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20年前、メートル・セルヴィス杯に出場関西人の威信を背負ってのファイナルに進んだのですが結果は4位。3位までならトロフィーも貰えたのですし、副賞も全然違う少しばかり悔しい思いもしながら家へ帰りました嫁と長女と次女とそれから私。あぁ、ここでも4位か、、、コンクールに出場する者、上位で残る者。確かに高いテクニックとスキルを持った人たちばかりです。しかし、我々はデクパージュマニアではありません日常のレストランにおいては多くのお客様に奉仕し、多くのお客様に支持されている者たちですたくさんのお客様に愛されることに喜びを感じ、生きがいとしているものだけが高いスキルを身に着けられると言っても過言では無いでしょう京都ということもあって一期一会なる言葉をよく耳にしますそもそも千利休の弟子の方が「茶事の席においては一生に一度の機会と臨むこと」との心構えをあらわしたものでもあり、ホテル・レストランといったホスピタリティ産業においては様々に学ばれることもあります一生に一度の機会との気概をもってお客様をお迎えする一生に一度だからこそ準備にも熱心にならざるをえませんテーブルを拭く。椅子を整える。庭の落ち葉を掃く。庭で一番綺麗な花を摘み生ける。玄関に打ち水をする。シルバーを整える。グラスを磨く、、、おもてなしの8割、9割はミ・ザン・プラス、つまりお客様がお越しになられるまでの下準備にあると言っても過言ではありませんもちろん、シェフも料理の準備に余念がありませんそうして初めてお客様をお迎えする。初めて会う方でも古くからの友人のように初めて会う方でもリピーターのように接します初めて会う人もVIPです。皆さまいつかVIPになりリピーターになると信じて接客するからです充分にお料理とお酒をお楽しみいただいて、お客様をお見送りしますお客様は心に残ることがあるのでしょう。その一席が成功したのであれば必ず振り向かれられますこれが茶道において一期一会によって求められる「残心」という心の揺さぶりです一期一会はプロセスであってゴールでは無いのですね「一生に一回なんて言わないで、また来させてよ」こうやってリピーターの顧客が生まれます今回は「リピーターを生むレシピ」でした
Apr 22, 2024
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先日ですが弊社のメンバーで京都東山の建仁寺に見学にお邪魔してきました。そこで見学した古美術のひとつが「風神雷神図屏風」もちろん、多くの人に知られているように尾形光琳作の本物は国立博物館に収蔵されています。その美しさ、技巧に感銘いたしました描かれた当時はまだ電気もスポットライトもありませんから、おそらく南に向かって建てられたものでしょうせっかく貼られた金箔が活きるようにねということは、この絵は左右という視方をするのではなく、東西という見方をするのではないでしょうか五行思想と言うのがありまして、東西南北に意味がありそもそも平安京からして東西南北に都市建設されています東は色でいうと青であり、季節でいうと春になります。青は現代信号機の青色が実際は緑であることや若い人を青年というように植物の新緑を表しています風神は緑色で東にあたり、色は青(緑)に描かれています。太陽が昇る方ですしね。一方、この風神雷神図屏風においては雷神は白色で描かれています本来、カミナリ様は赤で描かれるものとされていますが、五行思想で言えば西は秋であり白であるとされることから雷神は白で描かれたのではなかと考えます。右双は春が描かれ、おそらく風神の袋の中には穀物の種、米がどっさり入っていてそれをもたらすものとして描かれ、一方の雷神は秋の稲刈りの際に訪れる雨や台風だとかを表しているのでしょう台風は困るという物の、雷神がもたらすものは「稲妻」です稲妻というだけに稲の妻、英語で言うとライスワイフですが稲妻が起こることに拠って米が実るというところから稲妻となったとされています。もしかすると、雷神の姿は稲刈りの体勢を表現し、両腕が右手であるのは稲刈りにおいて鎌を持つ手であるからではないでしょうか・・・多分違うけど風神と雷神の目線はこちらを向いています中央の空間はたいへん緻密に計算されたものでしょうこの2神の目線が交差するところには麒麟がいるはずですこの屏風を見る者がまたその位置であり「麒麟」と呼ばれる最も尊い神獣となり、それは米を生産する農家の人々では無かったかと思います
Feb 13, 2024
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ニューアムステルダムという街をご存知ですか?アムステルダムなだけにオランダと関りがあるように見えますこのニューアムステルダム、多分17世紀くらいだったかと思いますが、どっかの国の多分イギリスだったかと思いますが、ヨーク公という人がいてお金を出して買ったか奪ったかして自国の領土としました。ヨーク公だったので、「ニューヨーク」これがニューヨークの呼び名の始まりと言われています。このニューヨーク、日本も随分昔だったので鎖国もほどほどにしておいたからか、ニューアムステルダムだった当時のオランダなどとは通商があったようで、どうも情報の行き来があったと思われます。日本人の関係者が居たか、あるいは三浦按針と呼ばれたウィリアムアダムスか、東京駅の八重洲口の語源となったヤン・ヨーステンか誰かはさっぱり分かりませんが、日本人が関与していたことを匂わせる証拠がありますそれは何か。大きな声では言えませんが、小さな声では聞こえませんニューヨークは京都を模して建設されました一部のある京都人は頑なに主張していますニューヨークがニューヨークたる中心部のマンハッタンマンハッタン島と呼ばれるとおり水に囲まれており、西はハドソン川、東はイースト川、北はブロンクス、南にニューヨーク湾に囲まれていますこの地勢は明らかに京都と一致します。京都は四神相応と呼ばれる東西南北を神獣に守られた土地とされています西は桂川、東は鴨川、北に船岡山、南に巨椋池と全く相似形です更には京都御所のある部分にはセントラルパークがあります世界ではあたかもマンハッタンのみがニューヨークであるような認識を生みがちですが、これは京都が京都府を指すのではなく、山科区、伏見区などを含む京都市でもなく、洛中と言われるごくわずかな範囲のみ京都としてしか認めない京都人の心根にあるものと大変一致しますマンハッタン島が京都の模倣をしているもう一つの理由が、「ストリート」と「アベニュー」の存在ですこれは条坊制といわれる、長安の都、ひいては平安京を倣って碁盤の目の都市計画を行ったことに他なりませんこれはどう考えても当時からニューヨークは京都になりたかったということに他ならないでしょう。身の危険を顧みず大胆な予言をすれば、500年後、ニューヨーカーと呼ばれる人々は、皆イケズになります
Feb 12, 2024
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先日私どものホテルにお泊りになられましたお客さま。いわゆるインバウンドでフランスはパリのそれこそ本当に中心に近いところへお住まいの方でした。ご職業は建築設計士。やはり日本の建築には大変興味がおありのようです「やはり京都は素晴らしい。美しい庭や光にあふれた寺社仏閣など目を見張るものがある。」「何をおっしゃいますか、私もあこがれのパリ。世界ナンバーワンの観光地でもあり羨ましゅうございます。」お互い世界でも有数の観光都市、文化資産の多い街と褒めたたえあいながらも、ふと心の中で思う(とはいってみても、京都人はイケズでっせ~)こう言っては誤解を生むかもしれませんが、インバウンドの方にとっても京都のお人は大変排他的です。「上ル下ル東入ル西入ルが無いところは京都とは言いまへん」例えば伏見。伏見稲荷の千本鳥居はインバウンドの方で溢れ世界に知られた神社、増してや伏見と言えば安土桃山時代、豊臣秀吉が置いた今でいう政府のあった場所でもあります。洛中で尚且つ数百年に渡って住み続けていないと京都人とは呼ばないそうです。このパリジャンと京都人に見られる差は同じ人類としてどこから由来してきた物でしょうか。お客様との会話の中で、ある日突然気づくことも多いものです私は数百年前のそもそもの都市開発に拠るものでは無いかと仮説を立てましたパリです。パリのような形状は城壁都市と呼ばれます。エスカルゴといった仇名もありますが、これはそもそも蛮族からの襲撃に備えるための街の周りをぐるりと囲んだ城壁が始まりです。この城壁、同じ敵を想定した人々が中に飛び込んでくる。この人は味方、そうすると城壁の中にいる者どおしは市民と呼び合う関係に相応しく進化してきます。すぐれた城壁都市はそうこうしているうちに人口が増えてきます。この時に人口を減らしたり疎外することなく城壁の方を外へ大きく広げていきました。おお、なんと寛容なことか。一方の京都。こちらは平安京です。これは四方を船岡山、桂川・山陰道、鴨川、巨椋池に囲まれた四神相応に恵まれた土地と言ことで、この土地に都を移しました。これがいけない。四方にいっぱいいっぱいまで最初に設計してしまったもので、パリを囲むイル・ド・フランスのような土地の余裕が無くなってしまったといえます。実際に平安京は建都された時からグダグダで、朝見の外国人を圧倒しようと、85メートル幅に及ぶ幅の朱雀大路を設けたものの、渤海が唐に吸収されたことなどから朝見ブームは去り当時のインバウンドはほぼ来日することは無かったとの様子。また、鳴くよウグイス平安京のはるか昔から右京区の南側は沼地であり水はけも悪く最後まで開発されませんでした。折角持ってきた材木は藤原のナントカに持っていかれて、別荘になったそうです。1,000年の歴史の中で度重なる大火に御所は東へ東へと移動し、応仁の乱では平安京の北の方と南の部分か戦乱で分断され、この時上京区と下京区という概念が出来ました四方を神獣に守られているとはいいながら、日本らしく自然災害は平均的に起こっているようです。あと人口密度が高いので火事ねこれでは不寛容な京都人が生まれても何ら不思議はありません。ここまで言うと京都人からクレームも来そうですが、ご安心ください。京都人は皆、映画やテレビで描かれる京都人を自分たちとは違う京都人だと思っています。実際に京都では「ぶぶ漬け」などという食べ物を見ることは皆無です。何故か!? 本物の京都人は皆パン食だからです
Feb 10, 2024
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日本料理の会席料理、または懐石料理に対する西洋料理においては「コース」というものがあります。 懐石料理の「懐石」とは「懐に入れる温めた石」のことであって、そもそも食べ物では無く空腹感をごまかすために用いたものでした。 西洋と東洋では真逆とも呼べる文化が存在しています。 清貧を旨とする日本の文化に対して、豪華できらびやかな料理の数々が続くコース料理。 このコースの成り立ちの背景には、ある意味、ユダヤ教、キリスト教があったとも言えます。 「カーニバル(謝肉祭)」に通ずる部分もあるのです。カーニバルは、明日から断食を迎えるにあたる前日に今日を精一杯愉しむお祭りの日。と、なるとせっかくの特別な日にはお腹いっぱい食べたくなるのが人間の心理と言うものです。さて、フランス料理のフルコースとは、現代でも以下のような順序で供されます。●アミューズ・ブーシェ●オードヴル●スープ●魚料理●ソルベ、またはグラニテ●肉料理●チーズ●デザート●コーヒー、または紅茶フルコースと呼ばれるものですが、過去においてもフランス料理のコースに用いられる「3つの大原則」が存在します。・同じ食材を用いない・同じ調理法を用いない・同じような味付けを繰り返さないに何のために?それは、多くの料理を飽きることなく最後まで口にすることが目的だからです。シェフと呼ばれる人々は、この原則のもとにコースを最初から最後までひとつの意志に沿ったストーリを組み立てると言って過言では無いでしょう。 アミューズ・ブーシェは平たく言うと「お付き出し」一口サイズの食前のおつまみであることが多いのです。 一品目として供されるのがオードヴルです。前菜とも訳されますが、得てして軽い食感のものが多く、温かい「温前菜」冷たい「冷前菜」と分けられることも多いようです。 ここでは、胃を活性化させることに主眼が置かれます。まず、サラダ系などの酸味を使った料理。また、多くの場合味が濃くても少量であることが主流です。 2品目にスープが登場します。が、最近では各々の料理人の見解もあって、「すぐにお腹が膨れてしまう。」ことや、「作り方において料理人の腕が発揮されない。」との理由でオードヴルと呼ばれる形態に近い料理が供されることもしばしばです。 続いてが、「魚料理」当然の事ながら、肉料理に比べて魚料理の方が比較的軽い料理に仕上がることが多いので、肉と魚の料理が前後することは稀です。その際において、一旦口を休める、休めると言うことは続いての料理をまた食べられるようにする。ということで、ソルベ、またはグラニテと言う「氷菓」を間に挟みます。(ソルベとグラニテの違いはその製法で、いづれにしても果汁を氷らせたお菓子であることです。) さて、メインディッシュと呼ばれるのが、「肉料理」としての位置付けです。やはり「メイン~」の名が冠せられている以上、コースのここまでの料理は、「メイン」までの導入、つまり、メインディッシュをいかに上手く引き立てるためのストーリーが構築されてきたかが問われます。 肉料理が、主役=メインであることは、ヨーロッパの人々が古代、狩猟民族であったことにまで遡ると言えるでしょう。「ジビエ」と呼ばれる、狩猟獣においてはその際たるもので、ある意味、自らの狩猟の腕前を披露することであったのは否めません。 いよいよ、次がデザートです。 メインに終わっていよいよデザートが登場しますが、随分お腹いっぱいになっているような気がしても 「デザートは別腹よ」と申されて、ワゴンサービスなどになると、全種類を注文されるお客様もいらっしゃいます。ところが、、、これは当然と言えば当然で、ここにもコースメニューに隠された「罠(?)」が仕掛けられているのです。 実は、案外気付かれないことなのですが、フランス料理、または多くの「西洋料理」と呼ばれる物においては、料理に「砂糖」を加えません。もちろん、ソースや付けあわせなどにフルーツを使用したり、野菜や油脂分の甘味を強調することはあります。しかし、直接、料理に調味料としての「砂糖」や日本料理独特の「みりん」などはほとんど使用されません。 メインディッシュ迄の食事の間において、「糖」を摂取しないと言うことは、すなわち体内の血糖値の低下に繋がります。そこで最後のデザートにおいては知らず知らずに「血糖値」の向上を求める、気付かない生理的な欲求が起こるのです。 ヨーロッパに旅行に訪れられた方々から、「いやぁ~、向こうのデザートは甘い甘い、、、」というお話をよく耳にされたことは無いでしょうか?これこそ、最後に身体が欲する「糖」を求める欲求に対する答えだったのです。【広告】HOTEL VMG RESORT KYOTO(ホテル VMGリゾート 京都)
Sep 29, 2020
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「俳句」を名前に掲げたワインがイタリア・トスカーナで作られているHAIKU。 生産者はカステッロ・ディ・アマ。トスカーナでも指折りの生産者であり、キャンティ・クラシコの名手。また、私自身ここで造られるメルロ100%の「ラッパリータ」はメルロ品種を用いた赤ワインの中では世界でも1位,2位の部類にはいるのでは無いかと感じています。 カベルネフラン25%-サンジョベーゼ50%-メルロ25%。ハイクのブレンド比率ですが、25-50-25のリズムが俳句に用いられる5-7-5のリズムと相通ずる部分でもあります。 オーナーでありまた醸造家でもあるマルコ・パレンティ氏曰く「自然の情景を季語に託し、短い言葉に想いを集約させる、日本に古くから伝わる“俳句”という表現に深く共感した。カステッロ・ディ・アマはテロワールを尊重し、その個性を1本のボトルで表現する。」ことにこの試みの想いが込められています。 また、このワインにはイタリア人であるマルコ・パレンティ氏が受け止めた「日本の感性」が散りばめられていました。 ・朧夜を 葡萄の色に 酔いにけり そして表ラベルでは、のトレードマークの中世騎士の文様が左へずれています。(比較のために写真はカステッロ・ディ・アマのキャンティ・クラシコのボトルを共に配しています。) 「美は乱調にあり」左右対称のシンメトリーを基本とするヨーロッパの美意識に対して、日本は中心線を取りません。床の間に華を生ける場合も、理由あって中心からは外す必要があり、そのことによっての美しさを表現しているのです。 昨今、ワインでも料理でも随分と進化をしてきました。多くの食事や飲み物がまず間違いなく「美味しい」となった現代、それぞれの個性を明らかにするのは、思い入れのあるその商品への「物語」なのでしょう。HOTEL VMG RESORT KYOTO(ホテル VMGリゾート 京都)
Aug 19, 2019
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台風一過。今回も超大型の台風が日本を縦断しましたね。ここ近年特に地球の温暖化なるものが進んで、日本列島はすでに熱帯の地域になっているようです。我々サービスマンはどんなに暑くてもジャケット着用、短パンなどはありえません。ノーネクタイもお客様がドレスアップしてご来店なさることを思うと、やはり失礼にあたるというものでしょう。特にフランス料理や食文化、プロトコールといったものは、ルネサンス以降の近世からのヨーロッパ社会で成り立ち、豪華さを競い華美な服装や様式が花開きました。とにかく、肌を露出したりするのははしたないという事で、男性の正式な靴下はハイソックス。暑くなかったんだろうかと思いきや、そもそも今現代に続く文化と呼ばれるものが生まれる14世紀半ばから19世紀半ばまで、地球はミニ氷河期との別名がある「小氷期」だったそうです。・・・小氷期に生まれた文化についてはまた次の機会にするとして、今回は日本が大変自然災害の多い国であるという事について。日本は本当に自然災害が多い国でもあります。地震はもちろん、今回のような台風。台風は必ず毎年数回に渡って日本に訪れます。あるデータによると、日本の陸地面積は地球上の陸地面積の僅か1%足らず。その陸地に世界の自然災害の20%もが集中しているそうです。そんな自然環境の圧力の中、日本に住む人類は古代から用心深く、ある意味ネガティブに生きてきました。日本人の多くに見られる悲観的な傾向は、そういった用心深い人々が予期せぬ自然災害で生き残り、多くの子孫に用心深い遺伝子を残していったからだと言われています。よく「モチベーションを上げる」という事がビジネスの場においても言われます。モチベーションを上げること、イコールポジティブに、楽観的に心を持っていくことばかりが捉えられがちですが、「モチベーション」とは生きるためや仕事をするためのエネルギーの使い方なので、必ずしも楽観的な心持のことばかりではないのです。悲観的に物事をとらえたり、自分に自信が無いからこそ努力したり勉強したり、何らかの工夫をしたりすることがあります。日本人らしい一番典型的なのが、今季引退されたイチロー選手。喜びや賞賛よりも自分自身との闘いをずっと続けてこられて、皆にスゴイっ、と思われても自分では「まだまだ」という気持ちでずっとプレーしてこられたのだと思いますし、その行為をストイックと呼ばれるようになったのでしょう。日本のモノづくりにおいても、そんなところがあったのでしょう。常に精度を高めていくことの背景には「まだまだ」「これで大丈夫か?」といった気持ちがなければ、予期せぬ事態に対応できる製品がこの世に生まれてこなかったといえます。次代はモノから͡コト、更に時間というものに価値の基準がシフトしていきます。サービスにおいても日本人が抱えてきた「悲観的な遺伝子」がその精度を高めていく時代が訪れました。今夜お見えになられる方は何を喜ばれるだろう。どんなお料理がお口に合うだろうか。お見送りに際して、喜ばれているようだけれど、またお越しくださるだろうか、、、次はもっと、喜ばれるパフォーマンスを。想像力がすべてです。少しばかり悲観的であってもそれがお客様のためになるのであれば、厭うことはありません。すべてはお客様のために。と、願うすべてのサーヴィスマンのために。※以下の記事を参考にいたしました。日本人は生まれつき悲観的?中野信子氏が解説する不安の脳科学HOTEL VMG RESORT KYOTO(ホテル VMGリゾート 京都)
