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☆ 1月29日(金曜日) 旧十二月十五日 己卯(つちのと う) 友引:予め。私が「オバサン」とか「オバチャン」という時、全ての中高年の女性を意味するのではありません。親類などに対する際は「叔母さん」とか「伯母さん」と漢字だし、これを片仮名にしても平仮名にしても、それは親しさの表現だ。「オバサン」や「オバチャン」は、軽侮の対象としての中高年女性のことだ。日本語の言葉を片仮名にすると、揶揄する雰囲気が付加され、深刻な意味は希釈される。「バカ」というのは、漢字で書く「馬鹿」とは異なる。「バカ」になると少し軽い意味になる。苦笑しながらの表現になる。或いは、軽くたしなめる雰囲気も出る。「イヤンバカン」と来れば・・・・。そういう点では「秘密」も「ヒミツ」とは異なる。「ヒ・ミ・ツ」と云えば、後にハートマークでも付きそうだ。ともあれ、「オバサン」や「オバチャン」の話である。今日、違うホームに来る目的の電車のため、丁度やって来る気配のエレベーターに乗ろうとした。エレベーター前には、オバチャンたちが数人。皆それぞれに荷物をぶら下げ、エレベーターのドアの正面に立ち塞がっている。程なく到着したエレベーターのドアが開くと、件のオバチャン達は悠々と乗り込んだ。その内ドアが閉まりかかったので、私はやや慌てて乗り込む羽目になった。私が乗ったことで、小さなエレベーターの中は混雑気味になった。すると、オバチャンの一人が「このエレベーターは、健康な人は乗っちゃいけないのよねぇ」とのたもうた。すると、別のオバチャンが「そうよ。そのはずよねぇ」と応じた。どうも、私がドアの閉まり際に、少し押し込み気味で乗ったことを非難しての発言だったようだ。一応「失礼!」と声をかけて乗ったのだけれど大声ではなかったから、難聴気味の(きっとそうだ)オバチャンには無視されたようだ。私には実は痛風の気がある。痛風とか偽痛風というのは、色々な原因があるけれど、それは本題で無いから触れない。但し、よく「王者の病」とか「贅沢病」とか云われるけれど、それは原因のごく一部でしかない。現に私など、王者でもないし、贅沢なんかしていないのだ。それだけは云っておきたい。この病気は普段は健常者と何ら変わりは無い。その代わり痛くなると強烈に痛い。プリン体という微小な折れた鋭い針に似て如何にも痛そうなものが、特に関節周辺に沈着するのだから痛いわけだ。関節といっても足の親指だけでは無い。ひざの関節の辺りにこれが沈着すると、痛みと共に炎症を起こし、水が溜まって歩行も出来ない。このところ私は足首の辺りに炎症を起こしていて、足首を屈伸する階段の昇り降りが特に辛い。しかし、私も大和男子の端くれだから、痛そうな顔をして同情を買うことはしない。痛くても普通の表情で平気を装う。これこそ匹夫の矜持というものだ。だから余り人に気付かれることは無い。特に私は普段毅然として、常に怜悧・冷静を保っているから(大げさです。すみません。)余計に気付かれにくい。最近はどこの駅でも、構内にエレベーターやエスカレーターが設置されるようになったのは、こういう時には非常にありがたい。皆さんも駅構内でエレベーターに乗ったら、必ず注意を払って後から乗ろうとする人がいないかどうか確かめ、若しそういう人が居たら、一見健常者に見えても、ドアの「開」ボタンを押して待っていてあげてください。今日もそういう状況下で、やってきたエレベーターに、ほっとして乗り込んだものだ。そしたら、上のようにあてつけがましい事をオバチャンに云われた。「アンタに何が分かるのか!」と思ったけれど、冷静な紳士としては相手にしなかったのは言うまでも無い。それで、唐突に思い出した。随分以前(多分私が小学生の頃のことだったと思う)、故郷の町の市民会館で何かのイベントがあって、今は亡き母に連れられてそれを観に行ったのだ。イベントの中身は忘れたけれど、若者にも人気があったようで、市民会館の前には若者たちも行列していた。私たちの付近にも女学生が居て、その中の一人が行列の順を乱して「横入り」をした。(少なくとも母にはそう見えたらしい)すると、元学校の教員だった母は、「ちょっと、横入りは止めなさい!順番を守らなくちゃダメでしょう!」と一喝し、「全く、学校で何を教えているんだか!最近の学生は本当に常識が無いんだから!」と続けた。云われた女学生は傷ついた様子で「私はちゃんと並んでいました」と小声で弁解したけれど、やがて居辛くなったのか列を離れてしまった。私は子供ながら、「あんな風に決め付けられて、可哀相に。お母さんももう少し言い方があるだろうに。」と思ったのを良く覚えている。つまり母はその時典型的な「オバチャン」だったのだ。「オバサン」や「オバチャン」の論理に共通するのは、こういうことである。(1) 先ず相手を責めたり非難する際には、自分という存在を希釈する。これは当事者としての自分を目立たなくすることだ。だから、周りの人間に同意を求めたりして、「私だけじゃないよ。皆が同じ意見なのよ。皆がそう思っているのよ。」と徒党を組み、発言責任を他に転嫁したり、「集団責任」にしてしまうということだ。(2) Big Wordを使って、反論を封じ込もうとする。これは、上の例で言えば「構内のエレベーターには健常者は乗ってはいけない」という制度(間違っているけれど)を持ち出して「制度」の権威を借りるのがそうだ。母の例で言えば、「常識」の欠如や、学校教育の所為にしたのがそうだ。常識はいつも正しいものでは無いし、学校教育の何が理由なのかはどうでもいいのだ。(3) 話の適用範囲を拡大する。エレベーターでの話は私個人に関る事だし、母の例は件の女学生個人の問題である。それを「健常者」とか「最近の学生」と複数に拡大してしまうのは実にずるい。言われたほうは、何となく健常者や最近の学生の代表にされてしまい、釈明や説明をしようにも、それが封じ込められてしまう。エレベータの場合には私が健常者であるかどうか、オバチャンには分かりっこないし、どうせ分かる積りも無いのだ。女学生の場合だって、横入りが事実かどうか、或いは横入りがあったとして、それには何か事情が有ったのかどうか、本来はそれが問題である。何も彼女を「最近の学生」の代表にして、最近の学生の所業まで彼女の所為にすることなどはない。こういう「オバチャン論理」は実は先の戦争当時にもあったのだ。国防婦人会とか愛国婦人会とかいう団体が有った。(私は実見したのではありませんよ。歴史で教わったり書物で知ったのです。私はあくまでも「戦後世代」ですからね。)パーマ(古い!)をかけるのは非国民だ!といって、元々天然パーマ(これも古い!)の女性まで糾弾した。国防服(又々古い!)でなく和服を着ていると、「戦時にも拘らず風紀を乱す非国民」となじった。「兵器や砲弾を作るために家庭の鍋釜をお国に拠出し奉仕しましょう!」といって、批判的に出さなかったり、或いは事情で出せなかった人を、やはり非国民だと白眼視した。この場合「奉仕」がBig Wordだ。因みに拠出された鍋釜やお寺の鐘の殆どは結局役にも立たず、ゴミとして捨てられたそうだ。これらに共通するのは、「国防」、「愛国」とか「奉仕」という、議論の対象にしにくい、また反論・反対もしにくいBig Wordsを嵩に着て周辺の人々を糾弾し、心理的に圧迫し、結果として軍国主義や、どうしようもない戦争に対する健全な抵抗や批判を奪ったのだ。まさに「オバチャン論理」はそういう危険を内包するものである。こういう「オバチャン論理」は、何も駅のエレベーターや市民会館でのイベントだけに見られるものでは無い。戦争中のことでも無い。最近は国会議員も同じ事をやっている。暫く前から通常国会が開催され、その質疑の模様はテレビやニュ-スでも報じられている。それを観ていて思うのは、その品格のなさである。オバチャン論理の横行である。質問者(この場合先ず間違いなく元与党の人たちです)は、声高に「・・・に付いては、国民が皆不満を持っているのです!」と総理大臣や閣僚に詰め寄る。聞いていて「別に私はそうでもないけれどなぁ。国民皆っていうからには私も入っているはずだが、変だなぁ。」と思う。「この質問者は、本当に国民皆といえるだけの根拠や自信があるのだろうか?」とも思う。「じゃぁ・・・が出来ないのなら、責任を取って辞めますね。」などともしつこく問い糺す。それに対して、「必ずやるという決意で居るわけですから、今から出来なかったら辞めるという事など申し上げられません。」と総理や閣僚は答弁する。そりゃぁそうでしょう。質問者に若し受験生がいて、合格を目指して一生懸命勉強しているとしよう。質問者はその子供に「頑張ってね。ちゃんと応援するからね。」という代わりに、「試験に落ちたら、責任を取ってもう受験はやめると今から約束しなさい。」と迫るだろうか?「・・・の時に受け取った株券は何株でしたか?それはいつでしたか?・・・」などと、矢継ぎ早に微に入り細にわたって記憶テストみたいなことをする。(しかも一問一答みたいにしてやるから、質問された人はその都度席を立って答弁台に行って又席に戻るという、体育会系のしごきのような目に会わねばならない。)予め質問の最終主旨を明らかにしていないし、しかも答えは全て質問者が既に調べて知っていることばかりだ。そして、最後に「私が聞いているのはそんな事ではないのです。あなたの倫理意識、見識を問うているのです。」といきなり「愛国」や「国防」、「常識」と同じレベルに持ち上げてしまう。そして最後に又、「国民は皆それを知りたいと思い、不安に思っているのです」と拡大してしまうのだ。本当は、質問者は相手を貶め、自ら又は自らの属する勢力を善なるものとして際立たせようとする意図であることは、それこそ国民の誰でも自明のこととして、とっくに分かっているのだ。一方では政治倫理とか見識とか理念とかいった見地で、それが欠如していると論難しておきながら、先日の首相の所信表明演説で「命を守る」とか「友愛」といった、それこそ理念的なことが表明されると、今度は「あぁいう理念的なことばかり云われても、国民の関心とはズレているとしか云えない」などと非難する。これなど、まさにオバチャン論理の応用の最たるものでしょう?誤解の無いように申し上げておくと、私は何も民主党員ではないし、民主党の政策に諸手を挙げている訳でもない。政治資金問題にしても、必ずしも民主党の対応を是とするものでも無い。国会はわが国唯一の立法府だ。センセイと呼ばれる選良たちが、思慮と見識、そして何より個人として、更に被選出者としての責任を持った上で、議論を戦わせ、時に代案を出し、又原案を修正して、最終的にその時点での最善の政策を、法として実現する場所である。そういう場所で、かつての与党として、長きにわたって施政権を駆使してきた勢力が、実態としてオバチャンの集団としてしか機能していないように見えるのは大問題だと思うのだ。こういうことを国民の前に曝していると、もっと強烈なオバチャンたちばかり増えてくるぞ!国会議員たちは最近は良く「この模様はテレビで放映されているのです。だから・・・は国民の前に責任を以って・・・」という場合が多い。そこで申し上げる。テレビで放映されているのは答弁だけではありません。あなたの質問する様子も放映されていることをお忘れなきように。余りお粗末だったり、下品だったり、オバチャン論理を振りかざしたりしていると、国民の教育上良くありません。その場合教育責任を取ってもらいますよ。
2010.01.29
