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12月26日には、少年少女会のみんなと、御本部へお礼参拝に行かせていただきました。その時、クリエイト21で出している本のうち、在庫が少なくなっているものをお正月までにほしい、という依頼を受けていたので、金光教徒社へ持って行きました。そうしましたら、お店は閉まっており、26日から31日まで、お休みです、という張り紙がありました。今度、御本部へお参りするのは、1月4日です。教徒社としては、1月1日に欲しいわけですので、どうしても間に合いません。どうしようか、と思っていると、家内の従兄弟に当たる先生が、向こうから歩いてきているではありませんか。この先生は、私が結婚式の仲人もさせていただきました。そんなことは、どうでもいいのですが、その先生は御本部に勤めておられ、御本部に住んでおられます。そこで、その本を、教徒社に1月1日に届けていただくように、お願いしましたら、気持ちよく受けてくださいました。ああ、仲人をさせていただいていてよかった。そんなことは、どうでもいいのですが。これで、本を1月1日に教徒社に並べることができるようになりました。まさに、神様が、その先生を差し向けてくださったのです。本当に、神様は、ご親切です。お繰り合わせを感謝しました。そして、金光様に、一年、元気で活動できたお礼をさせていただき、その後、教祖様の奥城などを巡拝させていただきました。近藤藤守先生の奥城から雨が降り出しましたが、たいした事はありませんでした。その後、教祖様の御生家と、弟様が始められた香取金光教を外から、拝ませていただき、教祖様のご両親のお墓にも参らせていただきました。教祖様を生んでくださり、ありがとうございました、とお礼申しました。この時も、雨は降っていましたが、たいした事はありませんでした。そして、車で、岡山に帰っていると、激しく降ってきました。お繰り合わせを頂いた、と神様に感謝しました。そして、帰りましたら、たった今、信者さんから訃報があったと知らされました。これも、1日前だと、お礼参拝ができなかったかもしれません。お繰り合わせをいただきました。生神金光大神様、天地金乃神様、ありがとうございます。今年一年も、本当にお繰り合わせを頂き、助けていただき、ありがとうございました。今年中にしないといけないことが、押せ押せになって、山積しています。また、助けてください。
2006.12.28
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今日は、少年少女会で、御本部参拝をして、帰ってきましたら、御信者さんの訃報が入っていました。私が、お葬儀を仕えさせていただきます。その方の御霊の助かりを願って、心を込めて仕えさせていただきたいと思います。このブログも、2、3日は書けませんが、ご了承ください。
2006.12.26
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12月11日に、坂村真民さんが亡くなられました。97歳でした。8歳のとき、小学校の校長をしていた父親の急逝により、どん底の生活に落ちました。その中で、5人兄弟の長男として、母親を助け、幾多の困難に立ち向かい、甘えを許さぬ一徹さを身につけました。船井幸雄さんは、真民さんを、日本を代表する「徳の人」25人の1人として取り上げ、次のように評価しています。「彼の作品の最大のポイントは、命あるものへの惜しみない愛と感謝、そして優しい激励であると言えよう。だから、現代の社会に疲れた人たちは、救いとともに希望を見出し、愛唱するのである」真民さんは、毎日午前3時30分には、重信川の川原で、大地に額をつけ、地球の平安と人類の幸福を祈願しておられました。その実践が、多くの人に、好ましい感情を抱かされたのだと思います。私も近づかせていただきたいと思います。しかし、そのためには、もっと妥協を許さぬ一徹さを身につけなければなりません。
2006.12.24
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金光新聞の12月24日号に、教団会での教務総長の所願表明が載っています。非常に感動的なものでしたので、ここに転載します。「このお道は、どのような困難に出遭おうとも、必ずおかげを頂くことのできる道であるということを、あらゆる場面で確認し、その信念を堅持できるようでありたいと願う。このことは、次世代にこの道の信心を伝えていくということであり、私共の第一の使命でもあり、責任であろう。・・・」この後もいいのであるが、また、教務については、これからが大切なところであるが、私は、必ずおかげを頂くことのできる道であるとの信念を堅持することの大切さを、腹に入れたいと感じました。ここがぐらつくといけません。天地を、まる生かしにしておられる神様に直接交渉できる立場にいるわけですから、その神様の働きを信念するのに、疑いや、不安を挟むようではいけません。信念を持って突き進ませていただきたい、と強く思わされました。
2006.12.23
