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八重山諸島・石垣島・バンナ公園のサクラ咲く!ヤッタ!ヤリマシタ!遂に、やりました!!!バンザイ!バンザイ!!バンザーイ!!!琉球の離島から、「八重山商工」が、悲願のセンバツ高校野球、甲子園へ!!! 号外の八重山毎日新聞を貼り付けます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【号外】八重山商工 初の甲子園へ/第78回センバツ出場決まる2006-01-31 | スポーツ |---------------------------------------------------------------郡民の夢、大輪の花開く取材報道陣40社70人余が殺到1月31日午後、八重山商工高校野球部の第78回選抜高校野球大会出場が決定し、報告を受けた野球部部員や伊志嶺吉盛監督、野球部を支えた父母や夢実現甲子園の会、地元住民らは歓喜の声をあげた。離島の高校で部員はたったの22人。誰もが甲子園出場など夢のまた夢だと思っていた。離島ゆえに練習環境や練習試合に恵まれずにいたが、父母の多大な支援と地域・学校側の積極的な取り組みにより、県外遠征や練習環境の工夫、練習内容の充実化で着実にチームの強化が進められてきた。そしてついに郡民が念願した甲子園出場が決定した。 第78回選抜高校野球大会(3月23日から12日間・甲子園球場)の出場校を決める選考委員会が31日午後、大阪市北区の毎日新聞大阪本社で開かれ、21世紀枠の2校と希望枠の1校、初出場の八重山商工高校をはじめとする一般枠29校など、出場32校が決定した。 2003年4月、石垣市野球派遣事業で伊志嶺監督が八商工に就任した。就任当時、伊志嶺監督は「選手たちの意識を変えていきたい。2、3年後には甲子園出場も視野に入れている」と話していた。同年7月の県大会。八商工は8強とまずまずの滑り出しだった。 しかし、3年生の部活引退後、「伊志嶺監督の厳しい練習についていけない」と部員8人が野球部を去り、部員は2人だけとなり野球部存続の危機となった。住民からは「やりすぎだ! これでは甲子園出場どころではない!」という批判もあった。しかし、伊志嶺監督と心を一つにする人々が、野球部を支えてきた。 04年4月、伊志嶺監督が小学生と中学生を指導していた時のメンバーが八商工に入学してきた。このメンバーは小学校の八島マリンズ時代に全国制覇、中学の八重山ポニーズで世界3位と実力派ぞろい。 存続の危機だった野球部を伊志嶺監督とともに、守り続けてきた佐久川直浩主将を中心に新たな気持ちで甲子園出場を目指し、動き始めた。 同年夏の大会では1年主体で16強入りを果たすと、新人大会では強豪・宜野座を下し、離島勢初の優勝に輝いた。 その後の秋季大会では4強に進出するも決勝進出を逃し、1年生主体のチームでは力量に差があることを痛感。 チーム全体のレベルアップを図って臨んだ1年生大会では、思いっきりのいいプレーで他校を圧倒し、2本目の優勝旗を石垣島に持ち帰った。 八商工は大会に出場するたびに大きな成長を遂げ、県内でも『強豪』の名で呼ばれるようになった。 05年県秋季大会で3位入賞を果たし、今春のセンバツ甲子園の参考となる第117回九州地区高校野球大会に初出場した八商工は、九州の強豪にも負けない気合で快進撃。 センバツ大会出場が濃厚となる4強進出をかけた明豊戦(大分)では選手・監督ともにあきらめないという気持ちを一つにし、逆転サヨナラ勝ちをおさめた。 この瞬間、スタンドでは応援に駆けつけた郡民や郷友たちが大歓声をあげ、八商工の勝利を喜んだ。 続く準決勝の延岡学園(宮崎)も4―1で下し、決勝進出。決勝戦の清峰(長崎)には2―7で惜敗したが、初出場で県勢離島校として初の準優勝を果たした。 これまで、野球部存続の危機や伊志嶺監督の指導方針に対する中傷など苦しい時期を乗り越え、県内はもちろん、全国離島校がこれまでなしえなかった大きな夢を実力でつかんだ。 また、21世紀枠以外で離島校が甲子園に出場することは、高校野球の歴史上初の快挙となるということで、今大会最大の注目校となり、こうした歴史的場面をおさえようと31日は全国からおよそ40社・70人以上の報道陣が殺到した。 大会の組み合わせ抽選会は3月15日。Save
2006年01月31日

本日31日は、春のセンバツ高校野球の、出場校決定の運命の日です。午後4時過ぎ頃、もし、「八重山商工」が出場決定となれば、石垣島の離島桟橋では、船が一斉に汽笛を鳴らし、花火が打ち上げられます! 決まれば、絶対甲子園に応援だ!!!八重山毎日新聞から貼り付けます。////////////////////////////////////////////////////////////////「吉報」を八商工ナイン/きょうセンバツ出場選考委2006-01-31 | スポーツ |--------------------------------------------------------------第78回選抜高校野球大会(3月23日から12日間)の出場32校を決める選考委員会が31日午後、大阪市北区の毎日新聞大阪本社で開かれる。 今大会は一般選考29校と21世紀枠2校、希望枠1校の計32校が選出される。 午前9時から21世紀枠候補9校の推薦理由説明会を行い、続いて選考委員会総会で各地区別の選出校数を確認する。 午前11時からは21世紀枠特別選考委員会と地区別小委員会で出場校の選考に入る。午後3時に21世紀枠の2校が発表され、午後4時30分ごろまでには出場全32校が出そろう予定。 出場校の発表は北からとなっており、八商工の属する九州地区は午後4時ごろの発表になることが予想されている。 また、八商工のセンバツ大会出場が決まった際には離島桟橋で船が一斉に汽笛を鳴らし、花火も打ち上げられる予定。八商工グラウンドでは同校郷土芸能部による踊りや真栄里公民館の旗頭、獅子舞、平真小マーチングバンドの演奏でセンバツ出場を祝う。 石垣市と「夢実現甲子園の会」では午後6時から市役所駐車場で郡民祝賀会を行う。 センバツ出場発表を前に、八商工を取材しようと本土からも多くの報道陣が石垣島入りしており、野球部員らは「自分たちのやれることはやってきた」「絶対に甲子園に出場する!」と気合十分で、31日の吉報を待っている。
2006年01月31日

