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又、お話の続きを。そのように、祖父は、金光教にご縁をいただいたことにより、神様ががんばってくださり、御霊になるところを助けていただきました。このように、神様のお知らせがあれば、よく分かるのですが、普通の人は、お知らせがありません。そこで、分かりにくいところもあるのですが、すべての事柄の中に、神様のお働きはありますので、すべてを御礼していく必要があるのです。私が4,5歳のときだったと思います。トイレに入って、落ちそうになったことがあります。その当時のトイレは、二階にトイレがあり、つぼが1階にあるような感じで、便器から、つぼまでが距離がありました。その便器の中に、何を思ったか、私は入っていき、便器のふちにぶら下がったのです。そうすると上がれなくなりまして、「おかあさあ~ん」と助けを呼びました。教会なので、広いのですが、おかげで聞こえまして、母が来てくれました。しかし、中から鍵をかけていたのです。子供だから、かけなくてもいいのにね。その日は、ちょうど父が、教学研究所が休みで、教会におりましたから、母は父を呼んできました。父は扉を思いっきり引くと、鍵が壊れて、戸があきました。この鍵は父がつけたもので、父は不器用なので、すぐ壊れるような鍵しかつけれなかったのです。それが幸いしまして、私は救出されました。それまでの時間がどれくらいだったでしょうか?4,5歳の子供で、よく力尽きず、ぶら下がっておれたことと思います。私は、もしかしたら、4,5歳で、トイレに落ちて死ぬ運命だったかもしれません。そこを先祖の信心のお徳で助けていただけたのだと思います。証文が書き換えられたのだと思います。このように、知らず知らずのおかげは、たくさんあると思います。今回はここまでにします。
2006.10.31
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又、少しお話の中身を書きたいと思います。私たちは生まれたとき、ある程度運命は決まっていると思うのです。教祖様は、「人は生まれたときに、証文を書いているようなものである。何時どういうときに何があるか、決まっているのである。信心をすると大厄を小厄に変えていただいているのである」と言われています。教祖様も42歳のときに、熱病で死ぬ運命にあったところを、教祖様がそれまで一生懸命信心されていたので、のどけという病気に祭り替えていただいたのです。私の祖父も、肺ジストマで死にそうになったとき、佐藤照先生のお取次をいただいておかげをいただきました。その後、祖父の父親(茂久平)が家の神前の掃除をしていたら、神璽と霊璽が入れ替わっていました。茂久平は、あわてて芸備教会にお参りして、お詫びをしました。照先生は、「そういうご無礼なことがあるから、死ぬような病人が出るのであろう」と言われて、ご神前で、お詫びのご祈念をしてくださいました。ご神前で、照先生が「ありがとうございます」と言われましたので、様子が変わったな、と思っていると、お結界に戻られて、「喜んで御礼を申せ。この度は新しい御霊が入るところ(祖父がなくなるところ)を代わりに神が入ってがんばってやった、とのことじゃ」と言われたのです。つまり、祖父はこのとき、肺ジストマで死ぬ運命にあったのだと思います。そこを、自身の信心、茂久平の信心、佐藤先生ご夫妻の信心によって、助けていただいたのです。祖父がこのとき死んでいたら、私もいませんでしょうし、そういう意味では、このときのおかげは、高橋家の子孫までおかげをいただいたことになると思います。私も、これまで、何度も危ないところを助けていただきました。続きは、又後で。
2006.10.30
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今日は、午前6時半から、御本部参拝をさせていただき、帰ってきたら、着替えて、稲刈りをさせていただきます。稲刈り~?と思われる方もいると思います。教会で13年前から、EMという微生物を使って、生ごみを発酵させて、それを肥料に使って有機のお米作りをしてきました。これは、お土地を大切に出来る農法で、お土地は神様のお体ですから、そういうやり方で、無農薬無化学肥料でお米が出来るかの試みでもありました。昨年は、うんかにやられましたが、基本的には、無農薬無化学肥料で出来るものと確信しました。でも、やる人は少ないですね。大規模でするには、難しいところがあるので、商売としてはできにくいのかもしれません。でも、する気になれば、出来る、ということは証明できたのではないかと思います。収穫も、有機で、畝俵(1畝に1俵)とれるようになったので、優秀だと思います。(農業をやっている人でないと分からないかもしれませんね)でも、今年でこのお米作りも最後になります。神様から、立教神伝が下ったようです。これからは、教会御用により時間を多く使え、ということだと思います。でも、今日は、ゆっくり自然を満喫しながら、農作業を楽しみたいと思います。
2006.10.29
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又、お話の続きを書きたいと思います。その人がおかげをいただいたので、うれしくなって、そのことを山口県東部教会連合会での運動信奉者集会で話しました。話したのは8月26日です。そこに、その年の4月、学院を卒業した青年教師の方が出席していました。その青年教師の方のお父さんは2年前に病気で亡くなっておられました。それで、今度はお母さんが、癌になり、9月13日に手術することになっていました。その青年教師は、私の話を聞いて、それから毎晩神前拝詞を10巻あげたそうです。そして、手術する直前、検査すると、手術する必要なし、又3ヵ月後に様子を見せてください、ということだったそうです。そのことを、連合会長の先生が手紙で知らせてくれました。その青年教師にとって、貴重な経験になったことと思います、と書いてくれていました。そういう奇跡が起こったのは、神前拝詞を10巻あげるときに、一心が出たからだと思います。一心を出す稽古に、神前拝詞を10巻あげるのです。その祈りの稽古で、神様にパイプが通じたら、そこから神徳が流れ込んでくるのです。そこには、あらたかなおかげが現れます。ある信者さんは、尿道結石が消え、癌が癌かどうか分からなくなりました。又、もう一人の信者さんは、心臓肥大と肝臓が悪かったのが、半月後の検査では、異常なしになっていました。少し前にも、4人の女性が神前拝詞を勢をそろえて10巻あげていました。神様に一心に向かう姿は美しいなあ、と思いました。そこに、人間のすばらしさがあります。今日はここまでにしておきます。
2006.10.28
