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こんにちはブラじゅんこです今回のブラ散歩は「深谷」しかも「渋沢栄一のゆかりの地」を巡ってきました渋沢栄一といえば一昨年の大河ドラマ「晴天をつけ」の主人公でしたね恥ずかしながら、それまで渋沢栄一のことは名前しか知らなくてドラマを見ていろいろと知りました農家に生まれた栄一が幕臣になって、フランスにも渡り商法会所を作ったり富岡製糸場、第一国立銀行にも携わりその後もたくさんの事業に関してます91歳まで生きた栄一ですが一時期は王子に住んでいたので北区には馴染みのある方なんですね最初に訪れたのは栄一の生家「中の家」ドラマで見ていた景色がバーーンと目の前に現れてめちゃくちゃ感動早速中に入ってみます入ると土間になっていて左側に栄一アンドロイドが説明をしてくれるスペースと畳の部屋がありました囲炉裏のある部屋には栄一と奥さんである千代さんの衣裳が飾ってありました見慣れた衣裳だぁそしてさらに奥へと行くと・・・立派ですねぇでも、ドラマでは畳の部屋はなかったような・・・ドラマにも出てきた藍玉の番付表もありました2階へと上がりますそこはドラマと同じくお蚕さんを飼っている様子が再現されてましたそして奥には部屋が2階からはお庭が見えます昔はあたり一面藍畑だったんですよねさて、家を出ると脇に土蔵が建っていますここでは藍玉つくるの作業をしていたそう地下には大谷石で作られた部屋があるそうです門の脇にも土蔵がありましたこちらの土蔵は米蔵として使われていたそうそしてこんな建物もこちらは副屋お店として使われていて八基村農業協同組会の事務所として使われてもいたそうですそして裏側に抜けると・・・川が流れてましたゆったりとした流れで見ていても気分いい~~~渋沢家としえば藍玉の製造をしていましたがその藍も少しですが栽培されてましたこれは「蓼藍」というそう藍ってちゃんと見たの初めてかも中の家ではゆったりと見学して係員の方といろいろお話させてもらって楽しい時間でした中の家から少し歩いたところに血洗島諏訪神社がありますここもドラマに出てきたいたので感慨深い・・・この境内で子供ころの栄一たちが獅子舞を舞ってましたね雰囲気ありますねぇお祭りのときは賑やかなんでしょうね栄一の喜寿を記念して寄進によって建て替えられたそうですよ栄一の喜寿を祝う碑もありました・・・遠いなそして鳥居の扁額は栄一の書だそうですさすが、栄一にゆかりが深い神社ですね栄一に関するものがたくさんそして、ここで渋沢栄一記念館へここでは様々な記録などを見ることができました写真撮影はできず・・・記念館からすぐ近くの下手計鹿島神社へ⛩ここも渋沢家と関係が深い神社になりますこの地域、下手計(しもてばか)いや、読めないなの鎮守だそう栄一の従兄である尾高惇忠の家の近くですねこの拝殿の扁額も栄一の書そして尾高惇忠の記念碑も建っていますこの碑の上に書かれている文字は徳川慶喜の書だそうですよ香取神社からすぐ従兄であり師でもある尾高淳忠の家がありますこの家こそ当時そのままだそうすごいよ、築何年だ?この家の2階で高崎城の乗っ取りなんかを計画していたわけですね歴史の一場面ですよなんだかテンション上がるここで長七郎に止められたことで乗っ取りはあきらめるけど幕府にばれてしまって京でへと逃げてそこで平岡円四郎に召し抱えられるわけですね人生って何が起こるか分からないですねぇここの裏にも藍が植えられていましたよそして目の前には長屋跡がありましたここでは藍玉の製造や、菜種油の搾取また剣術の稽古などにも利用されたそうここから少し離れた場所に栄一に関わる建物が移築されていたので寄ってみました誠之堂栄一の喜寿の時に第一銀行の行員たちの出資で建てられたそういや、喜寿のお祝いに建物って・・・この建物、とてもかわいらしくて中も素敵でしたステンドグラスもとてもかわいい猿島で教えてもらったレンガの積み方もそしてその隣にもう一軒清風亭こちらは大正15年に当時の第一銀行頭取の佐々木勇之助の古希を祝って行員たちの出資で建てられたそういや、こちらもまたお祝いで建物って・・・こちらもすごく素敵でじっくりと見学しちゃいました深谷の血洗島や、下手計は栄一や惇忠それに喜作や長七郎たちの足跡がしっかりと残っていましたここを行き来しながら幕末の激しい時代を必死に生きていたんですね私は車で移動しましたが駐車場も完備されていて移動しやすく見学もしやすかったです深谷は宿場町でもありまた深谷城もあるので改めて行きたいと思ってますでは、また次回のブラじゅんこで