Aug 17, 2019
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ウチの店の傾向がそうなのか、或いは私が会話することが多いからなのか、お越しになられるお客様の中にお医者様が多く見られます。お医者様の世界には「学会」という各々の研究の成果を発表したり、討論したりする会議があって、毎月のように全国で開催されており、ここ京都で開催される際には、ありがたいことにいつもご利用いただく先生もいらっしゃいます。先生方が皆様、こぞって学会へ足を運ぶのはやはり人の命を預かっているという職業柄、最先端の技術や研究の成果を知っておかなければならない、求めなければならないといった使命感からもあるそうです。ここ最近は、人間としての研究もさることながら、AI技術の発展や医療ロボットの発達も目覚ましく、最新の医療とは手術でも診断においても機械を正確に使えることが、医者として最も必要な技術とされてきているようです。「だからね、これからの医療はロボットがいかにうまく使えるかが医者に必要とされる事なの。手術でもね、人間だったらさぁ、手が滑ったり、間違えたりするじゃない。ミリ単位の手術なんて、正確に執刀するのはロボットの方が確実でしょう。『私、失敗しませんから』とかって、あれはテレビドラマだけの話で、未来の手術は人の困難な技術に頼らずに、ロボットが執刀するようになっていくわ。そのうち診断もちゃんとどこが悪いのか機械が見つけてくれるようになると思うの」お客様としてお越しいただいた先生は仰いました。「・・・でもね、医者という”人”は居なく無くならない。居なくちゃいけないの。それはね、怪我をした人が病院に来た時に、具合の悪い人が訪れた時に『痛かった?もう大丈夫よ。』『頑張ったね』って人間の声を掛ける事や、手のぬくもりを感じさせることが”人”にとって一番大切な癒しとなるのだから。」科学の発達や、技術の進歩は確かに目覚ましいものがあります。今後数年で多くの職業がAIや高度な機械に置き換わるという予測もあるようです。しかしながら、ホスピタリティという「人間」が「人間」にしか与えることのできない、この価値は「人」がこの世の中に存在する限り、ずっと在り続けるものだと思います。「今日はお越しいただき、ありがとうございました。 どうぞお帰りはお気を付けて。 またお会いできますことを楽しみにしております。」レストランにおいてもホスピタリティとは、お客様をお見送りする際のささやかな言葉や表情かも知れません。それが、人が人に与えうることのできる、最も尊いものですね。HOTEL VMG RESORT KYOTO(ホテル VMGリゾート 京都)
Oct 4, 2018
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来月、弊社において奈良県、古都ならまちに新たな宿泊の施設をオープンすることになりました。奈良といえば、かつて平城京を有したように、歴史の上では京都・平安京よりも以前に在った日本の古都です。(その前に我が地元、大津に近江の宮があった訳ですが)お客様は何を求めて奈良にお越しになるのでしょう。日本を表す大倭と呼ばれ、シルクロードの終着点。古の天平文化。古事記、日本書紀、風土記、万葉集、、、多くの史記や歌集が編纂されています。織なされる日本の文化の原点がそこにあるのかも知れません。(繰り返しますが、その以前に私の地元、近江京がありました。)今回、ささやかではありますが、この店舗のオープンにあたってワインリストの選定を担うことになりました。私もワインのみならずの「酒類」をレストランで取り扱うのが生業となっております。また、おもてなしの心をもって「酒を勧める」ことを意識しています。「酒を勧める」かなり有名で、学校で習った記憶があるのですが、中国の詩人于武陵(う ぶりょう)が詠んだ五言絶句に「勧酒」(酒を勧む)があります。勧 君 金 屈 卮 満 酌 不 須 辞 花 発 多 風 雨 人 生 足 別 離この詩には井伏鱒二の名訳があって、こちらの方がよく耳にされるかも知れません。このさかづきを受けてくれどうぞなみなみ注がしておくれ花に嵐のたとえもあるぞ「サヨナラ」だけが人生だ最後の一行、「サヨナラ」だけが人生だサヨナラか。なんだか少し寂しい気分にもなります。でも、サヨナラが来るから、とても愛おしい、そして大切なものであると気づくことができます。「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」この心得を、後の茶人、千利休の言葉とされる一期一会と呼ぶようになりました。おもてなしの本質、亭主と客とがお互いに誠意を尽くす心構えの意味です。「一期」とは仏教用語でいう「一生」であり、すなわち「人生」の事。「さよなら」だけが人生だ それはまた、一期一会。お客様と出会うわずか一日を、たった数時お間を大切に愛おしく思えることが「おもてなし」なのでしょう。HOTEL VMG RESORT KYOTO(ホテル VMGリゾート 京都)
Oct 4, 2018
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身に美しいと書いて「躾-しつけ-」礼儀や作法と総称されるものですが、レストランでのマナーと同様に「他の人に不快感を与えない」という意味では同じくで、人から見て美しいと思える所作はまた、その人となりや教養を表すものでもあります。躾が成された方かどうか、「箸の上げ下げ」というような少々嫌味を伴った言葉もありますね。さて、先だって私の勤める高台寺 極-KIWAMI-に外国からのお客様がお見えになられました。中国、北京からです。賑やかに食事は進んでいきます。私どもの極-KIWAMI-はカウンターレストラン。このカウンターレストランというのは、そもそも寿司店のような日本を発祥とする文化という事もあって、提供しておりますのはフランス料理ながら、お箸もナイフ・フォークと共に使用して頂いてます。中国からお越しの皆様は、同じ東洋の文化圏なのでお箸の使い方は慣れていらっしゃいますが、そのうち箸置きを移動させて右手の取りやすい位置、つまりナイフの隣に皆が置かれるようになりました。日本人から見て、「行儀が悪い」、ように見えます。しばらくして、お客様からお箸について話が及びました。「日本の人はなぜ、箸を体に平行に、真横に置くのですか?右手で掴むのだから、右手に置いておいた方が使いやすくて合理的でしょう?」私は、「そうですね。しかし日本ではちゃんと躾というものがあって、箸は右手で持ち上げて左手で支え、それから右手を返して持つといった動作を行うことが子供のころから教えられます。 両手で扱うことや、合理的でない所作が他の人から見た見え方が美しいとされるからでしょう。」と答えました。「なるほど、、、」「だから、日本の箸や道具は100年もつのですね。我々中国人は、いつの間にか消費大国になってしまって、物を大切に扱うことに鈍感になってしまっている。日本人が尊重している躾とは物を大切に扱う思想なのですね。」そういえば、躾とされるもの、「襖の開け閉め」の所作や、「敷居を踏んではいけない」など、人が拵えたものを遠い将来まで残していける、尊重することが日本の文化であり心だったのです。外国人の方だったからこそ、気づかれ、驚かれた日本の文化だったのでしょう。日本の文化を繋ぐというのは、我々の遠いご先祖様が未来のために残してくれたものを、現代に生きる日本人が未来へ残していくことなのだと。HOTEL VMG RESORT KYOTO(ホテル VMGリゾート 京都)
Sep 20, 2018
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私の勤め先もそうなのですが、とかく「フランス料理」にはちょっと堅苦しいイメージが付き纏います。ただ、堅苦しいというのは「重々しい」とか、「難しい」というイメージで捉えられがちですが、一方ではそれも人の興味を惹き、愉しみに繋がる部分も多く備えています。ちょっと以前の日本での認識では西洋料理というカテゴリーにおいて「フレンチ=高級」「イタリアン=大衆」という認識の分け方が在ったかと思います。近年では、情報のクロスオーバーによって随分と各国の料理にボーダーは無くなって来ています。私どもも京都にお店があるものですから、京野菜を用い、日本のブランド黒毛和牛を調理し、何より日本人の感性で料理を拵えています。おそらく、器や店内の設え、従業員のユニフォームなどが各国料理を見分ける基準ですよね、お隣の日本料理店さんの料理を持ってきてお皿を盛り替えたら分かんなくなってしまうでしょう。ところがですね、フレンチが最強であることの所以は、何も私が贔屓に思うばかりでなく、披露宴を含むパーティと呼ばれるものは多かれ少なかれ「フォーマル」な要素を持ち合わせていますので、ちょいとした「プロトコール」がどうしても必要とされる部分があるからなのです。プロトコール、聴きなれない言葉かもしれませんが、情報工学の分野、平たく言えばパソコンなどを扱っている時、ネットを繋ぐときなどに目にされたことがあるかも知れません。辞書で調べてみますと、「規定」「議定書」「儀典」などが上げられていますが、もともとは「人間同士のやりとりに関する約束事」という言葉のようです。国同士の外交において、特に儀礼が必要とされる場で用いられています。例えば、最近韓国の大統領が交代されましたが、大統領が日本を訪れる機会があったとします。日本側は手厚くお迎えしようと首相や、それこそ天皇陛下による公式晩餐会が開催されることもありえますね。この公式晩餐会、仕様は「フランス料理」の形式が用いられています。なぜでしょうか。日本料理でもてなしても良さそうです。いえいえ、先方の韓国料理で日本で一番評判のおいお店の料理長を招いて、といった事も考えられます。ところが、日本料理が日本の誇りであったとしても、外交においてもし両国間が微妙な雰囲気だったりすると嫌味ですし、また韓国の料理だとしてもおそらく自国で料理し提供されているものが最高であると感じることになるでしょうしね。そんなことからも、フォーマルな場ではフランスの文化である様式を「プロトコールに則って」行われることになります。余談ですが、フランス料理は諸々の点でプロトコールとなるに相応しい点が見受けられます。そのひとつがフランス料理の中では最も「上等」とされている食肉が「仔羊」であることでしょうか。羊は世界的な宗教における禁忌に触れることがないので、これも国際間の社交の場においては有用に働いているようです。かような経緯もあってか、京都の老舗の日本料理店の多くも近年フランス料理店とのコラボレーションや宴席にフランス料理の様式を導入されるケースも増えてきているのを見かけるようになりました。プロトコールは時代背景によって少々変わります。日本なんだから日本料理においては日本のナショナリズムが、と思う向きもあるでしょうが、過去日本の歴史の中でも結構柔軟に取り入れらて来てます。京都という場所ではあまりにも身近に成りすぎてますが、お坊さんの唱える「お経」。日本への仏教伝来は6世紀半ばと学校で習いました。当時から1400年ほどの時間が経っていますが、21世紀の現代でもお経の文言は中国語、また、そもそもインド発祥のバーリ語やサンスクリット語を漢字に音を当てはめたものです。割と近代における発展した装いで大変我々にも身近なものがイギリスを発祥とする「セビル・ロウ」即ち「背広」という服装ですね。おそらくビジネスという社交の場においては世界中の人々が礼儀という面もあり身につけて臨んでいます。お経も背広も当時、文化が進んだ場所における風俗を基に人々が「お互いの人間関係を円滑」に進めて行けるよう失礼の無い様に不文律で用いられてきた歴史です。そんなところから、結婚披露宴といったフォーマルの意味を伴った宴席の場では、家族、ご親族はもとより列席者の皆様における礼儀として、また食事の場が愉しい時間を共有することにおいてプロトコールが用いられ、プロトコールの原本となった「フランス料理」の饗応の様式が採用されています。国際経済においてはアメリカの「ドル」という単位がそうであるようにフランス料理は料理という文化においては、いわゆる「基軸通貨」。そういった意味で、フランス料理は最も世界で「強い」のです。【広告】HOTEL VMG RESORT KYOTO(ホテル VMGリゾート 京都)
Jun 15, 2017
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先日の全日本メートル・ド・テル連盟の第70回レストランサービスセミナー、桧山会長による座学のテーマは「富裕層」。2020年に開催される東京オリンピックを踏まえ、また、国内のサービス産業への取り組みの転換が図られる中、世界のあちこちからも観光・サービスを求めて「富裕層」が来日しています。富裕層の定義については様々ありますが、とにかくお金持ちで単に物財だけでなく、サービスや体験などに「時間」という財産を消費できる人と捉えられます。だから、いくらお金持ちでも仕事に忙殺されて、遊べる時間がない方は、申し訳ないけれど「富裕層」の顧客たりえないと私は考えます。この富裕層と言われる方々は、情報の収集に長けていることが特徴です。結構お歳を召していらっしゃるなぁ、と傍目に見えても、インターネットなんかサクサク使いこなしていらっしゃいます。最近、ニュースでもありました。中国からの観光客相手に電化製品を割高販売したものの、すぐに情報が広がって「日本でぼったくりされた。」との悪い印象を持たれてしまった、日本としては恥ずかしいことです。富裕層だから、1,000円が2,000円でも気にしないだろう、では通りません。そこに価値の無いものに、対価を払う用意が無いのです。一方、「価値」がありそうだと思った商品に関してこそ、金額の大小は問題では無く、そのものの価値を手に入れることが喜びへと繋がります。プライベートジェットを購入する大富豪は、ファーストクラスであっても一般の飛行機よりも快適だといいます。通関の待ち時間、列に並ぶ「時間」の対価が自家用ジェット機で得られるからです。豪勢な家が、何軒も建てられるほどニューヨークの高級ホテルのスイートルームに滞在し続ける大富豪も存在します。そこには、一軒家では得られない「安全」が有ると思われるからです。富裕層だから、パソコンなんか当然持ってて、世界中の情報を瞬く間に集められる。お歳を召した方に見えても、侮れないことは確かです。しかしながら、この富裕層へのアプローチという観点から視点を変えてみると、「富裕層だから、コンピューターも駆使できる。」ではなくて、「富裕層こそが高額かつ目新しい商品の普及に寄与してきた。」と言えるのです。歴史を遡って見てみると、自動車がそうだったかも知れません。近代ではパーソナルコンピューターでしょう。私たちが携わる「フランス料理」にも共通するもの、それは「新しい見たこともないもの」そして当初は「とても高額な商品」であるということです。目新しくて、高額な商品もいずれその価値が多くの人々にその価値が認知されれば、普及し量産化されます。パーソナルコンピューターと、「日本におけるフランス料理」も同じプロセスを辿ってきました。先ず、得体の知れない「新しいもの」にその価値を認めるのは他でもない、開発者本人です。パソコンでは、コンピューターオタクでした。フランス料理ではマニア、グルメと同業者です。オタクやマニアは、自身の収入如何に関わらず、この価値には「時間」とそして「金」は惜しみません。なぜなら、そこに情熱があるからです。マッチの先のような情熱の炎でさえ、富裕層が「なんだか価値がありそうだ。」と目をつければ炎は一気に燃え広がります。これが第2段階です。お金持ちは、なんだか新しいものが世に出てきたとなれば、それがいくらであっても構わないのです。フランス料理も、昭和40年代、東京オリンピック、大阪万博と日本が世界に目を向けたときに、値段はいくらでも構わない富裕層の存在があって黎明期を迎えました。パソコンは、今よりとんでもなく性能が悪くて、とんでもなく高価であったものが「なんだか面白そう」という「価値」を見出せた人々によって、加速し始めたのです。後に、富裕層の社会へのフィードバックがあってこそ、フランス料理のキャビア、フォアグラという商材は既に耳慣れたものになりました。全世界の大衆に普及したウィンドウゥズやIPhoneが産まれたのは、今高齢者に見える方々がパソコンをいじり出した後の発明品であるかも知れません。ここに「富裕層へのアプローチ」へのヒントがあります。富裕層が求めるもの。それは既に「お金で換算できるもの」ではありません。それは、「時間」であったり、「体験」「癒し」「安全」「快適」など。過去はともかく、将来においてはそれは「サービスの付加価値」です。まだ誰も見たことの無い価値、それはサービスオタクの情熱によって世に産まれて来るものかも知れません。
Nov 12, 2016
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プロになりたい。と言いながらも、「分かることを教えて欲しい。」「バカだと思われるのは嫌だ。」「練習してからお客様の前にでます。」ってなことをぬかす連中がまあモノになったことは無いね。知っていることを教えてもらってどうする。始めから出来ると分かってやってる事に達成感ってあるの。まだ何も知らないうちから、プロやベテランの中に飛び込んで、己の未熟さを知り、馬鹿にされて、叱られて、笑われても続けていれば普通にプロにはなれる。馬鹿にされたり、叱られるのが、そんなに大層なことか。道を踏み外したり、自己を見失ったりすることより全然まし。続けていればね、アマチュアをはるかに越えてプロになっていくのさ。人間的にも成長するし、何より他の人から頼られるようになるのが嬉しい。世界に名だたるプロフェッショナルも、最租は言葉を発することも出来ず、ただただ無知のまま、他人に依存する存在でしかなかった。生まれた時は赤ちゃんやったからね。プロになろうと志した時、みんな最初は笑われ、けなされ、屈辱も味わった。だけど、今はそのプロの誰かのおかげで、多くの人が教えを授かることが出来るようなったのだよ。どんな業界でも一緒だね。・・・ってなことが、今からざっと700年前7の兼好法師の徒然草に書いてあります。一部意訳しましたが、現代でも充分心に刺さりますね。700年前の『徒然草』を現代語訳したら…現代人にも突き刺さるいい話だった!
