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なかなか更新できなくて、なんだか自分が嫌なんですが、物理的な問題もあったりして…こんな状態でも、ご覧くださっている方がいるということにひたすら感謝です。まさに年末。今年も残りわずかですね。私はクリスマス前の賑わいからして、正直、苦手な感情があるんです。2003年の年末年始があまりにも惨めで、その記憶からでしょうね。琴子が亡くなった直後、数日間私の家にいてくれた実母がテレビを点けると、どうしてテレビの中では誰も泣いていないのかが分からなくて、テレビをすぐに消してもらいました。そんなことを何遍も繰り返し、段々と、琴子が死んだことは世間では痛くも痒くもない出来事だと痛感し、自分もそうであったわけですから、個人的に誰かを責めるという気持ちではなく、小さい命は本当に小さいままなのだと泣きました。毎年、年賀状はそれなりに楽しみにしていました。勿論、琴子が死んだ年は喪中の挨拶を出しました。それを受けて、連絡をくれる方も数名いてくれましたが、喪中の挨拶を受けても尚、年賀状を寄こす方もいました。あぁ、胎児の死(このときはまだ戸籍に載っていません)は人の死ではないのだなと、悲しくて堪らなかったです。とにかく年末年始の賑わいは苦しかったです。以来、年末年始こそ、日常のままでいようとしています。本当に辛かったから、今でもあのときの私がどこかにいるような気がして、せめて私だけでも、あのときの私自身に寄り添いたいとおもっているんでしょうね。そして、今年もきっと大勢の天使ちゃんと天使ママ&パパが初めての年末年始を迎えているのだとおもうと、切なくて堪らなくなります。悲しいよね、寂しいよね…一緒にお正月を迎えると期待ばかりしていたよね…今年の私を振り返ると、このブログはあまり更新できなかったのですが、医療関係者の方たちのブログを中心として、時にはネットを彷徨っていました。その中で、凄く心に残っているのが、中絶に対しての医師の方のご意見、『させられる側の気持ちも考えて』というような一文でした。その通りですね、依頼する側はお金を払えば済むとおもっている方もいるとおもうのですが、中絶問題を女性の私たちがきちんと考えて、声に出していくべきなんだとおもいました。病気などで仕方のない選択というのは別問題です。私はこの医師の方のご意見を目にしたとき、私たちがいかに命を軽視しているかを考えさせられました。テレビでは『たらい回し』という表現のまま、医療崩壊の報道が多くなりましたが、助産院や自宅出産に対しての警鐘は全く鳴らされないままで、不思議でなりません。医療は叩きやすく、助産院は美化されたまま。助産院や自宅って、そんなに安全なの?よく、『第二子を自宅で出産』などと経歴に書くような方がいらっしゃいますが、そういうのもやめて欲しい。『昔は自宅で産むのが当たり前だった』と言う方たちこそが、率先してその当たり前という行為を前面に出し、『特別な行為』だと騒いでいるように見えます。どんな場所で産んだかを、どうしてわざわざ言うの?当たり前だとおもっているのなら、言わないよね、普通は。……あれもこれもと、本当はブログで書きたいなぁとおもっていることがまだまだあったのに、ご覧の有様、全く書けないことの方が多くて、自分が残念でなりません。今年が終わるという日々の中、天使ママ&パパが少しでも心安らぐことを祈るばかりです。そして、年末年始はどうしてもマンパワーが不足しがちだとおもいますから、妊婦さんたちがこの年末年始に派手な行動を慎まれることも祈っております。また、派手な行動を慎んでも、緊急事態に陥る可能性があるという覚悟も大事ですね。残りわずかな今年、一人でも多くの方が無事にお産を済ませられますように祈っております。年末年始も関係なく現場で働く医師、助産師、看護師の皆さん、有難うございます。本当に、お産は子どもが無事で生まれてくれるのが一番の素晴らしいお産です。子供の死は辛いです。今の無事を当たり前におもわれず、どうかどうか、ご無事にご出産終えられますように…なんだか相変わらずまとまりのない私ではありますが、今年も一年、皆さんには大変お世話になりました。今年最後は今日となるとおもいます。来年も宜しくお願いします。そして、天使ちゃんたち、今年も一年、琴子と仲良くしてくれて有難う!天国は寒くないかな?来年も、琴子と仲良くしてね。
2008.12.29