2023.11.27
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こんにちはブラじゅんこです今回は板橋区にある赤塚城に登城してきました赤塚城は石神井城を拠点としていた豊島氏を追放した太田道灌の援助を受けて千葉自胤が入城自胤は千葉氏の内紛に負けてしまったそうですが道灌に従って各地を転戦して武蔵千葉氏の基盤を作ったそうです千葉城にあった千葉胤賢は鎌倉公方と関東管領の争いに巻き込まれ関東管領側につきますがそれに反対だった重臣・原胤房が千葉城を急襲胤賢は兄や甥と、多古町城、志摩城へと逃れるしかし、原に多古町城を陥落され、甥・胤宣は自刃志摩城の兄・胤直も東禅寺まで撤退して自刃胤賢は2人の息子、実胤、自胤を連れて小堤城へ脱出そこも陥落し胤賢も自刃2人の兄弟は市川城へと逃れますが梁田氏に襲われ、扇ケ谷上杉氏を頼って武蔵へそこで道灌に助けられるわけですねいやぁ、なかなかに大変な人生関東の歴史もなかなかに興味深いしかし、千葉氏名前に「胤」がついていて似ていてわかりにくい・・溜池公園から登城しますここはもともと内堀になっていたそうで今は池になって残っています皆さん、のんびりと釣りを楽しんでいましたよその池の脇にある細い階段から登城します階段を見るだけで急な崖だとわかりますね一気に登ります登りきると広い広場本丸この辺が一の郭あたりけっこう広くきれいにならされています赤塚城に入った自胤は兄亡き後、千葉氏を継承して和光市、大宮市、足立区の一部まで領土を拡大して武蔵千葉氏の基盤を作ったそうそんな説明版とともに碑がたってました階段があったので降りてみたこう見るとかなりの高さがありますよねここが堀切になるのかなまた戻りまして・・・少し高くなっているところが二の郭今は梅園になっています土塁のあとなのか。。。ちょっと高くなっているのが分かるかな?また階段を降りてみますおお、結構な高さこのあたりは坂も多いし起伏が大きいけど実際に見るとびっくりしますね抜けるとこんな場所にそのまま外へと出てみます城っぽい郭の周りも高くなっているので高低差があまりなくなってますねさて、ここから西側にある氷川神社まで歩きますかなり高低差がある道で歩いていても楽しかったです赤塚氷川神社赤塚城主・千葉自胤が武州一宮氷川神社の御分霊を祀ったのが始まり今の大宮の氷川神社ですね境内には富士塚がありましたよ登頂しようと思ったけど登れなくなってたここから来た道を戻って赤塚城の二の丸だった場所へと移動しますよ赤塚城裏にある乗蓮寺にやってきました乗蓮寺は昭和46年にここに移転してきてそれまでは板橋仲宿にあったそうです8代将軍吉宗が鷹狩の際に参拝したことから将軍の「御膳所」に指定されたそうです高速道路や17号線の拡張工事などのためにこの赤塚に移転したそうですがつい最近引っ越してきたんですねそれまではこの場所は二の丸跡として色々遺構が残ったりしていたのかなぁ立派だ~~~ここで御朱印をいただくときにお手伝いにきているという係の方といろいろとお話して人生相談みたいになっちゃったけどまたゆっくりお話しに行きたいなぁっと思っちゃいました30分くらいしゃべったな乗蓮寺といえば東京大仏想像よりも大きくてかなりびっくりしたここには板橋忠康氏のお墓があります板橋氏は武蔵豊島氏の末裔で忠康は北条氏直に仕えていたそうその息子の忠政は徳川家康に仕えて旗本として幕末まで続いたそう板橋氏は赤坂浄土寺を菩提寺としていますが忠康のみ乗蓮寺にお墓がありますまた、このお寺にはいくつかの面白い石造があるのですが・・・現在の駒込あたりにあった津藩藤堂家にあった石造だそうそのうちの1つ文殊菩薩さまそして赤塚城二の丸跡っという碑もきちんと建っていましたよ乗蓮寺から歩いてすぐ松月院にやってきました松月