毎年、恒例の琉球弧へのバックパッカーの旅、今年もヤイマから始めます。明日24日早朝6時40分羽田発、石垣島直行便にて、ヤイマに帰ります。24日~27日石垣島4泊28日~30日沖縄本島2泊 石垣島サトウキビ畑に虹が冬の石垣島で、久し振りに、パラグライダー・タンデム遊覧でもと思っています。天候次第ですけど・・・アーサー採りも、石垣島ではシーズン入り石垣島の浜に採りに行こう!我等、石垣島の仲間のライブカメラヤイマスタイルの仲間とのオフ会も楽しみだなぁ~沖縄本島では、ケラマ諸島でのクジラを見るか?コザの空気を感じながら、民謡三昧か?はたまた、ヤンバルまで走るか?選択肢は多くて・・・兎に角、今年も”元気に”琉球弧への旅を始めます。明日24日~30日までは、楽天日記は開店休業です。でもコメント下さいね!コメントには石垣島から、沖縄本島から、返信します。
2006年01月23日

宮古島を舞台にした映画「太陽(てぃーだ)のロケが、西里大通りで行われたようですネ。日頃から、宮古諸島を舞台にした映画やテレビドラマが、ヤイマに比べ少ないと思っていた風人、スゴク嬉しいです。 宮古島トライアスロン会場の「前浜ビーチ」それもあの有名な「宮古島トライアスロン」が題材なんて、大応援したいですネ!そして、登場人物は、風人と同じ世代が中心?らしい。完成が待ち遠しいなぁ~宮古毎日新聞から貼り付けます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・西里通りでトライ映画ロケ/エキストラ150人参加 宮古島トライアスロン大会を舞台にした映画「太陽(てぃだ)」の宮古島ロケが二十一日、市内の西里通りで行われた。映画のハイライトシーンの一つ、ゴールを目前にした選手らの喜びや疲労に苦痛の表情を浮かべる様子を撮影した。俳優や撮影スタッフに加え、応援のエキストラ百五十人が参加。大会と同様な声援を送り、大会の盛り上がりを再現した。宮古島ロケは二十三日まで。 映画は離婚やリストラ、息子のひきこもりなど、悩みを抱える四十―六十代の「オヤジ」たち五人が、宮古島のトライアスロン大会に挑み希望を見いだしていくストーリー。全日本トライアスロン宮古島大会に五度出場している俳優の峰岸徹さん、天宮良さんらが出演している。 この日の撮影が行われた西里通りは、実際の大会のコースではないが、映画ではゴールまで残り五百メートル地点の場所として設定された。撮影のため西里通りを午後五時から同九時ごろまで通行止め。通りには横断幕が掲げられ、歩道には応援のエキストラ百五十人が並び大会当日を思わせる雰囲気。エキストラは太鼓やタンバリンを打ち鳴らし「ガンバレー」と声援を送っていた。 撮影前、エキストラを前に小田大河監督は「このシーンは映画のハイライト。ゴール直前の選手たちを、温かい祝福で迎えてもらいたい」と説明した。 応援エキストラとして参加した奥原航平君(北小五年)は「野球部のメンバーと参加した。撮影を意識しないで応援できた。良い思い出になった」と笑顔で話した。 また、選手役として宮古トライアスロンクラブのメンバーらがエキストラで出演。疲れた表情や足を引きずってゴールを目指す選手を演じていた。 選手役で出演した同クラブの木多伸行さんは「撮影は初めての経験。一生に一度あるかないかのことなので緊張した。撮影に参加できて光栄に思う」と感想を語った。
2006年01月22日

