2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全9件 (9件中 1-9件目)
1
9月26日分の補足です。こんな文章をアップするのもなんだか申し訳なく、昨日できたから、こちらに移動します。*****みさきさんにアドバイスを聞かない奴と思われそうですが、「できちゃった句」なので、かいときます。 つき抜ける歓び わたしは小鳥です
2003.09.25
コメント(1)
子ねずみの骸に落ち葉あたたかく うそつきがうそをつけずに咳をする自分が明るく生きることは、自分のためだけではない。気がつけば、捨てることのできないしがらみに囲まれている。若い頃は、死ぬということは、逃げ場として自分が願うことがあっても、そちらから近づいてくることなどは、他人事だった。残りをどう生きてどう死ぬのかということまで、できる限りの人生設計に入れなければならない。そして、できる限り、わたしは不幸であってはならない。当たり前のことだけれど、忘れないように書いておこう。
2003.09.23
コメント(14)

ばたばたと暑いこのごろです。久しぶりに子どもに絵本を読んであげました。わたしの好きな本。********「かしこいビル」ウィリアム・ニコルソン まつおかきょうこ、吉田新一訳 ペンギン社おばあちゃんからおまねきのお手紙をもらって、汽車に乗って、ひとりでお出かけのメリーちゃん。お気に入りのビルという兵隊さんの人形をトランクに詰めようとしますが、たくさん持っていきたいので、「なんと!!」「なんと!!!」詰め忘れてしまいます。かわいそうなビルは、涙を流していますが、おきあがって はしって はしって、ドーバー駅でメリーにおいつきました。かしこいビル!と、最後は、メリーちゃんに花束贈呈されています。この忠実なビルという人形の行動、テンポ感が、なんともおかしく、読むたびにわらいころげては、子どもに変な目で見られています。訳者さんのあとがきに、1926年に娘のメリーのために作ったと書いてありますが、そこで、英語の原文付きの絵を提示しておられることからも、松岡、吉田両氏の愛着がわかるような気がします。「なんと!!」は、原文では、「and・・・!!」、[and・・・!!!」と各一ページになっています。忠実なビル君は、最初のおばさんの手紙の片隅で敬礼していますし、一生懸命何ページにも渡って全速力で走っています。しかも、裏表紙で、熱烈なキスを交わしているビル君の足がえびぞっているのもおかしい。古き良き時代に、懸命に生きる人の時間の流れが、伝わってくるようで、大好きな絵本です。**********「ガンバリルおじさんのまめスープ」やなせたかし キンダー名作選 フレーベル館古本屋さんかどこかで手に入れたので、たぶん幼稚園で集団購入するもの。雪の山小屋に住んでいて、自分の食べ物まで与えて人を助けるガンバリルおじさんの話。自分の顔を与えるアンパンマンの原型になるような赤いお鼻のおじさんですガンバリルおじさんは、倒れた旅人のために、最後の食べ物をあげると、旅人は、リュックサックを残して溶けてしまいます。リュックサックの中には、出しても出してもなくならない豆が・・・。なぜでしょう?おじさんは、「よくわかりません。かんがえてもしかたがない。このほうが、ありがたいから いいじゃありませんか。」そして、やなせ氏のあとがきの最後にガンバリルおじさんのように、がんばって生きていきたいこと、あせらなくても人にしんせつにしていけば、しんせつにしてくれるということ、そして、最後に、「あまり ふかく かんがえないで、きらくに いきることにします。」と。
2003.09.16
コメント(2)
全地に、アイロンを掛けられているような残暑です。昼下がり、街路樹の手の届くところに薄緑色のミンミンゼミが一匹、そのナナメ上に焦げ茶色のアブラゼミが一匹。2匹ともなぜか黙りこくっています。車道には、空色のタクシーが一台。ミンミンゼミを触ったら、あわてて逃げていきました。頭の悪いわたくしめも、将来のことを考えざるを得ない。この秋は、どうしてもならいたい整体。いつまで東京にいられるかと思うと。お金の計算をしています。今晩のおかずは、チキンクリームスパゲティにオクラの卵スープ。うっかり残して日干しになっていた野菜も、できるだけ捨てないようにして。時間も節約。約束は守ってさ。*******今が良ければいいはずがないのです。このごろ、子どもたちがアニメより社会派のテレビを好むようになっちゃって、困っちゃう。こないだ出ていたチャーハン選手権のおにいさん、やりすぎて腱を痛めたけれど、その後復帰できただろうか。ごはんを炒めるならいいけれど、テレビ出演ごときで、からだを痛めたら、一生つらい。きらいなコマーシャルは、子どもと父親が「こづかい上げろ!」と母親に言っていて、その後で、子どもと母親が組になって「こづかいほしけりゃ仕事を増やせ!」というもの。ここまで忠恕の念が薄くなると、似非現代人間のわたしも呆れる。フォーカスという雑誌はとうの昔に廃刊になってしまったけれど、ゲシュタルトが壊れている時代に、垣間見るような後ろめたい面白みは、あの程度の写真にはもう感じないんだろうな。