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☆ 1月24日(日曜日) 旧十二月十日 甲戌(きのえ いぬ) 先負: 初地蔵今日は初地蔵。巣鴨の高岩寺、通称とげ抜き地蔵では随分の賑わいだったろうと思う。JR山手線と都営地下鉄三田線には、巣鴨駅がある。そこで降りて白山通り沿いに北へ向かうと左手(西側)に「地蔵通り商店街」という看板が見える。地蔵通りに入ると両側には色々な店が軒を連ねている。漬物屋、和菓子屋、煎餅屋、そしてファッションショップと色々有る。ファッションショップといっても若者相手ではなく、「股上の深いお腹を優しく包む・・・」とか、「暖かいフリースの・・・」とかいったお店である。そういう中を、焼きたての熱々のお煎餅をかじりながら、高岩寺に至りお地蔵様に詣でる。お昼時なら「古奈屋」でカレーうどんを戴く。それが「シニアの原宿」の楽しみ方である。辺りにはお醤油の焦げた香ばしい香りと、お線香の煙の香りが適度に混じりあい漂う。とは云いながら、今年は失礼してしまった。お煎餅のお醤油の香りを思い出したら、行けばよかったと思った。昨日は小沢さんの参考人事情聴取が、4時間半にわたってニューオータニで行われ、その後約束通り小沢さん自らがテレビの前で記者会見をなさった。しかし、やっぱり本当のことはよく分からない。それは当たり前だ。検察庁による事情聴取だから、検察官が具体的に何を質問したか。それに対して具体的にどう答えたかを、つぶさに公表することなど出来ない。これは捜査情報の漏洩の虞があり、小沢さんとしては「正直にお答えした」としか言えませんわな。検察も無論、何をどう質問し、その狙いはどこにあって、結果は今の時点でどうだったか、など公表するはずも無い。そうすると、旧与党側は「説明責任を果たしていない」、「国会の場で国民の前で説明しろ」と騒ぐ。つまり、「国会に参考人招致をして、小沢氏に(鳩山氏にも)証人として証言させろ」という。今朝の「日曜討論」の場ではそんな話ばかりだった。しかしどうなんだろう?既に検察が職権で捜査を行っている事柄について、国会で証人喚問をして何が明らかにできるというのだろうか?もし国会の場で、質問(殆ど全ては旧与党からのものだろう)に素直に答えて行ったら、却って司法妨害になってしまうのではないだろうか?小沢さんにすれば、濡れ衣だ、自分に疚しい事は無いと一貫して表明してきているのだから、自らの潔白を主張し続けることは当然だろうし、国会の場であったとしても反対党の議員による、タメにする質問になど答えたくないだろうし、答えない権利もある。だから、「検察の捜査には粛々と協力していく」というのが、実際上唯一の誠実な対応ではないのか?もう一つ、旧与党の人たちは、殊更に検察の捜査方法を「中立公正なもの」として、犯し難い「正義の権力」と言い立てているところがある。しかし、だ。検察は本当に完璧に中立公正なのか?今まで一貫して無謬で来たのか?そうじゃない事は、今も再審が続き、無罪確定の方向で動いている「足利事件」だけみても分かるのではないか?検察も官庁の一つだ。警察が逮捕率を競うのと同じで、検察は法廷維持、そして有罪率を競うものであることは疑いない。事件は山ほどあるから、その中で今最も注目され、検察の実力を誇示できるものから「順番に」やっていくのは尤もな事である。このことは昨日のブログにも書いた。それを、法の執行機関であるから公正中立であると盲信するのは、余りにナィーブ過ぎないか。検察庁は法務省の下位機関であり、従って行政官庁の一つだ。今は民主党政権だから、行政官庁の元締めは民主党内閣にあり、これが偏向しているとするのは、民主党内閣にとって自縄自縛となる。だから、内閣としては検察の中立公正に疑義を唱える事は、出来ない。あくまでも検察は公正中立であると、建前を貫くことしかないのである。これは、内閣だけでなく政権与党である民主党だって同じである。そうしたら、検察が揺ぎ無く公正中立であることを、一体誰がどういう場で議論し検証できるのか?そんな場所は無い。敢えて云えば、そういう力を持ち得るのは報道機関しかない。しかし、報道機関はそういう姿勢を持っているか?一度でもそういう観点からの報道をしたことがあるか?答えは皆知っていますね。谷垣さんは今日の自民党大会で、内閣総辞職や国会解散を、政治資金問題の追及によって実現し、政権の再奪取をするんだとおっしゃった。そうかい?全ての政策は自民党が政権奪取をしてからの事だとおっしゃるのかい?国も国民も、国民の生活も日々動いているんだよ。民主党が内閣である間は何もしない(文句は言う)。全ての政策は自民党政権になってからだ、だから先ず民主党政権を打倒するのだ、というのでは、それこそかつての政権与党で、今の時代に沢山のツケを残した張本人共としては、余りに姑息で、国民に対して無責任では無いか?むしろ政策に対する逆提言や、修正に積極的に努め、その結果を自民党の成果として、堂々と主張するのが筋では無いのか?それこそ、旧政権党、最大野党としての責任であり、矜持では無いのか?だから、民主党は確かに支持率を落としてきているけれど、自民党の支持率はそれに応じて上がったことなど無いのだ。国民はそれほどまでに馬鹿では無い。もう少し頭を使って、心を澄まして考えてみたらどうか。このままでは国民は再び政治というものに深く絶望し、「こんな国じゃぁ何やってもだめだよ」となってしまうぞ。本当に歯がゆいのだ。そう思いませんか?
2010.01.24
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☆ 1月23日(土曜日) 旧十二月九日 癸酉(みずのと とり) 友引: 上弦、奈良若草山山焼き昨日のブログを今日の日付で書いてしまった!私の頭の中でカレンダーの日めくりが一枚飛んでしまったようだ。ちょっとボケが入ったかと思わずゾクッとした。単なる勘違いであったらいいけれど。【官僚社会って凄いなぁ! - 余話】今日の日付の「昨日のブログ」では、官僚機構の話を書いた。多少私独特のバイアスがかかっているけれど、単なるニュースや見聞だけでなく、私自身にまつわる経験から言っても、大筋は正しいと思っている。「昨日のブログ」には、小沢さんに対する一連の検察のアクションは、官僚側からの対抗策の一環じゃないかと匂わせた。そうしたら、「まさかそんな事はないでしょう。だって小沢さんて見るからに怪しいじゃないの。正義は相手が誰であれ、ちゃんと貫かれるべきだし、それをやるのが検察なんでしょう?」と云われた。そりゃそうです。小沢さんも雪のように真っ白だとはとても云えないでしょう。政治でも会社でも、そして官僚の世界でも、組織の上に昇っていく為にはそれなりの知恵が必要だし、その過程では往々にして合法と非合法の狭間を歩いていく必要もあるでしょう。バレなきゃいいけど、バレたらやはり罪だな。でも、政治家の場合は、「大方の印象」というものが非常に大事な意味を持っている。そういう点では小沢さんの「印象」は、とても「清廉潔白」、「新雪のように純白」とは程遠いものがある。だって、国会の中を、黒っぽいコートを着たまま、マスクを付けたままで歩いているのは、小沢さんくらいのものだし、それだけで何となくアヤシイ雰囲気がまつわりつく。私もかつてブログに、「泣いてでも良いから馬謖を斬るほうが良い」と、由紀夫さんには提言を申し上げた。(無視されたけど。・・・当たり前だ。)しかし、政治献金疑惑って、小沢さんや鳩山さんだけもの?そうでは無い事は誰でも知っている。自民党議員でも他の政党の議員でも、そういう疑惑をかけられている人(実際やっている人も)何人もいる。かなり話題になって、検察が動いたケースも他にも多くある。(法務省や検察庁の統計や記録に当ってみようかと思ったけれど、そこまでやるとパラノイアに思われそうなので、やりませんでした。だから上は、単なる推測です。でも恐らく正しい推測です。)検察だって何人もの人間が潤沢にいるわけでは無い。そういう疑惑の全てを一挙に追及して立件努力をすることなど不可能だ。そうなると当然「選択」という事になる。大勢いる(に決まっている)怪しい人々の中から、「誰を(どの件を)他より優先して、どのタイミングでやるか」ということだ。私はこの点にこそ「意図」が入り込む余地があるというのだ。小沢さんが真っ白だとか、検察の疑惑は濡れ衣だと云っているのではない。そして、その「意図」は民主党政権の「脱官僚」政策に対する官僚機構の自己防衛目的と連動している疑いが強いと感じているのだ。まだ、猜疑心に囚われ過ぎているとお思いでしょうか?今日の午後、小沢さんは紀尾井町にあるホテルニューオータニに呼ばれて、検察による参考人事情聴取に応えていらっしゃる。小沢さんくらいになると事情聴取でニューオータニに行けるんだ。午後からだからお昼ご飯は出ないだろうけれど、途中の休憩ではお茶とケーキくらいは出るんだろうな。ガーデンコートからの出前だろうか?あそこの珈琲って美味しかったっけか?高いだけじゃなかったか?こういう経費はやはり検察庁から出るんだろうか?・・・ま、そんな事はいいけれど、事情聴取の内容は、その後文書で小沢さん側から国民に開示されるのだそうだ。検察の聴取結果は法廷に至るまでは開示されないから、両者の言い分を等分に考えるチャンスは我々には無い。今後の推移を見守っていけば、両者の見解や、これに絡む諸々のグループの思惑、そしてパワーバランスと「正義」を微妙に折衷させた決着の方向なども段々見えてくるのだろうと思う。【若草山の山焼き】さて、今日こそは23日。上弦の月の夜で、日中奈良の若草山では山焼きの日だった。今は古都の風物詩として、1月の第四土曜日に行われるようになった山焼きだが、その歴史は左程古いものではなく江戸時代辺りから定着した行事だそうだ。その由来に関しては、山頂の古墳に祀られた霊を慰めるお祭りだったとか、山を焼かないと悪いことが起こると信じられたからだとか、春日大社・興福寺と東大寺の領地争いが理由だったとか、幾つかあって定まっていない。後付の理由は幾らでもあり得るが、大元は多分今でも方々で行われる「野焼き」が始まりであっただろうと想像する。奈良辺りの気候では、放って置けば草原→藪→林→森へと自然に推移していく。これを草地のままに維持し、継続して利用するためには、春になる前、未だ草木の新芽が出ないうちにこれを焼き払う。そうすることで草地が森林になってしまう遷移を食い止めることが出来る。又そうすることで、有機物の累積することも食い止め、焼けた灰によって無機塩類がばらまかれて、新たに芽吹く草の肥料にもなる。それに野焼きの火は害虫を駆除する効果もある。我々の祖先たちは、野山を草地として利用するために、古くから野焼きを行ってきた。九州の阿蘇山周辺でも野焼きは行われているし、琵琶湖の岸でも葦(よし)の新たな生育を促すために野焼きを行っていると聞いたことがある。実益も大いにある野焼きであるが、単純に火が燃え盛るのを観るのは楽しく心が浮き立つものがある。特に普段であれば、火事の危険もあり、犯罪にもなる「火付け」を堂々と出来るのだから、楽しくないわけが無い。それに火は全てを焼き尽くして、後には浄化されたような清々しさすら残る。野焼きや山焼きでは無いけれど、日本のお祭りには火を使うものが多くあるのもそういう一面があるだろう。私は未だ山焼きも阿蘇の艸千里の野焼きも、残念ながら観たことが無いけれど、一度是非見てみたいものだと思う。ところで、若草山は、以前は三笠山と呼ばれていたそうだ。それが宮家としての「三笠宮」が創設される時に、同じ名前の山を焼いてしまうのでは畏れ多いとして、「山焼きの結果若草が萌えたつ山」と云う事で若草山に改称したのだそうだ。三笠宮家が創設されたのは1935年、昭和10年のことだ。更に、百人一首にも出てくる阿倍仲麻呂の和歌、「天の原 ふりさけみれば春日なる 三笠の山に出でし月かも」の「三笠の山」は、この山のことではなくて、お隣の春日山のことだ。また更に、どら焼きの形がこの三笠山に似ているからという理由で、関西ではどら焼きは「三笠まんじゅう」や、「三笠焼き」と呼ばれている。どら焼きは漢字で書けば「銅鑼焼き」で、銅鑼とはご存知仏具の楽器の一種だ。お葬式や法事の席でこれがいきなり鳴らされると驚いて目が覚める。その形に似たお菓子だから「どら焼き」。英語では多分「Gong Cake」とでも訳すのだろう。れっきとした和菓子である。奈良の駅前の店では、直径20センチほどもの大きさのどら焼きを、「三笠」という名前で売っているのだそうだ。これは町興しの名物になっているのだという。想像するだけで胸焼けしそうなので、私は山焼きは一度拝見したいけれど、三笠は名前だけで結構である。
2010.01.23
