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◇ 1月27日(土曜日); 旧師走九日 辛酉、国旗制定記念日1870年(明治三年)のこの日、明治政府は太政官布告を発して、「日の丸の旗」を日本の国旗として制定した。来週から通常国会が始まるが、どうも我宰相にとっては正念場の国会とはなりそうな気配である。毎年初めの通常国会は「スキャンダル国会」となるのが通例だ。年も明けてこの頃になると、お正月気分も失せて、ニュースも中だるみとなる。従って普段から温めてはいたが、殊更に追求せずにおいた政治家に関する「ネタ」を、為にする政治家がマスコミと連携して追及敷衍し、通常国会における政局を作り出し、マスコミはニュースネタを捻出するのだそうだ。ホントかねぇーと云う気もするが、そういえば先々週辺りから政治家がらみの話題が急に増えたように思う。僕の身の回りにも親類が医療費の関連でマスコミの槍玉に挙げられた人が居る。この人、「マスコミに目の敵にされ、テレビでも針小棒大に報じられた。あそこまでやられると、イジメだ!」と怒っているそうだ。穿った見方をすれば、それだって数年前の問題を厚労省全体の政治問題にまで引き上げて、いずれ厚労相の進退問題にまで・・・と云う思惑が背後にあるのかもしれない。それに、阿部政権も7月の参議院選挙をヤマとして、それまでに地方選などが目白押しである。そういう中で、支持率は漸減の傾向を改めていないから、若しそんな魂胆を持つ輩の利害が一致して結託すると・・・と考えると、今この時点で阿部君の脾腹をついてやるのは効果絶大である。有り得なくもない話ではある。小泉宰相の時は、ポピュリスムとか劇場政治などと云っておいて、相対的に寡黙で地味な阿部政権になったら「国民に姿が見えない」とか、「阿部カラーがちっとも見えてこない」などという現今のマスコミである。政治家が文字通り「不言実行の人」であると、マスコミにとってはオマンマの食い上げであるから、何だかんだといってもニュース性の話題があるほうが良いのだろう。そうなると、政治家のほうも畢竟マスコミ受けする言動に走るようになる。次期米国大統領民主党有力候補のヒラリー女史は、亭主のクリントン氏が大統領選に臨んだ際に、有能弁護士として夫より有名だった自分をネタに、(クリントンが大統領になると)「もう一つオマケが付いて来る!」というキャッチコピーを考え付いたそうだ。(但しこれは結果的に大いに顰蹙を買ったそうだ)我国でも、最近の選挙の際にはCM並みのキャッチコピーがないと当選できない。滋賀県知事選の「もったいない!」、山梨県知事選の「ほっとけない!」、宮崎県知事選の「しがらみがない!」など、庶民の語感に訴えるコピーではあるが、これなど「マスコミ政治」蔓延の一環のようで、どうも僕には余り愉快とは思えない。そうは云っても、中央政治の世界で与党と対峙しようとする民主党のキャッチコピーは「生活維新」、今国会に対しては、「格差是正国会」で、これは同党の「真面目そうだけれど、垢抜けなくて頼りない」印象そのままだから却ってご愛嬌である。同党のトップ三人が船に乗って嵐にもまれる有名な(といって評判が良い訳ではない)テレビCMなんかは(何故か小沢さんが吹き飛ばされるほどの大嵐の中なのに、遠くの空にはカモメが小さく、しかし悠然と飛んでいる!)、「よし彼らに任せてみよう!」というより、「トップにあんなことさせてしまって・・・可哀相に」と観てしまうのだから、同党の広報担当の方も、もうちょっとマスコミ受けをお考えになったら如何かとも思ってしまう。見識が無くなった、とか論客不在だとか、色々云いつつも我々民草は、政治も含め世の出来事の大半はマスコミを通じて知らされ、その解釈に依存させられるところのものである。しかし相手は今や、色々な事実を歪曲するのみならず、事実を捏造までして、納豆やレタス、味噌汁を売りつけようとする輩だ。納豆やレタス、コケやキノコならともかく、うっかりしているともっと深刻なものまで売りつけられてしまうだろう。日露戦争後の我国は正にそうであった。そして最後には我々(といってもご先祖様たちだが)は、とうとう国自体を潰してしまったのだ。「それならば!」と云っても、残念ながら当時の民度に比べ、今のそれは大して進歩改善しているとは言いがたい。じゃぁどうするか?・・・其処にやはりインターネットのご利益を見出すことが出来るのだろうと思う。インターネットが「草の根コミュニケーション」という唯一最大の利点を損なわれない限り、膨大な冗長性の中に、統制や検閲、捏造の危険性を埋没させることが出来るのだろうと思うのである。