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前に、神徳について書いたところで、津田昇平先生の言葉を引用しました。津田先生には、クリエイト21や、教区青年教師研修の講師としてお世話になりました。その津田先生が、昨日、教務センターに訪ねてくれました。前にも来てくださったことがありますが、それから、1年以上、間があるかもしれません。昨日は、ゆっくりされて、3時間半ほどお話をしました。そのとき、このブログでも、関心をもたれていた御霊について尋ねてみました。御霊のお願いを神様にしなければならないことは、一致しておりました。毎日、神様に家族のことや、知人友人のことを神様にお願いするときに、その先祖の御霊様のこともお願いしなければいけない、ということは一致しておりました。その時、前のブログで書いた、タイヤに釘が刺さっており、ガソリンスタンドに行ったことがありますが、その時修理をしてもらう時間に、待合室で、女性自身という雑誌があったので、何気なく手にとって見ると、最近有名なスピリチュアルカウンセラーの江原さんが載っていました。それには、水子のことが書いてありまして、水子も生きているように言葉をかけて、一緒に生活すると助かるように書いてありました。御霊と共に、信心生活をすると、御霊が助かる、ということと一緒だなあ、と思わせていただきました。その時も感じたのですが、この記事を読ませるために、パンクがあったのかもしれないと思いました。次に、生まれ変わりについて、話が進みました。津田先生は、輪廻転生はない、という考えです。そこが私の考えと違うとこです。でも、津田先生は、木に生まれ変わったり、草になったり、鳥になったり、星になったりする感覚のほうが強い、といわれました。そこで、前に「千の風」のことをセルリアンブルーさんが書いておられましたが、そのことを思い出しました。「千の風になって」という詩があります。作者不明の不思議な詩です。死者から愛する人に語られたものです。次のようなものです。「私のお墓の前で 泣かないでくださいそこに私はいません 眠ってなんかいません千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています秋には光になって 畑にふりそそぐ冬はダイヤのように きらめく雪になる朝は鳥になって あなたを目覚めさせる夜は星になって あなたを見守る私のお墓の前で 泣かないでくださいそこに私はいません 死んでなんかいません千の風に 千の風になってあの大きな空を 吹きわたっています千の風に 千の風になってあの大きな空を 吹きわたっています」というものです。いろいろなことが関連して起こることを、共時性といいます。神様のお働きを感じます。
2006.10.28
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又、ご大祭でのお話を少し書かせていただきます。メールででも、毎日お取次をいただくことが、おかげになることを話させていただきましたが、祈りをさせていただくことでも、おかげがいただけます。今、私は神前拝詞を1日20巻あげさせていただいていますが、そのきっかけは、札幌南教会の西川先生が、後継にいかれたときのことを話されたからです。教会後継に入られて、半年後ぐらいに、前の教会長が亡くなられ、その後半年ぐらいは、お葬儀その他でばたばたされていましたが、落ち着かれてみて、参拝者が少ないことが気になりだされた、そして、そういう御用しか出来ない自分が気になりだされたそうです。そこで、夜のご祈念後、神前拝詞を10巻あげるようになられたそうです。そうすると、神様も少しはにぎやかに感じられて、喜ばれるだろうと思われたからです。そうしていましたら、参拝者が増えてきまして、日参をされるような人も出てきたそうです。これはいいということで、日にお参りが3人以下のときは、もう10巻あげるようにされたそうです。そうすると、毎日3人以上のお参りのあるおかげもいただけたそうです。それを聞いて、私はすぐに神前拝詞を10巻あげることはしませんでした。参拝者が増えるために、というと、何か現金な感じがしたからです。でも、参拝者が増える、ということは、それだけ助かる人が増える、ということなのですけどね。そうしていましたら、信者さんで以前胃がんで手術された方が、今度は下血した、とお届けがありました。私は、大腸がんの恐れがある、と感じましたので、それから、その方のために、神前拝詞を10巻あげさせていただきました。そうしましたら、手術をする日に、何の手違いか、準備が整わず、手術が出来ませんでした。そして、その病院から、ほかの病院を紹介するから、そちらに行ってほしい、ということでした。その病院が手を離したかな、と思いましたが、変わったことが起こるのは、おかげの兆し、といいますから、これはおかげになる、と神前拝詞を10巻あげ続けていました。そして紹介された病院で見てもらいますと、手術の必要はない、ということでおかげをいただきました。時間がなくなりましたので、又後で続きを。
2006.10.27
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今日は、磐梨教会のご大際のお話の御用に車で行くので、車をきれいに拭いてあげようと思い、朝8時ごろ拭き終わったとき、ふと後ろの左側のタイヤに目が行った。そこには、銀色に光るものがついている。よく見ると、コの字型の釘が刺さっているではないか。でも、タイヤの空気圧は、まったく減っていない。これは釘が短く中まで刺さっていないのかもしれないと思って、ペンチで抜いてみた。すると、深く刺さっており、抜けた穴からシューと空気が抜けてきた。あわてて又釘を刺したら、空気が抜けるのがとまった。では、空気が抜けないうちにガソリンスタンドへ行かなければ、と思い、一番近いガソリンスタンドへ行った。そこは、改修中で、タイヤを見てくれて、釘の穴が近いので、バーストを起こす心配があるから、タイヤを交換しなければいけない。でも、ここは改修中なので、タイヤ交換が出来ないということで、同じ系列のガソリンスタンドに問い合わせてくれ、タイヤがあるかどうかも確認してくれた。そして、そこへ行ったら、タイヤ交換する必要はないですよ、パンク修理をすぐしてあげましょう、ということで、すぐ直してくれ、2ヵ所穴が開いていたのに、一ヵ所だけの修理代でいいです、と2100円で、修理してくれた。しかも、その説明をするとき、私が椅子に座っているのに、それより頭が高くならないように、しゃがんで説明されたのである。神様より腰が高くならないように、ひざまづいて神前を行き来しておられたという教祖様を思い浮かべた。釘を見つけさせていただいたこと、安く修理していただいたこと、講師として(相手の人は知らないのだが)尊く扱われたこと、御大祭のおかげだったと思わせていただいた。
2006.10.26