ヤイマの仲間や、ヤイマ大好きナイチャーが参加します。石垣マラソン!2005年1月23日石垣島マラソン昨年の石垣島マラソン応援日記今年は応援間に合いませんが、皆、ガンバって下さいネ!私は24日、石垣島に帰ります。八重山毎日新聞から貼り付けます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3コース、午前9時に号砲今年は千800人余が出場へ第4回石垣島マラソン大会(石垣市、市教育委員会、市体育協会主催)が22日午前9時から、石垣市中央運動公園陸上競技場を発着点に10キロ、ハーフ(21・097キロ)、フルマラソンの三部門で開催される。大会には計1879人の選手が出場する予定。 大会を目前に控えた21日、発着点となる陸上競技場では、ナンバーカードの交付など競技者の受け付けが行われ、会場には大勢の選手らが詰めかけ、ナンバーカードや完走タイムを記録するためのICチップを受け取り、大会役員にコースの道順や各区間の制限時間などをたずねていた。 東京都から来島し、10キロ部門に出場する門井雅治さん(57)は「やまねこマラソンには毎年出場しているが石垣島マラソンは初めて。45分以内を目指している。大会終了後の交流会では、地元の人と一緒に楽しみたい」という。 また、門井さんの同級生の伊藤修さん(同)は「石垣島は暖かいですね。マラソン大会に出場すること自体が初めてなので、大会当日は暑くなると厳しいが、1時間10分以内で完走できるように頑張ります」と話した。 大会は22日午前8時40分から中央運動公園で開会式が行われたあと、同9時にフル・ハーフマラソンがスタート。10分後に10キロ部門がスタートする。午後3時の競技終了後は、同公園内で交流パーティーが行われる。 主催者では交流会への市民多数の参加と競技中の交通規制への協力を呼びかけている。
2006年01月22日
沖縄海洋博覧会が開催され、皇太子来沖火炎ビン事件があった1975年。翌年の1976年、新沖縄文学に知念正真の「人類館」が発表となる。翌年1977年、「テアトロ」に転載され、劇団「創造」によって、沖縄県内外で上映され、演劇界の芥川賞、「岸田戯曲賞」を1978年受賞した。戯曲「人類館」は、調教師ふうな男、陳列された男、陳列された女、の登場人物が、それぞれ場面場面で変身を繰り返しながら、ウチナーヤマトグチで展開される。劇中で繰り返される滑稽で、居た堪れないほどの、突き抜けるアジテーション! 調教師ふうな男が、鞭を一振りすると、 舞台が明るくなる。調教師 お待たせいたしました。こちらが琉球館でございます。琉球の原始的住民は、アイヌ系のアマミキヨ種族でございます。その昔、西南フィリピン諸島、台湾方面から北上して来た種族と、九州、奄美大島方面から南下してきた種族が、混合、調和することによって成立したものであります。 調教師ふうな男は、陳列されている男に近づき、 鞭で顎をしゃくりあげる。 男はふてくされているようにも見え、 妙に従順に見えなくもない。調教師 ご覧下さい。まず最初の特徴は、このように顔が四角で鼻が異常に大きく、横に広がっているという事であります。俗に言う獅子っ鼻。これが非常に多い。 男は大勢の視線を支えきれず下を向いてしまう。 すると突然、調教師風な男の鞭が鋭く唸り、 男はあわてて姿勢を正す。調教師 眼をご覧頂きたい。およそこの男のこの顔には不釣合なくっきりと大きな腺病質な眼、まるで神経症病みのような、おどおどした眼、これも一つの特徴でございます。こいつのように顔が四角で、顎のエラが張っているのを琉球の言葉で・・・・、 (詰まる。と、男に眼で促す)陳列された男 (ボソッと)ハブカクジャー・・・・。調教師 ハブカクジャーと申します。ハブというのは琉球に棲む毒蛇のことですね。毒蛇の顎という意味でございます。作品は徹底的に、政治的不条理さを、アジテーションし続ける・・・この激しさは何処から来るのか・・・知念正真はいう。「なんと沖縄の歴史の、暗く、やるせないことか。救いようもない惰民の、被虐の歴史の、際限のない連鎖。中でも「人類館事件」の荒唐無稽。人間が人間を見世物にしたという、信じがたい事実。ここまで来れば、もう怒りを通り越して、笑うしかない。私はこの「人類館」をモチーフに、沖縄の近・現代を網羅した芝居を書こうと思い立った」戯曲「人類館」は、善きにつけ、悪しきにつけ、文学の地平から、撃った、最も先鋭的なアジテーションの文学ではないだろうか。
2006年01月21日