2007.01.27
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◇ 1月26日(金曜日); 旧師走八日 庚申、上弦、文化財防災デー、道元禅師誕生会、事始、針供養昭和24年(1949年)のこの日に、修復作業中の法隆寺金堂が失火によって焼失した事から、今日は文化財防災デーなのだそうだ。最近自分の部屋で香を焚く事が多い。書斎などとはとても呼べぬ(それでも雑多な本は本棚に入りきれないほどある)単なる居室に過ぎないが、その中で香を焚いて本でも読んでいると、随分落ち着ける。但し、頭に乗って焚き過ぎると烟い。我部屋が狭すぎるのだ。ほの暗い伽藍にいずこからともなく漂ってくるやんごとなき芳香などとは、今の僕の家屋事情では中々実現できるものじゃない。香と言えば、良く知られているのはビャクダン(白檀)とヂンコウ(沈香)である。白檀は東南アジア原産の喬木で、別名センダンとも言う。「栴檀は双葉より芳(かん)ばし」という、あの栴檀である。「双葉より香る」と云うように、栴檀は加熱しなくても生の木自体が芳香を発する。それで、香としてだけでなく、仏像に刻んだり、数珠をこしらえたり、身近なところでは扇子にしたりする。白檀の扇子のはためきに送られてくる風は、華やかだけれどしとやかに落ち着いた女性を思わせる。もう一つの沈香は、沈丁花(ヂンチョウゲ)科の木から採れる。そのままでは、ただの黒い小汚い木片に過ぎないが、沈香は火にくべるとえもいわれぬ芳香を発する。沈丁花科アクイラリア属に分類される木が伐られて切り株が残ったり、或いは樹皮が何らかの理由で傷つくと、これを癒し、腐敗を防ごうとして樹脂が分泌されてくる。これにバクテリアが作用し、かつ年月を経て熟成することで沈香が出来上がるのだという。沈香は、「沈水香木」の略語だが、これは、木質に樹脂を含んで比重が増し、水に入れると沈むからだ。樹脂が芳香成分の主体になるためか、沈香はその産地や、熟成年月によって香りが様々に異なるのだそうだ。中でも最高とされるのが伽羅(きゃら)。これはベトナムを産地とする沈香で、今では滅多に採取できないものとして珍重されている。我国は茶道や華道など、日常の茶飯まで何でも「道」にして勿体を付ける癖があるが、香の世界にも香道と云うのが有る。組香といって、定められたルールやしきたりに則って香の異同を当てるのだそうだ。大の大人が雁首を並べて、真面目な顔をして鼻をひくつかせながら、香の氏素性をあれこれあげつらうのは想像するに滑稽なものだ。それにしても、人間の五感のうち、嗅覚が一番弱いわけでもなかろうに、匂いや香りを表現する言葉は非常に貧困だと云えまいか。嗅覚には他の感覚と独立した形容詞は無いのである。香道でも香りを「味」になぞらえて「苦甘辛鹹酸(鹹は辛い)」などと表現しており、これを「五味」という。つまりは匂いには視覚や聴覚におけるように、感覚を定量化する手法が確立していないのであろう。煙草の紫煙だって、人によっては芳香であるのに、別の人にとっては毒煙として、ただの悪臭である。香を焚いたのだって、クサイだけだという人がいても不思議はない。これは他の感覚だって同じだ。色々思うと、特に香りは思い出との結びつきが深いような気がする。日向で干した布団の(昔は何処の家でも布団は日向に干したものだ)「お日様の」匂い。秋になると漂ってきた干し藁を燃す、少し渋いような匂い。母親の割烹着に染み付いた、台所の水の匂い。・・・・・その中で白檀は、晴れがましい席に招かれた時の、しばらく見ないうちに思いがけず臈たけ、何だか遠くなってしまった従姉妹。沈香は、近所のお寺のほの暗い庫裏。伽羅は、はるかに心をときめかせた年上の女性の小紋姿。僕の中ではそんな情景と重なって記憶されている。お香の香りを好ましい、癒される、と感じるのは、そういう幼少期の記憶があってのことであろうと思う。それらの記憶の中の情景には必ず家族や眷属が結びついている。そうなると、核家族化して、年間や親族の行事とも疎遠になってしまった最近の子供達が大人になった時、香を焚き染めても「ただ烟い」だけ、と云うことになるのかもしれない。香木の原産地はおしなべて南中国、インドネシア、ベトナム、カンボジアなど東南アジアの熱帯亜熱帯の国々である。我々が香を好む根源は、一方で幾世代も前の日本人の原経験にまで遡ることができるのかもしれない。