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今日は、磐梨教会でお話の御用をいただきます。岡東教会の御大祭の前あたりから、せきが出ていました。昨日も、ご祈念をあげたり、お話をしたりすると、せきが出ます。今日は御用に差し支えないようにお願いしております。又、いろいろな人がお願いしてくれています。ありがたいことです。そして、そうしたお祈りによって、おかげがいただけることを信じています。神徳とは、よく、神様からのご信用だといわれます。神様に信じられることです。この氏子は間違いないと。一方、以前に津田昇平先生が「神徳とは神を信じる力だ」と神様から教えられた、と言っておられました。私の場合ですと、せきが出ずに、おかげいただける、と信じる力が神徳だということです。信じることが出来ると、そうなっていきます。神様を信じることが出来る人を、神様も信じられるのです。ですから、神様の御信用とも言えます。神様を信じ、信じられることが神徳なのでしょう。
2006.10.26
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ni2104さんが、神徳についてトラックバックしてくださっています。神徳をいただいた心が和賀心、そのとおりだと思います。神徳とは、神様を信じる心だと思います。神様を信じることができれば、心配はありません。必ずいいようにしてくださる、と信じれるわけですから。
2006.10.25
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今日は、3時50分に起きることができました。ありがたいことです。今日も一日、神様にお使いいただきたいと思います。ということで、又、お話の続きを少し。そうして、3ヵ月ほど、苦しい中を通ってこられましたが、あるとき、メールで「ありがとうございます。ありがとうございます。本当にありがとうございます」と言ってこられました。ちょっと、それまでのメールとガラッと変わっていたので、意外性がありましたが、ありがたかったです。毎日メールでお取次をいただいているうちに、神徳をいただかれ、ありがたい気持ちになられたのだと思います。でも、そのときは、実情は厳しく、契約がほとんど取れていない状況でした。その会社は、契約の上にも、制約があり、9月末までに、7500万円以上の契約を取らないと、会社を辞めさせられるのです。6月の時点では、契約0です。そうした中、又、娘さんからメールがありました。「お母さんがピンチです。契約をとれないと、会社を辞めさせられるのです。お母さんを助けてください」というメールです。やはり、神様は親孝行の願いは聞いてくださるのですね。それから、すぐ2500万円の契約が取れました。私は、それまで、「自分が契約をとるのではないですよ。神様に取っていただくのです。自分はお使いいただくだけです」と何度も言っておりました。その方も、神様にそのようにお願いしておられました。その兆しが見えてきたのです。そして、8月9月には、どんどん契約が取れだし、9月10日の電話では、7500万円の契約は達成できたといわれました。彼女の所属している営業1課には、24,5人の営業の人がいるのですが、その中で、契約数はダントツのトップになりました。神様が取られるのですから、当たり前ですけどね。でも、彼女もよく辛抱したと思います。信心辛抱が大切です。今日はこれまでにします。明日他教会のご大祭でのお話で、まだ原稿ができていませんので、そちらに集中したいと思いますので、ちょっと日記があくかもしれません。でも、一言でも書きたいな。神様にお願いしておきます。
2006.10.25
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お話の続きを書いていこうと思います。その会社は、いろいろ厳しい制約がありました。15日以上活動報告書を出さないと、給料から12万円ひかれるとか、3日以上休むと8万円ひかれるとかあり、ある月などは、手取り1万しかないつきがありました。これでは、生活できません。そんなこんなで、又、鬱がひどくなり、2週間ほどメールが無い日が続きました。そして、今度は、小学校6年生の娘さんからメールが来ました。「お母さんの調子が悪く、会社にずっと行けてないので、お願いしてください」というメールです。私は、「この神様は、親孝行を、一番喜ばれる神様です。その親孝行の思いを聞いてくださり、おかげがいただけると思いますよ」とメールをしました。そして、本人にも、メールを出しました。そこからおかげをいただき、又、会社にいけるようになりました。一方、その娘さんも、それから、メールでのお取次がいただけるようになりました。最初は、「めぐりっていいところはあるのですか?お母さんは悪いものだといいますが」といった質問から、友達とけんかしたので、お願いしてください、といったお取次です。このように、小さいときから、お取次をいただきながら、問題にあたっていけることは、すばらしいことと思います。それによって、小さいときからお徳を積んでいくことができるからです。ですから、本人が具合が悪くなったということも、娘さんが、自分からお取次がいただけるようになったことを考えると、おかげだったなあ、と思います。神様のお計らいは人間考えでは、推し量れないものがあります。それで、娘さんが願われたことにより、神様は親孝行の願いは聞いてくださるのですね。それからボツボツと会社に行けるようになりました。しかし、しんどいです、と毎日のようにメールがありました。私は、ちょっときついですが、「あなたには神徳がないので、毎日神様に神徳をお借りして行かせていただきましょう」とお取次しました。それから、毎日「今日も一日、神様に神徳をお借りできますように」というメールが来ていました。しかし、3ヵ月ぐらいは、体調もいまひとつよくなく、休むことも多かったです。まさに信心辛抱の期間でした。では、続きは又。
2006.10.24