Oct 6, 2016
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ウチのお店のお客様ばかりでなく、フランス料理店の顧客の方は、どちらかと言えば「インテリ」な御人が多いように思います。 特に多いのが ドクター、お医者様で、お食事を楽しんでいただけるのは勿論私どもにとっては責務ですが、一方でお客様からお教えいただく大変興味深い内容のお話も頂戴します。 先日お越しいただいたお客様は、京都の医科大学の先生。「いかがでしたか。お味はお口に合いましたでしょうか。『記憶』に残る一夜をお過ごしいただけましたでしょうか?」「そうですね、今日いただいた『フォア・グラ』。こちらのおかげで、特に長期記憶に携わる要素がたくさんありましたよ。」なんのこっちゃ!?と思いながらも、お話を聞いてみると、実は先生の専門の研究はまさに「美食」に関わるもので、何でも脂肪を多く含んだ料理は、その後に忘れることが少なく、長期的な記憶を形成する、まさにトリガー、引き金となる要素が有るのだとか。 アルツハイマー、痴呆といった症状は脳が健全で無くなっていく過程で起こるもの。 治療を研究する上で、美味しい食事、それも現代では概ね悪役とされている、「脂肪」や「糖」を摂取することによって改善が図られるかも知れないとの事。 なるほど。そもそも「脂肪」「糖」といった高カロリーの食べ物が、体に悪いとされたのは、ここ数十年来で、人類の歴史や、あるいはそれ以前の名もない哺乳類であった時代には、自然界に存在することはあまりにも稀でした。 いつ、どこで、どんな状況で、そのエネルギーに富んだ食べものにありついたのか、記憶に留めておく事は、生存していく上でも、とても大事なことでした。同じ状況が再び訪れたとき、間違いなくその食べ物を手に入れられるように、覚えておく。これは特に脳の働きにおいて、特に重要な役割でした。 思い出に残る料理とは、もしかするとその状況だけでなく、脂肪の持つ成分そのものが要因だったのかも知れません。まぁ、料理を作っているシェフには身もフタもない話ですが。 この生物学的に人類が備えた能力を活かして、痴呆の改善に寄与しようという研究を進めたいらっしゃるそうです。科学誌、ネイチャーにも論文が掲載されるようなことにもなったら、またウチにご来店くださるとおッしゃって頂けましたので、蔭ながら応援しているのですが、この研究はまた、飲食店を営む私たちにとっても大変興味深く映りました。 「思い出に残る料理であるためには、脂肪や糖の摂取が重要である。」 そういえば、遠いバブルと呼ばれた時代の事、クリスマスにはこぞってフランス料理店でのディナーに押しかけたものです。また、あのとき食べた焼肉店でのひと時を、人は思いのほか覚えているものですよね。 ご馳走とは、結構脂っこい食べ物だったように思います。 思い出せるものは、フォアグラ、神戸ビーフのフィレ肉、、、人類が叡智を駆けて創り出した「脂肪」溢れる食品ですね。 なるほど、誕生日のお祝いには、クリームたっぷりで、甘味に溢れるバースデーケーキが付き物ですが、こちらも楽しい瞬間を、長期に渡る記憶に変える、その一役をを担っていたのかも知れませんね。 …あぁ、そして、今日も記憶を蓄えるためにカラアゲ君が手離せない。
Jun 6, 2016
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日本人の味覚は世界一。 か、どうかはともかく、味覚が優れていることが問われ、少なくとも世間の人々からそうだろうなくらいに思われている職業に「ソムリエ」があります。 私もソムリエのバッジを着けて業務にあたっていると、お客様からは「ソムリエさんなんですね!すごいですね~」などとお声を掛けられたりします。 私も褒められて伸びるタイプですから悪い気はしませんが、あらためて何が、どうすごいのかとなると返答に窮してしまうこともままあります。 おそらく、お客様、もちろん世間の多くの方々には「ソムリエ」なる人々は、味にうるさく、そのため大変「味覚」が優れているに違いないと想像をかき立てるのでしょう。 しかしながら、ソムリエという名の人、皆が皆味覚、また味覚を感知する舌という体の器官が優れているとも限りません。 体の器官としての舌の良し悪しは、かなり主観的なものであり、比較のしようが無いことと、また舌という「器官」が他の人よりよく出来ているからと言って、ソムリエとして優秀かどうかの基準とはなりえません。 例えば、美しい絵画を例に挙げても、視力が良いからといって、鑑賞した際の心の動き具合が変わるものでもないでしょうし、ましてや人様に感動を与える絵画の表現を作成するにおいては、眼球の視力の優劣によるところでも無さそうです。 サービスに携わる若い方々に、また、ソムリエ志望のスタッフにちょっと意地悪してこんな質問をしてみることがあります。 「何ぃ、食べたことがないから分からない!?飲んだことが無いから伝えられない!?なるほど、じゃあ練習がてら、少なくとも一度は飲んだことがあるであろう”コーラ”の味を説明してごらん。」 これは難しいですね。 「発泡の具合ははつらつと強くて、強い甘味を緩和している。加えて酸味の度合いが、、、」 かようにソムリエという職業においては、特に自分の体を持って感知した経験を、自分ではない誰かに伝える、ワインを表現するというアウトプットのほうが困難で、かつ重要でもあります。 味覚のために少々舌が優れていても、記憶するのは脳であり、そこからアウトプットするのもまた、脳の働きによるものなんですね。 「あか」と聞いて何を連想しますか? こんな駄文をここまでも読み薦めて下さっている方は、同業の方か飲食に興味をお持ちの方でしょうから「赤ワイン」でしょうか。 「あか」と聞いて「黒」いものを想像される方。先ずはお風呂に入ることをおすすめします。「あかはアカン!白にしろ!」とか思い出す方は関西人の血が濃いですね。 「あか」といっても色々です。味覚は主観的なものですから、見える化するために色彩を例に挙げてみました。 似ているようで、違う。赤系統の色チャートをいくつか並べてみました。 いかがでしょう。並べられた色彩チャートから、違いは分かるものの、それぞれの差異を言い表わせるでしょうか。黒っぽい感じ。紫がかった。明るい。赤と言うよりピンク。などなどですね。 表現がやはり主観的になりますので、基準を数値をに置き換えてみましょう。印刷に用いられるCMYKカラーモデルというやつです。 C=シアン・青色系統 M=マゼンタ・赤色系統 Y=イエロー・黄色系統 K=クロ 以外にも一番左はKは使われていませんね。対して一番右は赤系統とはいえYが100使用されています。 「このワインにはカベルネ ソーヴィニヨンが〇〇%、メルローが〇〇%、、、」 とか 「××年の気候において、どこどこの畑で、何某が手がけて、、、」 などセパージュやブレンドに伴う「個性」とも呼ばれる、 ワインの構造をを語るのに似ています。 数値は正確にその色の構造を表しています。 しかしながら、まごうことなく「見えている」のものは、私もあなたも同じものを見、違っているはずはありません。 誰もが知覚はします。知覚とは光を網膜が捕らえ、神経を伝って脳に届く、そのプロセスです。 料理やワインを口に含んだ時、味覚も同じ働きで、舌で捕らえた味を脳まで伝える。知覚のプロセスは五感と呼ばれるものは同じくの経過を辿ります。 では、各々で異なるのは何か? それが「認知」と呼ばれるものですね。脳に届いた信号は、経験と記憶に基づいた複雑な「解釈」が行われ、想像力の源泉となるのです。 実は赤系統の色を五つ、これはあてずっぽうに拾ってきたものではありませんでした。規格のある色彩群の中に「日本の古代色」というカテゴリーがあって、その中から選んできました。 あずき、あかね、べに、あか、しゅ。古の日本人の身の回りにあった「色」を定義して命名された「色の名前」です。 新たに発見した事象が記憶となり、どうでしょう、名前があったことで漠然とCがいくつ、Mがいくつとあった数値で表された「色彩」しかなかったものが、意味を持った「色:に変わっていませんか。 色は匂えど散りぬるを、、、色が匂う、と表現した古代日本人の記憶と、現代に生きる私たちの経験が繋がっていることに気付くこともまた「創造力」ですよね。 だから、チャートの順番を入れ替えたとしても、認知が生まれてていることから、どの色が「なに色」か紐付け易いのではないでしょうか。 味に置き換えてみても、「好き」「嫌い」、「美味しい」「美味しくない」という主観的な味の検地能力だけでなく、プロであるならば、尚、「分かる」「伝える」そして「語れる」、やっぱりアウトプットが必要とされるのです。 もちろん、違いが分かるようになる為にも、多くの「美味い」食事を口にし、多くの方々に愛されるワインをたくさん飲んで、経験と知識を増やしていかなければなりません。 極論かもしれませんが、「優れた味覚」とは、他ならぬ「脳に蓄えられた記憶」と、自身のあらゆる経験を「関連付ける力」にその源泉があると私は考えます。 先に述べた、「コーラの味を表現する」という難問においても、まぁ私くらいになると様々な手法で表現することが出来るようになります。 例えば、色彩のチャートを用いて、「コカ・コーラ」の味を表現すると、、、 こんな感じ ・・・そのうち、どっかから叱られますね。
May 18, 2016
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しばらく前に家でTVを見ていると、ラーメンなどの麺がすすれない人が増加しているのだとか。 関西ローカルの情報番組の中でも採り上げられていたのだが、若い人で、また女性であるほどその率は高く、麺をすすれない若い女子は4人に1人、25%の割合にも及ぶらしい。 識者いわく、「すすると言う行為が出来ないと、味わいが減少してもったいない」のだそうだ。「すすることによって麺類をよりおいしく味わえる。」。 この「啜る・すする」という動作をやや難しく定義すると、「空気と共に吸い込んだ液体や食べ物を口腔内にとどめつつ、空気だけを気管に送り込む」ということであって、吸い込んだ空気が喉の奥から鼻に抜ける際に、香りを纏った空気が抜け鼻腔の粘膜から認知される。 口へ運んだ食べ物を空気と一緒に吸い込む。そのまま食道へ送るのだが、同時に吸い込んだ空気は鼻へ抜く。これが「すする」という行為における体の動きでもある。 鼻を通じて得られる臭い、噛んだ際の歯ごたえ、温度に関わる熱を感知することも人間が「美味しい」と感じる要素であり、特に嗅覚においては、味を左右する影響はかなり大きい。 フルーツ味のお菓子がフルーツと認識されるにあたっては、使用される香料によるもので、試しにバナナを鼻をつまんで食してみると味らしいものがひどくボンヤリしたものに感じられる。 香りが味を形成する要素であり、味覚で味を感じると共に、香りを嗅覚で聴くことは、「味わい」を増幅させる事に他ならない。 私も含めて、日本にもソムリエと称する方が多くみられるが、ソムリエに関わりのある方なら思い浮かぶシーンがあるだろう。 ソムリエがテイスティングを行うときに、ヒュルリラ、ヒュルロロと口をすぼめて空気を吸い込むあのしぐさの事である。 テイスティングは、ワインを判断する、学ぶと言う点において、広く遍く世界中で行われている。 食事中、音を立ててはいけない、とされる西洋諸国においては、非常に不可思議に映る所作ではあるが、「味わいの鑑定をする」には、有用な所作なのであろう。 ただ、私もソムリエの資格を得てから、既に20年になるが、あの行為のことを何と呼ぶのか知らない。 かように行儀の悪く見えるところも手伝って、一つの単語で表されることは無かったのであるまいか。 これを機に、「ススリング」などと命名することを提唱したい。 ラーメンや、うどん、ソバなどの麺類をすすれることに慣れた日本人は、このススリングも容易であると思われる。諸外国のソムリエはおそらく少しばかりの練習も積んだことに違いない。 では、なぜ、日本人の多くがこの「すする」芸当を身につけたのか。 それは他でも無い、「箸」存在にある。 日本において箸は、最古の書物「古事記」の中にも、「スサノオノミコトがヤマタノオロチ退治に出かけ、川のほとりを歩いていると上流から箸が流れてきた・・・」との記述があることから、2000年以上の歴史があることが窺える。 一方、東アジアを除く世界のほとんどは主に「手」で食事を取る、「手づかみ」文化である。現代、ヨーロッパの食習慣文化が入ってきて久しいが、日本人にとって難しいとされる「ナイフ・フォーク」も普及してから300年あまりの歴史でしかない。 ちなみに、世界でマナーとされている「音を立てない」文化は、この「手食」のために。そもそも音がしないことに派生する。 箸は日本、中国、台湾、シンガポール、ベトナム、タイなどの東アジアの国々で日常的に使われてきた道具である 日本が東アジアの箸文化圏から見ても特異な点のひとつは、主に箸のみで食事を採ることで、中国や朝鮮では匙(さじ:スプーン)を主に使用する匙主箸従型であり、またその他諸国では麺類を食べる時だけに箸を用い手食も多い。また、もうひとつには椀などの食器を持って口に運ぶのも、日本独特とされている点である。 箸の使用がもたらしたものは、 「熱い」食べ物を口に運ぶことが出来るということである。 手で食事を摂る文化ではこうはいかない。手で掴める温度の食物でないと、口へは運ばない。 外国人に猫舌の人が多いように見えるが、そもそも掴んで火傷するような熱い食物を口にする文化が無かったのだ。 日本人であっても、西洋人であっても哺乳類として舌という器官で得られる味の大小の差がそう大きいとも思えない。 日本料理が西洋料理と比べて薄味だから繊細、と言えるものではなく、食事の方法が特殊なことによって薄い味付けでも、味わいを増幅させているのではないか。 箸を使い、器と手に取る習慣を身につけた日本人は、同時に口に運んだ食物を瞬時に冷ますテクニック、つまり外気を共に吸い込む、という「すする」という味覚を磨く技術が根付いている。 古来からある「メン食い」という賞賛される言葉は、きっと「味覚に優れた人」という意味が隠されているに違いない。
May 9, 2016