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☆ 1月23日(土曜日) 旧十二月九日 癸酉(みずのと とり) 友引: 上弦、奈良若草山山焼き【官僚社会って凄いねぇ!】暫く前から霞ヶ関周辺では官僚制度に関する議論がある。官僚の天下りを全面的に規制するという話だ。国会で官僚の答弁を禁じるという議論も有る。これを一言で「脱官僚」と云っている。殆どの国民は、「なぜあんなに官僚や官僚制度を眼の敵にするんだろう」と不思議に感じていると思う。官僚ってそんなに悪い人なの?・・・私もそう感じていた。大きな企業では普通親会社というのが有って、その下や周りに子会社が幾つか有る。親会社に入社した人間は、往々にして子会社のトップや上層部に天下っていく。それが普通である。子会社の生え抜きからすれば、面白からざるところがある。あるけれど、それはそれでしょうがないと思っている。世の中とはそういうものだという諦念もある。官では、誰かがピラミッドの上方に昇ればその同期は去るという不文律があって、実際に今までそのように運用されている。該当外の同期は未だ若く、そのまま勇退して悠々自適の生活に移るなど出来ない。それに日本の官僚の給与は、民間大手企業の同期と較べて廉い。受験戦争を勝ち抜いて優秀な大学を卒業し、難しい選考を経て、日夜公に奉仕してきたのに、これでは不公平だ。まだ充分働ける人材を活用しないのは、わが国の資産の無駄でもある。そうであれば、「天下り」は止むを得ないし、むしろ当然のことだ。官僚に、一律全面的に「天下り」を禁止してしまうのは、個人の職業選択の自由を奪うのと同じで、酷い話ではないか。官僚の国会答弁を禁じるのも同じだ。行政の現場に携わり、その詳細を知悉する人間が、国会で答弁をするのはむしろ実際的ではないか。国会の場で官僚の答弁を禁止のは、これも言論の自由を保証した憲法の精神に悖るではないか。大多数の国民の「印象」を要約すれば、大体こんなところに落ち着くのではなかろうか?先日、海堂尊さんの「イノセントゲリラの祝祭」を読んだ。(2010年1月、宝島社刊)私の読み方が偏っているかもしれないが、これを読むと官僚機構がどういうものであるかが分かるような気がして来る。そういうものを分かった上で(或いは分かった積りになった上で)、官僚の天下り規制や、国会での発言禁止の動きなどを改めて眺め渡してみると、こういった動きの最終的な帰趨はさて置くとしても、少なくとも「脱官僚」の動機は分かってくるように思える。これに関して感じたことを、思いつくまま適当に列挙してみよう。(1) 官僚たちにとって官僚機構は至上のものである。国益という言葉がある。われわれ国民はこの国益を素朴に「国のための利益」と考える。そして「国」の中には当然自分たちも含まれると無邪気に思っている。つまり私たちは「国益=国の利益」と考え、「国 ⊇ 国民 ⊃ 自分たち」と考えているのである。そうでしょ?しかし国益を具体的に考えるのは意外に、しかも結構難しい。利益とは遍在するものではなくて局在するもの。局在することで初めて利益と呼び得るものである。万民に遍き利益など分かりにくいし、事実有り得ないのだから。官僚は「国益=省益」と考えるようだ。一見思い上がりであるように見えるが、必ずしもそうではない。日本の官僚機構は明治の構築以来営々と磨かれてきた精緻な構造体である。日本の中でも頭脳の最も優れた部類に属する人たちによる、世界に冠たる組織である。そこには一貫して「日本国のため」という信念があった。だから国益という曖昧なものを捉える時には、「省(庁)益」という物差しで優秀な頭脳が考えるのが最も確実だし、信頼できる。そういう理屈が成り立つのである。(2) 官僚は常に「我が省益」の拡大を考える。社会や世界は常に動いている。それに対して行政の側、つまり官僚機構にも動態対応が求められる。その際に問題になってくるのは、事態が変化し動いていることによって生じる境界領域だ。こういうところは、権限や責任の所在が従来の官僚機構では想定されていなかった、所謂グレーゾーンになってしまうことが多い。又、既存の事柄であっても、複数の官庁の権益が重なっている場合がある。これは、社会や世界が本質的に、常に動いて変化しているのだから当然である。こういう場合官僚は必ず、「我が省」の既得権を守り、出来るならば(出来る限り)それを拡大すると考えるようだ。官僚にとって「我が省」は聖域である。「我が省」の高度に鍛え上げられた機構と、優秀な人材が力を揮える局面が多いほど、結果として国益の伸張に繋がる。そのために他の省庁に、既存であれ新しいものであれ聖域を譲るなど、国のためにも国民のためにも悪である。むしろ、「我が省」は他省庁を圧して自らの領域を獲得していくべきである。それに他の省庁も同じ理念で、同じ目的意識を持って、同じことをやろうとするから、当然そこには競争が生じる。そういう競争は当たり前のことだ。その結果、より洗練された、強力な行政機構が実現され得るのだから、大所高所から見ればむしろ国のためになる。再びそういう理屈が成り立つのである。(3) 官僚は地位に恋々としない。再び、キャリア官僚達は「頭が良い」。しかし、「頭の良さ」にも色々な定義があってよく分からない。どうかすると哲学的な議論にまでなるのでここでは止める。少なくともキャリア官僚になるためには最優秀の大学に行って、最難関の一つである選抜試験に勝たなければならないから、頭が悪くないのは当たり前だ。頭の良い人は、一瞬の間に一つのことを多様な側面から考えられる。そして更にその先、つまり「我が省」の利害得失までを考えることが出来る。一つのことに熱くなって、凡人と喧々囂々するなど愚かである。静かに承って旗色を顕わにしない方がよほど賢明だ。頭の良い人は、ここでは高級官僚は、従って物静かである。声を荒らげることなどしない。そんな事をすれば、相手と同じレベルに堕ちる。官僚の本分は広範な意見や異見を聴取し、それを行政に反映していくところにあるのだ。官僚は言葉遣いも慎重で、決して単刀直入な物言いをして不用意に言質をとられたりはしない。「公平中立」ではなく「偏向偏重」と疑われるからである。だから漢語を多用する。漢語は、難しい漢字を使うし響きは重々しく、背後に深い思量と識見を感じさせてくれるのだ。海堂さんの小説にも「医療過誤死関連中立的第三者機関設置推進準備室」が「発展的に」解消され、厚生労働省医政局長の私設懇談会『診療関連死死因究明等の在り方に関する検討会』が設立されたりしている。これを一息で舌も噛まずに言える人は、官僚になる素質を多少はお持ちだといえる。且つ、言えるだけでなく意味が分かり、おまけにその背景や意図まで読み解けるのであれば、これはもうかなり官僚の素質があるといえよう。但しここで一つ注目すべきは、高級官僚は大半が「無私」だということだ。「国益=省益」という等式にはその先に「私」という項は含まれていない。つまり、官僚はその頂点に近いほど省益(つまり国益)に忠誠を誓っており、自らはその省益(つまり国益)を支える、重要ではあっても一つの機能要素だと考えている節がある。だから人事異動に際しては淡々と辞令に従うし、同期が次官になれば潔く去る。官庁で事務方(官僚のことをこうも呼ぶ)が異動したといって、それが大々的にニュースに報じられたことは無い。又、ヒーローや有名人として騒がれたり讃えられたりする官僚がいないのも、同じ理由である。官僚は官僚機構の守護者であり、無私の奉仕者である。但しこの奉仕は直接国民や社会には向かわない。常に「我が省」を通してのものである。そこに官僚としての誇りと矜持があるようだ。そしてそういう考えが畢竟国の為になるのだという信念がある。その信念に邪念も私欲もなく、従って「省益=国益」という等式は無矛盾に成立し続けるのだ。官僚の中にも、独自の思想や理念を掲げ、且つ自己顕示欲の強い人だって居る。しかし、そういう人は遅かれ早かれ政治家になっていくのだ。官僚はあくまでも怜悧で寡黙で目立たない事を通じ、省益と精緻な官僚機構を護持していく、清廉で高貴な上流階層なのだ。(4) 官僚と政治家。こういう構造の官僚機構とうまく折り合ってきたのが、長きにわたった自民党政権である。自民党はいい加減なごまかしを言わない(本音がバレるからだ)。自ら国を構成する、ある地域や団体の利権代表であると公言はしないが、さりとて隠しもしない。しかし国会や、国権を発揚する局面では、これを国益として止揚しなければならない。そこで、「無私」であり省益=国益を至上とする官僚機構との相補的な関係が生じる。自民党政権にとって、官僚機構は頼りになる顧問であり執行者であった。官僚機構にとって、政権自民党は自らの聖域を保障してくれる守護者であった。以前の歴代の総理大臣は、具体的な事を問われると、「その辺は、各省の司々が・・・」と答弁するのが普通であった。そうだったでしょ?官僚は執行者だと書いたが、実は執行者というより「執行に際しての制度設計者」と言うほうが正しい。優れた頭脳を駆使して、実に精密に制度設計を行うが、その結果を実際に執行していくのも、その結果の良し悪しを実際に受け取るのも官僚ではない。執行の結果に際して責任を負うのは省にとって危険である。だから、人事異動を行って担当者を入れ替えたりして、具体的な責任をぼかしておく。官僚の言葉に漢語が多用され、つまりはどうとでも取られるようなものになるのも、自己防衛のための手段なのだ。官僚との共存期間が長くなると政治家の言葉遣いも似てくる。「良く知らないけれど、本当なら残念だねぇ。でもワタシは悪くないよ。謝らないよ。」というのは、「そのような事実があったとすれば、まことに遺憾な事だと存じます。」となる。「そんなに云うんなら考えてもいいけれど、あんたが言うほど単純で簡単じゃないよ。いつになるか分からないよ。何なら自分でやってみな。」というところは、「ご指摘に関しては、慎重且つ包括的に総合的見地また国際的な見地からも検討を重ね、総合的に且つ可及的速やかに対処すべく鋭意努力をして参る所存でございますので、何卒ご支援のほどお願い申し上げます。」となる。ちょっと気になるのは、今週から始まった国会で、民主党の鳩山さん辺りに良く似た表現が見られるようになったことだ。民主党の政権交替の意義は、国益=省益の構図を変え、国益=国民益にするところにあった筈だ。だから、「脱官僚」が象徴的旗印になり、その結果官僚機構からの大同団結した反撃を、特に官僚を敵に回した本陣に喰らっているとも云えなくない。かつての与党は搦め手からこれを応援しておけば、清潔な政治という大義名分を振りかざすことが出来る。それによってあわよくば権力を再び奪還できるチャンスもあるし、その場合には以前の官僚機構との関係を修復、再現できる。私は海堂さんの小説に影響され過ぎてしまったかもしれないが、民主党の掲げる脱官僚の思想と、今国会での政治献金問題は関連しあっているものであり、それだけに今後とも尾を引いていくという気がしてしょうがないのだ。そして、やはり官僚機構というものは不気味だし、白を黒だといい、黒を白だといって、実は灰色になったと思ったら、最終的には無色になったというのは、ミステリーとしては面白いけれど、現実にはやはり気持が悪い。しかし、いずれにしても「国益=国民益」という等式を(間に省益が入ったって少しは良いと、私は思うけれど)しっかり組み上げ、そしてその「国民」には、あなたも私も確実に含まれているように、ちゃんと見守り、必要に応じて声を上げたり、場合によっては行動も辞さない心積もりをしておくことが大事だと思うのだけれど。
2010.01.22
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☆ 1月15日(金曜日) 旧十二月一日 乙丑(きのと うし) 赤口: 朔、小正月、小豆粥【ぜんざいとお汁粉】今日話していた女性の知人が、いきなり「やたらとお汁粉を食べたくなった」とおっしゃった。思えば1月15日は小正月で小豆粥を戴く習慣が有った。今でもそういう習慣があるところがある。小豆粥ではなくお汁粉を戴く地方もある。小正月は女正月ともいい、年が明けて二週間、あれこれ忙しかった女性をいたわる意味も有ったそうだ。女性は甘いものが好きだから、小豆粥よりお汁粉の方に人気があるのだろう。小正月にお汁粉を食べたいと言う気持ちになるのも、女性特有の本能の為せるところかもしれない。お汁粉と聞くと、ぜんざいとお汁粉はどう違うのかが気になる。そんな事は女性にとっては既に常識なのかもしれないが、甘党でない私にはよく分からない。和菓子屋さんには小さな喫茶コーナーを併設しているところがあるが、偶々そういう処に入ってメニューを見ると、お汁粉、田舎汁粉、ぜんざいなどと書いてあって、いよいよよく分からない。分からなくても私はそういうものを頼むわけではないから、解答はいつも置き去りで、店を出れば疑問自体も忘れてしまう。そして又いつか同じ疑問が気になるのだ。これでは理論家で博識という名声(要するに理屈っぽくて、知ったかぶりという見解もある)を博している私としては、気持が悪いからこの際少し調べてみた。ぜんざいもお汁粉も、本質は「小豆を煮て餅などを加えた、汁状の食べ物」である。従って私の疑問は、(1) 小豆と砂糖を材料にする、汁状の食べ物を何と呼ぶか?(2) (1)の成果物にはどういうバリエーションが有るのか?という質問に集約できる。調べた結果、先ず(1)の答えは、「ぜんざいか若しくはお汁粉と呼ぶ。但しその呼称には地域性がある。」ということだった。