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ノーンプラードゥック駅から歩き始めて8分ほど経った頃、ふと横を見ると線路が2本走っているのに気がつきました。おっ、ちょっと線路に上ってみましょう~。手前がスパンブリー線、奥が南線です。知らない間に分岐してました。先に何やら看板が見えたので歩いて行ってみると、「スパンブリー 78km」と。そう言えば・・・『泰麺鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争-』吉川利治著、同文舘、1994年に掲載されている当時のノーンプラードゥック駅周辺を撮影した航空写真(英軍撮影?)について前回の日記で触れましたよね。その写真とグーグルマップの航空写真を比較すると、一つ奇妙なことがあるんです。本の写真で左上に向かって弧を描いて伸びる線路を著者は「西北に向かう泰麺鉄道の鉄道線が見える」と書いていますが、位置関係からどう見てもそれは泰麺鉄道ではなく、現在のスパンブリー線なんです。ってことは、スパンブリー線も日本軍が設置した線路を利用して建設された路線ということなんでしょうか?少なくとも戦時中にスパンブリー線の一部分は既にあったことは確かです。どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけると嬉しいです。ちなみにこのスパンブリー線の運行本数は凄いですよ。バンコク発 16:40 → スパンブリー着 20:15スパンブリー発 04:20 →バンコク着 08:05この1往復だけ!(笑)いつか乗車してみたいもんです。さて、歩き続けることにしますか。バンコク方面行きの上り列車が通過していきました。あっ、こんなところに蜂の巣の跡が~。そして、スパンブリー線の線路を渡ります。こんな草ボーボーの線路を走るんだもんな。きっと揺れが激しいことでしょう ^_^;)この先で道は再び舗装路に。喜んだのも束の間、この後、犬が向かって来て威嚇されること2回。その度にこちらも目ヂカラで撃退しつつ歩を進めることに -_-;)そして道はようやく突きあたりに。そこを右折するとすぐに二車線の車道に出ました!ふう~っ。ほっとして自然と溜息が出る自分に気が付き苦笑してしまいました(笑)でもソンテオは走っていない雰囲気。まだまだ西へと歩き続けます。すると…前方に立体交差橋が見えるじゃないですか~。やっと現代に戻ったような心持ちです。そこは交差点になっていました。「コーク・モー」との交差点名の看板が立っています。頭上に走る高架橋は国道323号線。左はバンコクとラーチャブリー方面、右はカンチャナブリー方面。で、正面を真っ直ぐ行くとバーンポーンの市街です。私は真っ直ぐ歩きますよ~。交差点を渡ると前方に停車中のソンテオが目に入りました。側面には「バーンポーン ポーターラーム」と。バーンポーン行きソンテオには、ここから乗れるんだ。時刻は、09:56。ノーンプラードゥック駅から歩いて31分でやっと公共交通機関を利用できますよ~(笑)でも私は、この先に寄りたいところがあるので、ここでは乗車しません。私がソンテオの横を通り過ぎようとすると、停車していたソンテオがおもむろに走り出しました。もしや私が乗るかと思って待っていてくれたんじゃ?す、すみません ^_^;)<交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:43.5バーツ※旅は2013年4月30日(火)に行いました。つづく
2013/05/30
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降り立ったのは、ノーンプラードゥック駅。今回の旅の最初の目的地です。正式名は、ノーンプラードゥック分岐点。英語でも「NONG PLADUK JUNCTION」と書かれています。ノーンプラードゥック駅、と言われてもピンと来ないかもしれませんね。旧日本軍が建設した泰麺鉄道はご存知かと思います。その始発駅が、ここなのです。ノーンプラードゥック駅自体も日本軍が新たに設置した駅。日本軍の手でこの駅に泰麺鉄道の0キロ・ポストが打ち込まれたのが1942年7月5日ですので、その前に駅は開業していたんでしょうね。泰麺鉄道の開通は翌43年10月25日でした。