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♪『紅茶を一杯』♪ もう 何も 何も云わないで 私の 身体を 見つめてよ もう 言葉なんて 信じない 私の こころを 見つけてよ 私が あなただけの ために 入れた 紅茶を さあ 飲んで下さい 私は 見守る もう 言葉なんて 信じない 私の こころを 見つけてよ もう 何も 何も信じれない 私が 生きてるって ことも あなたが いま 私の前に 居ると ただ それだけが いま 私にわかること ただ それだけよ もう 何も 何も云わないで 私の 身体を 見つめてよ もう 言葉なんて 信じない 私の こころを 見つけてよ 私が あなただけの ために 入れた 紅茶を さあ 飲んで下さい 私は 見守る Copyright(C) 1976 HOKUSUI-SHA All Rights Reserved.----------------------------------------------------------------------------♪昔の唄♪シリーズを続けます。この唄はR・D・レインに捧げる、と、譜面にメモ書きされています。レインは、‘60~‘70年代に活躍した精神医学者です。当時の精神医学の治療法に反旗を翻し、独特の治療法をしたと言われています。それ故に、「反精神医学者」などと呼ばれました。レインは、精神病者とも意志の疎通が出来ると断言し、独自の治療を行なっていたようです。『引き裂かれた自己』や『自己と他者』等の専門書や、『結ぼれ』や『好き?好き?大好き?』といった、素晴らしくかつ奇妙な詩作品を出版しています。松岡正剛氏によると、「レインの精神医学はこの10年ほどのあいだの(精神医学会の)公式見解によって、ほぼ否認されている」そうです。しかし、氏は最後に付け加えています。「今日の精神医学はここから、レインの痛ましさから再出発すべきであるはずなのである」と。いつものことながら、卓見です。⇒⇒千夜千冊:第二百四十五夜20の頃、わたしはそれらの著作を貪るように読んでいました。レイン自身が、患者達と同種の精神の様態を持ち合わせていると自認し、自らその世界へと挑んでいった軌跡が良くわかります。わたしが貪り読んだ理由も同じところにあったように思います。自らの青年期の精神の浮動が、それらと共鳴していたのです。この唄はわたしにとって、レインとその患者達との関係へのオマージュとして出て来たものです。この歌を捧げることによって、わたしはレインへの執着に、一種のピリオドを打ったように思います。患者と治療者との関係は、恋に似て切ないものです。『共依存』と『恋』がなかなか区別がつかないように。全てを許して共に居るというだけで、精神の病も溶解するのではないでしょうか?そんな思いがあふれ出した唄でした。 お彼岸はもう過ぎてしまいましたが、曼珠沙華の画像を置きます。毎日、日記で美しい花の写真を掲載していらっしゃる悠游さんのところから頂いてきました。(⇒本家、悠游さんのブログへ行くと、もっと大きな原フォトが見られますョ。)あまりにも可憐でキリリとしていたものですから。今日はちょっと、ぐだぐだと長くなってしまいました。ここまで付き合っていただきまして、どうもありがとうございます♪
2006/09/29
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♪『勇気』♪ 昨日の 残り気に 気を取られ 明日の 淡い夢に すり抜けて あえぎ あえぎながら 僕は生きてきた 水面から 顔を上げ あっぷ あっぷと ほっと 息をつき また もぐって行く 昨日の 事さえ 定かでなく 明日の 事など わからぬまま おびえ おびえながら 僕は生きながらえている 自分の 気持ちに 素直になれず 他人の 言葉に かき乱されて びくびく びくびく 僕は生きながらえれきた 水面から 顔を上げ あっぷ あっぷと ほっと 息をつき また もぐって行く 昨日の 残り気に 気を取られ 明日の 淡い夢に すり抜けて あえぎ あえぎながら 僕は でも・生きている Copyright(C) 1976 HOKUSUI-SHA All Rights Reserved.----------------------------------------------------------------------------20代の頃に作った昔の唄です。この唄をUPするのには、かなりの勇気が要りました。だから『勇気』?光のkimiさんの言う【非苦】の生活を歌にしたようなものですが、最後の一行で、肯定の肯定が出てきました。自分の中から出てくる叫びは、一つの自己認識に繋がりますが、それを受容して唄うことによってそれを越えることが出来ることもあるのだと思います。♪昔の唄♪シリーズの3回目でした。ここまで付き合っていただいたみなさん、またまた、どうもありがとうございます♪