関東地方は「お汁粉」が優勢で、「ぜんざい」は関西以西で圧倒的な呼称である。圧倒的というより、関西以西の地方では、お汁粉などというものには元来市民権が無いようである。ぜんざいは「善哉」とも書く。かつてテレビで「蝶々雄二の夫婦善哉」という番組があった。あれは、「夫婦お汁粉」ではしっくりしない。夫婦善哉は、都蝶々と南都雄二という漫才師の出てくる、大阪のテレビの番組だった。もともと小正月の小豆粥を戴いた残りの茹で小豆を使って、砂糖を加えて甘くし、其処に鏡開きしたお餅を入れて、女子供が中心に戴いた。これはケチで有名な(だった)京都の町屋や、大阪の商家での慣わしだったそうで、食べてみると非常に美味しい。そこで「善き哉!よきかな!」というので、善哉(ぜんざい)という名が付いたというのである。小豆粥の残り物の利用だから、小豆には当然皮が付いたままだ。だからこし餡ではなく粒餡、或いは煮崩れてこし餡状態になっていても、豆の皮はそのまま入っている事になる。しかし、「ぜんざい」の由来は、これが定説という事でも無いようだ。旧暦の十月になると、日本中の神様が出雲に集合される。それで日本の津々浦々は神無月と言われる。逆に出雲地方では全国から八百万の神々を迎えて神在月となる。出雲ではお集まりになった神々に小豆を煮た汁に餅を加えてお供えするのが仕来りであった。これを「神在餅」と呼んだそうだ。神在月の「神在」は音読みすると「じんざい」となる。これからお供えの小豆餅汁が「じんざい」と呼ばれるようになり、これが転訛して「ぜんざい」になった。なんだかインチキみたいだが、室町時代の「尺素往来」という書物に出てくるちゃんとした話である。私は、どうも出雲説の方がそれらしい気がする。京都でも大阪でも言葉が転訛していく際には、大和言葉に近くなっていき、響きが柔らかくなっていく傾向がある。それに「善哉」という漢語染みた硬い言葉は、小豆餅汁のような柔らかいものには何となくそぐわない。それより神様がらみで「神在」から「ぜんざい」になったと言うほうが自然である。そんな気がする。次に、(2)の答えだが、これは少しややこしくなる。関西以西では、基本的に粒餡で小豆の皮付きというのは上に書いたとおりだ。従って、小豆餅汁のバリエーションは主に関東から東北地方、東日本での話である。つまり「お汁粉」を中心とした話となる。先ず、「お汁粉」というのはこし餡が基本で、小豆の皮も小豆の粒も入っていない。小豆の皮や粒が入っているのは、此方ではわざわざ「田舎汁粉」と呼んでいて、誇り高き大阪人や、雅な京都人を時々怒らせるのだ。「坂東の田舎者に上方の善哉を田舎汁粉呼ばわりされるいわれは無い!」というわけだ。そして、東日本で「ぜんざい」といえば、粒餡で「汁の無い!」ものを指す場合が多く、東京の甘味処に関西人が訪れたりした際には、「善哉を頼んだのに、あんこだけ出された!汁が無いやおまへんか!」と揉め事になったりする場合があるそうだ。又、東京では、こし餡の本来の「お汁粉」を「ぜんざい」と呼び、粒餡の方を「田舎汁粉」と呼ぶ店もあるそうなのでややこしい。さて、年来の疑問(というほどでもないけれど)に関して調べた結果をまとめると:件の食べ物の呼び方は「ぜんざい」の方が歴史が古く由緒がありそうだ。何しろ室町時代なのだ。「汁粉」の方は明治期になってから、東京に「汁粉屋」を掲げる店や屋台が出たのだそうで、殆どは明治維新で失業した元武士たちによるものだったそうだ。だから、その由緒も歴史も断然「ぜんざい」に軍配が上がる。「ぜんざい」は基本的に粒餡(少なくとも小豆の皮入り)を基本とする。こし餡は「汁粉」特有のもので、関西では認知されていない。関西人は汁粉を「あんな粉っぽいもの、あんこの水溶きでんがな。ワヤでんなぁ!」と馬鹿にする。関東人も粒餡の「汁粉」を「田舎汁粉」と呼ぶのは、その来歴を考えれば思い上がりであって、国際紛争の火種になりかねないから控えたほうが良い。と、いう事になりそうである。要するに「ぜんざい」は粒餡で関西。「お汁粉」はこし餡で関東。「田舎汁粉」はこの際世間から抹消するほうが良い。と云う事である。因みに、「ぜんざい」と「汁粉」の境界線は、フォッサマグナの西の端、つまり糸魚川-静岡構造線とほぼ一致するそうだ。この境界線は中々意味深長である。他にも「天ぷらにソースをかけて食べるか?」(ソースをかけるのが西日本。)、「紅しょうがの天ぷらがあるか?」(あるのが西日本。東日本にはそんなもの無い。)、「中華まんか豚まんか?」(豚まんが西日本。)、「肉と言えば牛肉か豚肉か?」(牛肉が西日本。西日本では豚肉は単に肉ではなく、わざわざ「豚肉」と言わなければならないし、鶏肉は元々肉の仲間ですらなく、「かしわ」という独自のカテゴリーに所属する。)、そして「鰻の蒲焼は腹裂きか背裂きか?」(腹側を裂くのが西日本。)、「エスカレータに乗るとき、立つのは左側か右側か?」(右側に立つのが西日本)というものの境界線も、ほぼこの位置にあるのである。何故中央地溝帯の西の端が、日本の東西文化圏の境界になるのかは、又改めてのテーマである。
2010.01.15
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☆1月14日(木曜日) 旧十一月三十日 甲子(きのえ ね) 仏滅: 十四日年越し、大阪四天王寺どやどや、仙台どんと祭り【魯山人】生来のへそ曲がりで、本でも人物でも人に先鞭を付けないと納まらない。新刊本でも奥付の出版日より以前に書店に並ぶのを買うのが、無上に好きだ。そして話題になるより遥かに先に読み切って、話題になる頃にはニヤニヤしているのだ。だから、既に評価の定まった偉人や有名人には、近寄るのにはかなりの抵抗感がある。北大路魯山人もそういう人の一人であった。魯山人といえば美食家で陶芸家として知られている。世の中の食通や粋人と称される(殆どは自称だが)連中が、彼を讃えるのを見聞きしたり、高ビーを気取った料理屋で、棚に「魯山人作」などと麗々しく器が飾られていたりすると、いわれもなく反感を掻き立てられて、わざと無視したりしていた。厄介な性格だと思うが、そうなんだからしょうがない。それがひょんなことから「魯山人味道」という本(中公文庫:平野雅章編:1995年)を読むことになった。読んでみるとこれが面白い。最終的に「何だ。彼はとどのつまり私と同じような感性の持ち主じゃないか。」と思ってしまった!食わず嫌いで遠ざかっていたのに、いざ接してみると大いに共感して、挙句の果てに感化されてしまうのだ。要するに理由もなくわざわざ遠回りして、同じ場所に辿りついたようなものだ。魯山人は京都生まれの人だから、魚は瀬戸内、豆腐は京都、出汁を引くのは昆布が第一と、どうしても贔屓が西の方に傾くのは、これはしょうがない。しかし、色々な話を総合してみると、彼は詰まるところ食材を大事にしなさいと言っているのだ。これは大いにその通りだと思う。魚でも野菜でも、素材が一番大事で、その味を良く心得ておくこと。そうすれば、いつの時期が一番良く、どう味付けして、どのように料理すれば美味しく戴けるかは、自ずと分かって来る。彼はそういうことを言っているのだ。これなど夏目漱石の「夢十夜」の中の「運慶」という話に通じるところがある。材木の中に元から仁王が埋まっているので、運慶はただそれを掘り出しているだけだ、という。それなら自分にもできるはずだと、手近な材木を掘り進んでみたが、一向に仁王は現れて来ない。それで、この材木の中には仁王は居なかったのだと思う、という話である。料理でも「仁王の埋まっている」食材を知ることが肝要で、それさえ見極めれば、後はそれを「掘り出してやる」だけだということだ。そうなると、海の幸も山の幸も、それが採れるところへ丁度良い頃に行く事が、「仁王の埋まっている」ものに出会う秘訣だろう。そしてそういうものは、地元の人にはごく当たり前のものである。しかし、こういうものを、喩えば東京辺りで食べようとすると、高い運送費を費やして即座に持ってこなければならない。つまりは畢竟高価なものになる。そうして持ってきても、やはりそれなりの時間が経過しているから、やはりその土地でじかにいただくものには及ばない。それでもありがたがって大枚を費やして喜ぶ人種を、最近は「グルメ」と呼んでいる。もう一つ、食には土地柄というものが大事である。私はメキシコとテキサスの境界の町、エル・パソで飲んだマルガリータというカクテルがえらく気に入って、地元の人にねだってその材料を戴いて持ち帰り、日本で指示通りに作ってみたらちっとも美味しくなかったという経験がある。やはりメキシコの缶ビールで、ライムを搾り、塩を少し振り入れて飲むと大変美味しい「テカテ」というのが有るが、これも青山のショットバーで見つけて飲んだら、べら棒に高いだけで不味かった。要するにマルガリータもテカテも、あのカラカラに渇ききった土地で飲むからこそ美味しかったのだ。これはビールも同じだ。ニューヨークではバドが美味しくて、キリンはそれに劣る。日本ではその逆である。これは食べ物も一緒で、ほたるいかは富山湾で戴くのが一番美味しいし、桜海老も駿河湾でそれを戴くのが最高である。つまりは、美味しいものを戴くには、金を遣うよりも、そこまで出掛けて行くという労力を使えということだ。(結局其処へ行くのにお金も遣うが、それでもこのお金は普段とは違う場所に自分を運んでくれるものでもあるから、お得である。)これはその土地々に敬意を払い、自然の生り物に対して謙虚に繊細であれということだ。なるほど、大いに共感できる。魯山人はもう一つ言っている。それは、「あの料理屋はあれが美味しい」というのは続かない、ということだ。食材を吟味し、包丁で形を整え、味を調えていくというのは、極めて個人的な仕事であり、それは創造的な作業だというのだ。これはある面で芸術に似ている。画でも彫刻でも、誰かの弟子だといっても、師匠の模倣をすることでは無い。最終的には自分の技量と才能で自分の作品を創るという事になる。ロダンの弟子はロダンの作品を継承して創るのではないし、それはゴッホでも同じだ。もっと言えば三遊亭円生も何代目かということで、全く芸風が変わるのである。つまりは料理屋でも料理は板前・職人個人に拠るものであり、職人が代替わりすれば、同じ料理屋の同じ料理であっても、それは別物になるということだ。これも大いに納得できる。もう一つ。これは、魯山人は言っていないが、一緒に食べる人も美味しさの大事な要素だ。いくら良い食材を使った、立派な料理屋の料理であっても、一緒に食べる相手によってはちっとも美味しくなくなる。逆も真なりで、質素な食事であっても、相手さえ良ければ山海の美味とはいわないまでも、大いに美味しく戴けるものだ。魯山人には大いに共感するが、それでも良い食材と良い職人と(そして彼は「料理の着物」として、良い器という事を言っている)を両方ながら揃えようとすれば、やはりどうしても結構な出費を余儀なくされる。それが中々儘ならないとすれば、せめて良い相手を選んで、そちらの方から美味しくいただく工夫が必要になるかもしれない。それにしても、魯山人の「魯山人味道」は一度読んでみる価値のある本だと思う。【泣いてもいいから馬謖を切れ!】「母心による資金援助」の件が少し下火になったと思ったら、今度は小沢さん絡みの政治資金の問題が大きくなった。前にも書いたが、由紀夫さんのお母さんの件は、金額面で庶民感覚を逸脱したものだとはいえ、一種の美談と言える。それに由紀夫さんはもう税金も納めた。(くどいようだが、邦夫さんは税金をどうしたのか、気になる。誰かご存知だったら教えて欲しい。いっそ本人に訊いてみようか?)それに較べ小沢さんの一件は、どう見ても胡散臭い。実に古典的な「土地・不動産」と「政治資金」が絡まりあって、「陸山会の慣習だったから」とか、「帳簿の付け忘れ」などがぞろぞろ出てくるのだから、昔の「自民党物語」をまたぞろ聞かされているようでしょうがない。小沢さんはどこかの講演会での演説で、「まだ検察の捜査が続いているようですから、この件に付いては・・・」などとおっしゃった。「続いているようですから」などとはまるで他人事で白々しい。「ようですから」どころじゃなくて、歴然と捜査が続いていることは皆知っている。検察は事情聴取を申し入れているのに、小沢さんはそれには応じていないのだ。全く、「続いているようですから」も無いもんだ。「この件は一切弁護士に任せていますから」というのも、「だからアンタたちなんかに話す義理はないのだ」という事と同じだ。政治家という公人で、公党の幹事長という立場の人の態度としては、余りに傲岸不遜である。