院は赤塚城主である自胤が中興の祖として菩提寺としたそうこの門をくぐるとすぐに幼稚園があってちょうど帰りの時間で賑やかでしたよその奥に進むと素敵な山門が・・・この門の瓦には千葉氏の御紋である「月星紋」があしらわれていますなんかかわいい紋おしゃれですよね本堂千葉氏一族のお墓このお寺や赤塚城の北側は今では高島平と呼ばれていますがその由来となった高島秋帆がここに本陣を置いて西洋式砲術を指揮したそう高島秋帆といえば去年の大河「晴天をつけ」で玉木宏さんが演じてましたね高島秋帆先生紀功碑ここから少し歩いて大堂へと向かいます大堂は古墳の上に建てられた阿弥陀堂で大寺院でにぎわっていたそうですが上杉謙信の北条攻めの時に焼き討ちにあってしまったそうそして江戸時代に松月院の境外堂になったそうなるほどだからこのお堂だけ別の場所にあるのかぁしかしビックネームが出てきましたねテンションあがる~~~今度はお城の東側にある諏訪神社に向かいます赤塚城主・千葉自胤が信濃国の諏訪神社を勧進したそうこうやってあちこちに自胤由来の場所があるとなんだかしみじみしてしまう。。。諏訪神社には夫婦いちょうがありましたおおきい~~~近くにはたけのこ公園なんていう公園もありました竹がきれいこの竹林はもともとあったのかなぁきれいに整備されてましたさてここからお城方面へと戻っていきますこのあたりは崖線からあちこちに水が湧いていたそうでその1つである「不動の滝」が残ってますむかし、富士講や大山講へと向かう人がここで水垢離をしたそうなんです神聖な場所だったんですね今回の赤塚城は遺構がほとんど残ってなかったけど廻りの高低差や自胤由来の場所など当時の様子を想像するのは楽しかったですもうちょっと勉強したらもっと遺構や由来の場所があるのかもしれないなではではまた次のブラじゅんこで
2023.11.24
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こんにちはブラじゅんこです前回は新田荘の散策をアップしましたが新田荘を回ると同時に世良田も回っていました世良田とは・・・徳川家康の先祖といわれている世良田新田氏のことつまり徳川家の発祥の地と言われているんですっということだからか最初に訪れた郷土資料館では「どうする家康」のスタンプラリーをやってましたもちろん私ももらったなぜここが徳川氏の発祥の地なのか家康のおじいさんにあたる松平清康が清和源氏の新田氏の分家である世良田氏を名乗り孫である家康も世良田氏を称して三河守を望みましたが「世良田氏に三河守を叙任した前例がない」とされたため近衛前久に相談したところ新田義季が新田得川氏を名乗っていたことを見つけさらに藤原姓を名乗ったことをあると発見し無事に「徳川三河守藤原家康」となったわけです「どうする家康」でもしっかりと描かれていましたよね実は私も初めて知りましたまず最初に訪れたのはこちら世良田東照宮こちらは黒門なかなかに立派歴史を感じますこの東照宮は家光が日光東照宮の奥社を移築したもの移築したのち、現在のあのきらびやかな東照宮を建てたわけですねつまり、この東照宮は秀忠が建てたものということになりますかね黒門をくぐるとすぐ左に上番所がありましたまっすぐ進むと拝殿がありますが。。。その前に大きな石灯篭が並んでいますこの灯篭は奉納されたものだそうですが誰が奉納したのかが掲示されてましたほほう忍藩や川越藩なのですな引きで見るとこんな感じきれいですねぇさて、拝殿にご挨拶しましょうご挨拶を済ませたら拝殿の近くまで行けるということで入場料をお支払いしていざ拝殿を近くで拝見すると・・・これが初代東照宮になりますねん~~~かなり時間が経過した感がこの拝殿は東照宮奥宮にあったもので参拝は将軍・御三家・勅使のみ大工は二条城・江戸城天守閣を築城した中井大和守正清だそう・・・すごい建物を建てた人なんですね江戸城の天守閣、見てみたかったなぁ天守台だけでもすごいもんなさて拝殿の後ろにはご本殿があるので早速に拝見に・・・行ったら・・・まさかの修復中今年はあちこちの神社やお寺に参ってるけど修復中が多いんだよなぁ秩父神社もそう、伊達政宗の御廟もまだアップしてないけど鹿島神社も修復中だった。。。