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ヨシュアさんが睡眠2時間でがんばって探した貴重な資料により、日本窒素関連の引揚者から聞き取った回顧談から、興南工場の戦時下の状況がわかりました。
恐縮ながら、私は楽して利用いたします。
これによると、
1. 興南など朝鮮半島の機関車は、 20台
のトロッコを牽く。
2. トロッコ1台には 700
かます(叺)(=俵) の硫安を積む。
3. 1かますに10貫の硫安を詰める。
ところで、1貫は3.75kgですから、
度量衡換算表
http://kameyamarekihaku.jp/sisi/kinsei/unit.htm
1便の輸送量は525トンとなります。
3.75×10×700×20=525千kg (=トン)
これにトロッコの自重も加わっても牽引できる機関車が配置されているわけです。
一方、1俵あたり40kg詰めた、という元囚人の話も統一協会資料にありますが、輸送中の減耗を6%と見て多目に詰めたのは事実でしょう。
先日の記事で、1日 1300俵 のかます詰め(荷造り)は2組(20人)でできると推計しましたが、これはトロッコ 2台 (両)分にしかなりません。
1300÷700=1.85台
※ 水沢里には、ガリバー旅行記の 「小人国にあるような、とても小さな講堂」
があり、トロッコ2台分の大きさしかない、という笑い話になります。
(もちろん、) 水沢里の講堂が一杯になる量は、1桁間違っていて、その10倍の 13000俵
と思われます。
終戦・解放後も戦時下とおなじように1日 20台 分に近い出荷だったとすれば、20組で13000俵を荷造りしていたと推計できます。
200人をまとめて隊列を組んで通勤させるならば、横列4人で数十メートルの行列になってしまい、看守の任務を全うする上で無理があります。
これを避けるため、数回に分け、一定間隔を空けて時差出勤させていた とも考えられ
、ようで、横4列縦8列の集団通勤をしており、朝8時に最初の 数
約3組が出発、最後の到着は朝10時になるという時程 ならば
は、現実的・合理的です。後発組の退勤は 5時
ではなく 7時
とされるでしょう。
5時を過ぎると一般の労働者が工場周辺に溢れ、商店街も賑わい、夕闇が濃くなってくる時間であり、また、看守の労働時間にも制限があるので、 5時
には全員が帰着するよう、先発組は 3時
に終業したと見られます。
※ とりあえず
、 「重役出勤する過酷な懲役刑」
という笑い話 のような計算結果は解消しました。
になりますが、それが囚人達の労働実態だといえます。
1人で 1300俵 の半分を荷造りすることはできませんが、(その10分の1である) 130俵 の半分以上ならば、当然できます。
8×60÷(130÷2) ≒ 7.4分
6×60÷(130÷2) ≒ 5.5分
講堂一杯の硫安の半分以上を1人で荷造りするなどという、大法螺としか聞こえない自慢話も、これならば解消されます。
桁を間違えて自画自賛に陥るという 「法則」 が垣間見えますが、これは、労働に見合わない貧相な食事によって、「霊的」になってしまっていたのだろうなぁと、同情するところです。みなさんも、責めないでくださいね。
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