戦後の1963年6月にはこの駅を起点とするスパンブリー線も運行を開始したので、現在では、泰麺鉄道の一部を引き継いだ西線(ナムトック線)とスパンブリー線2路線の起点駅になっています。それを示す看板も駅ホームに立っていました。さーて、線路北側に建つ駅舎を抜けて外に出てみると・・・見事になんにもなーい!事前に知ってたとは言え、残念感満点なのは否めません ^_^;)駅前には小さなよろず屋が一軒。あとは民家が数軒立ち並ぶのみです。少し歩いたところから駅舎を望むと、中央から左に見えるクリーム色の建物が駅舎なんですが、大木数本の緑に覆われて、知らなければここに駅があるなんて気付かないほど。日本軍がいた当時はこちら側ではなく、線路の南側のやや西寄りに日本軍の兵舎と捕虜収容施設が立ち並んでいたようです。『泰麺鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争-』吉川利治著、同文舘、1994年に当時のノーンプラードゥック駅周辺を撮影した航空写真(英軍撮影?)が掲載されています。それとグーグルマップの航空写真を比較してみると、当時の日本軍施設は跡かたも無く消え、現在では田んぼになっているのが分かります(矢印の一帯)。施設の姿は完全に無くなっていますが、日本軍の残した物はほんの僅かながら駅近くに残っているようで。ノーンプラードゥック駅前に住む、当時日本軍施設で働いていたタイ人のインタビュー記事(タイ語)によれば、日の丸の国旗が残っているみたいですね。あと他のサイトで見たんですが、この方の家には他にも日本語の書かれたコンクリート柱片も残っているようです。この方の話によればノーンプラードゥックの日本軍施設は連合国軍機の爆撃に何度も遭ったもののほとんど命中しなかったんだとか。でも一度、待避線に停められた貨車を病院として使用していたところに爆弾が命中して多くの看護婦が亡くなったそうです…。私は日本軍の面影を残す物に触れることはできませんでしたが、ここに来たということだけで、もう十分。さて、何も無いところに長居するのもなんなので、先に進みましょう。次に来る列車は、恐らく間もなく到着の西線ナムトック行きなのですが、私は南線バーンポーン方面へ行きたいんですよね。そうすると、次の列車は11:05。ただ待って時間を潰すんなら歩いちゃえ(笑)線路に並行して伸びる道をひたすら西へと歩くことに。ゴールデン・シャワーの並木がなんとも綺麗!などと感動していたら、道はこの先未舗装に…。このはるか先まで埃っぽい道が続く光景に、早々とウンザリしてしまいました。強烈な日差しが刺さる首の後ろがヒリヒリしますし。なんだこの木の折れ方は? 強い嵐でも来たんですかね。殺伐とした風景に花を添えています -_-;)<交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:43.5バーツ※シリラート病院―トンブリー駅のソンテオ運賃は7バーツだと バンコクバスマニアさんから教えていただきました。ありがとうございました。 訂正した金額で合計交通費を計算し直してあります。※旅は2013年4月30日(火)に行いました。つづく
2013/05/27
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シリラート病院の裏から乗ったソンテオは右折して国鉄トンブリー駅前にそのまま横付けして停車。これは便利だ~。時刻は06:52。あっという間の到着です。で、バタバタしていて私はうっかり運賃をメモるのを忘れてしまいました。6バーツか8バーツだったような。取り敢えず6バーツにしておきます。不確かでスミマセン m(_ _)mちょっと後ずさって駅を撮影…。トンブリー駅はターミナル駅だというのに、なんというシンプルさ。さて、切符を買わねば。売り場で行き先を告げて購入。14バーツ也。07:30発ランスアン行き255普通列車に乗ります ^^発車までどうしてようかなと思った矢先、駅アナウンスが。ランスアン行きは2番線から。今から乗車できます、と。それを聞くやいなや、みんなワラワラと乗り込んで行きます。あ、私も乗ろう!座席を確保して一息つきながら、切符をまじまじと眺めます。ちょっと味気無いですよね。タイの鉄道で硬券って無いのかな。で、ボーッとしていると07:10頃にいきなりガシャン!という音とともに衝撃が。機関車が連結されたようですね。あー、ビックリした。どうせだから見に行ってみますか。なんだかワクワクしてきました!