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昨日、教務センターの御用奉仕を終え、今日から、教会のお結界に座りきろうと思って、心を定めていました。自分のお結界での姿勢が、本当に神様に向かっているのか?生神金光大神様の手代わりになっているのか?自分自身に問いかけながら、座らせていただきました。私が座ることで、難儀な人が助かることになるのか?逆に、私の言動で、信心を落とす人がでていないのか?もし、そうした人がでるのなら、私は、神様の邪魔をすることになってしまいます。今までも、信心をやめた人がいます。そこに、私の責任がある場合もあったと思います。どこにその原因があったのか?そのことを知りたいと思います。しかし、去った人は、それを語ってくれることはありません。もちろん、全ての人を救うことなどできないのかもしれません。しかし、せっかく神様が引き寄せられた氏子を、こちらの不徳により、信心を渡すことができなかったのは、いくら悔やんでも、悔やみきれません。いえ、神様に、いくらお詫びしても、お詫びのしようもありません。それが、心の苦しみになっています。でも、その苦しみを抱えながら、去った人たちをも祈って行きたいと思います。そして、そうした人が出ないような自分になりたいと、精進させていただこうと思っています。年の終わりに近づいて、ちょっぴり胸の苦しみを出してしまいました。
2006.12.22
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今日は、教務センターの御用納めです。これで、センターの御用は、一区切りして、教会御用に専念させていただかなければいけません。でも、会計の集計、年賀状、教会誌の作成、大掃除・・・、すべきことが山積しています。このブログも、毎日は書けないようになりそうです。ボチボチ行かせていただきたいと思います。皆さんも、年末いろいろとお忙しいことと思います。体に気をつけて、動かせていただきましょう。
2006.12.21
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私は、毎年冬になると、しもやけになります。しもやけは、子供のときにだけなって、大人になるとならなくなる人が多いのですが、私は、大人になっても、毎年必ずなります。今年は、一昨日までならなかったので、喜んでおりましたら、昨日、なっておりました。やはり、温度が一定以下に下がると、なるのだろうと思います。今年は、暖かかったからならなかっただけのようです。しもやけは、血の循環をよくすれば、なりにくくなると思います。血液をサラサラにするには、何がいいのでしょうか?家内は、納豆がいいというから、納豆を食べてみたら、と言います。私は、オニオンスライスがいいと思うのですが、体を冷やすのではないか、ということで、なかなかしてもらえません。でも、食べ物に頼るのではなく、神様にお願いしなくては、とも思わされます。でも、また、別の角度からの考え方があります。私が理想としている三代金光様も、しもやけがひどく、春になっても、なかなか治らなかったそうです。三代金光様は、真冬でも、火の気のないお広前に座っておられ、その上、後ろの扉を開けておられたそうです。なぜ、わざわざ余計寒くしておられたのか?その思いは、計り知れませんが、世の中には、もっと厳しい条件で働いている人がいる、もっと寒い思いをしている人がいる、その人たちのことを思われて、自らを、もっと厳しい状況に置き、その人たちのことを祈られていたと思うのです。ですから、しもやけないようにしよう、という考えはされなかったのです。そこらが、私のような凡夫との違いです。でも、そうした考えを少しでも持つと、寒さについての考えが、広がっていきます。もっと寒い中でいる人たちが、少しでも楽になられますように、という祈りがもてるようになれば、寒さに不足を言うより、この修行を人の助かりとしてください、という思いになれます。なれないかもしれませんが、単に自分の寒さだけで、心がいっぱいにならなくてすみます。でも、やはり、ストーブと仲良くしたくなります。ただ、心の隅で、寒い方たちが助かられますように、とお祈りをするのを忘れないようにしたいと思います。
2006.12.20
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金光教では、お結界に座る、ということを大変大切なものと考えています。教祖様も、養母の葬式のときでさえ、玄関でお送りしただけで、すぐお結界に座られました。歴代の金光様も、子供の結婚式でさえも、お引けの時間の後に行なわれたりして、お結界御用にできるだけ支障がないようにされました。三代金光様は、ご大祭期間は、朝早くから、一日中参拝者が続くので、お便所に行かなくていいように、二週間前から水分を控えられたそうです。そして、食事は朝の2時過ぎに頂かれ、昼間は食べられず、お引けになられてから食事をしておられました。大祭期間は、お引けになるのが、午後9時ごろになられることも多かったそうです。そうまでして、座られるのはなぜでしょうか。これは、私の考えですが、座って神様に心を向けていますと、神様の、氏子を助けようとする働きが、座っているものの中に湧いてくるのです。座っている者が、生神金光大神化してくるのです。そして、神様が難儀な氏子を引き寄せられて、助けられる働きが起こってくるのです。そのお役に立たせていただけるのがありがたいのです。そういうことで、生理現象までも調整しながら、座られたのではないかと思います。そして、そのお手代わりとして座っている私たち金光教教師も、自らの中に生神金光大神が蘇るのを感じながら、座らせていただくのが、至福の時でもあります。
2006.12.19