「嘉間良(かまーら)心中」は、1984年の作品です。丁度、石原慎太郎が「秘祭」を発表した年。既にベトナム戦争も終わり、基地の街”コザ”は、ベトナム景気の喧騒も過ぎ去っていた。 ”コザ”の匂いが”コザ”の街を象徴した「センター通り」は、「中央パークアベニュー」に生まれ変わり、東南アジアの出身の女性たちが目立つ、街に変貌しつつあった時代。サミーが現れたのは午前0時近かった。そろそろ帰ろうかと思案し始めたころだった。・・・・・・・・・・・・・・・まるで高校生のような少年兵だった。「テン・ダラー」キヨは声をかけた。「ファイブ・ダラー」少年兵がすぐに答えた。(たった千円ぼっちりで女が抱けると思っているのかい)キヨは腹が立った。が、まだあどけなさの抜けきらぬ幼い顔になんとなく気持ちが和んだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・センター通りのホテルの前を素通りして、嘉間良のアパートにつれて来た。部屋に入ると「ファイブ・ダラー」と手を出した。サミーはズボンのポケットからよれよれの5ドル紙幣を出すとキヨの手のひらにのせた。「ほんとにもうないの」「ほんとうだ。これが最後のお金なんだ」「それじゃ、帰りのタクシーはどうするの」「おれはコーター(兵舎)にはもう帰らない」「帰らないって・・・どういう意味なの」「おれは脱走兵なんだ」既に女の盛りを過ぎた売春婦「キヨ」と、18歳の少年脱走兵「サミー」の、やるせなく猥雑な交接でありながら、商売女の儚い秘愛の物語を織り紡ぐ・・・「サミー、わたしと一緒に逃げよう。私の島へ行くのよ。あそこなら誰にも見つかりっこないわ。島には空き家がいくつもあるわ」「君のいっていたツケンジマかい」「そう。誰も住んでない家がいっぱいあるのよ。古い家だけど庭も畑もあるわ。わたし、庭の草を刈るわ。あんたは壊れた雨戸や床板をなおしてちょうだい」サミーは目をつぶり、だがはっきりと首を横に振った。「つかまったら本国に送られるんでしょう。それでも行くっていうの」「いいんだ。もうすべて終わったんだよ」サミーは自分にいいきかせるようにつぶやいてキヨに背をむけた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・洋服ダンスを開けた。派手なピンクのワンピースをとり出しかけてやめた。なんだか急に和服が着てみたくなった。タンスの底にしまってある久米島紬をとり出してしばらくぼんやりみつめた。・・・・・・鏡の前で帯をしめおわると丹念に化粧をした。立ち上がって窓を閉めた。内鍵を入れると遠くで雷のようなエンジン調整の噴射の音がした。ドアの鍵前を確かめて台所に入るとプロパンガスのコックをあけた。58歳の娼婦「キヨ」の憐れな最後・・・・”コザ”特飲街のすぐ裏手”嘉間良(かまーら)”を、一瞬の風が通り抜けた・・・・「キヨ」が棄て去ったはずの、”生まれ島・ツケンジマ(津堅島)”、”かまーら”の風となって、故郷・ツケンジマへ向う・・・・
2006年01月20日
「ふたつの楽園 ふたりの歌姫」のライブが、18日夜、東京・南青山・MANDALA(03-5474-0411)でありました。一人の牧子は、沖縄・八重山・石垣島出身の宮良牧子、もう一人の牧子は、フラダンスとハワイの歌の上原まき(牧子)、昨年8月、初めてこの二人のジョイントライブを、東京・六本木ヒルズで観て、聴いて、上等な組み合わせだったことを思い出します。そうなんです!二人の共通のトレードマークは、二人とも”素足”で、唄い、踊ることです・・・フラダンスとシマウタが融合して、素晴らしいジョイントになりましたネ。宮良牧子は導入に「カラ岳」を配し、最後に「わしたヤイマ」と、風人の大好きな曲でまとめていて、構成もバッチリで、夢心地ちにさせられました。二人でアンコールに唄った「えんどうの花ー山の子守唄」は、昨年のJTA機内で流れた曲で、宮良牧子さんの祖父が作詞した詩です。上原まきと宮良牧子のデュエットとフラダンスが、最高でした。二人の牧子さんの、ジョイント今後も大いに楽しみですネ!
2006年01月19日

人口増加の竹富町も人口二極化です。人気のあるヤイマの離島ですが、竹富島等のように、人口が増加する島、村もあれば、島の中でも、集落によっては、子供が減少していて、学校の存続に赤信号の中学校もあります。現実には、西表島の船浮中学と白浜中学が、学校存亡の危機的状況です。内地からも、ヤイマ・西表島の船浮地区、白浜地区への、移住は如何ですか!小学生や中学生を募集しています。 竹富町・鳩間島も同じ悩みを抱える八重山毎日新聞から貼り付けです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・船浮中・白浜中 4月から廃校の恐れ/在籍ゼロ避けられず2006-01-17 | 地域・教育 |--------------------------------------------------------------------------------ネットで転入呼びかけ・町教委も対応策練る竹富町立船浮中学校(喜舎場美代子校長)は今年4月から在籍数がゼロになるおそれが出ており、同校や地元では船浮地区に転入する中学生がいないか関係者に呼びかけている。同町内では、白浜中学校(金城綾子校長)でも来年度、生徒を確保できる見通しが立っておらず、このままでは2校が廃校になるおそれがある。両校の地元では、郷友会への働きかけやインターネットの掲示板への投稿などを通じて、転入を働きかける取り組みを進めている。町教委の島袋憲一教育長は「地元の取り組みを見守るだけでなく、町教委としても対応策を探しているところだ」と話している。 船浮地区は、西表島の他の地区との行き来を船に頼っている。このため、中学校が4月に閉鎖された場合、現在、船浮小に在籍する児童の進学にも影響しかねず、町や町教委による地元への支援が求められそうだ。 町教委によると、両校に在籍する生徒は▽白浜中=3年生3人▽船浮中=3年生2人、2年生1人|の合わせて6人で、いずれも3月に卒業・転出する。白浜小と船浮小には現在、6年生の児童は在籍していないため、このままの状態が続けば、両中学校は4月以降、存続できない。 船浮公民館や船浮中では、船浮出身者らに、船浮中へ転入を希望する生徒の紹介を呼びかけるとともに、八重山や離島に関心を持つ人たちがアクセスしているインターネットの掲示板に、船浮への転入を呼びかけるメッセージを掲載することも検討している。 白浜公民館では、22日に那覇市内で開かれる在沖縄郷友会の定期総会に大城一文館長が出席し、支援を求めることにしている。
2006年01月18日