(笑)座席に戻ると発車前から物売りが車内を行ったり来たり。「カーフェー、オーワンティーン~」(コーヒー、Ovaltine)「ムーヤーン、ムートート、カーオニァオカァ~」(焼き豚、豚揚げ、もち米です)朝食取ったばかりだからなぁ ^_^;)カン~カン~という鐘の音とともに列車は定刻どおりに発車。国鉄南線を西へと走っていきます。途中、この駅にも停車。以前の旅で訪れたワット・ンギウラーイ駅です。昔この裏手のターチーン川船着き場からスパンブリーと結ぶ定期船が出ていた頃はそこそこ賑わいのある駅だったようで。今でも思ったよりここからの乗客っているんですね。ワット・ンギウラーイ駅を発車すると、ソンテオが並走する姿が。あーっ、JESADA TECHNIK MUSEUM まで乗ったソンテオじゃないですか~!たまたま乗り合わせたおばさんに色々と教えてもらった記憶が蘇ります ^_^;)ターチーン川を渡ってしばらくすると大きめの駅に到着。ナコーンパトム駅です。ナコーンパトムの街は、以前の旅でどういうわけか居心地良く感じたんですよね。きっとまたふらっと訪ねに来ると思います。…なんだか今までの旅を回想する旅と化してますね(笑)ナコーンパトム―ラーチャブリー県境を越えた列車が停車した駅でいよいよ下車しますよ~。…って、ホームが途切れてるじゃん。砂利の上に降り立つことに -_-;)ここがどこかと言いますと…ノーンプラードゥック駅です。時刻は09:16。定刻より11分遅れの到着。やっと来れた!!ここにずっと来たかったんですよ~。<交通費>ソンテオ:6バーツ(?)列車:14バーツここまでの合計:42.5バーツ※旅は2013年4月30日(火)に行いました。つづく
2013/05/23
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バンコク周辺1日旅の新シリーズ開始です!今回は時間があったのでちょっと遠くまで行くことにしました。ラーチャブリー県方面です。GWの4月30日(火)の早朝に出発!まずはBTSラーチャテーウィー駅へ。ラーチャテーウィー交差点を左折してペッブリー通り沿いに歩き、ソイ10手前にあるバス停でバスを待ちます。511番エアコンバスが来たので乗車。時刻は、06:02。我ながら早起きです(笑)民主記念塔先で降ります。06:13。昇ったばかりの朝日がすがすがしいです!最初にやって来た15番赤バスに乗り換え。時刻は06:15。で、王宮前広場西側で下車。06:18。振り返ると、まだ穏やかな朝日に照らされたワット・プラケオにしばし感動。まさに早起きは三文の得だと実感 ^^右に歩いて、ター・チャーン(チャーン船着き場)へ。渡し賃3バーツを払ってチャオプラヤー川の渡し船に乗ります。こんな朝早くでも意外と乗客がいるんですね~。06:25出発。対岸のワット・ラカンがこれまた美しい~!!対岸のワンラン船着き場に着きました。あれ? 以前よりやや左に移動してませんか?08:29下船。右手に歩き、シリラート病院前の通りに出ました。托鉢僧が歩く中、ここで腹ごしらえをと思い屋台を見て回るのですが、これといった店が無いんですよね。まぁいいや、ここにするか。なぜ気が進まなかったかというと、この店は私が苦手な…クアイジャップの店なんです。どうも臓物系は… ^_^;)でものんびりしてられないので、背に腹は代えられません。食べてみたら意外と美味しかったです。40バーツの代金支払い時に店の女性に尋ねてみました。トンブリー駅へ行くにはどうしたらいいですか?「向かいからモーターサイで行けますよ。」えと、ソンテオ路線は無いんでしょうか?「あるけど、ちょっと歩きますよ。この先の門からシリラート病院に入って 反対側へ抜けたところからソンテオがあります。」どうもありがとうございます!「ここからモーターサイに乗った方がいいですよ。たった20バーツですし。」というご主人の声を背に歩き始めます。私もその方が楽だと十分承知はしているんですが、ポリシーがありまして ^_^;)言われたとおり門からシリラート病院内の道へ。出勤の病院勤務職員と托鉢僧でごった返す中、スタスタと裏側へと一直線に歩いて行きます。タイってレストランやファストフードの店員が制服姿で出勤するのは知ってましたが、看護師さんもそうなんですね。ちょっとビックリ。裏へ抜けたところで、ちょうど赤いソンテオがやって来ました。汽車 ポーサーン学校 水上マーケット ワット・プラドゥーと書かれています。「汽車」がトンブリー駅のことだな。というワケでこのまま乗車。時刻は06:49。ちなみに「水上マーケット」は、タリンチャン水上マーケットのことなんでしょう。そうか、このソンテオで行けるのか。<交通費>511番バス:13バーツ15番バス:6.5バーツ渡し船:3バーツここまでの合計:22.5バーツ※旅は2013年4月30日(火)に行いました。つづく