そんな年回りなんだろうか気を取り直してもう一度拝殿をじっくり眺めますさてこの東照宮は長楽寺というお寺の境内に建てられたのですぐ隣に長楽寺があります長楽寺は1221年、新田義重の四男で、徳川氏始祖の義季が開いたお寺江戸時代になると、徳川祖先の寺としてあの天海大僧正を住職としたそうですでは早速こちらにもご挨拶に・・・その途中に東照宮の勅使門がありましたこの勅使門は江戸時代に東照宮の正門とされていて勅使や幕府の上使が参拝するときだけ開かれたそうなので「あかずの門」「赤門」とも言われていたそうですきれいな門ですよねぇさあいざ長楽寺へお邪魔いたします立派な山門ですな入って左側に蓮池と渡月橋がありましたいわゆる心字池ですな渡月橋を渡ってまっすぐ進むと三仏堂こちらは新田義季によって建立されて家光によって再建されたそう「三仏」とは。。。阿弥陀如来・弥勒菩薩・釈迦如来それぞれ3m前後あるらしいで・・・・でかい・・・さらに奥に進むと太鼓門時報や行事の合図などにこの門の上に太鼓を置いて知らせていたそう太鼓がなくなったあとは旧鐘楼から鐘が移されたそうだけど戦時中に供出されちゃったとかいやはや・・・さらに進み右へと曲がるとこちらが本堂こちらは平成17年に再建されたものだそうきれいなご本堂ご挨拶を済ませて新田義季のお墓があるというところへ向かいますおお、しっかりと碑があるこの石段を上ると・・・しっかりとお参りさせていただきました地図を見るとここは山になってるんですねここからさらに奥へと進むと・・・開山堂こちらは、長楽寺の開祖・栄朝禅師の像が祀られているそうなんとも趣がありすぎる・・・あとから知ったんですがここの扁額は松平定信の真筆だそうでしっかりと撮影しておけばよかったな微妙に見えないそうそう途中に牛石がありました徳川義季の招きで上野国に来た栄朝禅師と一緒に旅をしてきた牛がここに座ったまま動かなくてなってそのまま石になってしまったんだとかその場所に長楽寺を建立したそうです不思議な話だ。。。この日は新田義貞の由来の場所を散策するのがメインだったのであまり徳川の方は調べていかなかったんですがたまたま走っていたら出会った東照宮ここは徳川義季の館跡らしいですあとで調べたらこの裏手に新田義重の宝塔があったらしいしまった~~~その東照宮のすぐ近くにある満徳寺ここは鎌倉東慶寺と同じく縁切寺として有名新田義季の娘、浄念比丘尼が開祖と言われてますここは、大阪夏の陣のあと、千姫が豊臣家と縁を切るために入寺したのち再婚したことにならって縁切寺法(こんな法があったんだ)の特権を幕府から与えられたそう実際は千姫は来ていなくて代わりに侍女が入ったそうですが今は廃寺になっていて遺跡公園となってます旧本堂礎石が並んでいて解説版もたくさんありました整備された気持ちのいい空間でしたここでも「どうする家康」のスタンプをもらおうと思ったら設置してある資料館が締まってしまって「・・・」となっていたらわざわざ入り口を開けてスタンプを押させてくださいましたありがとうございます今回、新田義貞の由来の場所を歩くのあたって世良田も近いことから欲張って散策しましたがやっぱり欲張りすぎたなでも実際に行ってみるとこんなに徳川の江戸幕府との関係があったのかとびっくりしましたではまた次のブラじゅんこで
2023.11.12
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こんにちはブラじゅんこです本日のブラ散歩は新田荘鎌倉幕府討幕に活躍した新田義貞の足跡をたどっていきたいと思います最初に訪れたのは新田荘歴史資料館ここでは義貞の像がお出迎えしてくれましたかっこいい新田義貞は鎌倉幕府を倒すために鎌倉に攻め入った武将として有名ですがもともとは清和源氏系図をたどっていくと源義家につながるので足利尊氏と同じ祖先になるんですよね実は・・・徳川家康の祖先ともされているんですよ新田荘には新田氏の居館跡が何か所が残っていますその1つ江田館ご覧のように野原のようになっていますがこちらも史跡でございます少し小高くなっている部分が土塁ここは土塁と堀跡を見ることができます道を走っているとポッと現われるんですがただの空地のように見えるので要注意この江田館は江田行義の館と言われています江田行義は新田義重の息子、義季四世の孫になるそう鎌倉攻めにも参加していたんだそうですよ土塁と堀がしっかりと残ってますね次に来たのは。。