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アメリカはハロウィンでした。今年は日曜日ということもあって昼間の早い時間から、親に連れられたちびっ子達がTrick or Treat にやって来ました。↓うちが用意したお菓子。 不精なので毎年恒例「このまま渡し」。↓階下のアンソニーJr.(2歳)にだけ特別コレ。夫と私が独断と偏見で選んだ「仮装大賞 オブ・ザ・イヤー」はドロドロドロドロ・・・・・(↑ドラムロールのつもり)パンパカパーン!↓『Dr. ハンニバル・レクター 君』です!(何処の子だか知らんが、写真を勝手に載せてゴメンヨ)去年はお菓子が足りなかったのに今年はお菓子が半分近く余った。これらがいづれ自分の胃袋に納まるのかと思うと考えただけで「恐怖のハロウィン・ナイト」でした。。。
2004/10/31

プサンに住む 会った事も無いおばさんから巨大な荷物が届きました。中を開けてびっくり、保存食一年分!夫が写真を載せている韓国の掲示板で「写真の載せ方が難しい。。。」というおばさんがいたので、うちの夫が助けてあげました。そのお礼だそうです。それにしてもこの量!ざっと数えて20品目以上!送るの大変だったろうに。緑の四角いのは夫が欲しがっていた「魚干しネット」。これで釣った魚で「干し魚」が作れるね。おばさん、わざわざ買いに行ってくれたんだね。昔懐かしい「柳行李」も入ってるよ。これに魚を入れなさいよという事ね。なんて細かい心遣い。ビニール袋に入った乾燥野菜たちは、おばさんちの自家製だそうです。それをこんなに沢山もらっていいの?私:「あんた、おばさんにいったい何したのよ?」夫:「しゃ、写真載せるの手伝っただけです。。。」私:(怪しい~)何かおばさんの弱みでも握って揺すりでもしてるんじゃないの?それとも韓国のアジュンマって皆こうなの?
2004/10/30

森の中で道に迷いました。午後から夫と近所の州立公園へ行きました。元は個人所有の土地を州が買い取ってこの家の裏の広大な森の中をトレイルしたり湖で釣りをしたり出来る公園になっています。トレイルは3種類のルートがありそれぞれ5キロ位の距離だというので歩いてみることにしました。失敗でした。林の中で道に迷って、3時間歩きましたが行けども行けども、道は二股三股に分かれ、帰れません。森の中で道に迷うなんて、外国の童話みたいです。日も落ちてきて、結局 遠~くに聞こえる車の音を頼りに幹線道路に出て車がビュンビュン走る脇をすり抜けてなんとか元来た場所に戻れました。あ~、車が怖かった~。せっかく美味しい空気の中を歩いていたのに。↓これは、もういっそ焚き火でもして 夜を明かそうかと思い、落ち葉をかき集めている私。↓これは道に迷って気がふれてしまった夫。 太陽が出ていないと、方角が分からないそうです。↓迷いながらも、落ち葉拾いは しっかり楽しんできました。今日行った恐怖の州立公園、景色は抜群です!でもちょっと広すぎます。Caleb Smith State Park
2004/10/29

夫の休日なので、一緒にカニ釣りに行ってきました。↓世間は平日なので釣り場はガラ~ンとしていて ちょっと寂しかったなぁ。。。かごに鶏肉をしかけて海に沈めて2~3分もすると、もうカニがかかってます。カニって頭悪いんだなぁ。何ていう種類のカニか分からないけど↓こういうのが20匹近く釣れました。 たったの2時間弱で。これ食べられるの?と思いましたがまずは、茹でて食べてみたら実が詰まっていて甘くて物凄く美味しい。ポン酢で食べようか、チゲにしようか悩んだ末先日Mesaさんの日記で見た「カニスープ」が劇的に美味しそうだったのでうちも同じものを作りました。海老も入れて豪華な「海鮮チゲ」になりました。食べてみたら、美味し過ぎて困りました。あ~、幸せ(うっとり)。これは、また釣りに行かなきゃ!
2004/10/28

今日はアメリカ大陸で月食の見られる夜でした。夜10時半ごろ、双眼鏡、カメラ、三脚を持って夫と月を見に行きました。雲ひとつ無い満天の星空に十五夜を明日に控えた ほぼまん丸の月が地球の陰をかぶっていました。うまく写らなかったのですが、夫が撮った写真です。陰のかかった月を見ていてふいに口をついて出た歌が「雨降りお月さん」。♪雨降りお月さん 雲のかげ お嫁にゆく時ゃ 誰とゆく 一人で唐傘さしてゆく 唐傘ない時ゃ 誰とゆく しゃらしゃら しゃんしゃん 鈴つけた お馬にゆられて 濡れてゆく♪20年前に他界した祖母は童謡やわらべ歌をよく歌って聞かせてくれたのですが中でも、私の記憶に強く残っているものは「雨降りお月さん」や「通りゃんせ」や「しかられて」「てるてる坊主」のようなちょっと「暗~い旋律」のもの。短調っていうんですかね、こういう童謡を歌ってる祖母の印象が強いんです。そんなこんなで(どんなよ?)もの悲しくなっていると、今度は大江千里か詠んだ「月見れば ちぢにものこそ悲しけれわが身ひとつの 秋にはあらねど」が頭に浮かんできて、まぁ、今日はなんて文学的な夜なんでしょ~。百人一首も子供の頃、祖母が一緒に遊んでくれて覚えたのよね。月を見ている間、随分 色んな事を考えました。日本最古の物語で作者不詳の「竹取物語」のかぐや姫は、竹から生まれたのに何故か月へ帰ってしまう話など、など、など。。。とにかく色んな事を考えました。思い出してここに書けないくらい(忘れっぽいだけ。。。)これも月の力でしょうか(な分けが無い。。。)そういえば「狂気」を意味する「lunatic」もラテン語の「luna=月」から派生しているんだよなぁ。古今東西「月」は不思議な力を持つものと信じられていたんですねぇ。次の皆既月食は2年半後に又見られるそうです。次回もまたlunaticになりたいと思います(笑)。
2004/10/27