2007.01.26
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◇1月22日(月曜日); 旧師走四日 丙辰、木阿弥忌、臘日今年、1月20日(土曜日)は二十四気の「大寒」で、その前日の19日は新月(朔)であった。旧暦では新月の日が月の始めになる。つまりは、19日は旧暦十二月の初日であった。旧暦では未だ年が明けていないのだ。年の納めのころになると、普段人の道を説いて悠然となさっている「師」も慌しく走り回る。或いは、暮れになってお坊さんがお経を読むのに東奔西走する。はた又「年が果つる月」、が訛って「年果つ=としはつ」→「しはつ」、などと云うのが、十二月を「師走」という、その語源だというのは普通に知られている。しかし、何事もどんどん人工的になってきた今に較べて、暦がはるかに生活に密着していた頃には、月名称は様々にあって、十二月は他にも「極月」、「春待ち月」、「年積み月」、「雪月」、「梅初月」などとも呼ばれていた。和名には日本人に親しみやすい語感がある。ところで十二月には「臘月(ろうづき)」という呼び名もある。これは語感からしても和名ではない。そう、中国由来の十二月の呼び名なのである。「臘」と云う字の旁(つくり)は「ろう」又は「りょう」と読み、「合わさる」とか「集める」という意味を持つ。この字に幾つかの偏を組み合わせるとそれぞれの漢字が派生する。つまり月偏を付けた「臘」は新年と旧年が接する(合わさる)月ということで十二月になり、獣を狩り集めてくれば「獵」(猟は獵の略字である)。蜂という虫が花を巡ってせっせと集めて来るのが「蜜蝋」で、それを集めてこしらえたのが「蝋燭」。そして、鉱石を集めてきて精製して得られる「鑞」。(「鑞」は青銅として最も古くから使用された金属で一般には「錫」という字を用いる。ちなみに「白鑞」といえば、錫と鉛を合わせた合金で、ハンダのことだ。「鑞合金」とか「軟鑞」ともいう。)・・・しかしこういう旧字は、ワープロソフトがあればこそで、僕なんかはとても手書きできないな。つまりは、新旧の年が境を接する十二月(臘月)に、皆で獵をして得た獲物をお供えすることで新世代の子孫が祖先に出会う。それを「臘祭」と云ったのである。古の中国の人の発想の過程、かなり理屈っぽい。この「臘祭」は「臘月」の「臘日(ろうじつ)」に行なわれていたのだが、この「臘日」とは二十四気の「寒」に入ってからの二度目の「辰の日」(つまり今年の暦では今日の事だ)のことを云うのだそうだ。しかし僕はその由来は知らない。どうせ、もっと詳しく調べれば何かの理屈があるのだろう。更には、この祭礼は「臘の刻」をもって執り行われる・・・なんちゃって。そうなると一種呪術的偏執狂じみてくるな。この「臘月」になると咲き始める花がロウバイである。通りすがりの家の垣根の向こうに、この季節には珍しい花を見つけて近寄ると、人の背よりやや高いくらいの木の葉の落ちた枝先に、丸っこい黄色の小花がほろほろと纏わりつくように咲いている。何枚も重なった花びらは、蝋細工のようにはかなく薄く透けて見える。そして、運よく風がない時には花から漂ってくる、上質の香に似た、濃密な甘い香りに驚かされるのである。ロウバイは「蝋梅」と書き、花弁が蝋細工のように見える梅に似た花だからだ、というのが通説らしい。一方で旧暦の「臘月」になると咲くから、本来は「臘梅」であるともいう。蝋梅は又「唐梅(トウバイ、カラウメ)」などとも呼び、日本古来の品種ではなく中国原産の植物である。我国には江戸時代に渡来したというが、もっと古いという説もあるようだ。