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こんにちはブラじゅんこです前回は栃木県にある「唐沢山城」に行ってきましたがその帰り道佐野城にも寄ってきましたこのあたりをおさめていた佐野氏は唐沢山城を本拠地としていたのですが関ヶ原以降家康によって廃城にされこちらの佐野城に移ってきたそうもともとこの場所には厄除け大師で有名な惣宗寺が建っていたそうさあ登城します駐車場に車を停めて急な坂道を上がっていくと佐野城址の碑がありましたこの碑の目の前には遊具がある広場が広がってましたこちらが三の丸城の一番南になります今は目の前に線路が走りなんと、佐野駅とつながってますすごい、直通だ・・・その線路に向かってすごい崖になってるんですがどうやら切岸になっていたらしいうんなかなかの急坂ですよねさて、さらに北方面へと歩いていきます緩い坂道を登ったところにあるのが二の丸何か遺構がないかなぁっと思ったけどただ広場だった・・・そして誰もいない・・・さらに進むと・・・二の丸と本丸の間の堀切これはなかなかしっかり残ってるではないかその上にかかる橋を渡って本丸へと向かいますここも広場が広がっておりますが・・・またしても誰もいない。。。平成の発掘調査で石畳の通路と、石垣、井戸が出てきたそうそれらは調査のあと埋め戻されてその場所に出土した石を並べてありました本丸の北には北出丸という郭がありますその手前にも堀切がありましてこちらも橋を渡って北出丸へと入ります突き当たりにテラスが見えてますがこのテラスには隅やぐらが建てられていたのではないかと発掘調査の結果考えられているそうですここで曲輪が見られたのでちょっと下に降りてみましたおお!下りてみるとやっぱり高いなぁポンっと高台が現れる感じですねこの脇をずっと歩いて本丸への堀切だと思われる階段を登ってみると・・・今でもなかなかの深さだけど前はもっと深かったんだろうなぁ先にさっき渡った橋がかかってますね佐野城は駅前にポンっと現れるお城で遺構はほとんどないけど地形など往時をしのばせるものがありますねぇ実際はまわりに外堀もあったそうだけどそこはほとんど残っていなくて駅前だしね今回は廻らず。。。いちご狩りに毎年来ている佐野だけど🍓新しい発見がたくさんありましたでは、また次のブラじゅんこで
2023.09.24
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こんにちはブラじゅんこです今回は栃木県にある唐沢山城へ行ってきました関東一の山城と言われている唐沢山城私、このお城のことを全然知らなくて「ブラタモリ」で知ったんですよそれから気になっていて・・・やっと行くことができました平安時代、藤原秀郷によって築城されたといわれていますその後、一時廃城になるものの、鎌倉時代に9代の弟成俊が佐野氏を名乗り城を完成させた・・・といわれていますなので唐沢山城跡に建っている唐沢山神社は秀郷が祀られているんですねなんといってもあの上杉謙信の攻撃を10度も退けたといういや、すごすぎるやろ。。。そしてそして今回の最大の目的は高石垣では、登城します入るとすぐ食い違い虎口がありますすでにきれいな石垣がそしてその目の前に天狗岩という看板がこの階段を登ってみましたそうしたら・・・・こんな景色がこの景色を見るとここが要衝だとわかりますねこの岩天狗岩という山・・なのかな?その頭がここなんですかね天狗岩から降りて大手道を登城します先ほど入った食い違い虎口を抜けるとすぐにある広場は桝形になってまして武者詰めだったそうです今はこんなスペースになっていました奥が食い違い虎口ここを抜けると大炊の井という井戸があります大きな井戸ですよねぇこういう山城でこんな井戸があるなんて珍しい・・・これは貴重の水源ですね鳥居をくぐって大手道を進んでいきますするとすぐに四つ目堀とそこにかかる神橋が現れます今は石橋がかかっていますが以前は引橋がかけられていて敵が来た時には橋を引き払ったそう今は堀もそれほど深くないですが実際はかなりの深さだったんでしょうね大手道を進むと石垣が見えてきましたここを登ると突き当たりを結構な角度で曲がりますなんか城っぽいこの階段を上がると今は社務所がありますが南城という場所だったらしいさらに階段を登ります登ったところが南局跡・・・二の丸奥女中の詰所だった場所らしいところどころ石垣が見えてますねさあ、まだ登りますよぉこの門をくぐると本丸です今は唐沢山神社の本殿が建っています以前はここに奥御殿があり西側に大手虎口があったそうお参りをしてから左手にある鳥居をくぐりますお、大きな石がありますね鳥居をくぐって坂を下がると二の丸跡鳥居の右側にひときわ大きな石があります鏡石かな?さてこの奥もまだまだ見どころがあるのでここからもう少し奥まで歩いてみます二の丸の虎口を出て本丸の裏の方へと進みます本丸の崖を眺めながら歩くと最初の曲輪、長門丸が出てきました奥に土塁が残ってる!