2006/09/26
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♪『素粒子の唄(I)』♪ 「心に愛を」などと 言い廻ってみても 誰もあんたの言葉など 聞いちゃいないさ それより 数は少なけれど ここに集まった 人たちで 声を限りに 振るわせれば 何かが伝わっていくさ 声を合わせて 胸振るわせ この虚空に 身をまかせてみるのも良いさ ただ それだけで 良いのさ わかるかい この広い世界の中の このちっぽけな僕たちだって 声を限りに振るわせれば 何かが伝わっていくさ 「いつも笑顔を」などと 言い廻るあんたに 暗い影が宿っている 誰も信じやしないさ それより 僅かばかりだけど ここに 居る 仲間たちで いまここだけの中で 楽しんでみれば良いのさ 声を合わせるのも良いさ 胸振るわせたって この波動に乗って 何をしないのも良いさ ただ それだけで 良いのさ わかるだろう この広い世界の中の このちっぽけな僕たちだって 声を限りに振るわせれば 何かが伝わっていくさ Copyright(C) 1976 HOKUSUI-SHA All Rights Reserved.----------------------------------------------------------------------------20代の頃に作った昔の唄です。アパートで一人暮らしをしている頃のある日、コンコンとノックの音がしました。扉を開けてみるとそこには、黒服で身を纏った貴婦人がしとやかに立っていました。「ご一緒に聖書を読んでみませんか?」と、物静かに聞いて来ました。その頃わたしは、仏教に興味を持ち修行までしていたのですが、2つ返事で応じました。聖書にも興味があったからです。その日から毎週1日2時間ほどの、聖書の読書会が始まりました。それは、半年か1年続いた後、自然消滅しました。後で気がついたのですが、その方はもの●の塔の方だったようです。20代そこそこの青二才のわたしでしたが、その分、繊細だったように思います。読書会はとても楽しいものでしたが、宗派的な発言には疑問符を抱いたようです。その貴婦人は美しい方でしたが、どこか暗くて、独身を貫いているように見えました。その、ちょっとした違和感が、この唄を生んだようです。ただ、聖書を読み合わせていくだけだったら、もっと楽しくて、もっと続いたようにも思います。そして、もっと自由な分かち合いの一時になったのではないかと思います。現代のように、スピリチュアルという言葉もなく、世界宗教、特定の宗教ではない宗教心といったものがまだ市民権を得ていなかった時代のことです。♪昔の唄♪シリーズの2回目でした。ここまで付き合っていただいたみなさん、どうもありがとうございます♪
2006/09/20
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♪『素粒子の唄(II)』♪ 毎日 まいにち 疲れるのは 心が じたばた してるから 何を そんなに 守ってるのか 何が そんなに 大事なのか 今の 人間 小さくなったと ほざく 大人も バカだけど 小さな 事に 気を取られる おいらも やっぱし バカを見てる 心の底にしまいこんだ あんたの十八番を出してごらん~ そいつを みんなで 食ってしまおう 今日の 酒の肴にしよう わいわい がやがや 言いあって 今日のうちに みんな 溶かしちまおう あんたが思ってるあんたなんて たかが知れたイリュージョン 今日 一日で 充分だ 溶けて くだけて しまいなさい 今日 一日で 充分だ 溶けて くだけて しまいなさい Copyright(C) 1976 HOKUSUI-SHA All Rights Reserved.----------------------------------------------------------------------------今日は、活動的な一日だったのですが、その分、心がなんだか疲れてしまいました。帰宅して、パソコンの前に座り、みなさんのブログを歩いている内にそれに気がつきました。しばらくすると、心が少しほぐれて来て、気が付いたら昔の唄を口ずさんでいました。20代の頃に内側から出て来た唄というか、心の叫びのようなメロディ付きの歌詞です。ことあるごとに、わたしの中で響いて来る唄たちです。まるで、自分を励ますかのように響いて来るのです。これを機に、昔の唄を、これからしばらく書き出してみようと思いました。みなさん、しばらく、お付き合いください。今日から、しばらくの間、よろしくお願いします。