土曜日の夜、夫は長島の東の果てにイカを釣りに行きました。長島では「イカ釣り漁船」に乗らずにイカ釣りが出来ます。釣り場はなんと「駅の裏」だそうです。*本日のおしながき*「イカそうめん」&「磯辺巻き」「ゲソとクチバシの湯通し」&「イカワタとスミのバター醤油」皮以外全部 食べました!イカの種類は「マルイカ」といって日本では高級品だそうです。イカはカムフラージュします。釣り上げた時は向こうが透けて見える位透明で、クーラーボックスに入れると真っ黒になって、家に着くと白くなっていました。見事です。秋も深まり、長島も色づいてきました。また知人に銀杏をもらいました。(長島では銀杏拾いも出来るんです)↓これ、なんだか分かりますか?ゆでて潰した銀杏の実をちょっと焙って「銀杏せんべい」だそうです。↓こんな食べ方初めて知りました。↓これは おまけでお決まりの「銀杏おこわ」です。庭の畑ももう終わりです。あんなにキレイに咲いていたニラの花も種に変わりました。今月の頭頃から「今度こそ最後の収獲」と言いながらもしぶとく実をつけるインゲンを食べてました。育てた野菜たち、春から夏の間は食卓を賑わせてくれてありがとう。もうこの寒さではトマトも赤くならないだろうな。↓最後の収獲となったトマトの写真です。最後のおまけ先日「これ何?え?ミツバ?まぁ~立派ね~!肥料でもやってるの?」とお客さんに褒められたので、自慢のミツバを載せます。うちは台所からすぐ庭に出られないのでネギ、ミツバは室内栽培です。あ~、家が欲しい。。。「室内ネギ」の写真はこちら。前回載せた「塩炒り銀杏」の写真はこちら
2004/10/24
以前に「母親の病気」という暗ぁ~い日記を書いたことがあります。そこで私は実家には電話の一本も入れたことが無いほど家族とは疎遠ですと書きました。あの日記に暖かい言葉でコメントを下さった皆さん、本当にどうもありがとうございました。本日、ついに母に電話しました。実は 今朝方、実家にいる妹から「お母さんは新潟から帰る途中、新幹線の中で地震に合い、現在 真っ暗な清水トンネル内に閉じ込められているも無事に生きてます、という電話が新潟の知らない人からありました。お母さんは今頃きっと目をギラギラさせている事でしょう」(母はカミナリや地震で血沸き肉踊る不謹慎な体質です。。。)というメールが来ました。よりに寄って、この大地震に~!インターネットでニュースを検索すると下り新幹線が脱線事故を起しています。他に土砂崩れの事故も。しかし、上り電車清水トンネル内の事故は見当たらないのでとにかく連絡を待つことにしました。夫は午後、仕事から戻ると 釣り仲間さんと「イカ釣り」に出かけて行きましたが「日本に電話しておいてね、絶対に。いいね!?」と私にことづけました。釣りの途中も電話をしてきて「日本に電話」とと念を押されました。そして、夜の8時ごろメールを開けてみたら、母から同窓会を新潟で開く事になり、22日から一泊で行ってきましたがその帰り23日に上越新幹線の中で新潟地震に遭遇しました。清水トンネルの中で4時間程缶詰になり本当は19時ごろには東京着の予定がその前の大宮に23時半ごろに着ました。そこから家(実家は東京の西の端です)に帰る足がなく何と大宮の待合室で一晩過ごし先程24日朝7時半過ぎに無事帰宅となりました。他の4人は大宮からうちほど遠くないので帰れたのですが、私は皆と別れた後、新宿へ出る電車(埼京線)が12時過ぎまで来ず、そうなると京王線の最終にも間に合わず仕方なく大宮の待合室で20人ばかりの人たちと泊まったと言う訳です。TVで時々見ていた新幹線での缶詰、この歳で始めて体験しました。仲間が5人もいてアッと言う間でしたが、その後皆と別れた後で一人駅に泊まるとは思ってもいませんでした。先ずは無事帰宅のお知らせまで。というメールを発見。夫にも念を押されていたので、今更ながら一応電話してみました。今年の5月に私は帰省しているので5ヵ月半振りに母と話をしました。母は、本当ならちょっと他人行儀になるはずのところも「いやぁ、本当に参ったたい~、 ばってん、こぎゃん経験なかなか出来んもんね。 丁度人に話したくてウズウズしよったとよ、 電話ありがとう。」と興奮冷めやらぬ様子。私の「不謹慎」は親譲りなんだなぁ、でもおかげでちょっと溝が埋まったような。。。母は大宮駅で子連れの人にソファーを譲ったら自分の座るところが無くなってしまったそうで一睡もしていないらしく、大変ハイパーでした。あんな「全部白髪」のおばあさんで、おまけに今 腕を怪我していて包帯巻いてるのに座る場所譲ってくれる人はいなかったのか、はたまた母は頑張って「超若作り」でもしていたのか。大宮発の始発電車に乗るつもりが、駅員さんが待合室の母の存在を忘れてしまい、シャッターを開けてくれず、目の前に電車が来たのに乗れなくて、2番電車も同じ理由で乗り過ごし、ついに恥を忍んで大声で「誰か開けて下さ~い」と叫んでやっと3番電車に乗って帰って来られたそうです。母が無事でなによりでしたが電話をするきっかけが出来て良かったと思う。しかし、天災のおかげってのもなんですけどねぇ。またお正月に電話しよう。この度の「新潟県中越地震」で亡くなられた方々のご冥福と 負傷された方々の一日も早い快復を心よりお祈りいたします。
2004/10/23
夫の釣り仲間O氏のお誕生日なのでそのご家族とCicciさん夫婦を呼んで我が家で夕飯を食べました。「お誕生日会」です。お客さん大好きの夫が また大張り切りで前日から準備と料理を担当。あ~、毎回ホント楽チン。おかげで私もお客さん大好き!だから早く人を沢山招待できる素敵な「持ち家」が欲しい。本日のメニューは夫の作ったキムチチゲ、コチュヂャンデジプルコギ、ホーバクジョン、もやしナムル、ゴルペンイムチムO氏婦人のポテトグラタン、Cicciさんの豪華サラダ & Cicciさんお勧めベーカリーで買って来てくれた誕生日イチゴショートケーキ。私は。。。米磨いで ご飯炊きました。旅行に行ってたため、久々の辛い韓国料理が胃袋に赤く、赤くしみわたって身体がホッとした。。。私の胃も韓国人になってしまったのでしょうか。皆も「美味しい~」と言ってくれて、夫にんまり。自称「小食」で「今日は体調悪くあまり食べられない」はずのCicciさんと、ご主人も「私の炊いたご飯」をお代わりしてくれて、私もとても満足。料理上手のO氏婦人とCicciさんの持ちよりは相変わらず絶品でした。あ~、幸せ。Cicciさんは調子悪いのに朝からケーキを買いに行ってくれてありがとう。図々しいお願いして本当にごめんよ~。でも、おかげでアメリカではめったに口に出来ない上品なショートケーキが食べられました、素晴しい!O氏はしきりにうちの夫を釣りに誘ってくれますがこれ以上仕事を早く抜け出されると、妻としてはとても心配です。でもお魚食べたい。ああ、ジレンマ。。。それにしても私、部屋の明かりを落としてロウソクの灯ったケーキを囲んで♪ハッピーバースディ♪を歌ったのは何年振りかしら?主役のO氏より、私の方がドキドキしていたかもしれません。たまにはこういうのもいいわ。この夜、我が家にはゲスト用のダイニングルームなんてものは無いので、埃っぽい居間のカーペットの上に7人で寄り添って座って飲み食いしました。気のおけないお客さんばかり呼んだから出来たけど皆さん窮屈な思いさせてゴメンナサイ。ああ、やっぱり家が欲しい。働こうかな、真剣に。。。この日の料理の写真は近日中に夫の掲示板をリンクしてお披露目します~。