「滅びゆく琉球女の手記」は1932年「婦人公論」に掲載。日本は前年の1931年9月満州事変があり、当年1932年、あの「5.15事件」のあった年である。連載第1回「滅びゆく琉球女の手記」は、発表されると直ぐに、在京の「沖縄県学生会」や「沖縄県人会」から、内容に関する謝罪の抗議が殺到した。その結果、「謝罪」ではなく「釈明分」を掲載し、「滅びゆく琉球女の手記」の第2回以降の掲載を中止。また、久志は文壇から完全に離れることとなった。 漆黒の闇夜のアーマン友達は母を此方へ呼んで、大島紬の商売でもやりたいと思ふけれど、あの”いれずみ”がねエーと思案顔だった。”いれずみ”ではどの家庭も困らされた。稼ぎためた金で、息子を幾人も高等教育受けさせたところで、母は手の甲にしみついた”いれずみ”の為に、死ぬまで故郷に置き去らねばならなかった。ひどいのになると、孫の顔も知らずに死んでしまふのである。息子達が出世すればするほど、その母はこの故郷といふほんの少し自由のきく座敷牢の中に僅かなあてがひぶちで押し込まれねばならないのだ。・・・・・叔父が帰省したのはさういふ生活の中にであった。彼はその家に寝起きするのを嫌って、いくらかましな私の家へ寝泊りした。二間間口の傾いた店と、六畳一間の間取りだったが、私が小学校教師で田舎に行っていたので、その一間は、どうにか叔父の為に役立てることが出来た。母は彼を伴って、親類廻りに出向いたが、何処も此処も、あか茶けてぶくぶくした畳と、欠けた湯呑み茶碗が、彼を待ち受けていた。そして話といへば、梅雨期のやうにじめついたおしひしがれた民族の歎声ばかりだった。石垣は崩れ、ぺんぺん草が生え、老人ばかりがむやみと多かった。彼はその悲惨な故郷の有様に胸を打たれるよりもまづうんざりしてしまったらしい。・・・・・・・・・・そして別れ際に、かういひすてるのだった。「僕の籍はね、×県へ移してありますから、実は、誰も此方の者だってこと知らないのです。」・・・・・・・・・・妾(わたし)は叔父の帰省したことも、出発した事も知らずにいた。・・・・・・・・・・小学校を了へただけの叔父が、苦労で築き上げた事業を守るために、小細工を弄する心情は、妾(わたし)には如何にも憐れに思はれた。母の住む街から、就職先の村へ帰る途すがら、汚れた幌馬車の中でゆられるままに、何かなし「滅びゆく孤島」といふ想いをしみじみ考えさせられた。夕暮れの風景は、この島の持つ感情そのものだった。見るからに、痩せたごろごろの土に甘藷のかづらが這ひ、あとはひょろ長い甘藷の林と、赤松の並木、そてつの群生、おやじの顎鬚みたいに白くさんさんと垂れ下がるガチマルの気根、赤く大きくゆれながら丘陵の彼方へ沈みゆく夕日没落の美が、ひたひたと潮のやうに妾(わたし)の胸にしみ渡った。・・・・・・・・・・・・「滅びゆく琉球女の手記」は、何という、連綿とした、鬱積した吐露・・・・これでもか!これでもか!!と繰り返す、執拗な妾(わたし)自身の中に巣食う何物か・・・・気が遠くなるような「嘔吐」の後の、読後感・・・・・・やり蹴れない不条理の悲しみ・・・「手記」は第1回で中断し、「釈明文」以降、永遠に闇に葬られた・・・
2006年01月17日

ぼくが寝ているとね、「つね、つねよし、起(う)きれ、起きらんな!」と、おっかあがゆすりおこすんだよ。「ううん・・・何(ぬ)やがよ・・・」目をもみながら、毛布から首を出しておっかあを見上げると、「あのよ・・・」そういっておっかあはニッと笑っとる顔をちかづけて、賺(すか)すかのごとくにいうんだ。「あのよ!ミチコー達(たあ)が兵隊(ひいたい)つかめえたしがよ、ベッドが足らん困(くま)っておるもん、つねよしがベッドいっとき貸らちょかんな?な?ほんの十五分ぐらいやことよ」ええっ?と、ぼくはおどろかされたけれど、すぐに嫌な気持が胸に走って声をあげてしまった。「べろやあ!」うちでアメリカ兵相手の飲屋をはじめたがために、ベッドを貸さなければならないこともあるとは・・・思いもよらないことだったんだ。 東峰夫の「オキナワの少年」の舞台は”コザ”の町である。1950年代前半の”コザ”が「つねよし少年」の目を通して、描かれる・・・全国で唯一のカタカナ市名”コザ”が、見事に浮かび上がり、米軍統治下を物語る・・・一本の軍用道路にしがみついているコザの町全部が見下ろせる!どの店にも大きな看板がたてられて、前をかざってうしろを隠しているけれど、ここからはまる見えじゃないか!さびたトタン屋根やすすくった瓦屋根の間に、ものほし台や便所や、煙突や水タンクがゴチャゴチャして、ぼくは恥ずかしい部分をみてるような気がして、チョオッと嘲(あざけ)りたくなっていた。この風景は、風人が少年時代に岩国基地の町で見た記憶の中の風景と同質かも・・・まなつの、真夏の太陽が、なんにもさえぎるもののない空から、まっすぐに滑走路のうえを照らしていたよ。なんにもない、わらくずひとつ落ちていない、ひともいない、ただひろいだけのアスファルトの滑走路は、グラグラとした熱気がゆらめいて、ずっと、ずうっと向う、はしっこの青小森が蜃気楼のようにゆれていた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうだ、陽炎にもえて目もくらむばかりに熱いこの滑走路のしたには、おじいの畑があるんだった。つねよし少年はコザの町を出ようと決意する・・・無謀と思える台風の中での船出・・・風にわきたつ波頭からふきちぎられた潮は、雨のようにあたりいちめんにふりかかっていた。しおっぽいしぶきとなって・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桟橋の上でもたつことができなかった。たてばひとたまりもなく吹飛ばされて、わきたつ海にころがし落とされそうだった。あせりながらもそのままよつんばいになって、はしごをのぼるような格好でむかっていった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(やったぞ、ついに忍び込んでやったぞ!さあ、吹きあれろ!もっと吹きあれろ!そうして強い吹き返しになってやってこい!)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ナイフを握りしめてうずくまっていると、ヨットの底をドッドッドッドと潮がぶちあたり、ゆすりあげ、流れさっていくのがわかったよ。それは足に伝わって、ぼくの体の芯にもつきあげてきて、フッフッフッフとするようなはげしい武者震いとなってつつみこんできた。オキナワの少年は、現実を否定して、何処へ行く!!!それは”幻想の中の琉球弧”への船出なのだろうか・・・・
2006年01月16日