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昨日は、12時半に寝て、神様に起こしていただけるようにお願いしていましたが、ちょっと本気さが足りなかったのでしょう。かみさん(家内)が、神様に成り代わって4時半に起こしてくれました。ちょっと遅刻です。さて、ご大祭のお話ですが、昨年の中ごろから、メールでお取次をいただかれるようになった方がおられまして、まだお会いしたことがございません。その人は、離婚され、子供さんとお母さんの3人暮らしでした。うつ病があり、お母さんも少し痴呆があり、よくお母さんと寝込んでいる状態でした。まずは健康のおかげをいただかなければならない、とお願いしておりました。そうしていますと、お母さんが老人ホームに入れるおかげをいただき、その人の負担が少し軽くなりました。次は、就職ができる元気のおかげをいただかなければなりません。そのためには、神徳をいただいてもらわなければなりませんので、毎日メールでお取次をいただくように言いました。メールを通じて神徳が流れていきますから、そのおかげをいただいてくださいと。そうしますと、健康のおかげもいただけ、就職もできました。しかし、研修期間を1ヵ月経験し、資格試験に合格してから、正式採用、ということでした。それで、研修生として採用が決まった、すぐ後から、問題がどんどん出てきました。まず、家賃を3ヵ月滞納したので、賃貸契約を解除するという手紙が来ました。又、ローン会社から、督促の電話が頻繁に来るようになりました。神様、助けてください、というメールが来ました。この方が偉いところは、私にお金を貸してくれとかいった人間的にあてにするのでなく、神様に取り次ぐ人として、純粋にお願いするところです。私は、「少し前には、寝込むことが多かったような状態が、今は、就職活動もでき、就職もできるまでのおかげをいただいているのですから、そのことをまず、神様にお礼申しましょう。そして、神様に、一心にお願いして行きましょう」とメールをしました。そうしましたら、研修に行く2日分の旅費がなく、どうしようかと言っていたとき、その人がオークションに出していたものが売れ、ちょうど旅費のぶんがおかげいただけたり、色々なおかげをいただかれ、賃貸契約解除のことも、和解ができ、おかげをいただかれました。一心に神様におすがりすることで、おかげがいただけることを見させていただきました。でも、うつ病気味なところは残っており、時々しんどくて休むことがありました。時間がなくなってきましたので、続きは又後で。
2006.10.24
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遅くなってしまったので、大祭のお話の内容は、明日にさせてください。申し訳ありません。これから、お風呂に入って休ませていただきます。そして午前4時に起きるのは、ちょっと厳しいのですが、何とかおかげをいただきたいです。起きるのも、神様に起こしていただく、何をするのも、神様にすがってさせていただく。そういう生き方をしたいです。
2006.10.23
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10月15日(日)の岡東教会の御大祭では、私がお話させていただいた。それは、昨年11月ぐらいから今まで、ある方のお取次をメールでさせていただき、本当に不思議なようなおかげを受けられたので、是非とも多くの人に聞いていただきたいと思ったからです。教祖様も、「信心しておかげを受けたら、人に話をしていくのが、神へのお礼になる」と言っておられますので、神様へのお礼として、そして、おかげを受けるコツのようなものが、その方の姿勢から学べるので、それを学んでほしいと思って、お話しさせていただきました。このたびの秋のご大祭では、他3教会からも、お話の御用を言われました。これは、神様が、私にお礼をさせてくださるようにしてくださっているのだと思います。神様のお礼さえも、神様にさせていただかなければできないようです。
2006.10.23
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今年の3月29日から、金光様のお出ましをお迎えさせていただくようになって、1日1食の修行は緩めて、1日2食食べる日を多くしている。そうすると、甘いお菓子があまり食べたくなくなってきた。1食のときには、飢餓感があって、お菓子で空腹感をごまかしていた気がするが、2食にするだけで、ずいぶん満腹感が持続するようだ。今、お菓子がいっぱい食卓の上におかれているが、あまり食べたくない。少し前に「不食」という本を読んだ。それには、人間は、食べるから老化し、食べるから疲れるんだ、ということが書いてある。確かに食べると、疲れて眠くなるので、消化には体力を相当使うようだ。食べなければ力が出ない、食べなければ生きられない、と考えるのが普通であるが、その常識を覆そうとしている本である。共感するところがあるが、今は、金光様のお徳をいただくほうに力を入れたい。
2006.10.22
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クリエイト21で十津川教会へ参拝させていただいてから、御霊について勉強させていただきました。そして、新たに分からされたこととして、御霊の助かりは、御霊様にお願いしてもだめで、神様にお願いしなければいけない、ということです。助かっていない御霊様は、自分で助かることはできないのです。神様に助けていただかなければならないのです。合楽教会の先生が、「御霊に働けというのは、死人を舞台に上げて、踊れというのと一緒である」というお知らせをいただかれましたが、つまり、御霊には、働けるだけの徳のある御霊は少ない、ということでしょう。しかし、教祖様のようなお徳を積んだ御霊様は、死んでも働けるのです。その御霊様のことについて、教会誌「洗心」の11月号に書いてみようと思っています。うまく書けますでしょうか・・・。神様に書かせていただきたいと思います。
2006.10.22
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今日は、9時半のご祈念、お話の後、お昼過ぎまで、お取次や、印刷に訪れた信者さんがおられ、印刷をされた方が、お昼ご飯に行かれた後、ちょっと中に入り、スパゲッティを一口いただき、又お広前に出ると、すぐ一時半からのクリエイトに早めに来られた方がおられ、お取次をさせていただき、クリエイトの例会に入り、それがすむと、お参りがあり、その後、中で親子どんぶりを、急いで食べ、7時からのご祈念、お話の後、信友会が9時半まであり、その後、神前拝詞を10巻あげさせていただき、10時に中に入り、ブログを書いています。なんか、忙しかったな~。こういうのを充実というのでしょう。神様にお使いいただいて、ありがたいというのでしょう。こういう生活が、楽しい、と思えるのは、おかげをいただいているからでしょう。
2006.10.21
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金光教の修行は、心行が主になります。心行とは、心でする修行です。愚痴不足を言わず、何事もありがたく受けていくことが心行になります。又、神様を信じる稽古が心行になると思います。神様が自分のために一生懸命働いてくださっていることを信じていくのです。そうすると、ありがたくなって、神様にお礼を言うことが多くなってきます。時には、愚痴不足を言いたくなることもあります。でも、神様にしていただいたことを感じる心が成長していましたら、愚痴不足を言わなくてすみます。それが心行によるおかげだと思います。今日も、賜った命をありがたく使わせていただきたいと思います。