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12月14、15日に青年教師研修会がありました。そして、15日に午後6時過ぎに帰ってきましたら、信者さんの娘さんで、東京で勤めておられる人が、参っていました。1年ぶりぐらいです。懐かしいこともあり、夜の10時ごろまで話しました。この日は、まだ食事を一食もとっていませんでしたので、ちょっときつかったです。帰られてから、食事をして、ブログの返事を書いたりして、お風呂に入ったりして、寝たのが午前1時半ぐらいでした。翌朝4時に起きるのは、きついなと思っていましたら、やはり4時30分まで寝てしまいました。4時10分ぐらいに参られる方がおられますので、ずいぶん待たせてしまいました。でも、4時30分に起こしていただけたのは、ありがたかったです。3時間睡眠ですから。でも、このとき、寝違えたのか、肩が痛くなってしまいました。16日には、クリエイトの総会と親睦会がお昼にありました。昼食に鍋をして、お酒も少しいただきました。クリエイトは10年記念のおめでたい会でした。お祝いをかねての親睦会でした。そして、翌日は月例祭ですので、その会が終わってから、7時のご祈念が終わってから準備をしました。そして、月例祭の後に、教会活動会議があり、来年の年間計画を検討するので、その資料を作りました。遅くなって、寝るのが午前1時半になってしまいました。そして、よく朝、起きたのが4時半でした。また遅刻です。でも、2日連続3時間睡眠ですから、無理もない、と自分を慰めました。神様も、よく起こしてくださったと感謝しました。もっと寝過ごしてもいい状況ですから。そして、17日の月例祭、教会活動会議をした後、御本部にいき、青年フォーラム会議に出席しました。そして、四代金光様の展示を見せてもらいながら、金光英子先生に説明していただきました。その内容は、またできれば次のときにさせていただきたいと思います。しかし、そのときは、肩の痛みがきつかったです。そして帰って、7時のご祈念後、食事をして、ブログを書こうとしたのですが、頭の中に何も浮かんできません。目を閉じて、じっとしていると、息子が「お風呂に入ったら」と何度も言います。私も、ブログを書くのをあきらめて、お風呂に入って寝ました。昨日は、11時に寝れました。おかげで、今朝は4時に起きれました。肩の痛みも取れました。ありがたいことです。でも、ブログを書けない日ができてしまいました。ブログ記入率100%でなくなりました。でも、今まで、毎日書けたことを感謝します。
2006.12.18
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青年教師研修会の安武先生のお話の中で、次のようなお話がありました。金光教祖のお言葉に、「神を杖につけば楽じゃ」とあります。しかし、生きていくのに、いっこうに楽ではありません。これは、神を杖についていないのではないかと思われました。しかし、先生は、ここで誤解をしておられます。「楽じゃ」というのは、岡山地方の方言で、「それでいい」という意味で、楽チンの楽ではないのです。そうした誤解をしておられますが、それはそんなに問題ではありませんので、次に進みます。では、何を杖についているだろうか、と考えたら、まず、親を頼り(杖に)している。次に、お金を頼りにしている。そして、信者を頼りにしている。それから、常識を杖にしている。たとえば、医者がダメだと言うと、ダメだと思う。そうしたところを頼りにしている自分が見えてきたそうです。それではダメである。神を頼りにしないといけない、と思われて、御本部参拝をされ、帰りの旅費と1000円だけ残して、後はお供えされることをされたそうです。教会には、どうなるか分からない、という問題が持ち込まれます。それに対処するには、神様を信じなければいけません。神様がどうにかしてくださる、と信じることがいるのです。その心をつくるために、1000円だけ残して、後はお供えしてしまうのです。そして、帰りながら、自分に語りかけるのです。「おい、心細いか。心細いというのは、神を杖についていないのだぞ」神様を杖につければ、神様がどうにかしてくださる、と信じれますので、平気でおられるのです。あるとき、他の教師に安武先生が話したそうです。「この1000円をはずせないところに自分の信心の未熟さを見ます」たいしたもんだと思います。極限に自分をおいて、その中に神を見るのです。安武先生が、お兄さんの教会の報徳祭にお供えを持ってお参りしたい、と願いを立てられました。その夜、玉水教会のお風呂に案内される夢を見たそうです。それで、おかげいただける、と確信したそうです。その時、教会には8400円しかありませんでした。お昼に電気代8000円を取りにきました。後400円しかありません。夕方、2人お参りになり、2500円のお供えがありました。その後1300円の新聞代を取りに来ました。残り1600円です。又、お参りがあり、1000円のお供えがありました。2600円できました。しかし、旅費だけで、5000円かかります。でも、いつ神様はおかげをくださるだろうか、と思えたそうです。10時に、教会を閉めるのですが、その直前にお参りがあり、お供えされました。5000円入っていました。これで、旅費5000円、お供え2000円ができました。極限の中に、おかげを見せてくださいました。
2006.12.16
