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午前中は、子どもがふたりとも風邪でダウン。今年の風邪は、とろとろ元気が出なくなるみたい。絶対午前中は仕事にいけないので、せめて、その間に家事をと思ったのだが、わたしも冷たい足を足湯であたためたら、そのまま気持ちよく寝入ってしまった。11時ごろ、目を覚まして、お昼を買いに行く。午後から仕事だよと言い渡して、お休みのふたりを気遣うのだが、やっぱりお昼はコンビニに頼ってしまう。家に着いたら、ムスメが「『☆◎先生がザリガニの赤ちゃんが生まれたから、見においで』って電話が掛かってきたから、今から行く」という。ベテランらしい配慮である。ありがたいのだが、もう給食の時間だから急いで行かなくちゃ。ばたばた着替えをして、飛んで出る。Mちゃん、きれいな落ち葉を一緒に見られてよかったね。今日は、某所の下見の仕事のお約束があるので、すっぽかすわけに行かない。すっかり緊張して、母親ぼけの頭がだんだん冴えてくる。いつまでも、甘えん坊では行かんのだ。結局、仕事は、夕方までも終わらず、7時過ぎに連れ合いに出前を頼んで、病み上がりの子どもにいい加減なものを食べさせてしまう。栄養の偏りが気になる。良い体に育っておくれ。当家の天国支部に移籍したお父様、守ってくださいと、お月さんと写真にごあいさつ。天国支部にお相手が出来て、ときどきむにゃむにゃ言わせてもらってる。ところで、わたしもちょっと風邪を引いているらしい。風邪は、季節に合わせて体が変わることだから、素直に引き受けて、軽く出て行ってもらえばいいなあ。
2004.11.30
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今日から、突然走ることにしました。小手調べに、近くの交差点までとろとろ行って帰って約1キロ。気持ちよく走ったのですが、途中、軽い喘息が出て、帰ってから収まるのに30分くらいかかりました。どこまで出来るかわかりませんが、取りあえずの目標は・・・・。たいしたことではあるませぬが、まだ、秘密にしておきまひょ。夜を迎え、気持ちよく眠たいです。おやすみなさい。
2004.11.29
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今日は、連れあい殿と銀座でデート(ぬふふ)。靴屋さんをのぞきながら、ぶつぶつ言う奥様でございます。街では、華奢な三角からアーチを描く繊細な靴がはやっているようで、造作としてはとても美しい。しかし、どうもそういうものが、大切なる身体を支えることができるように思えないのです。足の裏は、第二の心臓なんて言いますが、内臓のあちこちのつぼがあるし、何よりも歩くことで、心臓の働きのポンプをしていると聞いています。その足を、人工的にうつくしい形の靴にはめ込んで、シンデレラのように飾っても、実際に毎日、重さのある哀しさ、支えていけるのでしょうか。わたしの母は、外反母趾で、片足の親指が深く入り込んで変形しています。安いべた靴で、毎日毎日、花屋の冷たいコンクリート打ちっぱなしの床の上で働き、痛い腰をさすりながら、家までの長い坂道をごろごろと買い物車を転がして歩いていたからしかたがない、といえば、それまで。しかし、毎日毎日のこと。余計な事かもしれないけれど、若い女の子たち、これから骨盤に力を入れて、子供を産むかもしれない。そうでなくても、足腰は、自立の要。カンカンカンと細いかかとの金属のあたる音、それから ぺたぺたぺたと足裏に靴底があたる音、そんな騒がしさで階段を上がるミュールのおねえさんを見ていると、余計な事かもしれないけれど、心配になったりして。これもまた、使わないところは退化するという進化の道筋かもしれないです。しかし、これからは、ごくろうな時代が待っているかもしれない。何よりも健康な足腰は大事。わたしもちょっと秘密の目標にトライ!むふ。
2004.11.28
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~とってもとってもこわい話~昔むかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。そのとなりの家に、普通の子のふつう太郎がおりました。 (おじいさんとおばあさんは関係ないぞ!)ふつう太郎は、ふつうに食べてふつうに育ちました。ある日、鬼が島から鬼がせめて来ました。村人たちはおそわれてひどい目にあいました。けれど、ふつう太郎はふつうの子だったので、鬼を退治できませんでした。どんどん悪が、まんえんしました。おわり~***これを聞いて、本気でぞっとしました。ムスメに「その話、どこで聞いたの?」と聞くと、元の話はクレヨン×ちゃんで、ムスメがちょこちょこいじっているらしいです。昼間、20代の子達の無責任な無関心ぶりに、困ったことだと思っていただけに、なんだか本当の世界の話みたい。ひとりひとりの存在は、小さいものだけれど、自分の影響力をあまりに信じられない時代というのもこわい。
2004.11.26
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子どもたちは教育改革の実験台にされているなんだか毎日くたびれている。学校と言うのは、安心して子どもを預けられる場所だったように思う。完全週5日制、内容の削減など、誰も経験したことのない事柄に取り組み、振り回され、誰もそのことの責任は取りはしない。余裕のない教師、レベルの低い授業で、繰り返しの教材。無駄な繰り返しに退屈する子どもたち。押し付けの君が代、子どもをだしに教師の処遇を諮る台無しの卒業式。いったいたった一回の卒業式の主人公は誰だと言うのだ。公立学校に安心して預けたい。日本の将来が不安だ。
2004.11.23
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今日は、ひさしぶりにお花屋さんやってます。ソフトボールの卒業生のコサージュ作り。デンファレという洋蘭は、華やかな割りに値段が安定していて、なかなか枯れない。父の病室にいつも母が飾っていた。また、デンファレね、と笑ったが、造花のような長生きさんは、最後のささやかな毎日を飾り立ててくれていた。花屋の門前の小僧で、コサージュくらいなら作れます。定番のデンファレにカスミソウ、葉物を少し。銀色のリボンを結ぶと、やっぱり生花だけあって、ちょっぴり贅沢。 いつか写真をアップしてみたい 父の手作りのカトレアのバスケットブーケ。 かごを白く塗って、それはそれは見事なカトレアでした。