2006.10.21
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明日はクリエイト21の例会があります。クリエイト21とは、情熱ある信奉者の集いを創出することを願った有志の集まりです。年2回の研修会と、他教会参拝研修を行なっています。7月の他教会参拝研修では、奈良県の十津川教会へ参拝させていただきました。まきを並べた上に座ってのご祈念をされるなど、激しい修行をされた先生で、今、82歳の先生が開かれた教会です。助かっていない多くの御霊を助けておられます。御霊のことは、金光教ではあまり言いませんが、もっと研究が必要な部門だと感じています。
2006.10.20
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金光教では、3年後に立教150年を迎えます。教祖様が、お取次に専念されだして、150年経ったということです。それに向けて、私はどうすればいいのだろうか、ということを考えています。一つには、教祖様だったら、このことをどうされるであろうか、ということを常に考えて行きたいと思います。こういう場合、どうしたらいいか、と迷うことがよくあります。そうしたときに、教祖様であったら、どうされるであろうか、と考えるのです。信者さんから、「こういうとき、先生だったら、どうされるであろうか、と考えながらさせていただいています」と言われたことがありました。うれしかったですが、私を基準にされるよりは、教祖様を基準にしていただきたい、と思います。基準を教祖様に合わせていきますと、間違いのないあり方に導かれていくと思います。そして、神様が現れやすくなってくると思います。そのようにして、後3年間、生き方を求めて行きたいと思います。
2006.10.20
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3日間の所長会議が終わりました。私は近いからいいですが、北海道、東北、信越、南九州などから来られている先生方は、前泊、後泊があったりして、5日間ぐらい、教会をあけるわけですから、大変です。私は、教務センターに泊まれないことはないのですが、毎日、教会に帰りました。メールでのお届けに返事を書きたいですし、ブログも書きたいと思ったからです。それに、ゆっくり休めますしね。でも、御本部で、金光様のお出ましをお迎えするのも魅力的でした。あのピンと張り詰めた空気は、気持ちが引き締まります。今日も一日、大切に過ごしたい、と思わせられます。そうした気持ちで、一日一日を過ごさせていただきたいです。
2006.10.19
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毎日のようにいろいろな問題がお結界に持ち込まれます。どれも大変な問題です。人間考えで考えれば、どうなるだろうか、と心配になるような問題です。でも、信心させていただき、ありがたいことは、神様がどのようにして、そのことを解決してくださるだろうか、と楽しみにその問題を見ることができることです。こちらは、ただ、神様にお願いするだけです。後は、神様がいいように働かれます。ただ、こちらは、神様が働きやすいようにさせていただかなくてはなりません。自分がする、自分が心配する、といって、わが力でしようとしないことです。又、神徳をいただくために、神様にお祈りをしっかりさせていただくことです。神徳をいただくと、神様が働いてくださることが分かるようになり、安心の心になれてきます。つまり、神様を信じることができるようになるのです。そうすると、神様も働きやすくなられるのです。そうした神様のお働きを近くで見させていただける立場にいることを、ありがたいと思っています。私は、問題を持ってこられると、神様はどう働かれるだろうか、と楽しみになります。お結界に問題を持ってこられただけで、半分は解決しているのです。後は、その方が、神様に真剣に心を向けてくだされば、おかげになっていきます。そのようになっていただけるように、一緒にお願いさせていただきます。それが、お結界取次の働きだと思っています。今日は、所長会議の最終日です。この会議でも、各教会が、神様の働きを表す教会になるためには、どうしたらいいか、ということが話し合われています。その中で大切なのが、お結界取次の充実ということです。今日は、各教区の活動計画について、発表させていただきます。神様に話させていただきたいと思っています。
2006.10.19
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所長会議で、会議時間を短くしても、金光様のお引けを拝ませていただく、というところに、教務総長の覚悟を見る思いがしましたが、もう一点、黒衣で通しておられるところにも、覚悟を見る思いがします。私は、教祖様が今の時代に生きておられたら、黒衣ではなく、背広だろうという考えでした。ですから、日ごろのお結界御用も、背広ですることが多いのですが、正座をするようになって、黒衣の方が、正座には向いているので、黒衣を着ることが多くなりました。今までは、暑かったので、カッターシャツにネクタイが多かったのですが、これからは、黒衣を多くしたいと思っています。黒衣には、それだけ覚悟が込められているように思うのです。神様に仕える、という覚悟です。その覚悟を持って、御用にお使いいただきたいと思います。
2006.10.18
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昨日の所長会議で、今までと違ったところは、みんなで金光様のおひけを頂いたとこです。金光様は、毎日、朝3時50分にお出ましになり、一日御用くださり、4時40分に御用をひかれます。お広前から、ご自宅までのお道筋で、金光様を拝ませていただくのです。ですから、会議は普通5時まであるのですが、4時半まででした。それから、おひけをお送りしに行きました。今度の教務総長の願いが、金光様を頂きたい、というところにあることから、そうされだしたのです。今日も会議は4時半までです。30分会議時間が短くなりますが、私は、このことに賛成です。教務センターの御用も、5時までですが、4時半までにして、おひけを拝みに行かせて頂こうかな・・・、と考えています。
2006.10.18