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京都は特に多いのでしょうが、茶室や古い町家に「円窓」がしつらえられているのを見かけます。 現在京都では「ダイナースクラブ京都レストランウィンタースペシャル2014」なる特別メニューを提供する催しが開催され、AKAGANE RESORTも参加させて頂いた、京都の一流店が名前を連ねています。このガイドブックの表紙を飾っているのが、京都のお寺さんの円窓で、ひと目見て京都らしく日本らしさを感じさせるものだからであるからでしょう。 あるお茶事に招かれた際に、中途半端に円窓が半分近く閉まっていました。なぜだろうと思い、先生に尋ねてみると、「今夜は、半月の夜。だから今夜の月の満ち欠けを表しているの。こういったところを風流と呼ぶのです。」 なるほどなぁ、と思う反面、なるほどと思えるところが日本人の感性なのでっすね。 外国人の方々はこの感性に非常に興味を持って下さいます。風景に「理」由を求める感性です。 円窓は風景を切り取る役割を持っています。庭が美しければ、窓を広く取って自分の目で見たいところを見ればいい、というものですがそれでは「余白」が際立ちません。 円窓の周りの壁、または暗がりは西洋絵画における額縁ではなくて、紙の余白です。壁は必ず四角形であるために、丸い窓を設ければ、必ず余白が生まれます。 京都の嵐山に龍安寺というお寺があるのですが、そこのお庭には15個の石が配置されています。石以外はほとんど白砂ばかりの枯山水ですが、このお庭には秘密があって水平方向どの位置から見ても、必ず他の石に隠れるようになっていて、15個数えることが出来ません。 余白の「理」由がそこにあります。 美術の場合においてもこの「切り取りの」美学が見受けられます。主たるものが、「書」です。一文字、あるいは複数であっても背景は紙の色、白い余白で合ったりします。 一方、西洋では「構築の美学」です。油絵は白い部分は白い絵の具を乗せますし、誰かの絵の上から再び描き上げた作品も珍しくありません。 マティスの「赤い部屋」という有名な作品がありますが、元々は「緑の部屋」という作品でした。一旦完成した後、再度赤い塗料を塗りなおして新たな作品として世に出たのです。 フランス料理のロジックは「構築の美学」そのものです。 英語でCooking、イタリア語で Cuccina、フランス語でCuisine。それぞれ「加熱した。火を通した。」という意味です。 火を通さないものは人間の食べ物ではなかったかのようです。流通も発達せず、冷蔵庫も無い時代、日本のような島国ではない大陸では火を通さずに食べる事は至難の業であったことが伺えます。 日本における「料理」。料とは「米」を「斗」することです。斗するとは、枡で量ったり、それこそ「切り取った」りすることです。 理はその「ことわり」です。美味しくする「理屈」「理由」と言った意味でしょうか。 フランス料理、例えば「牛のフィレ肉のステーキ」という料理があります。牛という動物がいて、肉にされてそこからフィレ肉の部分を取り出して、焼いてソースを添える。 ソースはこちらも牛の骨を叩いて出汁を摂ったフォン・ド・ヴォー。かくして牛は皿の上で再度「構築」されることに成ります。 SASHIMIと外国の方にはこちらの名前の方がポピュラーですが、京都では「お造り」と呼ぶ生魚の切り身。日本料理の「切り取りの美学」としては最たるもので、切り取ることに、板前の技量が発揮され、どこの部分が一番美味しくて、どこからどんな風に仕入れて、誰に提供するかかが重きを置く部分です。 食事を終えた後に「ごちそうさま」の言葉があります。ごちそうさまを漢字で書くと、「御馳走様」馳走とは料理をする材料をあちこち駆け回って集めてくることで、いわば流通です。集めて来てくれた事に対しての礼の言葉とも取れます。 かくなるように日本料理の本質では、もしかすると、まな板に乗るまでが勝負なのかも知れません。 21世紀が早くも15年の歳月が過ぎ、情報はすばやく世界中に発信されます。寿司は世界中のレストランで見られ、日本ではあまたのフランス料理店があります。 文化の違いを世界中の人が楽しむようになりましたが、その差異を発見して愉しむ感性は、日本とヨーロッパの「哲学」の違いにあります。 「料理道」と「料理学」の違いですが、都市、あるいは国の成り立ちにその起源を発します。つづく、、、
Feb 4, 2014
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昨年の11月になりますが、全日本メートル・ド・テル連盟主催「冬の食材探求旅行」に参加して「ツキノワグマ」を食す機会がありました。 冬の訪れがいよいよ始まることもあって、熊は寒さを凌ごうと秋に多くの食べ物を摂取し、脂が赤身と同じくらいの層になっているのが分かります。 味は、ツキノワグマがそもそも雑食の動物で、果物なども多く摂っているからか、肉の味に臭みはありませんでした。食肉の風味とは、何を食べているかで随分と変わってきます。 脂に独特の風味があります。同じ環境にいるキジの脂身の薫りに近い感じがありましたが、牛や羊ともまた違う風味です。 今シーズンのジビエも、2月を迎えそろそろ終わりに近づいています。 現代において、またフランス料理において「ジビエ」とは狩猟した鳥獣類を指し、また、そういった食材を使った料理はジビエ料理と呼ばれてます。 四季を重んじる日本の風習に倣って、冬になるとあちこちのホテル、レストランで「ジビエ料理」が供されています。 希少で高価でもあり、シェフの経験と腕が非常に重要な食材でもあります。 「ジビエ」は狩猟した野生の動物の事ですので、鹿や鴨、猪やウサギ、もちろん狩猟すれば熊、狸、狐なども含まれる事になりますので、それぞれの味も全く違ってきます。 そもそもジビエが重んじられるのは、特に冬の一定期間のみ狩猟が許されず、野山の植物などを食べて育ったその野生味が美味とされるところからです。 しかし、一方で、日本人が季節ものとしてとらえるのとは少々事情が異なり、ヨーロッパ中世において、そもそもジビエは一般庶民の口に入るものではありませんでした。 古代から中世へと変化を遂げた西暦5世紀から9世紀に至るまで、現代のフランスはまだフランク王国と呼ばれていました。もともと狩猟民族であったフランク族は戦闘訓練の要素もあった「狩り」を好みました。 狩りの一つの形態として「ハヤブサを使った鷹狩り」があり、当時のフランク族語でgabaitiと呼ばれていました。後にこの言葉がジビエ(gibier)と変化します。ジビエは本来「狩りをすること」の意で、英語圏においてはゲーム(game)と呼ぶのも同じ意味からの派生です。 古代フランク族の末裔である、フランス王、フランス貴族たちは狩りを行うことを高貴な義務とし、一般の庶民が狩りを行うことを許しませんでした。それは、狩りを行なうための獲物の減少を防ぐ目的もあったのですが、彼ら曰く、「野生の動物は自由であり、自由な生き物を捕えることが許されるのは、自由が保障された身分である貴族だけである」といった考えからです。そのため、ジビエは古い文献のグランドキュイジーヌの中にも多く現れます。しかしその後のフランス革命によって、貴族社会は崩壊。後に現れる様々な「レストラン」において、ジビエの味が引き継がれることになったのです。つづく
Feb 4, 2014
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AKAGANE RESORTの庭には大きな柿の木があります。 DININGでお食事を楽しんでいただくと目の前に、たわわに実った柿の実が眼に入ります。 地球の温暖化の影響でしょうか、結実が随分と遅くなったせいもあって、2月に入っても鮮やかなオレンジ色の実がたくさん成っています。 当初夏ごろには、この柿の実のことを誰も意識しませんでした。秋が来て実が成って、枝々の隙間からちらほらと実が垣間見れるようになり、やがて緑の葉は総て落ちて実だけが残ると、鮮やかな橙色の果実がたくさん現れてきたのです。 露になるときは堂々としたものです。 -露堂々 元々そこにあったのは、明らかでした -明歴々 「明歴々 露堂々」とは禅の講話などに出てくるお話です。AKAGANE RESORTは京都高台寺にほど近いのですが、高台寺でよく話される内容で、茶会などを催されると必ず禅の教えに絡めてされる有名な逸話です。 要は、人は意識しないものには「気付かない」ということなのですね。 見えていないから、「無かった」、ではなくて、「元々そこにあったのに気付かなかった。」だけなのです。 見えなかったものを、仏の心と感じるか、あるいは人の才能とするかは受け取った側の解釈しだいですが、「気付く」という点において人材開発の技法のひとつ「コーチング」と相通じます。 コーチングで、重要視されるのは「気付き」です。気付くためには、自分の中に内在するものをあらためて見直して見なければなりません。 外部から何かを植えつけるものではなく、誰しもが持っている「実」を堂々と露わにするための技法であるといえるのでしょう。 禅宗の言葉を顕した先人にあるように、四季の移ろいを何気なく見ていたのでは無く、そこに真理の破片を見出す。 「気付き」によって見えていた世界が変わり、自分が変わることもあるのですが、それが自然体であることが最も望ましい姿であると、庭の柿の木が「気付かせて」くれました。つづく、、、
Feb 3, 2014
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私の先輩諸兄を含め、長年サービスに携わった方々には人を見抜く眼が養われるようです。 ひと目見て、また、二言三言話を交わしただけで、お客様の好みだとか、今日レストランにいらっしゃった目的、ワインが好きな方か否か、社会的地位が高い方なのか、、、「君はどんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるかを言いあててみせよう。」とはフランス革命期の美食の大家、ブリア=サヴァランの言葉ですが、人を見抜くテクニックや、「ピンとくる」「勘がはたらく」といった要素はそもそも生まれてから身に付けた「知識」の一部であることが知られて来ました。 「知識」というものを、分類すると、言葉やヴィジュアルに置き換えて他の人に伝える事の出来る「形式知」と頭で分かっていると言うより、首から下、身に着けた、と例えられる「暗黙知」があります。 「暗黙知」私はちょっとこの字面がダークな感じがして気に入らないので、タイトルには「あんもくち」と書き換えました。 「暗黙知」は総括した知識という概念の中では、大きな割合を占めています。 ちょうど海に浮かぶ氷山が、見えている部分よりもはるかに大きな氷の塊を水面下に沈めているように、人が備えている知識とは、形式知よりも暗黙知がはるかに多いのです。 形式知には伝える力があり、暗黙知には産み出す力があります。 ジャパン・ミラクルと世界から呼ばれた当時の日本企業には、個々が持つ「コツ」や「勘」などの「暗黙知」が組織内で代々受け継がれていく企業風土・企業文化を有していました。そうした暗黙知の共有・継承が日本企業の「強み」でもあったのです。 しかし経営環境は著しく変化していく中で、労働環境の変化により「同一の企業文化の中で育ったほぼ均等な能力を持つ職員が継承していく」といった前提は崩れてしまいました。このため現場任せで自然継承を待つだけでなく「形式知」化していくことが必要とされる。 私が京都で勤めているからという事もあるのでしょうが、「おもてなし」という言葉をよく耳にします。 つい最近では、次回東京オリンピックを誘致するにあたり、プレゼンテーションで、「お・も・て・な・し おもてなし」のフレーズが、使われ「おもてなし」だけに何かウラがあったんじゃないかと勘ぐってしまいましたが、この「おもてなし」こそが、暗黙知のそのものでは無いかと感じるようになりました。 「おもてなし」は日本人なら誰もが知っているような言葉に見えて、誰もがその実態を知らない不思議な言葉です。 例えば、ある会社の社長が、「今日からわが社も、マニュアルにおもてなしの心を取り入れるぞ!」と張り切って宣言したとします。 おもてなしをマニュアルにする。形式知に落とし込む作業ということになるのでしょうが、いかんせん「おもてなし」の極意は「一期一会」、100人のお客様がいれば100通りの手法があるということです。 100通りくらいならば、マニュアル化することは可能でしょう。実際、ディズニーランドのマニュアルは不測の事態にも対応できるよう、1000通りの対応が想定されているそうです。 一期一会は、1000通りのみならず、10000人、1億人の客人に対しても「一期一会」の心持で臨む事こそ「おもてなし」であると唱えているのです。 これではマニュアル化は非常に困難です。おもてなしは学問ではないのです。 暗黙知を形式知に転化していこうとする試み、ナレッジ・マネジメントと呼ばれたりしますが、いわゆる学問「~学」です。 おもてなしは日本人が古来より培ってきた、剣道王、茶道、華道に見られる「武道・芸道」と同様な「おもてなし道」といえるでしょう。 「道」とは何か。「道」を求めるのに最も必要とされるのが「残心」です。 残心とは日本における美学や禅に関連する概念ですが、平たく言えば「すきこそ ものの じょうずなれ」といったところでしょうか。つづく、、、
Feb 1, 2014
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フェイスブックでお友達の方の投稿に、『「雪掘り白菜キムチ」です。野菜は、雪に埋もれると自らの凍結を防ぐため、「でんぷん」を「糖」に変えて自衛します。現地で食べて「すごく甘い」白菜にびっくりです。』 というお話を拝読させていただきました。 なるほど、私はソムリエのお仕事にも携わっていることもあり、発想は極甘口ワイン、「アイスワイン」へと跳びます。 アイスワインは非常に甘美なワインです。葡萄の実をずっと摘まずに冬を迎えると、水分が凍結して搾った液体が非常に濃厚になり「貴腐ワイン」に負けるとも劣らない極甘口ワインになるという。 アイスワインは、カナダやドイツ産のものが有名です。やはり北の地域の特産なのでしょう。お値段も貴腐ワインほど行かないまでも、結構いいお値段です。 このアイスワインが造られる過程において、何年か前まで、私もメカニズムを誤って理解していました。 アイスワインの名のごとく、凍った葡萄の実を搾るのですが、その時に水分が凍っているので、固体化した氷が窄汁したジュースの中に入らないからだと思っていました。 実は違うんですね。葡萄の実に限らず植物は、先の投稿にあったように自らの自衛の為に水分を吐き出し、代わりに凍らない糖分で代用する術を身に付けているのです。 「水」は生命の源でありながら、また厄介な代物でもあります。 水は具体的には4℃が最も体積の小さい状態です。温度がどんどん上ると最終的には沸騰し湯気になって、爆発的に体積は増えます。 温度が低くなっても体積が増えますので、氷は水よりも大きいのです。 自らが凍りそうになるのを察知すると、葡萄は体内の水を外へ吐き出します。人間で言う汗をかいたイメージでしょうか。 細胞の中に水を蓄えたままにしておくと、破裂して細胞の膜を破ってしまうかも知れない。 子供の頃に遠足に持って行こうとした、お茶を凍らせていたら蓋が飛んでた、という経験をお持ちではないでしょうか。 糖分は凍りにくいのです。ウォッカをマイナス20℃の冷凍庫に保管している様子は、あちこちのバーやレストランで見かけます。 糖から二酸化炭素を取り除いた分子構造の、アルコールは融点がかなり低いのです。糖も同じく自然界の寒さでは凍りませんので、葡萄はいわゆる体液を「水分」から「糖分」代謝して、自らが凍結することを自衛しているのです。 アイスワインについてお話してきましたので、植物の智恵だと思われるかもしれませんが、実は人間もこの防衛機能が働くときがあります。 それが、「糖尿病」だという研究が進んできました。 人類が生まれてから、何万年、何十万年という時が流れていますが、その間に「氷河期」というのが訪れています。 氷河期を生き延びる上で、人類が獲得した体質が、血液の水分を減らし、替わって糖分を用いること。 血液中に糖分が増えることによって、様々に弊害はあったはずです、しかし種の存続が第一義の当時の人類においてはやむにやまれぬ手段であったのかも知れません。 氷河期という特殊な非常事態に獲得した体の機構ですので、平穏な現代に至る何千年か、何万年かの間にも、私たちの体はこのメカニズムを手放しませんでした。 そのため、糖尿病と言う病気は厄介です。体がせっかく取り込んだ糖分という物質を外に排出する機能が体には備わっていないのです。 それで、外部からインシュリンでコントロールするしか方法はありません。つづく、、、
