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今年も残すところ、本当に後わずか。もうすぐお正月ですね。お正月と言えばメデタイの「鯛」フランス料理でも度々使用される食材です。先日のクリスマスではメニューの魚料理に鯛を使った料理も含まれていました。仕込みも大量に行われますので何匹もの「鯛」が当店にも入荷されます。どんどんと魚を下ろしていく同僚のキュイジニエ、そのうち一匹を下ろしたところ、「あ~、焼けてますやん。コレ」焼けてる?生やのに? 写真ではわかりづらいのですが、写真上の鯛の身はつやがあり透き通っていますが、写真下の鯛の身は乳白色がかっていています。この2つの鯛は、いずれも同じ日時で水揚げされ、私の店に入荷されたので、新鮮さと言う意味では全く時間的な違いはありません。しかし、ポアレなどにしても写真上の鯛の身の方が美味しく焼き上がります。 乳白色がかった身、こういった状態を私の店では「焼けている」と呼んでいます。(呼び名は全国共通でもないとは思われます) この状態の差は絞める時、つまり、屠殺の際の状態が上手く行かなかったことを表しています。 「絞める」というのは水揚げした魚、真鯛であれば頭のすぐ後ろ、背骨が始る部分に深く包丁を入れ、血液が抜けやすいよう尾びれの付け根にも切りこみを加えて屠殺する方法です。この時、速やかに、かつ、魚にストレスを与えないように屠殺する方が望ましいのです。 ストレス、とは絞める時に苦痛を与えてしまうことです。一瞬で絞めることが出来ずに魚が生き延びようともがくと、体内のエネルギーを消耗し、筋肉に疲れの成分が残ったまま死亡してしまう事になるので、味にも影響を及ぼします。 魚の肉も死後、一旦肉が堅くなる「死後硬直」が起こります。死後硬直の間に魚肉の中で様々な科学変化が起こって旨味成分へと変わるのですが 硬直の速度については即殺したものが遅く、苦悶死させたものは速くなります。そして硬直がゆっくり進む方が品質的には高いと言え、苦しませて屠殺したものは死後硬直が早く進み、そのため品質劣化が早くなることになります。 魚介卸店では、死後硬直をゆっくり進めるためにも絞めた魚をすぐに氷に当てたりしているのですが、多くの魚を一度に絞めるような場合、魚どうしが重なったりして充分に冷却できず時々こういったケースが起こるそうです。
Dec 28, 2005
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ココ最近の事です。なんだか急にこのブログへのアクセスが増えてまいりました。今まで100件のアクセス数を越えることは無かったのですが、12月の20日前後は107、108と飛躍的に数字が伸びました。ご訪問頂いております皆様、本当にありがとうございます。コレもブログのひとつの楽しさですね(^^)さて、今日たまたま、某yahooにて「メートル・ド・テル」の文字を検索してみました。(↑“ド”の前後にちょぼ点がきます)なんとぉ!検索リストのトップに「メートル・ド・テル徒然草」の文字が!!!???我ながらホンマですかぁ?って感じです。と、言うことは「メートル・ド・テル」で検索した方の眼に付いているのか、、、駄ブログでスイマセン(^^;)そして、いつもご訪問頂いてるsassicaiaさん。食彩ブログに登録して頂いた影響も大きいのかと。本当にありがとうございます。感謝感謝です。(…しかし、、、2位で表示される「全日本メートル・ド・テル連盟」このHPも私が作成してるんですよね。ワン・ツーフィニッシュはヨイのですが、こっちを『駄ブログ』が越えちゃうってのもなぁ、、、更新できてないし、、、)
Dec 27, 2005
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Joyeux Noel! 一年で最も忙しい日、12月24日が過ぎました。今夜でざっと2回転、80名ほどのお客様。 予約ダブりのアクシデントもあり、体力的にもしんどいのですが、営業で変な興奮状態になったためか、今夜は奇妙にテンションが高いです。。。(^^:)さて、「カオリン」といって皆さんは何を想像しますか?真鍋かをり?桃井かおり?真綿色したシクラメンのかほり?…「カオリン」とは「磁器」の主成分です。 土から生まれる器には、「石器」「土器」「陶器」「磁器」などががあり、磁器はその中でも長くに渡って最も高級な品とされてきました。 マルコ・ポーロの時代、14世紀にはヨーロッパにその存在は知られつつあったのですが、16世紀中盤に「磁器」はシルクロードを渡ってヨーロッパに入るようになりました。この時代にヨーロッパに持ちこまれたの中国の景徳鎮や日本の有田焼。長らく輸入品であったのはその製法が秘密であったかからです。 当初輸入品であった磁器は非常に高価であり、輸入の中継地のイタリアの地名から、フィアンスとよばれ、また財産のことを指す、ファイナンスの言葉が生まれたとも言われています。また、磁器の食器セット一式が王侯貴族の間で、兵士1個師団と交換される値打のあるものであったのだとか。 この磁器を、なんとかフランス国内での生産を目指そうと「ポンパドール夫人」の命によって研究が進められたのが「セーヴルの窯」でした。