「私も意識して法に触れるようなことをした覚えは全くありません」というのも、曳かれものの小唄染みた台詞だ。じゃぁ「意識しないで」やっちゃったんだな、きっと。覚えも無くして結果的に悪いことをしてしまうのなら、それじゃぁ今度は政治家としての資質の問題になるな。法律ではこれは「未必の故意」といって、一般人でも誰でも立派に罪になる。同じ演説の中で、「何より私は国民の生活第一でして・・・」とおっしゃった。こんな事を同じ口で云われると、江戸っ子ならずとも「・・・ってやんでぇ、べらぼうめ。てめぇのケツもちゃんと拭けねぇ野郎がお為ごかしを言うんじゃねぇやい!」と啖呵を切りたくなる。あの人に「国民の生活第一で」などと云われると、国民の一人としては無性に気持が悪い。自民党の大島さんが、「何しろ強制捜査はこれで二度目ですからねぇ・・・」と、わざと沈痛な面持ちでおっしゃるのを聞くと、「なぁ小沢屋よ、おぬしもワルよのぉ~。うりゃうりゃうりゃ」と続けたくなる。どっちにしても、小沢さんの雰囲気も「小沢流」も、昨年の選挙で大勢が投票した時の、「清新」と「変化」のイメージには、最早どうしようもなく遠いものである。泣いて馬謖を斬るという故事がある。民主党では多分小沢さんの方が「格上」で先輩だから、この故事は正確には該当しない。しかし、そこはそれ、由紀夫さんは立派な党首だ。それに何より、国会で選出され、天皇陛下の認証を受けた総理大臣である。此処は一つ、腹を据えて敢然馬謖を切るべきだろう。そうして後顧の憂いを絶ち、山積する問題に注力して、堂々と参議院選挙に臨むべきだろうと思う。そうでないと、小沢問題に引きずられ、再びお母さんの件までこれを増幅するようになり、普天間問題やその他も輻輳して、参議院選挙では負けてしまう恐れもある。参議院選挙で単独過半数を大幅に割り込むことになれば、大姑小姑にかき回されて、折角の「開かれた政府」も「変化」もおかしくなってしまう。国民はそろそろ民主党の資金問題(特に小沢問題には余計に)には飽きが来ているぞ。今こそ、内閣支持の最大の理由である「他の内閣より良さそうだから」という点を、由紀夫さんは真摯に受け取って欲しい。今民主党がおかしくなると、またぞろ古臭い自民党に政権を渡さなければならないのだよ。そんなこと、大半の国民は望んでいないのだから。
2010.01.14
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☆ 1月13日(水曜日) 旧十一月二十九日 癸亥(みずのと い) 先負:【成人の日再び】さて、成人の日のテレビニュースで、新成人に「あなたにとっての大切なものは?」と訊ねたら、例のフラミンゴ女たちが「家族です」などと答えていた。又「新成人として何を決意しますか?」との問いには、若造が「二十歳の社会人として、社会のために責任を持ちたいと考えます。」などと答えているのが耳に付いた。非常に気持悪かった。今の二十歳は昔の二十歳とは大いに違う。「昔の二十歳」といっただけでは幅が広すぎてよく分からない。戦国時代から江戸時代位までは、日本人の平均寿命も短かった。人間だけでなく生き物はその一生の長さに応じて、人生の階梯の時期も変わってくるように思う。ネズミは生まれるや否や程なく歩き始め、直ぐに「大人」になり、早々に自立して生殖行為を精一杯繰返し、四年もすれば世代交代していく。人間も「人生五十年」などという時代には、十歳デコボコの頃には既に大人としての責任を背負わされ、二十歳代の頃までに何事かを成し遂げ、三十歳かそこらで老成し、家督を譲ったりして、後は成仏するに任せるというようなプロセスが典型的であった。それに較べれば現代人の一生は格段に長い。一生が長いと人生の節目の時期も延びる。人間が一生の間に成し得る事は、今も昔も大差は無いはずだ。だから、結局節目の間隔が長くなるという事でもある。現代の物理年齢(実際の歳)に0.7を掛けてやることで、司馬遼太郎の小説に出てくる主人公たちの年齢と対等に比較する事が出来るという説がある。こういう説は私などにとっては有り難い。49歳で亡くなった、我が畏敬する夏目漱石は、この方式では70歳に亡くなった事になり、「未だ私でも間に合うかもしれない!」と思える。漱石の小説にも出てくる寺田寅彦は享年57歳だったから、これは今の81歳に相当する。こうなりゃもう私なんぞは楽チンじゃないか!凶刃に斃れた坂本竜馬は31歳だったが、これが現代に引き直せば44歳くらいだと思えば、「それでも早すぎる死だが、よく頑張った!」と落ち着ける。私だって昔流に言えばタカが43歳ではないか!まだまだ頑張ってやるぞ、という気持ちにもなろうではないか。今後この説は「年齢七割論」として、大いに支持することにしてやろう。さて、そういう意味では現代の二十歳は十四歳という事になる。そう思って見れば確かにそうだ。未だ二十歳の大多数は親掛りだし、殆どが学生である。つまりは「成人」どころか、「やっと子供時代を抜け出しかかったひよっこ」程度のものだ。その「十四歳のひよっこ」が、賢しらげに「家族」を大事にしてどうする!?「社会のための責任」って、そんな責任を担えるレベルか!?彼らはテレビの手前だからと、殊勝な事を言って取り繕ったのかもしれない。昔の十四歳と今の二十歳が断然違うところは、「マスコミ受け」することに非常に敏感だという点である。無論、昔には今のようなマスコミは無かったからでもあるが。それにしても、タカが二十歳、されど二十歳でもある。制度的には大人扱いを受け、しかも中身はまだまだ清新な年齢である。カメラの前で詰まらないチマチマしたことなど言って欲しくは無い。むしろそういう歳であれば、家族などどんどん踏み台にして外の世界に向かうべきだろう。今のいい加減な社会に貢献することなどは考えず、社会を作り変えるくらいの事を考えろってんだ。二十歳なんて、これからが黄金の時代じゃないか。今は多少乱暴でもいいから、大望や大志を養い、大きい事にどんどん挑戦してやろうと思うべきなのだ。弱冠二十歳にして、「家族を大事にし」、「社会に責任を果たす」などと考えるのは、こういうのを「草食動物的」というのかもしれない。「草食動物」というのは今の流行りらしいが、草食動物は食物連鎖上、肉食動物を養うために在るのだ。肉食動物のための「栄養凝縮装置」だ。少なくとも生き物の世界ではそうだ。おまけにこの世界には、獰猛な肉食動物が一杯いる。身近、近隣、国内はもとより、国外に至るまで、狡知に長けた肉食動物が舌なめずりして諸君らを眈々と狙っているのだ。これをグローバリゼーションというのだ。そういう環境の中に、実質十四歳のあなた方は、しかし形式的には成人として、これまでの少年法などの手厚い制度的な庇護を剥奪されて乗り出していくのだ。あなた方は、高々二十歳になったくらいで、老成したフリをして、月並みに殊勝めいたことを言っていると、絶好の獲物として肉食動物たちに易々と餌食にされてしまうぞ。若者たちが皆御行儀の良い草食動物になってしまうと、この国はいよいよ滅びるぞ!・・・と大いに言い続けたいのだが、ちょっと草臥れたので、これは又の機会に譲ることにしよう。何れにしろ、今年の成人は全員が平成生まれになったのだそうだ。昭和生まれの世代こそ、ぶうぶう煩く言わないでおとなしく草食動物になれと、反撃されそうな心配もあるし。
2010.01.13
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☆ 1月12日(火曜日) 旧十一月二十八日 壬戌(みずのえ いぬ) 友引:【今日の暦】正月気分も漸く薄らいで、もう寒中のさ中に入って一週間である。寒の入りは二十四気の小寒であり、今年は1月5日であった。その後大寒(今年は1月20日)を経て、節分(今年は2月3日)までの期間を寒中という。東洋の暦では立春を以って冬の終わりとするが、西洋では立春が冬のピークであり、冬は春分の日まで続く。これは、東洋の民族は季節を微分で捉え、西洋は積分で季節をみるという、感性の違いが有るからだ。何れにしろ今頃は一年の内でも一番寒さが厳しい。その名に違わず、今日は東京や私の住む所沢付近でも小雪が舞った。【成人の日のフラミンゴ】昨11日月曜日、最寄の駅頭に、色鮮やかな和服を身にまとい、一様に真っ白な羽毛のショールを肩に掛けた、フラミンゴみたいな若い女性たちを見かけた。11日は成人の日だったのだ。この日が何の理由で休日なのか忘れていたので、和服姿の女性達を目にして、改めて気が付いた。よく見れば、歩き方もフラミンゴみたいで、和服姿のしとやかさには程遠い。【ハッピーマンデーという浅知恵】元々成人の日は1月15日だった。今でも成人の日と云えば15日を思ってしまう。これは2000年に、「ハッピーマンデー」という休日法が施行されたせいだ。役所も世の中も、いい加減な理屈で世間を言いくるめようとする時には大抵カタカナを使うものだ。要するに「アクセク働くしか能が無かった日本人に、少し休日を増やしてやって、ゆとりを与えてやろう。」という政府のお節介とも言える。国民の祝日を特定の日付に固定する代わりに、1月の第二月曜日というように浮動させれば、連休になるから余裕が出来るだろうという訳だ。「お上の有り難い思し召し」と思えなくも無いけれど、余計なお節介の押し付けだともいえる。連休になっても、こう景気が悪くては、二十歳の子供には縁の無い大方の庶民は、とてもハッピーで優雅どころではなく、不貞寝でもするくらいがせいぜいだろう。【小正月】物事には、何事であれ由来というものがある。成人の日が1月15日であったのにもちゃんと理由が有るのだ。1月15日は「小正月」である。元日を「大正月」というのに対しての言葉だ。太陰暦では正月の望(満月)の日を小正月といったが、太陰太陽暦(明治の頃までの日本もこれを使用していた)では正月15日が小正月とされた。この日までは「松の内」とされ、日常の色々な行事は控えられていた。そして小正月の日になると、門松や注連飾りを外し、鏡餅も床の間などから引下げた。冬枯れの田畑に竹を組み合わせた櫓を組み、そこにお正月飾りや書初めなどを持ち寄って、火をつけて焚き上げた。正月のお祭りも終わり、けじめを付けて、いよいよ始まる日常の生活の安寧と豊作を祈るという意味があったのだ。又、盆の送り火と同じように、門松や注連縄でお迎えしていたお正月の神様をお送りするという意味もあったという。これは、「左義長」とか「どんど(どんととも)焼き」と呼ばれる。鏡餅を砕いたのを、この火で焼いて、お汁粉にして食べたりもした。また、小正月には小豆粥をこしらえて食べるという、古来の風習もある。これは正月の間、獣の肉を始め、赤いものを食べるのを慎んできたのを、赤いものを小豆に代表させて粥としていただき、けじめをつけるという事だったらしい。又、松の内には竈を始め色々なものを休ませてやる期間であるのに、その間も何かと忙しかった女たちを労わるという意味で、小正月を「女正月」と呼ぶ地方(主に東北地方)もある。こう書いてくると、皆さんの内にも子供の頃の情景を思い出す方も多いだろう。私の場合も、郷里では「左義長」といって、近くの吉野神社に集まり、境内に笹の櫓を組んで、お正月飾りと書初めの半紙などを持ち寄って燃やしたのを思い出す。自分の書初めの半紙が、燃えながら空高く上がっていくと、「字が上手になる」といって喜んだものだ。今では火事になるとか、有毒ガスが出るなどといって、左義長やどんど焼きなどは、多分郷里の吉野神社でもやらなくなっただろう。【小正月に元服】大正月は歳神や祖霊を迎え祝うという、いわば「大所高所」の見地からの行事が主だが、小正月はそれに変わって農業の豊作や、家庭の事柄を祈るという、身近な「小局」に対する行事という色彩が強い。そこで、この日にはその家の男の子の「元服の儀」というのも行われた。これは、数え年で12歳~16歳位の年齢に達した男の子に対して、大人の仲間入りを認めるという儀式で、地方や階層によって様々な変化があるが、要するに「もう大人扱いするから、その積りでしっかりしろ!性のコトもちゃんと教えてやるから。」という趣旨は共通している。女の子には、古くには「裳着」という儀式があったが、これは公家の女の子だけの成人儀式だった。江戸時代になると女の子にも元服の儀が行われるようになった。江戸時代は女権の飛躍的な伸長の時代でもあったのだ。しかし、女の子の元服の儀は今とは異なる。派手な服を着るのではなく、むしろ地味な服に改め、日本髪の結い方も大人の女性のスタイルにし、厚化粧をしてお歯黒を付けて、引眉をしたのだ。この点、今の成人式で猫も杓子もチビ黒サンボも茶髪も、色違いのフラミンゴのように飾り立てるのとは大いに違う。