Jan 31, 2014
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E=mc2 相対性理論の公式です。大変難解な相対性理論ではありますが、公式はいたってシンプル。正に「美しい」式であるともいえます。 アインシュタインは特殊相対性理論発表において、式の美しさに大変なこだわりを見せたといわれています。「自然界のものは美しく、また自然の中から見出されたものもまた美しくあらねばならない。」との自身の哲学があったそうです。 美味しい料理が、「美しいもの」であらねばならないというのは、アインシュタイン同様のこだわりでしょうか。バランス良く味を調えてこそ、美しい味は発揮できるというものです。 ことフランス料理においては学問的に、美味しさを探求しようとします。フランス料理というよりも、それは連綿と続くヨーロッパの文化、つまりそれこそ紀元前に発祥のギリシャ哲学に端を発する、かような風潮であったのかも知れません。 人間が感じる「味」は、現代では5つに分類され、・甘味・塩味・酸味・苦味、そして近年日本由来で味のひとつとして数えられるようになった・旨味です。 料理を食するにあたって、人は例えば箸で掴んだ時の指先の感覚や、グラスを口元に持ってきたときの柔らかな薫りなども総合的に感じ取って楽しんでいるのですが、舌の上で捉えられる感覚だけに限っていうと、この5つの味をバランス良く整えられた食材が、美味しい料理として評価をされることになります。 私はソムリエでもありますので、ワインを評価するときにはこの「五味」を掴まえるようにしています。 白ワインなら、甘味と酸味、シャンパンのプレステージには旨味が感じられます。赤ワインには「渋味」が感じられますが、渋味は味覚ではなく、体をつねったら痛いと感じる「刺激」なのですね。意外ですが。 それぞれの味覚バランスを保ったものが美味しいと感じるはずです。これがロジックですが、最終的に「美味しい」か「美味しくない」かの基準は自分に内在されていて、「もう一口、口にしたいかどうか。」を判断の材料にしるというのが本当のところでしょうか。 この生物学的にも検証された「五味」なのですが、私はもうひとつの味、「無味」というのも提唱しても良いのではないかと勝手に想像を巡らしています。 無味、つまり真水を「無味無臭」というように、また自らの体液、つまり唾液を意識しながら食事をすることは普通ありえないですが、食事の味のバランスを大きく左右するものだと感じています。 ワインの成分も7~8割がたは「水」です。100万円のロマネ・コンティのうち70~80万円は水にお金を払っていることになります。…とはならないでしょうが。 ロマネ・コンティでは例として想像しがたいので、いきなり身近なもので、「カルピス」という飲料なら親しみやすいでしょう。 カルピス、裏ラベルの作り方には「5倍にうすめてお召し上がり下さい」との記載があります。希釈濃度が20.0%の前後がバランスの取れるストライクゾーンですよ、という意味ですね。 確かに薄くても濃くても、カルピスの成分は変わらない訳ですが、濃すぎても美味しくないし、薄すぎ場合には、ケチケチ作ったした自分を一瞬恨みたくなるときもあります。 優れた料理人の方は、この針の穴に糸を通すような、1%のストライクゾーンを通すことに長けています。1%というと非常に些細かと想われるかもしれませんが、例えばコーラやジンジャーエールなどの清涼飲料水1ccを真水に溶かして飲んでみたら、結構知覚できます。清涼飲料水を飲み干したグラスに水を入れて飲んだら、「あ、このグラス洗ってないや。」と感じることができるでしょう。 同様に、人は「美味しい」「美味しくない」という判断の要素に自分の経験や体の変化があることを意識していません。 味の「うまい」「まずい」がここにあるため、主観的になるのは当然なのです。「うまそぅ~、よだれがでる。」 体が唾液を多く分泌する状態になるのは、目の前にした料理が既知のものであり、その味を過去に経験したことがあるからです。 松茸の香りは、多くの日本人にとって、秋を感じさせる「おいしそう」な香りですが、北欧に生育する同じ種類のキノコは「靴下キノコ」と不名誉な呼ばれ方をされ、あまり良い香りとしては捉えられていないそうです。 レストランにおいて、カウンターとは目の前のお客様に「最も合ったバランス」で料理を提供できる空間です。 かのジョエル・ロビュションが日本の寿司店のカウンターを見て感銘を受けたのも、世界のトップになってもなお、食に対するあくなき探究心がもたらしたことは疑いようがありません。つづく、、、
Jan 29, 2014
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さて、いきなり本題に入りますが、「美味しい」とはいったい何なんでしょうか? 普段の食事でも、特別な日のディナーでも人々は「美味しい」「まずい」と判断しながら食事を摂っています。明らかに人類が文明的な生活を営んでいることは、動物と違って、食べることに栄養補給と身体を成長させること以外の意味を見出しているからです。 動物と違う、というのは語弊があるかもしれません。哺乳類も鳥類も、美味しいものと、美味しくないものを本能的に嗅ぎ取っているのでしょう。基本的に「まずい」と脳が判断するものは、きっと身体にとって摂取してはいけないものであり、美味しいものは、美味しいと感じる感覚というのはきっと、ドーパミンのように脳が刺激されて産み出される快楽物資みたいなものでしょうから、脳、というより遺伝子が「もっととれ、もっと欲しくなぁれ。」と信号を送っているようなものだと考えられます。 動物が食物を摂取する上で、もっと「欲しくなるよう」に仕向けられるもの、それは乱暴に言えばエネルギー価の高いものです。例えば、脂肪と糖分でしょうか。サシのたっぷり入った牛フィレやフォアグラ、m&mのチョコレートetc。ダイエットの敵の代名詞になるくらい止められない魅力がそこにあります。 「美味しい」。「おいしい」に最初にこの字を使った人は、天才じゃないかと思います。「美しい」「味」とは秀逸な表現で、何でもかんでも口に放り込めば味はするわけですが、「美しく」無ければ「おいしい」とは評価されないのです。美しいといえば、美の女神「ミロのビーナス」などはその代表でしょうか。建築物ならギザのピラミッド。大変身近な例を挙げると、私たちが普段使っているA4サイズのコピー用紙も安定感があって「美しい」 黄金比、白銀比といわれるものです。黄金比は5:8の比率。ミロのビーナスの胴体は肩の幅に対して胴の長さが5:8で美しさを保っています。A4サイズの用紙は1:√2の比率になっていて、コレも人間が普遍的に感じる美しさであるというのが「黄金」「白銀」の名の由来でしょう。 結論から言えば、要は「バランス」です。 「美味しい」とはつまり「美しい味」。美しいとは「バランス」が良い、ということに他なりません。 よく出来た塩があったとしても、脂の乗った高級黒毛和牛の切り身があったとしても、何にも手を加えていないものを料理とは呼びません。塩だけなめて満足したり、生肉をかじるような事はしませんし、何も手を加えていないものを「料理」とは呼ばないからです。 原材料を「美しく」仕上げてこそ、「美味しく」なります。美しくするにはバランスを整える、料理人が経験と智恵を活かすからこそ「美味しい」という評価が生まれてくるのでしょう。 バランスの良い美しさも様々ではあります。チャーミングな美しさもあれば、ダイナミックな美しさもあります。いずれにおいてもバランスが取れていなければ美しいとは感じ得ないものです。 写真は高台寺 極-KIWAMI-を擁する「AKAGANE RESORT]です。大正14年、遡ること98年前に完成した建物も大変美しく感じます。 この美しさは黄金比か、白銀比か、はたまたアカガネだけに赤銅比か、、、 この空間の中で供される時間が美しい時間でありますように、私たちは日々心を砕いています。 続く。。。高台寺 極-KIWAMI-京都府京都市東山区下河原通高台寺塔之前上る金園町400番1 AKAGANE REAORT 内075-551-3122
Jan 26, 2014
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京都の道を歩いてみると、観光都市といわれるだけあって国内でも様々に他の都市との違いを感じられることがあります。 ひとつがローソンやマクドナルドの看板や、本来のCIカラーを抑えた配色。ブルーやレッドの派手な色使いは極力抑えられ、また抑えるように規制もあるようです。 ところが本来、日本の色使いは大変ヴィヴィッドなものでした。最近のニュースで、宇治の平等院鳳凰堂が現在大改修中で、この機会に柱は原色の朱色に塗りなおし、瓦を黒色に、さらに屋根上の鳳凰には金箔を施す計画が持ち上がっているのだとか。 有識者の間でも賛否両論あるようですが、私は「元の」極彩色に戻すという計画には賛成でロマンを感じます。1000年先の日本人が、「随分色あせたなぁ」などと平等院を眺める姿を想像することも、悠久を重んじる日本人の姿勢では無いかと思うのです。 私の尊敬する方の一人に、大覚寺嵯峨御流のお華の先生がいます。 先生から伺った話の中で、「日本の華道の色使いのほうが、西洋のフラワーアレンジメントより派手だ。」ということです。 先生がパリに赴いた折に気付かれたのですが、日本にパステルカラーという彩色は無く、パリのフラワーアレンジメントに色を飛び散らせるような花の配色を行う技法は無かったのです。何故か?「それはね、瞳の色が違うからよ。ヨーロッパの人たちが持つ青い瞳と、私たちの黒い瞳では見えているものが違うからよ。」なるほどです。パリは北緯48度、京都は北緯34度。気温の寒暖だけの差がよく話題になりますが、溢れる光の多さが全く違うのです。 世界に文明が起こる何万年も前から、その土地の風土に合わせて進化し、獲得したそれぞれの瞳の色です。 古都京都においては、緑の屋根に赤い柱を持つ平安神宮しかり、八坂神社の西門しかり、また、写真は濃い緑に囲まれた大徳寺金毛閣。いずれも光の強い青空に挑むように彩色された「古き日本」を代表する建築物です。 先日、京都にも雪が降りました。 AKAGANE RESORTも雪に覆われる朝がありました。 雪の中の椿は、春の陽光の薔薇より赤いことに気付かされます。 食に携わる私たちにとって、さらにフランス料理というヨーロッパの文化に携わる私たちにとっては、この人間としての差異は瞳だけに関わらず、「舌」に関してもあるのではないかと、考え込んでしまいます。 高台寺 極-KIWAMI-では、コースの最初のオードヴル・ヴァリエをお重で供しています。なんとなく「和」を感じさせるからではありません。日本人の感性を持って、季節の食材を盛り込むのにイマジネーションが広がり、その感性こそが、「和」であるからです。 同じくの黒い瞳を持った近隣諸国の方々については、私も知識が不足しておりますが、ひとつだけ言えることは、 日本人は「黒」の中に彩=いろを見出すということではないでしょうか。 つづく、、、高台寺 極-KIWAMI-京都府京都市東山区下河原通高台寺塔之前上る金園町400番1 AKAGANE REAORT 内075-551-3122
Jan 23, 2014
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575、といえば、日本独特のリズムを持った詩、「俳句」であることは皆さんご存知の通りですね。 この「俳句」を名前に掲げたワインがイタリア・トスカーナで作られています。 生産者はカステッロ・ディ・アマ。トスカーナでも指折りの生産者であり、キャンティ・クラシコの名手。また、私自身ここで造られるメルロ100%の「ラッパリータ」はメルロ品種を用いた赤ワインの中では世界でも1位,2位の部類にはいるのでは無いかと感じています。 カベルネフラン25%-サンジョベーゼ50%-メルロ25%。ハイクのブレンド比率ですが、25-50-25のリズムが私たちの知る5-7-5のリズムと相通ずる部分でもあります。 オーナーでありまた醸造家でもあるマルコ・パレンティ氏曰く「自然の情景を季語に託し、短い言葉に想いを集約させる、日本に古くから伝わる“俳句”という表現に深く共感した。カステッロ・ディ・アマはテロワールを尊重し、その個性を1本のボトルで表現する。」ことにこの試みの想いが込められています。 また、このワインにはイタリア人であるマルコ・パレンティ氏が受け止めた「日本の感性」が散りばめられています。 裏ラベルには正に俳句が一句 ・朧夜を 葡萄の色に 酔いにけり そして表ラベルでは、のトレードマークの中世騎士の文様が左へずれています。(比較のために写真はカステッロ・ディ・アマのキャンティ・クラシコのボトルを共に配しています。ちなみにこのボトルにはマルコ・パレンティの直筆サインが入っています) 「美は乱調にあり」左右対称のシンメトリーを基本とするヨーロッパの美意識に対して、日本は中心線を取りません。床の間に華を生ける場合も、理由あって中心からは外す必要があり、そのことによっての美しさを表現しているのです。 私の在する高台寺 極-KIWAMI- にても提供させて頂いきました。現代風のスタイルで、シェフの料理とも非常に相性がよく、美味しく召し上がっていただけたかと思います。 日々いくつもの、世界中のレストランでワインが抜かれていますが、提供するソムリエの思い入れひとつで随分ワインの味は変わってきます。 中身は一緒なのだから、そんなことは無いだろう、と思われるかもしれませんが、同じ食材、同じ作業をしても最後はシェフの感性で料理が決まるように、測れることの無い「何らかの感性」で美味しくなったり、平凡になったりする。そこにワインを供する側の感性が織り成されるからです。 マルコ・パランティ氏は2011年に来日しています。当時、京都にも足を運び日本人の感性を貪欲に吸収しようとした様子は想像に難くないことです。 実その折にガラディナーの席を持っていただいたのが、私の前職の店、高台寺茶寮でした。朴訥に、そして陽気なお人柄に非常に好感を抱いたものです。 そんないきさつから、haikuを扱うようになり、また思いいれも深くなっていきます。 和の心を持ってフランス料理の技法を駆使する「高台寺 極-KIWAMI-」とトスカーナでのワインつくりの技術をもって、日本的な感性を表現する「haiku]それだけで外れることの無い、相性の良さを想像させます。本当かどうか、、、是非ご自身でお確かめいただければと存じます。皆様のお越しを心よりお待ちしております高台寺 極-KIWAMI-http://www.arkh.jp/restaurant/kiwami/
Jan 22, 2014