ハーフのスタート場所、東平安名崎の風景「沖縄を見る」によると、本日、早朝宮古島・上野村から100Kmランナーがスタートしました。ハーフのランナー・上等沖縄司会屋・直美さんは午後からのスタート! 大応援していますヨ!「沖縄を見る」で、感動の一コマ一コマを!!!
2006年01月15日

風人、2006年、今年も琉球弧のバックパッカー一人旅、”命の恩人の島”八重山からです。 旧暦の年末から年始は、琉球弧に旅します。新暦の1月24日~30日(旧暦12月25日~1月2日)です。冬のヤイマで、マッタリ、ノンビリ、呑んだくれ、ユンタクし、命の交感を・・・石垣島では”何もしない”贅沢を・・・帰りに沖縄本島で、民謡三昧か?座間味で、クジラか?を楽しもうかと・・・ヤイマの仲間の皆さん、待ってて下さいネ!もうすぐ、ヤイマに帰ります。
2006年01月14日

石垣島出身の、若きシマウタ唄者、宮良牧子を応援しています!宮良牧子六本木ヒルズライブの日記。1月18日東京・南青山MANDALAにて、南の島の二人の歌姫による、「ふたつの楽園ふたりの歌姫」の、ジョイントライブです。マッキーの唄声は、ソウルフルで、聴く人のマブイ(魂)を揺さぶる事でしょう・・初めての沖縄シマウタ好きの人は、マッキーのホームページ内の、ファーストアルバム「心の星」の一部試聴を!宮良牧子勿論、風人応援に駆けつけます!
2006年01月13日

hiraraさんブログによると、1月24日(火)、東京・六本木の「六本木・島唄楽園」で、いよいよ、初単独ライブです!hiraraさんは、宮古島市平良出身の民謡唄者です。 宜野湾コンベンションセンターの12月「離島フェア2005」にて自分の島・宮古島をこよなく愛し、現在は沖縄本島でライブ活動中です。hiraraさんは宮古民謡を中心に、沖縄民謡全般と、広く沖縄島唄を得意とする、若手の有望女性唄者です。民謡の実力は、宮古民謡コンクールで最高賞を受賞しています。hiraraさんが尊敬する唄者は、「童神」の古謝美佐子さんです。 hiraraさんの「童神」も、素晴らしいですヨ!沖縄島唄大好きな皆さん、先島諸島の民謡大好きな皆さん、是非、hiraraさんの唄声を聴いて下さい!見て下さい!モデルさんのように長身で、美人さんですヨ!風人も大応援中です!しかし、風人、1月24日は琉球弧の旅に出かけていて、残念ながら、応援に駆けつける事が出来ません。皆さんの耳と目で、hiraraさんを感じて下さいネ!
2006年01月12日

「普天間かおり」ファンの方なら、絶対見逃せませんヨ! 東京・大崎にて、入場無料の、「普天間かおり」新曲発売ミニライブがありますよ。風人、琉球弧の旅に出ていて、残念、聴くことが出来ません。悔しい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1月26日(木) 花木ライブ 大崎ゲートシティ アトリウム ~普天間かおり新曲「花星賛歌」「君の讃歌」発売記念ミニライブ~会場:花木ライブ 大崎ゲートシティ アトリウム入場無料1st. 12:20~12:50 2st 18:30~19:00 30分のミニライブ終了後、CD販売とサイン会大崎ゲートシティ(イベントより詳細が見られます)問い合せ先:エスパルプロモーション 03-5216-5566
2006年01月11日