「セーヴルの窯」はポンパドール夫人の好んだスタイルでその華麗さを競い、当時の様式を後の世では「ロココ調」と呼びます。しかし、当時のセーヴル窯では軟質磁器と呼ばれる「磁器」に近いものは産まれましたが、東洋の磁器の水準には追いつきませんでした。 なぜなら、東洋磁器に含まれる成分「カオリン」を含んだ地層がヨーロッパではまだ発見できていなかったからです。 「カオリン」とは、実はもともと中国の地名からきた言葉でした。中国の磁器の産地、景徳鎮の「高嶺」という地名の読みこそ「カオリン」であり、その成分は石英という鉱物が地層の中で風化したものです。 ヨーロッパで最初に「カオリン」を発見したのは、フランスの隣国、現ドイツ内ののザクセン公国でした。ザクセンはもともと鉱物資源にに恵まれていたので、鉱山に対する研究が進んでいたのです。ザクセン公国の中心の都市が「マイセン」であり、この土地がヨーロッパ最初の磁器の生産地となったのです。 この発見を悔しがったのが、当時より文化・芸術の中心地を自認するフランス、そして当時のフランス国王でした。 そして、1771年、フランス最初の磁器がリモージュの街で産まれました。(↑ココ、試験に出ます。) それは「サン・ティリエ・ラ・ペルシュ」リモージュの南へ30キロ程の村での出来事が発端です。 この地域では、洗濯をするのに、山から採れる白い粘土を用いていました。村のある男がこの「白い粘土」から石鹸が造れないものかと、ボルドーの薬剤師にに話を持ちかけました。 ボルドーの薬剤師は驚きました。この「白い粘土」こそ、石鹸を造るどころか、フランス王が捜し求めていた「カオリン」そのものであったのです。 後に、海を渡ったイギリスではこのカオリンを含む土壌がありませんので、試行錯誤の結果、ボーンチャイナ法を生みだしました。ボーンチャイナとは、牛の骨を高温で焼き、粉砕したものを粘土に混ぜて焼き上げることにより磁器を生みだす手法です。 カオリンを含む磁器はうっすらと青みがかった色合いの白色です。ボーンチャイナは同じ白色でもややクリーム色がかった色合いを呈しているところに差が出てきます。 いづれにせよ、「磁器」が普及し量産化されることによって、ヨーロッパの食卓に大きな変化をもたらしました、 「磁器」はその「硬さ」の特性を活かし、食卓において、皿の上で「ナイフ」が使用出来るようになったことです。
Dec 24, 2005
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唐突ですが、私、、、「大黒摩季」のファンなのです。なんで?って思われる方もあるでしょうが、、、この時期、クリスマスソングとして気に入ってるのが「いとしいひとへ~Merry Cristmas~」♪優しい君はきっと 微笑みを届けに 忙しくしてるだろう、、、ってフレーズがいいんですよね~
Dec 23, 2005
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今日は関西地方も朝から大雪です。朝の通勤に2時間、夜は向日町駅にてポイント故障の為、電車が遅れて再び2時間。。。一日の6分の1を電車内で過ごしています。…実は私の住まいは滋賀県の大津市にあり、現在の勤め先は神戸市の中央区なのです。2府2県を毎日往復の日々、、、まさに、近畿一円♪あちこちあちこち中○石陵~ま、私の知人は毎日滋賀県の長浜から兵庫県の姫路までを往復していますので、彼に比べたらまだましな方です。ちなみに彼の仕事は、JR西日本の運転手です。で、往復の時間がたっぷりあるので、専ら本を読んでいます。ここ何日かは、新渡辺稲造の「武士道」、、、なかなか面白いです。日本人の「ココロ」というか道徳についての見解です。道徳、ですね。マンションの偽造建築に関わった方々が忘れてしまったものですね。うーん。本を読んで無い時は、寝てます。ブログは、車内で書くことが多いです。こんな時に活躍してくれるのが、愛機「シグマリオン?」!?ですので、通信には弱く、また、私自身も充分にはその機能を使いこなしてはいませんが、、、オークションで6000円くらいで買ってますので、まあまあ満足です。常々は文章をメモリーカードに落として、パソコンにコピーしてからブログにアップしてます。JR琵琶湖線。この小さな機械でキーを打つ怪しいオジサンがいたら、それはきっと私です。
Dec 22, 2005