2004/10/22
懐かしい名前からメールが来ました。前々職で一緒に働いていた私よりすこし年上のちょっとおっとりした女性からでした。コンピュータが壊れたけど、自分では直せないので2年以上ほっておいたらしい。さすが、彼女らしいわ。やっと修理してもらってメールを開けたら未読メッセージに、私からのメールを発見したらしい。それも2年前のメールらしい。お返事が遅れたお詫びと、風の便りで私がNYに戻ってきた事を知ってる事、同じ職場だった時はいつも車で送ってくれてありがとう。親切だったkangさんの事は今でも覚えてるよ。みたいな内容のメールが英文で書いてありました。きっと日本語ソフトをインストールしてないんだろうなぁ。彼女らしいなぁ。そして2年も前に出した他愛の無いメールに律儀に返信するところも全然変わってないなぁ。私は自分が何を書いて送ったかも、送ったことすらも覚えていないのに。私たちは以前、空港で働いていました。彼女(仮にT美さん)と私は同じシフトで毎日一緒に働いていたので、車通勤だった私が彼女や他の女の子達を乗せて駅まで送っていたのです。それを仕事を辞めて何年も経った今も「ありがとう」なんて言ってくれるのはT美さんと、もう一人の女の子だけです。うふふ、嬉しいな~。実は 私はT美さんに、仕事でちょっと厳い事を言った事があって、それを折に触れては思い出し気にしています。今日はその話を書きます。この場を借りてちょっと懺悔します。T美さんが入社した頃、私はフライト・コントロールという業務をしていました。新しくキレイな娘が入ってくると、私みたいな古株で見栄えがしないエージェントは奥に引っ込んで裏の仕事に従事する仕組みになっているのです、とほほ(涙)。。。厳しい世界やのぅ。。。フライトコントロールは、オフィスの中にひっこんでフライト前後にも様々な仕事があります。そして、到着便が入り、折り返す出発便の搭乗手続きが始まると、12個あるチェックインカウンターのエージェント達から、座席変更や、アップグレード、乗り継ぎ便の予約、最終目的地の要ビザの確認、ペット連れのお客はどうしたらいいの?など諸々の細かな依頼を2本の電話で受けながら、更にラジオで各ステーションとの交信(こんな感じ↓)オペレーション(航務)「他社の便がどかないので、搭乗口変更です」メインテナンス(整備)「アッパーデッキのスクリーン壊れてます、至急お客に伝えて下さい」ケータリング(機内食)「ビジネスクラスに、ベジタリアンミール追加です」バッゲージ(預け荷物)「荷物の中で時計が鳴ってます、お客を呼び出して下さい」ウエイト&バランス(機体重心)「ローディングし直します、フライト遅延になります」ゲート(搭乗口)「ファーストクラスの搭乗開始します」アライバル(到着)「病気のお客がいます、救急車呼んで下さい」カスタム&イミグレーション(税関・移民局)「なんだか○国から亡命してきちゃった親子がいます!」なんてのも。これをフライト・ハンドリング中ずっと「○○、coming for ○○」「Go ahead, ○○」「Roger, flight control」とやりながらそれぞれに対応しているわけです。両耳には電話を2ライン持って、チェックインカウンターのエージェント達の依頼を受けながら。その間、キャビンアテンダント達がミーティングをしにやってきます。私はフライトハンドリングをしながらチーフパーサとブリーフィングをします。これプラス、チェックインしたお客の航空券が次々に私の手元にやって来て、それぞれが正しくチェックインされているか再確認をして(たまに同姓の別人がチェックインされていたり、日付変更の料金を取り忘れていたりするのです)又、チケットカウンターとも、やりとりがあります。フライトが飛ぶ先の成田からもテレックスが入ります。これらをすべて同時進行でこなすのです。私はもともと感情の起伏があまり無い方でたんたんと(のほほ~んと)仕事をするのが得意でした。皆、一度は涙する職場でしたが、私は職場で泣いた事など一度もありませんでした(私生活でも全然泣かないのよねぇ、私)。それ位マイペース。しかし、さすがの私も、イレギュラーが重なってプラスあまりに目まぐるしく、忙しく、プラスエージェントの皆があまりに協力的でない時などは、目が三角になってしまう事もあるのです。いつもは「は~い、ちょっと待っててね~」と言える事も「それくらい自分でして~」と言いたくなる日もありました。そういう日に限って、チェックインカウンターのT美さんが自分で確認出来るような、どうでもいい用件を私に聞いてくるのでした。何度も何度も。。。ある日私は「また?もぉ~、頼みますよT美さんっ!」と電話を切って、電話が鳴り響くオフィスをほったらかして自らT美さんのいるカウンターへずっしずっしと大股歩きで肩で風切って出向いて行って、「こういう時はこうです。これ、トレーニングでも習いましたよね?この件ではもう電話しないで下さいよ、ホントに。。。」と言い捨ててオフィスに戻ったことがありました。背中に「kangさんごめんね~」というT美さんの声を聞きながら。。。お客だって「なんだ今のは?」って思ったはず。。。その日は色んなイレギュラーが重なって何とか 時間通りにフライトを出さなきゃと頑張ったのに、たしかDelayしちゃったんだよなぁ。あ~あ、またスーパーバイザーのANチャンに「誰かさんがフライトコントロールだとDelayするね」って嫌味言われるなぁ、いやだなぁ。私のせいじゃないのにぃ~、んもぉ~!と思ってしまいました。そして、フライトが出た後のディブリーフィングで フライトコントローラーの私は、今日のハンドリングでの反省点を皆に話すのですが、エージェントの皆に少々キツイことを言いました。まるで、今日のDelayは私のせいじゃないよ~、と責任逃れするような事を沢山。。。(あ~、恥かしい。。。)話してるうちにちょっと興奮してきて「私がオフィスを離れて、カウンターまで行くような事はNOT NECESSARY。。。」