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昨日、今日と青年教師研修会がありました。お話は、教務理事である大口教会の安武秀信先生でした。当局が考えている教団の方向性と、安武先生ご自身が、青年教師のときから、後継者のいない教会へ後継に入られたので、その時のいろいろな試みをお聞かせいただきたいと願っていました。教団の方向性については、あまり詳しくはお聞きできませんでしたが、結界取次の充実に力を入れていかれることを確認させていただきました。津田内局から、教会活動にも、教団が手を付け出しましたが、その方向性は変わりないということです。教団が教会に手をつけざるを得ない時期にいたっているわけですが、うまく手をつけなければ大変なことになる、と思わされます。今までは、各種活動に手をつけた感がありますが、これからは、結界取次に手をつけるということになると思います。今までは、各種活動に意識が行き、結界取次が少し疎かになった感があります。これからは、本当に大事なのは、結界取次であり、そのことが十全に行なわれるには、どうしたらいいのか、さまざまな角度から検討していかなければなりません。私は、結界取次が好きですので、いろいろな面が明らかにされることを、楽しみにしております。安武先生のさまざまな試みも、非常に参考になりました。今、金光教が面白い、と言っていいと思います。
2006.12.15
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今日、明日と青年教師研修会があります。講師は、当局に入られた大口教会の安武秀信先生です。当局の進もうとしておられる方向性についても、お話が聞けるのではないかと思います。当局が変わられ、何事も新たなこととして見直していくことをしておられます。もう一度、信心の大切なところを押さえ直して行くことは、大切なことだと思います。全教の期待も大きいように思います。安武先生には、クリエイトでもお話を聞かせていただきました。「信心の整理」という講題でした。今までのおかげを受けたことを整理させていただくと、感謝の心がわいてきます。そして、どのようなあり方をしていったらいいかが見えて来ます。今度の教団の基本方針の「おかげの自覚」に繋がるところだと思います。楽しみにしております。
2006.12.14
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昨日は、笠岡教会にも参拝させていただきました。笠岡教会の信子先生は、祖父の妹で、97歳になられます。わざわざ出てこられて、お会いできまして、ありがたかったです。午前と午後に、神前拝詞を10巻ずつあげておられるそうです。すごいです。お医者さんからも、100歳は行かれますね、と言われているそうです。このように、お元気な信子先生も、子供のとき、病気で危なかったことがありました。その時、祖父が、芸備教会に深夜、参拝しました。先生を起こすのは悪いと思って、夜通しご神前でご祈念をしたそうです。その時、天地を押していくようなご祈念ができたそうです。早朝、照先生が出てこられて、「たびたびお届けがあったが、神様のお受けが悪いので、よう返事をしなかった」ということでした。そして、外へ出ると、範雄先生が散歩しておられて、「今朝ほど、神様にお伺いしたら、助けてやる、と言われた。よう助かってくれた。わしが礼を言う」と言われました。祖父の一心が届いた、ということでしょう。祖父は、少しは父親の茂久平に、親孝行ができた、と喜びました。信子は、茂久平の子供ですから、わが子が亡くなることほど辛いことはありませんから。また、祖父は、「わしのご祈念ぐらいで、おかげを受けられたのでない。神様や範雄、照先生が、茂久平を悲しませてはいけないという思いでおられたから、おかげいただけたのだ」と考えていました。親のことを子が思い、子のことを親が思う、その思い合いの中に、神様がおかげを授けることができるのだと思います。ちょっと、記憶が正確でなく、前後のことが間違っているかも分かりませんが、信子先生が助けられたことから、いろいろ考えさせられます。神様が、「よう助かってくれた。神が礼を言う」と言われる、おかげの世界があるのです。神様が、一方的に助けられるわけではないのです。
2006.12.13
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今日は、芸備教会へ参拝させていただきます。毎月、参拝させていただいています。芸備教会は、このブログでも書いたように、私の祖父が命のおかげを頂いた教会です。そのご恩を忘れないようにさせていただきたいものです。祖父も、晩年まで、佐藤範雄先生、照先生のお写真の前で、涙を流しながら、お礼をしておりました。受けたご恩を忘れないことが、大切なことだと思います。そして、今も、岡東教会のこと、御信者さんのことを願ってくださっています。そのお礼も申し上げさせていただきます。それから、笠岡教会にも参拝させていただこうと思います。笠岡教会は、祖父の妹の信子先生がおられます。90歳を超えておられます。少し前まで、毎日ご神前で、1時間ぐらい信者さんのことをお祈りしておられました。信心は、年が寄るほど位がつく、と言われますが、大したことです。老人ホームに入所を勧められたことがありましたが、息子さんである今の教会長が、教会の中心人物を連れて行ってもらっては、教会が困る、と言われて断られた、と半分冗談、半分本気で言われました。年をとっても、頼りにされる、それがお徳であろうと思います。人のことを祈らせていただける教会の御用は、ありがたいことです。お徳がたくさんいただけます。本当にお得です。みんなが定年を迎えてからが、本当に活躍できるのです。今日は、信者さんのことでも、おかげを頂きたいことがあります。そのことを、芸備教会、笠岡教会でも、お願いさせていただきたいと思います。