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…例年の事ではありますが、クリスマスはフランス料理店においては大忙しです。 「フランス料理」と言うのは、その料理の性格上、「ミ・ザン・プラス」つまり、仕込みが非常に重要になって来る料理形態でもあると言えます。 つまり、時間を掛けて取った「出し(フォン・ド・ヴォー)」や、切り揃えた大量の野菜などなど、素材をお客様がいざ口に運ばれる際に、一気呵成に構成するというのがフランス料理、ヌーベル・キュイジーヌ以降培われた技法であるとも言えるでしょう。 そのため、クリスマスなどの大きなイベントになると、その仕込みの量は膨大なものになります。一昔前ならクリスマスの前後の1週間で1ヶ月分の売上がある、と言われたものです。 膨大な仕込みをこなすため、仕事は早朝から深夜に及ぶことも度々です。いつもより倍の量のフォン・ド・ヴォーを用意し、ひたすら車海老の皮を剥きます。山と摘まれたジャガイモが全てココットになるのはいつの事でしょう、、、あぁ、、、こんな時にドラえもんがいたらなぁ、、、団塊ジュニア世代の我々がそう思うのも無理はありません。 そんな、ある年のクリスマス、どちらかへ外出していたシェフが古びた小汚い時計を抱えて店に戻って来ました。「シェフ!なんですかその汚い時計は?そんなん店にも飾れませんよぉ。」シェフは答えました。「何を言うとんねん!コレはなぁ、『靴屋の小人』の時計や!ワシが骨董屋で見つけてきてん。」「『靴屋の小人』ってあれですかぁ?眠っている間に小人が時計から現れて、仕事をしてくれるという昔話の?ホンマですかァ?」シェフは少々カチンときた様子です。「ホンマもんやぞ!ちゃんとその筋の人から購入してるンや。この時計さえあればなぁ、眠ってる間に、フォン・ド・ヴォーも、魚の水洗いも、鴨の掃除も仕込みの仕事は全部終わってるちゅうこっちゃ! ささ、みんなぁ、手を止めて寝るぞぉ!!!」その筋がどんな筋か不可解ですが、一同は仕事もそこそこにレストランのホールでテーブルクロスを羽織って眠ることにしました。ZZZZZZ,,,,,,,どのくらい時間が経ったでしょう。これで、フォン・ド・ヴォーも、魚の水洗いも、鴨の掃除も、その他諸々の厄介な仕込みは終わっているはずです。期待に胸を膨らませ、眼をさますと、、、そこには、、、、無数の「コック靴」が!教訓1、他力本願はいけません。2、適材は適所にてその能力を発揮するというものです。Homage to "KAWORUKO"
Dec 21, 2005
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明日21日のディナーから、私の勤める店も「クリスマス・ディナー」が登場します。 クリスマスと言えば、フランス料理店にとっては年間でもっとも忙しい数日間で、今年は日程も週末にクリスマスが訪れます。特に23日~25日の3日間は、2回転制で予約をとっていたのですが、すでに予約で席が埋まってしまいました。ありがとうございます。また、昨日今日などは24日の予約希望の電話が絶えまなく掛かってくるのですが、少々お客様もあきらめ口調です。多分、あちこちのお店に問い合わせされたのでしょうが、電話を掛け疲れたという様子が伝わってきます。 さて、お問い合わせの中には、「クリスマスですから、やっぱメインディッシュは『ターキー』ですか?」…ターキー?ターキー?、、、ストライク3回連続??水野江滝子???水前寺清子???水前寺清子は「チーター」やん!そうです、ターキーと言えば「七面鳥」です。私も長年飲食業界にいてますので、知っています!残念ながら、私のお店では七面鳥は扱って無かったのですが。七面鳥をクリスマスに食べる習慣はアメリカが発祥だそうです。と、いうより七面鳥はコロンブスが新大陸を発見してから以降にヨーロッパに入って来ました。アメリカ大陸を発見したコロンブス一行には七面鳥は非常に捕えやすい鳥と映り、長い旅路で海を渡った彼らにとって、まさに神さまが与えてくれた食物の恵みであり、神様に感謝して七面鳥を食すようになったとか。 他にアメリカ発祥と言えば、「サンタクロース」サンタと言えば北欧じゃ無いの?と思われる向きもあるでしょうが、実はサンタクロースの真っ赤なあの衣装、そもそもはコカ・コーラのキャンペーンの一環として生まれたものであったと言うことです。 「ミニスカサンタ」は、間違い無く日本が発祥でしょうが、、、 ヨーロッパのサンタクロースは、いにしえの大司教聖ニコラウスに端を発します。 聖ニコラウスは大変お金持ちで人々に施しをするのが常な人でした。ある時、村の貧しい父親がその貧しさから3人の娘を奴隷に売らなければならなくなった時のこと、そのことを知った聖ニコラウスは金貨の詰まった皮袋をもって当の家へ向います。 ところがその家は留守のようで、扉には鍵が掛けられています。仕方なく聖ニコラウスは煙突から皮袋をほおリ入れました。煙突から入った皮袋は干してあった靴下の中に見事飛び込み、以降この伝説が後々まで語り継がれたそうです。 さて、クリスマスに欠かせないアイテムが「クリスマスツリー」 以外と歴史は浅く、近代ドイツの教会で毎年のクリスマスに行なわれる、キリスト降臨のお芝居の舞台にその由来があるそうです。 聖書にまつわるお話で最初に出てくるのが「アダムとイヴ」。聖書では禁断の実を食べたことになっていますが、何の木であったのか具体的には記載がありません。そのためお芝居の背景の大道具として使用されたのが、木そのものは冬でも緑の葉を付ける常緑樹のもみの木。禁断の実は、赤いリンゴの実が使用されました。緑色と赤色のクリスマスカラーはここから発祥しているといわれます。と、いうわけで、今日はレストランで使える「クリスマス」ネタでした。ふぅ~、さすがに明日からはクリスマスで忙しくなってブログの更新が滞るかもしれませんね。。。ひとあし早いですが、、、どうぞ皆様、メリー・クリスマス!