と怖い声で言いました。自分で勝手に出て行ったくせに。言った直後、ハッと口をつぐんだけどT美さんの顔は見られなかったのよねぇ。。。ディブリーフィングは皆「早くランチ食べたい!」と思っており、私自身もそうなので、私がフライトコントロールの日は、超・簡潔で、超・短く終わらせていました。でも、この日は史上最長のディブリーフィングだったと思います(思い出しただけでも恥かしい。。。)その日も、その後もずっと、T美さんとは一緒に仕事をして、仕事の外でも遊んだりして普通に過ごしていたのですが、やっぱりあの日皆の前で、言ってしまったあの一言が気になってました。仕事を辞めて、そのうち連絡も途絶えてしまったのですが、今でも折に触れては思い出し「あ~、恥かしいよ~。でも、T美さんはもっと恥かしかったよね、T美さんゴメンヨ~」という気持ちになります。。。そんな彼女から突然のメールでした。元気そうで本当に良かった。そして全然変わってないのが文面から読み取れるよ。彼女もまだニューヨークに住んで働いているらしいから久しぶりに会いたいな。会ってちゃんと顔を見て「あの時はごめんね」って言いたいなぁ。そうしたら、このモヤモヤとした嫌な気分も無くなるかなぁ。でも、きっとT美さんの事だから「へ?そんな事あったっけ~??」って言うんだろうな。。。。
2004/10/21
フィラデルフィアから帰ってきました。夫の仕事に付いて行ったのですが私のメインイベントは YukoRNさんとみんみんパイさんにお会いすることでした。Yukoさんは、開口一番に「どうも、オヤジです」とと自己紹介されたのですが、今思うと、あの日Yukoさんはわざわざ茶色の革ジャンパーを着て「おっさんルック」でキメて来てくれたのよね。なのに私ったらご対面の興奮で突っ込みを入れる余裕が無く、申し訳なかったです(笑)。ちなみに私は「Yukoさん=江角マキコのイメージ」でしたが全然でした(笑)!ふっくらソフトな印象の方でした!みんみんパイさん、生後2ヶ月のご子息「ゆーゆー」とご主人を連れて来てくれました。ゆーゆーは写真で何度も見てるんだけど、実物はもっともっと可愛いです。みんみんパイさんご自身もかなり可愛いです。そしてご主人がとってもいいキャラクターでした。みんみんさん、ご主人ネタをもっと書くべきです(笑)そして、うちの夫と同い年なのに、あちらは非常にgood in shapeで、神様はとても不公平です、え~ん(涙)。。。しかし、Yukoさんも、みんみんさんも、私もジーンズ姿で、化粧っ気ほとんどナシ。類は友を呼ぶのだろうか。。。(あ、迷惑かしら?!)夕飯は、ベトナム&タイ料理だったのですが、みんみんさんお勧めの「ベトナム風牛刺」が絶品だった。そして、Yukoさんお勧め「カエル料理」を皆で堪能しました。うちの夫が恥かしい位、沢山食べてました。相変わらず料理の写真も撮りまくってました。私は、生まれて初めてカエルを食べましたが白身魚みたいでとっても美味しかったです。Yukoさんの好物らしいです、さすがカブトガニを「食べてみたい」と言っただけあります。。。この日はYukoさんがご馳走して下さいました。ありがとうございます~!そしてうちの夫の失言を笑って許して下さって皆さん、ありがとうございます(恥)。。。うちの夫は「おしゃぶり」という日本語を知らず自信満々に「ゴム乳」と言いました(大汗)。ああ、もう嫌。。。翌々日、みんみんパイさんは、産休明け仕事開始日初日からお昼休みに抜け出してランチを一緒にしてくれましたが本当に良かったんでしょうか。。。職場で「ウエルカムバック・ランチパーティー」なんかを企画していたら、みんみんさんの職場の皆さんごめんなさい。。。その日はベルギー料理を、みんみんさんのご主人にご馳走になってしまいました。この日は夫が学会に出ていたので、失言の心配も無く安心して過ごせた楽しいランチでした。ほっ。。。しかし、旅先に知人がいると、美味しいお店に行かれてとってもラッキーです。夫の仕事仲間たちにも大変羨ましがられました。しかし、HPでお互いを知っているとはいえ初対面とは思えないほど話が弾んだなぁ。HPをはじめた数ヶ月前は考えもしなかった事ですが今ではかなり面が割れ、次はどなたに会えるのか楽しみです。うふふ。ブックマークに joyjoyさんのHPを追加しました。しっとりと心に響く言葉が満載です。知的欲求のいい刺激剤にもなる素敵なHPで、韓国語のお勉強にもお勧めです。
2004/10/20
明日から夫の学会にオマケで引っ付いてフィラデルフィアへ行ってきます。19日か20日に戻る予定です。フィラデルフィアでは、こちらでおなじみのYuko RNさんとみんみんパイさんに会います!本日、私は 洗濯へ行ったり、銀行へお金を下ろしに行ったり、冷蔵庫の中を片付けたり、フィラデルフィアまでのドライブのため車のファンベルトを締め直してもらいにメカニックに行ったりして、忙しく過ごしました。片や、夫は本日 仕事は休みでしたが、ホテルもまだ決めてないというのにひとり呑気に釣りに行ってました。ちょっぴり、夫に殺意を抱いた一日でした。やっとこさ ホテルを予約したのは、つい数時間前です。Yuko RNさん、みんみんパイさん、ご心配をお掛けしました。。。フィラデルフィアのシティーマップを下さったロングアイランダーさん、どうもありがとうございます!ホテル選びに大活躍でした!現地でも役に立ちそうです。本日、せわしなく働く私を尻目に呑気に写真のUPをしていた夫の掲示板です。腹立ちついでにご紹介します。부대찌게틱한 김치찌게 편1.先日、近所のカーディーラーが爆発して ヘリコプターが飛び交ってました。2.爆発事故現場の写真(長島のニュースより)。3.キムチチゲの具、サムギョプサル。4.同じくキムチチゲの具、 SPA○ ←全然分からないように加工しました by 夫。5.キムチチゲ(鍋の中)。6.キムチチゲ(どんぶりの中)。7.キムチチゲ(食卓の上)。8.以前Cicciさんに戴いた手作り食パン。9.食パンをスライスしたところ。現在深夜2時です。私はこれから荷造りです。え?夫? もちろん先にもう寝てます。ムッキィ~(怒)!!!寝てる時、顔 蹴ってやる~!!次の更新は1週間後です。行ってきま~す♪
2004/10/14