先日の私のブログ内にて、いつもご意見くださる助産師のふぃっしゅさんから、下記のようなご意見を頂きました。良いことは取り入れればよいし、改善されていくことは大いに歓迎ですが、不安が残ります。良いイメージだけで「院内助産院はいい」「医師の立会いがなくても助産師だけでお産は大丈夫」という風潮が、分娩数に見合う産科医や小児科医数に対する国の方針へも影響するのではないかと。「在宅介護がいい」(それ自体は否定しませんが)という世の中の雰囲気ができてから、あっという間に高齢者の入院場所が削減されていきました。「はしごをはずされたようだ」と、療養病床のある施設長さんたちは転院場所のないお年寄りが出たことに憤慨していましたね。気づいたらいつの間にか、産科医・小児科医に助けを求めることがとても大変な時代になってしまうようなことにはなりたくないものです。分娩途中の心音低下や異常出血などローリスクのお産でもいくらでも起こるのですが、今まではすぐに医師が対応できたので「正常」に終了していたのですが、お産の場所が医師とは距離が離れれば離れるほど(医師数が少なくなれば)対応が遅れ「異常」になっていくことでしょう。若い助産師さんたちが病院での仕事に不満を感じたり、理想と違うと飛び出したくなるのには、病院全体でどれだけ看護者数を確保するか、というところに一番の問題があるのではないかと思います。どの病棟も「自分の理想の看護」にはもっと人手が欲しいです。けれども国全体の医療費という点では、この先さらに削減の方向でしょう。3~40年前は母児別室、3時間授乳が当たり前、そして最近は母児同室、完全母乳で「絆を」など、出産育児は本当に反動が大きい分野ですね。イメージにあおられず、本当の問題は何なのかあせらずに考えることが大事かなと思います、助産師やその職能団体は。私が琴子を出産する頃、2003年の私の耳には『院内助産院』という言葉が入ってきませんでした。私が知らなかっただけなのかもしれませんが、今では方々で聞くようになりました。また、私がリンズとダンジを出産した病院でも、院内助産院を始めたそうです。ふぃっしゅさんからのご意見を読んで、『「在宅介護がいい」(それ自体は否定しませんが)という世の中の雰囲気ができてから、あっという間に高齢者の入院場所が削減されていきました。「はしごをはずされたようだ」と、療養病床のある施設長さんたちは転院場所のないお年寄りが出たことに憤慨していましたね』あぁそっかー…と、怖くなりました。何か「いい感じ」に流されて上って、振り向いたら梯子がない…怖いな。完全に独立した助産院よりも、院内助産院の方が安全だという意見があり、確かにそう感じるのですが、“医師不足”である限り、今私たちが抱えている問題は何も解決されないんですよね。『お産の理想』は、私にとっては“母子の無事”でしかないのですが、世間的には“自然なお産”ですよね。その理想の声は大きくなるばかりなのだけど、医師の方たちや潜在助産師が現場に戻るという理想には近付かないのはなんでなんだろう…“お産”は何を求めていくのか。母乳育児は理想だとおもうけど、強迫観念とでもいうのか、『母乳育児でないといけない』という感じもありますね、時に目にします。それこそが“愛ある育児だ”と言わんばかりに。無理に遠退く必要はないけど、無理に近付くのも必要ない。私の好きな助産師さんが、「ミルク(人工乳)でも、与え方(主に量)では母乳同様の栄養価になる」と仰っていて、なるほどとおもいました。前にもこのブログで、持病の治療のため、母乳があげられないという方がいらっしゃいました。『したくても出来ない』ということを想像出来ないとでもいうのか、先日の“たらい回し”という表現にしても、問題の本質よりも『怠け者』というレッテルを貼りたがる。ふぃっしゅさんのご意見から逸れてしまったのかもしれないけど、色々と考えさせていただきました。振り返っても梯子があるように、私たち産む側も、お産に何を求めていくのかをもっと深く考えないといけないってつくづくおもいます。
2008.12.16
早産で生まれた新生児ちゃんが亡くなったという報道がありました>北海道新聞;早産男児、7病院拒否 10日後死亡 札幌で昨年11月(12/02 07:16)新生児ちゃんのご冥福をお祈りします。テレビ朝日の報道ステーションで見たのですが、キャスターが『昔は自宅で、近所の人たちが集まってお産を助けたのに、医療が進歩した現代は~』というようなことを最後に言われ、目が点になりました。まるで、医療の中には人のぬくもりがないと言わんばかりの発言でした。医療がどんなに発展しても、そこにぬくもりがないからこの新生児ちゃんが亡くなったのだと、私にはそう言っているようにしか聞こえませんでした。ただ、この後に続いた税金の使い方が…という件はその通りだとおもいましたが、それにしても、昔ならこのお子さんが助かったとおもっているのでしょうか?あまりにも酷い発言内容。“なるべく医療を直接的には攻撃しないように”…との方針がありつつも、どうしても根っこでは医療を否定しているんだろうなぁ。キャスターのいう『昔、近所の人が集まっていた時代』がいつの頃かが定かではないのですが、琴子を亡くした後、知人が世話になったという助産院の助産師の方が、「その年配の助産師が全盛の頃は、母親さえ生きていれば良いっていう時代だったからだろう」と、私の話を聞いてそのようなことを述べられていたそうです。更にそれ以前の時代を指して語ったのだとすれば、状況は悪化するはず。おかしすぎる。
2008.12.02
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