2013/05/20
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アユタヤの旅で散々歩いてヘトヘトになった3月29日(金)、実は夕方からタイ人の友人2人と会う約束が。なんでもタラート・ロッファイというナイト・バザールに連れて行ってくれるとのこと。タラート・ロッファイとは「汽車市場」の意味。裏が国鉄の敷地だからですかね?金土日の16時だか17時だかから24時までやっているそうで。3人でまず向かったのは、MRTカンペーンペット駅。夕方18時頃駅に到着すると、大勢の若者が同じ方向に向かって歩いて行くではないですか。私たちもその流れについて歩いて行くと、6,7分で到着。これは帰りに撮った写真なんですが、こんな感じでかなり広大な敷地に露店が整然と並んでいるんです。売っているものは服飾関係が多いですかね。あとアンティークやおもちゃ類など、結構色々な品物が売られています。実は後日、土曜夜にも行ったら半端ない人出!!しかも見事に若者だらけ。自分がこの中で一番年上じゃないのか!?ってぐらいに ^_^;)で、この日私がワケも分からず2人に連れて行かれたのは、タラート・ロッファイの敷地の一番奥…。簡素なテーブルが並んだ一角に人がわんさと座っているではないですか。何ここ?「バミー・ジョームパランだよ。」なんでも今人気の、バミー・ヘン(汁無しヌードル)の店なんだとか。急いで行列に並ぶとすぐに後ろにも人が並び始め、あっという間に長蛇の列に!なんなんだこの店は!?目の前では豪快に調理をしています…。手前の人が麺を茹で、奥の人が茹で上がった麺と調味料を混ぜるために格闘しています(笑)結構待ち、ようやく注文して席に案内されます。で、またしばらく待つと名前を呼ばれ、手を挙げると出来上がったばかりのバミー・ヘンが運ばれてきました。それが、オドロキの…超ビッグサイズ!!(笑)大きさが分かりやすいようにiPhone 4と並べてみると、こんな感じです。これはこの店ジョームパランの人気メニュー、โคตรพิเศษ(コート・ピセート)。「超盛」って感じでしょうか。このボリュームで豊富な具の種類、カニまで丸ごと1匹入ってて300バーツですからかなりお得では?味は正直言ってかなりイケます! が、とにかく凄いボリュームで3人でやっと食べ切れたほどでした。この店について報じた新聞「マティチョン」4月20日付の記事によると、オーナーは20代前半のカップルなんだとか!2人で何かビジネスをしようと考え、当初は知り合いの紹介でチャトゥチャクのウィークエンドマーケットでジャンボ揚げ春巻きを売ってみたんだそうです。でも売り上げは芳しくなく3ヶ月余りで解約。その帰り、重い気分で車を運転しているとオープンしたばかりのタラート・ロッファイが目に。どんなところなのかと寄ってみると、行列ができています。尋ねてみると、なんとタラート・ロッファイでのテナント権のくじ引きの列だったのです。が、残念ながら一歩遅し。列には並べませんでした。そんな2人を幸運の女神は見放しませんでした。肩を叩かれ、権利を譲ってくれるという人が現れたのです。2人は晴れてタラート・ロッファイで再出発です。またジャンボ揚げ春巻きを売ったのですが、赤字続き。そこで考えました。「主食」を扱おう。しかも家にある道具で作れるものに。2人ともバミー好きだったことから、バミー・ヘンに決定。しかし1週目の売り上げはまたしても芳しくありません。そこでまたアイデアを出し合います。ゆで玉子やカニ丸ごと入れてみよう。アートな盛り付けにして目を引くようにしよう…。そして2人とも運動好きなことから、店名をジョームパラン(超人)に決定。さらにヤワラートで見つけた12インチ大の中華どんぶりを使ってコート・ピセート(超盛)のメニューを始めたところ、写真を撮ってfacebookなどにUPする客が出てきて、それを見たマスコミからの取材がやって来るように。その結果、盛況になったんだとか。若いのにやりますね~。さらにです。5 นาทีทรมาน(ハー・ナーティー・トーラマーン)、訳すなら「苦しみの5分間」という企画をスタート。