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最新の「アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 」シリーズのリンク先をラストに載せました。
グエル公園、今までやらなかったのには訳がある。
写真が沢山ありすぎて面倒くさかったからだ ![]()
やはりグエル公園をそのままにするわけにはいかないので整理をしながらボチボチと進めます・・![]()
一応グエル公園は、前回「 ガウディ博物館 1 (グエル公園)」の時にざっと説明しています。
リンク ガウディ博物館 1 (グエル公園)
パトロン、エウゼビ・グエルとの出会い
グエル公園の工期と歴史
写真は公園入り口にある2つのパビリオンです。
パトロン、エウゼビ・グエルとの出会い
アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí y Cornet)(1852年~1926年)
エウゼビ・グエル・イ・バシガルピ(Eusebi Güell i Bacigalupi)(1846年~1918年)
まず、グエイかグエルか迷いましたが、グエルの方がポピュラーのようなのでこちらで統一しました。
参考の為に度々生没年を載せますが、・・・ガウディとエウゼビ・グエルはたった6歳しか違わなかったのですね
(パトロンと言うからもっと歳がはなれているのかと思ってた・・。)
さて、 ガウディは苦労の人ですが、運の良い人でもありました
。
ガウディが建築学校を卒業して建築家の免許をとったのは1878年3月15日。(26歳
)
その年1878年5月から行われた 「第3回パリ万国博覧会」では早くもエウゼビ・グエルにその才能を認められる
のです。
パリ万博のスペイン館でもひときわ目を引いたと言われるGuantería Comellaの「the Comella Glove Shop」の手袋の為のショーケースがそれです。![]()
スペイン版のウィキメディアから・・パブリックドメインに入っていましたが、日本で使用してよかったのか???
見た所ショーケースと言うよりテラリウムのようなデザインですが、当時としては画期的だったのかな?
グエルはこの制作者に会うために「the Comella Glove Shop(コメリャ手袋店)」を訪問。そこの職人が彼を紹介したと言います
。
前に使った地図ですが・・建築予定の当初のグエル公園の全図です。
グエル公園は軽い丘陵地に建設されています。
どこから入るか迷いましたが、とりあえず公園の正門のパビリオン(F)から中央大階段(E)、中央広場(A)の順に進む予定です。
中央広場Aのコーニスからグエル公園の入り口を撮影
左のパビリオンが門衛館 右のパビリオンが待合館
奥に見えるのはバルセロナの市街とバルセロナ港
前回は、旧運営事務所 と書きましたが、本当は、ここが住宅パークになった時の来訪者の待合い所となる予定で建設されたそうです。
現在はガウディ関係のショップ(お土産屋?)となっている。
中央階段からの撮影
公園に入ると双方のパビリオン正面には大階段があるが、そのサイドには公園内を馬車や自動車で周遊できる道路が整備されている。
同じく中央階段からの撮影
この門衛館は、建設当初からここを管理する門衛の住宅として建設された。
乱石積の外周壁とレンガ造内壁の壁構造。
鉄筋コンクリートの小梁も使われている。
屋根はレンガ造薄版ヴォールト、トレンカディス(破砕タイル貼り)仕上げ。
トレンカディスというよりどちらかと言えばモザイク仕様であるが・・。
入り口の門
道路から門越しに公園を撮影した写真が無いのが残念でした・・。
当初ここに門の予定はありませんでした。現在、あるのは、カサ・ビセンスにあったアイアン・ワークのシュロの扉がつけられている・・との事です。
グエル公園の工期と歴史(1900年~1914年)
1895年 グエル土地取得
1900年6月~11月 アクセスの地ならし
1901年~1906年 内部の地ならし、道路整備、洞窟の調整、
3つの陸橋とポルティコ(柱列ポーチ)の建設、正門の大階段と塀
1902年~1904年 モデルハウス建設
1903年~1906年 カサ・トリアス建設
1904年~1906年 正門の2つのパビリオン
1903年~1907年 ドーリア式神殿列柱の後部
1907年~1910年 ドーリア式神殿列柱の前部と鉄骨構造のコーニス部
1910年~1913年 コーニス部、陶器の曲線ベンチ、市場の円盤装飾
1914年 資金不足で公園建設の中断が決定
~1914年 破材で列柱式天井の円盤装飾と曲線ベンチ装飾
中断決定後も工事はしばらく続行されていた
。
1922年 エウゼビ・グエルの後継者により、バルセロナ市に寄贈
ガウディと同じく スペインを代表するアーティストのサルバドール・ダリは、ガウディの影響を受けたと言う。
入り口の門衛館と待合館を見て「まるで砂糖菓子のようだ」と言ったとか?
その屋根をズームすると、下から見る時ほど砂糖菓子ではない。
予算のある初期の制作だけに、中央広場のトレンカディスとはえらく違う。
たぶん本来のガウディはこうしたきっちりした正確だったのだと思う。



つづく
リンク グエル公園(Parc Guell) 2 (ファサードのサラマンダー)
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リンク アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 1 高級住宅
リンク アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 2 コロニア・グエル教会とカテナリー曲線
グエル公園(Parc Guell) 1 (2つのパビリオン)
リンク グエル公園(Parc Guell) 2 (ファサードのサラマンダー)
リンク グエル公園(Parc Guell) 3 (大階段のタイル)
リンク グエル公園(Parc Guell) 4 (列柱ホール)
リンク グエル公園(Parc Guell) 5 (ギリシャ劇場)
リンク グエル公園(Parc Guell) 6 (擁壁と柱廊)
リンク グエル公園(Parc Guell) 7 (テクスチャーにこだわった柱廊と陸橋)
リンク ガウディ博物館 1 (グエル公園)
リンク ガウディ博物館 2 (ラ・トーレ・ローザ・la Torre Rosa)
リンク ガウディ博物館 3 (ガウディ家の人々)
リンク ガウディ博物館 4 (ガウディの病気)
リンク アントニ・ガウディ カサ・ミラ 1 (外観)
リンク アントニ・ガウディ カサ・ミラ 2 (パティオ)
リンク アントニ・ガウディ カサ・ミラ 3 (屋上1)
リンク アントニ・ガウディ カサ・ミラ 4 (屋上2)
リンク アントニ・ガウディ カサ・ミラ 5 (屋根裏の梁)
関連
リンク コミーリャス(Comillas)エル・カプリーチョ(El Capricho)
リンク ガウディの椅子
リンク モンセラート(Montserrat)
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