梅という文字が名前にあるが、梅の仲間ではなく立派に独立した一派を為している。英語では、「Winter Sweet」といい、学名も「早熟の冬の花」という意味だ。大寒の翌日、宮崎県の知事選でそのまんま東が当選した。首長の悪事や不正が露見して選挙になると、プロの政治家ではない素人が選出されるのは、過去にも何度かあった。それが極端に振れるとお笑い芸人にも票が集まる。閉塞状況に対する不満の噴出がそうさせるのだろう。それでも、今までの県政に対する怒りを抱えて投票所に赴いた宮崎県の人たちが、小さなブースに顔を突っ込んで、真面目くさって「そのまんま東」などと書いているのを想像すると可笑しい。この人、本名は「東国原英夫」と云うのだそうで、本名で立候補していたら名前の書き間違いが続出して無効票が増え、落選していたかもしれないとも思う。しかし、「お笑い」は一県の首長に求められる「汎用性を持った真面目さ」の対極にあるものであり、彼としてはこれまでの人生の生き方を正反対にしなければならないという辛さがあるだろうと思う。これまでの軽い路線で行けば途端に顰蹙を買う。一方で威儀を正して首長の職務に邁進すれば、ともすれば没個性になり、プロとの比較で批判されるか、すぐに飽きられ忘れられるかする。タレントとしての人気で首長になった場合、その寿命は短いというのがこれまでの例である。「全くの新人こそが県政を変えられる」というのが、この人の選挙戦を通じての主張だったそうだが、一方では早稲田大学時代の友人とで、ちゃんと数値目標も織り込んだマニフェストも用意されたらしい。そういう愚直さというか、真面目さも持ち合わせた人のようでもある。お笑いは常にその裏に毒を含む。その毒ゆえに芸人は社会や権力・機構の「常識」を笑いに転化できる。そして庶民の鬱屈のガス抜きをしてくれる代理批判者としての存在を得るのである。その存在はあくまで批判者であって、実行者や指導者ではない。この毒と、首長として皆が期待してしまう真摯な指導力とどう折り合わせて行くのか。ニュースなどで見る新知事は、どうもこれからの現実を前にして今更ながらロウバイなさっているようにも見受けられる。
2007.01.22
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◇ 1月17日(水曜日); 旧霜月二十九日 癸丑、土用、防災の日自分で創業して以来、海外旅行にはとんとご縁が無くなってしまい、パスポートが切れても気が付かないような体たらくだが、それ以前は年に何回と無く海外に仕事で出かける生活だった。昔は、出張すれば短くても1週間程は滞在でき、ご当地の見物をする余裕があったが、段々世の中が世知辛くなって、機内泊も入れて2泊4日というあほらしいスケジュールも普通になってしまった。イギリスに出張したときも3泊5日という慌しいスケジュールであったが、当時の会社がロンドンの郊外にマナーハウス(Manor House)を取ってくれ、会議もそこでやってくれたおかげで、少しは楽しくも珍しい体験が出来た。(出来るはずであった)マナー(Manor)というのは、封建制下の大英帝国における荘園のことである。其処にある家だから、つまりは荘園領主の邸宅という事だ。それを後になって改造して、ホテルや倶楽部などに解放したのだが、今ではManor Houseといえば、普通には荘園領主の邸宅由来のホテルという事になる。当時の会社が用意してくれたのは、ロンドンの北方、ハートフォードシャーというところにあるハンベリーマナー(Hanbury Manor)というホテルであった。荘園領主の館だったというだけあって、周囲を緑に囲まれ、建物も堂々たる風格である。案内された部屋も広く、三方を出窓に囲まれた小部屋が付いたベッドルームには、天蓋のかかったベッドが鎮座し、別部屋となっているバスルームには、猫足の着いた陶製のバスタブが置いてあった。一泊だけの滞在には勿体無いほどのしつらえである。ロビーには暖炉の脇に年代もののソファーが心地良さげに置かれ、歴代の領主が賓客をもてなしたと思われる(きっとそうに違いない)食堂も、如何にもさもありなんという風情がある。