2006.12.12
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9日の晩、クリエイト21で十津川教会へも一緒に参拝された方が、岡山でホテルに泊まられるので、一緒に食事をどうですか、と誘われたので、晩7時のご祈念が済んで、8時15分ぐらいなら、行けると思います、と返事をしておりました。そうしましたら、その方は、晩7時のご祈念に参拝してこられ、一緒にタクシーでホテルまで連れて行ってくださいました。わざわざ、来られなくても、行きましたのに、と言いましたが、その方が念が届くと思いまして、ということでした。ホテルの2階のレストランで、食事をご馳走になりました。しかも、お土産までいただきました。このような実意に対して、どのように受けさせていただいたらいいか、途方にくれます。その方も、いろいろ問題があられるようですので、その助かりを祈らせていただきたいと思います。もちろん、神様に向かっても、その方は、実意を込められていると思いますから、神様がほってはおかれないと思います。私も、神様がほってはおかれないほどの実意を込めさせていただきたいと思います。また、昨日、教務センターで御用をしておりましたら、クリエイト21の研修会で、お話をしてくださった、松江先生がセンターに訪ねてくださり、お土産をくださいました。先生、それは逆でしょう、と思いましたが、恐縮してしまいました。その先生の実意に、またまた、どうしていいのか、途方にくれました。私にできるのは、途方にくれるだけです・・・。金光教には、このような実意な方が多いです。実意丁寧神信心が、金光教のモットーですから、当たり前かもしれませんが、なかなか出来ることではありません。実際、私はできていません。実意を持って生きたい、とつくづく思わされました。そうした神様の促しを頂いたことでした。
2006.12.11
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昨日は、家内と共に、学生会50周年の公開講演会を聞きに行きました。大阪ガス社長の芝野博文氏のお話でした。芝野氏は、熱心な信者さんで、やはり、親先生とのかかわり、親先生への思いに、感動しました。氏は、10人兄弟だそうです。お母さんが、氏を妊娠したとき、間引かれそうになりました。その時、二代先生が、「間引いてはいかん。育てられないようであれば、自分が育てる。この子がおってよかった、ということになるから」と言われ、間引かれずにすんだそうです。ですから、二代先生が、「お前の命は、私が握っている。私が、ちょっと指を動かしたら、お前は死ぬ」と言われたので、それが恐くて、二代先生が言われることは、何でも聞く、素直な信者だった、と面白く話されていました。就職も、教会に参れる範囲のところに就職するように、つまり、転勤がなく、自宅から通える範囲に就職するように言われ、大阪ガスに就職されたそうです。それが、そこの社長になるおかげになって行ったのです。ある時、親先生が、「お神酒とお酒の違いが分かるか」と言われました。どちらも、お酒ですから、「分かりません」と言うと、「お酒の半分を神様にお供えしたものがお神酒である。残った半分がお酒である」と言われました。つまり、お供えして、お下げしたものが、お神酒になり、お供えしないものとは、大きな違いがある、と言うことです。それぞれの命も、神様にお供えしたものを、使わせていただくのと、神様にお供えしないで使うのでは、大きな違いがある、ということを教えられたそうです。これは大切なことです。命は、いったん神様にお供えして、使わせていただくのがいいのです。私も、学院に入学するとき、私の若い時間をお供えするつもりになりました。お供えした命ですから、神様に使っていただくわけです。これは、非常に楽な生き方でもあります。自分に責任がありませんから。そして、神様がいいように使ってくださいます。
2006.12.10
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お待たせしました!!!!あまり、待ってませんでした?今日から、朝の時間の使い方が、変わりました。ここ1年ほどで、だいぶ変わりました。まず、3月29日から、早朝3時50分に起き、金光様のお迎えをさせていただき、約1時間ご祈念をするようになりました。そして、6時の定時のご祈念まで、布団にもぐりこんで、また少し寝ていました。そうすると、6時のご祈念が、眠くて眠くて、前後左右に揺れながらのご祈念になっていたと思います。お恥ずかしいことです。一番前でご祈念するので、信者さん方も、「先生、よく寝ているな~」と見ていたことと思います。そして、10月7日から、このブログを書くようになったので、5時から6時の間の時間を使いだしました。最初は、ブログを書くとき、眠くて仕方ありませんでしたが、だんだん慣れてきました。そして、6時のご祈念のときにも、眠くならなくなりました。これは、大きなおかげです。そして、今日から、朝6時からのご祈念もさせていただくようになりましたので、その30分前から、ご神前のお塩とお水をお供えしたり、ストーブをつけたりする時間が必要になりました。