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最新の「アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 」シリーズのリンク先をラストに載せました。
グエル公園(Parc Guell) 3 (大階段のタイル)
モンタネールとガウディ
スペインと言う国では、「自分の居場所を確保する為の戦いの厳しさがある。」
サグラダ・ファミリアで選任彫刻家して働いている 外尾悦郎氏の著書にある言葉
です。
つまりスペインで地位や仕事を確保する事はものすごく大変な事であり、それを維持するにも常に厳しさがつきまとう・・・と言う事のようです。
異国から来た外尾氏が、サグラダ・ファミリアで選任彫刻家になるには、どれだけの苦労があったか・・を語っていると同時に、ガウディも相当な苦労をしたのだろうな・・と言う事を氏は自分の体験から感じた・・そうです。

中央階段の上にはギリシャの神殿のようなドーリス式の列柱が見え、それがファサードを豪華に見せている。
大階段には4つの噴水があるが、最初と最後の噴水の意味はわからなかった。
最上部の噴水は、これこそヘビの腹をモチーフにしたようなオブジェである。
原罪の蛇なのか?
形は ガウディ風にアレンジされてはいるが、trilobe(三葉形)と言ってゴシック期の建築で窓やくりぬきのデザインによく使われたクローバーの3つの葉を表現したデザインがベースであろう。
trilobe(三葉形)

ブルゴスのサンタ・マリア大聖サンタ・マリア門ファーサード一部から
3はキリスト教ににおいて三位一体を示す象徴的な数字である。このtrilobe(三葉形)のアーチが3面になっている所もあえて3を意識しているのでは?
結局なぜ噴水がこの造形になったのかは解らなかったが、 ガウディはグエル公園の造形で特別な設計手法を試みていたようである。
実はガウディはこの公園で 円や弧を使ったコンパス造形
をあちこちで行っている。
入り口2つのパビリオンも、実は図面を見ればあきらかなのだが、基礎は、幾つかの円によりデザイン
されている。
またこれから紹介する ドーリア式の列柱のならぶ市場の設計もコンパス造形によるデザイン
なのである。
設計においては、その技法が一環されていた? ・・・と見るべきか???
そんな事を考えながらいろいろ見ていると、ここも? ここも? と発見があるかも知れない。
公園のタイル貼り
中央階段周りのタイルは初期なので、ギリシャ広場のベンチと比べると別物
である。
本来はこう言うイメージの延長にギリシャ広場も完成されるはずだったのだろう。
別の回に写真の紹介をするが、 ギリシャ広場の方は財政的に破綻して中止が決まってからの不良品寄せ集めタイルの作品なのだ
。
とは言え、 ガウディ風? タイル貼りもひと味違う
。
1枚の完成されたタイルを一度壊し、それをまたつなげてオリジナルの形に戻したり、また、同じタイルなのに組み替えて別の顔を見せるなどの手法をとっている。
何にしても一手間どころかものすごく大変な作業を職人にさせていた事がわかる。
この階段の壁にしても、タイルを普通に市松模様(いちまつもよう)に貼っていたとしたら、かなり安っぽい物になっていただろうから・・・。

モンタネールとガウディ
ガウディの2つ年上のモンタネールは、 同時代に活躍したモデルニスモの建築家
です。
リュイス・ドメネク・イ・モンタネール(Lluís Domènech i Montaner)(1850年~1923年)
彼の作品は2件、1997年にユネスコ世界文化遺産に登録
されています。
(バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院)
にもかかわらず今やガウディの影に隠れてしまった感がありますが、当時はバルセロナの建築学校の教授や校長として45年勤め、建築のエッセイや新聞と雑誌などで論評。
公共事業もたくさん手がけて建築家としての仕事量もガウディよりはるかに多かった。
おそらく当時の建築界の大御所に数えられた人でしょう。
一説によればガウディに来る予定であった仕事もモンタネール一派に横取りされていたらしいのだ・・・。
何しろ 彼は大統領に立候補した政治家としても知られていて、政財界に顔の利く事もあったから
であろう。
もともとバルセロナの裕福な家に生まれた彼は
スタート地点からガウディとは得た環境が違っていて、 早くからエリートとして社会的地位を確率。
社交的で、成功する為の処世術を心得ていた人物
のようです。
一方、
ガウディは財力も地位も社交術も無いただの建築家
。
どこぞのアカデミーの会員になる事もなく、人見知りで、才能はあっても消えていったかもしれない・・
。いや、才能故に妬まれ、潰しにかかられていたのかもしれない。
モンタネールにはなれなかったガウディが建築界で生き残れたのは「奇跡」としか言いようのない事
だったと思います。
(今は逆にモンタネールが、ガウディになれなかった男・・と評されていますが・・。)
「グエル公園(Parc Guell) 1」で書きましたが、 エウゼビ・グエルとの出会いがガウディの建築家としての将来を決めたと言っても過言ではなかった
わけです。
つづく
リンク グエル公園(Parc Guell) 4 (列柱ホール)
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リンク アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 1 高級住宅
リンク アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 2 コロニア・グエル教会とカテナリー曲線
リンク グエル公園(Parc Guell) 1 (2つのパビリオン)
リンク グエル公園(Parc Guell) 2 (ファサードのサラマンダー)
グエル公園(Parc Guell) 3 (大階段のタイル)
リンク グエル公園(Parc Guell) 4 (列柱ホール)
リンク グエル公園(Parc Guell) 5 (ギリシャ劇場)
リンク グエル公園(Parc Guell) 6 (擁壁と柱廊)
リンク グエル公園(Parc Guell) 7 (テクスチャーにこだわった柱廊と陸橋)
リンク ガウディ博物館 1 (グエル公園)
リンク ガウディ博物館 2 (ラ・トーレ・ローザ・la Torre Rosa)
リンク ガウディ博物館 3 (ガウディ家の人々)
リンク ガウディ博物館 4 (ガウディの病気)
リンク アントニ・ガウディ カサ・ミラ 1 (外観)
リンク アントニ・ガウディ カサ・ミラ 2 (パティオ)
リンク アントニ・ガウディ カサ・ミラ 3 (屋上1)
リンク アントニ・ガウディ カサ・ミラ 4 (屋上2)
リンク アントニ・ガウディ カサ・ミラ 5 (屋根裏の梁)
関連
リンク コミーリャス(Comillas)エル・カプリーチョ(El Capricho)
リンク ガウディの椅子
リンク モンセラート(Montserrat)
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