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料理の世界に携わって、今年で25年になりました。 25年のうち、ほとんどがフランス料理店での勤務です。専門学校を卒業して、料理人としての仕事が1年余り、その後ずっとサービス畑です。 約5年、日本料理のお店にお世話になっておりました。食事というものの、普通に毎日毎日行われている行為であっても、背景にある文化は様々な要素が絡み合って大きく相違を見せます。 まだまだ、私も若手と呼ばれていた1990年代の頃、誰しも想う事なのでしょうが、さて、フランス人ではない日本人が作るフランス料理とは、果たして「本物」なのだろうか、という自身への問いかけです。 近年になって、日本にミシュランがやってくると、幾人かの料理長は「フランス人に日本料理がわかるめぇ。」的な感覚で拒否感を露わにしました。同じ感覚が日本でフランス料理を懸命に拵える料理人に劣等感をもたらしていました。 ある日、一冊の本に出会いました。玉村豊男さんの「グルメの食法」という食に関わるエッセイ集です。 この中に、「日本料理とフランス料理では、食に対峙した時の感性がまるで違う。日本料理の良さとされるのは『意識の拡散』であり、フランス料理のそれは『意識の集中』であり求められるものが正反対に違うのだ。」と。 なるほど、当時20代の私にとっては、目からうろこでした。ビガンっ、と来る感じです。正に。 それぞれ高級といわれるレストランになればなるほど、その目的は顕著に現れます。 先ず空間。高級日本料亭では各お客様のグループそれぞれに個室が用意されます。フランス料理では、ダイニングはパブリックなスペースで、何十人もの人がその空間で共に食を愉しみます。 料亭の個室には、床の間があり、画や書の掛け軸が掛けられている。客人は料理もさることながら、目でも楽しませられます。 食器がさらに異なります。日本料理では、漆器あり土物あり、お酒を楽しむ猪口などは銘銘全く異なるデザイン、形状であったりします。 様々に趣向を凝らして気を散らしているのです。料理に強く意識が向かないように施す。これが「意識の拡散」です。 一方、フランス料理は現代でこそ変化をしておりますが、当時は真っ白な磁器の皿、料理によって大小の違いがある程度で変化を乏しくさせ、その分皿の上の料理に技法を凝らしていました。コースの組み立てもロジカルで、メインディッシュからデザートに向かうクライマックスの為に、オードブル、ポタージュは用意されるべき一皿でなければなりませんでした。 コースはその名の通り、美食への「道筋」です。しっかり食べた、という感覚をもたらせる為のにシェフはコースを組み立てることが、先ず、且つ最も重要な技術でした。 料理、一皿の上に「意識を集中」させることがフランス料理の使命でもあるのです。 極上の料理に対しての人々の評価の仕方の違いも大変興味深いです。 日本料理はとにかく、脂の乗った魚介類や、サシのたっぷり入った和牛を食した後でも、「あっさりしてて、美味しかった。」というのが最高の評価の言葉と思われています。 フランスでは、記憶に残る料理を使ってくれた、風味も濃くて抜群であったことを、「上あごが爆笑する」ほど美味しかったと表現するそうです。 食事に対する、「日本料理の意識の拡散」と「フランス料理の意識の集中」との文化・歴史の違いが、極上の食事に求めるものに差異が現れているのでしょう。 とは言え、21世紀を迎えてから15年経つ昨今、現代では情報が溢れる中、洋の東西を越えた食文化はボーダレス化しています。そもそも、ヌーヴェル・キュイジーヌの時代には、日本料理の技法が、随分とフランス料理に取り入れられました。器も、同じ形状の物ばかりでもなく、硝子だったり、錫などの鋳物であったりと。 高台寺 極 -KIWAMI- はその点において、「日本の拡散」と「フランスの集中」が共に楽しめるには相応しい空間です。足して2で割った、「和洋折衷」とは一線を画し、双方の「愉しみ」がふんだんに、贅沢に溢れています。 壁面一面を覆う京都西陣織。描かれた花鳥風月は、床の間の掛け軸を愛でるような、そんな風流さの表れです。和の文化、茶室と同じくの丸窓は、西洋における「構築の美学」では見られない「切り取りの美学」。カウンターからは窓の外、四季折々に姿を変える日本庭園が目を愉しませてくれることでしょう。 高台寺 極 -KIWAMI- 、「極めつき」の食文化がここにはあり、その名に究「極」の名を配した所以がここにはあります。
Jan 21, 2014
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昨日、久しぶりにブログに投稿いたしました。 実に5年ぶりでした。ホームページが残っていたのは奇跡でしょうか。 反響も大きかった模様です。フェイスブックにも反映されていますので、コメントもいただけましたし、ブログのアクセスログは99と、もうちょっとで100越えでしたね フェイスブックでの投稿ではなく、ブログであったのはやはり、お店の広告宣伝と論文的な意味合いが強かったからです。双方向ではなく、一方的に語る場合はフェイスブックでは失礼にあたるケースもままあるんではないかと。 ひとりごとみたいなもんですね。 “こころにうつる よしなしごとを、、、” ブログに徒然草と記した意図意味はそこでしょうか。 高台寺 極 -KIWAMI- は、「和の心」を持ってしてフランス料理の「技」を駆使した料理を提供しています。 和と洋と、遠いようでいて、しかし人間のやることですから相似する点もいろいろとありますね。それぞれの文化を知らずして、比較することも、相違を見つけることも難しいんじゃないかと思います。 私のお世話になった方に、京都大徳寺の和尚さまがいらっしゃいます。 機会があってお茶を教えていただいたのですが、非常に興味深いものでした。 「お茶」といっても茶道の作法だけではなく、背景にある文化や歴史などです。 大徳寺といえば「裏千家」「表千家」発祥の地。正に当時、千利休が居を構えたその場所でもあります。 大徳寺の山門は「金毛閣」。ここの上層に千利休の人形を置かれたばかりに、千利休は豊臣秀吉から切腹を命じられます。「おぬしの股の下を我らにくぐらせるのか」という理由です。 現代においては茶道人口はやはり女性が多いのでしょうが、そもそも茶道、茶道というものが確立される以前の戦国時代は武士の為のものであったそうです。 まず、茶道といえば第一に思い浮かぶ、あの小さな四畳半の部屋ですが、小さく、離れに設えたのは室内で刀を振り回すことが出来ないように、また不審者、今でいう忍者が忍び込みにくいという配慮です。 また、にじり口は武装解除のため。刀を一回置かないと入れないようにしているのです。 じゃあ、その空間で何をしていたかというと、他ならぬ“作戦会議”です。 時は戦国時代ですから、侘び寂びがというのはこの後の時代に生まれてきたものです。 だれそれを討つとか、ここでこう攻めてとか、、、 ここで登場するのが、「お茶」でした。お茶はカフェインを多く含み、作戦会議で疲れた頭をスッキリ覚醒させる効果があったからです。 わざわざと、濃い濃いお茶を煎れて、眠くなりそうになると飲んでまた事にあたる。 現代ではこの濃いお茶を「お濃茶(おこいちゃ)」その後、太平の世になってやや薄くなって登場したものが「おうす」です。 現代の「おうす」がお茶の一種としてさほど薄くないのは、お濃茶との比較だからです。 お茶を煎れる作法、茶道にはいろいろなしきたりがあります。私の推測ですが、袱紗をたたんだり伸ばしたりして見せるのは、武器を持っていない証拠として、茶碗を皆の見ている前で拭いたりするのは毒を盛っていないことを明らかにするためであったと思います。 何より、別室からお茶を点てて持ってこない、衆人環視の中で茶を煎れるという行為そのものが、不穏な行いをさせないためのものであったのでしょう。 ある事件をきっかけに、「茶」は有事の緊迫したしきたりから、芸術的に、そして様式美を重んじる「茶道」へと変化していきます。 その事件こそ「本能寺の変」信長の暗殺でした。本能寺で明智光秀に襲われた時、信長は多くの旧来の名品といわれた茶器を携えていました。 銘品と呼ばれた茶器は信長と共に灰になったのです。 昨日までの、トップであった過去の銘品が無くなったとなれば、日本で最高といわれるのが千利休となることに時間を要しませんでした。 意図したことか否かは、歴史上の事で不明ですが、正に、この筋書きが四畳半の小さな間で練られて事であったならば、、、 私もソムリエですから、ワインテイスティングや乾杯など、現代マナーと呼ばれる西洋の作法の中にも多くのこういった背景を見出してもいます。 ワインテイスティングの始まりは毒見であったとか、什器に銀器を用いるのはその昔、銀は毒素に反応するからだとか。 料理というのはそれぞれの時代背景を繋いで現代に至る文化です。 興味は尽きませんが、この続きはWebで、、、 じゃなくて、高台寺 極 -KIWAMI- で ようこそ、おこしやす
Jan 17, 2014
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ご無沙汰しております。。。 随分とブログの更新が滞っておりました。私、昨年より仕事を変わり、現在は京都東山「AKAGANE RESORT」にてお世話になっております。AKAGANE RESORTには現在3軒のレストランがあり、うちひとつがシェフズカウンターでお料理を提供しているのが、この高台寺 極 -KIWAMI- です。この「カウンター」、どうも日本独特の文化らしく、外国からのお客様には大変喜ばれます。もちろん、欧米にもバーカウンターやレストランのウェイティングバーは存在するのですが、眼の前で料理が完成するのを垣間見られ、本来厨房の中にいるはずのシェフとの会話を楽しみながら舌鼓を打つ。もう10年以上前の話になるでしょうか、当時フランス最高峰の料理人「かまどの前のボナパルト」と呼ばれた、ジョエル=ロビュションが来日した際に、銀座の寿司店「すきやばし次郎」に立ち寄りました。 ロビュションは、この店の料理に、また日本のカウンターというスタイルに大変感銘し、本人曰く衝撃的とさえ言われるほどの体験をしたそうです。 繰り広げられる鮮やかな包丁さばき、料理長との会話、香ばしい焼物の薫り、何よりも、眼の前のお客様との距離感によってフレシキブルに料理が変わっていく。ボリュームしかり、味付けしかり、、、 後にジョエル=ロビュションはカウンターのレストランを新たにオープンし、銀座の「すきやばし次郎」は東京ミシュランが発刊の際には、見事三ツ星を獲得されました。 京都、高台寺 極 -KIWAMI- はカウンター11席のみの空間です。 料理は洗練されたフランス料理の技法を基に、「日本の感性」を豊かに配した設え、そして京都ならではの「おもてなし」の心を持ってお客様をお迎えしています。和魂洋才、ここに極まれり。高台寺 極 -KIWAMI- 。ここには、五感をフルに活かして、食事を愉しむ時間が流れています。 お近くにお越しの際は是非お立ち寄り頂ければと存じます。
Jan 17, 2014
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あけましておめでとうございます…と言うにはすっかり年も明けてしまって、もう早くも13日。この1月13日はウチの娘(お姉ちゃんのほう)の誕生日でもあるのです。長い間ブログをお休みしてしまってました。年を取るとだんだん月日の流れるのが早くなってしまって、、、実はこの何ヶ月かで、今の会社を辞めることが決まりました。退職の期日は1月15日。今は有休休暇を取っております。で、次の職場なんですが、、、再び!(みたび!?)神戸で働くことになりました。昨年11月にオープンしたホテルです。もっともっとサービスに関わる様々な事柄を勉強して行きたいと思っております。さて、次の職場が21日から初出勤になります。1週間ばかり時間がありますのでフランスに行ってくることにしました。私が若い頃にサーヴィスを志すきっかけとなった風景。もう一度想い出せるような、もう一度めぐり合えるように。パリに5日間滞在の予定です。フランスで頑張っている友人たちにも連絡が取れましたので会ってきます。1日は日帰りでブルゴーニュに行ってみたいと考えています。…さて、そろそろ時間ですので、今から行ってきま~す。
Jan 13, 2009
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出勤前に本屋の前をふと通ると、目に留まる一冊の本。 金本知憲著覚悟のすすめ おお~っ!優勝間近い阪神タイガースの「アニキ」金本選手の本じゃなぃですか!早速購入。 いやぁ、ホンマすごいっすね。プロとしての生き方、精神的な強さなど「鉄人」の名にふさわしく良いお手本になりますね。 この本の中からの一節...金本選手は自身を本当は「ビビリ」だと。「ビビリ」ってのは、関西弁でいう小心者のコト。アニキは常に最悪の状況を想像してしまうらしい。 あの鉄人金本のアニキがビビリですって!? それはどんなプロであっても心に抱く不安かもしれないけれども、その「ビビリ」の気持ちかがあるからこそ、毎日の練習に励むことができる。不安があるからこそ、怪我をしても出場する強い意志が育まれるのだそうです。 連続フルイニング出場の世界記録を達成し「鉄人」と呼ばれるアニキ、「ビビリ」であるからこそ「鉄人」でいられる。 我々のレストランの世界でもそうですよね。先回喜んで、美味しいって言っていただいて、また来店してくださったとしても、更なる喜びが提供できるかどうかそれは誰にも分からない。お客さまをナメてかかってるお店のなんと多いことか。 ...明日、「メートル・ド・セルヴィス杯」の地方予選なんです。少しだけ上手くいきそうな自信もあるけれど、一方で不安で不安でしょうがないですね。「ビビリ」だからこそ、鍛えられるのでしょうか。
Sep 17, 2008
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昨年からでしょうか、様々な食品で海外で生産されたものを国内産と明示して販売する「産地偽装」が言われてきました。 今回は国内産と表示して販売されていた筍が実は中国産だったのだとか。一体、日本の食事情はいったいどうなっているんでしょうか。 ...とは言え、産地の偽装はこの近代において始まった話ばかりではなさそうです。 時は17世紀のフランス、ロワール地方。ロワール川が大西洋へ注ぐナントの町にオランダの商人が集まり始めました。そもそもオランダの商人たちは当時、ギルドなど職能意識の高かったボルドーを閉め出され、安いブランデー用ブドウ栽培の産地としてロワール川周域に眼をつけました。そうしてイギリス向けの貿易港としてナントの街は発達していったのです。 後の1709年フランス西部を稀に見る大寒波が襲います。当時植えられていた葡萄の木はことごとく被害を受けましたが、この被害を省みて耐寒性に優れた品種が植えられるようになりその栽培範囲を広げて行きます。 この葡萄品種が「ミュスカデ」 ぶどうはワインへと加工され、英国へ樽で出荷されますが、ここで産地偽装が図られました。ミュスカデを用いて造られたワインは偽シャブリとして出回り、この頃からミュスカデの別名「ムロン・ド・ブルゴーニュ」との名が使用されるに至った経緯が見られます。 偽シャブリがイギリスで出回っているとはいえ、AOC設立までにはまだまだ時間を待たねばならない時代でもあります。イギリスの対岸、フランス西部のナントの港からは英国向けのワインがその後もずっと出向されていました。 1940年代、世界が二次大戦に突入すると、フランスは隣国ドイツからの攻撃を受けます。多くのフランス人がイギリスに疎開します。フランス人気質というのでしょうか、やっぱりイギリスに渡ってもワインは飲みたいものは飲みたい。 ドイツ軍はパリの目前まで迫り、シャンパーニュ地方も、ブルゴーニュ北部のシャブリもドイツ軍の占領下にありました。もちろんその地方のワインが国外に届くはずもありません。 そんな時、パリジャンの目に留まったのが、「ニセシャブリ」ミュスカデのワインであったのです。 戦争が終わり、平和な時代がやってくると、シャブリの代用品であったミュスカデはその本当の名を知られて行きます。すっきりとした味わいと軽やかな口当たり。 1960年代に入り、フランス料理も軽く仕上げる"ヌーヴェル・キュイジーヌ"が流行の兆しを見せると、ミュスカデにも注目が集まり、ついに輸出用のワインとしてその地位を確立するに至ったそうです。