(前日の日記から続いてます、長いです。)呼吸をやめた祖父の体はまだポカポカと温かく、まだ体の細胞は生きていました。そうか、まだ死んでる途中なんだね。 祖父は小さく「ア」と言ったように口を開けて眠ったような顔でした。こんなに安らかに逝ってくれてありがとう。血なんか吐きながら、胸でもかきむしって逝かれた日には、私は一生トラウマになってたかもだよ。皆がお見舞いに来た日を選んだのかねぇ。私が死に目に会えるように、仕事を休んだ日を選んだのかねぇ。母が介護疲れで体を壊す前に、逝ってくれたのかねぇ。主治医の先生に電話をして祖父の心停止を報告してから私は車でイトーヨーカドーの食料品売り場に祖父の好物だった「ちらし寿司」と「ミニ天丼」を買いに行き母と伯父と叔母と4人でお昼ご飯を食べました。私はボスに「今、祖父が死んだので明日もお休みします」と電話をいれました。直ぐに折り返し総務課から「お花と香典を送るので、葬儀場の名前と住所を教えてください」と電話がありました。「いまさっき心臓が止まったばかりで、死にたてなんです。まだ体もポカポカなんですよ。だから葬儀場も何もまだ何も決まってないんです。お花もお香典もお気持ちだけで十分です」と伝えました。午後3時に先生が来て下さり、死亡診断書を書いてくれました。だから祖父の死亡時刻は午後3時3分になっています。その時、祖父の体はまだまだポカポカでした。今朝体を拭いてくれたばかりの看護士さんが今度は祖父の体中の穴という穴に綿をつめ「ア」と開いた口を閉じるように、入れ歯を入れてから頭とアゴを押さえるように、包帯を巻いてくれました。おかげで祖父は、おたふくを患ったような姿になりました。祖父に背広を着せてやろうと思い、看護士さんに手伝ってもらいました。彼女は裸になった死んでいる祖父に「ごめんね、ちょっと寒い?」とシーツをかけたりしながら着替えさせてくれました。彼女は祖父の生前、入浴の手伝いにも通ってくれた人です。彼女は私よりずっと若い女性で、終始プロフェッショナルな仕事振りでした。ここ数ヶ月、寝巻き姿の祖父しか見ていなかったのですが死んでから やっと見慣れた背広姿の祖父に変身!やっぱり武者ん良か(男前だ)ねぇ、ぢぃちゃん!うちの祖父は「格好つけマン」だったので元気だった頃は、毎朝 私たち家族が顔も洗わず寝巻き姿で食卓についているのに、祖父だけは 必ずヒゲを剃って、整髪料をつけてアイロンのかかったワイシャツを着て朝食を食べていました。つい三月ほど前まで。伯父達が熊本へ帰り、父が仕事を早退して帰宅し葬儀屋さんを決めて、夕方に来てもらいました。介護用ベッドから祖父を降ろし、布団に寝かせてまだ暖かい祖父の体に、ドライアイスが置かれました。お腹の上と、顔の周りに。皆で大きな綿棒に水を湿らせて祖父の口元をぬぐって、俗に言う死に水を取りお線香を焚きました。祖父にお線香をあげた時はなかなか複雑な気持ちです。その後引き続き 葬儀屋さんと葬儀の打ち合わせや、遺影につかう写真を決めました。アメリカにいる妹に「一目会いに帰って来るように」言ってあり、ちょうど妹から「明日の飛行機に乗るよ、ぢぃちゃんは?」と電話が掛かってきましたが、訃報を知らせる事になってしまいました。夜、上京して学生をしている熊本の又従兄弟が祖父に会いに来ました。「背中はまだポカポカなのよ」と言うと彼は祖父の布団の中に手を入れていました。祖父が死んだ日の晩と、その次の晩、私は祖父の横に布団を敷いて一緒に寝ました。祖父の布団にもぐりこんでみたら、ドライアイスが邪魔だったねぇ。祖父の横に寝たのは何年振りだったかなぁ。祖父が死んだ翌日の朝、祖父のヒゲが伸びていました。そうか、ぢぃちゃんの細胞はまだ生きてるんだね。何かの映像で見たアウシュビッツ収容所のユダヤ人みたいな痩せこけて、鼻の高い祖父の顔に、電気剃刀を当ててヒゲを剃ってやりました。前日、看護士さんがまいてくれたおたふく包帯を外すと、「ア」と開いていた口はしっかり閉じて硬直しており、益々男前!こうして私の祖父は だんだんと、ゆっくりと立派に大往生を遂げて死んでいったのでした。確か、柳田邦男が本に書いていたと思うのですが「人間はある一瞬に死ぬのではなく、だんだんとゆっくり死んでいくものだ」と言っていました。脳死と診断された柳田邦男の次男の話でした。私も祖父を見ていて、その一節を思い出しなるほど言い得て妙だなと思いました。畳の上で、家族に見守られながら安らかに、ゆっくり、ゆっくりと85年の人生に幕を閉じた祖父の話でした。あれからもうすぐ2年かぁ。時間と共に、少しずつ乗り越えていけてるような気がします。でも、まだもう少し時間が要りそうです。祖父の死んだ年の冬、母はマンションのエレベーターで一緒になった階上の初老の女性から「大丈夫よ、あと ふた冬の辛抱よ。 私も最後の親に逝かれた時は3年かかったの、 あと ふた冬よ」とそっと言われたそうです。母は「早く元気になってね」という言葉よりも嬉しくて元気になれた、と言っていました。その女性の言葉が本当なら、私も今年の冬が終われば、祖父の死をget over 出来るのかなぁ~。夏川りみちゃんの歌う「涙そうそう」を聴くと死んだ祖父母、曾祖母が無性に恋しくなります。ん~、でも頑張って乗り越えなきゃいかんよね。あと、ひと冬かぁ。今日も、長~い祖父の思い出話を読んで下さってありがとうございました。
2004/10/13
また祖父の話です。しつこくてスミマセン。なぜかというと、もうすぐ私の最愛の祖父の命日なのです。2年前の10月16日、あの日は確か水曜日だったかなぁ。小春日和の暖かい日でした。その日、私は仕事を休みました。「どうも今日辺り、祖父が死にそうなんです」とボスに電話して。今思えばこれは虫の知らせだったのかも。祖父と最後に会話を交わしたのは、確か前の晩。好物の「オロナミンC」のビンに入れた「CCレモン」(で誤魔化していたのさ、ぢぃちゃんゴメンヨ! だってオロナミンCは高かもんねぇ)をストローで口に入れてやって「ぢぃちゃん、旨か?」と聞いたらかすれた声で「んまい」と言ったのが最後だったかなぁ。もう半分意識が無かったよね。目も見えてなかったよね。痰がからんで苦しそうだったのに無理矢理 ご飯食べさせて悪かったねぇ。祖父の介護は、入院していた都立病院の若い先生に「ご家族やご本人のためにも施設に入れたほうが楽ですよ」と勧められ、やっと決心して 一度は祖父を老人介護施設に入れたのですが、人形のように扱われる祖父を見ていられずまた一点を見つめるだけの他のお年寄り達や、そこの施設の雰囲気に絶えられず、「大変なのは覚悟の上です」「たとえ命を短くしてしまっても後悔しません」と言って2週間で在宅介護の準備をして祖父を引き取ってしまったのでした。