック・マガジン」(現ミュージック・マガジン)を創刊。ジャズやフォーク、ロックからワールドミュージックまで幅広い評論活動で知られていた。

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中村とうよう氏の著作「ポピュラー音楽の世紀」(岩波新書)には、フォルクローレという音楽について、なかなか刺激的な文章が掲載されていて、私はかつてそれについて批判したことがあります。以前はホームページにその文章をアップしていたのですが、いつの頃にかホームページから削除してしまっていました。故人に対していささか手厳しい内容ですが、せっかくの機会なので、改めてその文章をアップしてみようかと思います。

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1999.10.28 
無意味で空虚で安易な音楽

中村とうよう氏の「ポピュラー音楽の世紀」(岩波新書)に、なかなか刺激的な文章が載っている。

「ユパンキの音楽をフォルクローレという無意味な言葉で囲い込むのには、強く反対する。フォルクローレは民俗音楽だ、という空虚なタテマエ論にも与したくない。日本で現実にフォルクローレと呼ばれているのは、アンデス周辺の伝統楽器、特に竹に似た管で作ったタテ笛ケーナでどんな音楽でも演奏してしまうような安易な音楽だ。一方、ヨーロッパの諸都市には南米からの出稼ぎセミプロ・ミュージシャンたちが「コンドルは飛んでいく」などを街頭で演奏する姿があふれている。これはいわば、伝統的な民俗音楽が外見を保ったままどれだけ通俗化できるかの実験であって、民俗音楽がポピュラー音楽に転換したというのとはまったく違うのではないだろうか。」

うーーーーん、その「無意味で空虚で安易な音楽」に命を賭けている私としては、こういう言われ方は、少なくとも気分の良いものではない。フォルクローレを「安易な音楽」と断ずる中村氏のフォルクローレ観の方が、失礼ながらよほど安易であると私は思う。 インデックスページ でも紹介したことだが、ラテンアメリカと言う広大な土地の様々な人々の民族音楽と、そこから発展した大衆音楽の総称がフォルクローレなのである。中村とうよう氏が何を言おうと、ユパンキやハイメ・グアルディア(長くなるので引用しなかったが、中村氏はハイメ・グアルディアのチャランゴが大好きらしい、そしてこれも「フォルクローレなどという空虚な名前は似合わない」と断じている)の音楽は紛れもなくフォルクローレである。勿論、いわゆるアンデスのフォルクローレとは全く毛色の異なった音楽であることは確かであるけれど、フォルクローレとはそれだけ幅の広い概念なのである。中村氏の言う「安易な音楽」だけがフォルクローレなのではない。


断っておくけれど、私はケーナでフュージョンをやるような音楽は好きではないし、フォルクローレではないと思っている。しかし、これは純然たる「好き嫌い」の問題、ジャンル分けの便宜上の問題なのであって、どちらが正しいか間違っているか、とか、どちらが高尚か低俗かとかいう違いがあるはずはないのである。

そう、私の議論はやっと本題にたどり着いた。そもそも、「安易な音楽」って一体なんだろうか?何が優れた音楽なのだろうか?
「多くの人に感動を与えられる音楽か否か」それ以外に音楽の良し悪しを分類する基準などないと私は思う。更に言えば、感動の大きさを客観的に測定する基準などない。したがって、この曲とあの曲とどちらの方が優れているか、などという判定は無意味である。万人が下らない音楽と思っても、自分一人がとてもとてもいい音楽と思えば、それで一向に構わないわけである。
どうしてもフォルクローレが安易な音楽と言うならそれでもいい、通俗的と言うならそれでもいい。私は、「安易で何が悪い、通俗的で何が悪い」と申し上げたい。音楽の価値とは、そんなことで決まるのではない。感動を呼ぶか呼ばないか、それこそが音楽の最大にして唯一の価値なのである。私は、「コンドルは飛んでいく」は、あまりに演奏しすぎていささか飽きてしまったけれど、それでもクラシックの名曲に何ら遜色ないすばらしい曲(もちろんどんな演奏かによるが)と思っている。演奏技量という点ではクラシックよりはるかに簡単だし、あの最初から最後まで並行三度だけのケーナ二重奏というのは、見方によっては安易で通俗的の極みかもしれない。でも、だから何だ、というのである。技量というのは、感動を与えるための重要な手段ではあるけれど、それ自体が目的なのではない。通俗的で感動的な音楽は、高尚で難解でよくわからない音楽より優れている、と私は信じている。もちろん通俗的で下らない音楽や、高尚で難解だけど感動的な音楽もたくさんあることは言うまでもないが。

中村とうよう氏も少しは良いことも書いていて、ハイメ・グアルディアの音楽について「民俗音楽かポピュラー音楽か、など彼らにはどうでもいい」としている。私も全く同感である。ジャンルとは単なる分類でしかなく、それ以上の意味はない。フォルクローレだからよい、とかフォルクローレだから悪いとか、ジャンル分けの言葉で音楽の良し悪しを語るのは愚の骨頂である。すばらしいフォルクローレもつまらないフォルクローレもある。もちろん、その基準は人によって千差万別だが。
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1991年にボリビアのカルカスが来日公演を行ったとき、NHKのBS放送で、コンサートの中継録画を行ったことがあります。ビデオが、多分我が家のどこかに残っています。その番組の解説者が、なんと中村とうよう氏だったのです。その中村氏が、実は腹の中ではフォルクローレについてこんなことを考えながら解説をしていたのかと思うと、ちょっと興ざめでした。まあ、評論家なんてものはそんなものなのかも知れませんが。





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最終更新日  2011.07.21 21:38:55
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