Dec 20, 2005
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映画「キング・コング」がリメイクされて再びスクリーンに登場するそうです。今週末でしょうか?公開は。私はキングコングというと、♪ウッホ ウホウホ ウッホッホ~負けるなキ~ングコ~ング ぼくら~の勇者~でお馴染みのアニメ版をよく見ました。…え、みんな知らない!?だってBBCで放映されてたもの!あ、BBCって言っても、イギリスのやなくて、、、BIWAKO Broadcasting Corporation = びわ湖放送!…で、このキングコング、ゴジラと闘ったり何作も劇場用映画は製作されているのですが、その第1作目。「キング・コング」でコングが最後に登るビルが「エンパイア・ステート・ビル」エンパイア・ステート・ビルは「アール・デコ」における建築としてはもっとも代表的なものでした。アール・デコとは、「様式美」の時代の区分の名称。様式とはその時代々々を背景に、ファッションや美術などに影響を及ぼす流行、とでも言うのでしょうか。 我々もサーヴィスのホールを運営する際に、テーブルのセッティングをする訳なのですが、シルバー類やお皿などに様々な意匠があり、「~様式」に乗っ取って統一されたものなども見かけられます。もちろん、現代のテーブルコーディネイトにおいては、個々のオリジナリティが発揮される部分が多いですから、様式がバラバラになっているコーディネイトもあります。シルバーはアンピール様式、皿はルイ16世様式、グラスはコンテンポラリーであったりとか。西洋の様式、特に食器に用いられるもののいくつかとして、●ルイ13世様式1590~1660 ルネッサンスを代表する様式装飾はシンプル。帯状飾りのモチーフ アカンサスの葉、ギリシャ神話、風景●ルイ14世様式1660~1715 ヴェルサイユ宮殿に象徴左右対称の均等美。金銀細工 幾何学的、太陽、唐草、果物、マスク●ルイ15世様式(ロココ様式)1735~1760 植物、動物、貝、子供,イルカのモチーフロココ様式の誕生 女性的、非対称の曲線,重複した葉●アンビール様式1804~1815 ナポレオンの第一帝政期エジプト、イタリア遠征の影響 シンメトリック、ローリエ、鷲、スフィンクス●アール・ヌーボー1890~1910 手工業的な装飾。神秘的なシンボル、曲線。花瓶や食器ガラス製品 アイリス、アリアム、ランの花●アール・デコ1910~1930 直線と立体の知的な構成。抑制された幾何学模様 シンプル,キュビズム、鳥、果物、幾何学的●コンテンポラリー1945~1955 1925年の万博と共にシンプルさに注目。食卓芸術においても同様の影響 色彩のコントラストと機能美などなどが挙げられます。もちろん、レストランを運営していく上の実務的な要件で「様式美」を知っておく事が必要かどうかは分かりません。ま、ちょっとした知識として知っておくと重厚な雰囲気のレストランなんか店内を見回してみると面白いかもしれませんね。21世紀に入りましたが、映画の世界ではリメイク流行りです。今回の「キングコング」も然り、「スパイダーマン」、「妖怪大戦争」なんてのもそうですよね。レストランも新しいものを生み出すために、古い事柄をひっくり返して「リメイク」してみるのもいいのかもしれませんね。うーむ。。。
Dec 19, 2005
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私事で大変恐縮なのですが、、、本日12月18日を持ちまして、、、36歳になってしまいました。♪Happy Birthday to me~どーでもいいような気がしますが、年齢が偶数になると急に老けたように思うのは私だけでしょうか?誕生日ネタをひとつ… かつて私が勤めていたレストランの部下のO林君。(支障があるといけませんので、イニシャルで表示しています。)「O林ぃ!今日の誕生日のお客様に、お祝いにみんなで『ハッピーバースディ』の曲を歌ってあげることにするからぁ!そやけど、外国人のお客様やから歌詞は全部英語やぞ!」 「えっ、えっ、?英語ですか?ホンマに英語で歌うんですか!?英語なんて全然出来ませんよぉ~ど、ど、どうしましょう!?」 注意力散漫なO林氏はこの時点で気付いていなかった。そもそも「ハッピーバースディ」の歌に日本語の歌詞の部分なんて無かったことを…
Dec 17, 2005
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さて、昨今のニュースでBSEの騒動のあった米国産の牛肉が再び解禁・輸入される事が決定したそうです。日本におけるBSE騒動の最たるものは、2001年からの一年間に起こりました。特にこの時期は牛肉の擬装隠しなどの不祥事も発覚し、食肉は大きく信頼を失いました。この時、いち早く業績を回復できた店というのは、実は、「接客の良い店」だったそうです。お店とお客様の関係は、「信頼」が無くては成り立ちません。BSEの騒動とは、多くの場合お客様が持つイメージ、例えばふらつく牛の姿だとか、解体した牛の骨髄などを除去する作業の映像だとかに左右されました。こういった、危険と思われるものに対する警戒心を解くには、誠意をもった接客で信頼を得ることが一番効果的であったのです。もちろん、吟味した食材の仕入れと、BSEに対する多少なりとも知識が無ければ成り立たなかったでしょうが、それを誠意を持って説明出来るサーヴィスマンのいる店鋪の方がお客様の信頼を得られるという結果でした。サーヴィスは空気のようなものである。ともいいます。危機が起こった時にこそ、その役割が認識されることもあり得るのです。