ここはお花畑ともいわれていたそうなんだけどお花畑があったのかな?そのすぐ﨑に本丸の手前にあった局曲輪とこの長門丸との間に作られた虎口がありましたおお!土塁が食い違いになっているのがわかりますね!すごい(興奮中)この﨑には金の丸あとここはもともと宝蔵があったらしい今は青年の家が建ってますここを左にグルっと回り込んで・・・・この坂道の先が御姫御殿らしい行ってみると・・・んんっ虎口じゃないのかやっぱり虎口だ下は堀切になっていて次の曲輪へと続いています行ってみると・・・広いここは北城と呼ばれていたらしいこの北城の裏には二重の空堀があったらしいのだけど。。。ここかな?いや、これなのか?っと、私には全然わからなかったけど。。。私が立っているところも堀切なんだろうなっというわけで階段上って御姫御殿へと戻りますここから元きた道を戻って本丸へと引き返します二の丸まで戻ってくると大勢の人たちがある一方に向いて写真撮影の順番待ちをしていましたそこにあるのは。。。。ジャジャーーーン唐沢山城といえば高石垣もうすごくないですか関東でこんなに立派な野面積みはなかなか見られないですよねテンション上がりすぎて必死に写真を撮っていたら「撮りましょうか?」っと声をかけてくださる方々・・・ありがとうございます結構たくさん人がいたんですがスマホを向けると皆さん映りこまないようにササっと移動してくださるんですよわかってらっしゃるおかげ様で石垣の写真をたくさん撮影できました角が算木積みになってるんですよこれもポイント本丸の石垣を堪能しながら戻り南城にあるご社殿で御朱印をいただきましてこの南城にも石垣があるんですが。。。なんか行っていいのか、いけないのかちょっと迷うような細~~い道らしきものがあったのでとりあえず進んでみると・・・なんとっこんなに立派な石垣が私、この日一番のテンションになりまして「え、これどうやったら全部映るんだ?」「ん? こっちか? いや、入らないじゃん」っと独り言も大きく(誰もいないけど)写真を撮りまくりましたが私が立っている場所が一つ目堀となっておりますしっかり算木積みこれを撮影したくて結構な細い道に侵入・・・大手道を戻りまして途中で右へ曲がり二の丸の下にある三の丸へここも広い一部石垣も残ってました三の丸と四ツ目堀の間は長細い空間になってました帯郭というらしいこの左の柵の下が四ツ目堀大炊の井まで戻ってきてその裏へと進みますここは組屋敷があった場所。。らしいその裏が避来矢山ん?避来矢?? どういう意味なんだろう。。。調べなさいそして大炊の井の前にある小高い部分が・・・天徳寺丸(西城)さあ、駐車場まで戻ってきました見どころ満載でアップするのもかなり時間がかかってしまいました本丸までは道も歩きやすいですがその奥へ行く方は服装なども気を付けた方がいいかも神社の駐車場までかなりのヘアピンカーブで登ってきたんですがそこを歩いて登っている方もいました私が歩いた場所のほかにも歩ける場所はあるみたいですいや、しかしこんな山城がしっかりと残っているなんて感動しちゃいましたここはまた来たいなぁではまた次のブラじゅんこで
2023.09.21
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こんにちはブラじゅんこですさて甲府編も第3回最後は甲府城へと向かいました甲府城は武田家滅亡後に秀吉により甥の羽柴秀勝によって築城開始され浅野長政によって完成されたそうその後江戸時代には徳川の城となっています明治以降は廃城となり建物が破壊されたあと官庁や醸造所などが建ち中央線の開通もあって今の範囲になったそう城跡ってかなりの敷地があるので県庁などが建ってることが多いですよね甲府五山を回っていたらすっかり遅くなってしまいまして・・・駐車場についたときにはすでに駐車できなくなっておりましたよそしてこんなに石垣が残っているなんて知らなかった私かなりの景色にまたしてもテンションが上がってしまいましたがしかし時間がないので急いで回りますえこんなにガッツリ残ってるのっと驚いた私(すいません)遊亀橋を渡って鍛冶曲輪から登城します手前が鍛冶曲輪上に天守台が見えてますねここから左側にグルっと回りこみまして階段を上っていきますチラっと門が見えてますねデデ~~ン鉄門復元されたものですがなかなか立派本当に中にも入れるようなのですがなんといっても遅かったからね次回は入ってみたいここを入ると本丸になります天守台も残っているので登りますそして天守から見えたのは。。。富士山~~~~これはいいですねぇそしてその反対側には稲荷櫓城の鬼門にあるので艮(うしとら)櫓とも呼ばれていたそう武器庫などに使われていたそうですよ景色を満喫して本丸をあとにします鍛冶曲輪門鍛冶曲輪と楽屋曲輪をつないでいた門こちらも復元されています今回はもともと甲府城は行く予定ではなかったんですがちょっと欲張って寄ってきました短時間だったので次回はしっかりと予習をしてしっかりと見てまわりたいなぁ中央線の北側にも遺構があるみたいだし城跡をしっかりと回ってみたいと思いますでもでも今回行かなかった新府城や恵林寺にも行きたいからなぁ今回の甲府では小学生以来の憧れの場所にも行けたし信玄のよき時代の甲府が垣間見れて感慨深かったですまた違う角度で甲府を回ってみたいなぁご飯も何も食べずに駆け回ったのでやっとご飯山梨といえばのほうとうをいただきましたおいしかった~~~ではまた次回のブラじゅんこで