在宅介護の準備とは、自宅の家具を移動して介護用ベッドをレンタルしたり、介護用トイレの購入、車椅子のレンタル、お風呂場の手すりの取り付け等でした。準備のために骨董品だった40年物のエレクトーンを処分。しかし、施設にいた2週間で祖父はすっかり祖父ではなくなってしまいました。施設に入れた初日は、介護士さんの腕をわっしと掴み抵抗していた祖父も、翌日母が見舞いに行くと体と両手両足をベルトでベッドに固定され、オムツをつけられていました。驚いて「ぢぃちゃん、ごめんね。準備が出来たらすぐに家に連れて帰るけんね」と言う母に、祖父は 頭の上の窓の空をポカンと見つめたまま「人生こんなもんたい」とかすれた声で言ったそうです。あ~、本当にごめんよ~、ぢぃちゃん~!ひどい仕打ちを許してね。。。あの日、ぢぃちゃんは自分を捨てたんだよねぇ。そうせんとやってられんだったんだよねぇ。それから とたんに、母や私のことすらも「あなた、どちらさん?」と聞く様になってしまったのよねぇ。。。本当にアッという間だったよね。祖父を自宅に連れて帰ってきてから確かに母は寝る間も無く大変だったけど、目の届くところに祖父がいてくれる方が私も母も安心だったし、嬉しかったなぁ。あの時、祖父は「家に帰って来た」のが分かっていたのかな。。。祖父を引き取ってから3週間が過ぎようとしていました。母も私も「長期戦になるかもしれんね」と言っていました。というのも、祖父は85歳でしたが、その祖父の母は93歳まで生きており20年前に息子である祖父自身が1年半の在宅介護をして自宅で看取っていたからです。私は、母の体がもつか心配でした。その日は、朝から看護士さんが祖父の体を拭きに来てくれました。若い女の看護士さんは「○○(祖父の苗字)さ~ん、今日はポカポカ暖かいですね~」と祖父に声をかけながら仕事をしてくれました。しかし祖父は無反応でした。もうあの時、ぢぃちゃんは逝く途中だったんだよね。彼女が帰った後、東京在住の祖父の甥っ子(母の従兄弟)が、祖父の妻の兄の嫁であるおばあちゃんを引き連れて、お見舞いに来てくれました。祖父の呼吸はもうとても浅くなっていました。でも「滋養がつく」と言ってもらったお土産の蜂蜜を私はまた無理矢理口に入れてやりました。(あはは、ぢぃちゃん本当にゴメン!)二人と入替わりに、熊本から、祖父の甥っ子(母の従兄弟)が奥さんを連れてお見舞いに来てくれました。彼らとしばらく祖父の昔話をしていました。私の祖父に育てられた伯父は、子供の頃蚊帳の中で祖父にせがんで聞かせてもらったという「宇宙船に乗って大気圏を脱出!月を一周りして火星へ衝突しそうになって云々云々」という祖父お得意のホラ話などを話してくれました。母が「あ、息しとらんばい」と祖父に気付き、私が近寄ると、祖父はまだかすかに息がありました。心臓に耳を当てると、もうほとんど心音は聞こえず脈も弱くて感じ取る事は出来ませんでした。「ああ、ぢぃちゃん、今死んどっとだねぇ」「お~い、ぢぃちゃん、聞こえるね~?」と皆で声をかけました。この時、祖父は俗に言う「脳死」状態だったのかなぁ。母が祖父に「お父さん!」と声を掛けました。母が祖父を「お父さん」と呼ぶのは20数年ぶりくらいに聞きました。母は続けて「頑張れ!!じゃかなった。。。もう頑張らんで良かよ、早よ楽になりなっせ!」と祖父の耳元に言いました。私は最後の呼吸までしっかり聞いてやろうと祖父の口元に耳を寄せました。浅く浅く息を吸う度にアゴが動きました。つけていた酸素マスクは外してやりました。胸に耳を当ててももう心臓の音は弱くて聞こえず血圧や血中酸素濃度は低すぎて測定出来ず、午後1時ちょっと過ぎに完全に呼吸が止まりました。母は「(既に他界している)お母さんとお兄ちゃんに宜しくね~。アタシもその内行くけんね~。」と言っていました。私は祖父の頭をなでながら「ぢぃちゃん、お疲れさん。また会おうね。」と声に出さずに言い、母の腕をさすり今度は母に「お疲れ」と声を出して言いました。伯父は男泣きに泣き崩れていました。母の従兄弟達は、皆、私の祖父に育てられたのです。「自分のおやじやお袋が死んだ時は泣かんだったけどねぇ」といいながらチ~ンと鼻をかんでいました。次回へ続きます。
2004/10/12
またHPに書き込みして下さる方とご対面でした。今日はmiumiuさんです。長島在住仲間の輪が広がっていくのが嬉しいわ~。うちが行きつけのインドカレー屋さんの近くにお住まいとの事で、カレーもご無沙汰だったのでそのレストランでお会いしました。10ヶ月のお嬢さんも連れて来てくれて美人親子に思わずうっとりでした~。miumiuさんも、私と全く同じ原因の不妊だったそうですが、ご結婚6年目で可愛い可愛いお嬢さんを授かったそうなんです。そんなお二人を目の前にしてると、私も希望が湧いてきて、胃の調子が悪かったのになぜか食欲も湧いてきて、カレーの味も格別でした!お嬢さんが あんまりにも可愛いので「赤ちゃんモデルになれそうですね~」なんて言ったら「実は先日スカウトされて、今日はこれから 面接に行くんです」との事。おお~!や~っぱりねぇ~~!!!だってホントにすっごく可愛いもの~!絶対に活躍して欲しいわ~。話はちょっと反れますが、アメリカでは大手チェーンスーパーのチラシなんかでも見開き2ページに、必ず一人以上 白人以外のモデルが載ってます。それは、黒人だったり、ヒスパニックだったり、東洋人だったり、アラブ系だったり。子供服のセールのチラシなんか見てると肌の色が様々なちびっこが勢ぞろいで見てるだけで 可愛くて 飽きません。最近は車椅子に乗った子や、ダウン症のハンディキャップトの子供なんかもモデルとして出ているのを見ました。私はいつも呑気に「アイゴ~、可愛か~」なんて見ているだけですが、チラシ一枚作るのにも 多人種の国、アメリカって大変なんだなぁ。miumiuさんもうちと同じで在米組との事なので末永く仲良くして頂いて、うちも早く子供を授かって可愛いお嬢さんに お友達になってもらうぞ~。頑張るぞ~!miumiuさん今日は本当にありがとうございました~!お昼を食べた後、インドカレー屋からすぐの夫の職場に呼ばれて行って来た。明日、consultationの予約が取れたらしい。早速 不妊治療開始です。病院の皆に「あら、kang元気~?」と声を掛けられても、ここ最近 夫が釣りに行くために早退ばかりしているので、大きな顔して「元気よ~」なんて応えられなかったです(汗)。。。どうか、私の治療が終わるまで夫がクビになりませんように。。。って言うか、釣りに行くために早退するのやめてよね。。。