2003.09.11
コメント(15)
今日のたそがれは、過ぎ去ろうとしている夏のうるおいが満ちている。けだるく、眠たい。東洋の文字の並んだ路地を足早に歩いていると、知り合いの顔を見つけたような気がして、立ち止まる。息子と同級生の息子を持つ中年の女性。がっしりとして教育熱心な、いわばプロのおかあちゃんだった。ここは、知り合った宮崎ではないのに、そんなに仲良かったわけでもないのに、ふっと、その人だったらいいなあと。面影が、知り合った住宅の土のにおいを運んできそうだ。転居の多い生活なので、人と知り合い、開きかけの本がいくつも出来るように、数年でさよならとなる。人見知りが今よりひどかったので、そのころは、そんなにお近づきになりたいとも思わなかったが、介間見の気が付かなかった佳いページが、想い出の中でめくれる。めくれるたびに、すこししょっぱいような気持ちが広がるのだ。ふと我に返って、さっきの携帯電話の子どもたちの声を思い出し、少し道を急いでみる。食事が済んでから、おっと忘れてた、火星を見なくちゃ。娘を連れて、ジュースを買いに行く。ここは光の害がひどくて、くらいところでやっと見つけた。満月の隅っこに小さい米粒のような赤いお星様がくっついていました。街が明るくて、月がとっても大きいから、大きな火星が、あんなに小さくなっています。火星は、あんな風にしていたいのかな、それとも、ひとりぼっちでも大きく見せていたいのだろうか、なんて、つまらないつぶやきです。本当は、火星の方が、ずっと大きくて、ずっとずっと及ばないところにいるのに、目の前に見えていることで、わたし。夜の12時半。仕事のテキストのコピーを取るために、近所のコンビニに行った。さきほどは、下敷きになりそうだった小さな火星が、つかず離れずのところに動いて大きく光っていて、とても同じ星には見えなかった。真面目に仕事して、得しちゃった。 何話す月が火星に出会ったら
2003.09.09
コメント(8)
都市のカラスの問題は、人間の社会の変容を物語っている。食べ物が余ってゴミになる一方で、100人の村にたとえられた地球の多くの人間が物をたべられないでいるのは、不思議なことだ。浮浪者のみなさん、愛すべき方々だ。人から嫌がられながら、何がかなしくて公園に居る。いったいどういう人生の遍歴があったのか、一度聴いてみたいと思うが、これも不文律で問わないことになっているのだろうか。住所のない人たちは、怖い人、最近ではそんなことも、常識とは言えなくなった。小学生も、エリートも、誰でもこわい。人間は、昔と実体が変わってしまったのだろう、身体も変わってしまったのだろう。知識が増えた。刺激が増えた。楽しみが増えた分、本は読まなくなった。忍耐や節制する分もいらなくなった。自然淘汰されない怠業。磨き抜かれた肉体を持つのは、生活の必要ではなく、あくまでも個人の趣味の範囲だ。安産出来るしなやかで強い骨盤もそんなには必要不可欠じゃない。医学がやってくれるから。そんなことをつらつらと考えていたら、たまたま子どもたちが見ていたテレビで、同じようなことを言っていた。身体の変化~親不知が先天的に生えてこない若者が増えている。それだけ、脳の大きさが拡大している。と。科学は進んで、以前に比べると、多大に学ぶことがらの量も増えているのだろう。心理学なんて、今の辞典には、私達の時代にはなかった言葉ばかりだ。LDもADHDも、アフォーダンスもなかった。受験勉強もシステム化していて、家の近くの子達は、夜中まで塾に通う。そんなに勉強して、失うのもはないのかい?と投げかけてみたい。しかし、その一方で、ゆとりと名付けられた公教育は、かえって子どもの格差を広げる。勉強が出来たって、生活に必要なことを自分で成し遂げる経験と自負心を育てることが出来なければ、これから来る貧しい時代に耐えられないのではないか?自分は考えてもわかんないからということで、正解を求めようとする姿勢が大きすぎると、社会は動いていかないのではないか。正解なんて、人間が作り出す物、そういう分野もあるんだぜ。ああ、木の葉のように考えが流れていく。わたくしはただ、まとまりのないフラグメント。