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今日は所長会議の初日であり、新しい当局となってはじめての所長会議だったので、会食がありました。ですので、少し?お酒が入っております。最近は晩酌する人が多くなったと思います。私は、晩酌をしません。それほどお酒が好きではありません。水が好きです。先祖が水飲み百姓だったからでしょう。でも、水は、とても魅力的です。おいしいですし、すべてのものを清めてくれます。水も滴るいい男と言います。私のことでしょう。やはり、酔っているようです。こういうときは、あまり書かず寝ましょう。おやすみなさい。明日、又4時に起きれますように。
2006.10.17
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昨日は、時間が無いにもかかわらず、岡山教会と芸備教会にお参りしたのは、今日から3日間、教務センター所長会議があるからです。金光教は13の教区に分かれていますが、その所長が集まって、会議をするのです。私は東中国教区の所長の御用をさせていただいています。2年4カ月前からです。所長の御用を言われたときは、本当は受けたくなかったのです。教会で、信者さんのことをずっと祈っていたかったのです。しかも、そのときは難しい病気の信者さんがおられたので、その方のことを祈っていたかったのです。しかし、そのときの総務部長から、「金光様のサポートをさせていただくのだから」と言われ、金光様のお手伝いをお断りするわけにはいけない、と思って、お受けしました。そして、そもそも、頼まれる御用は、基本的には断らない主義できました。神様が、「せよ」と言うてくださるのですから、断っては相済まないのです。月のうち10日ほど出務するのですが、5ヵ月ほどたったとき、居眠り運転をして、交通事故にあってしまいました。車は大破しましたが、神様のおかげで、怪我無く済ませていただきました。神様のために、と思っていても、神様に助けていただくほうが多いです。でも、神様は「生きているうちは、しっかりお願いして、神にご厄介になって、おかげを受けてくれよ。死んでから神様のお手伝いをする気でおれ」と言われます。ご厄介をかけ通しですが、そもそも人間は、神様のおかげを受けなければ、生きていけない存在なのです。それを自分でやっているように思うことが間違いであり、それによって「めぐり」をつんでしまうのです。「めぐり」とは、それによって難儀がもたらされるもとのようなものです。ですから、人間は、神様にお願いしながら、お礼しながら、お詫びをしながら生きていなければいけないのです。それが、お徳を積む生き方なのです。
2006.10.17
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今日は、岡山教会と芸備教会へ、ご大祭を仕えさせていただいたお礼参拝をさせていただきました。岡東教会は、岡山教会で育てられた先生が開いた教会です。しかし、その後、後継者がいなくなったので、私の祖父が後継に入ったのです。祖父が命を助けられ、お育てをいただいた教会が芸備教会です。ですから、二つ親教会があるような感じです。芸備教会は、井原市からちょっと行った所で、岡山県と広島県の県境から、広島県に入ったところにあります。車で1時間40分ほどかかります。今日、11時半から信者さんの宅祭があったので、それが終わり、お昼をいただいて、少し話してから出発したので、出発が2時半ごろになってしまいました。晩の7時のご祈念には間に合うつもりでしたが、途中、笠岡教会に寄ったりしたので、結局、間に合いませんでした。10分ほど遅れました。ご祈念に出ると、帰ったら電話をくれるように、との伝言がありました。早速電話をすると、病気のお届けでした。ご祈念後、神前拝詞を10巻あげて、その方のことを集中的に祈りました。何とかおかげをいただいてほしいです。今日は午前中はご祈念後、お取次を宅祭で出発するまでさせていただきました。今日も1日、神様にお使いいただき、ありがたかったです。
2006.10.16
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神様にお供えするお鏡餅ですが、もうだいぶ前から、簡単な作り方をしています。それは、どんぶりや適当な大きさの器に、ラップを敷いて、そこにつきたてのお餅を入れるのです。一晩おくと、ひっくり返すと、器の形どおりのきれいな形のお餅が出来上がります。鏡餅を作ったことがある方はご存知と思いますが、結構形を作るのが難しく、高さを確保するのが難しいのです。でも、この作り方だと、簡単に作れます。ただ、下のほうが、きれいな形になりにくく、クラゲやオバQのようになることがありますので、そこが難点です。でも、今回のようなアクシデントがあったときも、早くできるので、ありがたいです。くれぐれもラップを敷くのを忘れないように。忘れたら、器に引っ付いて、取れなくなってしまいます。
2006.10.16
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今日は、無事御大祭のお話をさせていただきました。原稿が完成していませんでしたが、なるべく原稿を見ずのお話に挑戦しました。でも、やはり見ていましたが。でも、いつもより聞いてくださる方の表情を見ながらお話ができました。ちょっと自信がついたかな。数日前から、風邪をひいたのか、ご祈念をあげると、せきが出ていました。しかし、今日は祭典中も、お話のときも、まったくせきが出ませんでした。神様のお働きを感じました。又、伝えなければいけないことがある人に、ちょうどいいタイミングで出会わせていただきました。それも何人もです。ここでも神様のお繰り合わせを感じました。今日のお話は、人間は生れてくるときに、すでにどのような人生を送るか決まっており、いつどういう難儀に出会うかも決まっている。信心をすると、大難を小難にしてくださり、小難は無難にしてくださる、という人生の神秘についてお話させていただきました。人生には、奥深い神秘が隠されているのです。それを明らかにしてくださったのが、教祖様です。その教祖様のお祭りですので、改めて感謝の思いをこめてお話させていただきました。
2006.10.15