ですから、5時からメールのお届けの返事だけ出して、ブログを書く時間がなくなったのです。それで、信者さん方が帰られた8時ぐらいから、ブログが書けるかなあ、と思っています。そして、今、書いています。今日は、午前中は、お結界の御用をして、正午から、御本部へ参り、学生会50周年記念の講演会を聞きにいきます。そして、すぐ帰り、また、お結界の御用をして、夜7時からのご祈念がすむと、クリエイト21のメンバーで、神戸から来られるご夫婦と、お食事をさせていただきます。このご夫婦は金婚式のお礼に、翌日の報徳祭にお参りされるのに、岡山のホテルに泊まられるのです。この前の十津川教会にも、一緒に参拝させていただいた方で、また、いろいろお話ができるのを楽しみにしています。そんなこんなで、忙しい1日になりそうですが、面白い1日になりそうでもあります。
2006.12.09
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いつも、午前5時10分ぐらいから、40分ぐらい、このブログを書いていましたが、その時間が神様からいただけなくなりました。また、時間をおかげ頂き、書き込みたいと思いますので、それまでお待ちください。
2006.12.09
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昨日は、センターの忘年会でした。倉敷の美観地区の中にある「土手下南」というお店に行きました。串焼きが中心のお店です。その日に教会に帰らなければいけない職員が2人いましたので、その2人の車に分乗して7人で倉敷に向かいました。そのお店の駐車場が、芸文館の南にあるということでしたので、倉敷駅の前の大通りを走り、左にある芸文館を過ぎ、すぐの細い道を左に入りました。そのあたりが、南側になるのですが、駐車場が見当たりません。しかし、その細い道をずっと行き、ちょっと大きな道に出たので、左に曲がると、すぐ駐車場が見つかりました。でも、倉敷駅前の大通りからは、その駐車場に行くのは、少し難しい感じがしました。神様が連れて行ってくださった気がしました。お店では、みんな好きな飲み物を注文しました。また、コースで頼んでいた食べ物に少し追加もしました。そして、会計を見たら、集金したお金より600円ほど足が出ただけでした。なんか、ピッタリだなあ、と思いました。そして、倉敷駅から、JRで帰りました。倉敷駅につくと、すぐの列車に乗れました。岡山駅まで、車で迎えに来てもらいました。長女が軽四で迎えに来てくれました。ロータリーのところに数台車が並んでいたので、どの車かなあ、と見ていっていると、その後ろの車が、出発するのにライトをつけました。それで、ナンバープレートがよく見え、「あ、この車だ」と分かりました。神様が、さっと示してくださったような気がしました。神様が、ずっと付きまとってくださっているような気がしました。たぶん、みんなに神様は付きまとってくださっているのだろうと思います。その神様に、心を向けることが大切なのだと思います。
2006.12.08
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今日は、センターの忘年会があります。晩7時からのご祈念ができないのが残念ですが、致し方ありません。10日には、信友会の忘年会、この日は、7時のご祈念を終えてからします。16日には、クリエイト21の忘年会があります。このように、年末になると、忘年会がよく行なわれますが、忘年会という名前がよくないと思います。あるところでは、「望年会」という名前にしたりしています。クリエイト21でも、「懇親会」という名前にしました。やはり、今年あったことを忘れる、という意味の「忘年会」は、信心から見ると、よくありません。今年一年を振り返り、おかげを受けてきたことを、神様にお礼申し上げる「お礼の会」が、いいように思います。クリエイト21の前の例会でも出たのですが、クリエイト21が始まった、記念の日と位置づけて、12月の総会・懇親会の日を、大切な縁日、記念の日としたい、という意見が出ました。クリエイト21も、今年で10年目です。そうした節の年です。みんなで、神様に、そのお礼の心を持っての懇親会にさせていただきたいです。
2006.12.07
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昨日は、お天気にも恵まれ、気持ちよく脱穀の作業をさせていただきました。13人の方がご奉仕くださいました。また、お昼のお弁当を3人の方が作ってくださったので、16人のご奉仕がありました。そのうち、3人は、信者さんではありません。2人は、ご夫婦で、田んぼの持ち主のTさんと親しくされている方で、お百姓さんです。さすがに、作業が、きめ細かいです。後、1人は、田んぼの周りを造成している会社の従業員で、Tさんと、話していて、親しくなり、声をかけたら、来てくださったのです。その方(Sさん)に、Tさんは携帯へ電話をかけました。そして、脱穀を手伝ってくれる話ができました。その夕方、上司の人とSさんが、Tさんと話をされました。Tさんは、会社には内緒だからと思って、脱穀のことには触れなかったそうです。別れ際に、上司の人が、「明日はSをよろしく頼みます」と言われたのです。「エッ」とTさんは驚きました。何で、上司の人が知っているのか?とSさんに聞くと、「そりゃあ、会議中に電話して来るんだもん」ということでした。会社の人、みんなが、知ることになりました。ところで、Sさんの今回のご奉仕は、出張扱いになるのでしょうか?気になるところです。そして、金光教の集団の中に入られて、どんな感じをもたれたか、気になるところです。田植えのときに、一緒に参加された親子がいたり、今まで、米作りを通して、信者さん以外とも、いろいろな交流ができて、ありがたいことでした。最後に、お米屋さんで、ぜんざいをいただきながら、「今回で最後になるのは、寂しいね」と話が出ました。私には、「このぜんざいを食べたのをきりに、農業を差し止めるから、承知してくれ」という神様からの立教神伝が下ったようです。
