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私の毎日の日課として、朝、次男坊を学校に連れて行って そのまま30分ぐらいウォーキングに行く。 今日もいつもと同じように、次男坊を学校におろしてから ウォーキングに行った。 学校から、そこのご近所さんを通って、ガラガラ蛇山へ抜けるウォーキングパスを歩いていた。 気がつくと、向こうからおじさんが2匹の大きな犬を連れて歩いてくるのが見えた。もちろん、犬用の紐につながれている そして、その横には、またその犬達より大きな体重50キロはありそうな シェパードが犬用の紐をつけてはいるのだが放し飼いにされている。 いやだな~~と思った瞬間!その50キロはありそうなシェパードが私をめがけて突進してくるではないか... あ~~くる~~って思った。恐怖が体を走った。 私は自分のうちで犬は飼っているものの、とりわけ、犬が好きだとか扱いに慣れているというわけではない 案の定、その犬は私に飛び掛ってきた。私は、昔旦那に言われたとおりにさっと一足後ずさりをしてその犬に背中をむけた それに気がついた飼い主のおじさん、向こうから走ってくるのが見えたその犬は相変わらず、私にジャンプしてくる。 やっと追いついてきたおじさんが、その犬の鎖をつかんで私に向かって ”ソーリー...この犬はまだパピー(赤ちゃん)だから” 私は、恐怖で心臓どきどきだったから足早でその場を去ったのだけれど、そんな言い訳ありますか??? この犬はまだパピー(赤ちゃん)だから だからって言って、公共の場で鎖につながずに歩いていいのですか???もし、私が心臓の悪いお年寄りだったらどうするんですか?ここは、ストローラーに赤ちゃんを乗せたお母さん達もウォーキングに来るんですよ何かあったらどうするんですか?? 家の妹は小さいころに一回犬にかまれたことがあるらしくてそれ以来、犬恐怖症だった。コレがうちの妹だったら、パニックを起こしていたに違いないなんても思っていた。 お願いしますよ~~~ みんな、あなた達みたいに大人で犬が好きな人ばかりではないんですよ。子供だって、お年寄りだっているし、犬を怖がっている人だって犬が嫌いな人だっているんですよ。 こんなこと、1回や2回ではない前は、家の愛犬マックスをつれて散歩していると、家の柵を乗り越えて、そのうちの犬がマックスに向かって突進してきた。はっきり行って、心臓が飛び出すほどびっくりした。その人たちの言い訳も”ごめんね..この犬まだ 子供だから...” お願いしますよ~~~ 今日のウォーキングの帰りには、おばあさんと、小さな子供が、犬用の鎖ももたずにそこのウォーキングパスを歩いていた。 またですか??? 人が来ると、そのおばあさんはその犬を自分のほうに呼び寄せその犬の首輪をつかんでいたが、私の前に別の犬を連れたおじさんがやはり歩いていたのだが、おばさんの犬は、そのおじさんの犬に ジャンプして飛びかかっていたおばさん、その犬に振り回されていた お願いしますよ~~~ そうかと思ったら、川の向こう側にやはり2匹の大きな犬を連れた女の人が犬を散歩させていた。1匹は鎖につないでいたのだが、1匹は放し飼い...それでもって、その両方の犬がそのウォーキングパスの真ん中に大きなおとしもの(大きなうXこ)をしているのにその飼い主は...無視...それを始末する袋さえもっていない どうなっているんですか??? お願いしますよ~~~ 犬を飼うんだったら、ちゃんと責任を持って飼って下さい あなたがそんなことをしていると、あなたの子供は 犬を散歩に連れて行っても、 おとしものの世話はしなくてもいいもんだって思いますよ 先日まで日本に帰っていたときに、テレビのニュースで いじめで自殺した男の子のニュースがテレビに何回も入っていた。 聞くところによると、その子の前の担任の先生から率先して その子をいじめていたというではありませんか.. あいた口がふさがりませんでした。 私と母の意見... 今のこの世の中...年をとれば大人(常識のある人)になるという 昔の考え方は通用しないんでしょうね。 かといって、私がどんなに立派な人間かなんて、そんなことはありえませんし 私だって、完璧な人間ではありませんが とりあえず、他人に迷惑をかけるようなことはしていないつもりです 人様に危害を加える可能性のあることはしていないつもりです ある程度は、周りの人たちのことも考えて行動しているつもりです お願いしますよ~~~ 私らみんな、同じ場所で生活しているんですよね もうちょっとだけでいいから、周りの人のこと考えてくださいよ~~ お願いしますよ~~~ それとも私は少しうるさすぎですか???