Sep 13, 2008
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昨今、世間を賑わしているのが食品の偽装問題。 何年か前の牛乳の事件はもとより、牛肉の偽装、うなぎの産地の改ざん、そして事故米の使用。 なんだか、うかうか食事も採るのもままならない状況です。国民みんなで日本の食を考え直さねばならない時期が訪れているかも知れません。 とはいえ、様々な「食物偽装」意外と古くから日本の各地に見られ、現代に至るまでその呼称が定着しているものもあります。日本は、古くから動物を食することは禁忌とされてきました。そこで、4つ足の動物をあえて1羽、2羽と数えて鳥だと言い張った。これが「ウサギ」を数える名残です。 また、猪の肉を「ボタン」馬なら「サクラ」鹿は「モミジ」と、花の名前で各々の肉を呼ぶ。肉にとどまらず魚でも、これこそ本来の鰹だ、ということで形は全然似ていないのですが、「真名鰹」マナガツオの名前で呼ばれる魚。落ち鮎の肌とその表面が似ているというだけで「鮎に似た魚」これが「鮎似魚」つまりアイナメです。 まぁそもそも私がインチキソムリエですから、真偽の程は定かではありませんがね。(^^;(明日へ続く)
Sep 12, 2008
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大阪に単身赴任するようになって、早くも1年と3ヶ月になります。 単身で大変なのが、掃除と洗濯ですかね~あと、ゴミ出しも結構おっくうになりがちですね。毎週、燃えるゴミは何曜日で、ペットボトルは何曜日でぇ、と。昔はずっと一人暮らししてたんで、それなりにできるコトはできるのですが、なにかと面倒くさくなってきています。 今朝も、いざ出かける段になって、シャツにアイロンがあたっていないことに気づきました。今の会社は飲食業では結構珍しいかもしれませんが、出勤時は皆スーツ着用になっています。ネクタイもクールビズの時代ではありますが、ちゃんとしてます。 シャツにアイロンがあたってない、、、うーん、シワの無さそうなヤツを着ていこうか、少々汚れてはいるものの昨日のシャツを着ていくか、、、、 いかーん。やっぱね、一旦それを着て行っちゃったら、次回もまぁいいか、ってなってしまうんですよね。 誰かに咎められなかったり、誰にも気づかれなかったら、「よかった」じゃなくて、その悪い癖がついてしまう。 身だしなみだけの話じゃなくて、悪い癖が付く時って、ホントに簡単なんですよ。ブログ続けたり、仕事道具をちゃんと片付けたりって、いい習慣は毎日続けないと身につかないもんなんですね。 いい癖を付けるためには毎日続けることが大事。 悪い癖を付けないためには、最初の一回目をしない強い意志が必要ですね。 と、いうわけで今日もせっせとアイロンをあてる私。 似合わないですけどね~
Sep 6, 2008
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昨夜の営業でのこと、お客様の中に一組、その日お誕生日を迎えるお客様がいらっしゃいました。 当のお客様とは、今年の春までウチのお店で働いていた元スタッフ。彼氏と二人で来店してくれました。心やすい関係でもありますので、食事の後のバースディの演出を、今年入社したスタッフ(会社では研修生と呼んでいます。)を中心に考えて進めていくことにしました。 もちろん、既存の先輩スタッフもフォローに入ります。食事はコースですので、デザート時にバースディのお祝いをしてあげようということになりました。キッチンのスタッフとデザートの形状について打ち合わせし、グラスの中にパフェ状に盛り込むように。グラスの脚のステムの部分にチョコレートで「Happy Birthday」の文字を入れて、、、 さて、いよいよ本番です。食事を終えた二人のところへ、デザートを運ぼうとします。ところが、寸前になって、厨房から運ばれてきたデザートの盛り込みがちょっと淋しい。ブランデーで炎を点けて演出しようとしていたのが火が点かない。部屋の電気を暗くしたもののなんだか分からない演出になってしまいました。(^^; それでもお二人は盛り上がって、かなり喜んで下さいましたが、なんとなく後味が悪い。 それは、「演出の完成」とスタッフの意図とのズレによって生じたものだと思われます。スタッフが何人かいる以上、完成図を具体的に伝えられなかったところにあったのではないのでしょうか。 「お客さまの喜びが、私の喜び」 サービス業において古くからいわれています。サービスの基本中の基本の考えでもあります。 でも、求めるところが「お客さまの喜び」であることが、「お客様が喜んだから、ま、いいか」になってはいけません。 この夏のオリンピックの各競技の中でも見られましたね。自分に満足できた選手たちは、勝っても負けても、その表情はなんと清々しいことか。 毎日繰り返されるひとつの仕事が、自ら「スゴイことができた」「その瞬間できる力はすべて出し切った。」と思えることが自分の喜びにつながります。 そうすれば、次に「もっと“スゴい”サービス」がお客さまに提供できるのはないでしょうか。 だから「私の喜びが、お客さまの喜び」なんです。
Sep 4, 2008
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あっという間に九月になりました。暑い夏も過ぎて、風は初秋の香り。そういえば、今年の夏もナニも無かったなぁ、、、あぁ、39回目の夏。 そんなナニはさておき、月が変わって月初を迎えると、月末締めの今の店では請求書と納品書の照会に追われます40件あまりの取引先の納品書一か月分と、請求書の金額を照らし合わせるわけですが、これがなかなか大変で、肩こりに悩まされる今日この頃です。 請求書など見ていると、なんだかんだと値上がりしているのが目に付きます。魚や野菜の仕入れ価格とか、このあたりって輸送費が掛かるからでしょうか。運送会社も先日「燃油サーチャージ」を導入する旨の通達が来てましたしね。 マスコミで随分と取上げられていますが、原料となる小麦の値上がりも、大幅に上っているようで、パンやパスタ、そしてこの秋からは小麦を原料としたビールも値段がアップしてきます。お酒でいうと、小麦を原料とするのはビールだけではありません。麦焼酎の原料は麦ですし、ウィスキーなどももちろん麦から作られます。 噂では、Sトリーの「郷 音」も1500円近い値上げ幅になるのだとか、、、 そっか~、国産ウィスキーもいよいよ値上げしないといけない状況になったのか~ …って、ちょっと待った~ ウィスキーって12年モノとか、21年モノとかやん!?ちゅうことは、15年とか25年前の小麦が原料やん。どーして値上げになるん? あぁ世の中は不可解なことが多い。
Sep 3, 2008
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昨夜の夜からのニュース。福田総理辞めちゃったンですね。 ニュースでは各識者がいろいろと論評しているんですが、2人続けて総理大臣が辞めちゃうって国ってのもカッコ悪いですよね。今の時代、「若者はなぜ3年で辞めるのか?」とか言われてるのに、総理大臣がこんな形で辞めるのをどう若者に説明するんでしょう。大人がカッコいいとこ見せないと、子供たちは憧れを抱かないですよ。 私が思うに、そもそも、なんでこのお二人は総理大臣になっちゃたのかなぁ。向いてないのに。 やっぱりね、総理大臣という肩書きが人をリーダーにするんじゃなくて、リーダーシップのある人が総理大臣になるべきじゃなかったのか、と思いません?向いてない人に任せちゃうと、周りだけじゃなく本人も不幸の典型ですよね。 与党の人選がどうこうということじゃなくて、例えば、小泉元首相は「ガキ大将」タイプ。一方の安倍さん福田さんは、結局「太鼓持ち」タイプだったんです。 福田総理も参謀としては非常に良かったんです。自民党幹事長時はいい味出してましたもん。 政局が困難な時代であったコトは理解できます。が、政局ってのは常に何らかの形で向かい風なんじゃないですか? 太鼓持ちだったから、いじめられる。リーダーには向いてなかったから。いじめられちゃったンで辞めようと思ったんですね。可愛そうに。同じ境遇であっても、辞める時の答弁に「ガキ大将」と「太鼓持ち」の差が現れます。 ガキ大将は「自分のせいでこうなった。だから責任を取って辞める。」と言う。 太鼓持ちは「周りのせいでこうなった。私だって可愛そうなくらい苦労したんですよ。」と言う。 さて、どちらが勝者でどちらが敗者なのでしょうか?
Sep 2, 2008
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昨日は日曜日でお仕事はお休み。家でのんびりテレビなど見ていると、地上デジタル波放送、略して「地デジ」のお知らせが盛んですね。この地デジのCM、各局で一日に何度も繰り返し何度も流されるわけですが、もうちょっと何とかならんかなぁ。雰囲気は賑やかなんですが、消費者が地デジに移行するメリットがあんまり伝わってこないんですよね。放送局各社、もちろん多くの家電メーカーとの思惑が絡んでますし、それこそ国を挙げての一大プロジェクトなんでしょうが、2011年の7月でしたっけ?期限を設定されて、早く機器を買い替えなさいよって、脅迫されてるみたいでなんだかやですね~。地デジ移行による経済効果は18兆円が見込まれているらしいのですが、サービス業に携わる者の視点から見ると、やはり「顧客満足」についての配慮が少し足りないんじゃないかと感じます。一方、翻って任天堂の「Wii」私はWiiをやったことは無いのですが、CMを見ていると非常に楽しそうです。そういえば、知人も「ハマりますよ~」って言ってましたしね。このWii、ソフトが充実すればするほど、小さな画面のテレビでは物足りなく感じるんじゃないでしょうか。で、最近の液晶テレビなんかだと、画面が大きくなっても薄型ですから、部屋の広さはさして問題にはならない。まして、Wiiをプレイしようって部屋ならそこそこの広さがあるはずですしね。Wiiを買ってしまった顧客は、いずれテレビも買い換える。その時に、どうせなら地デジ対応のテレビに買い換えるんじゃないでしょうか。ホテル・レストラン産業を含むは、ホスピタリティ産業には、この観点にお商売のヒントがあります。お客様はレストランの売り上げを上げるために、企業の利益を上げてあげようとして商品を購入してくれるわけではないのです。お客様は誰のためでもなく、自分の満足を得るために商品を購入するのです。顧客満足とは何か?それは快適な空間かもしれませんし、おいしい料理かもしれない。また、サービスにあたるスタッフ個人の人柄かも知れません。お客様が欲しくなるような、手に入れて満足するような商品を創造することこそ、顧客満足を追求するアプローチです。
Sep 1, 2008
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うちへ帰ってメールをチェックしていると、知人からのメールが。大阪のフランス料理店に勤めている、サービスマンの方からのメールです。どうも仕事のオペレーションで疑問があったようで、ちょっとした質問でした。 「...今テーブルセッティング時に手袋をはめてするようにしました。料理を提供するときや、新しいシルバーのセッティングに行くときは手袋をはめてもおかしくないものなのでしょうか?」 とのコト。 ホテル・レストランで行われる婚礼では新郎新婦のアテンド担当のスタッフが白い手袋をつけていることが多いようです。これは他のスタッフと担当との違いが明らかになる目的もあるようですね。 そういえば東京でサービススタッフとして参加したガラディナーは、サーヴィスにあたるスタッフ全員が白手袋をしていました。ガラ(Gala)には、祝典とか華美なという意味がある、特別な催しのディナーです。ガラディナーの風景など雑誌で見ることがあれば、スタッフ全員が白手袋をしている様子を見ることもあります。ある意味正装なんでしょうが、少々クラシックなスタイルにも見えますね。また、プロトコールの観点からみると、白手袋が正装である以上、やはり装いはタキシードが望ましいとも思われます。 サーヴィスコンクールの試技のテーブルサービスでは着用しませんでしたが、むしろ、大勢のお客さまに対して、いっときにサービスにあたる、このガラディナーなどでは、料理提供の際や、セッティング時にシルバーに指紋が着かないように、また、クロッシュを使用するときなども常に指紋が着かないように白手袋をしています。同時にサーヴィスする上で統一感を持たせることも考慮されていると考えられます。 特別感の雰囲気を演出するには良いと思います。ただ、セッティングに行くときに手袋をするなら必ずする。オペレーションを統一することがひとつと、やはりお客さまの目に触れるわけですから、常に綺麗な状態の手袋を使うことを心がけることをおすすめしますね。
Aug 29, 2008
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一昨日は平成20年度のソムリエ呼称認定の一次試験が開催されました。 思えば私がソムリエ資格を取って、早くも10年が経ってしまいました。私は日頃から勉強熱心なせいもあってか、ソムリエ試験は3年に渡って受験したのですが、(…ちゅうことは、2回も落ちてんやんか)その当時は8月の25日がいつも試験日として設けられていました。 この8月25日、運の悪いことにヨメの誕生日でして、ソムリエ試験を午前中に受験して、夜はお誕生日のディナーへ行くのですが、昼間の試験の結果を頭の中で自己採点しては 「あぁ~今年もダメに違いなひ~」と考えてしまい、とてつもなく暗い晩餐を過ごしたものでした。 月日は流れ、今では今年ソムリエ試験を受験するという方がうちのレストランお客様としてへ来てくださると、今年の出題傾向を図ってみたり、試験に名前の出てきそうなワインを提供してみたりと少しばかり先輩風を吹かしたりもしてみたのですが、、、 今年のソムリエ試験問題、ソムリエ協会のHPから見られるようになっていますので、本日早速見てみるコトにしました。日本ソムリエ協会ホームページ …うーん、分からない。ちゅうか、見事に忘れちゃってますね、結構。 Q.m.pの生産量?うーん、どないやったっけ?オーストラリアの問題が多いなぁ。正誤問題はちょっとイジワルっぽいかも、、、 そんな感想の今年の試験問題でした。今挑戦してみたら70点取れるかなぁ。 受験された皆さんはいかがだったでしょうか? 前の職場で一緒だった、Wべサンや、Nひろクンは受験したのかな?