女の子の場合も、男の子と同様、「もう大人なんだから、ちゃらちゃらしないで、大人びた形に改めなさい」という趣旨だったのだ。因みにお歯黒も引眉も、既婚女性と共に大人の女性のサインだったのだ。引眉は、本来の眉毛を剃るか抜くかして、その後本来より高い位置に、半円形の眉毛を墨で描くものである。平安時代から男女共に始まり、室町時代には描眉の位置は高くなった。これを「殿上眉」といって、今ではお能の面にその姿を偲ぶことが出来る。お歯黒(鉄漿)も引眉も、最近の時代劇ではさっぱり再現されなくなった。だから大河ドラマでも民放の時代劇でも、出てくる当時の武家や公家の顔は、あれは皆ウソである。当時は庶民を除き、時代劇の主人公になるような人たちは皆、「千と千尋の神隠し」に出てくる「カオナシ」のような御面相だったのだ。鉄漿は決して美的なものでは無い。むしろ現代の我々から見れば醜いとすら思える。何しろ「白い歯っていいな」には真っ向から反する。これが廃れてしまったのは、むしろ喜ばしいともいえる。しかし、引眉は未だに立派に残っている。今では中学校の女の子位から引眉をやっている。流石に大和撫子の末裔。ちゃんと伝統を守っているのかもしれない。【成人の日は元服の儀礼】さて、要するに「成人の日」のルーツは、古来の元服にあるのであり、これは小正月の重要な行事の一つだったということだ。これが、ハッピーマンデー法によって、適当に浮動する事になってしまっては、その由来も意義も薄れてしまう。これでは詰まらないじゃないか、と云いたいわけだ。小正月の伝統行事をハッピーマンデーにしてしまうのなら、ついでに考えてみて欲しい。今上の天皇誕生日(12月23日)も、ハッピーマンデーにしてしまったらどうなのか?畏れながら、今上のお誕生日は師走の慌しい最中、それもクリスマスイブの前日というややこしい日にある。往々にして飛び石連休になるから、余計に慌しさが募る。これをハッピーマンデーにしてしまえば、昨年は19日~21日までの三連休だったし、今年は18日~20日までの三連休。そして来年は23日~25日までの三連休となって、いっそ休日が固まってすっきりする。こんな事を書くと不敬を疑われ、右翼辺りから狙われるかもしれない。しかし、私の本意は今上のお誕生日を浮動日にしろという処に有るのでない事は、賢明な皆さんは既にお分かりだろうと思う。【休日一考】わが国の祝日、つまり国民の休日は全てそれなりの歴史と理由があってのものである。それぞれの日付というものにはちゃんとした根拠が有るのである。その日に国民がこぞってお休みするというのは、ただぐうたらするのではなく、古人の生活や習慣にいっとき思いを馳せ、我々が拠って来るところを考えてみようという意味合いが有るはずだ。そういう意味を忘れ、ただ長く休ませてやろうというのでは、おかしいだろうと思うのだ。わが国には、国民の祝日とされる休日が年間15日有る。この内「ハッピーマンデー法」によって捻じ曲げられ浮動日になったものが4日ある。つまり、既に述べた「成人の日」を筆頭に、「海の日」、「敬老の日」、「体育の日」である。これらのそれぞれには、勿論その元になった日付がある。だからその休日の意義や意味を偲ぶという点において浮動休日では感心しない。国民の祝日という以上、その由来に敬意を表して、日付は動かさないようにすべきだ。【ちょっと余談】世界で一番「国民の祝日」が多いのはどの国か答えは我が日本国である。これは「振替休日」というのを含めての話だ。例えば今年の場合だと、お正月の三が日(3日間)、1月11日成人の日、2月11日(紀元節)、3月22日(春分の日の振替)、4月29日(昭和天皇生誕祭)、5月3日~5日(3日間。憲法施行記念日、端午の節句。「みどりの日」という変な祝日も含む)、7月19日(海の日)、9月20日(年寄りの日)、9月23日(秋分の日)、10月11日(東京オリンピック開催記念日)、11月3日(文化の日)、11月23日(勤労感謝の日)、12月23日(今上生誕祭)となる。今年は土曜と日曜を除き述べ17日間ある。これは世界ダントツである。私は休日の多さを問題にはしない。これが「国民の休日」として定められ、法律で一億三千万の国民が一斉に「休む」ことを強制するものである事が胡散臭いと思うのだ。(無論休日を当て込んで商売に勤しむ人たち、つまりコンビニの店員や、観光地の旅館の職員、お土産物屋さん、鉄道やバス、航空会社の人たち、そして警官や消防の人たちは休日とは無縁だが、とりあえず面倒なのでこういう例外は無視する。)日本人はどうしても右へ倣えという気風が抜けず、休日だって「皆が休むから」としてやらないと、中々休みにくい。従って休日になると巨大な人口が大挙して「休み」、一斉にあちこちへ「ゆとりの休息」を取りに出かける。その結果電車も飛行機も混雑し、道路は渋滞してお父さんは苛々し、方々で事故も起きる。旅館は「季節料金」と称して法外な値段をふっかける。お陰で、本当にゆとりを以って休息しようと思う人は、都内に残ってガラガラの道路を悠々と通り、綺麗な空気を楽しむほうが良いことになる。良く考えてみると、国民の祝日の内、本当に国民全体で祝うべき根拠をしっかり持っているのは、お正月と、昭和天皇生誕祭、憲法記念日(5月と11月)、新嘗祭、今上生誕祭、そして春分・秋分の日位ではなかろうか?これでも延べ10日間である。後は各自治体それぞれが、その土地に因んだ祝日(休日)を銘々定めるようにしたらどうか。又企業や学校などにおいては、創立記念日や上場記念日などを理由にして、やはり銘々に休日や休暇を取れる期間を決めることにする。その際にはハッピ-マンデーやTGIF(Thank God! It’s Friday!)などを(あくまでも銘々に)考慮すればよい。実際アメリカでは、連邦法で定められた一斉休日は少なく、州ごとや企業ごとに休まなかったり、新たに休日を定めたりしている。こうすれば大混雑も、「休日料金」と称する理不尽も、お父さんの苦労も疲労も、多少は緩和されると思うのだが。日本人お得意の「一斉主義」も多少変えてみればよいと思う。
2010.01.12
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☆ 1月7日(木曜日) 旧十一月二十三日 丁巳(ひのと み) 先負: 下弦、七草、人日、太宰府天満宮うそ替え【人日】「じんじつ」と読む。これは一般には余り馴染みがなくなってしまったけれど、桃の節句、端午の節句、七夕、重陽(菊)の節句と共に、五節句の一つである。お正月があけると色々な行事が続く。殺生を諫めるという日も続き、元日から順に、鶏、狗(犬)、猪(豚)、羊、牛、馬を殺してはいけない日とされてきた。だから元日に鶏を絞めて、きりたんぽ鍋を拵えたり、三日にしし鍋や豚のしょうが焼きなどをいただいたり、五日にすき焼きや牛しゃぶをしたりするのは、本来余り勧められない事だったのだ。尤も殺すのはいけないけれど、予め精肉にしておいたのを戴くのは良いのだと、理屈をこねる事は出来る。そして七日目は、いよいよ人を殺めてはいけない日とされ、犯罪者に対する刑罰の執行はしない事になっていた。だから「人日」である。今はこんな事を気にする人も、知っている人も居なくなってしまったが、この節句の別の行事、つまり「七草粥」を戴く風潮は、最近になって殊更に復活してきた様子だ。冬の厳しい寒さの最中にも、めげずに青い葉や新鮮さを保っている野菜や根菜を戴いて、人間にも自然の元気を戴こうというのは、この頃の「自然回帰ブーム」に良く馴染むのであろう。最近はスーパーなどにも「七草粥セット」として売られるようになった。私も七草粥などという「枯れた」ものではなかったが、青々としたセリをいっぱい入れた「きりたんぽ鍋」を作って戴いて、人日の節句をささやかながらお祝いした。鶏は薩摩地鶏(結構なお値段だったが、流石に肉が締まり、こくがあって美味しかった!)、スープは比内鶏からとったもの、きりたんぽは秋田からの到来もの、セリとささがき牛蒡は地元埼玉産と、全国各地ごたまぜだったが、今は流通システムが進歩したからこういうことも出来る。無論しきたりを尊重して、人を殺めたりする事は遠慮して(!)しなかった。人日の節句には又、七草を煮た汁に、手足の爪を浸して、柔らかくしてから爪を切ると(爪の切り初めだな)、その年は風邪を引かないという言い伝えもある。昔からの風習には怪しげなものも多くあるけれど、先人の智慧の集積という面も大きい。何より合理化とか近代化とかいう、普段我々が翻弄され続けている面にひと時背を向けて、ご先祖たちの生きた環境や生活に思いを致してみるのも、意味のあることだろうと思う。人日も含め、五節句は中国起源の習慣で、わが国には平安時代に伝来し、江戸時代に定着し、昭和が終わって殆ど忘れ去られた。【政治資金問題】藤井さんが健康上の理由で財務大臣を退き、菅さんが後を襲った。谷垣さんは、「健康上の理由なら仕方が無いが、閣内の軋轢や軋みがその原因になったとするなら問題だ」と、よそ様の健康まで政争の種にこじつけようとしている。情け無い話だ。「藤井さんは、初めての予算作りで、さぞかしご大変なご苦労をなさったのだろう。ご自愛第一。ご自身のみならず後進のためにも、この際ゆっくりご静養に意を砕いていただきたい。変わって後任の方には、予算審議に齟齬を来たさないよう、大いにご奮闘願いたい。」とでも言っておけば、かつて永きにわたり、政権担当政党として君臨した老舗政党の、度量と自信を誇示できることにもなったろうに。又谷垣さんご自身のラッキョウ顔にも、多少の品格と威厳が備わることにもなったろうに。これじゃまるで自ら望んで、文句ばかり言い立てる「並みの野党」に堕ちようというようなものだ。谷垣さんもひょっとしたら長くは無いな。由紀夫さんは、お母さんからお金を戴いて、政治資金としたようだ。実は、弟の邦夫君も、同様にお母さんから資金援助を仰いでいたそうだ。お母さんは、「お腹を痛めた我が子が苦労しているのを見れば、母親として助けるのは当然だと考えました。」という趣旨の説明をされたそうだが、それはその通りだ。由紀夫さんも、これが明らかになったら四の五の言わないで、「生前贈与」として認め、後付ながら相続税を支払ったという。これはむしろ美談じゃないか。金額が兄弟それぞれに10億以上というのは、庶民感覚を遥かに逸脱しているが、それを理由に色々論うのは、これは僻みだ。そういう人に限って、もし自分が同じ立場だったら、あれこれへ理屈をこねて、逃げ回るに決まっている。私はそんな立場になる気遣いは全く無いけれど、素直にそう思う。第一日本を束ねる総帥の立場にある人、及びその一族はこれ位の財力が有っていいじゃないか。結果として、国庫にも6億円という税収があったのだ。これはむしろ「Noblis oblige」の一つの例とも言っていいとすら思う。ところで、由紀夫さんはニュースで喧伝されたから分かっているけれど、邦夫君は税金はどうしたのだろう?それに較べ、小沢さんの政治資金の話はいただけない。相も変わらず、土地不動産絡みの古臭い話だ。あの、往年の慶應ボーイらしからぬオジサンの話は、どうしても昔ながらの胡散臭さが付いて廻る。由紀夫さんの方は、金額はべら棒な話だけれど、いっそある種の可愛さとか、抜けの良さを感じるけれど、小沢さんの方はそんな気配は微塵も感じられない。不動産購入の代金を、小沢さん本人が後から4億円も出した(それも紙袋に入れた現金で!)などと云われると、「何で岩手選出の国会議員がそんな大金を持っているのだ?」と思ってしまう。由紀夫さんのそれより、此方の話の方が民主党にとっては致命的なものになりそうな気がしてしょうがない。そして又自民党だ。「政治資金」の話で、自民党の大島さんをはじめ何人もの魑魅魍魎染みた人たちが、生真面目そうに眉を顰め、正義漢の顔つきで慨嘆し批判するのを見ていると、申し訳ないがつい吹き出しそうになる。あれはどう見ても、「自分たちではなく、矛先が相手に向かっていて先ずは良かった!」という、ホッとした表情に見えてしまうものなぁ。中国の「詩経」に、「他山之石、可以巧玉」という詞が有る。凡そ国政に携わる政治家たるもの(特に自民党の長老議員たち、そして小沢さんもだ)、今更ながらこの詞を自らのものとして、改めて拳拳服膺すべきであろう。「錆がわが身から出ないで良かった!」では困るのだ。それでなくても、世の中は職にあぶれ、生活に困窮する人たちが増えている。病人にしても、老人にしても、安心できるどころではない状況がどんどん進んでいる。景気も良くなるように見えながら足踏みしたままだ。特に日本を支えている中小企業に於いてはひどい。