2006.10.31
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日本から帰ってきての最初の週末でした。 先週は何と子供たちがどちらとも、秋休みで、 それでもって家の旦那もいきなり家で仕事をするはめになって 本当に邪魔とは言わないけれど...旦那と子供たちと24.7というのも ちょっときついかな??? (これって贅沢な悩みですかね...) それでも私は、たまっていた洗濯をしたり、 ほこりでまっ白になっていた家具のほこりをきれいにしたり、 それから、私が行ってからいちども掃除機なんてかけてなかったんじゃないかっと 言う疑問を胸に家中に掃除機をかけたり、 それでもって、 冷蔵庫の中のものを見て、 フードパントリー(食品を入れておく棚)の中を見て、 そのほかの家のものを点検して、 まあ...在庫整理のようなもんですね... スーパーへ買出しにも行ってきました。 子供たちへは日本から電話したときに、 帰ったらすぐハローウィーンの衣装を買いに行くから なにになりたいか決めておきなさいって行っておいたので、 今週は早速子供たちをつれて衣装を買いにも行ってきました。 長男くん...なんだかわからないけど怖い人.. 次男坊...スターウオーズのダースベイダー... だとサ...今年は... そうしているうちに、今週の木曜日... 朝起きると吹雪きなんです...さむ~~~ (あきぶーちゃんの日記を参考にしてください) その雪は、夜中から降り始め、 木曜日の午後まで続きました。 40CMぐらいふったと思います。 その日私は、歯医者へのアポイントがあって、 旦那に頼み込んで送ってもらいました。 だって、こんな雪で私は自分の車なんて運転できません!!! けれども、子供たちは朝から、友達のうちに行き あの吹雪の中、そり遊びに没頭し、 帰ってきたのは6時過ぎ... 子供のパワーってすっごいですね けれども、そこは現地の人に言わせれば、 ここコロラド特有の気候、 金曜日、土曜日ともに気温は60Fぐらいまであがり、 外は真っ青な快晴...雲ひとつないいい天気でして、 次の日には、道路なんて雪は残ってはいないし、 今日の日曜日もとってもいい天気で、 すでに90%の雪は溶けてなくなりました。 さっすが...コロラド... それから、私が帰ってきてからやたらに子供たちが 私のお尻の後ろくっついて歩くのです。 カウチにて座ってテレビを見ていると 右側から長男くんが...左側から次男坊がひとの腕を持ち上げて すりすりしてきます。 夜、寝ていると5時ぐらいになると必ず 次男坊が私の布団の横にもぐりこんできます。 ごめんね~~~きっとこの3週間寂しかったんだよね... だから、私もいつもよりやさしくしてあげているつもりです。 そして、家の旦那も、なんだかいきなり天使のようになってしまいました。 母のことを旦那に話していたら、 ”ママさんもきっと一年目は大変だと思うから、 年が明けたらもう一度行ってあげれば??? それから、もう一回4月ぐらいに行ってあげて、 そして、夏に子供たちをつれて行けばいいよ 3週間はきついけど、1週間ぐらいなら 僕ひとりで子供たちを見れるよ” だって... どうしたんでしょう...あのけちな旦那が... だけど、これは旦那の気が変わらないうちにと思って、 母にはまだ言ってないのに、 ”ハニー...お母さんがすっごく喜んでいたわ... ほんとうに本当にありがとうって言っていたわ...” と...行っておきました。 これで、男に二言はないだろう..ふふふ... それに、彼は昨日の夜、私の友達の主催する ご近所さんポーカーパーティーに行って $200.00勝ってきたらしい... そうしたら... ”君もここ最近大変だったし、 僕が払ってあげるからマッサージでも行っておいで’ だって. どうしたんですか???この人... だけど、気が変わらないうちにと思って 早速予約を取って ”ハニー...1時間45ドルだけどいいかしら?” ”SURE!!!” ということで、またもや恩恵をこうむってしまった私でした。 なんだか、たった3週間離れていただけなのに、 こんなに男どもにやさしくされるのなら 私はもっと彼らをおいてどっかへ行くべきなのかしらと 思わざるを得ないんですけど... だけど、おかげさまで今週末はゆっくり過ごせました。 まだ...パンプキンカービングはしてないけど...