2006/09/15
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じゃーん!!! 我が家の小犬(わたしではありません)「トドニ」君の寝相です。熟睡に近い眠りの時はよくこんな格好をしています。これは目を開けていますが、それは、まだ起きるのが面倒だから…。 この格好で目を瞑って、眠っているのです。そして、近づくと、薄目を開けて「起きようかなぁ? どうしようかなぁ?」といった表情を見せます。この写真では白目を向いて睨んでいます。 この前、楽天友達のたろうくんから愛犬のクッキー君のお昼寝の写真のご紹介がありました。⇒⇒⇒こちら 題名が『いくらなんでも』というものでしたが、さて、どちらが「いくらなんでも」でしょうか? クッキー君のお昼寝は、なんだか親父の昼寝(失礼!)といった感じで人間みたいです。それに比べて、ウチのトドニの寝相は、まだかわいい方ですよね!? トドニの昼寝では、めったに仰向けにはならないのですが、下の写真のように、なんだかネコのような、丸まった姿勢です。犬のくせに寒いのが苦手で、冬になるとほとんど炬燵の中に入っています。原産=故郷がメキシコだからでしょうかね。 あまり仕付けてはいないのですが、今のところ、トドニが覚えている技は、「おすわり」「お手」「伏せ」「ごろん」「餌だしちんちん」…くらいです。そして、わたしが近づくとこの「あおむけ」をよくやります。 以上、他愛のないお話でした。
2006/09/14
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四つの界の中の『植物界』です。植物を描いたのではなく、植物界です。植物のイデアのようなもの。どこかにある植物ではなくて、全ての植物に共通するエッセンスのようなもの。ゲーテの理念に『原植物』という言葉がありますが、それに近いもの。 シュタイナーは30代までは、アカデミックなゲーテ研究家であり、ゲーテの思想を継ぐものであると言われています。 確かに、こんな花、見たことないですよね。わたしのイメージの中から生れた花です。
2006/09/11
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『 断片-V 』 差分なんだよ、サ・ブ・ン 飛び飛びなんだよ、ト・ビ・ト・ビ 今ある自分ったって ひとつじゃぁないんだから、 ほじくっていけば、いくらでも、いろんな方向に深みが出てくる. だいいち、今ってのは どれだけの長さなんだよ? 考えているうちに、今は時を経ていく. だから、何も負い目を感じることは無いんだよ. いろんなものを、ヒョイ ヒョイと わたり移ってゆく. そいつは可能だよ、気の転換があればね. ただし、わたっていく時の意識だけはシャンとしておくことだ. 心っていうのは止まろうとするんだ. 止まって、その場に滲み込もうとする. 通り過ぎて行くものに しがみつき、舐めまわし、 それらを反転させて 未来に夢を投げかける. そいつも結構だけど、もっと軽やかにもやっていけるんだ. 自分の飛んで生きて生きたいものに応じて目の前に物を持ってくるのさ. objetを目の前にして、今、飛ぶんだよ、その世界に. それは、過去寄りであろうと未来寄りであろうと、 今そのものの幻想イコール現実なのさ. 僕は、わたって行くさ、引き寄せた物を、やって来る物を!・・・ 差分なんだよ、サ・ブ・ン 飛び飛びなんだよ、ト・ビ・ト・ビ Copyright(C) 1980 HOKUSUI-SHA All Rights Reserved.---------------------------------------------------------------------------- ※シュタイナーの芸術療法では、先ず、テーマが与えられる。この水彩画=ぬらし絵は、鉱物界/植物界/動物界/人間界の、四つの界がテーマだった。自分の中のイメージを頼りに描く。『鉱物』を描くのではなく、『鉱物界』を描くのだ。もちろん、自然観察をしても良いのだが、描くときは、写生ではなく、自分のイメージの中にあるものを描く。この作品は、ほとんど自然観察をせず、イメージのままに描いた。当時のわたしは、水晶のクラスターというものを全く知らなかった。
2006/09/06
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