さて、その天蓋付きの立派なベッドで一人寂しく(当たり前か)眠った夜が明けて、その日一日予定されている会議の議題を頭に浮かべつつ、テレビのスイッチを入れて驚いた。どこやらの街が燃えている。元々少ないかの地のテレビのチャンネルを切り替えても、どの番組でも街が燃えている。気が付いたら、「Kobe、Kobe」と云っているではないか。そう、後になって「阪神淡路大震災」と俗称される事になる大地震が起こっていたのである。地震が起きたのは日本時間で1月17日(火曜日)の午前5時46分であった。彼我の時差を考慮すると、ロンドンは16日の午後9時46分という事になるが、僕はホテルに着いて世界中から集まってきた連中と食事をしたりしていて、そのまま眠ってしまい翌日の朝になるまで知らなかったのだ。それでも始めの頃は、「怪我人が数十人ほど出た模様」という報道で、大きな地震らしいとはいえそれほど深刻な様子ではなかった。ところが朝食が終わって会議が始まり、休憩が入る毎に観るテレビ報道によると、被害は急速に大きくなっていく。その内に在日英国人の安否に関する情報センターも開設され(これは、かなり早い段階から開設されて、さすが英国と感心した事を覚えている)、他の国から会議に参加している連中も、「大丈夫か?」と心配してくれる。流石に心配になって埼玉の家に電話をしたら、当時未だ小学生だった下の娘が、「日本が沈没しちゃうよぉー」と叫んでいた。東京の会社に電話をしたら、幸いにして知り得る限りのお客や知人も身体生命は無事であるようだった。しかし、事務所や設備に甚大な被害を蒙ったところは何ヶ所かあった。折角の優雅なマナーハウスでの会議も、その後は気もそぞろになってしまったことではある。この地震、正式には「平成七年兵庫県南部地震」というのだそうで、結果的に死者約6千500名、負傷者約4万4千名、約25万棟(約46万所帯)が全半壊、被害総額推計10兆円規模の大災害になった。平成七年は西暦1995年。つまりはこの年の干支は今年と同じ亥であった。もうあれから12年も経過した事になる。今年はのっけから、千島海溝での地震による津波騒ぎがあった。それに、1923年関東大震災の年も、阪神淡路大震災の年も同じ亥年であったことから、「亥年は何かが起こる」などといわれている。そりゃそうだ、何事も無い年などは無い。1996年(子)には、寅さんの渥美清が亡くなり(これは僕の友人にとっては大震災にも匹敵する「災害」であった)、1997年(丑)には神戸連続児童殺傷事件、俗に「酒鬼薔薇聖斗事件」が起こり、1998年(寅)には「和歌山毒カレー事件」が起こり、1999年(卯)にはジャイアント馬場が亡くなり、石原愼太郎氏が東京都知事になった。(ア、これは災害ではないか!?)又、2000年(辰)には「雪印集団中毒事件」が起こり、有珠山と三宅島が噴火した。2001年(巳)は、小泉純一郎氏が首相になる(これは災害か?)と共に、云わずと知れたアメリカ同時多発テロ事件が発生。2002年(午)は、モスクワ国立劇場やバリ島などでテロが相次ぎ、2003年(未)は、スペースシャトルコロンビアが爆発し、イラク戦争が勃発し、十勝沖大地震が起こった。そして更に2004年(申)は、新潟中越地震とスマトラ沖大地震が起こった。2005年(酉)は福岡県西方沖地震と、福知山線脱線・衝突事故である。又、JR羽越本線特急脱線事故もあった。更に2006年(戌)は、ライブドアショックに、北朝鮮の核実験である。・・・・フゥーッ!ともあれ、干支にかこつけて、「亥年だから今年何か禍々しいことが起こる」などといわれては、丁亥生まれの団塊の世代205万人の一人としては、いささか迷惑である。ところでこの数日間関東周辺では「地震雲」も話題になっている。これは、地震が発生する前には空に独特の筋状の雲が出現し、その形態や方向、大空における滞留時間によって地震規模と発生地域が推定できる、とするものである。「鯰が騒ぐ」という「予知現象」よりは歴史は浅いが、中々信じている人も多いようである。それがこのところ上空に出現し、話題になっていたら、16日の早朝に伊豆半島中部で二度にわたって地震が起きたものだから、「地震雲ファン」の間ではちょっとした話題になっているようである。