2006.10.30
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突然の3週間の日本への帰国からやっと帰ってきた。 どうやら、うちの3人の男どもは飢え死にだけはしていなかったようだ 本当は、2週間で帰ってくる予定だったのだが、 いろいろしなければいけないことがあって帰国を1週間延ばした。 変な話、父がいきなり死んで、 もちろん悲しくて悲しくてしょうがなくって、毎日泣いてばかりいたのだが、 そうしてばかりもいられなかったのが現実だった。 ひと一人がこの世を去るのってこんなに大変なんだって思った。 まず、お通夜やお葬式の手配... うちの弟はその1週間、夜も眠れないほどのストレスだったろう 何せ、彼は父親に恥をかかせてはいけないと 一日何人の人と綿密な打ち合わせをし、頭を下げていた 手配といっても、ただのシンプルなものではなくて、 葬儀屋さんと教会の打ち合わせ 手伝いの人の確保、来てくれる人へのお礼、ホテルの確保 食事の手配、花の手配、会場から会場への車の手配、 なにから何まで彼はひとりでがんばってくれた 心なしかタバコの量も増えていたようだが、 彼にしてみれば初めての経験、 よくやったと思う。 彼は本当にがんばってくれた。 そこに父がいたらきっと、 ”おまえ...よくやってくれたな...ありがとうな” っていってくれるだろうと思うぐらい彼はがんばった。 そんな彼はやはり、お葬式の後の法事が終わって家に帰ってきたら ほっとしたみたいで、今でいびきをかいて寝てしまった。 それを見ていた弟の娘(5歳)が ”パパにかけるものちょうだい...” って言っていた。 やさしいよね だけど、それが終わってからすぐ、今度は相続の手続きを始めることにした。 普通のひとは、49日が終わったぐらいからはじめるらしいのだが、 なにせ私はアメリカに住んでいる身、 なるべく済ませられることは済ませてしまいたかったし、 それに、父の死亡と同時に、彼の銀行の口座はすべて凍結されてしまったので それをなるべく早く、再びあけてもらい、母に移してあげないと 父の銀行口座から落ちていたすべての支払い(電気、ガス、水道、...電話などなど)が 止まってしまっているのだ。 それに、せっかちな家の父の性格からして、済ませるべきことは早く済ませたほうが 彼も安心するだろうということで、そうすることにした。 まず、銀行の口座を、あけてもらうには、 まず父の生まれてからの戸籍謄本を取らなくてはならない 父が生まれたのは、岩手の山奥の小さい村だった。 その村は、すでに市町村合併で存在しない 頭を、悩ませていたら、それは幸運なことに、その次に本籍を写した場所に その、生まれてからの戸籍が併合されていることがわかった そうでなければ、その戸籍を突き止めるまでとてつもない時間がかかっただろう 届いた、その戸籍謄本には、私のひいおじいさんからの戸籍がのっていた それから、私の問題 私は、そこの市に本籍はあるのだが、転出ということで住所は持っていない。 印鑑登録をしなければ印鑑証明が出ない。 印鑑登録するためには、住所を写さなければならない そうしましたよ... それから何回市役所に行ったかわからない 私の印鑑証明、戸籍謄本 母の印鑑証明、戸籍謄本 父の、除籍謄本、死亡診断書 などなどなどなど... 全部20通ぐらいとったんです だって、すべての金融機関で同じセットの書類が必要なんです それから、父の年金を母に移してあげること 弟と、母は何回か社会保険事務所に行ったのですがそれも 何枚もの、書類が必要だった それから、父の源泉徴収表を集めたのだが、 彼は何箇所からか別に給料と年金をもらっていったので それも大変だった それから、司法諸士にあって、家の登記の手続きをしてもらって、 それから、税理士に会って、財産の協議分割所を作ってもらって、 すべての財産をリストにしてもらうのだが、そこでまた大変なのが、 こんど株の評価とかゴルフの会員券の評価など... いやあ...ほんとうに大変だった。 けれども、これもうちの弟が不動産などに関してはある程度の知識があったので すべてとりしきってやってくれた 私は母と二人で雑用係りをしてた。 そして、私が帰るときまでには一応のめどがつくところまではできたと思う。 その間にも、私と母は、追加のお礼を出したり、 お通夜とお葬式に来てくれた人たちの名簿を作ったり いただいた供物のリストを作ってお礼をしたりと 比較的忙しい日々を送った。 