大慶寺ここは綿打氏の館跡悪源太義平の奥さんである妙満尼(新田義重の娘)が義平の菩提を弔うために庵を結んだのが始まりだそうこの碑は自動販売機の横にひっそりと建っていまして写真撮るのも結構大変だったりしました綿打氏は新田政義(義重から三世孫)の次男家氏の長男・綿打太郎為氏(難しい)っということは為氏から綿打氏を名乗ったのかな???そして・・・・やってまいりましたジャジャーーーン新田義定が鎌倉幕府討幕の挙兵をしたといわれている生品神社実際に鎌倉にまで攻め上がり幕府を滅亡に追いやった義貞がここで挙兵したわけですよそれだけでもかなり胸熱今はとても静かな境内・・・こじんまりした拝殿この小さな神社に兵たちが集まって挙兵をしたわけですねこの空間に義貞や兵たちが集まってすごい熱気だったであろうことを想像するだけで・・・そして義貞が旗揚げの旗を掲げたといわれる木が残されてますさすがに明治37年に大音響とともに倒れてしまったそうです・・・思いを馳せる・・・・続いてはもう1つの館跡反町館義貞が住んだとも大館氏が住んだともいわれていて大きな堀が残されてますおお、館っぽい土塁も残ってます現在は照明寺の境内となっていますがここは藤棚で有名なんだそうですよ訪れた日は蓮の花が咲いてました次にやってきたのは円福寺ここには新田氏累代のお墓があるのですお寺に幼稚園が併設されていて一歩入ると遊具がたくさんありましたこちらは観音堂なんとも趣がありますねぇ足利政義は大番役で京都にいたときに病気を理由に出家して新田荘に帰ってしまったそうでそののち、宗家は没落してしまい義貞の時代まで無位無官になってしまったそうなるほどそういうことだったんだ義貞って討幕の時に突然登場した感じだったので不思議だったんですよね円福寺は政義が新田荘由良郷に蟄居したころに創建されたそうです新田氏累代の墓20基ほど並んでますがこのうちの1基に義貞の祖父・基氏の法名「沙弥道義」の銘が見られるそうです次にやってきたのは義貞生誕の地台源氏館跡ここで生まれたのか赤ちゃんだった義貞を想像するのは難しいけども(笑)産声をあげた場所にいるということだけで感動ここは住宅街の中にポツンとあるので私も撮影だけ急いでしました次に訪ねたのは総持寺ここには新田氏の居館があったとされていて住んでいたのは新田義重(2代)とも、世良田頼氏とも、新田義貞ともいわれています裏を川が流れていて土塁なども昭和初期までは見られたそうですよ新田荘には他にも義貞にまつわる場所があるのでそこにも行ってみましたまずは・・矢止めの松生品神社で旗揚げした義貞が吉凶を占うために鏑矢を放ったぞの矢が刺さったといわれる松この松のその刺さった松でななくてどうやら2代目らしいです神社から2キロほど離れているのでまさか2キロも矢が飛んだとは思えないけど・・・まあ、ロマンがありますねここも道路の横にひょこっと現れますそしてもう1か所こちらも松ですが今度の松は・・・駒つなぎの松旗揚げをした義貞が鎌倉を目指し利根川を渡る前に岸辺で休んだ時この松に義貞の馬をつないだのだとかもちろんこの松も当時のものではなく何代目からしいです義貞はこの地で生まれ反町館で育ち生品神社で挙兵したといわれています車で移動しましたが10~15分くらいで移動できる範囲にたくさんの史跡が残されています南北朝時代の雄新田義貞の足跡をたどって新田荘を走り回ってみましたこの他にもたくさんの逸話や、いわれのある場所などありますが今回はメイン所を一日で廻れるだけ廻ってみました日本の歴史という漫画で育った私ですがその義貞がかっこよくて憧れていたので物思いにふけりながら堪能する旅となりました実は・・・徳川の由来の場所を巡っていたのですごい勢いで廻ることになってしまいました徳川の足跡をたどった様子は次のブラじゅんこで
2023.11.04
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