Dec 15, 2005
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1990年代に至り、ヌーベル・キュイジーヌが既にヌーベル(=新しい)で無くなった頃から、フランス料理は迷走を始めます。あるグランシェフは古典料理の復活を唱え、ある星付きのシェフは健康と自然をモットーにますます料理は軽くする事を訴えます。 クラシック音楽と同じく、現代に「クラシック」は生まれ得ないのでした。21世紀を迎えても、人々は古いマンガで見られる様な、錠剤とチューブ入りの食料だけで生活する食生活には至りませんでした。「食事」というのは、人が人間である以上、楽しみを伴った栄養の摂取である事に本質的には変わりが無かったからです。ヨーロッパのような地続きで国境を隔てる国々では、文化が飽和すると外へ向かって新たな文化を探そうとします。アメリカ大陸の発見がそうでした。古くは多くの植民地政策がそうであったように。日本は文化が最も発達した時代は、天下泰平であった江戸時代は鎖国をし続けた経緯があります。ここに東洋と西洋の「文化」の差があると言えます。さて、21世紀に入ってフランス料理のフランスにおける文化が飽和したところで、登場したのが「エル・ブリ」でした。極端に科学的な技法を用い、今までに生まれた料理とは一線を画していました。このスペインの片田舎で生まれたレストランが、「世界の」フランス料理の新しい流行のひとつになりました。シェフのフェラン・アドリアがスペイン人であり、スペインでシェフを勤めているところから「スペイン料理」の名で知られていますが、スペインの郷土料理とはまた違ったものでした。 面白い事に、エル・ブリのシェフ、フェラン・アドリアは修行時代を多くのフランス国内でフランス料理を学んで来ました。当時を知る日本人のスタジエの先輩は、「フェラン・アドリアは古典的な料理ばかりを、学んでいたので、スペインに帰ったらさぞかしオーソドックスなグランド・キュイジーヌをやるだろうと思っていたよ。」と話してくれました。 「新しいもの」とは、それがなぜ新しいのか、「古い」ものを知り尽くした上で生まれてくるものなのです。そして、いつの世も変革者は外から現れるものなのです。
Dec 14, 2005
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現代の「フランス料理」の始まりはフランス革命の時期にその端を発したと言われています。1789年、フランスで起こった革命により貴族社会が崩壊。後に貴族の料理文化が広く人々に浸透していった事から、「フランス料理」が確立されていったと言えます。 後に第一次大戦、第二次世界大戦の時期を経て、フランス料理はフランス国内に留まらず、世界的な後期ュ料理のスタンダードへと変化していきます。 この点については、例えば日本と韓国など、アジアの国どうしが外交を行う席上でもフランス料理をベースにしたプロトコールで饗宴が催される事においても明らかです。 フランス料理とは「フランス共和国」の料理だけでは無く、文化の首都とフランス(というより、ヨーロッパ)が自負する「パリ」から世界に向けて発信していく必要性があったのです。 そのため、フランス料理は常に新しい料理文化を創造していく必要がありました。これは現代においても「ナポレオン幻想」と呼ばれる思想でもあります。 つまり、フランス料理は世界の料理文化の頂点に立ち、中国、日本といった極東の国々の料理文化も吸収し再構築して世界に発信しようとします。これが、フランス料理の「伝統」でした。新しいものを創造して行く事こそ、「伝統」を重んじる事になるのです。 この事は、料理だけに関わらず、アパレルの世界においても、「パリ・コレ」が最高峰であるという事においても同様でしょう。ところが、現在、21世紀においてフランスでは「新しい料理」を生み出す事が難しくなって来ているように思えます。1900年以降、フランス料理はモータリゼーションの発達と共に、「観光=ツーリズム」の料理がモードとなります。この料理の背景と共に生まれたのが「ギッド・ミシュラン」三ツ星、ニツ星、で知られるガイドブックは車での旅行者向けに発刊されたものです。1960年代になると、「ヌーベル・キュイジーヌ」が生まれます。軽いフランス料理の登場です。1970年代以降、日本の高度成長と共にヨーロッパから輸入されたフランス料理のスタイルはおおかたこのヌーベル・キュイジーヌでした。(明日へつづく)
Dec 13, 2005