そしてそうしながらも、私たちは3人で父の倒れたゴルフ場に行き、 父の倒れた場所に花を置いて手を合わせてもきた。 3人で、鍋をしながら、小さいころからの父の思い出を語り合いながら、 笑いこけたり、涙を流したりもした。 毎日、父の位牌に手を合わせて、 今日はここまで進んだよって報告もした。 そうして、3週間、旦那と子供たちには不自由な思いをさせたが、 私の心はかなり癒えることができたと思う。 今でも寂しくて寂しくて仕方ないけれど、 一番寂しいのは40数年間生活をともにしてきた母だと思うから、 それを考慮して、母をいたわってあげようと思う。 こうして私はアメリカに帰ってきて、普段の生活にまた戻ったんのだが、 母はこれからすこしずつ気持ちの整理から始めていかないとだめなんだろうなと思う。 ここからだとたいしたことも出来ないけど母のことを支えてあげようと思う。 そしてきっと神の世界に行った父も それを見て安心してくれるだろうと思う。 家族というのはいったん家族になるとそのつながりは永遠のものだと私は思っている。 例えば、私と父は永遠に父と娘なのだと思う。 だから、今は家族が神の世界と地上に二つに分かれて生活しているんだと思う。 そしてこうやって離れていてもお互いがお互いを愛し、想っているんだと思う だから、私たち家族は少しの間だけ、神の世界組と地上組に分かれて暮らすんだ。 父と妹は今頃神の世界で二人で仲良く暮らしていると思う。 だから、今日も地上組は仲良くがんばります ....だよね...
2006.10.26
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いつかこんな日がくるだろう...とはうすうす思っていた。だけど、その日がこんなに早く来るとは思ってもいなかった。その電話は夜中の3時半に鳴った。いつも、いつも夜中に電話が鳴ると体が凍りついた。 いつもだったら、間違い電話か、まちがいファックスなんだけれど今回はちがった。‘もしもし・・・・‘弟の声だった。その瞬間、本当に体が凍りついた。父だった。彼はゴルフ場で倒れ、もうすでに帰らぬ人になっていた。弟は、私が帰るまで、何もしないで待っているといってくれた。電話をきってから、しばし呆然としていた。最後に話したのは2日前。ちょうどと、ここコロラドの高校で銃撃事件があって、その話を父としていた。その父が・・・・旦那も起きてきて、私のそばに無言で座った。彼も状況を推測したらしい。それから、急いで航空券をとろうと思ったが、何せ土曜日の明け方どこも開いていない。朝まで待って、航空会社に何件も電話をしたが、あまりにも出たい時間が迫っていたため、らちがあかなかった。 仕方なく次の日の便をインターネットでとった。その日は気持ちのいいぐらいの快晴だった。長男君のフットボールの試合があったので、それに行った。フィールドでいすに座りながら、試合を見ていた。こんなにいい天気で、気持ちがいいいつもの私の土曜日、だけど、ひとつだけ違うのは、父はもうこの世の人ではないんだ、と思うと、涙ぼろぼろながれた。次の日、旦那と子供たちを置いて一人で帰った。家に帰ってすぐに父に会った。父は、本当に綺麗な顔で、寝ているようだった。弟が、お通夜やお葬式の準備でかなり神経を尖らせているようだった。彼も、父に恥ずかしい思いはさせたくないと一生懸命だった。それから、お通夜とお葬式があった。父は、あのとおり、次男坊の自由奔放なところと、世話好きの性格で、結局、1000人に手が届くぐらいの人が父を偲んで来てくれた。私は、弟と母と並んで、何人の人に頭を下げたろう。そうしながら、私は思っていた。人間の財産なんて、お金や、地位や、家や、そんなものではない・・・この、人々・・・こうやって父の死を悲しんできてくれている知人、友達、上司、部下・・これが、父の財産だったのだな・・・と思った。彼は、幸せだったんだな・・・って思った。悔いのない人生を送ったんだな・・と思ったら、少し心が軽くなった。 小さい頃は、本当に怖い人だった。だけど、私が成長するにつれて、本当に良い父親だった。そして、孫が生まれてからは、垂れ眼がもっと垂れるぐらい、孫たちをかわいがった。今頃は、去年逝った妹と二人で、私たちのことを空の上から見守ってくれていると思う。今の私が父に言えることは、こんど生まれ変っても、父の子供で生まれたい。父の子供で生まれたことを誇りに思ってるよ。そしてありがとう・・・ありがとう・・・ありがとう・・・
2006.10.17
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