Aug 28, 2008
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この夏は北京でのオリンピックの話題で持ちきりでした。毎日、新聞紙上を飾るのは世界各国のアスリートの写真。鍛えられた筋肉というのはそれぞれに美しささえ感じさせるものです。 さて、マラソン日本女子は残念な結果に終わりましたが、この種目、最も難関であるとされるのが30キロ~35キロ地点。脱落してしまう選手が見られるのもこのあたりの距離です。と、いうのも長時間連続して筋肉を動かし続けると、筋肉中に蓄えられている「グリコーゲン」という物質が、いわゆるガソリンに例えられる役割を果たしており、気力はあってガス欠を起こしてしまう状態になるからだそうです。 実はこのグリコーゲン、動物や魚を食する際においては、この成分が解糖分解し旨味を形成する要素になるそうです。 養殖の魚より天然の魚のほうが美味しく感じられるのは、運動量が多いためグリコーゲンを蓄えている量が多いためであり、また、屠殺する際には暴れたりして疲れさせないよう、速やかに絞めることも旨味を残す秘訣なのです。(参考:桜鯛シリーズ) アスリートの筋肉を美しく思う気持ちってのは、実は人間の動物としての本能が「美味しそう」と感じさせているのかもしれませんね。
Aug 27, 2008
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このところ、原材料費の値段の高騰には悩まされます。この春にワイン、シャンパンも一斉に値段が上りました。お客様はニュースなどで様々な食品原料のコストが上っているのはご存知なんですが、それでも我々販売する側にとって見れば、いくらのお値段をつけるかというのは非常に悩ましい事柄として日々迫ってきています。 マクドナルドが、1970年代に日本に初上陸してきたとき、ハンバーガー一個の値段をいくらにするかというので、随分と社内で討議されたそうです。原材料費がいくらで、人件費がいくらで、、、で、お客さまが、いったいいくらだったら支払う価値を見出せるのか。 辿りついた結論は、「タバコ一箱」の値段。非日常では無く日常的な商品として、人々が毎日のように使う金額、と同じくにすることで最初の値段は決まったそうです。 今日の出来事。何回かご来店頂いているシャンパン好きなお客さまとお話していました。 「いやぁ~、それにしてもここのドン・ペリニィヨンは頑張ってはるねぇ(←大阪でいう、安いという意味です)なかなか今時、2万円台では飲めへんなぁ。こないだ行ったXホテルは35000円やったし、Qホテルはそれでも31000円やったからなぁ」 そうなんやぁ。じゃあ、ここのお店ももうチョット値上げしようかな、、、 と、考えてしまうのは早計で、この「安い」と言ってもらえる効果こそ、サービスマンのもうひとつの技術、つまり情報収集のスキルによるものなのです。 うちの店舗で、ドン・ペリニィヨンは価格帯としてはもちろん、ビールや焼酎よりもさらに高価なプライシングゾーンにあります。しかし、私どものお店に来店して頂けるお客様は自然に大阪の一流ホテルであるところのXホテルやQホテルと比較して下さってるわけです。もちろんドン・ペリニィヨン一本の価格だけ見れば、カジュアルなバーとか、それこそ量販店なら半値以下で手に入るかもしれません。 価格とは比較される対象があってこそ、「高い」「安い」の判断がなされるのです。ドン・ぺリが広く知れ渡られたブランドネームであることが効果的に働いています。ブランド品が他社より安い、イコール名前を聞いたことも無いような銘柄でもお値打ちだろう、と感じていただくことも出来るのではないでしょうか。 お客さまの声を聞く、とは情報を収集するに他なりません。メートル・ドテル、ソムリエに求められるのは充分な知識や技術だけではなく、お客さまの声をいかに聞き取れるか、さらにはその情報を充分に活用できるかではないでしょうか。
Aug 26, 2008
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今の勤め先は北新地という土地柄、日曜日を定休日としています。我々飲食業では日曜祝祭日はかきいれ時だったりするので、私が今まで勤めていた職場でもなかなか日曜の休みはありませんでしたし、ホテルに勤めていたりすると特に日祝は宴会が入ったたりして、益々休めることは無かったですね。 で、日曜をお休みできる生活になったのですが、運良くなのか運悪いのか、今年は地元の自治会の役員にあたってしまいました。子供会の副会長です。そんなわけで本日は町の夏祭り「こどもフェスタ」。神社の広場を利用して、子供たちにスーパーボールすくいや、ストラックアウトのゲームをさせたり、最後はビンゴゲームで締めくくるのです。私は今年、スーパーボールすくいの担当で、商品の手配などの準備を進めてきました。今はネットで何でも揃うので便利ですね。600個あまりのスーパーボール、すくい人形の魚、すくうポイに、入れる袋。スーパーボールすくいは子供たちにも結構人気が高いようで、祭りが始まってから一気に集まって来ました。たくさんすくえる子や、そうでない子。今の子供たちの環境は、我々の時代と違うとか、自治会のあり方が違うとか言われて久しいですが、ひとりひとりを見てると子どもの本質ってのはそんなに変わって無いのかなぁ、と感じます。思えば私も何十年か前は子供だったんですよね(あたりまえか)そういえば、小学生のころに、この神社でスズメバチの巣にイタズラをして刺されたことがありました。今でもその刺された跡の傷が残ったまんまなんです。もう、30年も経っているのに、、、自分が子どもであったことの証ですね。
Aug 24, 2008
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私の最近マイブームは朝の健康な食事。朝っていっても、仕事を終えて帰るのが明け方になるので、普通の人の感覚なら寝る前のお夜食といったトコロ。毎朝、グレープフルーツを食べてから寝てます。丸々一個分ですね。…というのも、、、また性懲りも無く「メートル・ド・セルヴィス杯」にエントリーしてしまいました。まあ、年に1度はちゃんと勉強する機会を設けないといけないですねぇ。先日、7月29日に開催された、大阪でのセミナーにも参加してきまして、予選科目のひとつはグレープフルーツのデクパージュではないかとの情報を得てきました。先回、第12回大会は予選落ちでしたから、今回は気を引き締めていかなければなりません。今回こそは、少なくとも以下の3項目の基本を抑えてまずは予選に臨みたいと思っています。…その基本とは!?1.寝坊しない2.遅刻しない3.予選会場までに迷子にならない…そんなんやからダメなんやん(^^;
Aug 23, 2008
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夕刻よりお店に昔のお店の後輩が尋ねてきました。 もう5、6年前になるでしょうか、当時勤めていた大阪淀屋橋のお店時代の後輩です。彼は今、東京の新マルビルのフランス料理店でメートル・ドテルを勤めているのですが、なんでも少し遅いお盆休みをお店から頂いて、一週間ほど関西に戻っているのだとか。 時間が営業時間に入っていましたので、店のバーカウンターに着いてもらい、いろいろと話をさせてもらったのですが、、、 今の東京の様子を聞いてみると、ミシュラン東京の影響もあってか、ホテルのレストランよりも街場のレストランの評判をよく聞くようになったのだとか。東京は大阪から見て、市場としては賑やかだと聞いていましたが、お店の流行り廃りも随分と早いという話でした。まあ、大阪の方面で飲食業界が活発化するのはもう少し先のようです。市内の多くの建物が建築中でもあるので、マルビルや六本木ヒルズのような機能性豊かなビルが建って、街が活性化するのはもう少し先じゃないんですかね。さらに、「ブノワ東京」閉店の話題もありました。先週のニュースではあったんですけれども。 残念ですね。ブノワ東京はベージュ東京などと並び、グランシェフ アラン=デュカス氏のプロデュースによる店舗でした。店舗支配人が何年か前のサーヴィスコンクールで知り合いになった方だったんですが、どちらかのお店に移られることになったんでしょうか。 そもそも今回の閉店は親会社さんの倒産のあおりを受けたんですって。今年発刊された「ミシュラン東京版」に1つ星として掲載されたばっかりだったんですけどね。 実は、この親会社さんの倒産ってのは、他人事じゃなかったんです。と、いうのも今勤めてる会社、数々の物件をプロデュースしていて、近々の計画の中に大阪・梅田のホテルプロデュースの案件があったんです。が、この建物のオーナー会社さんがブノワ東京の親会社さんだったってワケで、ホテル開業に携わることを虎視眈々と狙っていた私はガックリクリクリ。政府の発表するような景気の先行きもなんだか不透明なようで、なにかと懸念する事柄も多そうですが。ま、そのうち何かいいお話でもあるかな。ここはひとつ、静かに自分磨きにも励んでみるべきでしょう、ね。
Aug 22, 2008
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お久しぶりです。いつの間にやら夏も終わりの気配。春から復活するといいながら、またしばらくお休みして、その間に開設から1000日を越え、50000アクセスも過ぎてしまったじゃないですか!なんだか日々10や20のアクセスはあるのですが、どうも迷惑サイトの広告ばっかりみたいなもので。ちょくちょくチェックしては削除はしてるんですが、なかなか書き込みが億劫になってました。最近は転職した仕事先も慣れてきました。いつも仕事が終わるのが朝の3時過ぎで、家に帰る(←あ、尼崎の近くで単身赴任するようになりました。)のは明け方でそっから眠りだすのは6時や7時になってしまってます。昼夜逆転の生活なんですが、、、昼過ぎに起きて仕事に入るのが16時。2月の末からランチも営業してるんですが、だいぶスタッフも慣れてきてるのでランチの営業に出ることはなくなりました。お店がグランドオープンして現在で一年と2ヶ月あまり、料理は和食なんですが、サービススタイルは洋食風なんで主にビバレージ担当でやってます。料理は会席仕立てなんですが、コースと呼んでますしね。ワインもそこそこ売れてるほうなんじゃないかなぁ。大きな会社の中のレストラン部門のひとつですから、今までの職場とはまた違った感覚です。
Aug 21, 2008
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先月の末から、今の勤務先でランチを始めることになりました。昨年の6月からのグランドオープンを機会に勤めだしたこのお店、開店当初から営業時間は午後5時から朝方の3時がオーダーストップの時間です。私の生活は夕方4時に出社して、お客様が帰ってからあとかたづけをすると大体朝の5時ごろになりますので、始発に乗って帰って寝るというサイクルでした。いままで、ランチタイムの営業は無かったのですが、お店がグランドオープンしてから8ヶ月、9ヶ月になりますので、スタッフが慣れてきたこともあり、ランチ営業を開始することになったのです。…となると、時間のやりくりが結構大変なことになってしまっています。お昼は12時くらいにお店に出て、帰るのはやっぱり5時過ぎの始発電車に乗り込みますので一日17時間ほどはお店にいる計算になるのです。お店のシフトはもともと、早番、遅番の2交替ですので、私は遅番のままでも良かったのですが、なんとなくお店の様子を見に行こうって感じになっています。朝がなかなか大変ですね。帰って眠るのが午前6時ごろ、起床が10時過ぎですので4時間ほどの睡眠時間だなぁ。ちょっと寝坊するときもあって、12時半くらいにお店に到着して、ランチが落ち着きかけているときもあったのですが、今のところ3週間皆勤を通しています。これが決められてやっていることだったら、結構嫌気がさしてきたりするんでしょうが、自分からすすんで出勤してるのでやりがいはあるかなぁ。自分の事は自分で決める。それだけのことなんですが、誰かをうらやんだり、ねたんだりしなくても済みますね。
Mar 13, 2008
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(昨日からの続き、、、)さて、クリニックセンターへ着くと、早速服を着替えて、順々に検査を受けていきます。先ずは血圧、そして血液検査です。血液検査で血を抜かれるのですが、これがまた3本ほどの注射で、どっかへ売られていくんじゃないかと思うほどの血液の量です。私も普段から血の気は多いほうと噂されてもいますが、これだけの空腹時に体から大事な血液を抜かれるのはたまりません (- -;トントンと進んで、聴覚の検査、視力の検査。「右。上。下。うーん、分かりません。」「もっと、よく見て!」「えっ!?、、、下、、、ですか?」「違う!」…先生、検査になってませんやん。空腹感も絶頂期です。ぐ~、あ、お腹が鳴った。自分の体の検査ながら、さっさと終わらせたいものです。クライマックスは胃の検査。バリウム飲んで、レントゲン写真です。ほっほ~、これが噂に聞くバリウムかぁ。人が言うには、相当マズくて飲みにくいらしいね。でも、これだけ空腹の私にとっては、どんなモノでも美味しく飲めるに違いない。「あ、それはバリウムじゃないですよ。先に胃袋を膨らませる炭酸の粉を飲んでいただきます。ゲップはしないでくださいね~」担当の先生の声。なんだ、バリウムじゃないのか。炭酸粉と水を一気に飲むよう支持されました。ゴクッ。 シュワシュワ、、、ブクブク、、、するとどうでしょう。さっきの空腹感はどこへやら。見事に消えていく幻想、、、寿司、ラーメン、天津飯、、、マ・ン・プ・クなんでぇ~!? 満腹中枢刺激されて、お腹いっぱいになっとるやん。体を脳がだましてるやん!健康診断受けに来て、めっちゃ不健康やわ~(診断結果はいかに?次回に続く、、、)
Feb 27, 2008
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先週の事になりますが、私、社会人になって初めて「健康診断」に行ってまいりました!まぁ、38歳にもなって初めてというのも何ですが、体は案外丈夫なほうで、また、今まで勤めたお店は小規模店が多く、なかなか会社ぐるみで健康診断に行く機会がありませんでした。しかしまぁ、健康診断というの結構面倒なもので、前日までに検○は取らないといけませんし、何より厄介なのは前夜21時から、食べ物や水以外の飲みものを口にしてはいけないというお達し。コレはツラい。何しろ、普通の生活ならともかく、深夜にレストラン・バーで働いているとなると少々勝手が違ってきます。お腹が減っていても、寝てしまえれば何とかなるんでしょうが、夜21時以降というのは私にとってはお店のピークタイムの時間。普段どおりに働いていても、体は動かしますから、早朝近くになるともうお腹ペコペコペコリンコ。家へ帰って、寝ようとしてもおなかが空いて眠れません。一刻も早く何か食べたい気持ちで気分的にもヘコんできます。翌朝、空腹のままの私は、とにかく早く何とかしたい気分で家を出ました。目指すは大阪駅前第3ビル。ビル内にクリニックセンターがあり、そちらで診断を受け付けてくれるそうです。大阪駅前第3ビルは、巨大な雑居ビルであり、地下フロアには居酒屋、寿司屋、ラーメン屋がたくさん軒を連ねています。そして、私は心に誓いました、、、「くっそ~めちゃめちゃお腹空いたやん。ホンマ健康診断終わったら、早々にごはんを食べて、腹いっぱいになってやる!昼間っカら寿司やにしようかなぁ。ラーメンがええかなぁ、、、」幻覚でも見そうな勢いです。(明日へ続く、、、)
Feb 26, 2008
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昨日の日曜日、久しぶりに映画を見に行ってきました(^^)場所は大津市内のシネコン。何を見たのかはともかく、昔はね、私の子供の頃は、みんな隣の京都市内まで映画を観に行っていたものですが、10年くらい前からでしょうか、大津市内にもいくつかシネコンが出来て、わざわざ京都まで行くこともなくなったのです。さて、映画が始まるまでに飲み物を買うことになりました。カウンターに並んでファストフードよろしくドリンクを注文するのですが、、、私たちが買ったのは、カフェオレと紅茶。それぞれ200円です。しかぁし!200円なのですが、それぞれはペットボトル入りのもので、コンビニでも自販機でも130円で販売されているものでした。何の芸も無く、定価より70円もアップとはナニゆえに!?そりゃあね、私だって普段、何千円も何万円もするワインをお客さまに売りつけている(そうだったのか!)わけですが、定価より値上げしている理由が見当たらないことが府に落ちないのです。顧客の購買心理とはかようなもので、同じフロアにある自販機で購入すれば定価で買えるわけですし、スキー場のような辺鄙な場所でも無いのです。特に劇場で飲みやすいように配慮してくれるわけでもなく、自販機と同じくのサービスならば自販機と同じ値段で売ればいいのに、、、誰が値付けをしたのでしょう!?責任者出て来い!お前の名前をデスノートに刻んでやる!…ついつい、観た映画に感化されやすい私でした(^^;サービスは付加価値と呼ばれているものです。「価値」である以上、そこに値段の大小があり、また、その値段にふさわしいかどうかで、お客さまが買い物をする際の心理が随分違ってくるものです。逆説的にに言えば、高額な商品であっても、ブランド力や、販売された商品の完成度、もちろん充分なサービスがあれば、お客さまは納得して支払われるものなのです。私のカフェオレも、保温カップに移し変えてくれたりしたら、印象がだいぶ変わっていたのになぁ。
Feb 25, 2008
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こうやってパソコンのキーをたたいていても、どんよりと腰が重たい感じです、、、今日の出来事、お店に出勤して、午前中に配達された飲料の段ボールを持ち上げようとしたところ、ピィキーン!おおっ、やばいこの感覚、、、、かるいギックリ腰のようです。早速、スタッフが持っていた温湿布をもらって貼り付けてみましたが、、、お客さんがホールに入っていて、動き回っているとまだ楽ですが、バーカウンターでひととこにずっと留まるとキツイですね(^^;我々の仕事は何時間も立ちっぱなしの商売ですから、毎年一回くらい腰痛に悩まされる時期があります。重いものを運ぶときは、一回しゃがんでから持ち上げるように、、、といわれてはいますが、なかなか普段どおりに仕事を進めているときに油断がおきますね。あと、冬にコタツで寝てしまった日とか。皆様もお気を付けくださいね。
Feb 22, 2008
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