宮古民謡の集大成!何と100曲をCD化!平良重信オジーは、素晴らしい事をなさいますネ!拍手を贈りたいです!!! 宮古の民謡が、更に広く、深く、広まる事を願っています。宮古毎日新聞から貼り付けます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・CD「宮古民謡百曲集」を制作/「工工四」「民謡集」改訂版も平良重信さん(平良西里) 平良字西里で「重信民謡研究所」を主宰する平良重信さん(76)がこのほど、新曲からわらべ歌までを収めた六枚組のCD「宮古民謡百曲集」を制作した。中には譜面(工工四)しか残っていなかった曲や、お年寄りから聞いて譜面を起こした曲など、現在では歌われなくなった二十三曲も収録されている。平良さんは「先人の歌を受け継ぎ、後世に伝承したい一心で収録した。私の歌とは思わずに、先人の思い、魂の声だと思って聞いていただきたい」と話した。またCDと同じ曲の譜面を収めた「聲楽譜附(せいがくふつき)宮古民謡工工四」、「解説付宮古民謡集 宮古方言の手引き」の改訂版も併せて制作された。 時計店を営んでいた平良さんが沖縄民謡を習い始めたのは三十代半ば。四十代後半には宮古民謡の世界にも足を踏み入れた。一九七二年に「宮古民謡舞踊曲集」を制作。九二年から二〇〇二年には宮古民謡保存協会会長を務めるなど、長く民謡に携わってきた。 CDに収録された百曲はすべて平良さんの歌・三線(さんしん)のみで今回、全曲を改めて録音した。思うように声が出ないときもあり、苦労を重ねながら、制作には約一年を費やした。平良さんは「歌を通して、昔の人たちが、作詞、作曲し、歌った深い思いが自分にも伝わってくる感じを受けた。同時に、この歌を残したいという思いが強くなった」と、収録時の気持ちを振り返った。 今回のCDは初心者からでも取り組める練習用として制作したため、キーは低めに設定されている。「工工四」と「宮古民謡集」の改訂版を同時につくったのも、多くの人に聴いてもらい、練習してもらいたいという思いからだという。 「豊年の歌」「なり山あやぐ」「とうがにあやぐ」などの代表的な曲をはじめ、「旅栄(タビ★パイ)のあやぐ」「マンジャク」「十四日十五日(トカユーカジュウグニツ)」といった今ではほとんど歌われていない二十三曲、「鳩(パトウ)がまぬあーぐ」などのわらべ歌八曲などを収録した。 平良さんは「ごく初心者の人でも、宮古民謡の深いところまで入っていけると思う」と話した。CDは六枚組で一万二千円。「聲楽譜附宮古民謡工工四」は二千八百三十五円、「解説付宮古民謡集」は二千円。問い合わせは重信民謡研究所(電話75・5150)まで。写真説明・CD「宮古民謡百曲集」を制作した平良重信さん=7日、平良字西里の重信民謡研究所写真説明・このほど制作されたCD「宮古民謡百曲集」と、「解説付宮古民謡集」(奥左)、「聲楽譜附宮古民謡工工四」※「旅栄のあやぐ」の★はカタカナの「ス」にまる
2006年01月08日

観光も、移住も、絶好調の石垣島!我等が「ヤイマスタイル」メンバーも、昨年だけでも、すごい人数が移住実現!住いの問題、働く職場の問題、島人との交流の問題等、問題山積ながら、”ヤッパリ”風人達を魅了して余りある、ヤイマの島々です!! 八重山毎日新聞から貼り付けます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12年連続で過去最高を更新/石垣空港05年実績2006-01-07 | 社会・経済 |--------------------------------------------------------------------------------第3種空港で全国トップ守る乗降客180万人を突破 200万人台も視野石垣空港の2005年1年間の利用実績が、乗降客数、貨物取り扱い量とも過去最高となったことが、市空港課のまとめで分かった。05年の乗降客数は、186万4082人で、過去最高だった前年を8万2000人(4.6%)余り上回り、初めて180万人を突破。190万人台も射程距離にとらえた。最高記録の更新は93年以降12年連続。国内の第3種空港のトップの座を守った。一方、貨物も一般、郵便合わせて1万7666トンを運び、前年を195トン(1.1%)上回る過去最高を記録した。乗降客数は、好調な観光需要を背景に各本土直行路便、那覇便が顕著に伸びた。 05年の石垣空港利用実績は、乗客が93万4778人(前年比4.45%増)、降客92万9304人(同4.76%増)の計186万4082人と前年を8万2112人(4.6%)上回る過去最高を記録。次年度の190万人突破に加え、近い将来の200万人の大台も見えてきた。 路線別では、日本トランスオーシャン航空(JTA)と全日空(ANA)両社が運航している基幹路線の石垣|那覇間が117万7442人で前年比6万7076人(6%)の増。 好調な本土直行便も東京便(JTA・ANA)が13万5862人(4.75%増)、関西便(同)が12万7917人(3.5%増)、伊丹便(JTA)が7万6092人(9%増)、福岡便(ANA)6万6921人(2.8%増)、名古屋便が7万44人(7.8%増)と、そろって増加した。 県内路線は、石垣|宮古(JTA・RAC)が12万2468人(4%減)、与那国(同)が6万8634人(0.1%減)と減少。RACが運航する離島便は、波照間便が3518人(11.2%増)、多良間が1826人(5.2%増)と好調に伸びた。 RACが3月と4月にチャーター運航した久米島は、724人で前年から半減した。 航空会社別では、JTAが116万9720人。全路線で顕著に伸び、前年を約5万3800人(4.8%)上回った。 ANAは、65万3969人。前年伸び悩んだ本土便をはじめ全路線で伸び、前年を約3万4000人(5.5%)上回った。 RACは、2万7499人で、前年比623人の微減。久米島チャーターの半減や宮古、与那国便の利用率低下が要因。 一方、貨物は、一般貨物が約1万1026トンで前年比約9.6トンの微増。郵便貨物は約6640トンで前年を185トン(2.9%)上回り、ともに過去最高となった。
2006年01月07日

明日1月7日、沖縄では、旧暦の12月8日で、鬼餅(ムーチー)の日です。流石に、ヤマトも琉球弧も、ムーチービーサー(鬼餅の冷たい風)が吹き抜けて、ブルブルブル・・寒い!!!沖縄では、旧暦12月8日に、鬼餅(ムーチー)を家族で食べて、健康を願う日です。ムーチーは、月桃(げっとう、沖縄では”サンニン”)の葉で餅粉を包んで蒸したお餅なんです。風人が大好きな月桃の花、その月桃(サンニン)の葉に包まれた餅を、食して、魂(マブイ)を元気にしなくては!風邪も気(マブイ)からというから?? ヤマトでは沖縄料理屋さんに行って、一足早く、食べて来ようかな!
2006年01月06日

