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あれこれ写真を撮られた。前向き、右向き、左向き、うしろ向き。にこっとわらっているところ、頬杖をついているところ、眠っているときのくせ。若い素敵なお兄さんが、あんまりしつこく写真を撮ってくれるので、思わず照れてしまった。かんちがいするな!お兄さんは、仕事だよ。どんなすてきなアイドル写真集が出来るかと思ったら、残念ながら歯医者さんのパソコンの画面に映った顔は、中年女のくたびれた「指名手配映像」だった。他にもいろいろ撮られたのだ。頭蓋骨のレントゲン、3D映像、立っている時の体重の移動や、ガムを噛んでいる時の歯の力加減など。合わせて3時間くらいだったかな。10数枚の部分レントゲンは、動いちゃってなかなか撮れなかった。眼鏡を取ると条件反射的に寝ちゃうらしい。ああ、大変だった。10代前半から不眠と肩こりがひどく、一時は心因性じゃないかと疑ったが、あれこれやっても治らない。この際、すべての負因と戦って健康になってしまおうかと。これも、その一環。貯金が続くかなあ。
2003.07.31
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病人と看護人 野口晴哉 全生社これもすごい本だ。ぜったい書き込もうと思いながら、次の「思春期」(同じく野口氏著)を読み始める。そのうち、時間を作って書き込みますので、お楽しみに。 *******(メモ)*******今読み始めた「思春期」の最初の方より何故このように子供が反抗的になるのだろうか、(中略)子供が反抗しているのか、それとも親が反抗しているのかということをまず考えてみましょう。(p17) 子供は成長するときに、親にそっぽを向いて存在を主張するものだという話に入っていくが、それにしても頭をぽかんとやられるようなすごい出だしですよね。さて、先を読もう。
2003.07.30
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今夜も雨が降り出した。今年はいったいどうなっているんだろう。世界全体が底なしの何かに落ち込むみたいで、少し不安だ。大事なことだから、どうしようかと思いながら、誰かの何かのなぐさめになるかと思い、書いてみる。25日に、父親が手術を受けた。数日前にとりあえず気道の確保のための切開を受けて以来、筆談になった。「大丈夫だよっていうけれど、大丈夫だったらこんなところには、来ない」と大きな手術直前まで、持ち前の毒舌(?)をはいていた。手術のあとで見せてもらったら、喉のところ、入れ歯ほどの大きさのものを切り取って、甲状腺の片方と声帯も含まれていた。昨日、手術後に二回目のお見舞いに行った。ICUを出たという話を聞き、取って返して花屋に寄った。わたしの好きな青い花。なんだっけ?と聞くと、父は「ベラドンナ」と書いてくれた。花屋のおじさんだったから詳しい。父は、女医さんに進められて、さっそくベッドに起き上がった。大きな瞳はふくろうのように深くまっすぐで、そして、とてもかっこよかったのだ。父親をこんなに格好良いと意識したのは、初めてだったかもしれない。これからどんな風になっていくのかわからないけれど、力強く立ち上がる昨日の父親の姿を忘れることはないだろう。泣き虫で自分をごまかす自分にやっと向き合えている今日この頃である。
2003.07.29
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今年の夏は、ずっと梅雨が明けない感じで、親も子も少し気が立っているみたい。あ、うちだけじゃなくて、他のところでも。<カラスに反哺の孝あり>昨日、父親を見舞ったら、そんなことを紙に書いてくれた。カラスは、親へのお礼として、巣立ちの前に親に餌をくれてやるという。本当は、そんなことはないのだが、巣立ち雛は羽根にしまりがなく、大きく見えるので、そういう誤解に基づくことわざができたらしい。もうひとつ、「すずめに・・・の礼あり」というのも教えてもらったが、こちらはよく覚えていない。木の枝でも、忠恕の念という奴で、目上のすずめの下に留まる、というのだが、これも、どういうことからできたのだろうか。うちに鳥のひなが迷い込んで、しばらく保護していたが、今日、どこかへ飛んで行った。育てているときは、どうしてこんな子の為にこんなに泣けるのかと思って不思議だった。何かを果たしたのか、うちを去り、どこかで元気にやっているのだろうと思う。明日は、どんな日になるのだろうか。
2003.07.24
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わたしは、コンピュータでこさえた音楽はあまり好きではないのですが、ギターのトレモロがうつくしい「アルハンブラの思い出」を見つけました。こんなの初めて!http://www005.upp.so-net.ne.jp/Shoo-Yamaoka/index.html 同居でない身内の病気で、こちらは、しばらくお休みになりそうです。発作的に書くかも知れないけれど。
2003.07.22
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全生社(http://www.zensei.co.jp )に注文していた野口晴哉先生の本、4冊が届いた。実は、数日前に「褒め方叱り方」という本について、コメントを書いたのだが、楽天のシステムのエラーか何かで消えてしまってざんねん。ひさしぶりに悔い改めて(?)日記を書くとこうだ~(涙)。今回注文したのは、以下の4冊。 叱言以前 病人と看病人 思春期 体癖 1野口先生の本は、からだとこころの関係をびしっと捉えているので、心理学とは違った切り口で、臨床経験からの深い人間理解が魅力である。微妙な年齢になる子供を前にして、一度考え方関わり方を考える必要があるかなあと思って。「褒め方叱り方」についてのコメントはそのうち書き直そうと思いますが、まとまった時間がなかなかとれない。================== 一度心に沸いた観念や感情はそれが何らかの形で放散されるまでは心の中で絶えずそのことを実現しようとして働いているものだ。(中略)この心理的エネルギーは意識的方法ではどうにもならない。反抗も怒りも、それは観念とか感情とかいうものでなく、形づけられた方向に向かってその欲求を実現するまで活き活きと働く生き物と見なすべきだ。意志で押さえれば反って活発になるばかりだ。こういう生理的、心理的エネルギーの動向を観察して之をリードしてゆくところに、大人の子供に対する態度があるのではないか。(叱言以前 p32~)==================過去に寄りかかった生活に生きてきた吾々の想像の出来ない世界が来ても、溌剌と生きてゆけるような子供達に育てねば子供達の不幸である。どんな世界の変動にも生きぬける人間に育てる為には、体の丈夫な頭のしっかり働く、そして独立した行動の出来る人間に育てねばならない。(前褐書p8~)====================この文章は、もともと戦前に書かれたものであるらしいが、その新鮮さは、取れたてのつややかな果実のようだ。今、まさに、そういうような時代の変容の中にいるのだろうと思う。そこで、大人の出来ることは、なんだろうと、考えなければ。
2003.07.17
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