上の写真は地震雲の「一例」で、これはKinbaraさんと仰る方のホームページに掲載されていたものを借用させていただいた。(http://www2s.biglobe.ne.jp/~kinbara/)地震というのは思い切って簡単に云ってしまえば、地層同士が押し合ったり引き合ったりするうちに、マクロ的な弾性限界点に達して一挙にそのエネルギーを運動エネルギーとして解放する現象である。要するにベニヤ板を折り曲げたり、引っ張ったりしていると、最後には割れたり引きちぎれたりするようなものだ。従って、カタストロフ現象が起きる前には相当な歪のエネルギーが地下に蓄積される事になる。岩盤や地層における歪エネルギーの蓄積は、ライターの石を叩いて火花が生じるように電気的な不平衡を引き起こす、これがある程度の値を超えれば、鯰を驚かせたり、水中や地下に住む動物に異常な行動を起こさせるであろうことは一応の理屈である。地震雲の支持者も、この辺りをその根拠とされているようだ。しかし、地べたの電気異常が雲の形で「表現される」までには幾つもの段階がありすぎる。風の流れや、当時の気圧配置にも関係するだろう。どうも僕自身は、地震の予兆と地震雲との因果関係は、余りにその間に介在する要素が多すぎるような気がして、俄かには信じがたいのである。もう少し直接的な民間研究がある。これは串田嘉男というアマチュア天文家の方が、流星のエコー観測の中で流星に起因するとは思えないFM電波の伝播異常に気付いた事に端を発する。この方は元来私立の八ヶ岳南麓天文台の台長さんであったのが、今は設備を「地震前兆電離層観測研究センター」として、観測と研究にいそしんでおられるそうだ。串田氏の観測研究に関しては、少し古いが、「地震予報に挑む」 - PHP新書、2000年9月(ISBN4-569-61258-X)に詳しい。再びチョー荒っぽく云えば、地震が起ころうとしている地べたの電気異常は、地上の鏡のように上空に存在し、一種のコンデンサーを形成している電離層に反映される。それはFM電波の電波異常として観測する事が出来、その異常成分や強度、継続する変化の様子をつぶさに調べれば地震の予報が可能になるだろうというものである。何となく、地震雲よりも因果関係が近い感じがして僕などはこちらの方が「好き」である。しかし、地震のような自然現象は、決して単純明快な理論では説明できるはずの無いものである。そういう点では鯰のパーティも、地震雲も、FM波の伝播異常も、程度の差こそあれ似たり寄ったりのものだと云えるのだろう。自然現象は単純な還元主義では理解できない。集団的なパラメータの係る創発現象として理解する方法を探るべきなんだろうという気が最近はしている。いずれにしても、地震雲、FM波の異常、地下水位の異常、異臭、異様な発光現象、鯰が騒いだ、ドジョウが居なくなった・・・・・、そして「亥年のめぐり合わせ」を直列に付会して、「大地震が来るぞ!」と騒ぎまわるのは、週刊誌の売れ行きにのみ貢献するもので、我々自身の生活の安寧には全く役立たない。亥年の名誉にかけても、今年は大地震が起こらないよう祈るものではある。
2007.01.17
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◇ 1月8日(月曜日); 旧霜月二十一日 壬寅、成人の日、初薬師年が改まった。新しい年2007年の干支は丁(ひのと)亥(い)。先ずはこの場をお借りして、普段不義理とご無沙汰の重ね餅を食らわせて、大変失礼申し上げている皆様に、まことに恐懼しつつ、慎んで新年の御慶と寒中のお見舞いを、申し上げる。それにしても今日はもう既に1月も8日。成人の日で祝日である。西暦2000年から、成人の日の祝いは1月の第二月曜日に行なわれることになった。それまでは、曜日に係らず1月の15日が成人の日であった。これは、1月15日が「小正月」として古来特別の日であり、江戸時代以前は、この日に元服の儀式が行なわれていた名残であった。それが、「ハッピーマンデー」とやらで、今様に変化したのである。働きすぎの日本人に、何やかやと理由を設けて月曜日を祝日にしてやろうとのお役人の思し召しなのだが、会社をやっている身からするとどうもこれは迷惑だ。