5分で食べ切ったら無料、という日本でもよくあるヤツです。これに若者が飛びついてさらに盛況に。私が行った日もちょうど真後ろのテーブルでこれにチャレンジした勇者がいました。コート・ピセート(超盛)よりさらに一回り大きなどんぶりのバミー・ヘンをチャレンジャーさんは勇んで食べ始めます。マイクを持った人が横に立って実況中継するんですよ!「さぁ3分経過! 進みが遅いが大丈夫かぁ~っ!?」みたいな(笑)その後手掴みに変えて頑張って食べていましたが、途中でもう諦めてました ^_^;)さすがにもたれるしキツイですよね。制限時間について私は「10分間」だとこの時は理解したんですが、ネットの情報を読むと5分のようですね。私の聞き間違いかな?で、その後も新アイデアを盛り込むことに余念のなかったオーナーの2人は、投げ売りされていた底の深い巨大皿を買って、新メニューを開始。เฉี่ยวนรก(チアオ・ナロック)、「地獄のすぐそば」という恐ろしいネーミングのとおり、恐ろしい盛り付けです(笑)1日5人限定、700バーツだとか。さすがにこれを食べている人は見かけませんでしたねぇ ^_^;)大食いに自信のある方は誘い合ってぜひチャレンジしてみてください!バミー・ジョームパランは、これまた情報がまちまちなんですが、金・土・日の17時だか18時だかから営業しているようです。なるべく開店間際頃の早目の時間帯に行くことをオススメします。そうでないと、長時間行列に並ぶ羽目になると思いますよ~。ちなみにこの日バミー・ヘンを食べ満腹になった後、2人についてタラート・ロッファイを何周も歩く羽目に。アユタヤ旅の疲れが残る足は棒になるのを通り越して、攣ってしまいました。私にはジョームパラン(超人)は程遠いようですね(笑)
2013/05/16
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バンコク周辺一日旅「見どころ満載アユタヤ遺跡の東端」でアユタヤ日本人村を訪れた様子を綴った際(4/22の日記)に、意図的に触れなかったことが一つあるんです。それは、日本人村に足を踏み入れてまず目に飛び込むこの石碑、「アユチヤ日本人町の跡」の文言についてです。なぜアユタヤではなくてアユチヤなんだ?見た人はみなきっと疑問に思うのでは? 私も最初にツアーで訪れた際には、どうせタイ人に彫らせたから間違えたに違いない、なんて思ったものです ^_^;)でもこれ、間違えたわけでは勿論無いんですよ。というのも、かつて日本でアユタヤはアユチヤと呼ばれていたからなんです。例えば1937(昭和12)年9月発行の財団法人暹羅協会会報第8号には次のような文章が見られます。此機に際し三百年前の快男児長政の記念碑を旧都「アユチヤ」の一角に建て旧事を追懐すること、一は暹羅国人をして長政の偉動を追想して、我日本民族の古武士精神に対する憧憬の念を増さしむると同時に、…(※旧字を現代文字に直してあります。)これは当時、この地に計画された山田長政記念碑建設事業を報じた内容の一部です。あ、そうそう。当時のタイの国名はサヤームで、日本では暹羅(シャム)と呼ばれていました。そもそもこの日本人村の地は、1935年設立の日暹協会(現、泰日協会)が設立後まもなくの頃に、アユタヤ時代に日本人村のあった地域の土地を購入し、簡素な長政祠を建てていた場所。で、祠の前には日本人会や青年会の協力で「記念標」(これがこの碑か?)と日本式鳥居も建てられていました。そして1937年、日暹修好50年記念に、上記引用文のとおりこの地に山田長政記念碑を建てようという計画が持ち上がります。なんと約16メートルの高さでオベリスク状のものという立派な記念碑です。しかし日中戦争が勃発して頓挫。その後日本の南進政策や太平洋戦争開戦を受けて日タイ関係が緊密になるにつれ、再び計画が盛り上がり、1943年、再度記念碑建設が決定されます。が、日本の敗色が急速に濃くなり、結局この記念碑建設事業は日の目を見ませんでした。…と話が逸れましたが、戦前~戦後直後の頃、日本では一般的に「アユチヤ」と呼ばれていたのです。ではなぜ「アユチヤ」だったのかですが、・・・はっきりしません(汗)可能性としては、アユタヤの名の由来となったインドの古都アヨーディヤーとの混同も考えられるかもしれません。今でもTibetをチベット、Putinをプーチンと言いいますが、とくに昔は「ティ」音を「チ」と表記していたようなので、アヨディヤ→アユティヤ→アユチヤとか。