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「1.雲は沸き光あふれて天高く純白の球今日ぞ飛ぶ 若人よいざまなじりは歓呼に応えいさぎよしほほえむ希望ああ栄冠は君に輝く 2.風を打ち大地をけりて悔ゆるなき白熱の力ぞ業ぞ 若人よいざ一球に一打をかけて青春の賛歌をつづれああ栄冠は君に輝く 3.空を切る球のいのちにかようもの美しく匂える健康 若人よいざ緑こき棕梠の葉かざす感激を瞼に描けああ栄冠は君に輝く」というお馴染みの小関裕而がっ作曲した夏の全国高校野球選手権大会の大会歌である「栄冠は君に輝く」が今年は甲子園球場では聞く事が出来なくなった。今年の2月半ば辺りから発生したウィルス感染騒動の煽りを受けて開幕したばかりのJリーグは中断してプロ野球はオープン戦を無観客試合で行った後開幕が延期されたままで大相撲は大阪場所を無観客で行って、春のセンバツ高校野球は戦争以外の事由では初の中止となってしまった。本来の3月末頃には甲子園球場では「新しい季節のはじめに新しい人が集いて 頬そめる胸のたかぶり声高な夢の語らい ああ甲子園草の芽萌え立ち 駆け巡る風は青春の息吹か 今ありて未来も扉を開く今ありて時代も連なり始める 踏みしめる土の饒舌幾万の人の想い出 情熱は過ぎてロマンに花ふぶく春に負けじと ああ甲子園緑の山脈 たなびける雲は追いかける希望か 今ありて未来も扉を開く今ありて時代も連なり始める ああ甲子園緑の山脈 たなびける雲は追いかける希望か 今ありて未来も扉を開く今ありて時代も連なり始める 今ありて時代も連なり始める」という阿久悠作詞で谷村新司作曲のセンバツ高校野球の大会歌である「今ありて」を聞く事も無く折角出場を勝ち取った球児達には無情の大会中止になった。春の大会が行われなくなった時に多くの球児気持ちを達は「春が駄目だった分は夏で絶対に勝ってやろう!」と気持ちを切り替えていた筈なのにウィルス感染騒動が予想外に長引いたせいで夏こそはという意気込みも大会中止の結論にはどうしようも無くなった。特にこの年が最後となる3年生には辛い1年となってしまったがそれまでの努力は決して無駄には終わらないし高校野球は終わりになってもその先には大学野球・社会人野球・独立リーグ・プロ野球・大リーグと進むべき道は幾らでもあるので気持ちを切り替えて頑張って欲しい。春夏と続けて甲子園球場での高校野球が開催されない事で西宮や芦屋近辺の常宿の旅館も球児達が来ないので経済的損失があるし、球場から中継して試合の内容を伝える毎日放送・朝日放送・NHKでは若手の実況アナウンサーの修行の場でもあるのだが彼らの活躍の場も奪われてしまっている。ここへ来てプロ野球やJリーグは当面は無観客ながらも公式戦の再開の話が具体化されつつあって高校野球でも違う形での代替え大会で球児達の活躍の場を提供して公式記録扱いにしようという動きもある。とにかく今の時点で言える事は球児達に何らかの活躍の場を与えてやって欲しいという一言に尽きる。「今年は春の選抜に続いて夏の全国大会迄も中止になるとは思わんかったし春の阿久悠&谷村新司作の『今ありて』に続いて夏の小関裕而作曲ので。『栄冠は君に輝く』も聞かれんとは作曲者の小関裕而も嘆いてるで。」
2020年05月20日
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天気予報で今週から日中の気温が30度を超える夏日になるとの事で厚さを感じたらすぐに冷房対応が可能な様にとまだ間に合ううちに家電製品の入れ替えを行ってしまおうと考えて、台所と寝室に置いてある電気ストーブを収納して代わりに台所へ置く扇風機を取り出して溜まっていた埃を拭き取って設置して早速スイッチを入れて使用を開始した。次に寝室で使用する冷風機から冷却用のパーツを取り出して洗浄して冷凍庫で冷却してその間に冷風機本体の吹き出し口周辺の埃を拭き取て下部の引き出し状の水タンクに水を入れて後はいつでも冷却しているパーツを水タンクに入れてスイッチを押せば稼働出来る様に準備は完了である。近年は季節があっと言う間に切り替わるのでうっかりしていて気温が真夏日モードになっているのに気付くのが遅れてあわや熱中症という事になりかねないのでくれぐれも用心の為に冷暖房の切り替えは早い目にである。「思い立ったが吉日とあるけどやっぱり早目に動いて正解やったな。とにかく日中が暑なって来たから取り合えずはセーフやな。」
2020年05月11日
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5月4日は2015年の12月21日に逝ってしまった亡き父の誕生日である。大正生まれで第2次世界大戦時には海軍での兵役も経験して終戦後にはGHQの米軍キャンプでコックらしき業務を経て神戸に戻って港湾の仕事に就いた後長らく大型トラックの運転手として北は青森県から南は鹿児島県へと配送に挑んで、定年後は時折台所にも立って炊事もこなして晩年には持病を抱えた自分の介助もしてくれた父が亡くなってからもう5年半になる。軍隊を経験しているだけに人に弱みを見せる事が皆無だった父は息子である自分の面倒をみなければという使命感があったのか、診療所へ入院する直前迄気力で家事をこなしていたが弱り切った状況を見てヘルパーは入院させるという断を下してその日から実質のひとりぐ独り暮らしが始まった。今更になるが炊事が出来る父だったのもあってついつい自分も食事の段取り等を父に頼ってしまっていて面倒を掛けっ放しであったのが悔やまれる。その直後に自分も市民病院に入院して手術を受けてその4日程後に診療所に入院している父が亡くなったとの知らせを受けて、外出許可の配慮により斎場での見送りを済ませて戻り年末年始を病院で跨ぐ事になって帰宅後から本格的な一人暮らしに突入した。必要に迫られての炊事であったがいざやってみれば何とかなるもので、当初は失敗続きだった豆腐のハンバーグもそこそこ出来る様になって来てるしカレーはスッカリ手慣れた感じでブリの照り焼きやお好み焼き(関西風と広島風のどちらも)も作っている。自分が甘党な事もあってプリンやホットケーキなども作るし焼き芋もしゅっちゅう電子レンジで焼いて食べている。炊飯は父が夕食後に食器の片づけをし始めた頃に手伝いながら米を研いで炊飯器でセットするのを習いながら引き継いで覚えたのを父もみていて安心して逝けたのかも知れない。2016年の退院後からは栄養不足にならない様にとご飯には雑穀米を混ぜて炊いている。父は生前に「お金を貰う料理は作らんけど家で食べるおかずは作る。」と言っていたが、今となっては父の作った昼食兼夕食用の肉じゃがが懐かしい。目下のところは朝はヘルパーさんに朝食を作りに来て貰ってるが昼と夕方はどうにか自炊してやり繰りしていて、カレーやお好み焼きやデザートも作ってはいるけど大抵が2人前の容量で出来てしまうので一緒に食べてくれる女性が居ればいいのだが。(苦笑)「お父ちゃんが逝ってからもう5年半経ったんやなぁ、あれから一人暮らしになってどうなるかと思うたけど取り合えずどうにかやっていけてるで。流石に肉じゃがはまだよう作れんけどな。(苦笑)後は誰か嫁さんになってくれるもの好きな相手がおらんもんかな。」
2020年05月04日
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