今年のように、元日が月曜日だと、1月最初の週の出勤日はわずか二日しかなく、おまけにその次の月曜日がお休みになるから、企業の中には年末の金曜日頃から1月第2週の月曜日まで、延々11日間もお休みにしてしまうところもある。その間事実上営業は停止してしまうことになるのだ。おまけに、10日は「五十日(ごとおび)」といって、我国では支払いの〆日である。そうなると資金手当に充てられるのが、三が日明けの二日間と直前の火曜日しかなくなり、当社のように資金繰りに汲々とする企業では、ハッピーマンデーなどとのんびりした気持ちにはなっていられない。余計なお節介などしないで、伝統どおりにやってくれれば良い。第一その方が、物事の由来を忘れてしまわなくて済む。年も押し詰まった12月30日には、イラクの大統領であったサダム・フセインが処刑された。「もう少し待って、お正月のお雑煮くらい祝わせてやれば。無体な!」と思ったけれど、かの国のお正月は又別の日である。処刑直前と直後の様子は、我国のテレビでも放映されたが、裁く側の人間が皆バラクラバ帽(いわゆる「眼出し帽」)を被って顔を隠している。中に一人だけ顔を露出している者がいたが、映像では彼の顔にはしっかりモザイクが施されていた。恐らくは、サダム・フセインを支持する反対派勢力の報復を恐れてのことであろうが、映像を見ている限り、カメラに顔を曝しているサダム・フセインの方が堂々として見えたのは皮肉である。最近は我国のテレビ映像にもやたらとモザイクが施されている。それも「善良なる第三者」の顔や、車のナンバーが対象になっている。昔は世を憚る側や、後ろめたい輩の方が、覆面をしたり、頬っ被りをして顔を隠したはずなのだが、最近はどうも逆である。これも、無辜の市民が映像によってよからぬ輩に特定されたり、車のナンバー情報が悪用されたりするのを恐れてのことであろうと思う。しかし、悪玉のほうが堂々と(でもなかろうが)顔を曝し、善玉の側がこそこそと(ではなかろうが)しているのは、僕などの感覚ではどうも違和感がある。周囲の人の目を恐れるとか、知らない人には訊ねられても道を教えないとか、いつの頃から世間では性善説より性悪説が主流を占めるようになったらしい。どうも現代という世界は殺伐たるものになりつつあるようだ。それにしても、フセインの処刑はインターネットでその瞬間の様子まで観る事が出来るのだ。処刑台の床が抜けて、それまで何やら云っていた前大統領が落下すると、その刹那周辺から幾つもの叫び声が興る。「ヤッタァー!」と云っているのか、宗教上の祈りなのか分からないが、流石に異様な光景である。こういうものは無修正のAVと一緒で、余り明らさまにするものではなかろうと思う。しかし、インターネットが誰でも簡単にアクセスできる汎世界的なメディアとして、当たり前のものになってしまった以上、こういういわば露悪的なものを阻止するのは、個人一人ひとりの倫理規範と惻隠の情に依らざるを得ないのであろう。そうなると「他人は原則信じてはいけない」となるのも残念ながら止む無しとなる。これを以て公機関による規制強化や、メディアによる「自主規制」強化に走るのか、或いは何れ良識が健全な形をもたらすものと信じて行くのか。僕としては、無論後者の考えに近いのだが、何れにしろ大袈裟かもしれないが「人類の民度」が問われていくのだろうと思う。ところで、インターネット上にある処刑後のビデオには、白布に包まれた故人を移送すべく車に積み込むところが映っていた。そこに見えたのは、車のトランクに某牛丼屋さんのロゴに似たマーク。流石は世界のトヨタであった。1月6日(土曜日)は二十四気の「小寒」であった。いよいよ寒の入りだ。奇しくもこの日大陸から南下してきた低気圧が、西からやってきた低気圧と呼応して急速に発達し、日本列島一体は猛烈な冬の嵐に襲われた。暖冬で降雪の少なさに悩んでいたスキー場には、恵みの雪にはなったが、一方で台風並みの強風の所為で、リフトの運行が中止になったり、船が磯に吹き寄せられたり、スキー客が遭難したりと、いささかの騒ぎになった。二十四気の周暦も、後「大寒」を残すのみである。
2007.01.08
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