うーん、ちょっと苦しいですかね? ^_^;)あるいは当時の英語読みも「ディ」か「ティ」だったのかもしれませんね。アユタヤ時代にポルトガル人が作成したアユタヤ地図には「Iudea」と書かれていますし。いつ頃「アユタヤ」に変わったのか調べ切れませんでしたが、少なくとも昭和20年代半ばまでは「アユチヤ」と呼ばれていたようです。この碑は、そんな時代に建てられたために「アユチヤ」になっているのです。かつてはソンクラーをシンゴラと呼んだり、今でもスラウォン通りをスリウォン通りと呼んだり…。日本語でのタイ地名表記には不思議に思う点が時々ありますね。<参考>『財団法人暹羅協会会報第8号』1937年9月『財団法人日本タイ協会会報第35号』1943年8月「バーンコークの日暹協会」天田六郎、『財団法人日本シャム協会会報第48号』1948年4月
2013/05/13
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今年もやってきました!いよいよ明日から東京・代々木公園でタイ・フェスティバル2013が開催です!また目が回るほど大勢の人が来場するんでしょうね。私は明日の朝にちょこっと行こうかと思っています。Yahoo!天気で渋谷区の天気予報をチェックすると、明日5月11日(土)は、現時点で15時台から雨模様とのこと。昼過ぎまでに行ったほうがいいかも。5月12日(日)は天気になりそうですね。みなさん、どうぞ楽しんでいらしてください!!タイ・フェスティバル20132013年5月11日(土)・12日(日)10:00~20:00 会場:代々木公園イベント広場(東京都渋谷区)入場無料 雨天決行主催:タイ王国大使館後援:外務省・東京都・渋谷区
2013/05/10
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なかなか見ごたえのあったワット・マヘーヨンの次に向かったのは、さらに北側に見えていた遺跡。そちらの近くには採石場か何かがあるらしく、大きなダンプがひっきりなしに出てきています。そんな横を歩いていると、私を追い抜いた一台のダンプがプシューッっと目の前で止まるじゃないですか。ギクッ…。運転席のドアが開いてこちらに顔を向けたのは、にこやかな男性。「表通りまで行くんなら乗って行く?」えと、そこの遺跡を見たいので… ^_^;)男性は分かったという顔をして再びダンプを走らせて行きました。あービックリした。そんなことがありつつもなんとか到着。蓮の花が綺麗に咲いた池だか運河だかの先に遺跡が佇んでいます。またまた橋を渡って遺跡へ。仏塔の基礎部分がタイ様式というよりはインドっぽくないですか?詳しくないので間違っているかもしれませんが。ワット・スィーカーサムットと看板にはあります。ここもまたアユタヤ時代の書物に記述が残っていないもののアユタヤ時代初期に創建されたようだとのこと。本堂跡はこんな感じ。さて、アヨタヤ水上マーケット裏の遺跡群はこれにて終わり。そろそろウォンウィエン・チェーディーから歩いてきた通りに戻りますか。ワット・マヘーヨンの前を過ぎ、表通りへと繋がるソイを歩いていきます。もちろんモーターサイなんてどこにもいやしません ^_^;)ひたすら歩くのみ。ワット・マヘーヨン前から3分ほどで表通りに出ました。思ったほど遠くなかったですね。するとです。通りの反対側に沿ってまたもや遺跡群が~!ワット・クディーダーオとか、ワット・サマナコーッターラームとかいくつか立派な遺跡があるんですが…もう、ヘトヘトです (>_
2013/05/09
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ワットチャーンと呼ばれる遺跡を後にして、またもや現れた細い運河に架かる橋を渡ります。その先には、四方を壁で囲まれた大きな遺跡が。壁沿いに歩いて正面に出てみると、インド様式っぽい仏塔の遺跡が2つ。案内板を見ると案の定「ワット・マヘーヨン」と。そうか、ここがそうなのか。この右手に入口があるにはあるのですが、この入口には鉄柵があって中に入れなくなっているのです。でも意地でも入口を見つけてやろうと、北側の壁伝いに裏へと歩いていってみました。すると真裏に2人のおばさんが座る入場券売り場があるではないですか。「タイ人10バーツ 外国人50バーツ」とあるので無言で10バーツ払おうとすると、「外国人は50バーツ」と。