2004.11.22
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一葉さんは、別嬪さんでせっかちさん。せっかく来たのに、お茶もお飲みにならないで。さようなら、一葉さん。またゆっくり遊びに来てね。福沢さんは、「天は人の上に人を作らず」とおっしゃるくせに、うちにはあまり顔を見せてくれない。野口さんは、うちを定宿にしてくれてはいるが、研究室は、別にあるらしく、出たり入ったりしてせわしないわ。住み心地悪いのかな、あたしの桃色のお財布。あ、忘れていました。この御方を。紫式部さま。 めぐりあひて みしやそれともわかぬまに くもがくれにし よはのつきかな やっぱりあまりご縁がないですね。
2004.11.21
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宮崎の焼酎も朝の連ドラ効果で手に入ります。うれしい。「かんろ」というのをのんでいます。今たくさん苦しいことが社会にあって、募金の先も、いくつもいくつもあって、わたし一人がしあわせになっていいのか、という議論もあります。そんな毎日の中で、当家にとって今だいじなことは、やっぱり子育てなのです。いつ被害者になるとも加害者になるともわからない。事件のいろいろは他人事ではないのです。でも、あまり深く負わないようにしています。まずは、自分を保ってそれからできることをひとつひとつです。楓さん、おきのどくです。でも、報道って、いったい誰のためなんでしょうね。事実を知りたい人、それから、性的興奮を覚えるかなしい人たち。必ずしも泣きながら見ている人たちだけではないと思うと、見るのも気の毒になってしまう。自分が当事者になったら、マスコミの方々に、泣きながら×を大きく手で示すのでしょうか。なぜ、社会一般の方々にご挨拶しなくちゃいけないのか、疑問です。 そういう目には会いたくないものだ(ぼそ)。大事なことは、社会に動くそのひとり、共犯者であることを自覚すること。しかし、相手が大きいな~。こないだは、都立大関連の集会に行きました。トップダウンの名の下で行われていることは、民主主義の破壊。首都大学東京。首大非赴任者の会、なんていうものもあるんだそうです。緊張感を増した時代。子育ての困難な時代。そして、柔軟な考え方や自己主張の能力が案外育っていくのもむずかしい子どもたちであります。 公立学校で、安心して子どもを育てたい。
2004.11.20
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雨上がりの舗道は、生まれたてのようにさわやかです。にこにこして歩いちゃいます。今日は、おでんの煮込み。おかあさん、世界の最後の日だったら、何をする?とムスメに聞かれました。最初に思いついたのが、 信州で楽天のお友達とパーティーをもう一回やりたい。ということだったのでした。おっと、あぶない。ムスメも入れてあげなくちゃ。
2004.11.15
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ここ数日、四足歩行(ひざ曲げ、ひざ立ちとも)、とか、リズムにあわせて街を歩くとか、へんてこなことに凝っています。(あ、街中で四足歩行は、やりません!)そうそう、さっそく、寝たときの右の足の開き過ぎが治ったみたい。骨盤矯正に聞く、と。何よりも、関節の動きが自由になった感じがいいです。もともと哺乳類としての人間は、四足に生きるのが正常のからだを持っていた。それが二本足になったため、手が自由になり、文明の急速な発展をもたらした。その反面で、物理的には、かなり負荷がかかっている。ましてや、ここ数年で休息に発展したコンピュータ、そこでの活動が心身に与えている部分疲労はかなりなものがある。そんなことをここ数日考えていたら、まったく同じようなことを「スパスパ人間学」というテレビで言っていた。そこでは、ヨガの特集。スリーピングマッスル(使わないで眠っている筋肉)の話、とか、異常なたんぱく質が自動的に何パーセントは作られるので、その解消のためには、スリーピングマッスルを動かすことが効果的・・・とかだったかな。***いろいろ試してみますが、ひとつには、何よりも、周りや状況に左右されず、自分の生を生きるということはどういうことなのか。このごろ、人類というものの終末を考えるも、そもそも人生は一度しかないので、長生きするのか短く果てるのかも、個体レベルではあまり差はなさそうだ。笑って生きよう。何か力が湧き出るような丹田を持とう。上を向いて歩こう~♪(この支離滅裂ぶり、わかるだろうか。)
2004.11.07
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連れ合いにすごい才能があるといわれた。あんたは、「泣いたり怒ったりしながら自分を立て直せるのがすごい!」と。何が才能やねん?というところだが、彼の元同級生のおとむらいのあとでは、言葉に重みがある。多かれ少なかれ周りに迷惑を掛けても、生きていることは、良いことであるらしい。泣いたり怒ったりしても良いというなら、笑って生きてやろうと思う。 さよなら Kaoruちゃん****大久保小学校の御手洗さんの同級生(小6)が書かれたというトケイソウの詩。どのくらい知られているのかわからないが、惹かれるものがあったので、ご紹介。http://www.nagasaki-np.co.jp/press/syou6/kiji/2004110201.html****追伸:こんな文章書いていますが、わたしは、今、割と元気です。忙しくて頭がくるくるして、日記もレスもろくに出来ず、もうしわけないです。信州は、羽が生えたようにすてきでした。
2004.11.04
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