日本企業の活路を求めるといって、足下を見ず、憧れの慾惚け眼はいよいよ中国に向けられつつある。そうすれば、日本の産業の一番重要な中核部分まで中国に売り渡すことになりかねないというのに。そして、相変わらずお金は上から下へしか流れない。下に流れ着く前に、情け無い滴り程度になってしまう。そういう世の中であるのに、古臭い金権の問題が再現されてしまうようでは、もう情け無いどころじゃ済まないだろうに。小沢さんも、猛省して旧弊を改め、埒もない陣取りゲームに現を抜かさないで戴きたい。由紀夫さんも改めて、是非堂々と、且つしっかりプリンシプルを通してくださいよ。【初夢?】三日の夜から四日にかけての夢だった。国内か外国だか知らないが、行った先で昔憧れた人に会った。高校時代に優秀だった女性で、楚々とした雰囲気をたたえた(そう思った)人だった。相思相愛どころではない、私が一方的に憧れていたというべきだろう。学校で出される数学の問題を、実にエレガントに解くのが素晴らしかった。数学の問題にはエレガントな解き方と「ダサイ」解き方がある。元々数学は(特に高校程度の数学は)、人間の拵えた論理体系だから、馬力で解こうとすれば解けないものではない。しかし、エレガントというのは馬力でも努力でもない。あっと思うような着眼点で美しく解いてしまうのだ。ごく身近な(有名な)例を言えば、1から10まで整数を順に足していくという問題である。普通の人は、1+2+・・・と順に足していく。これは馬力であり、計算力の速度だけの話だ。ここでエレガントというのは、(1+10)を先に計算し、これを10倍して、最後に2で割るのだ。こうすれば、(1から10まで)どころか、(1から9999まで)であろうが幾つまでであろうが、たちどころに計算できる。これはガウスという天才数学者の少年時代の逸話として有名だが、如何にもエレガントでしょう?彼女はガウスほどでは(その後を見ると)なかったようだが、数学に限らずやはりエレガントさを感じさせる人だった。その人と偶然出会ったのだ。幸いなことに彼女は高校時代に私が憧れていたままの姿だった。私がどんな姿だったのか、高校時代ではなく現在の姿だったかは、夢では自分の姿を見る事は無いから、幸いにして知らなくて済んだ。私は少しでも彼女と一緒に居たくて、行き先から帰るのに飛行機ではなく列車で行きましょうと誘いかけた。そしたら彼女も承知してくれて、そして帰り着いた所が、何かの催しの会場だった。そしたら何処かの壁にフックを取り付ける用事が彼女にあって、会場に居た何人もが我もわれもとその用事に志願したのだが、彼女はステージの上から私を見やって、「これは私の夫になるはずの人にやってもらいます」と宣言したのだ。周囲がわいわいと冷やかす中で私は満更でもない。フックを取り付けに行った先は別棟の建物で、一緒に来た彼女は、「あなたをずっと、こんなに好きだったなんて、今初めて分かったわ。」と囁いたのだ。目が覚めた後も幸福感の余韻が残っていた。初夢は元日の晩に見る夢だとか、いや二日の晩だとかの説があるが、三日の晩から四日にかけてみる夢だという説はない。説は無いけれど、私はこれを今年の初夢にしようと思うのだ。
2010.01.07
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☆ 1月3日(日曜日) 旧十一月十九日 癸丑(みずのと うし) 大安:【恐竜と人間】元日の昼下がりの北の丸公園で、我が掌から我勝ちにパンくずを奪い去っていった雀の祖先は恐竜である。恐竜は三畳紀の末頃に出現し、白亜紀の末までの約二億年もの間、他の生き物たちを圧して地球上に君臨した王者だ。人間との対比において、いささかの反省もこめて、恐竜がよく引き合いに出されるけれど、私はこの比較はあまり妥当とはいえないと思う。先ず恐竜は他の生き物から見れば恐るべき存在であったが、当時の食物連鎖の最上層を寡占したというだけで、周囲の自然まで改変する意図も無かったし、実際そうしなかった。それに対して、人間は生き物としての分限を越え、他の生き物のみならず周囲の自然に至るまで自らの意図に沿うよう改変して、地球全体に君臨しようとした。どうもこの傾向は、人間が農耕というものを発明したころ、つまり約一万年前から顕著になったようだ。森林は農作業の邪魔になるから伐採され、じくじく湿って作物の育成に向かない土地は、別の土地の土砂を削り取ってきて埋め立てられた。自然に生えていた草は雑草とそうでないものに分類され、虫や動物も益虫・害虫、益獣・害獣と区別されるようになって、「害」の方は積極的に駆除された。その内、肥料となる自然物を廃して、無機物から化学的に合成された肥料を使うようにすらなった。食物といっても所詮は他の生命である。ただ自然のままのそれでは「無駄が多い」として、「もっと効率的に」するために、遺伝子の取捨選択に関与し、より凝縮された栄養分を効率的に育て収穫できるようにした。これを人間の言葉で育種「改良」という。流石に最近はやり過ぎに気持ちが咎め、「自然を守ろう」という機運や、特定の動植物に対して保護運動が活発になってきてはいるが、それでも「牛や豚は神が人間にもたらしたもので、屠殺しても良いけれど鯨はダメだ」という、甚だ身勝手なレベルに留まっている。恐竜も他の生き物も、つまるところは人間と同じで、本質的な動機は生命の維持と種族の存続である。つまりは摂食と繁殖だ。しかし、彼らは生き物の分限をあくまでも越えることなく、大局に於いては、わが身と種族の運命を自然の大摂理に委ねている。その大局の中で、いじらしくも健気に生きている。そこにはある種諦念に通じるものがあり、だから美しい。人間はその点で、生き物の分限を越えてしまったのだ。その点同じ王者とはいえ、恐竜とは大違いである。さりとて、人間のあくなき活動を一概に否定できるものでは無い。べんべんと運命に身を委ねるのは、地球上で初めて抽象的な領域にまで広がる智慧を獲得した生き物としては、如何にも不甲斐ない。何より、今生きているあなたも私も、そういうあくなき活動の賜物なのだ。日高先生のおっしゃった印象に残る言葉に「人里」というのがある。良い言葉だと思う。最近は方々の川に蛍が戻ってきたという。しかし、それは単に川の水が澄んだからではない。第一蛍の餌になるカワニナという巻貝は、澄んだ水には棲めない。適当に水が汚れていないとカワニナの餌になる珪藻が育たない。そして珪藻は川岸の木立からの落ち葉が無いと発生しない。そしてその落ち葉は・・・という具合で連鎖は続く。似たような話はマツタケにもある。マツタケは自然のままの松の原生林には生えてこない。人が入って落ちた枝を拾っていったり、下草を刈ったりして風通しを良くしてやらないとマツタケは生えてこない。つまりは「里山」だ。人間は智慧を獲得したのだから、それを自らの生活と同属の繁栄の為に使用するのは、悪いことなどでは無い。しかし、生き物としての適度の分限は守るべきものである。その微妙な折衷の結果が「人里」であり「里山」である。日高先生のおっしゃったことは、そういうことだろうと思う。恐竜はその繁栄の頂点にある時でも、自ら全く意識しないで人里ならぬ「恐竜里」とでもいう処に自ずと暮らしていたのであろう。その点はライオンでも象でも熊でも同様である。王国の王者として、恐竜と人間が最も異なる点はその種の多さである。人間は実はこの地球上で非常に孤独な生き物なのだ。一口で恐竜といってもその種類は非常に多い。数えたわけではないけれど、その時代毎に、少なく見ても数百種類の「恐竜」がいたようだ。それが、栄枯盛衰を繰り返しながら約二億年の繁栄を全うしたのだ。それに較べて人間は、一属一種の生き物だ。人間の祖先がチンパンジーから分かれたのは約500万年前の事らしい。当時の人類は数種類の近縁種族によって構成されていた。それが二万数千年前に、近縁種であるネアンデルタール人の最後の一人が死に絶えて以来、完全に孤独な生き物になった。人間には黒人や白人、そして黄色人種もいるじゃないかとおっしゃるなかれ。これは同じ種の中の小さなバリエーションに過ぎず、「人種」という言葉は生物学的には最早完全な死語である。人間のルーツは東アフリカの母に収斂するのだそうで、少し前に「ミトコンドリア・イヴ」として喧伝された。(この辺は「イヴの七人の娘たち」Bryan Sykes著、ソニーマガジンスで面白く読めます。最近ではヴィレッジ・ブックスという文庫でも出ているそうです。ついでに言えば同じ著者の「アダムの呪い」も読んでいただきたい。これは男女平等の見地からのお勧めです。)つまりは、人間は黒人をルーツとし、その一派が追い立てられたか、探究心が盛んだったかして北に移動し、その過程で不要なメラニン色素が失われ、冷たい空気がいきなり肺に流れ込まないように鼻が高くなった。つまり、人間という種族は地球上に唯一種類しか存在しない孤独な生き物なのだ。地球開闢以来一属一種の動物が、これだけはびこったのは初めてのことだという。そうなると、人間が滅びた場合、一属多種であった恐竜のように、直系の子孫を残すことは絶対に不可能である。我々が滅びた後(そして我々は必ず滅びるであろう。後一億年以上も繁栄を続けるなどとはどうしても考えられない。)、我々の子孫が北の丸公園で誰かの掌から餌をついばむなどという事は起こり得ないのだ。元日の拙ブログ(シニアコムに掲載した「元日醒夢」。同じ内容は楽天ブログにも掲載。)に「浄玻璃の鏡」さんという方からコメントを頂戴した。曰く、「日本の政治家に欠けている致命的欠陥として、国際社会における日本の役割とか、その変動に対する日本の対応の仕方など、国際社会の現状と動向に対応して行く姿勢や、国民生活に影響を及ぼしている国際的な政治・経済の事象と政策との関連性など国家としての説明責任が疎かになっている事です。」まことに仰せの通り。しかし、この「国際性」とか「国際社会」には少し考慮を要すると思う。人間の料簡の狭いうちは、これは「他国の事を慮る。」とか、「多国間の動静を考慮する。」とかで済んだと思う。しかし、今やそれだけでは事足りない。ひとりCO2や温室効果ガスを減らせば「地球を救える」などとおこがましい。ましてや、それを国際間の取引にしようなどとは・・・。一属一種という孤独の存在でしかない人間としては、「国際」という感覚はもっと拡大して地球全体、或いは宇宙の中の地球、或いは生命・人間という視野で考えるべき時である。そして、こういう思想は、現在主要国の大半が占める一神教の世界観では、その境地に到達するには大いに困難が生じる。本質的に多神教の精神を奥底に宿している我が日本人こそが、これをリードすべきであるし、リードし得る。アメリカでもロシアでも、一神教に囚われた彼らは、宇宙にまで出かけてやっと、「地球は蒼く美しく神々しいものであった」とか言って汎世界的な視野を獲得する事が出来た。それに引き換え、我が日本人はわざわざ宇宙まで行かずとも、初日の出に手を合わせ、神社に詣で、ナマハゲに脅され、田の神、火の神に祈るなどして、ごく身近に八百万の神々を感じることができる。新たに求められる「国際性」に対する素質はもともと充分に持っているのだ。大局に於いてはこの新たなる「国際性」を更に進めて高い理想を示し、小局に於いては細かい手当てを怠らない。これこそ我らが、そして我らの政治家も希求すべき道であろうと思う。そして政治の世界では、かつての自らの罪過であった金権問題を他に転嫁し、相変わらず内閣総辞職に追い込むだの、衆議院解散を実現するなどとほざいている連中に、これを望むのはどだい無理だ。微かに期待できるとすれば由紀夫さんだ(小沢さんでは全く無い!)。そして、何より我々自身でもある。我々が、先達である恐竜に少しでも見習うとすれば、そういうことである。【ALMA計画】予断だが、ALMA計画というのが日米欧の国際協力でいよいよ動き出すようだ。これはチリのアタカマ砂漠という、年中ピーカンの地に、小さな電波望遠鏡を数多く(最終的には66台以上にもなるそうだ)並べて連携させることで、巨大(合成口径という)な電波望遠鏡を作り上げ、宇宙からやって来る微弱な電波を観測しようというプロジェクトだ。最初の段階でも、東京から大阪の一円玉を識別できるほどの分解能だそうだ。このプロジェクトの大きな目的は、宇宙の何処かに漂うアミノ酸を捉えることだそうだ。これは言い換えれば地球外の生命の探索と云う事である。かつての王者恐竜と異なり、一属一種の孤独な存在である人間は、その寂しさによって、宇宙に自らの仲間やルーツを求めようというのである。これは今後いよいよ我々の喫緊のテーマとなる新たな「国際性」の探索といえるではないか!