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今週12日発売の「朝日新聞・アエラ」12月19日号に非常に興味深い記事が掲載されています。三ツ星の「東京逃亡」~本家では苦戦してます~との題。先日オープンした、「ピエール・ガニエール」の他、アラン・デュカス の「ベージュ東京」、タイユヴァンのワインバー、ジョエル・ロビュション、、、などなどが東京に進出。ロンドン、ニューヨークなど世界の各大都市に、三ツ星レストランの店鋪は進出しているのですが、ここまで集中するのは東京をおいて他には無いそうです。ひとつには、ミシュランの本国での信用の失墜に原因もあるとの事。覆面調査員による暴露本が出たり、ベルギー版では開店前の店に評価を出していたのが判明したりと、多くの物議を醸し出し、フランス国民の「星」に掛けてきた信頼が失われつつあります。 この状況の中で、三ツ星シェフ達は、未だ「三ツ星」を支持してくれる日本に自らのアイデンティティを見い出す事ができることも一因であり、多く店の日本、東京進出は、やはり経済的な理由も強く、三ツ星を維持する事に莫大な経費も掛かるというのも要因のようだとあります。 しかし、この記事の結びには、「~日本料理の哲学、人々の味覚、ひいては文化もひっくるめて日本に大変な興味、親近感を持っているのも事実です。」とのコメントがあります。つい、最近も京都において、フランス料理のフランス人シェフ達が日本料理の技法を学びに来日するという企画が催されていました。私たち日本人にとって、「フランス料理は高級」との感覚があります。 では、日本人の手による日本料理、最高級といわれる某店の嵐山本店のランチとディナーのお値段はというと、、、お昼のお食事 36500円から夜のお食事 42000円からとあります。フランスにおいて世界に発信しているはずの「フランス料理」。三ツ星レストランにおいても、ディナーのお値段はおおざっぱに言って150ユーロ、日本円で20000円少々というところでしょうか。また、スペインにおける注目の「エル・ブリ」は30品目のディナーで確か12000円くらいだったと思います。日本はその物価と「円」の強さによって、見方を変えれば、もっとも高い値段で「味とサーヴィス」が取引されている国と言えるのではないでしょうか。
Dec 12, 2005
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最近、義父が亡くなったのですが、、、で、亡くなって早々に、つてがあった「石材屋」さんが訪ねて来られました。義父のお墓を建てる必要があったからです。この方、歳の頃は私と同じくらいですので、35、6といったところでしょうか。いろいろと、写真を見せて説明されます。使用する石の種類や形状、大きさ、先代のお墓などとの比較など。地所のお墓にも一緒に足を運んでもらい、相応しいであろう形状などを相談しました。彼の見積もりなどを拝見して、さて、お願いして良いものか、どうか、、、彼は、製作に取りかかって良いかを急かします。少し訝しくなって、なぜ急がせるのかをそれとなく聞いてみました。「いやぁ、手で掘ってるンで、時間が掛かるんですよぉ。」現代は、機械で石を彫るところが多いと聞いていました。コンピューターに文字を入力して、機械で彫るところが多いのだとか。彼の手を見ると、ゴツゴツした職人の手に、いくつも絆創膏が巻かれていました。「オヤジもお祖父さんもそうしてましてん。ウチの石屋はずーっと手でほってるんですわ。この写真に映っている蓮の台も私が手で彫ってますねん。」確かに、そのようです。しかし、この現代において墓石を手で彫り続けるというのは、大変な仕事です。細かい石の粉塵も吸い込みますので、肺がやられるそうです。実際、私の近所の石材屋のお祖父さんは、長年肺に吸い込み続けた粉塵がもとで亡くなったそうです。私は、彼を「かっこいい」と思いました。職人として素敵だと思います。確かに、墓石というのはその後、何十年か、何百年かそこに存在します。しかし、その「作品」に刻まれるのは縁りの無い「故人」であり、石材職人の名前ではありません。傷だらけの手のひら。粉塵と汗まみれの仕事場は容易に想像できます。父や祖父の仕事を受け継ぐ気持ち。そこに、職人としての「誇り」を感じました。 私の仕事はレストランのサーヴィスなのですが、私自身、「サーヴィス」の職人でありたいと思っています。私はなんだか彼が「かっこいい」なぁ、と思うのです。そこに「誇り」があるからです。
Dec 11, 2005
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始まりました!「神戸ルミナリエ!」神戸の街というのは、結構普段は夜が早くて、私が仕事を終えて帰る頃にはJRも比較的すいているのですが、今夜などは三宮の街も活気づいていて終電まで人だかりです。…で、思い出すのが1996年。初めて神戸で「ルミナリエ」が開催された時の事。当時、私の勤めていたホテルにイタリアからやってきたルミナリエ職人、十数名が滞在していたのです。初年度の事ですから、「ルミナリエ」など何の事やら分かりません。電気がいっぱい点灯されるとか、なんだかパチンコ屋のネオンサインみたいなのを想像しておりました。イタリア語のパチンコ屋といえば、梅田の「デル・カモーネ」…ホンマに大阪にはこんな名前のパチンコ屋がありますねん。ホンマに職人かぁ?経歴を偽って日本旅行についてきてるんちゃうん?と思わせるようなイタリア人も何人か。ずっと連泊していましたので、朝出ていって、日の暮れる頃ホテルに帰ってきておりました。…とある日の事。クリスマスが近付いてきたホテルはロビーに巨大なクリスマスツリーを設置。私や、営業部長などを含め何人がかりで飾り付けをしていると件のイタリア人職人団体がご帰還。飾り付けをしている私達を見て口々に「おー、ビューティフル」「すばらしい。でもちょっと、そのあたりが、、、」「うーん。このへんのバランスがなぁ、、、」「センス悪いね。ウォホッホッホ」(↑全部イタリア語だったので良く分かりません。多分こんなだったでしょう。)散々、チャチャを入れて部屋へ引き上げました。そして、12月半ばに「第一回神戸ルミナリエ」開催。私も早速見に行きました。…たいしたモンです。散々、我々のクリスマスツリーにチャチャを入れておいて~あんたら本職やンか~!あー。ツリーの飾り付け手伝ってもらうんだった。。。。
