わたしのこだわりブログ(仮)

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2012年06月12日
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星 最新の「アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 」シリーズのリンク先をラストに載せました。



エクゼビ・グエルについてこの数日間ずっと調べていたのですが、ガウディに関連して名が出るだけで、結局よくはわからなかった しょんぼり
わかった事はグエルの子孫が今、スペイン貴族として2つの称号を持って残っているらしい・・と言う事だ。

で、今回はその過程でたどり着いたコミーリャスにガウディの設計したエル・カプリーチョがあったのでグエル公園を休んでちょこっと紹介ですウィンク

コミーリャス(Comillas) エル・カプリーチョ(El Capricho)


教皇の大学(
Universidad Pontificia )

コミーリャス侯爵家( Marquesado de Comillas )

エウゼビ・グエル( Eusebi Güell )

グエル伯爵家( Condado de Güell )


コミーリャス(Comillas)は、北スペインのアルタミラにほど近い 、​ 観光ガイドブックにもほとんど乗らない田舎田舎した静かな、海辺の小さな町です。

​スペイン国王アルフォンソ12世がコミーリャス家の宮殿に避暑に訪れていた事から19世紀末には貴族や富豪たちが一挙に押し寄せ別荘を建てた為にカンタブリア地方を代表する避暑地​ として知れ渡ったのです。

アルフォンソ12世(Alfonso XII)(1857年~1885年)在位(1875年~1885年)
スペイン王としての在位期間は短いが ​スペインが内政、外交ともに平和であった時期の王​ である。
在位が短いのは若くして肺結核で亡くなっているから。

丘の上のUniversidad Pontificia(教皇の大学)
pict-コミーリャス 2.jpg

教皇の大学( Universidad Pontificia )
元は ​コミーリャス侯爵家アントニオ・ロペスが私財で創立した神学校​ です。
2代目当主クラウディオが引き継ぎ、その神学校を教皇レオン13世に捧げた為に「教皇」の称号を得て、Universidad Pontificia(教皇の大学)となった 法王庁直轄のカトリックの大学です。

現在はマドリードが本校になっているようですが、 司教候補が神学(S.T.D.)博士である聖職者から選任される為に「Pontificia(教皇の)」学校を卒業すると言う事は将来の法王候補としても有資格者になる ようです。

pict-コミーリャス 1.jpg

コミーリャス侯爵家( Marquesado de Comillas )
初代当主は アントニオ・ロペス・ロペス(Antonio López y López))(1817年~1883年)

キューバで財を成して帰国した彼はバルセロナ、フィリピン、キューバを拠点に会社を設立し、莫大な富みを構築。
​スペイン国王アルフォンソ12世は米西戦争での彼の功績を称え、コミーリャス侯爵の称号を与えた​ そうです。
このコミーリャス侯爵家の3代目を継承したのがエグゼビ・グエルの長男なのです

1世(1878年~1883年)  アントニオ・ロペス・ロペス(Antonio López y López)
2世(1883年~1925年) クラウディオ・ロペス(Claudio López Bru)
※ アントニオ・ロペスの息子
3世(1925年~1958年)  ファン・ア ントニ・グエル・イ・ロペス(Joan Antoni Güell i López)
※  エグゼビ・グエルとイサベル・ロペスの息子
4世(1958年~       )   ファン・アルフォンソ・グエル・イ・マルトス(Juan Alfonso Güell y Martos)


ソブレジャーノス宮殿(Palacio de Sobrellano)​

コミーリャス侯爵邸(Palacio de las Marqueses de Comillas)

​​​​​pict-コミーリャス 9.jpg
建築家はファン・マルトレール(Joan Martorell)ネオ・ゴシック様式
コミーリャス侯爵が生家の跡地に建てた宮殿。  制作は1878年~1888年。

pict-コミーリャス 10.jpg
コミーリャス侯爵は1881年と1882年、4件の邸宅を用意してアルフォンソ12世とその一家を避暑に招待したと言う。

ソブレジャーノス宮殿の隣にあるコミーリャス家の付属礼拝堂
pict-コミーリャス 11.jpg

エウゼビ・グエル( Eusebi Güell )
エウゼビ・グエル・イ・バシガルピ(Eusebi Güell i Bacigalupi)(1846年~1918年)

​エグゼビ・グエルの父Joan Güell i Ferrer (1800年~1872年)もまた、コミーリャスに戻ったアントニオ・ロペス同様にキューバで財をなした成功者​ でバルセロナに戻り多様な産業のプロモーターをしていたようです。(母方の家系はジェノバの商人。)

生まれながらにして裕福であったエウゼビ・グエルはバルセロナ、フランス、イングランドで勉強。(グエル公園の構想は英国での留学経験からの発想。)
帰国すると父のように事業を始めています。

結婚相手はコミーリャス(Comillas)侯爵家の一人
ルイサ・イサベル・ロ ペス・イ・ブル(Luisa Isabel López y Bru)
イスパノコロニアル銀行創設したロペス財閥の令嬢。
故に結婚と同時に、コミーリャス侯爵家のロペス財団の会社であるスペイン植民地銀行、フィリピン・たばこ会社の重役に・・。
もしかしたら父ファンとコミーリャス家のアントニオ・ロペスはキューバでの知り合い?