琉球弧・ヤイマ・石垣島・白保のカジマヤーのパレードが、過去最多8人がカジマヤーの数え97歳を迎えた。目出度いではないか!! 池上永一の「カジマヤー(風車祭)」の作品の、フジオバァを思い出すではないか!八重山毎日新聞を貼り付けます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・白保で盛大にカジマヤー祝い2006-01-05 | 地域・教育 |-----------------------------------------------------------------過去最多の8人、うち3人がパレードに参加数え97歳の長寿を祝うカジマヤーのパレードが2日午前、白保地区で行われ、本原誠幸さん、多宇時さん、新里カマドさんの3人の長寿にあやかろうと、地元の人たちや観光客など大勢の人たちが沿道で出迎えた。 生年祝いを行うために地元で組織した戌年生年合同祝賀会実行委員会(仲宗根吉美委員長)によると、今年、白保地区でカジマヤーとなるのは8人で、年間最多だという。パレードにはこのうちの3人が参加した。 8人のなかで、唯一の男性となった本原さんは「元気にカジマヤーを迎えることができた。今後も体に気を付けて、100歳まで長生きしたい」と話した。子ども6人、孫12人、ひ孫3人に恵まれる。 「時の記念日」の6月10日に生まれたことから「時」と名付けられた多宇時さん(旧姓東内原)は「こんなに大勢の人に歓迎されて、うれしい」とにこやかな表情。子ども8人、孫28人、ひ孫52人に囲まれてのカジマヤーとなり、長寿の秘けつは「心配事がないこと」。 新里カマドさん(旧姓根間)は宮古島城辺地区出身。祝福の言葉に「ありがとうございます」と答えた。子ども4人、孫15人、ひ孫19人。
2006年01月05日

”西表では11月15日から3カ月間、イノシシの猟期になっている”との、イリオモテヤマオンナさんの日記。2005.1.24石垣島1月に入ると、八重山(石垣島と西表島)では、山の近くで銃声を良く聞くんです。そうなんです、イノシシの猟期が2月いっぱい続くからです。最初に知ったのは、3年前の1月、石垣島の北部の空をパラグライダーで飛翔してて、北部の「久宇良岳」から「安良岳」にかけての直下だった。”パッパーン””パッパーン”と、渇いた銃声の音が、して、何事が起きたか?と、ビックリした記憶が・・・そして、西表島での連続した銃声音は、この島が、イノシシの本場の西表島ということを、否応なく感じさせられたものです・・・今年も、そのシーズンの最盛期です。ヤイマの冬の風物詩なんです。最近では、イノシシ猟も、人手不足というか、後継者不足というか、女性の進出もあるそうです。ヤイマでは、女性は一般に山、海での猟は魔物が付いているため、許可されませんが、魔物よけの塩を持参して、山に入るそうです。西表島のイノシシは絶品です!
2006年01月04日

八重山毎日新聞によると、2000年と比較して、2005年は、想定していた通り、八重山の人口増加が目立つ。 取り分け、竹富町(西表島、竹富島、小浜島他の島々)で、増加率がダントツです。竹富町の島々観光業の伸びが著しい!八重山毎日新聞を貼り付けます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・人口増加率 竹富町が県トップ前回比18.0%増2005-12-29 | 社会・経済 |--------------------------「元気な町づくりできる」大盛町長【那覇】県統計課が28日発表した県内版国勢調査速報(10月1日現在)によると、竹富町の人口の伸び率が県内トップとなり、4000人台に達したことが分かった。県内45市町村のうち33市町村で人口増となったが、同町の伸びは前回(2000年)より18.0%増と2位の渡嘉敷村(8.2%増)に倍以上の差をつけるなどダントツ、全国の町村でも4番目に高かった。大盛武町長は「元気なまちづくりができる」と話している。 石垣市も4.3%増となり、両市町の押し上げで八重山圏域の人口は5万人台に達した。一方、与那国町は3%減、減少率も県内市町村で4番目の高さとなり、自立の道を選択した町にとって厳しい結果となった。 竹富町は前回の3551人から4190人に増えた。統計課によると、西表島や小浜島でのリゾート施設整備による従業員の定住に加え、マリンレジャー関係者の増加などが要因という。 石垣市は前回から1843人増の4万5145人。与那国町は前回から56人減の1796人だった。 石垣市と竹富町の伸びにより八重山圏域の人口は5万1131人。1970年当時、宮古より約1万6500人少なかった人口は約3700人差まで縮まった。 大盛町長は人口増の理由について「離島の良さが知られるようになり、竹富町の自然環境を体感したいという人たちが増えて、観光がリーディング産業になっている。かかわる人(観光従事者)が増えている」と分析し、地方交付税の増加に期待した。 県内の人口は136万830人で前回(2000年)より4万2610人増加。増加率は3.2%だが、前回の3.5%に比べ人口の伸びは鈍化した。
2006年01月03日

おめでとうございます!今年・2006年も、沖縄大好きな皆様との、良い出会いが、いっぱいありますように!!”出会いは命・元気”
2006年01月01日
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