Dec 10, 2005
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さて、それぞれの職務ですが、・メートル・ド・テルメートル・ド・テルという言葉そのものを直訳すると「館の主」と言う意味です。本来は貴族の館において主人に成り変わって宴席を運営担当する係のことを指したと思われます。現代ではさしずめ経営者に変わってとなるのでしょうか。お客様のお迎えにあたって、オーダーテイクと料理の説明などに多くの時間が裂かれます。経営的なセンスと、政治的な配慮も欠かせません。ひっくるめて言うと、メートル・ド・テルの最も重要な仕事は「社交」です。・ソムリエブリガードでいう「ソムリエ」と、ソムリエ資格を持った人、とは意味合いが異なってきます。 レストランのホールにおいて営業中は料理の進行と並行してドリンクのセールスが行われますので、ドリンクを中心に立ち振舞うポジションの事です。・シェフ・ド・ラン「ラン rang」とはレストランにおけるテーブルの単位です。通常3~4卓を担当テーブルとするのですが、この範囲のことを「ラン」と呼んでいます。 ホテルでは料飲部を「F&B」と呼びますが、フード&ビバレージの略です。このフードについて、つまり、料理の進行や料理の出し下げを行うホール担当者がシェフ・ド・ランであると言えます。・コミ・ド・ラン(あるいはコミ・ド・レストラン)経験年数の若いホールスタッフが、「コミ」と呼ばれます。実務においてはいわゆる「後方支援」で、什器の準備やオーダーテイクした伝票をキッチンに伝えるなども行われます。下がってきたお皿の片づけや洗浄など雑務が多いポジションです。 と、分類されますが、実際には多くのお店で各職は兼任されています。ソムリエを兼任するメートルとシェフ・ド・ランに近いコミの2人構成であるなど。また、もっと大規模なブリガードを組むようなグランメゾンになると、洗い場専門のプロンジェ(スチュワード)と呼ばれる役職があったり、ソムリエが何人もいると、シェフ・ソムリエ、コミ・ソムリエなる役職も生まれてきます。 どちらかが優れているという訳ではありません。どちらにも一長一短があります。 ポジションを兼務するという事は、様々な職種を身につける機会であり、また、大ブリガードに属するという事は、専門的に職を追求する事、また、役職が上がれば多くのスタッフを指導するリーダーシップを學ぶ事が出来ます。
Dec 7, 2005
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ブリガードの認識は、業界全体を一軒の大レストランと捕えることによって、他店舗、横方向へのスライドする際に有用な手段でもあるといえます。もちろん各々のお店により、運営の形態は違いますので、人数や規模によって職は変化してきます。しかし、フランス料理において「ブリガード」という確立された「考え方」があるという事を知っていれば、例えば何軒かのレストランで「合同レストラン・美食会」などを催す時や、また、他のレストランへ転職した時など有用であると言えます。 転職をした時に、次の店はソムリエで働く、とか、新規立ち上げのレストランでメートル・ド・テルとして迎えられる、といった具合です。 実はキッチンスタッフにおいてもこの認識はあって、最初一年生はアプランティ(見習い)で入って、ガルド・マンジェ(下処理係)パティシエ、ポワソニエ、ソーシェ、スー・シェフ、シェフと役職が上がっていきます。お店を移る際にどのような店でどのポジションまでを学んできたかが問われ、またそれによって技量にあったポストを配分することが多いのです。 フランスへ研修へ行った日本人の多くは、半年づつくらいでフランス国内の店を移ることが多いようです。一軒の店で長期に渡って研修したといっても、3~4年ぐらいでしょうか。早ければ3ヶ月程度のサイクルでいろいろな店で研修することも可能といえば可能なのです。これこそフランスにおいて雇う側、雇われる側、双方に、「ブリガード」の共通の認識が高い結果と言えそうです。
Dec 5, 2005
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ブリガードとはフランス料理店を運営するにあたって、必ずしもこのそれぞれの役職が必要であると規定する物ではありません。現に、席数が少ないレストランなどにおいてはメートル・ド・テルとソムリエを兼務することや、あるレストランでのサーヴィスにおける業務はひとりがオールマイティーにこなすということももまま見られます。 「ブリガード」とは、ある意味サッカーのようなフィールドゲームにおける「ポジション」に似ています。 ボールを追う時、11人全員がボールに向って走っていてもゲームは成り立ちません。攻めに回っている時も、誰かがディフェンスの位置に付いている、また、常にゴールキーパーというポジションがあることにも例えられます。 ところが、サッカーを楽しむにあたって、必ずしも11人対11人の計22名が必要かというと、そうではありません。 我々の飲食業界の勤め人というのは、基本的に終身雇用制ではありませんでした。