2006.12.06
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今日、脱穀をすることになりました。本当は、先月23日に脱穀をする予定でしたが、その1週間前に降った雨で、まだ濡れていましたので、延期をしておりました。バザーも終え、その翌日、いつ脱穀をしようか、と話をさせていただきましたら、今週は、金曜から雨が降るとの予報なので、それまでに、ということでした。そうすると、私の都合がいい日は、明日しかないではないですか。そうすると、その日に設定して、お手伝いに来てくれる方に当たって行かなければいけません。まず、脱穀機の機械を調整してくださる方の都合を聞きました。OKでした。次に、作業を手伝ってくれる可能性のある人に当たってみました。OKでした。そして、脱穀したお米を籾摺りしてもらわなければいけませんので、お米屋さん(信者さん)の都合を聞きました。お仕事があるので、そういう作業を入れていただくことが可能かどうか、心配でした。この日は、センター出務日でしたので、本部についてから、電話しました。途中抜けるかもしれないけど、ということでしたが、OKでした。すべてOK、やはり神様のお計らいはすごいものだと、感心します。そういうことで、今日脱穀をさせていただきます。お昼のお弁当を婦人部の方が作ってくださいます。天候のお繰り合わせも頂いて、皆さんの健康のおかげも頂いて、自然の中で、ありがたい脱穀をさせていただきたいと思います。今回が、最後の脱穀になると思います。13年間、お米作りをさせていただきました。いろいろな思い出があります。加わって、協力してくださっていた人の中で、もう亡くなられた方もいます。お年がよって、できなくなられた方もいます。でも、それぞれの人が、真心を持って、協力してくださいました。そうした人たちとの楽しい思い出が詰まっています。そうした人たちのことも思いながら、作業をさせていただきたいと思います。
2006.12.05
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信心をさせていただくと、お徳がいただけます。そのお徳を持って、難儀な問題のおかげを授けよう、というのが神様の思いです。神様には、その人が、いつ、どういう問題に当たるか、ということが分かっておられます。ですから、その問題が起こる前に、御神縁を頂かせて、おかげを受けさせようとされるのです。ですから、何となく信心に熱心になりだして、問題が出てくるときがあります。それは、その問題に対応させるために、神様がその人の心が神様に向くように促されたのだと思うのです。「信心は倒れぬ前の杖」というみ教えがあります。信心をしていたら、大難であるところを小難にしていただけたり、無難のおかげにしていただけたりする、ということです。その信心をする、ということさえも、神様にさせられてできるところがあるのです。信心も、自分がしようとしてできるものではありません。神様にさせられるところがあります。全てのことが、神様にさせられて、できているところがあります。ですから、全てのことを、神様にお願いしてさせていただくのが、道理に合った生き方なのです。
2006.12.04
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今日は、月例祭の後、バザーをしました。1週間前から、連日その準備をしてくださり、盛大に行なわれ、ありがたいことでした。私は、バザーの準備には、ほとんど加わりませんでした。今日も、月例祭がすんだら、バザー会場へは、写真をとりに行っただけで、すぐ下りて、お結界に座らせていただきました。以前は、バザー会場で、昼食を食べたり、お茶を飲んだりしていました。しかし、お結界に座っていることが大切である、ということで、座るようにしています。前回までは、バザーの反省会を一緒にしたりしていましたが、今回は、それもしませんでした。しかし、2時のご祈念がすんでから、次々にお取次を頂かれる人がいました。バザーのような、教会を上げての行事の中でも、結界取次が働いていることは、大切なことだと思いました。そして、バザーのありようも、おかげを頂いたように思いました。取次者は、バザーに巻き込まれず、バザーで御用される方が、その御用で、おかげを頂かれるよう、願うことがいると思います。教師の一人は、取次者になり、バザーを通して、人が助かるように、そして、多くの人が教会に引き寄せられるように、お願いしている必要があるのです。バザーに来たけれども、ご神前を見たら、お参りしたくなった、といったお徳を頂きたいものです。
2006.12.03