2004/10/11

いつも書き込みをして下さるまめさんご夫婦とご対面でした。まめさんのご主人も釣り人という事で釣りに付き合って頂きました。うちの夫が「釣り仲間が増える」と大喜びなのは言うまでもありません。Cicciさん夫婦と、先日知り合った若い韓国人夫婦の旦那さんと坊やも揃って4家族で釣り大会。韓国の奥さんは今日は用事があって不参加なのに皆の分のサンドイッチをご主人に持たせてくれました。若いのにホントに立派、頭が下がります。うちは手ぶらで行ったのですが(汗)そのサンドイッチに、まめさんのおにぎり、Cicciさんのビーフンと、皆さんのお弁当を分けてもらってお昼を済ませてしまった。あはは~、幸せ~。ご馳走様です~!しかし、長島の浜で東洋人8人がお弁当を食べる様はかなり不思議な光景で、思わず写真に収めてしまいました。でもねぇ、こうして皆で食べるととっても美味しいのよね。釣りのほうは、私はず~っと見てるだけでしたが今日は若潮で皆さんよく釣れてました。まめさんはスティーマークラムをバケツ一杯採ってました。名人でした(笑)。子供は皆に「かわいい~!」を連発され今日もわんぱく振りを大発揮。これは一瞬だけ大人しく夫の横にチョコンと座っていた時の図。同伴のアッパ(パパ)が放任主義なのでうちの夫がアッパみたいだったわ(笑)。帰りしなは、またもや濃厚なチューを今日はほっぺだけで良かった。。。大人数で釣りに行くのも楽しいねぇ。釣らない私が雰囲気だけで これだけ楽しめるんだから釣ってる皆さんはもっと満喫してるのよね。帰宅後、まめさんはご主人がさばいた魚の写真をメールで送ってくれました。「鯛は初めて」らしいけどこれも名人級だわ。。。うちは昨日夫が釣ったスズキとブルーフィッシュのアタマで「かぶと焼き」をしました。これはCicciさんに教えてもらったのですが、そうよ、鯛じゃなくても出来るのよ!これは食べ応えありです。あ~、毎日 魚ばっかり食べてるぅ。なんか そのうちエラ呼吸し始めそうな勢い~。********************ジュノッパことjune17thさんのリクエストにお応えして、前日食べたスズキ(ストライプバス)の刺身です。
2004/10/09

いつもパン作りを教えてくれる方のお宅へCicciさんと行って来ました。前回「肉まん&あんまん」だったのですが今日はアップルロール。リンゴの季節だもんねぇ昨日に引き続き、秋だねぇ(しみじみ)。ちなみに、我が家から30分程車を走らせた某所にタダでリンゴ拾いが出来る場所があります。去年はそこで袋いっぱいリンゴを拾ってジャムやらお菓子やらを作りました。長島っていい所です。今日、リンゴを煮たりの下準備は先生が全部やっておいてくれました。いつも場所と材料を提供してくれて親切で教えてくれて、ランチも振舞ってくれて後片付けも全部お任せで、感謝感激なのです。私は本当に隣人に恵まれてるわ。いつもはパン生地の手ごねで力尽きるのが今日の生地は、あまりこねなくて良いとの事で出来上がりはこんな↓感じ。アイシングにはレモンの絞り汁を入れるとさっぱりして更に美味しいそうです。いつもホントに勉強になります。パンが出来上がって、先生とCicciさんと3人でもんじゃ焼きを食べながら雑談していると朝から釣りに行っているうちの夫から電話。「大変なことになったよ」またですか。。。。「巨大なスズキが釣れたから 今夜はスズキの刺身パーティーだよ」との事。そこで、一旦帰宅して、大慌てで夫と魚をさばいて、先生宅へまた集合。今日の夫の成績:スズキ(ストライプバス)1匹ブルーフィッシュ1匹、鯛6匹。大変よく出来ました。先生家族(実はいつもの釣り仲間さん家族)とそのうちの家庭教師をしてる学生君とCicciさん夫婦と、うち夫婦で夕飯。大勢で食べるとまた美味しいわ。しかし並んだ料理が豪華だった。いったい何品あったんだろ。。。最近、恐ろしいほど食欲旺盛の私にあの食卓は危険でした。↓Cicciさんはチーズフォンデュを持参してくれました。私は昔食べたチーズフォンデュの強いワイン味でべろんべろんに酔っ払った 大変情けないトラウマがあったのですが、そんなお子ちゃまな私用にCicciさんはワイン少な目で作ってくれてこれが劇的に美味しかった!もうすっかり大好物!おかげで食べ過ぎました。食後も話が弾んで(皆さんはお酒も弾んで)お宅をあとにしたのが深夜1時近かった。布団に入っても、お腹がパンパンで眠れない。ああ食欲の秋。。。
2004/10/08

うちのすぐ近くの大通りにイチョウの樹があります。そこで、銀杏拾いをした知人が、果肉を取った後の銀杏の実を分けてくれました。早速「塩炒り銀杏」にしていただきました。う~ん、秋だなぁ。。。(しみじみ)夕方、ロングアイランダーさんがご主人と遊びに来てくれました。皆で、夫の作った「韓国焼肉」を食べました。ロングアイランダーさんのご主人はアメリカ人なのですが、白米はもちろん、わかめスープも、焼き豆腐も刺身も、チョゴチュジャンも全然問題なく「美味しい、美味しい」と食べてくれてああ、助かる~。うちに来てくれるアメリカ人のゲストは皆さん何でもよく食べてくれて本当に助かるわ。夫の職場の仲間は「キムチ」や「梅干」も食べてくれる。(無理させてたらゴメンナサイ~)そういえば、ロングアイランダーさんのご主人は初めて会った時、ラッキョの漬物をカリカリ食べてたよなぁ、「アンコウ鍋」も好物らしいし。。。ぷぷぷ!焼肉もかなり大目に用意しておいたけどほとんど食べてくれて、仕込んだ夫は「作った甲斐があった」と喜んでくれるし、お客さんも「美味しい」と喜んでくれるし、私はとっても嬉しかった!焼肉の陰に隠れて存在感が薄かったけどなかなか旨かった今日の夫の手料理はこのムール貝の煮物でした。せっかくなので写真を載せます。相変わらずスイートなご主人でした。よく食べて、よく笑いました。皆で話が弾んで、時間が経つのがアッという間でした。しかし、これだけアジアの食材を問題なく食べてくれる旦那さんだと、奥さんも助かるだろうなぁ。うちは、夫が韓国人のくせに「ニンニクがダメ」だから、韓国料理好き日本人の妻(私)が困ってるというのにさ。。。ニンニクの効いた韓国料理を食べさせてよぅ!