見破られてしまったか。「日本人? 日本人は100バーツよ。」キツイ冗談は止めてくださいな -_-;)さてさて、入りますか。元々はこちら側が正面だったんでしょうね、きっと。あっ! 日本人村からソンテオに飛び乗る際に守衛さんが叫んでいた「カンラン」(後ろ、裏側)って、入口が裏側にあることを教えてくれてたんだ!!今になって気がつきましたよ。ありがとうございます、守衛さん(T_T)立派な長い回廊が続いています。奥まで歩くと、本堂跡に到着。靴を脱ぐようにとの注意書きに従って、サンダルを脱いで階段を上ると、係員さんが気持ちよさそうに居眠り中(笑)でもさすがです。私の気配を察知してすぐに起き、「そこのスリッパを履いてください」と。強烈な日差しで床は火傷しそうなほどの熱さなのです。スリッパがあって助かりましたよ。本堂跡内部はこんな様子。かつてはさぞかし素晴らしい姿だったんでしょうね。かなり規模の大きな本堂だったことが分かります。ご本尊は、ビルマ軍に破壊されたからなのか、欠けたままの姿。後ろへと戻りながら見上げると、左側の壁に上から下へと流れる黒い筋がいくつもあるのが見えますか?きっとビルマ軍の攻撃で火災に遭ったんでしょうね。屋根は木材でできていたということか。ワット・マヘーヨンも、ワット・ヤイ・チャイモンコンに劣らず素晴らしい遺跡でした。境内には、ちょうどタイの国花ラーチャプルック(ゴールデンシャワー)が見事な花を咲かせています。ちょうど開花時期でラッキーでした。さて次なんですが、さらに北側にも小規模な遺跡が見えたので、そこまで歩いていってみようと思います!<交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:80バーツ※旅は2013年3月29日(金)に行いました。つづく
2013/05/05
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アヨタヤ水上マーケットを出ると、正面にある施設に目が留まりました。アヨタヤ象村タイ語でそう書かれています。覗いてみると、あ、ホントだ。象が何頭もいるではないですか。これからショーでもやるんですかね?私はあまり興味が無いからパスします ^_^;)それよりもこの右側の裏手がなんとなく気になるんですよね。何かあるのかなと思い歩いて行ってみると…うわぁ! あんなところにも仏塔遺跡が!しかも打ち捨てられたように原野にポツンと立っているではないですか。よしっ、あそこまで歩いて行ってみよう。日差しを遮る物が何も無い中を開き直って突き進むと、この廃れ感が何とも言えずに素晴らしいですね。写真では分かりにくいですが、上のほうにまで雑草が生えているんですよ。あれ、仏塔の裏にも何かあるぞ。欠けた仏像が静かに佇んでいました。ここには本堂があったようです。あの仏塔とセットで一つの寺だったんでしょうね。ちょっとした遺跡探検気分に浸っていると、ふいに目を疑う光景が。象だ! なんでこんなところに!?あ、さっきの象村ってショーをするんじゃなくて、観光客を乗せるサービスをしているのか。それでここはなんと、象乗りのコースってことか!象に乗って遺跡を眺める贅沢な経験ができていいですね~。それに遺跡と象を被写体にした写真を撮るにもいいですし、これは興味深いスポットを見つけました。ところで象の向こうにもさらに遺跡が。そのさらに奥にも大きめの遺跡がまだあるように見えます。こうなったらあっちも見てみますか。象が踏み固めた道を歩いて行きます。馬糞ならぬ象糞がコースに沿って連なっているのがなんとも(笑)細い運河(?)に架かる橋を渡ると、遺跡に着きました。そこに立っている案内板を読むと、どうやらさっきの仏塔と仏像も含めてワット・チャーン(象寺)というんだそうで。現存するアユタヤ時代の書物にはこの寺についての記述が何も無いものの、考古学的にはアユタヤ王朝前期から存在し、1767年にビルマの攻撃でアユタヤが陥落して以来打ち捨てられたままだったと推定されるんだとか。続いてさらに奥の遺跡へと行ってみますか!<交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:80バーツ※旅は2013年3月29日(金)に行いました。つづく
2013/05/01
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