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ついに御大祭当日がやってきました。昨日は、その準備に追われていました。しかも、餅つき機でお餅をつくのですが、蒸す時うまくいきませんでした。蒸気がうまく上がらず、上のほうは冷たいままなのです。下のほうだけ少し蒸せているという、非常に悲惨な状態です。こういうことは今までもありましたので、もう一度中身をボールに移して、もう一度やり直しました。以前はそれで、うまくいきました。今度も、うまくいくよう、必死で祈りました。それを見ていた家内が、蒸気が上がる道を作るといい、と菜ばしでいくつも穴を開けました。それで、うまくいきました。お餅は2度つかないといけないので、もう一度蒸してつきました。今度も菜ばしで穴を開けました。今度もうまくいきました。もう機会を買い換えないといけないかと思っていたのですが、この技で、もう少し使えそうです。もう何十年も使っている機械ですが・・・。でも、年3回しか使わないのですから、もってくれています。しっかり御礼をしましょう。そして、まだまだ、働いてもらわないといけません。私の寿命とどちらが長いか・・・というぐらいね。(^_^)そんなこんなで、寝るのが今朝1時になり、お風呂にも入らず、寝て起きたのが4時半。短眠練習の効果で、それで大丈夫。金光様のお出ましをいただき(ちょっと遅くなりましたけどね)、ご祈念を30分ほどさせていただき、こうして日記を書いています。でも、本当は、こうしている時間は無いのです。結局お話がまだ完成しませんでした。でも、原稿なしでの話がいい、という意見を聞いていますので、半分は、原稿なしのお話に挑戦しようかと思っています。災い転じて福となせるかどうか。他の教会でやって失敗してはいけませんので、自分の教会でやってみたいと思います。
2006.10.15
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明日の御大祭に向けて、精神を集中していきたいと思います。天地の神様に、どれほどのおかげをいただいてきたことか。考えてみると、涙が出てきます。私のことを本気で考えて働いてくださっている神様がおられる!!それだけで、こちらも、この神様のために、できるだけのことをさせていただきたい、と思う。しかし、この神様は、助けられたありがたい思いを、難儀な人に向けるように、と言われる。人が助かりさえすればいい、と言われる。だから、どうぞ難儀な人をお引き寄せいただき、助けさせていただけますように、とお願いしています。でも、明日は、そうした神様、そしてその神様と心を同じくされ、この神様を世に出された教祖様(生神金光大神様)のお祭りなので、せめて、そのお礼に、わずかながら、真をこめさせていただきたいと思います。生神金光大神様、天地金乃神様、ありがとうございます。
2006.10.14
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金光教では、神様にお願い事を届け、又、その人におかげをいただいてもらいやすくするアドバイスをすることを「お取次」と言います。つまり、神様にお願い事を取り次ぎ、神様の思いを人間に取り次ぐ、ということです。そのお取次をさせていただく場は、お結界という神前に向かって右手にある、普通は机が置いてあり、周りを囲いで囲ってあるところがあるのですが、そこでさせていただいています。しかし、遠くの人は、たびたび参ってくることはできません。そういうこともあり、最近は、メールでのお取次が多くなってきました。でも、真剣にお取次ぎをいただけば、メールでのお取次でも、おかげをいただけるのです。その実例を、今度の御大祭で話させていただこうと思っています。前に船井幸雄さんの「アマチュアは用意周到な準備が必要だが、プロは泥縄が一番」という言葉を引用しましたが、考えてみると、私はまだ、アマチュアの段階にいることが分かってきました。原稿なしで、感動的なお話ができる、プロに早くなりたいです。では、今日は、アマチュアらしく、原稿を書こうと思います。
2006.10.13
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お話の仕方について、西川先生がトラックバックしてくださり、意見を述べてくださいました。ある先生に教えられたこととして、教壇を使わない、原稿を持たない、黒板を使う、とのこと。私は、原稿がないと、まだ不安です。でも、それができるようになりたいと思っています。原稿があると、どうしても、原稿を読むようになってしまいます。でも、原稿が無いと、話がどこに行くか分かりません。それがいいのかもしれませんが。ただ、原稿なしで話されている先生で、内容があまり無い場合には、もっと考えてくればいいのに、と思ってしまいます。聞いてくださる方に失礼だと思うような話に出くわすことがあります。船井さんが言う、プロは泥縄がいい、と言うのは、内容があるのがプロだと言うことでしょう。もう少しかかりそうですが、原稿なしに挑戦したいと思います。又、それに挑戦し、ものにされた西川先生に敬意を表します。
2006.10.12
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10月15日の生神金光大神大祭が近づいてきました。その準備が少しずつ進んでいます。今日は、御大祭に出させていただく、教会紙「これから」の印刷をしました。又、先生方のお装束をたたむ練習に、うら若き女性2人が来て、練習をしました。ありがたいことです。明日は、お話を作らせていただきたいと思っています。泥縄式ですが、船井幸雄氏が「アマチュアは、用意周到な準備がいるが、プロは泥縄式が一番いい」といっているのを読み、そのとき一番感じていることを言わせていただくのがいいのだと、いいようにとっています。まさしく、神様に話させていただく感じで行きたいと思います。どうぞ、聞かれた方が、おかげをいただいてくださるお話をさせてください、と祈っています。
2006.10.12
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御本部では、1、4、8、10日と生神金光大神大祭が仕えられた。これから全国各地の教会で生神金光大神大祭が仕えられる。私の所属している教会でも、10月15日に仕えさせていただく。生神金光大神とは教祖様のことで、今から123年前の10月10日に亡くなられた。亡くなられたといっても、御霊様の働きは、今も続けられており、それで私たちがおかげをいただいているのである。私たち人間は、御霊と肉体でできている。死ぬと言うのは、肉体と御霊が離れることである。御霊はずっと生きているので、肉体がなくなっても、私たちは御霊として生き続けるのである。その御霊のありようが、生きているとき、磨かれて、神様に近い状態になればなるほど、人を助ける働きができる御霊となれるのである。「生きている間が修行中じゃ」とか「生きているうちに神になれずして、死んでから神になれるか」といった教えがある。生きているうちに信心して神に近づくことがいるのである。それはそうとして、生神金光大神大祭をお迎えするのに、いろいろ準備があり、忙しくなる。私がお話をさせていただくので、そのお話も考えないといけない。又、ブログをはじめたので、それにも時間がとられる。時間が無いと、あせってしまう。そこを神様、金光様にお願いしながらやらせていただく。それが修行になり、御霊を磨くことになるのである。金光教の修行は、日々の生活の中にある。愚痴不足を言わず、何事もありがたく受けていくことが修行になるのである。そして、神様におすがりすること。今日も、神様におすがりして、一日を過ごしたい。