2004/10/07
午後、日向で正座して日向ぼっこしていたら「それ、どうしたの?!」と夫が私を指差しました。指差した場所は私の「もも肉」。あらっ?!どうしたのかしら、これ?!こんなモノ持ってたっけ、私?正座してるお尻ともも肉が、横にはみ出してるよ、おほほ。。。私はゆったりした服しか持ってないから今日まで全然、気づかなかったわ。でも、まぁいいか。懐かしいわ、この肉。留学生時代は本当に太ってたからなぁ。そういう年頃でもあったし、大学のカフェテリアはアメリカンフードのオンパレードだったし。無謀にも二重専攻にしたおかげで、勉強三昧の毎日でそれでも課題が終わらず、不安で眠れなくて睡眠薬代わりに毎晩インスタントラーメンを食べて寝てたのよねぇ(なんでよ?)、あはは~ん!何を隠そう、67キロ(公式記録)まで太ったのよね~。もう別人だったわぁ。同じ寮の留学生仲間のY子ちゃんと、「kangが70キロ、Y子が60キロを超えたら 私達、友達やめよう!」と言って一緒にダイエット宣言もしたなぁ。なのにY子ちゃんは、アッという間に60キロを超えてしまったんだよね。日本に一時帰国した時は、友人達に「Bigになって帰っておいでって言ったけど、 そういう意味じゃなかったのに。。。」と言われたんだよね。懐かしい「太っていた頃の思い出達」。。。ここ数週間で急に寒くなったらから、身体が冬眠の準備をはじめたのかしら?うちの夫もお腹にかなり貫禄がついてきたことだし、運動したほうがいいかなぁ。でも、寒くて嫌だなぁ。。。そしてご飯がとっても美味しい今日この頃。。。
2004/10/05

先日知り合ったばかりの若い韓国人夫婦に釣りに誘われました。夫はまた仕事を早く切り上げて、出掛けました。(本当に大丈夫なの~?)今日は3歳の坊やを連れて来てくれました。こいつが「わんぱく坊主」で可愛いかった!奴は「ヤ!」「アンデ~!」「ハジマ~!」と怒鳴られてばかり。おかげで私の貧しい韓国語ボキャブラリーにこの3フレーズが加わりました(笑)。向こうの奥さんが、お昼のお弁当を作ってきてくれたのですが、↓キンパプ(海苔巻き)と、↓うちの夫の好物オジンオ(イカ)と、↓私がリクエストしたチャプチェも! (やっぱりコプチャンはダメらしい。。。)ご丁寧に水筒にはコピ(ホットコーヒー)まで!いい奥さんだわ~!若いのにエライわ~!お料理もと~っても美味しかった。彼女は私の事を「ワイプ二ム(wife様)」と呼ぶのをやめて「オンニ~(お姉さん)」と呼んでくれました!おおお!これは効きます!韓国の男性が「オッパ~(お兄さん)」と呼ばれると、スイッチが入ると言いますが、その気持ちが分かりました。「オンニについて来い!」という気になるねぇ。しかし、彼女の方が私より全然しっかりしてるのよねぇ(汗)。。。ところで、子供は私の事を「ヌナ(お姉さん)」と呼んではくれずに「コモ(おばちゃん)」と呼ぶのね。。。いいのよ、いいのよ。。。「アジュンマ」と言わないだけマシよ。旦那たちが魚と格闘している間彼女とず~っと喋っていたのですがなにせ、私の韓国語のお粗末さといったらもう。。。全然、お話になりません。。。よく我慢してくれました、コマウオ~(涙)!わんぱく坊主と私は一緒に「올챙이와 개구리(オルチェンイワ ケグリ / おたまじゃくしはカエル)?」を歌いました。(↑サイトを開いて歌詞の右下にある 再生ボタンを押すと、可愛い歌が聞けます)コモはね、本当はこの歌の踊りも踊れるんだよ~。ちなみにこの歌↑ちょっと前に韓国で大フィーバーだったそうですが、長島のkang家でも大フィーバでした。夫婦で歌って踊ってました。帰りしな、わんぱく坊主が「コモ、アンニョ~ン」と抱きついてきて、濃厚なチューをしてくれました。そして車に乗せたら、また「コォ~モォ~!」とまた車を降りて飛んで来て、再び濃厚なチューを、今度は口に「んぶっちゅう~」っと、アイゴ~!こんなジューシーなチューを子供がしていいの~?!儒教の教えは何処へいったの~!?さっき君が食べてた「Skittles」(お菓子)の味がしたよ。こんな、いとも簡単に唇を奪われてしまってウブなコモはちょっとショックだったよ。。。(汗)帰りの車中「あいつ、僕にはポッポ(チュー)してくれなかった。。。」と、夫が妬いていました。ははは。。。↓夕飯は、今日お土産にもらった彼女の手作り キムチ、ジャコ、マンドゥ(餃子)、チャプチェ、 キンパプを戴いた。今日も料理せずに済んだ、ヤッタ~!また料理上手な知人が出来て、私ってなんて幸せ者~!!しかし、今日「韓国語環境」の中で覚えた語彙って「ヤ!」「アンデ~!」「ハジマ~!」だもんね。。。シオモニ(夫の母)には使えないよ。はぁ~、韓国語習得の道は長いです。
2004/10/03

しばらくサボってる間にもう10月?!光陰矢のごとしです。。。この日は夫の休日だったのですが、私は医者の予約があった。「一緒に行こうか?」と聞かれたけど「いいから釣りでも行っとき~」と送り出しておいた。医者では先生と 先月の検査結果の話をして不妊治療に進むことが決定。またも一歩前進、頑張るぞぉ~!医者から帰って来ると、「大変なことになったよ」と夫からの留守番電話が3件入ってました。何事かと思ってドキドキしながら帰宅を待っているとこんなもの↓を担いで帰って来た。↓ブルーフィッシュを全部で6匹 (写真は無いけどタイも釣れた)「もっと釣れたけど、持てないから逃がしてきた」そうです。ええ~、私ならエラにひも通してでも引きずって来るのにぃ!あんた、そのうちきっと竜宮城から招待状がくるよ。しかし、さすがに夫婦二人では消化できないのでウロコとワタだけ掃除して、ご近所に配って廻りました。でも、こんなモノもらっても返って迷惑だったかもねぇ。。。なのに皆さん、お返しにもっといい物を色々くれてCicci家にはお寿司の素とキレイにアレンジされたお花まで頂き「わらしべ長者」状態で帰って来ました、ラッキー!あはは~♪ (Cicci家、翌日から旅行なのにごめんね~!)うちの冷凍庫も魚でパンク状態です。でもぜんぜん食べ飽きないです。私は絶対に竜宮城へは行かれないと思います。。。******************「文字の表示サイズ」ってどこで変更できるんでしたっけ??見つからないです~(涙)。。。
2004/10/01
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