​​​ エウゼビ・グエルはガウディだけでなく、たくさんの芸術家を支援 した人です。
また、実業家としてだけでなく 1875年バルセロナ市会議員になり、1878年には州議会議員(スペイン上院議員)と国政にも出ている​​​


1910年に、スペイン経済に貢献したとしてスペイン国王アルフォンソ13世より伯爵の称号 を与えられました。

1918年エグゼビ・グエル他界。

アルフォンソ13世(Alfonso XIII)(1886年~1941年)在位(1886年~1931年)
父王の死後に生まれたので出生と同時に国王となり実政は1902年から。

彼の治世は荒れていて、結婚パレードの時に爆弾を投げつけられる事件が起きている。
ガウディが活躍したのがこの期間であり、アナーキストらのテロにより、政府高官が次々暗殺される・・・と言う非常事態の治世だった
因みに 1931年スペイン王権は維持出来ずに亡命先で退位。​


グエル伯爵家(
Condado de Güell )
グエル1世(1910年~1918年)   エウゼビ・グエル・イ・バシガルピ(Eusebi Güell i Bacigalupi)
グエル2世(1918年~1958年)   ファン・ア ントニ・グエル・イ・ロペス(Joan Antoni Güell i López)
※ 長男アルフォンソは母方のコミーリャス侯爵の称号も 同時に継承
グエル3世(1966年~ )  ファン・アルフォンソ・グエル・イ・マルトス (Juan Alfonso Güell y Martos)

1911年にはグエルの子供達もそれぞれ爵位を受けています。
Joan Antoni Güell i Lópezは グエル伯爵とコミーリャス侯爵の2つの爵位。
Claudi Güell i Lópezはグエル子爵(vizconde de Güell)
Santiago Güell i Lópezはグエル男爵(barón de Güell)


エル・カプリーチョ(El Capricho)
pict-コミーリャス 3.jpg
エル・カプリーチョ(El Capricho)・・・気まぐれ

と言うより、 この家の塔が余りに奇想天蓋で、音楽としてのCaprichoが「自由奔放な楽想の展開と華麗な名人芸の披露」と言う意味をかけてそう呼ばせたよう です。

現在はちょっと高級な予約の必要なレストランとなっています。
pict-コミーリャス 4.jpg
制作は1883年~1885年。ガウディの作品です。
施主はマキシモ・ディアス・デ・キハーノ。

このコミーリャ邸の敷地に建てられたのはアントニオ・ロペスと親友?
同じく中米で財を成し、妹はアントニオ・ロペスの弟と結婚。
彼自身は独身で死後は妹が相続。

pict-コミーリャス 5.jpg
​​この見るからにカサ・ビセンスを彷彿させる家であるが、現場主義のガウディなのに彼はこの地に一度も来なかった と言う。
そればかりか 施主にも一度も合わなかったと言う異例の物件なのだ​​
びっくり

隣で本家を制作していた師のマルトレールに頼まれた物件だったのだろう。
もちろんグエルともすでに親交はあったはずだが・・。
pict-コミーリャス 7.jpg

pict-コミーリャス 8.jpg

上の写真の裏側
pict-コミーリャス 6.jpg
現在は増築されすぎて? 多少問題があるようです。

Back number​
リンク  アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 1 高級住宅
リンク ​ アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 2 コロニア・グエル教会とカテナリー曲線


リンク ​ ガウディ博物館 1 (グエル公園)
リンク ​ ガウディ博物館 2 (ラ・トーレ・ローザ・la Torre Rosa)
リンク ​ ガウディ博物館 3 (ガウディ家の人々)
リンク ​ ガウディ博物館  4 (ガウディの病気)

リンク ​ グエル公園(Parc Guell) 1 (2つのパビリオン)
リンク ​ グエル公園(Parc Guell) 2 (ファサードのサラマンダー)
リンク ​​ グエル公園(Parc Guell) 3 (大階段のタイル) ​​
リンク ​ グエル公園(Parc Guell) 4 (列柱ホール)
リンク ​ グエル公園(Parc Guell) 5 (ギリシャ劇場)
リンク ​ グエル公園(Parc Guell) 6 (擁壁と柱廊)
リンク ​ グエル公園(Parc Guell) 7 (テクスチャーにこだわった柱廊と陸橋)

​リンク ​​ アントニ・ガウディ カサ・ミラ 1 (外観) ​​
リンク ​​ アントニ・ガウディ カサ・ミラ 2 (パティオ) ​​
リンク ​​ アントニ・ガウディ カサ・ミラ 3 (屋上1) ​​
リンク ​ アントニ・ガウディ カサ・ミラ 4 (屋上2) ​​​
リンク ​ アントニ・ガウディ カサ・ミラ 5 (屋根裏の梁)

関連
    ​ コミーリャス(Comillas) エル・カプリーチョ(El Capricho)
リンク ​ ガウディの椅子
リンク ​ モンセラート(Montserrat)


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Last updated  2024年05月25日 17時49分54秒
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