2023.09.14
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こんにちはブラじゅんこです前回のアップからすごく時間がたってしまいましたまだ甲府編も完了していないのに。。。それでは前回の「躑躅ヶ埼館」から引き続きましてアップしていきますねあちこちに○○五山がありますが甲府にも「甲府五山」があります信玄が定めた5つのお寺をめぐっていきたいと思いますまず最初に訪ねたのは法泉寺山のふもとにあるとても雰囲気のよいお寺でしたここは南北朝時代に活躍した武田信武が創建したお寺ここには信武のお墓と武田勝頼のお墓もあります勝頼といえば天目山の戦いで自刃した武田家最後の当主ですがその首級を快岳禅師が持ち帰り葬ったといわれているそうです勝頼って諏訪の跡取りになるはずだったのに兄たちが亡くなったために武田に戻されて中継ぎとして当主となった。。。というしかも武田家が滅亡へと向かうこの時期になんとも悲劇のヒーロー・・・ですよねそんな勝頼のお墓があるなんて。。。しっかりとお参りさせていただきましたこちらは第10代当主であり法泉寺を創建した武田信武のお墓もありました次のお寺に行く前に信玄公墓所へえ?こんなところにお墓が?なんて場所にポンっと現れました信玄は恵林寺に葬られているそうなのでなんでここ?っと思ったら信玄は上洛の途中で体調が悪くなり引き返す途中でなくなりましたが自分の死を3年は隠せっと言っていてその3年の間ここに葬られていたらしいほほ~~~~なるほど続きましては円光寺こちら信玄の先祖である逸見太郎清光さんの創建それを信玄が現在地へ移したそうこちらには信玄の正室・三条夫人のお墓がありますさあ!ここでいよいよ!あそこに行くことにしましたあそことは。。。甲斐善光寺善光寺って長野にありますがそこをご本尊を信玄がここに持ってきちゃったっという話を聞きましたが信玄がどうしてもご本尊を欲しかったのかそれとも俺がこの国をとったぞっと知らしめたかったのか(あくまでも私感です)なにはともあれ甲府にも立派な善光寺が建っております山門をくぐって進むと立派な本堂が見えてきましたはい、どーーーんどことなく長野の善光寺に似てません?行ったことないけど本堂には鳴龍や(何度も鳴らしちゃった)真っ暗闇を歩く「お戒壇」もありチャレンジしてみました本当に暗くてドキドキ善光寺ではもう少しのんびりしたかったんですがまだ五山も2つしか廻っていないし時間はないし・・・で急いで次のお寺へと向かいます次は善光寺からほど近い東光寺へ庭園が有名だそうですが時間が遅かったのかどこから入るのか分からずここ・・・ではないよなぁでも、きれいこの仏殿は室町時代に作られたといわれていて信長の攻撃にも昭和20年の戦火にもあわず残ってますきれいここには信玄に攻められて滅びた諏訪家当主のお墓があります諏訪頼重は降伏したあと東光寺に幽閉されここで自刃したそうです勝頼のおじいさんになりますねそしてもう一人信玄の長男義信のお墓もあります義信さんは嫡男でありながら東光寺に幽閉され、自刃しています義信の奥さんが今川家で信玄が今川家と手切れして攻め込むということで義信が反対だったとかそのためにクーデターを起こそうとして露見してしまったとか言われていますがどことなく徳川信康事件と通じるところがあるような。。。この時代は本当に複雑で悲しいですよね。。。いや、信玄おそるべし。。。東光寺からすぐ近くにある能成寺さあ、ここで本当に時間がなくなってしまいました考えてみればお昼ご飯食べてないいや、でもあと1件頑張って突き進みますちょっと迷いながらやってきた五山ラスト長禅寺すごい立派駐車場がここでいいのか迷っていたらたまたまお寺の方がお買い物から戻ってらして(笑)「大丈夫ですよ~」っと教えてくださいました時間遅くなっちゃったけどありがたく拝見させていただきました信玄のお母さんである大井夫人のお墓があります長禅寺は大井夫人の菩提寺ですが夫人が招いた岐秀元伯によって創建されまた信玄が出家するときに法名を授けたのも元伯だとかってことは武田晴信よりも有名な名前である信玄の名づけの親?ここまですごい勢いで廻ってきました時間が押せ押せでじっくりとは見れませんでしたがかなりの達成感がありましたしかしここで終わるわけではなく日暮れの時間と戦いながら甲府城へと向かいました。。。つづく
2023.09.11
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