何年か一軒の店に勤めた後、違うやり方や、また違った客層のお客さまと接する、スタイルの違う料理を学ぶことによって料理人、サーヴィスマンとしての幅が広がると考えられているからです。 しかし、戦後からの日本は、年功序列と終身雇用によって高度成長を成し遂げました。ひとつの会社に長く勤めることによって、将来に対する保証を行なってきたのです。「団塊の世代」と呼ばれる日本の人口がいちばん多い世代の多くが、「年功序列と終身雇用」を備えた会社員として日本の経済を支えてきたわけですから、料飲業界というのはマイノリティであり常にアウトローであったといえます。 そういった事由もあるからでしょうが、料理人、サーヴィスマンをも含む料飲業界というのは、やっぱり社会的な位置付けは低いように思われます。 我々のような専門職や、技術職にとっては「年功序列・終身雇用」という制度はあてはまりません。 これには一軒の会社や企業に将来における保証を望むよりも、自らの技量によって「業界」そのものの内での異動が行われ得るからなのです。業界全体でひとつの企業体にと、考え方を置き換える必要があるのかも知れません。
Dec 4, 2005
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「ブリガード」聞きなれない言葉です。 我々の勤めるフランス料理店業界においては、レストランの中の組織、つまりシェフだとか、メートル・ド・テルと言った役職の組織編成を指してブリガードBrigadeと呼んだり、またスタッフやキッチン要員などの概念を指してブリガードと呼ぶこともあります。「ブリガード」をネットで検索してみても、上手く説明された文章にはなかなか出会えません。寒ブリを養殖…大きめの網でガードされた生け簀…うーん(__;)ちょっと違う、、、まるで「葉巻」をネットで探していて「湯葉巻き」をヒットさせてしまったみたいなガッカリさです。「ブリガード;Brigade」を仏和辞典で調べると、最初に「旅団」の文字が表れます。「旅団」とは陸軍における編成上の単位で、戦術上において兵員によって構成される部隊をいいます。そもそも語源が古代ケルト語のburiga(争い事)から派生しているとありますので、古代ローマ時代の兵員の配置から由来しているようです。 現代ならさしずめ、会社組織における「~部・~課」とか「~チーム」と呼ばれる編成のことも「ブリガード」なのですが、そもそも現代における会社運営の組織形態も、元々は軍隊の組織を模したものといえます。一軒のフランス料理店におけるブリガードにおいては、大きく2つに区分されます。1、ブリガード・ド・レストラン Brigade de restaurant=サーヴィススタッフ2、ブリガード・ド・キィジーヌ Brigade de cuisine=調理スタッフブリガードは店鋪のキャパシティ、商品の種類、サーヴィスのグレード、営業時間などの諸々の条件によって決定されます。 規模の大きなレストランにおいては、スタッフ各々のポジション(=職域)が明確になり、小さな店鋪においてはポジションが重複する部分が多くなります。1、のサーヴィススタッフの「ブリガード」におけるポジション(=職域)を大まかに区分すると、・メートル・ド・テル・ソムリエ・シェフ・ド・ラン・コミ・ド・ラン(あるいはコミ・ド・レストラン)の四つの役職に区分されます。 中でも「ソムリエ」という役職の名称は随分と広く認知されるようになりました。しかし「ブリガード」上における「メートル・ド・テル」「ソムリエ」という名称は「資格を持った個人」を指していうのではなく、あくまでもレストランの営業における業務の分担上の範囲を指します。各々の業務の分担の振り分けなどについては、次回説明したいと思います。
Dec 3, 2005
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今日から12月に入りました、、、今年も早いものでもう残り1ヶ月なのですね。と、いうよりもフランス料理業界と言うのはこの12月はかき入れ時にあたりますので、我々もしばらく休みがありません。次回のお休みは正月休みまで無さそうです。多分30日まで、、、まぁ、この業界に入ったのが平成元年でしたので、以来17年ずっとこの調子でした。 大きなホテルなどならまだしも、街場のレストランでは年に一度の大ピーク「クリスマス」を迎えるとあって忙しくなってきます。街場のレストランではせいぜい第1週目に一度お休みを取るくらいで、毎年ほぼ20何連勤かになるのが普通でした。もう既に20年近くこの調子で働いてますので、特に辛いとかは無いのですが、、、惜しむらくは、私のBirethDayがクリスマスの1週間前であると言う事!クリスマスの準備に忙殺され、お祝らしいコトをしてもらった事がありません。おまけに、クリスマスと言うのはそもそも、アベックがラブラブのお祭りじゃアないですか!…クリスマスの夜は誰と過ごしますか?と、週刊誌には浮かれた文字が踊ります。それは間違い無く、、、「店の従業員」夜を通して仕込みです。 いつか、この仕事を引退したらクリスマスに大手を振って「ディナーショー」とやらに行くのが私のささやかな夢です。ヒロミ・GOかトシちゃんか、椎名恵とかでもいいなぁ、、その頃まで現役でいてくれるでしょうか?
Dec 1, 2005
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