2006.10.12
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金光教の先生方は、おおむね朝が早いと思います。教祖様も、「早起きするのとしないのとは、参拝の早い遅いにかかわるぞ」と言っておられます。又、教祖様はお知らせを早朝に受けられることが多かったと思います。やはり、朝は天地の精妙な空気が満ちわたっているからでしょう。私も、そうした空気の中で、お知らせをいただきたいと思っています。
2006.10.11
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今日も午前3時50分に起き、4時からのご祈念をさせていただいた。50分間のご祈念をするのだが、今回は途中で眠らずにすんだ。ご祈念も集中してできればありがたい。昨日は11時半に寝たので、4時間20分の睡眠になる。私にとっては、以前のことを思うと、それだけの睡眠時間でやっていけるのが不思議な感じがする。前には、7時間睡眠が必要だった。これは、歳をとったからであろうか?それもあると思うが、山田鷹夫という人が「断眠」という本を書き、人は寝なくても生きていけることを主張した本を読んだことも影響している。山田氏は、「人は食べなくても生きられる」という「不食」という本も出している。私も一日一食を5年間ほどしてきたので、非常に共感し、寝る時間を少なくできれば、いろいろ便利だと思い、2、3時間睡眠に挑戦したこともあった。だから、午前0時を過ぎて、睡眠時間が3時間ほどしかとれない事態になっても、案外平気でいられる。そのことがありがたい。食事にしても、睡眠にしても、人間の適応能力は計り知れない、と思っている。ただ、無理をして、体を壊しては、相済まないので、気をつけるようにしている。しかし、一日一食を続けても、三時間睡眠にしても、健康でいられることはありがたい。歳をとってから、ガタッと来るよ、と忠告してくれる人もいるが、食事に関しては、少食の方が健康にいいと感じている。睡眠時間も、4,5時間もあればいいのではないだろうかと感じている。三代金光様や、湯川安太郎先生などは、2,3時間睡眠であられたような感じである。ああいう超人的な人たちと比較するのはよくないかもしれないが、人間すべてにはそうした能力が平等に与えられているのである。だから、いつその能力開発をするかということだと思う。1日3食食べないと生きられない、7時間睡眠時間をとらないといけない、と縛られるより、食べなくても、寝なくても、健康に生きられる、と考えるほうが楽なような気がする。しかし、何度も言いますが、無茶をしてはいけません。お前のやっていることが、すでに無茶だ、と言う声が聞こえそうですが。
2006.10.11
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金光教では、朝が早い伝統があります。歴代教主金光様は、朝3時50分のお出ましで、朝4時からご神前でのご祈念があります。ずっと100年以上続いています。そして、すべての人の幸せを願ってくださっています。そのことがありがたいです。私も、今年3月29日から、朝4時に起きて、金光様と一緒の時間に、ご祈念させていただこうとしてきました。時々遅れるのですが、何とか4時からのご祈念をさせていただいています。ご祈念といっても、知らず知らず寝ていることも多いです。まあ、それでも、形のまねでもいいか、とやらせていただいています。1時間ぐらいご祈念して、定時のご祈念が6時なので、それまで寝ていましたが、何とか、寝ずに過ごそうと思っています。それで、その時間に、このブログを書くことにしました。眠いですが、これも慣れるでしょう。今日から、又、新しいスタートです。
2006.10.10
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私は、24歳から金光教教師となり、主に、金光教岡東教会で御用をしています。どんな御用かというと、一日神様の前にお結界という机を置いていて、周りに囲いがあるところに座っており、お願い事がある人が来れば、その願い事を神様にお願いし、又、その人にアドバイスをさせていただくのです。それを「お取次」と言います。そのお取次により、神様のおかげを頂かれるのです。一日座っていても、お参りの少ないときもあります。そうしたときも、三代金光様が、親様に言われた、「座っておりさえすればいい」というお言葉に従って、何もせず、ひたすら座ります。座ることが祈ることになるのです。そして、お結界に座っていると、神様が人を引き寄せてくださるようになります。人は、自分で行動しているようであって、神様にさせられているところがあります。難儀な問題を持っている人を、神様が引き寄せてくださり、お取次をさせてくださり、助けてくださるのです。そんなことを25年間してきました。気がつくと49歳になっていました。今日も、「難儀な人をお引き寄せ下さり、助けさせてください」とお祈りしながら座らせていただきたいのです。そのようなことだけしていたいのですが、いろいろしなくてはならないこともあります。今日は、大祭に向けての大掃除です。ですから、あまり座ることができません。そんなこんなで、日々を過ごしています。今日も、一日、御用にお使いください、とお願いしながら、過ごさせていただきます。
2006.10.09
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今日は、金光教本部の生神金光大神大祭に参拝しました。早めに御本部に到着したので、ゆっくり参拝ができました。しかし、お広前は、人でごったがえしていました。やはり、日曜日だったせいか、人が多かったです。これだけ多くの人が天地の神様のおかげをいただかれていると思うと、ありがたいことと思わせていただきました。祭典の中で、教務総長挨拶がありました。9月18日に新しく教務総長になられた佐藤光俊先生の挨拶でした。新教務総長のお披露目のようでもありました。信念を持って語られているようで、堂々としておられました。佐藤範雄先生が後ろについておられるように感じました。ありがたい参拝でした。
2006.10.08
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日記を始めました。あまり、システムが分からないうちにはじめてしまいました。これから、使いながら、慣れていきます。金光ラウンジのメーリングリストに影響されて、こういうことになってしまいました。これも成り行きです。
2006.10.07
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