2010.01.03
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☆ 1月2日(土曜日) 旧十一月十八日 壬子(みずのえ ね) 仏滅: 初荷、初夢、書初め昨日は元日から所用があって、飯田橋の近所に行ったので、その足で靖国神社に詣でようと思った。そうしたら酷い人混みで、参拝も長蛇の列だった。元来列に並ぶのは大嫌いなタチなので、早々に初詣の行列を横切り、「振る舞い甘酒」(靖国神社も新年から中々気風がいい!)のテントに入り込んだ。タダの甘酒(「お気持ち」といってお金を入れる箱は置いてある)を、ふぅふぅ言いながらいただき、遠くの行列を眺めながら考えた。靖国神社はご承知の通り以前は招魂社といい、戦没者の英霊を祀る神社だ。しかも祀られているのは天皇に殉じた御霊に限られる。つまりは、戊辰戦争の幕軍の戦死者や、上野の彰義隊、会津戦争の犠牲者、新撰組などの皆さんの霊は仲間はずれだ。そういうところに初詣をして、一体何を祈り、何を願うべきか。恐らくはあぁして行列している連中は、考えもしないで並んでいらっしゃるのだろう。中には会津若松の人すらいらっしゃるかもしれない。まぁこの世の確執や怨念は、神になれば大らかに昇華されておわすはずだから、世俗の人間はあれこれいうことも無いのかもしれないが。甘酒でほんのり温まった後は、拝殿の裏手を廻って南門から出ようと思ったら、この南門が閉められていた。察するに此処から入って近道し、参拝の行列に横から入る人を防ごうというのだ。この点靖国神社もセコイ。早々に靖国神社を出ると、人混みを抜けて田安門を入り北の丸公園に行った。枡形の内部には、これまた大勢の人間が並んでいた。「おいおい、皇居よお前もか!」と思ったら、夕方からT.M. Revolutionの「新春パーティ」があるということで、そのグッズを買おうという連中の行列だった。いやはや、あちらもこちらも早々にご苦労様なことで!此方はT.M.ナントカなどにはご縁が無い。先日徳川家の末裔の人の本を読んでいたら、「田安門脇には、隠れた階段があり、其処を登ると祠などがあって、そこから遥か下に牛ヶ淵が望める。今では珍しい昔の江戸城を偲べる数少ない場所だ。」と有ったので、実は其処へ行って見たかったのだ。それらしき階段への入口は枡形内門をくぐって直ぐ、武道館の事務所寄りの所に見えた。しかし其処には柵がしてあって、その脇にT.M.ナントカの警備か交通整理に雇われたらしき兄ちゃんが、パイプ椅子に所在無さそうに座っていて通れない。残念!今度T.M.ナントカも矢沢永吉も警備の兄ちゃんも、誰もいない時に、こっそり行ってやろう。しょうがないから準備中のT.M.ナントカのグッズ売り場を横に見ながら、芝地に向かった。横長のテーブルに並んだグッズを見ればT.M.ナントカの肖像漫画をプリントした三枚組みのポチ袋が500円だと!この間孫へのお年玉用に買った動物漫画模様のポチ袋は五枚入って100円だった!しかもこっちには「金色シール」まで付いているぞ!同じような模様の描かれた絵馬は1200円だった!ペラペラな杉板に印刷してあるだけの、如何にも安っぽいものなのに。まことに価値というものは、人それぞれに相対的なものである。北の丸公園の芝地は日当たりもよく、流石に此処には人もまばらで、またぞろ人混みや行列を見ないで済んだ。その代わり雀が沢山居た。(カラスも少し枝の上などに居たけれど、無視した)それが、芝の上に群がっているのだが、皆揃って「ふくら雀」になっている。お正月だからお洒落しているのではない。晴れて陽射しはあっても、風は随分冷たい。だから雀たちは精一杯羽毛を立てて、体温が逃げないようにしているのだ。寒空の中、芝に群れ散らばって、紛れた何かを一生懸命ついばんでいるのはいじらしい。雀にはお正月のお屠蘇もおせちも無いものなぁ。ついほだされて、偶々持参していたパンを少しむしってやってみた。そしたら見る間に二十羽以上が集まってきて大変な騒ぎになった。それでも遠慮(警戒心)があるからある範囲内には近寄らない。皆で私の周囲の地べたに群がって、揃って横目でパンくずが飛んでくるのを待っている。皆の眼差しには猜疑心と催促が透けて見える。「ホントに餌をくれる積りかい?ただそういうフリをしているだけじゃないのか?フリだけだったら承知しないぞ!くれるんなら勿体つけずにさっさとしてくれよ!」・・・何だかヤな目付きだ。パンくずが飛んでくると、必ず小さな鳴き声を上げて我勝ちに獲りに来る。中にははしこいのが居て、パンくずが未だ宙を飛んでいる内に空中でキャッチする。中々の技だ。試しに、パンくずを掌に載せたまま突き出してやると、流石にためらう様子で、ただ遠巻きにして例の目付きで見上げている。しかし、その内勇気のあるヤツが一瞬手に止まって咥えていった。他の連中は地べたから見上げたまま、仏頂面だ。考えてみれば、私は彼らに無用な諍いと食糧事情への擾乱を持ち込んだだけかもしれない。芝をついばんでいる間は、喧嘩をしている雀などいないのだ。人間の驕りと、一時の気紛れで親切ごかしに余計なことはするものじゃない。餌をやるなら、これからも続けてやり続けるべきだろう。雀さんたち、ごめんなさい。でも掌に感じた一瞬の儚げな重さと、小さな足の感触は、悪いものではなかった。雀に限らず、鳩でもカラスでも、最近は鳥を見ると必ず「彼らは恐竜の直系の子孫だ」と思う。羽毛に包まれていれば可愛いとも思うが、頭の中で羽毛を取り去って裸にすれば、立派に恐竜の面影を残している。ダチョウなどを想像すれば、なお更その印象は強い。北の丸公園のあの雀の横目に見上げる目つきも、決して素直に可愛いなどというものではない。獲物を伺う恐竜の、油断すべからざる目付きだといえなくも無いのだ。
2010.01.02
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☆ 1月1日(金曜日) 旧十一月十七日 辛亥(かのと い) 先負: 元日、望このブログをいつも、或いは偶々お読みいただいている皆様には、殊更に新年の御慶を申し上げます。皆様には新しい年がいや増して良い年となりますよう、お祈りいたします。又、拙ブログにも引き続きお付き合い願えれば幸いに存じます。大晦日から北の地方では荒れ模様のお天気だそうだが、幸い関東の地は大過も無く、今日の元旦は気温こそ低かったものの、遥かに晴れ渡り、遠く西に望む富士は頂付近から雪煙をたなびかせながらも、あくまでも白く雄大に見えた。今は、折りから望を迎えた月が皓々と輝いている。元日の満月、「この世をば我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることも無しと思へば」。そう行きたいところだが、現実のこの世は欠けたることばかりだ。去年衆人の期待を一身に集めて政権を奪取した民主党も、此処へ来て内閣支持率が急降下した。曰く、「財政見通しが甘い」、「首相にリーダーシップが無い」、「前言を直ぐに翻して恥じない」、「母親からカネを貰って知らないは無いだろう」等々。思えば、予算作りの二転三転、国債発行額の増加、米軍基地の移転問題などが主な理由だ。しかし、この辺の事情をもたらした元凶は前政権に至るまで、長期間この国を牛耳ってきた輩ではないか。こういう連中に限って声高に民主党や由紀夫氏を批判しているのは、曳かれ者の小唄というべきで噴飯モノである。彼らとて経験豊かで馬鹿ではない筈なのに、如何にも世論受けするようなことしか言わないで、プロとしての政策批判や代案を提示しようという姿勢が無いのは情け無い限りだ。あれじゃぁ、顔だけ谷垣さんに変えても全然効果が無いな。由紀夫さんになってから、はっきりいえることは政府の中の意見の相違や、閣僚同士の確執が透けて見えるようになったことだ。以前の政権党の場合はこういう「風通しの良さ」は一切無かった。そうでしょう?由紀夫さんは選挙戦の当時から「開かれた政治の実現」を標榜してきた。だからその通りにやっているのだろう。それだけのことだと思う。ところが我々一般大衆の側がそれに馴れていない。何のかんのと言っても、所詮政治は政治家連中がやるもので、自分たちは関係ないと思っているところがある。投票をするまでが国民の仕事で、「後はちゃんとやってくれ。」では、結局は文句しか出てこない。だから、「風通しの良さ」はリーダーシップの欠如に、政府内の意見の相違は「閣内不統一」になる。沖縄米軍基地移転の二転三転も「実行力・決断力の欠如」にしかならない。その癖、ダム建設の中止が決まると、「独断と強権で決めてしまって、住民の意見を聞こうとしない」とゴネる。これじゃぁ、「一体どうせいって言うんじゃい!!」とでも言いたくなる。詰まるところ、我らは未だに福沢諭吉先生が嘆いた「政府は有れど、国民は無し」の時代から進歩していないのだろうか?これじゃぁこの国の先も知れたものだな。・・・いけない、いけない。新年早々又こんなことを書いてしまった。ともかくも、由紀夫さんは、まるでヨーダの青年時代みたいな顔ばかりしてないで、もっと上を向いて、果敢に己が「友愛政治」の清新を貫いて欲しい。その点最近微妙に弱気が透けて見えるのが心配である。お母さんからのプレゼントの件は、今後も後を引くはずだ。その時の敵は、獅子身中の虫、小澤さんである筈だ。あのオジサンは自分じゃオモテに立ちたがらない癖に、陰に廻って色々企むのが大好きなタチだ。とても往年の慶應ボーイとは言えない。岩手の土建屋のオッサンが相応しい。(岩手の皆さんゴメンナサイ)それにしても、今の民主党のアキレス腱は参議院だから、来年の選挙が間近になると小沢さんがあれこれ動き出すだろう。その結果は、名前が民主党と変わっただけで旧政権党時代の政治への逆戻りだ。それは勘弁して欲しい。だから、新年に際して由紀夫さんと彼を支えるべき民主党の諸賢には、眦を決して頑張ってほしい。そして、それと共に我らも、政治に参画し積極的に(岡目八目だけでなく)物申すことで、「国民」にならなければならない。元日の晩に、そう思うことしきりである。
2010.01.01
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