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今日は、起きたのが4時20分でした。昨日、今日の月例祭の準備をしていて、寝るのが12時を回ったので、ついに寝過ごしてしまいました。でも、四代金光様が、「遅くなってしまったというより、目が覚めたことをお礼申しましょう」と言われていますので、その御礼をしなくてはいけません。そして、4時20分に起きれたことをお礼しなければいけません。もっと遅いよりは、ありがたいです。ですので、金光様をお迎えして、ご神前に出たのが、4時半ごろになりました。そして、神前拝詞を10巻あげ、ご祈念しましたら、ご神前の掃除をさせていただこう、と思いました。いえ、思わされました。ちょっと、お掃除が行き届かないことになっていたからです。そして、20分ぐらいかけて、ご神前のお掃除をさせていただきました。こうして、御用をさせていただきながら、前向きに御用をさせていただけることがありがたいなあ、と思わせていただきました。起きるのが遅くなれば、それを補う御用をさせていただこう、と思わされることがありがたかったです。そうすると、「桜の花の信心より梅の花の信心をせよ」というご神前においてある色紙の文字が目に入りました。「梅の花は、苦労しているから、長く散らない」ということです。神様にご奉仕する心を持ち続け、修行を続けさせていただきたいと思いました。昨日は、次女の20歳の誕生日、今、大学2年生で、大阪で下宿しております。小学4年から6年まで、不登校でしたが、今は、元気で大学に行ってくれています。また、今日は、長女の22歳の誕生日です。今、幼稚園の先生をしております。二人とも、おかげを受けてきました。昨日、金光様に、お礼のお届けをさせていただきました。そして、信者さんにも、問題を抱えておられる方がおりますので、お願いのお届けをさせていただきました。そうしていますと、「特別なおかげを頂こうと思えば、特別な修行をさせていただかなければいけない」という文章に出合わせていただきました。その先生は、そう思って、学院時代、12時を回ったら、次の日と思って、起きる修行をされたそうです。それから、センターに桃山教会の親先生が寄ってくださいまして、お話をしてくださいました。息子さんに教会長を譲られ、8年ぐらい経っておられますが、息子さんの神様への向かい方も、話してくださいました。神様に、きっちり、お願い事を届けさせていただかないといけない、と最近思わせられます。今日のバザーの準備に、連日、信者さんが御用をしてくださっています。その真心を受けてくださるよう、神様にお願いするのが、取次者の役目です。その御用によって、おかげを頂いていただけますように、とお願いさせていただきます。
2006.12.03
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難儀に出遭っている時が、神様が一番働いていてくださるときでもあります。これは、キリスト教でのお話ですが、ある人が、自分の人生を振り返ってみると、ずっと二人の足跡が続いているのです。一つは自分で、一つは神様の足跡です。しかし、ある期間だけ、足跡が一人分しかありません。その方は、神様に語りかけました。「神よ、あの時は、苦難のときであった。その時、神は私を見放していたのか?」神は語りました。「あの時、私はあなたを背負って、歩いていたのだ」つまり、一人分の足跡は、神様のものだったのです。神様は、そのような方だと思うのです。
2006.12.02
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この間、下見に行った帰りに、車の中で、ある教会の話が出ました。その教会は、若い人の参拝が多いそうです。そこの教会長が、教師になったときには、その教会は、あまりお参りがない状態だったそうです。そして、そこの信者さんは、あまり教えを聞いていない状態だったそうです。それではいけないと、その先生は、お結界で、必ず教祖様の教えをするようにされたそうです。信者さんは、それまで、お届けしたら(お願い事を言ったら)、すぐ帰れたのに、先生が、いろいろ話されるので、それが嫌で(たぶん、時間がとられるので)、最初は反発もあったようです。しかし、それがだんだん浸透していき、それにしたがって、信者さんもおかげを受けられるようになり、信者さんも多くなり、若い人も多くなってきたそうです。やはり、このお道は、お話を聞くことが、おかげを頂くには、大切なことなのです。なぜかと言えば、お話を聞くことで、おかげをいただける心をつくることを教えていただけるからです。教祖様も、「神様からおかげが出ると思わず、わが心におかげがあると思って、信心しなさい」と言われています。おかげをいただける心をつくることがいるのです。その心のつくり方を、お結界で教えていただくのです。ですから、お結界では、いろいろな問題をお話して、それをどのように考えたらいいか、お聞きするのがいいと思います。当然、お取次の時間が長くなります。しかし、そこがこのお道の大切なところなのです。あるお年寄りの信者さんが、長々と世間話をされた後、「ところで、先生も、暇ですなあ」と言われた、という笑い話のようなこともありますが、それは、それでいいのです。その方も、それで助かっておられるのです。私も、とことんつき合わせていただきます。そのために、一日食べないでいい修行も、させていただいたのですから・・・・。(T_T)
2006.12.01
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