2003.09.06
コメント(12)
今日は、レポートの添削。こないだもある大学の教員が嘆いていたのですが、インターネットからの切り張りで出しちゃう子が多い。彼らが書かないような難しい文章を平気で書いてくる。しかも、誤字まで同じだ。(たとえば第三者を「代3者」とか定番。)真面目そうに見えた学生も、おまえもか、と言いたくなる。せめて、文字を丸写しするなら、少しは頭に引っかかってくれるかも知れないが、機械的な全文コピペに「てにおは」だけ付けるのなら、ワープロの練習にさえならない。完璧な文章など書かなくても良い。今は、失敗して良いから、とにかく、文章を書く練習の場として学校を利用して欲しい。失敗して学ぶという体制がなくなるのなら、創造的な未来など、どこにあるのだろうか。学び、質問し、間違い、そして学ぼう。そう言いつつ、自分の言葉で自分の問題意識すら書くことにためらいを感じている自分がいるのであった。社会構成主義、心身問題など、関心のあることをできるだけきちんと言葉にして行かなければ。
2003.09.04
コメント(4)
もわもわと蒸し風呂のように生暖かい陽気。夕方から雷雨となる。かみなりを見るのが好きなので、ベランダに出て眺めていたら、結構近くに落ちた。バリバリと音がして、火花が散った。驚いて部屋にはいると、娘は、「おかあさんも部屋にいたらいいのに」とか、平然と言いながらパソコンゲームをしている。天は少し赤色。なんだか落ち着かない。授業でみせたesの映画は、学生達が食い入るように見ていたが、見たくなかったという意見もあった。授業の一環としてホラー映画を見せることも、不快な体験を集団圧力と成績の圧力で強要しているみたいで、反省だった。それにしても、人間の規範意識が、右隣を見て左隣を見て影響され合っている。よく言われることだけれど、日の下に新しいものなどないので、情報が氾濫すること→人間性が向上することにはつながらないから、人間にゆだねられている支配力が増大すればするほど、不安な感じがするこのごろである。かみなりも、殺したいという思いも、確かに昔からあったのだ。勇者というカテゴリーがなくなり、日常生活で個別性を発揮することを願いながら、匿名性の中に落ち込む現代、自然へのはけ口を見いだすこともむずかしく、子どもたちはどこへ行けばよいのだろう。******ところで、今日のかみなり、全国で被害をもたらしたそうですね。宮崎の小林市から、埼玉の坂戸までの記事がありました。そんな広域になるものなのですね。 いかづちに島国怒られているようで
2003.09.03
コメント(6)
今日から新学期。八月の最後の日は、前の日にお祭りで取った金魚の水槽を二つも買い込んで、場所がないのに~と連れ合いに怒られました。わたしが悪いんです。計画性がなかった。夜は、残り物の花火をしました。どちらに隠れても炎が自分に向いてしまうビル風の中、火のついた花火をつないでつないで、とにかく「ノルマは燃した」と言う感じかな。 サイダーの気が抜けたよな秋 花火「新学期やだよね~」と言う数日前に会ったときの娘の担任の言葉が、あまりに彼自身に向いてリアルに実感がこもっていました。とりあえず、「学校に行くのが楽しい学校」であって欲しいとささやかに願っています。******書き散らしパンセ 2今日読んでいた論文には、「発話は身体を基本として行われる共同行為」と。個人的な感覚を「いつか経験したような感覚」として相手のからだの中に再現することが、物を書く醍醐味だと思います。それがうまく行われなければ、独りよがりになるのだと。それにしても、古い大小説のすごさは、自分と違った立場の人間も含んで織りなす社会の複雑さを、再現しようと心掛けていることで、「ちいさなわたしの今」しか見えないことを超えているのだと思うのです。以前、前橋で林明子さんの絵本の原画展があり、「こんとあき」の原画を見たのですが、絵本の文章以外の世界、台詞以外の会話がきちんと想像されていて、その上でひとつひとつの言葉や絵がえり抜きで描かれているのですね。「自分」を越えようという意志がないと、どうも浅薄なものになりそう。まだまだ、修行が足りないです、わたし。
2003.09.01
コメント(0)
全9件 (9件中 1-9件目)
1
![]()

![]()